自らが出した吐息が反響を繰り返しながら聞こえてくる配管の中を少年は進んでいく。足元は薄暗く自分の身体の輪郭がうっすらと分かる程度でしかない。それでも配管の中は完全な暗闇ではなかった。
そして進みながら一息つけると自身の状態の余りの酷さに少年は乾いた笑いが出てしまった。走る体力は既に尽き、今や惰性で何とか歩いている状態、もしここで立ち止まってしまえば当分の間は動けそうにない。それをなんとなく理解しているからこそ配管の中を少年は当ても無く進み続ける。それでも少しでも明るいほうへと無意識の内に脚が動き、そして何度目か分からない分岐を経た先で視覚が光を捉えた。暗順応で少年の視界には真っ白としか認識できない配管の先、それに少年は引き寄せられる様に進んでいく。
そして少年は配管を抜け、その先にあったのは広い空間だった。辺りに目を凝らして観察すればそれは数ある廃墟の一つである事が少年には分かった。
恐らく配管はその廃墟の中に元々埋設されていたのが地上に露出したものなのだろう。廃墟の天井は崩落しており、むき出しの空が広がっていた。そして此処から差し込んだ光が配管の中を反射を繰り返しながら照らしていたのだ。
改めて少年が空を仰ぎ見ると灰色の雲は既に消え何の混じり気もない青い空が広がっていました。配管を進んでいる間に晴れたのだろう、青空は見上げていて心地良い光景であり……ですがまだ少年は気を緩ませる事が出来なかった。呼吸を落ち着けると直ぐに耳を澄まして周りの音を拾い始める。
自分の吐息の音が鼓膜を震わせながら銃声と咆哮が聞こえてくる。しかしそれは非常に小さく、音の発生源が遠くにある事を示している。生物兵器の出す足音といった音も聞こえてはこない。
そうして身近に危険が無い事を理解した少年は漸く命の危機を脱したと判断した。それと同時に崩れ落ちそうになる身体に最後の鞭を打ち壁際まで歩き、たどり着くと凭れ掛かるようにして座り込んだ。
肺にある空気を全て吐き出すような深い息を吐く。荒い呼吸を幾度か繰り返していくと酸素が身体に十分に供給され隊長が次第に落ち着いていく。そして何となく呆然と空を見上げていると脳裏には様々なものが浮かんできた。それは此処までの過酷な道のりであり、巨人の事であり、襲い掛かってきた生物兵器──しかしそれよりも重大なことに少年は気づく。
少年は自分が何者か分からない。
自分の名前は、誕生日は、産まれた場所は、今までどうやって生きてきたのか、家族はいるのか、どうしてこんな危険な場所にいるのか、全てが分からなかった。まるで自分には過去と呼べるようなものが無い。存在しないのでないかと思ってしまうほど何も記憶していないのだ。
それなのに頭の中には様々な知識がある、そのことは分かってしまうのだ。生物兵器の名前もその知識の一端、だがこの知識はまだ少年も理解できない物もある。謎は深まるばかりだ。
「でもそんなことは後回しでいいや」
そう呟きながら少年は座り込んだ体制を崩して横になる。逃げ続けるために酷使した身体が休息を欲していた。思考は緩慢になり、瞼はゆっくりと落ちていく。
思考が途切れ途切れになる中で一つの風景が浮かんできた。それは瞼の裏に焼き付いた鋼の巨人の姿だった。そして、まだ意識が明確になってから半日もたっていない少年が明確に理解したことが一つだけある。
──それは『力』
敵対する存在をいとも簡単に蹂躙していく巨人、理不尽を更なる理不尽でもって破壊し尽くす暴力。
この世界は容易く少年を死に追いやる事が出来る。それに抗い生きていくのならば『力』が必要不可欠です。
力とは知力であり、財力であり、暴力である。それらを得ることができれば自分は生きていくことができる、‘’生きたい‘’という望みが叶う。
故に決意する、力を手に入れる事を、この世界で生き抜く事を自分の名に誓って──
「……そういえば自分の名前は分かんなかったわ。どうしよ?」
どうしてか少年は自らの名前を思い出す事が出来ない。それは流石に不味いのではと考え自分の記憶を探り出そうとするも手掛かりさえも掴む事が出来なかった。
「名無しはさすがにないよな……、ないよな?」
結局の所分かったのは自分の名前が分からない事だ。しかし、いつまでも名無しでは自分も困る。そこで暫定的に自分に名づけを行う必要があるのだが……
「アルファ、ベータ、ガンマ、フォックス、セイバー、タマ、ポチ……?なんなんだこれは、名前なのか?」
頭の中にはそれらしい人名が幾つも浮かんでくるがこれといったものはなく、それ以前に名前と呼べるかも怪しい物しか浮かんでこない。さすがに自分を『アルファ』と名付けるのは嫌だなと、ならば他にましなものがないかと思案をするが浮かんではこない。
あ-でもない、こーでもないと悩み続けながら少年は空を見上げる。此処に来るまで見てきた荒廃した風景には似合わないような青く澄み渡った空が視界いっぱいに広がり、その中を小さな雲が流れていた。それをぼんやりと少年は暫くの間眺め続け……
「空……、そら……、ソラでいっか」
なんとも適当に少年は自身の名づけを終えた。
何はともあれ少年、ソラはこの過酷な世界を生き抜くことを決めた眠るために瞼を閉じた。
そして思い出したかのようにソラのお腹がぐぅ~と大きく鳴り響いた。
「お腹減った……」
ソラは先ずは空腹でキリキリと痛むお腹を鎮める事、それを最初の目標とすることにした。