死に目に魂貰いに来るタイプのロリババア   作:Pool Suibom / 至高存在

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第四話「選択の此岸」
冷静に怒れ。(物に当たるな)


 怒りで我を失うのは良くない。まずは冷静に、"魂のなる木"を作る。

 

 意識を本体の方へ戻すと、黎樹のドームの外にティータがへばりついているのがわかった。あぁ、開けるの忘れてたな。けど解放したら今度こそ泥棒がこぞって来そうだから……いや閉じてるのに来てるから意味ないっちゃ意味ないんだけど、気持ち的にアレだから、黎樹の枝を伸ばしてティータを内側に取り込む。取り込むついでに黎樹の種を埋め込んでおく。用心に越したことは無いってな。

 

 そういえばこいつ、飛べるんだな。"森"の魔物娘なのに。鳥類ならわからんでもないんだが、"森"がなんで飛べるんだ? アレか、風が吹いて木の葉が飛ぶ的な。

 内側へ排出したティータを、まずはとりあえず黎樹へと括りつける。俺を前にして一切の衰えを見せることなく"経験"……"感情"の、怒りかな。それが増大している辺り、黎樹の種の拡散がそんなに面倒だったか、あるいは死んだと思っていたから放置していた事に怒ってんのか……それについちゃわからんし知らんのだが。

 

 マルダハまで盗まれてしまった今、ティータしか強大な魔物娘は残っていない。アルディーカとオーゼルはいるけど、あいつら複製したところでなぁ。得られる量は微々たるものだし、大きくなったアルディーカに至っては複製の元手に水が必要なのが痛い。あとで地下に水源が無いか探してくるとするか。いやまぁ俺が、じゃなくて黎樹が、だけど。

 

 ティータは"森"の魔物娘だ。その肌は樹皮に近く、なんならファムタとファールよりも樹木寄りの、というか植物寄りの見た目をしている。中の素材もほぼそういう系だ。だからディアスポラに行った、揉んで吸収・抽出を早くする、という手段は使えない。割れちゃうんだよな。

 外側が固い魔物娘はそれが面倒なんだ。まぁ今回は自動化するからあんまり関係ないんだけど。

 ということで、倉庫からポッドを取り出してきてうんちゃらかんちゃらする。この辺の作業はまぁ、いつも通りだしな。つか、畑泥棒よ。俺の"魂のなる木"を盗んだのも怒り心頭なんだが、わざわざポッドまで壊す必要あったか? なんの工業設備も無しにこれだけ綺麗なポッドを生成するのがどれだけ大変か、職業体験させてわからせてやるぞ?

 ……ふぅ、落ち着け。作業とはいえ精密に行うべき事だ。ティータを失うわけにはいかないしな。びーくーる。

 

「んー、複製素材は森の……あー、適当な木でいいか」

「っ!」

 

 ティータは"森"から抽出を行って作ったから、当然素材は森の木である。様々な種類があるけど、全部合わせて森。だから一応こいつもキマイラ娘になるのかもしれない。森には意思があって、俺の家を意識的に避けてるっぽかったから、あの時は群れの一個体、総体であると見て抽出を行ったわけで。じゃあその複製を作るとなれば、適度に森の木を集めた素材を用意しなければならない。

 が、まぁ、別に完全な複製を作る、って話じゃない。アイオーリ含め"魂のなる木"と同じように生命活動の行えない肉塊……ティータの場合は木筒とかに流し込めばいい話なので、適当な木を伐り出して、容器に形成する。

 いやはや、この黎樹を用いた加工作業もかなり手慣れてきたものである。まぁ無機物には使えないんだけど。地下のロボみたいなのは薄いとはいえ"魂"が乗ってたので話は別。

 

 黎樹に磔にしたティータにポッドを被せ、いい感じの場所に動かす。薬液を調合し、それをだぷだぷと入れていく。うん、おっけー。空気の入る隙間なし。相変わらず完璧、と。うんうん、誰も褒めてくれる人いないからね。自分で褒めるしかないからね。うんうん。

 

 一度一通りの流れがちゃんと動くかを確認する。

 だぷだぷ、ずずず、ざばぁ、とくとく、からから、とろとろ、びくっ、だぷだぷ。

 おっけー!

 

 今度こそ盗まれない様に黎樹でしっかり囲いを作って、完全に固めてしまえば終わり。

 ティータはこの森に残った最後の最後の大切な一株だからな。もうどこにも行かない様に、誰にも奪われない様に、誰もどうしようも出来ない場所で永遠に"魂"を作ってもらうとしよう。他の魔物娘達の様に放牧する事が出来なくなったのはまぁ多少可哀想に思うけど、森から逃げたお仕置きって所で。

 

 元気に育ってくれよ? もう少し落ち着いたらちゃんと複製を作って、畑としての姿も取り戻してやるからさ。

 

 

 

 

 さて、女王の去った地下。無論死に目の妖精(ポンプス・イコ)死体を啜る肉塊(カンレムス・キャントッサ)、そして黎樹は未だ残っているから完全に去ったなどとは言えないそこに、フィルエルと自然派の者たちはいた。

 黎樹は舗装された地面のあらゆる場所にその枝を突き刺し、かつての光溢れる都市は完全にその灯りを失い、時折残る独立式のライトだけがその異様さを照らしている。天頂の光──すべてを明るく照らしていた偽造太陽にも黎樹は絡みついていて、元々大した熱量を持っていなかったそれは、今や黒く冷たいただのガラス玉へと変貌していた。

 

「……魔王様」

「なんだ?」

「我々自然派は、どうしたら……良いのでしょうか」

 

 どうしたらいいのか。

 そんな、幼子のような言葉を吐くのは、自然派の中でも古株に位置する老人だ。両目が義眼、右腕と右足をそれぞれ義腕義足にしているが、自然派らしく脳や心臓、その他の部位はしっかり生体で、だからこそ年老いてしまっている。

 それが。その老人が、どうすればいいのか、など。

 

「お前が選べよ。お前達が選べ。俺はどうもせん。どうもしてやらん。……俺も、そろそろここを立ち去らせてもらう」

「そんな……では、我々を見捨てると言うのですか!?」

「別にお前達は俺の国の民ではないし、お前らも俺を王だとは思っていないだろう」

 

 フィルエルは突き放す事を選択した。

 ティータを見送りはしたが、フィルエルとて自身でもよくわからない規模の術式の行使が出来る。飛べるし、転移術だって使える。

 じゃあ何故ここに残っているのか。

 そんなの、自然派の面々が見捨てられなかったからに決まっている。

 

「お前達は何がしたかったのだ。機械派の面々を滅ぼしたかった。そうではないのか? 黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)の襲撃はお前達にとって幸運で、悲願の成就が今ここに為された。そうだろう」

「それは──」

「それとも、なんだ。お前達の願いは。主張は。機械派の者共を──自らの手にかけたかったと、そう言うのか」

 

 フィルエルはまだ青い。幼い。たとえ何百年と生きていようとも、だ。幼少期に膨らみ過ぎた"魂の規模"は彼からストレスというものを奪った。ストレスに対する耐性が人より極めて高く、故に成長が出来ない。嫌な事。辛い事。苦しい事。我慢しなければならない事。それらを経て心は大人になる。大人になるのが必ずしも良い事ではないし、子供のままでいる事が評価される場合もあるのだろう。けれどフィルエルは一国の王で、力があった。妻も子供もいた。本当はもっと早くに成長しなければいけなかったし、成長は伴うものだと他ならぬフィルエル自身が思い込んでいた。

 彼はまだ子供だった。子供のままだ。王として──あるべき深みを、心の強さを持っていない。

 

「……そう、なのでしょう。そう──なのでしょうな」

 

 けれど。

 

「我々は……ああ、機械派を、()()なってしまった友人知人たちを、どこか別の生物のように……気持ちの悪いものとして、見ていた。我々は機械派から排斥されていましたが、何より我々自身が、機械派を排斥していた。自ら達こそが人類であると。我々こそが"本物"で──アレらは"偽物"であると」

 

 その青臭さは……ああ、自然派でありながらも、長らくを地下で過ごし、擦り切れてしまった人々には、なんと。なんと、眩しく映ることか。

 どれほど輝いて──どれほど美しく、得難く、強き者として映る事か。

 

「……彼らは、死んだ。そう、なのですよね」

「恐らくはな。女王に殺された、と言えば、収まりもいいか」

「いえ。彼らは恐らく、悪魔に魂を売り渡す契約をした時点で……死んでいたのでしょう。止められなかった我々が何を言うべきではないし、移住に賛同した時点で同罪。しかし……いけないことでしょうか」

「……何がだ」

「繁栄を望むのは。これから先を──未来を望むのは。我々にはもう、許されない事なのでしょうか」

 

 フィルエルは、弱きが強きに立ち向かうべきではないと考えている。

 弱きは弱きのまま、強きは強きのままでいるべきだと。

 生き残りたければ強くなれ、強くなければ飢えて死ね。それは魔王国のルールだ。法律ではなく、そうである世界こそを魔王国とした。

 

 けれど何も、強きが何もしない、というわけじゃあない。

 魔王国にいた魔物種は、有事の際には自らが出て行って国を守らんとする。今は無い魔王国だが、その姿勢は、魔王国の王たるフィルエルにも言える事。

 弱きは弱きのままでいるべきだ。だから、弱きが弱きでいる間は──強きが、外敵から弱きを守ってやる。国内で弱きが強きに虐げられる事は何とも思わない。けれど、侵略を受けたのなら、自分を守る術のない弱きを強きが守る。

 

 それこそが本来の魔王国の在り方である。

 

「魔王様。ここに国を建てたら──貴方は、王となってくれますか」

「……」

「我々自然派は……いえ、残された最後の人類は、ここで……この壊れた文明の跡地で、静かに、しかし未来へ命を繋いでいきたい」

「ああ──」

 

 フィルエルの脳裏に浮かぶのは、最愛の妻と子。

 心より愛おしい家族の二人と、そこまで親しいわけでもない、最近では自らに愛想を尽かして出て行って、今更見捨てないでくれと懇願してきた他人を天秤にかける。

 探しに行きたい。助けに行きたい。

 当然の欲求は、しかし。

 

「──いいだろう。俺が、この国の王になってやる」

 

 他人に、傾いた。

 

 誰が見ても、あるいはかの女王がその立場になったとしても、決して理解できないだろうこの決断。まだ青く、幼く、夢見がちな少年心を失わぬフィルエルが──けれど、全てを飲み込んで王に着く。彼のストレス耐性が、家族と会えない苦しみを軽減したのだろうか? それとも未だ深みを持てぬ心が、愛情を軽く扱ったのだろうか?

 

「本当はな、今すぐにでも探しに行きたい奴らがいる。ティータさんが心から羨ましい。自分の欲求が一つしかないのが、本当に。ああ、でも、クソ。お前らは、見捨てられない。お前らは、お前達は弱い。限りなく弱い。魔王国の民の赤子よりも弱いだろう。そんな──そんな者共に、懇願されて」

 

 ああ、出来ないのだ。

 彼はまだ青く、幼いから。

 

「……選べるか。そんな、重い選択。命に優先順位なんか、ないだろう」

 

 最愛の二人と、見知らぬ他人。

 どちらかを捨てる。どちらかを拾う。それが──選べない。

 

 ただ、あの女王が二人の無事を保証した。ならば自分は、あの二人が帰ってこられる場所を作るべきだと無理矢理納得する。だって魔王国は無くなってしまったのだから。一家の大黒柱として、ここに新しい家を建てる。

 

 それが、フィルエルの出した答えだった。

 

「申し訳ありません」

「謝るくらいなら、強くなれよ。俺がいらないくらいにな。そうすれば俺はあいつらを探しに行ける。……何百年かかっても、別に良い。どうも俺は中々死なんらしいからな」

 

 ──ここに、新たな魔王国が拓かれる。

 崩壊した文明と侵食する木の枝。大地は僅かにしてしかし、その王によって堅牢。人類は新たな一歩を踏み出す。新たなステージではなく、始まりの第一歩を。

 

 

 

「ところで、この城はなんでこんな所にあったんだ?」

「あ、いえ、その……ここは、その、元々……その、自然派のためのホテルでして」

「?」

 

 

 

 

 さて、怒るか。

 

「ディアスポラ」

「はい」

 

 呼べば出てくるらしい。なんだ、暇してたわけじゃないだろうな。

 

「あいつらは見つかったか?」

「はい」

「そうか。そこは、どうすれば行ける?」

 

 やっぱり悪魔なのかなーディアスポラは。うーん、でも"魂"にそれらしいところは無いんだよな……。

 今は怒るのが優先だからアレだけど、全部終わったらもう一回精査するべきか。今度は違うアプローチで。

 

「……主は、行けないかと……思われます」

「やっぱりか。けど、黎樹は行ける。そうだな?」

「はい」

 

 まぁ予想はしていた。本来の方の転移術を俺が使えないのは多分、あの魔法みたいなやつが効かないからなんだよな。あれに関してはどう頑張っても使えなかったし、そもそもどういう仕組みなのか知らんし、加えて先日のディアスポラがやってきた……あー、契約? 的な奴も効かなかった。

 どういう原因で、どういう法則があるのかは知らん。あんまり大したことできないっぽいからそんなに興味が無い。ただ、今回ばかりは多少残念には思う。

 

 俺自身が行けない──俺の手ずから、盗人を懲らしめてやれないのは結構イライラする。ま、仕方ないなら仕方ない。怒るってのはエネルギーを使うんだ、あんまり他の事にまで怒ってるとダルい。

 

「問題は黎樹と俺のつながりが切れてしまう事。……地続きの移動手段は無いのか? 別に、俺が入れなくてもいい」

「あります」

「ならそれでいいじゃないか。早く教えてくれ、そろそろ苛立ちも限界に近いんだ」

 

 流石に所有物に当たる程馬鹿じゃない。ディアスポラに当たったって何かが帰ってくるわけじゃないし、森や家に当たるのはもう論外だ。だから冷静に話せているけど、苛立ちが収まったわけじゃない。

 今の俺はヤバイぞ。結構ヤバイ。何がヤバイって言うと、かなりヤバイ。マジヤバの民。

 

「我々の世界は、この世の外にあります。こちらにおいては黒キ海が無ければまともな生命活動をする事さえ出来ませんが──」

「ああ、いいよいいよ前置きはいいよ。今話とか聞きたくないんだ。どうやって行くのかと、どこから行くのか。それだけでいい」

「──(そら)です。この宇宙の外に、我々の世界はあります」

 

 ……それもヤバイな。俺よりヤバイかもしれん。

 

「いや、地続きになってるって言ったな」

「はい」

「どれほどの距離がある?」

「エイビスよりは遠いですが、倍はないかと」

「エイビスってのはなんだ」

「地下都市の事です」

 

 そんな名前なのか、あそこ。失敗作置き場になんで名前なんか付けてんだ? あ、いや、つけるか。名前くらいなら。

 

 で、海底の1.5倍くらいの距離だって? 宇宙が?

 ……ファンタジーすぎねえ? 流石に。

 

「じゃあ、今から黎樹を伸ばして、宙をぶち破れば」

「はい。我々の住む世界へ辿り着くでしょう」

「はーん。じゃ、必要なのは──タッパだな」

 

 なんだ。なんだよ。

 そんな簡単な事だったのか。ああ、ああ、もう早く言ってくれよ。

 

 無駄に時間を費やした。

 

「──大盤振る舞いだ」

 

 倉庫から、ガラス玉を取り出す。俺の血が入ったガラス玉。元の11/20を残すそれを──地面に叩き付ける。後先なんか知るか。俺は怒ってんだ。

 

 瞬間、地面から物凄い勢いで黎樹が成長する。

 まるで立ち昇る竜の如く……ってな。俺の血を吸って、鈍く赤く発色した黎樹が、互いを食らい合って絡み合って伸びて伸びて伸びていく。

 

「主……今のは、血、ですか?」

「ん?」

「ひ、す、すみません! なんでもないです!」

「いやビビりすぎだろ。俺は別にディアスポラには怒ってねぇから安心しろって。ちょっと怖かったか? ごめんな」

「──い、いえ」

「で、今のはそう、血であってるよ。俺の血。……あー、まぁあんまり大声で言いたい話じゃないんだけどな。今のはつまり、俺の──あー、破瓜の血だよ」

 

 そこだけは、外傷扱いじゃなかったらしいんだよ。

 

 黎樹は伸びていく──。

 

 

 

 

 リーアム・ディスプは悪魔と契約をした。他の亜人種や人間種が悪魔の血を受け入れる中で、唯一人、契約と言う形で悪魔と付き合っていくことになった。

 契約内容はたった一つ。

 一つ、悪魔は基本、契約者がいなければ実体を保てない。故に悪魔を適合者に降ろす手段を作る事。対価として、"経験を見る目"を授ける。

 

 ただそれだけだ。

 リーアムがいる内は、リーアムの周囲であれば顕現出来る悪魔。それらが欲するのは手段だった。適合者とは悪魔側の用意したフォーマットであり、あとは接続の構築だけをリーアムがする。勿論リーアムが成し得なければ子へ、その子が成し得なければまた次の子へ。

 完成するまで、永遠にその契約は続く。

 

 悪魔側の契約者はゼヌニム。

 ディスプの血筋とゼヌニムは代々契約を交わし、研究者として研究を続けた。次第に何も知らぬ人間種や亜人種が増え始め、国を興し、村を作り、様々な文明を作り上げる中、延々と。悪魔を降ろす──その手段を、研究し続けることになる。

 

 ただ、一人。それに抗ったディスプの血筋がいた。

 それが、ウィナン・ディスプである。"奮闘"の意味を名に持つ彼は、いとも簡単に"悪魔を適合者に降ろす術式"を完成させ、事もあろうになんとゼヌニムに求婚した。

 ウィナンはゼヌニムへ毎日毎日愛の言葉を贈った──というわけではない。リーアムは戦士だったが、それ以降の子は皆研究者の道を辿っている。ウィナンも例に漏れず、研究者。その生に男としての魅力は無く、元より容姿に恵まれていた、という事も無い。何よりそんな、人間種が惹かれるような内容で、悪魔の気を引けるわけもない。

 

 だからウィナンは、惚れ薬を使った。

 惚れ薬だ。媚薬──否、媚毒と言った方が正しいか。悪魔の知恵に寄らない、独力だけで作り上げたその惚れ薬は、ゼヌニムの警戒を緩めた。ある種、人類の作り出した最高位の毒だ。受け継がれてきた"経験を見る目"が生んだ、"経験"に作用する一つの答え。黎き森の女王が未来で生み出す興奮剤よりも、さらに強力な"愛情"に特化したその毒を、自らとゼヌニムの両方へ使用した。

 

 結果──ゼヌニムは落ちた。ウィナンの求婚を受け入れたのである。

 

 ゼヌニムがウィナンを受け入れたその夜、ゼヌニムの意識が落ちている内に、ウィナンはある術式を使用した。それは産まれてくる子に契約を引き継がないようにするための術式。死後──自身の魂を、魂に絡みついた荊を全て、自身が手放さないようにするための術式だ。

 これによりウィナンはもう悪魔の契約から解放されることは無くなった。魂が流転しても尚、新しく生まれたどこかの誰か、あるいは何かであっても、ウィナンの魂は悪魔に縛られる。永遠に解かれぬ荊をさらに縛り付ける鎖。それをウィナンは、自身の魂に深く深く打ち込んだのである。

 

 そうして、ゼヌニムは一人の子供を産む。

 純粋な人間──最後の人類と、純粋な悪魔の血を引く男児の名を、フィルエルとして。

 

 

 さて、けれど、そもそもの話。

 悪魔は契約者がいなければ実体を保てない。それは半悪魔となったフィルエルとて同じこと。いずれは肉体と魂が乖離し、赤子の内に死んでしまうだろう事が予測された。

 だからウィナンは、更なる細工を赤子のフィルエルに施す。

 

 フィルエルに悪魔との契約をさせたのだ。

 つまり、自分自身との──フィルエルの中の悪魔の血との契約である。契約内容は一つ。フィルエルの肉体が死んだら、その魂を差し出す。代わりに魔物と同じ、無機物を食らって再生する力を与える。

 これによりフィルエルの悪魔は契約者と共にいる事で実体を保てるようになり、フィルエルは人間の身体のまま、無機物を生体へ変換する法則に縛られるようになった。そこにゼヌニムや他の悪魔の関与は無い。完全にフィルエルの中でのみ閉じた循環である。

 

 ああ、しかしウィナンのこの決死の行動は、良い結果を齎したとは言えなかった。

 

 要因の一つとして、ウィナンが、というかディスプの血筋が自らの研究内容を周囲に話していなかった事があるだろう。既に悪魔の血の適合者は世界中に散らばっていたが、自らが悪魔の血の適合者であるという事を知っている人間種は極僅かだった。とある村で遠い先祖の書いた悪魔の書を守っている一族以外、ほとんどが自身を単なる人間種であると、そう信じていた。

 だからウィナンは、自らが研究しているものは"悪魔を適合者に降ろす術式"ではなく"寿命を延ばす術式"であると言っていた。なまじそのカムフラージュのための研究が効果を出してしまっていたから、とある老貴族に腕を買われてお抱えになるまでになってしまったというのは、ひとえにウィナンの天才性にあるかもしれない。

 

 そして二つ。そんな彼の周囲の人間種は──ウィナンが思っているよりずっと、嫉妬深く疑い深かった、という事。

 

 ゼヌニムが実体を保っているから、当然その姿は周囲の人間にも見える。流石にその時の衣服は未来でゼヌニムの着ているような露出度の高いそれではなかったけれど、それでも隠せぬ妖艶な空気と目の覚めるような美貌は、多くの嫉妬を生んだ。ウィナンはあまり顔のいい男とは言えないから、というのもあるのだろう。その釣り合わなさが、周囲をウィナンについての調査に駆り出した。

 悲しい事に、彼らは有能だった。調べがついてしまったのだ。ウィナンが自身の息子、赤子であるフィルエルになんらかの術式を施していると、そこまで見抜いてしまった。けれど有能止まりの彼らは、そこまでしか見抜けなかった。

 

 なんらかの術式を施している。それが何かはわからない。

 そこにウィナンの研究が──研究の腕が、貴族に買われる。嫉妬と疑念。そして、興味か。"寿命を延ばす"などという眉唾が、しかし出資をされる程のものであると確定している。

 

 赤子に"寿命を延ばす術式"など使うはずがない、というのは、彼らも気付いていた。知っていた。だから、本当に気の迷い──あるいは悪魔信奉者たちの血が囁く、悪魔を妻とした者への嫉妬であったのだろう。

 彼らはウィナンの子を拐い──傷をつけた。はじまりは、傷をつけるつもりは無かったのかもしれない。他の研究者に子を見せて、どんな術式がかかっているのか、それを自分たちで扱えるものなのか。そう言ったことを聞くだけのつもりだったのかもしれない。

 血を抜くための、針一つ。

 その傷が見る間もなく塞がっていくのを見るまでは──ああ、出来心だったのだろう。

 

 彼らはこれが、フィルエルにかけられた術式が"寿命を延ばす"などと言うものではないのだと知った。ああ、心躍ったことだろう。これは"寿命を延ばす"ではなく──"不老不死"の術式なのだと。

 

 そこから始まるのはまぁ、予想通りの、想像以上の、考えたくも無い実験の数々である。

 どれほどの怪我なら治るのか。どれほどの怪我でも治るのか。死んでも、生き返るのか。この赤子に死は追いつくのか。

 

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も──彼らはフィルエルを傷つけ、殺した。まだ赤子である。けれどそこに倫理観などというものは存在しない。欲望の狂気と、そして彼らに流れる悪魔信奉者たちの血が、まるでフィルエルの中にある悪魔の血を求めるかのように傷をつけ続ける。

 次第にフィルエルの身体は刃を通さなくなった。針を通さなくなった。剣を振り下ろしても、大男が斧を叩きつけても、高い塔の上から落としても──何も。フィルエルの身体に傷をつける事が、出来なくなっていった。

 

 自棄になった彼らが次なるターゲットにしたのは、ウィナンだ。ウィナンの外出中に彼の部屋に盗み入り、研究資料の類を持ち出した。研究者にとって研究サンプルと研究資料は何よりも大事なものである。だから、盗んだ。

 そしてたった一人で盗人を追いかけてきたウィナンに取引を持ち掛ける。

 フィルエルを返してほしければ、術式を明かせと。ウィナンは酷く動揺したことだろう。"経験を見る目"はあくまで"経験"──"感情"や質を見る目であって、"魂の規模"を見ることが出来なかったから、その大きさには気付かない。ただ、毒を食らって衰弱している我が子が盗人の手にある。その事実を目の当たりにしたのだから。

 

 それでもウィナンは"不老不死を得る術式"など明かさなかった。当たり前だ。そんなものは無いのだから。そう告げたところで、盗人が……誘拐犯が納得するはずもない。狂気に満ち、激情する誘拐犯と単なる研究者であるウィナンは戦い、片腕を深く斬られながらも、我が子を取り戻した。

 しかし、国に帰った時点で、あるいは見張りの兵に出会った時点で気付く。かつての友人、かつての同僚。それらはすべて、ウィナンを狙っていた。違う、フィルエルを狙っていた。"不老不死"の体現者を? それとも、"悪魔の血"を?

 糾弾する間も、確かめる間も──ゼヌニムを探す間もなく、ウィナンは国から逃げ出す。

 逃げて、逃げて、逃げて……そして、辿り着くのだ。

 

 女王の住まう黎き森──かつて朝焼けの、そして暁天の一人が「朝陽集う、夜明けの森」と称した、その森へ。

 

 




ウィナンが作り出した惚れ薬は超強力だぞ! なんならファムタでも堕とせるな! 女王には効かないけど!

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