※原作開始数週間前→零話の続き→原作開始数週間前
時は大正。
雪が深い山道を、短い黒髪の男が連れの女を背負って歩いていく。二人とも季節に合った厚着だが、さほど大柄でもない若い男は、右肩に二人分の鞄をかけ、背中の重しなどないような軽い足取りで、機嫌よさげに肩ごしの少女との会話を楽しんでいた。
「そろそろ到着するな。恋雪、疲れていないか?」
「大丈夫よ。狛治さんこそ、重くない?」
「お前が重かったことなんて、一度もないさ」
歯が浮くような台詞でも、少年らしいまろみが残る整った顔立ちの狛治が言えば、ただの正直な感想だ。実際、外見よりも遥かに力が強いため、恋雪どころか大岩を背負っても普通に歩けるのだ。後ろから鎖骨あたりに回された細い腕に、むしろもっと重たく、苦しいほどにしがみついてほしいとさえ思っていた。
「ねぇ、あなた」
「うん」
「主様(あるじさま)はこの世のすべてをお見通しなのかしら」
白い息を吐きながら、恋雪は夫のたくましい肩に顎をのせる。
「あなたと日本中を旅して、もう十年になるけど、一度も主様がおっしゃったことが外れたことはなかったでしょう?」
遠い御所にいる少女を思い、狛治もうんと頷いた。
「そうかもしれないな。あの方は、なんというか、人智を超越してるところがある」
鬼の狛治にとっては使役者であり、彼に憑いた霊の恋雪にとっては降霊師である少女―金烏は、今年14になる異能の巫女だ。見た目こそどこにでもいそうな平凡すぎる娘だが、その頭脳と異能は、宮内大臣をして【神憑き】と畏怖されている。金烏に仕えるようになってすぐ、狛治にだけその特殊な力の説明がなされたが、種明かしを受けてもなお、少女の采配は空恐ろしいものがあった。
(千里眼ではないと明確に断じられたが、絵物語の設定から読み解くだけで、ここまで上手くはこべるものなのか。)
十年前の新月の夜まで悪鬼の類であった狛治は、鬼舞辻無惨という始まりの鬼の配下だった。十二鬼月、上弦の参・猗窩座として、命じられるままに暴虐の限りを尽くしていた。そして、最重要な命令として課せられていた【青い彼岸花の捜索】の途中、愚かにも宮城に忍び込み、金烏の術で捕縛されたのだ。
今でこそ御上に仕える護鬼(まもりおに)として日本各地で民を守って戦っているが、猗窩座だった二百年余りで食らった人間、特に強者として立ちはだかった鬼殺隊の剣士達は、千人以上にのぼる。年に十人以下というその数が多いか少ないかといえば、他の鬼に比べれば格段に少なかっただろう。しかし、無惨の呪縛から解かれた今なら、それを罪だと理解できた。
狛治は、人間であった頃にも、家族を殺害された復讐に60名以上を惨殺している。元から悪鬼羅刹となる資質があったのだと思うと空しくなるが、今はただ、金烏が言うとおり、鬼子母神や前鬼・後鬼に習って善行を積むしかないのだった。
「今から訪ねる人たちは、日の呼吸の一族ね。主様も仰っていたけど、強い人がいても挑んじゃだめよ?」
恋雪のやわらかい声に、沈んでいた気持ちが浮上する。我ながら現金だと苦笑して、愛しい重みを抱えなおした。
「竈門家は炭焼きの家だぞ。たとえ鬼殺隊の呼吸より優秀なそれの使い手でも、戦いの素人に誘いをかけることはないさ」
狛治は自らが強いとは思えない。たとえ二百年以上の鍛錬を続けても、どこかで自分は弱い生き物だと理解しているのだ。それは猗窩座であった頃の強さを求める執念にも表れていた。けれども、己が戦士でもない山の民に負けるとは思わなかった。
「ふふっ、そうね」
「そうだとも」
行く先々で名の知れた道場や鉢合わせた鬼殺隊士に手合わせを申し入れていることを棚に上げ、得意げにする男に、恋雪はくすくすと笑う。狛治の背中越しに道の先を見つめる彼女の髪飾りが、木々の合間の木漏れ日にきらりと輝いていた。
※ ※ ※
宮城の片隅で愛する女の亡霊にすがる鬼。去り際に多少の術を施したとはいえ、触れられるほど実態を得る力は与えなかったつもりだったが、どうやら恋慕が二人を繋げたらしい。いっそ惚れ惚れするほど鮮やかな赤い糸がお互いの右手の小指を結んでいる様子を彼らが見たなら、微笑ましく赤面したことだろう。
金烏は人よりもよく見える目で薄暗がりの恋人たちを短く見守っていたが、ゆるりと笑って足を進める。
「鬼舞辻の血は抜けたようだなぁ」
その声に、猗窩座は力なく顔を向けた。恋雪を抱き込んだ腕はそのままに、血みどろの上半身を起こして向き直る。上弦の文字を失った瞳は、最初に子供を睨んだ時の殺気を孕んではいなかった。
「お前、金烏といったか。聞きたいことが山ほどあるが……」
ぎゅう、と胸元に寄せた少女に頬を寄せ、先ほどまで修羅だった鬼は金烏を見る。下がった眉は、最初に見た時の奇抜な薄梅色ではなく、濃灰がかった黒色だ。鍛えられた体を覆っていた幾何学模様も鳴りを潜め、手首にいくつか輪が残るだけ。獰猛さが伺えた面立ちも、今は穏やかに整っていた。
「恋雪さんは、生き返ったのか?」
「ふ、ふふっ、ははははは! まずそれを聞くか、そなたは!」
静かな声音で大真面目に問いかけた猗窩座を、金烏は腹を抱えて笑い飛ばした。
「ふふふふっ、愛いなぁ、心洗われるようだ!」
「答えろ」
「残念ながら、死人をよみがえらせる術はない。そこな恋雪は、これで魂を梳くって固定しておるだけだ。そなたに声が届くよう、降霊のまじないをかけてなぁ」
金烏が懐から取り出したのは、小さな柘植の櫛だった。呪具として作られたものではないため、恋雪の霊を完全に具現化させるだけの力は込められない。しかし、今は猗窩座と恋雪二人の小指から伸びた綺麗な糸が櫛の間を縫いつなぎ、金烏から力を奪い取る形で彼女の体を織り上げていた。
「思い出すことができたのに、手放さないといけないのか。こんな俺には過ぎた幸福だってわかってるけど……」
「狛治さん、こうして会えただけで私十分よ。これからもずっと見守っています」
「恋雪さん」
「狛治さんっ」
いっそ鬼である猗窩座が恋雪を取り込んでしまいそうなほど、ひしっと抱き合う二人に、金烏は四歳にして遠い目をしてしまう。彼女が知る【原作】では、もっと儚い、夜に融ける花火のような二人であった筈だが、現実は創作よりも奇なりだ。
「とりあえず、そなたら私についてこい。じきに朝日が昇るぞ」
無惨の呪いが血とともにほとんど流れ出た今なら、日に当たっても死ぬことはないだろうが、それはあえて教えず、一族の屋敷へと呼び入れる。客間に向かうさなか、大きなあくびを零した子供は、今更ながら徹夜したことに気づいたのだった。
※ ※ ※
「ごめんください」
昼間から雪がちらちらと降るある日、竈門家を訪ねる者があった。朝から炭を作っていた炭治郎は、ちょうど休憩中だったので、妹弟たちをあやす母親を留めて戸に向かった。
「どちらさまですか?」
「竈門炭治郎殿はご在宅でしょうか? 俺は狛治、連れは恋雪といいます。さる方の命にて、大事なお話をするために伺いました。しばしお時間をいただけませんか」
板一枚越しの問いかけに、とつとつとした、けれど丁寧な返事が返ってくる。外の臭いはそこまで鮮明にはわからないが、炭治郎の優れた嗅覚には不穏なものは感じられなかった。少なくとも、外に立つ男は悪意ある相手ではない。
「炭治郎、入っていただきなさい」
後ろから聞いていた母の言葉に、ためらいなく戸を引く。戸口に現れたのは、二十歳前ぐらいの若い男女だった。
男の方はとても短い髪と豊かな睫毛が印象的な、若い肉食獣を思わせる美々しい青年だ。武芸を収めていると一目でわかる姿勢の良さで、青灰色の上質な和装に厚手の羽織を着こんでいる。
対して女の方は、やや年下で線の細い、可憐という言葉を体現したような少女だ。黒髪を古風に結い上げ、これまた上質な花模様の着物の上に白い羽織を着ている。寒がりなのかふわふわの首巻を巻いており、雪結晶の髪飾りが印象的だ。
炭治郎が知る最も見目が良い人間は母親と妹の禰豆子だが、この二人はまた異なる美しさの持ち主だった。
「ありがとうございます」
「お邪魔いたします」
狛治と名乗った男と恋雪と名乗った少女がそろって頭を下げる。その様子に、なんとなく言われずとも二人は夫婦なのだと理解した。
「いいえ、どうぞあがってください。この雪の中、お寒かったことでしょう。どうぞこちらで火にあたってください。私は竈門葵枝と申します。この子は長男の炭治郎。子供たちにもお話しがあるのでしょうか」
葵枝が二人を囲炉裏の横へと案内し、禰豆子が家に二つしかない座布団を用意する。後ろでは竹雄が下の子供たちがうるさくしないように奥の部屋へと促していた。恋雪は恐縮した様子だったが、狛治に優しく促されて座布団に正座した。狛治も礼を述べ、腰を下ろすと、もう一度頭を下げた。
「ありがとうございます。改めて、俺は護鬼(もりき)狛治と申します。これは妻の恋雪。俺たちは帝都より参りました。あなたとご長男にお話しと、我らの主からの言伝があります」
訪問者に対面するかたちで腰を下ろした炭治郎は、母の傍らから狛治の話を聞いていた。同じ空間に入ってきたことで、彼ら二人の不思議な臭いが鼻孔をくすぐり、すぐには何の臭いかわからなかった。
(恋雪さんは雪の香りがする。狛治さんは……少しの鉄臭さと、これはお香かな。嗅いだことがない臭いだ。二人とも、なんだろう、俺たちとは違う気がする。)
「お話しというのは、あなた方竈門家に伝わっているヒノカミ神楽、ひいてはその基となっている日の呼吸のことです。葵枝さんは、この呼吸のことをご存知でしょうか」
「いいえ……神楽でしたら、亡くなった夫が年に一度舞っておりましたが」
竈門家の嫁として、今は亡き炭十郎から神楽のことは聞いていた葵枝だが、舞のために疲れない呼吸をすることしか聞いたことはなかった。跡継ぎの息子なら知っているかと、横目に炭治郎を見ると、彼はうんと頷いて言葉を継いだ。
「俺は少しだけ知っています。日の呼吸という言葉は初めて聞きましたが、父が疲れない呼吸があるんだと言っていました」
「炭治郎、君はその呼吸の仕方を知っているか?」
「神楽は父から教わりました。まだ上手いとは言えないですけど、疲れない呼吸をしながら舞うことはできます」
炭治郎の控えめな答えに、狛治も恋雪もほっとしたようだった。彼らの主のことはわからないが、ヒノカミ神楽が継承されていることが重要なのだろう。炭治郎がそんなことを考えていると、狛治はすっと居住まいをただし、葵枝に話しかけた。
「葵枝さん、我が主からの言伝をお伝えします。突拍子もないことだと思いますが、どうか真剣に考えていただきたい」
上等な着物を着た若夫婦が只人の使いではないことぐらい、山暮らしの葵枝と炭治郎でも察していた。そんな彼らが、あまりにも真剣なまなざしで見つめてくるものだから、一瞬呑まれていたのだろう。
「【竈門家に危機が迫っている。日の呼吸を継承する一族を、人食い鬼の祖が狙っている。すでにその鬼は、そなたたちの在処を知っており、一度まみえれば、赤子に至るまで必ず皆殺しにされるであろう。日の呼吸こそが、日ノ本を鬼の脅威から救うことができる武器である。我が言を信ずるならば、我が僕(しもべ)と共に帝都の宮城まで来られたし。今生陛下に侍る八咫烏(やたがらす)の家紋の当主の名において、貴殿らを三年の間、匿わせていただきたい。また、長男殿には、鬼を狩る者たちへの力添えを依頼したい。この申し出は、長きにわたり日ノ本の刃たりえる技を護り継承してきたそなたたちへの、御上の温情である。】」
ゆるやかに語る狛治の瞳は、やや瞳孔が開き、獣のそれに似ていた。これまで話していた彼とは異なる雰囲気にどきりとしたけれど、そんなことは、語られた内容の衝撃にすぐさま塗り替えられた。
「お、鬼ですか? それに御上って……恐れ多いです!」
こんなにもうろたえる母を見るのは初めてかもしれない。炭治郎はぐっと息をのみ、いまだ獣の目のままの狛治に問いかけた。
「狛治さん、人食い鬼って本当にいるんですか?」
「ああ、いる。鬼の祖の血を体に入れられると、人間は鬼になるんだ。やつらは夜に活動し、人を主食とする。普通の人間では鬼には勝てないし、強い鬼なら村一つぐらい一晩で食い散らかす。鬼の祖はもう千年以上も日ノ本から夜の安全を奪ってきた、この国の怨敵なんだよ」
はっきりと断言する狛治の右手に、恋雪の左手が重ねられる。ちらりと少女を見つめた彼の眼は、もう獣じみてはいなかった。
「炭治郎、お前が継承している日の呼吸とヒノカミ神楽は、鬼を倒すことに特化した特別な技法だ。たとえ我が主の願いを断るとしても、俺たちはお前だけは連れ帰るよう命じられている。無体なことはしたくない。どうか、よく家族と話し合ってくれ」
「葵枝さん、炭治郎さん、私たちは明日の朝また参ります。それまでよく考えてください。勝手なこととはわかっています。でも、どうか皆さんの命を第一に考えてください」
始終黙っていた恋雪も、狛治に続いてそう述べ、二人はもう一度お辞儀をした。その一対のひな人形のような様子が、彼らが去った後も、炭治郎の脳裏から離れなかった。
【登場人物紹介】
狛治/猗窩座
主人公。この設定における超勝ち組。恋雪とラブラブでとても幸せ。まだ戦う描写はないが、やっぱり滅茶苦茶強い。護鬼(もりき)は偽名ではなく、役割の読み方を変えただけ。
恋雪
ヒロイン。狛治さんと旅ができてとても幸せ。最強にかわゆい受肉型ゴーストガール。
金烏(きんう)
十年間、狛治をこきつかっているプチグレーな上司。原作軸では14歳。八咫烏の家紋の家の当主。平凡な顔してとんでもない中身を抱いているラスボス系巫女さん。かわいい若夫婦は末永く爆発してから家族全員で天国を満喫してから転生しろと思っている。
炭治郎
原作の主人公。この度とんでもない所に家族ごと招へいされた。
葵枝
竈門家のお母さん。この度家族ごととんでもないところに招待された。
竈門家のお子さんたち
帝都に引っ越しするの!?