「疲れた…」
膝にクジラの入った水槽を置いて硬いベットに体を倒す。クジラが一はねして水槽の水が揺れた。
あの会談から俺にはアルヴィス内部の一室を割り当てられた。これからはそこで過ごせという意味らしい。
それからクジラについては砂浜に迎えに行ったら何故かサイズが縮小していた。俺も、クジラの動向を監視していた竜宮島も困惑していたが、流石にそのまま放流というのは恐ろしいので俺に水槽が与えられて、その水槽にクジラが入れて共に監視…行動できるようになった。
「最初から小さくなれるならなって欲しかった」
そう言えば尾びれで顔を叩かれた。サイズが小さくなったのでそんなに痛くはなかった。
そんな事情を含みながら俺が竜宮島に来て最初にしたことは検査だった。染色体の変化とか健康診断、血液検査とかもされた。少し注射針は苦手だ。とっくに肉体は変質しているというのに、また体が結晶化しそうで…。
コクピットに入れられた瞬間注射されてコアにされたからな。あれは一瞬のことで理解が追い付かなかった。
ケッ、あんな悪趣味な仕組みを考えた奴は死んで欲しい。いや、もう死んでたか。
溜息を吐きながら体を起こす。水槽の天井に付けられている蓋を外して指先でクジラを弄る。ひんやりとした水とクジラのつるつるとした表面で癒される。あ、噛んだ。でもそんなに痛くない。
そういえば、検査結果がどうなっているのかが気になるな。血液型とかは前とは変わってはいないと思うけど、脳波とかは調べられたから……俺が到底ファフナーに乗れる状態じゃないってのはバレたかな。いや、とっくに気付いてるかもしれないな。
バレたところで今更感はあるが…、危険因子として島から出して貰うってのもいいか。でもそうなるとあの時聞こえた竜宮島のコアを裏切ることになるか?
「分かんねぇ…」
ずるずると竜宮島にいることを決めたはいいが出たがる自分もいる。そんな俺を叱責するようにクジラが噛み付いた。先程より強い力で。
「痛くはって………こそばゆい?」
肩辺りが触られた様な感触がした。機体の俺の方に視界を切り替えて見ると、
確か…、機体の俺が格納されるというのも随分久しぶりのことのように感じる。あの時の俺は記憶も曖昧で人に戻りたいなんて言ってたっけ。馬鹿みたいだな俺。
厳つい顔をした男性が指揮を執って点検してくれるみたいだ。点検するような傷とかは負った覚えは無いから…機体の性能でも調べられるのか。
だったら記憶領域にはロックを掛けておこう。記憶領域には俺の記憶が詰まっているので安易に見られたくはない。見られると困るものばかりだし…。特に蓬莱島関係のこと。
(って言った側からアクセスされたな)
脳にプラグが刺さるみたいにコンソールと繋がれている感覚がする。間一髪だったか。こっち側から竜宮島の情報を抜き取ることも出来るが今は止めておこう。やる気が起きない。
すまないエンジニアの方々。記憶領域のアクセス権限は俺オンリーなのでその足掻きは無駄足なんだ。
…ちょ、ちょっと。無理矢理開こうとしないでくれます?流石にそこらへんで暴れられると俺も脳の中がごちゃごちゃになるというか、大人しく諦めて欲しいというか。
うぐっ
…
エンジニアチームの諦めは悪く、あれからずっと機体の俺は頭の中を弄りまわされている。
現在の時刻は午前二時。一応手前で人と偽ったので寝ている振りをしている。天井から監視カメラも覗いていることだし…。でも実際はエンジニアたちとの攻防だ。
あちらの何としてでも記憶領域を開こうという強い意志を感じる。そっちがその気ならば俺は最後まで抵抗して見せる。そう、エンジニアチームが諦めるまで…!
ロックを開かせる為にアタックを仕掛けられて頭痛はするが、多分大丈夫だ。その間に俺は記憶の二重ロックをしておこう。万が一開けられた時の為に。万が一、万が一だからな…。
俺がコアになったからというか、俺自身がファフナーになっているのでファフナーの記憶領域にも俺自身の記憶が記録されている。それから今の機体はマークニヒトなので、マークニヒトが製造されてから今までの軌跡も勿論記録されているし、アイツが同化してきた人間の記憶もばっちりと残っている。
改めて見るとアイツ結構人を殺してきたなぁ…という感想が出てくる。痛ましいことだが、生者は死者に対して死を弔うこと位しか出来ない。殺してきた人の宗派によって弔い方が違うかもしれないので手くらいは合わせておこう。心の中で。
これは違う誰かの記憶で、これは狩谷の記憶か?…何やら仲の良さそうな二人がいるなら、その人たちに伝えるべきか。遠見弓子に日野道生。顔も併せて覚えておこう。
<やぁ。竜宮島に入るとは結構やるじゃないか>
帰れ。
<最初の言葉が帰れとは酷いね。君が唯一残存しているアルヴィスに入ってくれたお陰で頭上からの厄介な視線も消えたからお礼でも言おうと思ったのに>
頼んでないから帰ってくれ。
<まぁいいけど。はいはい帰りますよ>
………。行ったか?
声もしないから帰ったか。はぁ…心臓に悪い。なんで急にあんな声を聞かなきゃいけねぇんだ。
あの声も空からの視線は鬱陶しかったのか。益々あの視線の主は誰なんだか気になってくるな。
頭上だから空にいるんだよな…。もしかしたら新手のフェストゥムなのか?だとしたら人類軍とフェストゥムが手を組んでいる?いや、それは無いか。あのヘスター・ギャロップがそんなことする筈無いな。ミツヒロの思想に同調して俺の製造費を密かに増やしていた奴がまさかそんなことする訳無いだろう。
あの視線の主をフェストゥムと仮定して、人類軍とあの視線の関係はたまたまってこともありえるか。あの視線を感じるというか海上に出ていたら人類軍のセンサーに俺が引っ掛かっていただけかもしれない。
…やっぱ、何とも言えないな。
……なんか頬が水っぽい。というか濡れているし叩かれている。
仕方ないので目を開ける。目の前…本当に目前の場所にクジラがいた。
おかしい。クジラの入った水槽は部屋にある机の上に置いたのに。俺が目を開けたことに気が付いたのかクジラが叩くのを止めてこっちを見ている。
「何やってんだ…?」
「ーーーー!」
嫌な予感がしてベッドから体を起こした。机の上に置いた筈のクジラがここにいる。ということはだ。
「あわぁ……」
机、椅子、地面へと構い無しに水は広がってまき散らされている。水槽は地面に落とされている。机周辺からベッドには移動してきた足跡らしい水だまりが繋がってはベッドで途切れている。
…良かった、水槽がプラスチック製の物で本当に良かった!初日から水槽壊したとか言い辛い物がある。
ベッドの上にいるクジラを見ると、やりきったぞという感じに頭と尾びれを上げるポーズをした。
「お前なぁ…?今夜中なんだぞ……いやお前には関係無かったか……」
そう言えば昼夜関係なく動いていたもんな…。まるでマグロみたいに動き回っていた日々だった。
…まずは水を拭き取ろう。確かタオルが部屋に取り付けられている浴室にあった筈だ。ベッドから出て浴室兼洗面所の場所に行って、まだ使われず畳まれてある白いタオルを持ち出す。
地面に落ちている水槽の水気を先に拭いて、机の上に広がる水を拭きとって、次は椅子、地面と。水を吸い取り過ぎて拭けなくなったタオルは一旦洗面所で絞り、地面に広がる足跡を拭いていく。
ちなみに一連の行動を、この犯行を起こした犯人は満足気にベッドの上から眺めている。いや、ベッド付近の水溜まりを拭いていた時に頭の上に乗ってきたがそのまま乗っかることもなく、ずるっと地面に落ちた。
「ーーー!」
「知らないからな」
クジラを掴んでベッドの上に置く。一通り拭き終えたので今度は水槽に水を貯めなければならない。ベッドの上でピチピチと動いているクジラをまた掴んで水槽に入れる。
洗面所でクジラを入れたままの水槽に冷水を入れる。水槽に貯まるまでは少し時間がある。水槽の様子を見ながら凭れることにした。
先程より頭痛がマシになっている。エンジニアチームが諦めてくれたのだろうか。頼むから翌朝また頭痛がするなんてことは止めて欲しい。本当に。
「お、そろそろか」
水も程良く貯まり、蛇口の栓を閉める。
「もう水槽倒しながら出てくるんじゃないぞ」
水槽の上に蓋をしながら、洗面所から出てクジラを机の上に置いた。
◇
「…というのが、我々が就寝中に起こった出来事の様だな」
「フェストゥムが動物の様な挙動をするとは…」
「解剖させてくれないかしら」
「それは流石に無理じゃないかしら…?」
早朝の作戦会議室には少数の人員が集められていた。司令官の真壁司令に溝口さん、エンジニア代表として羽佐間さん(本来であれば小楯さんが呼び出されていたが、漫画の〆切まで間近ということで代わりに呼び出されたらしい)、医療チームからは遠見先生、近藤さんに、そして僕だ。
石上榊を島に受け入れる上で少なからずの反対があった。
途中の記憶が無いなんて怪しい、嘘を吐いている可能性もある、フェストゥムが島にいるなんて安心できない。
島内では彼の受け入れについて賛成派が六割、反対派が四割といった構造になっていた。反対派は特に後者の理由で反対している者が多い。
それを受けて真壁司令は一週間の様子見期間を取ることを提案し、反対派はそれを受け入れた。
様子見期間中は極力アルヴィス内部から出さないこと、部屋に取り付けた監視カメラで様子を見ること。
不穏な挙動があれば彼とフェストゥムは島外に追放すること。
「今の所は大丈夫そうだな」
「このままでいて欲しいものだ…。さて、マークニヒトの解析結果から聞こう」
「はい。残念なことに一向に解析は進んでいない状況です。せめてログでも閲覧できればと思いましたがそれも出来ていません」
「そうか。引き続き解析を頼む」
「了解です」
羽佐間さんたち、エンジニアチームが榊の搭乗していたマークニヒトをブルクへ運び、解析作業をしていたが一向に進まないのが現状だった。現在は破損したファフナーの修復で人手が少ないことから、修復作業が終わればエンジニアチーム全面がマークニヒトの解析作業に移ることになる。
「そして彼の検査結果はどうでしたか」
「…到底ファフナーに乗れる適性では無かったとだけ伝えさせていただきます」
「……なるほど」
「こりゃ確定したってことか?」
「そうは思いたくはないのだがな…」
真壁司令が目を瞑り、遠見先生の伝えた検査結果によって予想が当たりへと近付いてくる。
「やはり…コア、なのでしょうか」
羽佐間さんが声を震わせながら言った。
彼の話した経歴ではマークニヒトに搭乗した後から記憶が無く北極にいて、人類軍に追われながらクジラというフェストゥムと共にここへやってきた。
問題なのは北極にいてクジラと共に追われながら過ごした期間だ。
ファフナーに乗るには相応のサポートが必要だ。機体の点検、パイロットのメディカルチェックなど、パイロットがファフナーに乗って生きたまま降りてくるにはそれらが決して欠かせないものだ。これがザルヴァートルモデルという、他の機体に比べて慎重な運用が必要とされる機体であるなら尚更に。
しかし、彼の現状を考えるとそれらを行えるとは思えなかった。唯一出来そうな勢力である人類軍には追われている身であると本人が言った。
…それがどこまで真実なのかは僕たちに確かめる術はない。人類軍から送られてきたスパイという可能性も、僕らが認識出来ていないだけで外には第三勢力が現れており、そのスパイという線もある。
だが、そうではないとしたら導き出される答えはある。
石上榊自身がマークニヒトのコアであること。蓬莱島の行っていた研究と結び付ければ考えつくことだった。
そうであれば榊はパイロットではなくファフナーであり、意識を持ったままファフナーを動かしているということになる。それならサポートを受けずとも活動が可能ということにも繋がる。
「すまないが、皆城くんには彼の案内を頼む」
「分かりました。では、僕はこれで」
「ああ」
彼に怪しい行動があればすぐに報告する。
決して島の不利益には繋がらせない。
そう決意を改めてその場から退出した。