「……知らない天井だ」
「あっ、目が覚めたの? サク君」
ゆっくりと眼を開けると見覚えのない木の天井が見える。
なぜか鈍く痛みが走る頭を押さえながら声を上げるとすぐそばから声が聞えてきた。横を見てみるとこちらを覗き込むようにしてこちらを見ている師匠の姿が。
どうも俺はベッドに寝かされているらしい。
「あれ、ここは……? 師匠と大人の関係になった覚えはないんだけど」
「何言ってんの、なんでもいいけど目が覚めたのならこれ飲んで」
体を起こすと何故か体の動きが鈍い。動かそうと思ってから実際に動くまでワンテンポ遅れる感覚。あと異様にのどが渇いている。
師匠が差し出しているのは盆に乗った何か液体の入ったコップとかなりの量の水が入った水差しだった。
「ん? これは?」
「いいから、質問はあと。とりあえずコレ全部飲んで」
「え、これ全部?」
「うん、そう」
水差しに入った水は2リットルくらいはあるように見える。これを一度に飲むのは流石に……お腹がちゃぷちゃぷになる。
「これは私が作った利尿作用がある薬湯だよ。それに加えてこの水飲んで体内の毒を排出しなきゃ」
「……毒?」
その言葉を聞いた瞬間、記憶がはっきりしてきた。
俺は森で密猟者とあって、それで……。
「そうか、あの投げナイフに毒が塗られていたのか」
「そうみたいだね。まぁ、もともと白狼用に調合されたあんまり毒性の強くないやつで意識を奪う程度のものだったから、後遺症は残らないはずだけど万一があるから早くコレ飲んで」
コップを差し出してくる師匠だが、正直他に聞きたいことが山のようにある。そもそもここはどこか、白狼や密猟者はどうなったのか、そしてなぜ俺がベッドに寝かされていて師匠がいるのか。
そんな考えがぐるぐるとまわり黙り込んでいると、俺が疑問に思っているであろうことを察したのだろう師匠は機先を制してきた。
「質問はあとだからね」
そう言われても未だにまごついてなかなかコップを手に取ろうとしない俺に業を煮やしたのか師匠がコップを俺の口元にまで持ってきて傾けてくる。
当然のように中の液体が俺の口の中に入ってきて……。
「ーーッ!」
鼻に抜ける何とも言えない青臭さに、舌の上に乗った瞬間に主張し始めるとてつもない苦味。それらを感じた瞬間俺は叫びそうになった、が、コップを傾け続ける師匠によってそれを阻まれる。
小柄な女性には見合わない膂力によって俺の体は固定され液体を口に流し込まれ続ける。
必死に口の中のものを嚥下し続け、永遠にも思われたーー実際には数十秒だろうがーー時間をかけ、ようやく俺はコップを乾かした。
「ーーみ、水ッ!」
俺がそういうことを予期していたのであろう師匠がすかさず水差しをそのまま渡してくるので奪い取るようにしてそれを受け取り、水を思い切り流し込む。
ごくり、ごくりと喉をならしながら一気に水を飲むとようやく落ち着き、水差しの傾きを元に戻す。
「し、死ぬかと思った……」
「もう、大袈裟だなぁ。私の調合した薬で死ぬわけないでしょ」
師匠はそういうが、本当にひどい味だった。
毒よりもよほど毒のような味だった。まぁ、薬も毒も本質的には同じようなものなので必ずしも毒が薬よりも苦いというわけではないのだが。
「効果は覿面のはずだよ。でもその分脱水症状になりかねないからこの水のきちんと飲みほしてね」
「……ああ」
心なしかいつもより硬い雰囲気を漂わせている師匠に何かを言い返す愚を悟って俺は黙り込む。
そして俺は多くの疑問とともに大量の水を呑み込む作業に移った。
本人の言の通り薬の効果は凄まじく、あれから水をすべて飲み干すまでに五回も厠に行くことになった。
その効果か、体調も殆ど元に戻りいつも通り動くことができるようになった。
強いて言えば一度に大量に水を飲んだせいか少し腹が痛いがこれはもう仕方ないだろう。ともかく師匠の言う通りクソ不味い薬を飲んだーー飲まされたともーーのだからそろそろ俺が気絶してからの話を聞かせてもらおう。
ということで、今、俺は最初に寝かされていたベッドのある部屋で師匠と相対していた。
先ほど厠にまで行く過程でここが狩人ギルドであることと現在の時刻が密猟者との戦闘から半日以上が経ちもう朝日が昇っていることは分かったがそれ以外はさっぱりなのだ。
「さて、色々聞きたいことがあるだろうから答えられることは答えてあげる」
「えーと、まず気絶した俺をここに運んでくれたのは誰なんだ? 師匠?」
「ううん、わたしじゃなくてイツクシマが君をここまで連れてきてくれたんだよ」
おっといきなり予想外の知らない名前が出てきた。というか予想していたのは師匠くらいだった。他に俺を助けてくれる人に心当たりがなかっただけともいう。うわっ…俺の交友関係、狭すぎ…?
イツクシマというのが誰かわからなかったことを察したのか師匠が誰か教えてくれる。
「あー、君は知らないか。イツクシマは私と同じ狩人ギルドに所属していて義勇兵のメンターを努めている優秀な狩人だよ。ここに来ることも多いから君も見たことくらいあるんじゃないかな」
「俺がここで見た人っていうと……。もしかしてあの髭面で体格のいい?」
「そうそう、サク君の言っている通りで多分間違いないよ」
記憶をあさると確かにそんな人物もいたな、と思い当たる人がいた。確か師匠に絡まれて迷惑そうにしていたのが印象的で記憶に残っていたようだ。
だが、まだ疑問は残る。
「で、なんでそのイツクシマさんがその場にいたんだ? あんな森に用事があったとは思えないんだけど」
そう、そもそも俺を助けられる場所にいたことがおかしいのだ。あの森は野生動物のほかはゴブリン程度しかおらず、見習い義勇兵くらいしか足を踏み入れない。その指導と言うことなら分からないでもないが俺のほかにあの森で指導が必要な見習い義勇兵はいなかったはずだ。
「うん、それなんだけど実は彼、近々密猟が行われるんじゃないかっていう情報を仕入れていたらしいんだけどギルドとして動けるほどの裏付けはなかったから個人的に動いていたんだって」
「へぇ、なんというか随分と仕事熱心な人なんだな」
「それは否定しないけど他にも理由はあってね。密猟者のうちの一人……たしかヤンだったかな。彼、実はイツクシマが指導してた、というよりは指導しようとしていた子なんだ」
「というと?」
「少し前、イツクシマが彼のメンターを受け持ったんだけど手習い期間の一週間立たないうちに逃げ出したんだよ。それからはギルドには顔も出さずに義勇兵崩れに。もう縁なんてないようなものなのに一度はメンターを受け入れたからっていてイツクシマは気にかけてたみたい」
そう言われて思い返してみると、確かに腕は大したことなかったと思う。一週間も狩人としての訓練を受けていなかったと聞いても驚きはない。
だが、そうなってくるとそんな相手にやられかけた自分が情けなくなってくるな……。
「まぁ、そういう事情があってイツクシマは彼が密猟に加担しようとしてるっていう噂を聞いて自主的に森の見回りをしていたんだって」
「なるほどな、それでたまたま俺を見つけてくれたってことか。イツクシマさんには感謝しないとな」
「うん、まぁ大体その通りだけどサク君が感謝すべき相手はもう一人……一匹? いるよ」
「え?」
「イツクシマが言うには、前足に包帯の巻かれた白狼が君のところまで案内してくれたって言ってたよ」
あいつか……。
ヤンのことと言い、イツクシマのことと言いあの白狼は命の恩人だな。
「そっか、それは礼を言わないとな。でも探すのが少し大変だな、また会えればいいんだが」
俺がそういうと師匠は少し怪訝そうな顔をしたがすぐに得心が行ったようだった。
「ああ、それは心配いらないと思うよ。すぐに白狼にもイツクシマにも会えると思うよ」
「それはどういう……?」
「ま、それはすぐ分かるはずだよ。でもその前に、すこーし私からお説教」
まだベッドに座っている俺を師匠が上から見下ろしてくる。
師匠はかわいらしいと言っていい見た目なのに今は威圧感があっていつもより一回り大きくなったかのような錯覚さえ抱く。
「まずね、一歩間違えてたらサク君はもうこの世にはいなかった」
端的に告げられたそれは俺の背筋に寒気を走らせた。
事実、俺は投げナイフに塗られていた毒によって気を失っていて、一方密猟者たちは俺が気絶させたものの俺よりも先に意識を取り戻していたことだろう。そうなると俺がどうなるのかは想像に難くない。
「その原因はまずは君の経験が不足していたこと。自分の把握していない武器を相手が持っていることなんて日常茶飯事だからそれにも気を付けないといけない。これはサク君がゴブリンだけを相手にしていた弊害ともいえるね。」
言われてみればゴブリンは飛び道具は弓や投石くらいしかないからそのせいで投げナイフなんてものを持っていることを想像できなかったのかもしれない。狩人のスキルには投げナイフに関するものがあることを知っていたのに。
俺は相手が義勇兵崩れだと判断して他に装備なんてないと思い込んでいた。
「あと単純に力量がまだまだってことも挙げられる。サク君はかなり戦える方だ。でも見習い義勇兵にしては、という但し書きをつければという話でしかない。義勇兵崩れといえど人間複数人を余裕で無力化できるほどじゃない」
俺もそれくらいのことは分かっている。一人前の義勇兵に比肩できるなんて自惚れちゃいない。
……でも本当に? 今までの戦闘で苦戦しなかったことでそんな簡単なことさえも忘れていなかったか?
「そして何よりの原因はサク君が慢心していたことだ。なんで君は密猟者二人を見つけた時点で撤退を選ばなかった? 情報を持ち帰れば狩人としての義務は果たしたことになる。まして君はまだ見習い義勇兵だ。それ以上の事は誰にも求められないよ」
スズランはそのまま続ける。俺のことを厳しい視線で射貫きながら。
「それなのになぜ君は一人で戦闘を開始してしまったのか。それは君が二人を相手にしても勝てると判断したからだ。確かに同じ装備で同じ条件で戦った場合9:1で君が勝っただろう。それくらい力量に差があったであろうことは認める。でもね、実際は君は苦し紛れの一撃を受け、ともすれば命を失っていた。命を懸けるべき状況ではなかったのにも関わらずだ。それはやっぱり慢心していたと言わざるを得ないよ、サク君」
師匠の言う通りだ。
俺はホブゴブリンを含めたゴブリンの集団を理想的と言っていい形で打ち倒した。それに浮かれていなかったと断言できるだろうか?
自分の力を過信していなかったと言えるだろうか?
……言えないだろう。
「君は間違いなく力をつけた。それは私が保証してあげる。でもね、義勇兵はどれだけ実力があろうともほんの少しの油断や慢心によって呆気なく命を落とす。それを私は嫌というほど見聞きしてきた。その中には君と同じように私が一から育ててきた子だっていた。もうそんなことはうんざりなんだよ。力及ばず奮戦の末に、私の教え込んだ技術のすべてを尽くしてもなお届かなかったのならーーまぁそもそもそんな状況に陥らないようにするべきだけどーーまだ諦めがつく。でもそれ以前に油断のせいで命を落とすなんて……私は絶対に許さない」
いつになく真剣な表情の師匠の言葉は自ずから本心からのものであると知れた。
涙を流すほどに彼女は弱くない。しかしそれでもその言葉の端には震えがあったのだから。俺への過保護ともいえる態度の理由の一つが知れた気がした。
俺は師匠の赤心に触れ自分の軽挙を猛省しつつ、もう慢心なんてしまいと心に誓うのだった。