死に目に魂貰いに来るタイプのロリババア   作:Pool Suibom / 至高存在

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ちょっとR15寄りの表現があるかも?
精神的エグさは軽め?


此岸から見得る、彼岸の大口

 遥か頭上で、黎樹の天頂が宙を捉えたのがわかった。なるほど、これは近い。空も大気圏もあるし、宇宙もある。けれど、何と言えばいいのか……これが適切な表現かはわからないけど、「デフォルメされている」というような印象を受けた。自然に発生したそれではなく、何かが──どこか別の本物を見て、真似をして作った、かのような。

 それは、ああ、しかしどうでも良い事だ。そんな起源の話なんて、俺には関係ないのだから。

 

 ただ、今は。

 この怒りを──早くぶつけてしまわなければ。

 

 

 

 

 地が割れる。

 裂け目からは、あぁ、勿論、木の枝が顔を出した。けれどそれはすぅ、と溶けるように消えてしまい──それを覆い潰すように、後からあとから、木の枝が、枝が、枝が生えてくる。この世界が有機物の実体を分解する速度よりも、木の枝が成長し絡み合い伸び続ける速度の方が、遥かに上を行くのだ。

 枝は一か所からでなく、多方、沢山の地面から、メキメキとゴリゴリと音を立てて聳え立っていく。何度も消えて、消えたところが覆われ太くなって、さらにそこが消えて、増えて増えて増えて。瞬く間だ。赤く、暗いこの世界に、影が落ちる。黒い──黎い影が。

 

 そして、その枝先の一つに。

 白いワンピースを着た少女が現れた。

 少女もまた、消える。溶けるように、ぐずぐずと薄まり、どさっと身体を落として、消える。

 

 それが何千、何万体と出現する。出現し続ける。

 "この世界で生体は肉体を維持できない"、"この世界で生きているものは活動できない"。悪魔の所有する二つの法則が、しかし、押し負けている。

 

「……女王」

 

 マルダハの視界を埋め尽くすほどの死に目の妖精(ポンプス・イコ)。悪魔の世界には無い色の、あまりにも美しい白が並ぶ。黒白のコントラスト。その小さな口が、少女の可憐な口が、ゆっくりと開く。

 

「──シオン」

 

 荘厳。畏敬。

 ああ、何故か震えが止まらない。マルダハが今まで感じていた──感じた事のなかった、女王の"魂"が、恐ろしく、恐ろしく、恐ろしい程に巨大で、美しきものであるという事実を、今ここで知る。黎き森にいた頃も、エイビスにいた時でさえわからなかったソレは、身体がふわふわとして動くことのできない今、自然と(こうべ)を垂れてしまいたくなるほどの威光を放っていた。

 

 鑢と鋸を持ったシオンが……否、クナンが、死に目の妖精(ポンプス・イコ)にゆっくりと目を向ける。その手は──震えていた。ああ、大地から生えてきた枝は、けれどわざわざケースを避けてくれる、なんてはずもない。マルダハから見て左手側、過去の様々な英雄と言われた全裸の男たちのケースが、そのほとんどが黎樹の幹へと飲み込まれてしまっていた。

 ならば、だからこれは、恐怖の震え、ではない。

 

「どうして……どうしてくれるのよ! 折角折角折角集めて、頑張ったのに頑張ったのに! もういないから、取り返しがつかないのよ! 大事な大事なコレクション! 大事な大事な英雄のコレクション! 弁償! 弁償してよ!」

「お前、悪魔か。シオンじゃないな。ははっ、そうか。じゃ、やっぱり悪魔か。悪いのは。まったく、ディアスポラといいシオンといい、規模の大きい奴ばっか憑きやがって……あ、いや、そうか。よく考えたら俺、防虫対策とか全くしてなかったんだな……そうか、それが原因か。あぁ、反省反省。そこが俺の悪い所であるのは認めるよ。ああけど、虫食いだからって他人様のモン盗んじゃダメだろ」

「──あ、ダメね、コレ。ここまで大きいと、こっちの声なんか届かないわ。じゃ、私逃げるから!」

 

 狂気で、あるいは怒りで指先に至るまで震えていたはずのクナンは、しかし、ケロっと表情を変えて、唇に人差し指を当てた。ウィンクを一つ。

 

「シオン」

 

 その背後に、死に目の妖精(ポンプス・イコ)が現れた。移動してきたわけではない。現れたのだ。

 小さな手が彼女の首に伸びる。柔らかく可愛らしい少女の指。機械の掃射を受けていた時のようにじりじりと身体をブレさせながら、けれどその手は確かにクナンの首を掴んだ。

 

「じゃ、もうその生体はいらないわ! じゃね!」

 

 クナンの──否、シオンの口から、どろりと……女が出てくる。白目を剥いたシオンの口が限界まで開き、顎を外し、半固体を思わせる形で吐き出された小麦色の肌の女は、シオンとは似ても似つかない。美女であるのは間違いないが、どこか嗜虐的で、どこか見下した印象を周囲に与えるその顔が、爽やかに歪む。

 クナンだ。これこそがクナンの姿だ。

 そして捨てられたシオンの身体はだらんと四肢を垂れ下げ──その指先から、じくじくと溶けるように消えていく。

 

「おいおい、"(それ)"を返せって言ってるんだよ、こっちは」

 

 ああけれど、女王がシオンの身体に何か処置をする事はない。むしろクナンへ向けて、無数の死に目の妖精(ポンプス・イコ)を伴って移動を開始した。

 動くことのできないマルダハの前で。その眼前で、白目を剥き、泡を噴き、全身の骨が折れてしまったかのようにあらぬ方向に曲がった手足を大地に擲って倒れるシオンの身体が、端の方から粒となって消えていく。もう手首から先がない。膝から先がない。腕が消え、腿が消え、肩が消え、腰が、腹が──ああ、全てが消えていく。

 

「シオン……」

 

 マルダハには、どうする事も出来ない。

 そうして、一分を数えぬ内に──シオンの肉体はこの世界から完全に消滅した。

 

 ただ三つ。地面に、黎樹の種を残して。

 

 

 

 

「上げたのに! 欲しがってたあの子の身体は!」

「……"魂"はやはり、シオンのものだな。不純物が混じっているように見える。ディアスポラは無理だったが、こいつは不純物さえ取り除けばいけるか?」

「き、気持ち悪い! 生体……生体ばっか! 法則で、消えても消えても増えていく! リリスの嫌いな奴は本当に頭がおかしいのね! 地獄に魂を与えるとか、相当頭のおかしい奴に決まってる!」

「問題はどうやって"魂"を持って帰るかだな……いやまぁ、ここで"摂取"してしまうのもアリっちゃアリなんだが。ティータがいれば問題ないしな。他のはまぁ、新しく作ればいいか」

 

 クナンとて、猛スピードで走っている。否、時折転移を繰り返して、遠く、遠くへ走る。悪魔の世界は実質的な広さを半永久的に広げられるから、女王が諦めるまで逃げ続ける。そのつもりで、けれど女王は、死に目の妖精(ポンプス・イコ)はその勢いを衰えることなく増え続け、追い縋り続ける。夥しい量の白いワンピースの少女が悪魔の世界の空を覆っていた。

 

 アレを倒すことが出来ない、なんてクナンにはわかりきっている。生体を悍ましく思い、だからこそ集め、眺めて傷をつけて遊んで楽しむ彼女にとって、死とは絶対のものだ。残念ながらこの世界においても加減を間違えると生体は命を落とす。そうでなくとも、クナンの加護や法則がなければ肉体の維持なんて出来ない。

 今でこそ生体コレクションのエキスパートとなった自信のあるクナンだが、昔はしょっちゅう加減を間違えて殺してしまい、未だ生きている、という付加価値の消滅に嘆いたことが幾度もあるのだ。

 

 悪魔でさえ、死者の蘇生は出来ない。

 それは絶対の法則だ。この世界が、そして生体の住まう世界が現出した時からある絶対法則。

 人類との契約によって"居住スペース"として地表を奪った時、悪魔たちがあの火山を残したのは、何も人間たちが徹底的に抗ったから、なんて理由ではない。そんなものは何の弊害にもならない。

 あそこに、あの火山こそが入り口なのだ。即ち、地獄の門。あの先にあるのは、肉体の死んだ魂であれば善人も悪人も一緒くたに飲み込む地獄だけ。だけだった。そのはずなのに。

 

 いつしか──悪魔が人類を騙して地表のほとんどを奪ってすぐの辺りに、そこに何かが住み着いた。"何者かの魂"だ。少なくとも悪魔が契約をした人類ではないし、適合者や亜人種、唯一の契約者でも、ない。完全な異物。この世界にいなかったはずのその魂は──地獄だった。地獄そのもの。

 けれど同時に、そんなはずはない。古来より地獄はそこにあって、けれど魂や人格を得たことなど一度も無かった。だから誰かが、何者かが、"何者かの魂"を地獄に与えたのだ。肉体の死んだ魂としてでなく、人格として。

 

 そして、その"何者かの魂"は余りに理不尽だった。死者は生き返らない──誰も抗えぬ絶対法則。その法則の裏を突いたのだ。今クナンを追い続けている死に目の妖精(ポンプス・イコ)黎き森の女王(ドーレスト・ホルン)が、悪魔でさえ超えられなかった絶対の法則を、新規の法則の適用で捻じ曲げた。そう、かの女王こそが"何者かの魂"だ。地獄。地獄そのもの。

 この世は生体の世界と、悪魔の世界と、地獄の三つで成っている。愚かな適合者や亜人種たちの一部が語るような天国とやらは存在しない。その内の一つが人格を持つなど、誰が考えられようか。

 

 クナンは推測している。クナンとリリスには予想があった。即ち、女王とは。

 この世界を作り上げた存在が、世界に新たな法則を書き込むために送り出した外付けの異物(パッチファイル)

 比較的新しい悪魔であるマハラスやラヘルにはわからないだろう。あるいは、適合と乖離を繰り返した他の悪魔でも、その根源的恐怖を忘れてしまった者もいるかもしれない。クナンとリリスだけが唯一古来からの記憶を失っていないから、これほど諦めが良い。潔い。

 

 だからダメなのだ。

 それには勝てないし、仮に抗ったとしたら──クナンを潰すためだけに、新しい法則が生み出される可能性がある。

 抗ってはいけない。逃げるしかない。甘言を弄せばあるいは、などと考えたのは一瞬だけだ。あれなるが単なる法則としての地獄でなく、人格を有す魂であれば、行けるかもしれないと希望を抱いたのは瞬く間だけ。会話の出来ない者に対して、悪魔は無力。

 逆らってはいけないとわかっていたのに、なぜかの女王の所有物に手を出してしまったのか。

 それは、あるいは、何故あそこに濃い適合者の素質を持つ魔物種がいたのか、という話にもなる。まるで導かれるように、まるで当然のように女王は"人間種の魔物種"としてあの少女を作り上げたが──何故適合者の直系が、近親の末に生まれた濃い血を持つ者が、女王の目に留まったのかという、偶然に。

 

「捕まえた」

「え──」

 

 その声は耳元から聞こえた。

 可憐な声だ。少女の声だ。泣き叫べば、どれほど美しい音色を奏でる事だろう。涙を流し、涎を垂らし、やめてやめてと懇願させたらどれほど悍ましく、気色の悪く、ああ、それを潰すのはどれほど楽しい事だろう。

 

 そんな──幻想を抱く。

 確実な現実逃避だ。恐怖がクナンに、幻覚を見せた。

 

「お前、"魂"だけなんだな。肉体が無いから宿るものもない。むしろ肉体が存在できない、"魂"だけで存在できる世界か。なるほど、それほど複数の"魂"がまだら模様を見せても反発しないのも、そういう法則をお前たちが持っているから。非効率だが、ああ、勉強になった。新しいものを見るというのはいい経験だ。面倒でなければな」

「な、なんで転移出来ない、なんで、私を掴めるの!?」

「ん? なんだお前、喋れたのか。ふむ、まぁ別に隠す事でもないか。俺の模倣転移術ってな、"魂"を転移させるものだ。本来の転移術は肉体を飛ばして、それに伴って"魂"が移動する──そういう仕組みみたいなんだが、お前達のソレは俺のものによく似ている。けど、俺の模倣転移術はあくまで肉体があるものを運ぶ仕組みだ。動かして、定着させる。そういうプロセスを取ってる。でもお前、肉体ないだろ?」

 

 ぼろ、と。クナンの肩が崩れた。

 ぼろぼろと……崩れていく。クナンの"魂"が、悪魔の身体が、形成を維持できない。掴まれたところから、"魂"が強制的に移動させられている。

 移動した"魂"は肉体の維持できないこの世界においても強制的に肉体へ定着されようとし、けれどそんなものは存在しないから──死んでいく。分割されて、分断されて、崩されて死んでいく。

 

「"魂の摂取"は──良かった、この世界でも普通に機能するな」

 

 食いつかれている。クナンの魂に、地獄の大口が食いついている。噛みついて、牙を立てて、離さない──逃がさない。

 あるいは肉体を捨てなければ、そちらの定着の方が強かったから、振りほどくことも出来たかもしれない。けれど、クナンの魂は──シオンの魂はもう。

 

「あ──い、いいの? ()()()も、食べてしまう事になるわ! このシオンという子もね! 私を食べれば、ああ、この子まで」

「それを目的に作ったんだから、良いも悪いもないだろ、アホか」

 

 食べ物の恨みは恐ろしい。

 女王の大事な大事な魔物種についた害虫は、しかし虫だろうがなんだろうが全てを飲み込む女王によって、その果実ごと、捕食されるのだ。

 

 ああ、もう、クナンの身体は半分も残っていない。丸呑みでなかったことは幸か不幸か、クナンに最後の景色を見せつけた。

 悪魔の世界の空を埋め尽くす、巨大な白い海のような死に目の妖精(ポンプス・イコ)。それは生体の世界を覆った黒キ海と対を為すように、この世界を白く埋め尽くしていく。遠く、クナンの逃げてきた方向には巨大な樹木。地から白い海へと伸びるそれが、ただただ黎く、地平と空の水平を割っていた。

 

「──!」

 

 大口が閉じる。

 クナンの魂は、その適合者となったシオンと共に──地獄の底へと落ちていった。

 

 

 

 

 さて──ゆったり魂を呷っていた二人の悪魔の元にも、その光景は届く。

 地を割り天を突く巨木と、世界を侵食する白き海。

 

「……ラヘル、あれ、どう思う?」

「あれを娯楽に捉えるのだとすれば、私はお前がとうとう色にボケ過ぎてダメになってしまったのだと罵るだろうな」

「良かった、私の感覚は間違っていないのね。面白いものとマズイものの区別のつく頭で良かった」

 

 けれど、と。ゼヌニムは……少しだけ頬を赤らめて言う。

 

「どうしてかしら? あの白いのも、あの樹も……なんだか、とっても愛おしいの」

「やはり色ボケ過ぎてダメになってしまったな。私は逃げるが、お前は向かうか?」

「うーん……愛おしいけれど、死にたくはないのよね。ウィナンに対するこの想い……そう、これはラブ。昂るこの気持ちを捨てるのは、あまりに惜しいし。ウィナンが流転してくるまで、適当な場所に隠居でもしてようかな、って」

「悪魔が隠居か? ……まぁ、そうさな。もう少し遊べると思っていた人類が全滅したのは想定外だ。また一からやり直すのも、悪くは無い」

「次の人類が現れるまで、どれほどかかるかしら?」

「人類よりも前に虫や花が溢れかえろうよ。その中に、クク、お前の想い人もおるかもな」

「別に良いのよ、そうしたら虫かごの中で可愛がるんだから」

「……色ボケめ」

 

 そうして。

 

 じゃあね? とウィンクをしたゼヌニムとラヘルは──その場から消えた。

 数分後、そこを死に目の妖精(ポンプス・イコ)の群れと黎樹の枝が埋め尽くすが、潰されたのは無数の脳くらいで、そこに残っていた"魂"が摂取される程度の些事しか残っていない。

 女王という司令塔がいなければ簡単に逃げられる。引き際をわきまえている事こそが、ゼヌニムとラヘルの長所であるのだろう。

 

 もうそこには、誰もいない。

 

 

 

 

「マルダハ。お前、身体はどうしたんだ」

「あ……女王」

「"魂"だけだな。まぁ、無いなら……もう、いいか」

 

 マルダハのすぐ近くにいた死に目の妖精(ポンプス・イコ)が突然口を開く。

 未だクナンの博物館は、並べられたケースは健在だ。クナンがいなくなったとて、その法則が消えるわけではない。

 その手が、マルダハの首へと伸びる。

 触れた。

 

「女王」

「ん? あぁ、なんだ。"魂"だけでも喋れるのか。どういうことだよ。あぁ、で? なんだ、マルダハ」

「あのケース、割ってはいけないわ。この世界で割ると、肉体が消滅してしまうらしいの。割るなら、黎き森で」

「肉体が消滅すると、何か悪い事があるのか?」

「え?」

 

 きょとんと。

 マルダハも、そして女王も、不思議そうな顔をする。

 

 声は届くのに──致命的なまでに、ズレがある。

 

「別に良いだろ、無くなっても。まぁ複製は出来なくなるが……また作ればいい。ちょっと増やし過ぎたとは思ってたんだよ。これからは質の良い物を手狭にやっていこうと思っててな。森も有限なわけだし」

「そ……そんな、また作ればいい、なんて……貴女は、どうしてそう……!」

「収穫時期ってやつだよ。まぁ、森にはティータがいるしな。他のはもういいだろ。いっぱいあるから虫が付くんだ。とりあえず防虫対策が出来るまで、一株で良い」

「お婆様、が……黎き森に?」

 

 また、きょとんとした。目を真ん丸に開く女王。その顔だけなら可愛らしい少女のそれ。

 

「お婆様? ……あ、そうか! マルダハって確か、ティータの娘から作ったんだっけ! へー、覚えてるのか? 凄いな、あれか、身体に刻まれた記憶、とかいう奴か? ……いや、そもそも記憶は"経験"、"魂"なんだから、覚えててもおかしくはない、か? んー、まぁその辺は今度じっくり検証してみるか。で、えーと。そう、お前なんだっけな、名前。マルダハの前……覚えてない、っていうか知らないな。けどティータの娘なら、そうか」

 

 女王がぶつぶつと呟いて、うんうんと頷いて、ぱぁっと顔を輝かせて笑った。

 

「じゃ、隣に置けばいいよな。身体は……ティータのでいいか」

 

 恐ろしい事を呟いて、女王が固まる。死に目の妖精(ポンプス・イコ)に変わったのだ。恐らくは本体……黎き森にいる女王の身体で、何かを企んでいる。

 もとより動くことのできないマルダハは、首を掴まれたまま──黎樹の枝が、魔物種の入ったケースを割り砕いていくのを眺めるよりほかない。そうして、誰も彼もが泡となり粒となり、消えていく様を見ている事しか出来ない。

 フォリーもテリアンもアイオーリもアルタも……黎き森の魔物種達が、消えていく。

 もう何も、ここには。

 

 

 

 

 そして──マルダハの視界が突然、明るいものに切り替わる。

 赤黒い世界ではない。緑と光と、茶と白と……とかく、様々な色に溢れた世界。天井を覆っていた黎樹のドームさえも解放され、陽の光が穏やかに差し込む黎き森だ。

 

 マルダハは、赤色の薬液の中にいた。

 いた、という表現であっているのかはわからない。だってマルダハには、身体が無かったから。

 

 薬液の詰められたガラス瓶の中の、薬液そのものが……今のマルダハだった。何故か意識のある状態で、周囲を見渡すことだって出来る。

 

「よし、ちゃんと来てるな」

 

 そうして、マルダハのガラス瓶のあるところに女王が入ってきた。

 女王は薬液となったマルダハを見て頷くと、黎樹の根だろうソレに持ち上げさせた樹木をマルダハの方へと向けた。

 樹木、ではない。

 

 ティータだ。

 

「一応マルダハ用に"亜人種の魔物娘"仕様の調整はしたけど……まぁ定着するかどうかは実験次第だろうなぁ」

 

 声の出せぬマルダハの入ったガラス瓶の上部が開き、そこへ物言わぬティータの身体が入ってくる。入ってきて、わかった。これは死んでいる。いや、生きていない、と言う方が正しいか。はじめから生きていない、ただの人形。

 それが薬液のマルダハの中へ、沈む。蓋がされた。

 

 自らの中に異物があるという違和感と──尊敬するティータの身体が、余すところなく自身に浸かっているという理解の出来なさがマルダハを占める。女王がどこかへ行く、ということはない。ただ座って、じーっと、ティータの入ったマルダハを見つめている。

 

 そうして、段々と。

 マルダハは何かに引き込まれるような感覚を覚えた。それは中心に、中心に向かって、少しずつ浸み込むように──あぁ。マルダハは気付いた。これは、この感覚は。

 自身が、ティータの身体の中へと──ティータの肉体へと、吸い込まれている感覚なのだと。

 自身を生んだ母の胎内に戻るという感覚に、しかしこれは母でなく、複製で、ああけれど、姿形は尊敬するお婆様そのもので。

 恐怖と不安と、畏怖と違和の入り混じった"感情"は──しかし、いつのまにか。いつの間にか、だ。

 

 気付けばマルダハの視界は、上の方で固定されていた。

 体に感覚がある。ためしに手を開いてみれば──指が、動く。根の様になっている足がざわめく。木の葉の髪が揺れる。

 マルダハの肉体とは明らかに勝手の違うソレは──"森"の魔物種の、身体そのもの。

 

 次第に薬液が減っていく。身体を包む薬液が減って、身体の感覚が鋭敏になっていく。

 そうして最後の一滴が体に吸い込まれた時、ああ、彼女はもう、マルダハだった。ティータの身体をした、マルダハだった。

 

「おー、成功だな! うんうん、おっけおっけ」

 

 ガラス瓶越しに嬉しそうに笑う女王。

 その満面の笑みに、クナンの浮かべていたような嗜虐心や嫌悪感は欠片だって無い。純粋。無邪気。一切の穢れなく、マルダハをティータの身体に入れた事を喜んでいる。

 

「じゃ、次と」

 

 ああ、そして。

 マルダハの身体は、指や根となる足が動きはするものの、地面には着かなかったし、身体を捩る事も出来なかった。鋭敏な肌は、自身が何かに括りつけられている──磔にされている事を知る。

 先ほどまで薬液に浸かって濡れていたはずの身体は、しかし、既に渇いた樹皮になっていて。

 

 そこに別の薬液が注がれ始めた。

 

「こ……これは、ひぃうっ!?」

 

 その薬液は、マルダハを浸していく。ぬるぬるとした粘度は先ほどの己には無かったもので、それが増えるたび、全身へ侵入する。新しい体は鋭敏で、その全てを優しく手のひらが撫でるかのように、ざらざらと上がってくる。体内も体表も全てすべて、薬液が埋め尽くしていく。

 溺れる、という恐怖は、しかし胸に入り込んだ薬液にむせる事さえなかったこの身体が問題ないことを教えてくれた。

 

 それだけだ。溺れないだけ。溺れる問題がない、だけ。

 それは、マルダハがディアスポラに連れられ、エイビスで"平和な日常"を過ごしている間に森の魔物種達へと行われていた、作物の実験。"魂のなる木"。

 何の慈悲も無く、躊躇もなく、悪魔の世界から連れ戻されたマルダハは"魂のなる木"にされた。

 

 そして。

 

「やっぱり畑だし、並べておくべきだよな。防虫対策考え着くまで暗い場所で我慢してもらうことになるのはごめんとしか言い様がないけど、まぁすぐに開発するから!」

 

 マルダハの入ったガラス瓶が、黎樹の根によって移動させられる。

 そこにはすでにガラス瓶があった。

 

 中には、ティータが入っている。

 

「取れる量に違いがあるからちょっと薬液の排出、注入ペースがズレるのはまぁ、仕方ないか……個体差はなぁ、まぁ農業には観察もつきものだし」

 

 ティータは俯いたまま、しかし息をしているようだった。生きている。

 傷一つない。"森"の魔物種として考えても、青々と茂るその身は健康そのものだった。

 

 さらには──その口が開く。声が、聞こえる。

 

「──あぁ、いつまで、こんな……」

「お──婆、様?」

「え?」

 

 ティータが顔を上げる。その目にマルダハを捉え、しかしそこには恐怖があった。

 何に恐怖したのか。それに気付いて、マルダハは声をあげる。

 

「あ──私です、お婆様! マルダハです!」

「マル……ダハ。あ──ああ、そんな。そんな……あり得ない」

 

 何百年も前に家出同然で国を出て、魔王国で行方不明になった娘の一人。

 そしてその後、魔物種になったと、女王のせいで体を変えられてしまったと言ってきた、娘。

 

 それが、またしても。

 今度は──自身の複製となっている、など。

 

 ──薬液が満ちる。

 

「ああっ……あああっ!」

 

 恐怖か。嫌悪か。怒りか憎しみか。あるいは羞恥もあるだろう。娘の前で、という。

 会えた喜びがあるのかどうかはわからない。果たしてこれを再会と呼べるのかも、わからない。

 

 ただもう、ティータには叫ぶ以外の道が無かった。狂ってしまいたいほどの感情の大渦が彼女を包む。

 けれど、狂う事は出来ない。狂えない。何故。何故か。

 

 もう、ティータも、マルダハも。発狂に対する耐性が──"魂の規模"が、それ以上になってしまっている。気付かぬ内だ。あるいは女王の手によって、マルダハは悪魔の手によって育て上げられた"魂の規模"が、彼女らに発狂も、自決も許さない。

 

 いつかティータは、フィルエルに向かって「気楽で羨ましい」と漏らした事があった。

 今なら──わかる。

 

「……嫌」

「お婆様……」

 

 悲しい事を悲しめない。苦しい事を苦しめない。嘆けない。悶えられない。狂ってしまう事の出来ない──一生、一生、一生だ。これから先、ずっと、ずっと。

 ティータとマルダハは、ここでずっと。

 

 ──薬液が、満ちる。

 

 "魂のなる木"が並ぶ。暗い畑に並ぶ。

 二つは永遠に、自身の複製を生み続ける。一瞬生きて、すぐに死ぬ複製を。

 

 もう誰も──助けは、来ない。

 

 




"魂"に直接触れさえすれば、声が届いたり届かなかったりするみたいだな! はは!

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