不死川家の今、竈門家の暗雲――
※風柱亭→ラスボス系の所以
不死川実弥は父であり、母であり、兄である。
風柱に就任して屋敷を与えられるなり、彼は藤の家出身の者を使用人として雇い入れ、由緒がありすぎる神社に預けられていた弟妹たちを引き取った。離れて過ごす間に子供たちは随分大きくなり、ほとんど神社に顔をだすことがなかった実弥は、彼らの成長に目頭が熱くなったものだ。
今は七人兄弟全員で暮らしており、長男も次男も不在がちながら、幸せな日々を送っている。子供たちがもう少し成長し、家のことを自分たちでできるようになれば、まさしく家族の箱庭が出来上がるのだろう。
「兄ちゃん、上手にできたからあげる!」
「あげる!」
任務明けで朝から屋敷に戻っていた実弥のもとに、貞子とことが駆けてくる。縁側で行儀悪く寝転がっていた長兄は、腹の力だけで起き上がり、先にたどり着いた貞子を片腕に抱き上げた。続いて転げてきたことも抱き込み、二人を膝に乗せた。もう年頃の貞子は恥ずかし気だが、先日七つになったばかりのことは素直に喜んだ。
「どうしたあ、兄ちゃんに何かくれるのか?」
「そうよ、これ作ったの」
得意げな貞子が差し出したのは、形がよい大きな笹の葉だ。何も加工されていないように見えたが、受け取って日にかざせば、針でいくつも穴があけられていた。記された文字は、【悪鬼滅殺】、実弥には見慣れた文言だ。
「上手く文字をいれたなァ」
「宮司さまが教えてくれたおまじないよ」
「鬼をやっつけるおまじない!」
横からのぞき込むことが舌足らずに言った言葉に、実弥は思わず笹を取り落としそうになった。
「鬼だとお?」
「あのね、ことのつばをつけた針で、お姉ちゃんが文字を入れたの。これで悪い鬼を滅!ってできるの」
「兄ちゃんのお守りに作ったんだ。玄弥兄ちゃんのもあるよ」
貞子たち5人が預けられていたのは、やんごとなき血筋の分家が日ノ本の最高神を祀っている神社だ。鬼殺隊のつてで当初は藤の家にいたはずが、いつの間にか神社に引き取られ、何不自由ない暮らしをしていた。事後にそのことを知った実弥と玄弥は神社に殴り込んだが、老年の宮司の浮世離れした厳かな雰囲気にのまれてしまい、流血沙汰は免れた。
その際に聞かされたのは、5人の弟妹の内、貞子とことの2人が玄弥の鬼喰いとは異なる特殊な才能をもつこと。そして、不死川弟妹の保護は、御上に侍る【八咫烏の家紋の一族】の当主から直々に命じられたということだった。
御上と言われて真っ先に思い浮かんだのは、短い黒髪に美しい目元をもつ鬼だった。それは実弥を大いに荒れさせたが、玄弥になだめられてよく考えた結果、自分の屋敷を得るまでという約束で、家族の保護を頼んだのだ。
恐らく額面通りの効果がある笹の葉を、大事にふところにしまい込む。そして、泣く子も黙る風柱とはかけはなれた笑顔で妹たちの頭を撫でた。
「おまじないか。ありがとうなァ、貞子、こと。これがあれば兄ちゃんは百人力だぞ」
「もうっ、子供じゃないのよ!」
「兄ちゃん、今日は一緒にご飯食べれる?お風呂は?」
ぎゅうと妹たちを抱きしめて立ち上がれば、貞子は真っ赤になり、ことからはきゃあと声があがった。末の妹の手が実弥の髪をなで、貞子がぺしぺしと上腕を平手で叩いてくる。この瞬間を守るために戦っているのだ、と実弥は幸福感に感じ入っていた。
「あれ、兄貴。帰ってくるの今日だったっけ」
庭先からの声はすぐ下の弟、玄弥のものだ。妹たちをひっつけたまま目を向ければ、ここ二年で急激に大きくなった弟が隊服姿で見上げていた。
「おう、おかえり玄弥」
「おかえりなさい、兄ちゃん」
「おかえり!」
「ただいま、兄貴、貞子、こと」
連日、産屋敷からの特殊任務に出かけている玄弥は今日も疲れた顔をしている。しかし怪我はないようで、鬼喰い後の疲労困憊状態でもないようだった。
「就也たちはどうしてる? もうすぐ昼飯だよな?」
「就也と弘は裏庭で虫捕ってるぞォ。寿美は台所手伝ってる。様子見てくっから、着替えてこい」
「ん、わかった。ついでに就也たちに声かけてくるよ」
逆立った髪や顔面の傷に反し、玄弥の物腰は柔らかい。実弥のまねをして少し荒れた時期もあったが、弟妹に悪影響だとおせっかいな大人に叱られたらしく、以降は素の状態で過ごしている。鬼を喰って力を得る特異すぎる体質は、鬼殺隊の柱としても兄としても非常に複雑だ。しかし、呼吸を使えない玄弥が危なげなく戦えるのはその能力のおかげであるため、毎回苦言を飲み込んでいるのだった。
庭を回り込んで弟たちが遊ぶ方へ向かう玄弥。そのズボンの後ろポケットから、ふいに小瓶が零れ、ぽとりと砂利に落ちた。
「あ」
過剰に反応して拾い上げる弟の様子に、おやと目を細める。実弥は妹たちを廊下に下ろし、大股で玄弥に近づくと、その手の中を確かめた。
「なんだぁ、これは」
「……鬼の目ン玉」
「そうだろうなぁ、人間のだったら大惨事すぎだ」
玄弥の大きな手におさまるぐらいのガラス瓶は透明な液体で満ちており、その中に灰黒色の目玉が5つ浮かんでいる。色合いや形からして、同一人物(鬼)のものだ。実弥はそれを見た瞬間、奪い取って割ってしまいたい衝動に駆られたが、妹たちの前で目玉を庭に転がすのは憚られた。
「んなもん、どうして持ってる」
「……回復用にもらったんだ、狛治さんに」
ぴき、と兄のこめかみに血管が浮き出る音がはっきり聞こえ、玄弥はおろおろと目を泳がせる。実弥は凶悪に口の端を吊りあげ、振り返らずに妹たちに優しい声をかけた。
「貞子、こと、台所の様子を見てきてくれるかァ。準備ができてたら配膳も頼む。兄ちゃん達もちょっと話してから行くからな」
「わかったわ。あんまり怒らないでよ、実弥兄ちゃん」
「おやつはおはぎってお願いしてくる!」
ぱたぱたと可愛らしい足音をたてて妹たちが離れていく。玄弥は気まずい目でそれを見送っていたが、おもむろに兄に両肩を捕まれ、ヒッと悲鳴をあげた。至近距離で睨んでくる兄が非常に怖かったからだ。
「に、兄ちゃん、ごめんなさい」
「んー? 玄弥は何を謝ってんだァ?」
「狛治さんから目玉もらったから」
「あー、それもあるけどなァ、んなことより携帯食寄越されるほどヤバい任務についてんのか」
玄弥のほうが少し背が高いため、睨む兄は世にも恐ろしい上目遣いだ。今にも取り上げられそうな瓶を死守し、極秘任務だから言えないと言えば、実弥の額にますます血管が浮いて、破裂するのではないかと思うほどになる。
「……仕方ねぇなァ。お館様からの任務だ、俺がどういう言えるもんじゃねェ。だがなァ、玄弥」
一気上がった血圧をふうとため息で逃し、実弥は体ばかり大きな弟の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「いくら治るつっても体ァ粗末にするんじゃねぇぞ」
精いっぱいの心配に、玄弥は気まずく目をそらすばかりだったが、妹たちから食事だと声が届けば、小さく「うん」と頷いた。
※ ※ ※
祈祷の間に足を踏み入れた瞬間から、金烏の様子がおかしいことはわかっていた。標準装備の薄い笑みは、いつもどおり目元まで届いておらず、しかし目立つところがない頬の輪郭が硬いように見えた。
「よう来たな、狛治。そこに座れ」
「はっ」
神棚を背に座る少女から、少しはなれた場所に腰を下ろす。畏まって頭をたれる狛治に、金烏はすぐ面をあげよと述べた。
「今後のことについて話しておこうと思ってなぁ。まずは絵物語との差異をおさらいするとしよう」
金烏は傍らにおいてあったじゃぷにか救済帳を膝のうえで開き、箇条書きになっている名前を読み上げる。
「生存した者並びに鬼にならなかった者は次のとおり。錆兎、真菰、不死川実弥・玄弥の弟妹5名、胡蝶カナエ、竈門一家、時透有一郎、煉獄杏寿郎、獪岳、そしてそなたがこの十二年で護った数多の民草」
最後だけからかうように言い、金烏はぱたりとノートを閉じる。そして狛治の凛々しい顔を見つめ、続けた。
「次に、絵物語との主な差異だ。ひとつ、上弦の参が消えて鬼共の序列が繰り上がった。ふたつ、何名かの柱が生存又は負傷の度合いが軽減したことで鬼殺隊の戦力が高く保たれている。みっつ、そなたが関わった鬼殺隊の面々の実力が向上している。よっつ、そなたと有一郎という遊撃戦力がある。いつつ、禰豆子が鬼にならなかったため日光を克服する鬼がおらん。むっつ、前述の禰豆子のことがあるため、珠世の鬼を人間に戻す薬の開発は遅れていると推測される」
「主、どうされましたか」
朗々と指折り話していた少女が突然黙り込んだため、狛治は気づかわしく声をかけた。いくつもの燭台の灯りが、ゆらりと能面のような顔立ちを照らす。それが初めて会った頃の彼女をほうふつとさせ、じとりと嫌な感覚が背筋を這った。
「ななつ、竈門炭治郎に痣が出ていない。これは大変よろしくないことだ」
「痣ですか」
「うむ。戦国時代に鬼舞辻無惨を追い詰めた始まりの剣士たちは、皆、黒い痣が顔や上半身に浮かび上がっていたのだ。心拍数と体温が異常にあがり痣が浮かぶと、上弦の鬼にも匹敵する身体能力の向上を得られる。絵物語では、命の前借りだと言われておったが」
「それは、寿命を燃やして力を得ているのでは」
「そのとおり。あくまで剣士共は人であるからなぁ、有限のりそーす……力を振り絞って鬼と渡り合う。痣が出た者は総じて25歳ぐらいで死ぬそうだぞ」
鬼殺隊の剣士たちは常に命を燃やして戦っている。彼らと長きにわたり戦い、多くの有限の焔をかき消してきた記憶の中に痣が浮かんだ者はいなかったが、そうして得た力の代償が寿命だと猗窩座が知ったなら、さぞその強者を哀れんだことだろう。
「肝心なのは、ひとり痣の者が生じると呼び水のように他の剣士にも痣が浮かぶということだ。絵物語では、このきっかけの一人が炭治郎であった」
金烏の右手がノートの表紙を撫でる。
「炭治郎の痣が出なければ、続くはずの柱共にも出ない可能性が高い。何せ主人公であるからなぁ。そうなれば、少し後に刀鍛冶の里で起こる戦闘にそなたらを差し向けることになり、来る鬼舞辻との決戦において、鬼殺隊は我らに全面的に頼ることになるであろう」
それはよろしくない、と冷徹に告げる若き主人に、嫌な予感がせり上がってくる。この先を言わせてはいけないと警鐘が鳴り響くが、狛治の舌は張り付いたように動かなかった。
「是非とも竈門炭治郎に痣を得てもらわねばならぬ。きっかけとなるのは高揚感、闘志、そして何より激しい怒り。絵物語においては、家族を殺され妹を鬼にされた業火のごとき怒りがアレを突き動かしていた。であれば……」
「主、いけません」
蚊が鳴くような呻きは届かなかったのだろうか。青ざめて制止をかける護鬼の正面で、金烏は抑揚がない声で言った。
「葵枝を、鬼に襲わせることにした。今日は遅くまで働かせてしまったのでなぁ、先ほど労って家に帰した。もう外は真っ暗だ。鬼に鉢合わせてもおかしくないだろう?」
結界外の鬼がいる方向にいくよう暗示をかけておいたのだ、と少女の言葉を置き去りに、狛治はすでに駆け出していた。瞬く間に戸に手をかけ、吹き飛ばす勢いで廊下に転がり出る。そして一足で壁を破って屋外へ出ようとしたところで、静止した。
「う、ぐ……」
指一つ動かそうとしても冷汗があふれ出てくる。手足の筋肉が引きちぎれんばかりに力む狛治の背後で、ひたりと足袋につつまれた足が音を立てた。
「どこへ行く、狛治。そなたには何も命じておらんぞ」
「ぁ、るじ、ど、ぅか、お、やめ、くださいッ」
ひりだした懇願に意味がないことはわかっているのに、狛治にはそうすることしかできなかった。金烏の支配下にある体は、どうあっても竈門葵枝のもとに駆けつけることはできない。
「もう遅い、そなたの足でも間に合わぬ。ことの顛末を見届けるほど悪趣味ではないが、明朝には凶報を受けることになろうよ」
金烏はそれだけ言い、狛治の肩をそっと撫でた。それだけで拘束はとけ、逞しい体はその場で膝をついた。うなだれる黒い頭に触れようとして、しかし少女はその手を引っこめる。
「これで竈門炭治郎に痣が出ればよし。今は入院中でそれだけの体力もないやもしれんが、いずれ悪辣な鬼の討伐任務にあてれば、怒りで覚醒する可能性が高まろう」
「主、お願いです、おやめください! 貴方は素晴らしい方なんだ! こんなことをしちゃいけない、こんな、悪鬼のような所業っ」
ドォン!
もう言葉もない狛治の拳が床を砕き、悲しみとも怒りともつかない感情に顔をあげることができなかった。遠くから恋雪と有一郎のこちらを案じる声と足音が聞こえてくるが、それでも狛治は己が主と顔を合わせることができず、蹲っていた。
「狛治、しばし宮城から出ることを禁ずる。このことは誰にも知られてはならんからなぁ、稽古に訪れる隊士にはけして気取られるな。竈門炭治郎と下の子らは万事私の方で世話をしよう」
使役者の命令は絶対である。答えない狛治を一瞥した金烏は、姿をみせた恋雪と有一郎のほうへと足を向け、すれ違いざまに「労わってやれ」と命じた。驚いたような二人の顔は、見れなかった。ただ、夜の闇にのって血の匂いが運ばれてくる錯覚を、私室の襖を閉ざすことで締め出した。
【登場人物紹介】
狛治/猗窩座
主人公。金烏の所業に物凄くショックを受けている。恋雪に縋りついて、その胸元から顔をあげられない。俺は辛い、耐えられない。もっと抱きしめてくれ。
恋雪
ヒロイン。狛治さんのただならぬ様子に酷いことがあったと悟る。大丈夫よ、優しいあなた。泣いてもいいの。何があっても傍にいます。落ち着いたら話してくださいね。(シリアスでもかわゆい)
金烏
ラスボス系巫女さん。私室に閉じこもった。屋敷に下働きにきている竈門葵枝のことは、彼女なりに気にかけており、なにかと声をかけていた。帰り際に話しかけるのもいつものこと。「今日は子らに菓子を買って帰ってはどうだ? 隣町でちと遠いが、まだ店はあいていよう」
不死川七兄弟
実弥21歳、玄弥16歳、寿美と就也14歳、貞子13歳、弘12歳、こと7歳(原作で玄弥に抱かれてた末っ子という捏造設定)。家族愛が過ぎる長兄がスーパー保護者を務めている。不死川家は特異体質が生まれやすいのか、貞子とことは呪殺の才能が有り余っている。ちなみに下の弟妹たちが預けられていた神社の老宮司は金烏の母方の大伯父。