太陽は銀色か。月は金色か。
空気の濃さ、日付、人や獣や個々の持つ眼の機能。そのどれによっても違うように見えるとフラムは思う。
幼き頃。
すると、彼女は言った。
『私は、だからこそ楽しいと思うよ。見えるだけ。私に見える色だけを語るなら、月は昼間も白銀みたいに輝いて見えるし、夜の月光は青白い。太陽はよほど強く光っていなければ橙を孕んだ金にも見えるよ。でもそれって誰にでも、どっちがどっちだか判らなく見えているって事だよね。なんだか双子みたいで、面白くない?』
現象に正誤を見出すのではなく、それらを客観視した只の感想を返された事に、フラムは衝撃を受けた。
自分と彼女の視点は違っていたのだ。同一の生き物ではなく、共生する命でもなく、我々は別離した魂なのだと……そこで初めて、強く印象づけられた。
誰よりも近く、誰よりも遠い。そんな位置にある彼女の視点を、フラムはとても面白く思った。
面白いのだ。だからこそ ―― 愛おしいとも。
『そうだね。君の考え方は素敵だ、イリーカ。僕には見えない物が、君には見えているように感じる。凄いと思う。……うん。そうか。違いを、楽しんでしまえば良いのか。僕にもそれは、出来る事なのかな?』
それはイリーカにとっても同様であった。同じ場所で同じ景色を見て、培い、育てられた。だのに彼は、自分ですら気味が悪く感じるこの感性を、心から面白いと感じていた。想ってくれた。受け入れてくれた。そう、確信できてしまったのだ。
いつしか2人は生家を離れ、ハンターを目指し旅に出る。読み漁り憧れた物語を、憧れだけには留めない。月も太陽も、全部まとめて見に行こう。そう約束したからだ。手を取り歩を揃え。2人は、定め強いられた通路の壁を、蹴り破ったのだ。
「―― フラム。準備は良いの?」
ふと、近くからの声に呼び起こされる。少しばかり昔のことを思い返していた。仕切り直したリオレイアを追い、中央付近の小高い丘へ続く坂を登る途中だった。フラムは最後に自らの鞄の中と装備を軽く点検し、矢の残量が十分な事を確かめて、返す。
「ああ。行こう、イリーカ。決着を」
彼女が頷いたのを確認して、細い道を抜け出した。
突き出した岩と、崖際に囲まれた小さな闘技場の様な場所だ。高台にあるために周囲に広がるアルコリス地方の豊かな森と丘が一望でき……それだけに落下には注意しなければならない。
少し背の低い草花の奥に、深くも鮮やか、赤と緑に彩られたその姿が視認できた。
緑。リオレイアは、眼にフラムの放った矢がまだ突き刺さったまま。しかしその端は焔によって焦げ落ちており、鏃と閉じられた瞼だけが未だ痛々しさを残している。甲殻も棘も、まさに闘争の跡と呼べる風体である。
赤。一段崖の上……自らの巣の門前である……に陣取った物こそ、リオレウス。鮮烈に威圧する赤色と、我こそは空の王者とばかりに空を掴む翼。それら威風には少しの陰りも見当たらない。何より。
「リオレウスはもう怒っているね。でも、奥さんがあんなに痛めつけられてたら、当然なのかも。私だって怒るよ」
「そうか。僕も、心情の流れは理解が出来る」
そんな感想を抱いて笑い合い、耳を塞いでから、2人は同時に飛び出した。
開いた口、ちらつく牙の並び、合間から漏れる火の粉。2頭の飛竜を前にして、ハンターは武器を構える。
天地を揺らす二重の咆吼。距離がある。耳栓は、まだ付けたままだ。
『リオレイアから狙う』
『了解だよ』
手信号で狙いだけを簡潔に知らせる。2頭の竜が分断されるまで待つという選択肢はない。傷つけたリオレイアをこそ
空と陸から互いに迫る。リオレイアとリオレウスの得意分野の違いは現状において、滞空能力の差というよりは、お産や子育てに力を回していると表現した方が適切だ。リオレウスは強者としての有り余る生命力を「狩る事」に全て費やすというだけの事。
ブレス。リオレイアが前方広範囲を、リオレウスがハンターを……前へ突出したイリーカを狙って火球を吐き出した。避ける。
イリーカの「牽制するね」という合図に従ってフラムはリオレイア側へと回り込む。すぼめられた片目の竜は、反時計回りに駆けたフラムの姿を追随する。突進。此方は崖を背負ったというのに
半身に振り返りながら、強撃ビンに切り替えてきた矢を放つ。身体の先端部から狙う。翼と尾だ。出血を狙うなら既に削れている頭や、毛細血管の多い部位を狙うべきであるが、求められているのは少しでも体力を削る行動である。放たれた矢の幾つかは翼膜を貫き、尾に突き刺さった。
頭数は2対2。兜に遮られた視界の中に、可能な限り2匹の竜を収められるよう立ち回る。理想はこのままリオレイアを討伐しきり数的有利に持ち込むことなのだが、リオレウスも番が弱っている事は理解しているのだろう。上から炎や爪を降らして阻んでくる。
頭上に遙か広がる空は竜の領域だ。幸い2人の武器は弓であり、辛うじて攻撃を届かせる事が出来る。
岩壁を楯に火球を防ぎ、反撃。進んでは退いて、退いては横へ跳び、反撃。フラムはリオレイアを視界に捉えながら、イリーカはリオレウスの敵意を受けながら。
巣の前だ。余力を残す積もりはないらしい。リオレイアが振るう尾も、リオレウスが放つ火も、時に互いを巻き込んでいる。巻き込み、近場に居たハンターを着実に傷つけている。
遮二無二、サマーソルト。イリーカが棘に触れてしまい、代わりにフラムが前へと出るが、今度はリオレウスの爪に襲われる。傷を負った小手の上にぬめりとした感触。事前に服用していた解毒剤の効果を信じ、腰に力を入れて立ち上がる。
リオレウスが急降下、爪を地面に突き立てる。地に刺さった片足と翼で体勢を保ったまま、炎と牙を振るう。イリーカは火の粉を肌に受けながら、後ろへ回った。致命傷はない。
目前、リオレイアの反転に合わせて攻める。顔に降りかかった矢に怯み、動きが止まり ―― 火球。視界の外から、身体の左側に強い衝撃。フラムの視界が地面で埋まる。
「 ―― !」
イリーカの声が耳栓を超えて震える。フラムは直ぐに立ち上がることで無事を伝え、近くに落ちていたプロミネンスボウを拾い構えた。素早く振り向く。リオレイアは ―― 。
緑。刺激臭。衝撃。
目の前がちらちらと瞬き、呼吸すらままならず、ただただ不安が五感を占める。
呼吸を。溜まった息を、勢い付けて浅く吐き出す。崖の影から飛び出そうとしたネコ車担当のアイルー達を掌で制し、痛む身体の節を押して、また立ち上がる。
受け身は無意識のままとれていた。身体に染みついた動きだ。ハンターメイルも、リオレイアの巨体を真っ先に受けた二の腕の部分が凹み外鎧が砕けているが、腕の動きに支障はない。破片が少々刺さっているだけだ。続けよう。立ち止まりはしない。区分けしてあるポーチから回復薬を迷わず抜き取り、飲み干す。少々むせた。
すぅっと通る刺激臭が鼻を抜け、認識の中の身体が指先から徐々に輪郭を帯びる。
リオレウスは滞空している。傷は見えるが、翼を羽ばたかせる速度に衰えは無い。体力はまだありそうだ。
リオレイアは ―― 満身創痍だった。
イリーカには5感の外にあるとしか思えない、特異な感覚がある。
そしてフラムには、ただ只管、彼女の隣に立つためだけに磨き抜いた観察眼があった。
瞳の動きが鈍く、瞳孔が散大している。右足を引き擦っている。呼吸の音が不規則だ。鼓笛のようにひゅうひゅうと鳴る。生臭い血の臭いがする。背と、執拗に狙った腹から流れ出ているものだ。それは自分の口の中も同様である。食いしばった際に噛んだ頬が、鉄の味だ。震える空気に最初の様な怖気はなく、肌着を濡らす汗は生
イリーカは健在だ。彼女は周囲を旋回しながら、リオレウスに矢を射かけている。所々に焦げ跡があり、幾つか受けてしまっているようだ。ギアノスの鱗に覆われた兜の中から髪を乱し走る彼女が、フラムから向けられた視線に気付く。交錯。理解したとばかりにリオレウスの側を向いてくれた。
『狙いは変わりない。リオレイアを仕留めきる』
閃光玉が放られる。中空に緩やかな弧を描いて投擲された楕円形の物体は、リオレイアとリオレウスの間にするりと入り込み、眩い光を生じさせた。
落下音。リオレウスが硬質な地面に落ちた、鈍い音。視界を奪って後、リオレイアが明らかにそれと判る悲鳴をあげる。フラムとイリーカが攻勢を仕掛けたのだ。
リオレウスは、未だ眩く覆われた視界の中で猛々しく暴れ出す。我武者羅に、悲鳴の聞こえた方向へ。ようやくして視界が晴れた時。目の前には、蓄積された麻痺毒によって動きを止められた、リオレイアの、尾があった。
ぶちりと千切れる。リオレイアの巨体が地を転がり岩壁に激突する。ハンターは離れた位置。巣の入り口近くの高台に立ち、弓を2匹へ向けていた。
よろけながらリオレイアは睨む。ハンターを、睨む。
そのまま距離を詰めること無く、リオレイアは飛び去った。追撃の矢を受けつつも。ふらふらと飛び逃げるその後ろを、リオレウスが追う。
2頭の姿は岩山の向こうへと消えてゆく。イリーカはふうと息を吐くと寄ってきて、フラムを下から覗き込んだ。
「このまま行ける、フラム?」
「なんとかね。……自分の番が弱っていることは判っても、流石に麻痺毒が蓄積されているなんて事までは、判るはずもないか。イリーカ、君は?」
「私も行ける。頑張ろ!」
拳を握り、彼女はそう激励してくれる。
異論はない。一際の気合いを入れて挑む場面である。が。
「―― 少しばかり、気の毒な結末なのかも知れないね」
「また、何か見えたの? それとも聞こえた?」
そうだねとフラムは応える。確かに聞こえていた。争いの音に紛れた、甲高い鳴き声が。
「警戒は怠らない。でも、確かめよう。そして、終わらせるんだ」
頷いたイリーカを伴って、フラムは入り口を潜った。
岩山にぽかりと開かれた洞穴だ。入り口は狭く大型の生物は通り抜けが不可能だが、空からの出入りが可能な構造である。腐敗臭が鼻をつくが、風の通りは十分にある。有毒な気体は貯留していないだろう。通路には様々な動物の肉と骨が朽ち果てており、それは巣の中心部も同様だった。
一面の骨と真新しい死臭が漂い、巣の周囲に、形を保ったまま焼かれたランポスの死骸が散らばっている。これらランポスは、夫妻の居ない間に空き巣を試みた悪漢の成れの果て。
中央部に置かれた飛竜の卵は ―― 無惨にも生々しく割れ飛び散り。
その横で、リオレイアもが息絶えていた。
ここへたどり着くために全ての力を使い果たしたに違いない。リオレイアは身体を投げ出し。残る片方の眼は死して尚、砕けた卵の残骸を見つめ続けていた。
静けさが満ちる。聞こえるのは、口を窄めて胸にため込むような小さな息遣い。かつての番の首元に鼻をあて、擦らせ。そして、首をもたげる。
リオレウスが、ゆっくりと振り向く。
黄色く、竜種に特有の、細く鋭い視線が2人を包む。含まれるのは悲哀か、寂しさか、はたまた ―― 嫌悪か。どれもが違う気もする。やり切れなさ、なのかも知れないとフラムは思った。
リオレウスの動きは、まるで疲労が祟ったかの様に鈍い。空を飛べば叩き落とされ、難なく罠にも落ち、ブレスを吐き出せば暴発する。明らかに敵意が削がれている。追い詰めるのは難しくは無かった。
矢が無数に突き立ち、毒に身体を蝕まれ、咆吼をあげる事もない。それでも、牙だけは剥く。
イリーカが放った矢が当たり、鋭く強かった爪が遂に砕ける。リオレウスが転倒する。首だけは、此方に向けられたままだ。
フラムは正面に立ち、プロミネンスボウに矢をつがえた。ぎり、と縦に構える。上下、日と月の弦輪が軋み、
阿吽の呼吸でイリーカが閃光玉を投じる。石ころに粘着草の液をぶちまけ、そこらで捕まえた閃光虫の発光器官を引っ付けた、あり合わせのものだ。
リオレウスは既に、閃光玉が炸裂するタイミングを知っている。衝撃が与えられた時である。そこで、瞼を閉じれば良い。
次の瞬間。未だ衝撃を受けず中空にある閃光玉を、フラムの矢が射貫いた。僅かに見開いた瞼はすぐさま、光と鏃によって貫かれていた。
「―― 終わった?」
「うん。討伐、完了だ」
2頭の飛竜の前に、フラムとイリーカが居並ぶ。骸である事を確認して、互いに息を吐く。
「チャチャブーも……いないね。漁夫の利なんてたまらないもの」
警戒を兼ねているのだろう。イリーカは洞窟の反対まで歩き出て、断崖のある側へ。
フラムも疲労困憊の身体に鞭を打ち後を追った。穴を潜ると、変わらぬアルコリスの緑風が頬を撫でた。傾きかけた太陽。昇り始めた月。
フラムは兜を外す。
寂寞に揺れる草木と、白銀の夕月に煌めいて、真銀の髪が広がった。
無事に狩猟を終えた2人は、いつものドンドルマの酒場へと戻ってきていた。
夜も更けた頃。広間は帰った人々で賑わい、アリーナのステージに立った歌姫が歌い出す。周囲の人々がその美麗な歌声に聞き惚れる中、酒場の隅でひっそりと、机を挟んで祝杯を交わした。2人のその様子は狩猟を成し遂げ、酒を酌み交わし、達成感に酔いしれる ―― ドンドルマにありふれた、ハンターの姿だ。
「……これで、僕とイリーカも晴れて上位ハンターになれるのか」
「そうだよ。ねっ? 私達、十分に火竜を相手取れてたでしょ?」
イリーカの言う通りである。自身のハンターとしての力量を確かめ示すには、こういった難易度の高い依頼にも果敢に挑んでいく必要があるのだろう。今回の一件を通して、フラムもはそう思い直すことが出来ていた。
自分の命も彼女の命も大切には変わりない。だがハンターとしての飛躍を求めるならば、挑戦は必要なのだ。火竜との激突を経た今、心なしか、集中力が増したようにフラムは感じている。弓を扱う者として、弓弦を鳴らすその刹那の制動力は重要なものだ。火竜リオレウスという一つの大きな壁を越えた事で、心に余裕が出来たのかも知れないな、としておく。
これは確かな成長だ。ぶつかり合う事で生まれるものを否定したくないと、今は強く思う。
「確かに景色は拓けた。ありがとう、イリーカ。君のおかげだ」
「任せておいて。私の役目はこれなのだもの。貴方を何処までも、この手で引っ張ってあげるから ―― だから」
これが彼女の本当の目的だったらしい。狩猟の成果としてギルドマスターからプレゼントされた……緑と赤の竜鱗を併せたお守りは、お互い胸元に潜ませている。
ドンドルマにおいては意味を持つ事のない装飾品である。むしろ街の至る所で見られる、建物それぞれが緑や赤の旗を掲げては風に靡く風景に、なんら違和感なく溶け込んでしまうに違いない。
ただ、2人にとってはそれで良かった。それだけで良かったのだ。
同胞。生まれてこの方離れた覚えも、離れたいと願った事も、ないのだから。
雌雄の火竜討伐を成し遂げたハンターの噺は、これにて終い。
……或いは、蛇足を語るとするならば。
やがて2人は公的な記録に残る場において初めて、希少な飛竜の発見と討伐を成し遂げた。しかし積極的に名を売ろうとはせず、粛々と生業に勤しみ続ける。彼と彼女の在り方はドンドルマおいて、畏敬の念を持って称される事となる。
そして、いつ何時も隣に立つ彼と彼女は、その最期までを寄り添い、寄り合い、共に過ごしたと言う。
ご拝読に大変な感謝。
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つがいの関係性は間違いなく番。ライゼクスなんて知らない。
それでは果たして、ふたりの関係性は何だったのでありましょう?
次のお話、蛇足へ続きます。