できるだけ足音を立てないように、森を歩いてゆく。
何も考えずに歩いているだけでは気づかないが、今まで教えてもらったことを総動員して森を見ると辺りは全く違う景色が浮かび上がる。
獣がよく通るのか他と比べて幾分か歩きやすい道なき道、乾いた落ち葉の積もっている場所、それに隠された森の住人の足跡や糞などの痕跡。
そういうものに意識を向けて歩くと、無遠慮に歩く時とは比べられないほど森に溶け込むような行動がとれる。
自分の存在を消す、というよりはそこにあることが自然に思えてくるような言葉にはしにくい不思議な感覚。
この隠密行動、三週間前に比べれば大分上手くなっているとは思うが師匠と比べたら雲泥の差だ。
まぁ、師匠は大概おかしいので参考にはならないかもしれないが。
真後ろにいるのに気づかないとか普通ありえないだろ……。
いかん、思考が散らばってるな。
集中しなければ、今は
狩りとは言っても、獲物は鹿やら兎やらの所謂野生動物ではない。
今日の獲物は先ほど見つけて今隠れながら後ろをつけている人間の子供ほどの大きさをした黄色っぽい肌をした化け物、ゴブリンどもだ。耳は尖り、服は腰みののようなぼろきれ一枚だけ。三匹のゴブリンは訳の分からない鳴き声でコミュニケーションをとっている。
その小さな体躯を見て油断をしてはいけない。
ゴブリンは人間に敵対な種族の一種で、普通の人間は勿論、義勇兵にも毎年犠牲者を出す危険なモンスターなのだから。
そんな化け物を俺が狩ろうとしている理由は一つ。
俺も義勇兵の一員だからだ。
義勇兵というのは簡単に言うと人に仇なす化け物を討伐する職業だ。とはいっても俺はまだ見習い義勇兵なので正確にはまだ義勇兵ではないのだが。
そんなことを考えながらゴブリンたちを観察していると、ようやく動きがあった。
何故かは分からないが、ゴブリンたちの中から一匹だけその場から離れていったのだ。
離れていったゴブリンは一振りのダガーを持っており、残ったほうの二匹のゴブリンは木のこん棒を持っていた。
この状況は俺にとってかなり都合のいい展開だ。
というのも、実をいうと俺はこれが一人での初めての狩りなのだ。
師匠からはゴブリン程度であれば短時間なら複数体相手にしても渡り合えるはず、とお墨付きを得ている。だが、渡り合えると言うことと確実に仕留められるということには大きな隔たりがある。
俺は態々そんなリスクを負うわけにはいかない。
俺には傷を癒してくれる神官どころか頼れるパーティーメンバーが一人もいないのだから。大きな怪我は死に直結すると考えねばならない。
だからまずは一匹、確実に仕留めていく。
そういうわけで俺は気配を隠しながらダガー持ちのゴブリンについていく。
木の陰に隠れるようにしながら追跡してしばらくすると、ダガー持ちのゴブリンは川の近くで止まって、顔を川の中に突っ込むようにして水を飲み始めた。
チャンスだ。生き物は飲食をしているときは他のことに注意が向きにくい。
ゴブリンは水を飲むのに夢中でこっちには気づく様子すらない。
背中に負った矢筒から矢を一本引き抜いてつがえる。
目標は、ゴブリンの胴体。
俺も弓矢を習ってはじめて知ったのだが、はっきり言って矢だけで相手を即死させるのはかなり難しい。
喉や目、頭などの急所を正確に撃ち抜かなければ、ゴブリンは死んでくれない。
そして弓を初めてから三週間でしか経たない俺にそんな達人技はできない。
とりあえず、当てる。そうすれば怯むし動きを阻害することも可能だ。
今、俺とゴブリンとの距離は大体十五歩。
情けないが今の俺の素の能力ではゴブリンに当たる確率は三割程度。
頭と比べて的の大きい胴を狙ってそれなのだから技量の拙さを自覚せざるを得ない。
とはいえ、ある<スキル>を使えばこの距離でも命中率は八割を超える。
「……速目」
速目は狩人ギルドで教わるスキルの一つ。
特殊な眼球運動と暗示により普段よりも遠くが見えるようになりさらに動体視力も向上して矢の命中率を高めてくれるスキルだ。
要は普段、無意識に脳が制限して見えないと思い込んでいる視覚情報を、暗示と眼球運動により一時的にそのリミットを解除していつもより多く視覚情報を感知できる技術だと思ってくれればいい。
速目を使用したことによりさっきよりも鮮明に見えるゴブリンを見据えながら、ゆっくりと弓弦を引き絞っていく。
未だにゴブリンはこちらに気づく気配はない。
意識して深く呼吸しながら狙いを定めて、弓弦から手を離す。
すると、風を切る音とともに矢が飛んでいく。
矢はゴブリンに向かってまっすぐ飛んでいき、左の肩甲骨に突き刺さった。
フゴッとかハガッみたいな感じのうめき声を出して、ゴブリンは矢の勢いに押されるようにつんのめるように川の中に落ちた。
決まった。
意識外からの完璧な奇襲。
ゴブリンは今何が起こったかすら把握できていないだろう。
今のうちにできるだけ畳みかける。
ゴブリンは川の中で立ち上がろうとしている。
倒れたことで的が小さくなったが気にせずに矢筒から矢を引き抜いて、放つ。……はずれ。
ようやくゴブリンは攻撃されていることに気づいたのか、素早く立ち上がりあたりを見渡し始めた。
それを横目にまた矢を引き抜き、放つ。……当たったように見えたが足をかするに留まる。
さっきの矢で俺の位置がばれた。ゴブリンと目が合い、強化された視覚でゴブリンの目に怒りの炎がともっているのが見える。
多少もたついたがまた弓を引き、放つ。……今度は避けられた。
叫び声をあげながら、こちらに向かって走ってくる。
焦る心を抑えながら、また矢を放つ。……当たり。
脇腹に矢を生やしながらもゴブリンはむしろ加速しながら走り寄ってくる。
また背中に手をやって矢を引き抜こうとする。
が、間に合わない。
予想よりもゴブリンが早く矢を放つ時間がない。
もうゴブリンは目前に迫り、ダガーを振りかぶっている。
思わず舌打ちが漏れる。
矢と弓を急いで離し、腰に差していた剣鉈を抜く。
右手で鞘ばしらせた剣鉈が、ゴブリンの振り下ろすダガーをギリギリではじく。
体の重心が若干上に流れたゴブリンを思い切り前蹴りして無理やり距離を開ける。
ゴブリンは荒い息をしながら、こちらを睨んでいる。
じっとりと手汗をかいているのを自覚して、剣鉈をしっかり握りなおす。
矢傷を与えられているので時間は俺の味方とはいえ、あと二匹のゴブリンがこっちに来るかもしれないので早めにこいつを仕留めておきたい。
そんな思考をゴブリンもしたかは分からないが、俺とゴブリンがそれぞれの得物を構えて距離を詰めるのは同時だった。
ゴブリンがダガーを持ったまま突っ込んでくる。
奇襲であてた矢のおかげで、ゴブリンは左手が使えないらしい。
左手をだらりとぶら下げたまま右手に持ったダガーを振りかぶる。
その瞬間、俺はさらに踏み込み加速する。
するとゴブリンは俺の行動が予想外だったのか、わずかに焦りながらダガーを振り下ろす。
それを剣鉈で払う。
タイミングをずらしたことと、片手しか使えていなかったこともあったのかダガーはそのままゴブリンの手から弾き飛ばされた。
「……斜め十字ッ」
武器を手放し、丸腰同然になったゴブリンに向かって、☓印を描くように剣鉈を振り回し斬りつける。
ゴブリンの胸のあたりに赤い☓印が浮かび上がり、そこからボタボタと血が流れ落ちる。
致命傷だ。
しばらくすると、このゴブリンは死ぬだろう。
そう思って気を抜いたのがいけなかったのだろうか。
斬りつけたゴブリンは叫び声をあげながらめちゃくちゃに暴れだした。
突然の動きに対応しきれずに、ゴブリンが振り回す左手が顔をかすめ、頬に鋭い痛みが走る。
「くそっ!」
慌ててバックステップで距離を取った。
その後は、俺に何とかダメージを与えようとしてくるのを冷静に避けていくつかのスキルも使って出血を強いていると徐々にゴブリンの動きは鈍っていった。
ふらふらになったゴブリンに向かって剣鉈を腰だめに構えて腹に向かってぶすり、と差し込むと未だに慣れない感触と共にゴブリンの力が抜け、ようやくその場で崩れ落ちた。
今度は油断せずに、しばらく観察して動かないことを確認してからうつ伏せ倒れこんだゴブリンの心臓に剣鉈を突き刺し、ようやく一息ついた。
「ふぅ、こりゃ後で反省会だな」
正直言ってゴブリンの生命力をなめていた。
致命傷だと思った傷を与えてから二、三分戦闘が続いたのだから自分の経験不足を思い知らされる。
うつ伏せになっているゴブリンをひっくり返して首にかかっている紐を切る。
その紐には何かの牙と穴の開いた銀貨が通されている。
ゴブリンは大事なものをこういう風に紐に通して首からぶら下げて持ち歩く習性があるらしく、これを義勇兵はゴブリン袋と呼んでいる。
正直大した額にはならないだろうが稼ぎは稼ぎだ。
牙と銀貨を自分の革袋に入れていると、後ろの茂みがガサガサとなった。
そこに目を向けると、さっき見かけた棍棒を持った二匹のゴブリンが。
帰ってこないダガー持ちの様子を見に来たのか、戦闘音を聞きつけたのか知らないがここにやってきたらしい。
なんにせよ、一匹仕留めるのに時間をかけすぎた。
「また、反省すべきことが増えちまったな」
二匹のゴブリンは俺の目の前で横たわるダガー持ちの死体を見つけフガフガ言い出した。
言葉はわからないがまぁ怒っているのだろう。
「こりゃ、まだオルタナには戻れないな。ま、こいつらにもスキルの習熟の練習台になってもらうか」
そう独り言ちて、棍棒を振りかざして突っ込んでくる二匹のゴブリンに迎えるように俺は走り出した。
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「やっと、終わった。意外としぶとかったな。今日の反省点は、矢の命中率が悪かったこと、ゴブリンの生命力を見誤ったこと、一匹倒すのに時間がかかったこと、周りの確認をせずに剥ぎ取りを始めたこと。あとは一対多の戦闘に慣れていないこと、か。ほかにもいろいろあるがそんなもんか。問題点が山積みだな。」
俺は頬の傷と新たにいくつかできた打撲痕にそれぞれ別の軟膏を塗りつけながら、森を抜けてオルタナに向かって歩きながら呟く。
腰に結わえ付けてある革袋にはゴブリン三匹分の戦利品が入っている。
はっきり言って、ゴブリンは義勇兵にとっていい獲物ではない。
その一番の理由は実入りが少ないことがあげられる。
今日俺は三匹のゴブリンを狩ったが精々二シルバーになるかどうかと言ったところだろう。
この額は日当としては悪い額ではないが、自分の命をチップにした仕事にしては割に合わないとしか言いようがない。
だから義勇兵は基本的にゴブリンは相手にしない。
だが、俺はしばらくこの森でゴブリン狩りをしようかと思っている。
なぜなら、見習い義勇兵の狩人にとって森でなおかつゴブリン相手ならギルドで習ったスキルの練習や義勇兵としての経験を重ねるのにうってつけのシチュエーションだからだ。
それにソロだから金には困りにくいしパーティーメンバーに反対されることもないしな。
とはいえ、実入りが少なく危険な仕事には変わりない。
それでもわざわざそんな行動するのは、すべてはこの世界で生き残るため。
なぜこんなことになったのか記憶をたどる。
とはいえ、俺の記憶はほんの三週間前までしか遡れないのだが……