俺が狩人ギルドを出て大体三週間が過ぎた。
俺は訓練期間が終わった後は義勇兵宿舎で過ごしている。
たいていの見習い義勇兵は一度はここを住まいとすると言われている。
その理由は何と言ってもその値段の安さにある。
見習い義勇兵であればたったの十カパーで、四人部屋か六人部屋に一泊できる。仮に六人パーティーがここに泊まったのならば一人頭二カパーかからないのだからその安さはわかってもらえると思う。
さらに義勇兵団章を買って正式に義勇兵になればなんと無料で宿泊することが可能なのだという。
しかし、今現在この義勇兵宿舎はガラガラだ。
それもそのはず、ここはその安さに見合った設備しかないのだ。
ベッドはかたい木製のもので上に藁が敷かれているだけでお世辞にも寝心地がよいとは言えないし、お湯を沸かすのでも自分で火をおこすことから始めなければならないという不便さなので懐に余裕の出来た義勇兵はさっさとここを引き払うという話は納得のいく話だ。
あと俺には縁のない話だがパーティーメンバーと公私を分けたいと思う義勇兵が多いのことも理由にあげられるらしい。まぁいくら仲が良かったとしても四六時中一緒というのは流石に嫌気がさすのだろう。
色々とこの義勇兵宿舎が不人気な理由を挙げたがここは個人的にはそんなに悪いものではないと思っている。
確かに設備は最低限ギリギリという感じではあるが、逆に言えば最低限ではあるが生活に必要な設備はそろっているということだ。
釜戸のついた台所や井戸に洗い場、あと燃料は勿論自弁だが浴室もある。
それに比較的広い広場というか中庭のようなものもあり簡単な鍛錬ならできるのでそこらの安宿よりは過ごしやすい、と思う。
元々、これらの設備はいくつかのパーティー共用で使わせる予定だったようだが、現実にはここを拠点としているパーティーそれぞれが独占してもまだ設備に余裕があるという有様なので俺も遠慮なく使うことにしている。
とはいえ、俺は一人で四人部屋を使っているので使わない場所は多いし、大人数で持ち回りでやるならまだしも一人で料理などの家事をするのは大変なので金がたまったら別の場所に居を移そうかと思っている。
閑話休題。
俺は今日もそんな義勇兵宿舎で眠りから覚めた。
窓から差し込む太陽のまぶしさを感じて目が覚め、ゆっくりと起き上がって体を伸ばす。パキパキと関節から小さく音が鳴り、微睡みから意識が覚醒してゆくどこか心地よい感覚。
そんなここ数週間で日常となった朝の風景であったのだが、そんな穏やかな寝覚めとは裏腹に俺は今日はなにか常にないことが起こりそうだという予感めいたものを抱いていた。
そんなものを抱くことになった原因は今朝に見た奇妙な夢のせいだ。
俺は夢の中で広大な草原に立っていた。
辺り一面が明るい緑が広がり、その緑は地が続く限り広がっているのではないかと思わせられるほどだった。
地平線で分けられた地の緑と澄み切った空の青のコントラストは、それを見ているだけで魂が吸い込まれてしまうのではないかと思ってしまうほどに神秘さを感じさせ、その素朴な美しさはどこか現実離れしているようにすら感じさせる景色だった。
だが、そんな霊妙な景色でさえもかすんでしまう圧倒的な存在感を放っている「モノ」がそこにはいた。
それは気高く、美しく、雄大であった。
ーー白神エルリヒ。
その姿を見た途端、その正体が狩人の信仰の対象である白神エルリヒなのだと理屈抜きにそう、理解した、させられた。
白神エルリヒは、大自然を司り、大地が生まれたときから存在していてエルリヒが死ねば大地が失われると言い伝えられている神格を持った存在である。
狩人はエルリヒを信仰しており、食事の際にはその一部を捧げることが掟となってているのだが、その加護により俺たちは恙なく狩りができるのだという。
そしてその姿は巨大な白い狼の姿を取っているそうだ。
そんな超常の存在が、俺の目の前にいた。
聞いていた通り、巨大な体躯は真っ白な体毛に包まれておりその体の造形は優美さを感じさせながらもしなやかな筋肉からは凄まじい力を秘めているような印象を受けた。
白い毛は陽の光を受けてキラキラと輝き、毛先は銀色にも金色にも見えた。
ともすれば恐ろし気な容貌に恐怖してもおかしくないのだが、俺の心は驚くほど凪いていてむしろ父の背の後ろで守られているかのように安心感を抱いていた。
俺は立っていたのだが、その俺の目線と同じくらいの高さにあるように見える大狼の黄色い目は知性の輝きがともっているのが見て取れた。
俺はこの美しい巨狼が何かしらのアクションを起こすのかと身構えていたのだが、その予想は当たらず、エルリヒはじっと俺のことを見つめるだけで何か動きをおこすことはなかった。
ただひたすらに、何かを訴えかけるように。
ーーそんな夢を見たのだ。
今まで見ることのなかった狩人の信仰対象のエルリヒが意味ありげに俺の夢に出てきたのだから何か起こるのではないかと勘繰ってしまうというものだ。
勿論、たまたまかもしれないがただの夢というには今朝の夢は妙に生々しいというかリアリティがありすぎた。これが本当に何かしらの予兆でないとは言い切れない。
日々の稼ぎを得るために命を懸けざるを得ないヤクザな仕事をしているのだから多少は信心深くもなるというものだ。
とはいえ、予感は予感でも命に危機が迫るような嫌な感じがするわけではないし、今日丸一日休みにできるほど俺の財布は重くないので今日も狩りに行くのことになるのだが。
そういうわけで、さっさと寝床から起きて準備をしなければ。
ーーお仕事の時間だ。
♦
俺はその後、装備を整えてオルタナ近くの森にまで来ていた。
今日の獲物もこの二週間と同じようにゴブリンだ。
この森でゴブリンを狩っているのは義勇兵としての技量を伸ばすためだったのだが、そろそろ別の獲物を狙うのもいいかもしれない。
今日はある程度技量が伸びているかを確認するする意味でも今日の狩りを成功することができればここでの狩りは一区切りにしようかと思っている。ある程度実力が付いたのならばこれ以上続けるのは割が良くない。これからは貯える事も必要になるだろうし。
そして、こんな今後の方針を決める今日のターゲットは今俺の視界に入っている五匹のゴブリンだ。
初日は多対一の戦闘に慣れていない事もあって三匹以上のゴブとの戦闘を避けていたのだが、こいつらに勝てるかどうかを分水嶺としようと思う。当然、今まで五匹以上のゴブと戦ったことはない。
さて、そんなゴブ共を俺は茂みに隠れながら観察する。
ゴブ共は若干開けた場所にて乱れた車座をなして座ってグギャグギャ言いながら話していた。
いかにも楽し気で、周囲を警戒している様子はなかった。
そのうちの一匹は今まで見たうちで最も大柄ので人間と同程度の背丈をしており、もしかしたらホブゴブリンと呼ばれているゴブリンの亜種かもしれない。
ホブゴブリンはゴブリンと比べて知能が低いらしくゴブリンに使役というか、下僕のような扱いを受けているそうだ。
とはいえその体格から見て取れる通り、力はかなり強いようで油断はできない。
俺から見て手前のゴブは腰に片手剣ーーとはいえゴブリンにすれば両手剣サイズーーを帯びていて上半身には革鎧まで着こんでいる。その両隣のゴブの片割れはダガー、もう一方はショートソードと小さめの盾、奥の二匹のうちの右手のゴブは弓を背負っていて、左手にいるホブゴブは身の丈ほどの槍を持っている。
いままで見たゴブリンたちの中では一番しっかりした装備をしている。
恐らく、見習い義勇兵を返り討ちにして奪い取りでもしたのだろう。
ゴブリンが製鉄技術を持っているという話は聞いたことがないしな。
それにしてもここらで屯しているゴブがここまで装備が揃っているのは珍しい。
ゴブリンの中でも階級差というか、強さによって住み分けがなされているらしいのだが、ダムローというオルタナの近くにある都市の残骸、その新市街にはゴブリンの中でも実力のある者たちが住んでおり、実力がなくそこから弾き出されたゴブリンが旧市街や森にて生息している。
というわけで、ここにいるゴブリンは基本的に弱く、装備も貧弱な事が多いのだがこいつらはいつものゴブとは毛色が違うように見える。
新市街に進出を目論む跳ね返りか、そういう習性をゴブリンを持っているかは知らないが新市街からこっちに狩りにでも来ているのかもしれない。
少なくともホブゴブを連れたゴブリンは初めて見た。
かなり手強い相手であることが予想される。
ーー正直、少し迷う。
ただのゴブリン五匹ならば恐らく余裕を持って勝てる。というかそう思ったからそのつもりでここまで来た。
だが、この連中との戦闘は安全マージンを確保しているとはいいがたい。
しかし、しかしだ。
ここでこいつらに背を向けて逃げるというのもどうなんだろうか。
戦闘をする際のデメリットとしては何よりもリスクが大きい事があげられる。
だが、メリットがないとも言えない。
これから義勇兵として活動していくとなると格上の相手と戦わざるを得なくなる事があるだろう。そんなときに危険を冒した経験というのは奇貨となりうるのではないだろうか。それにこの辺りは今までここを狩場としていたこともあって見知った場所だ。だから取り換えしのつかない事態になる前に撤退することは十分に可能だと思う。
よし、やろう。
そうと決まれば話は早い。
早速、攻撃目標の優先順位を決めよう。
見た感じ最も装備の整っている手前のゴブがこの集団のリーダー的な存在だと思う。そして他の脅威はホブゴブ、そして弓持ちだ。
統率を乱れさせられるであろうリーダーか、最も戦闘力の高いホブゴブか、それとも遠距離攻撃の手段を持っている弓持ちか。
……弓持ちにしよう。
ほかの二匹を狙うのも魅力的だがやはり遠距離攻撃はできるだけ早く排除すべきだ。狩人だからこそ弓の怖さは知っている。
それに万が一退却することになった場合後ろから矢が飛んでくるのは避けたい。退路を確保する意味でもこいつを早く弓で排除する。
次はリーダーか、ホブゴブだが、一番距離が近いのでリーダーかな。いや、距離が取れていたらホブゴブか。
まぁ、そこまで綿密に計画を立てても予想通りにいく事は少ないので臨機応変に対応ということで。いい加減に思えるかもしれないがカチカチにやるべき行動をかためないほうが上手くいくということをこの数週間で学んだのだ。今回も大丈夫、のはずだ。
できるだけ音を立てないようにしながらゆっくりと茂みから体を出してゆく。
それと同時にスキル〈速目〉を使う。
矢筒から矢を引き抜き、弓持ちに照準を定めながら番える。
狙うは、首。
近づかれる前にできるだけダメージを与えておきたいので、弓持ちは一発で仕留めたい。
息を深く吸い込みながら、ゆっくりと弓弦を引き絞っている。
と、弓持ちがふと、こちらを向き、目が合った。
にわかに驚いた顔をした弓持ちが仲間に警告を発しようとした瞬間、ーーそいつの首に矢が突き刺さった。