Everything I Need   作:アマエ

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廻る因果と竈門炭治郎の夢ーー

※吉原戦戦闘後、炭治郎は療養中




弐拾伍話

 

鬼も幽霊も眠りを必要としない。かたや凄まじい回復力で休息いらず、かたや仮初めの肉体なので生命活動自体がないからだ。けれど、狛治と恋雪は上物の布団一式をもっており、宮城にいる際には、住まいである離れでともに眠りにつくことにしている。それは夫婦の営みに限らず、人間らしく暮らす中での暗黙の決まりごとだった。

 

恋雪が目をあけると、目の前に狛治のつるりとした額があった。昨晩は金烏も狛治もただならぬ様子でふさぎ込んでおり、恋雪が近づくなり彼女にすがりついた夫は、何も語らなかった。ただ、細い胸元に顔を埋め、嗚咽を押し殺していた。

 

横から有一郎に支えられて離れまで戻ってきたものの、敷いてもらった布団に横になっても狛治は顔をあげなかった。苦しくない程度に加減された抱擁ではあるものの、放したら死んでしまうといった様子で、恋雪はただ愛しい護鬼の頭や背中を撫で、大丈夫よと囁くことしかできなかったのだ。

 

「あなた」

 

小さく声をかけると、けぶる睫毛が揺れ、悲し気な瞳が恋雪を映す。鬼ゆえに泣き明かしても目元が腫れることはなかったが、気持ちは沈んだままのようだ。

 

「おはよう、恋雪」

 

「おはようございます。朝ごはんの前に主様のご様子を見てきますね」

 

「……頼むよ。俺は、しばらく主に会えない」

 

それが会いたくないという意味だと理解して、恋雪は夫の額に唇を押し当てた。狛治が傷ついているのを見るのは、これが初めてではない。運命のあの日、事切れた慶蔵と恋雪を前に号泣した時も、剣術道場の門下生らを素流の技で皆殺しにした時も、鬼の祖に頭を貫かれ鬼にされた時も。優しい夫の心は壊れかけの血みどろで、今よりもずっと傷ついていただろう。けれど、一つだけ、その時の狛治が経験しなかった傷が、今は刻まれている。

 

「主様に、裏切られたと思っているの?」

 

触れ心地がいい短い髪を撫でながら問えば、逞しい体が縮こまる。

 

「あの方は恐ろしいところもあるけど、狛治さんのことも私のことも、とても大切にしてくださっているわ」

 

「……知っている。今回だって、俺に命じれば手っ取り早かっただろうに、ご自分の手を汚された」

 

「主様とお話ししましょう、ね?」

 

「今は無理だ」

 

「もう少し後でいいのよ。さ、狛治さん、この手をはなして。身支度しないと」

 

「……俺も有一郎の朝の鍛錬に顔を出す。今日は一日鍛錬するよ」

 

もそりと二人して体を起こし、恋雪が布団をたたむ傍らで、狛治は皺がついてしまった着物を脱いで白い袖なし羽織とズボンに着替える。お互いに背中を向けて身支度を終えると、恋雪が離れを出る前に一度だけ口づけをかわした。

 

【八咫烏の家紋の屋敷】の離れは、母屋から短い渡り廊下を挟んだだけのものだ。渡り廊下からは玄関も勝手口もよく見える。戸口から足を踏み出した恋雪は、勝手口近くに見えた知り合いの姿に声をかけた。

 

「おはようございます、葵枝さん」

 

「おはようございます、恋雪さん」

 

竈門葵枝は、とても炭治郎のような大きな子供がいるとは思えない、はっとするほど美しい女性だ。恋雪たちが彼らを帝都に連れてきてから三年近く、この屋敷に日中だけ下働きとして通っている。

 

いつも質素ながら身ぎれいにしている葵枝だが、今朝は顔色が悪く、少し背中をかばうような動きを見せていた。恋雪は母屋に向かうより先に、庭先におりて玄関の方へと足を向けた。

 

「どこかお怪我をされたのですか? 無理はしないでくださいね」

 

「お気遣いありがとうございます」

 

青ざめた葵枝がぎごちない動きで会釈する。その短い動作から視線をあげるなり、葵枝は一瞬で目の前に現れた人影に悲鳴をあげた。咄嗟には爛々とした獣の瞳しか目に入らず心臓が竦みあがるも、よく見れば、それは見知った男であった。

 

「は、狛治さんですか?」

 

「あなた、いきなりどうしたの? 葵枝さん、驚かせてしまってごめんなさい」

 

「……葵枝殿、おはよう」

 

「おはようございます」

 

葵枝と狛治の付き合いはそれなりに長い。竈門一家が帝都に引っ越してきてからしばらくの間、護鬼は毎日のように長男の炭治郎に稽古をつけにきていたのだ。当然、ほかの家族の面々とも親しく、葵枝も彼が鬼でありながら大変な好青年だと思っている。しかし、黙ってじっと見つめられると、少し怖いものがあった。

 

「背中を怪我しているのか。左足も少し捻っている……血の匂いもするな」

 

「あの、昨晩鬼に襲われたんです。幸い錆兎さんと真菰さんが偶然近くにいらして、すぐ助けてくださったので、このとおりかすり傷ですみました」

 

引っ越しの際に世話になった剣士たちとの再会は、嬉しさよりも命が助かった安堵に占められていた。無事家に送り届けられ、子供たちに囲まれた時、葵枝は夫に先立たれ一人泣いたとき以来の涙をこぼしたのだ。

 

かいつまんだ顛末を聞くなり、狛治は一言「ここで待っていてくれ」と残し、かき消えた。激しくあがった砂埃から走り去ったのだと理解したが、どこに行ったのかは皆目見当がつかない。困惑して恋雪に視線を向けたが、可憐な少女は穏やかに「待っていましょうか」とほほ笑むだけだった。

 

 

 

 

 

 

早朝に恐ろしい速度で近づいてくる使役鬼の気配に、金烏は文机の前に座ったまま身構えた。狛治から攻撃されることはないとわかっているが、今回ばかりは口先や理屈で丸め込むことは難しいだろう。まさか、あのように慟哭するほど慕ってくれていたとは、完全に読み違えていた。

 

「主!!」

 

礼儀も何もなく、すぱんと襖が左右に流れて飛んでいく。それなりに気に入った絵柄が描かれていたのだが、あれはもう使い物にならないだろう。そんなことを考えているうちに、狛治が目と鼻の先までやってきて、座った体制から人形でも抱くように片腕に掬い上げられた。ぐらりと上半身が揺れるのを、しっかりした首元を掴んで留める。少女の柔らかい手で首を絞められても、護鬼は気に留めずさっさと部屋を後にした。

 

「無礼であるぞ、狛治!」

 

「今だけはお許しください。貴方は直接聞くべきだ」

 

「何を言っている」

 

「ご覧ください!」

 

金烏を抱いたまま庭先までやってきて、下駄をはかせてから地面に下ろした狛治が示す先。そこに黒い瞳を向けるなり、金烏は固まった。まさか、と【よく見える目】で探れば、美しい命の輝きがその人物を確かに生者たらしめていた。

 

庭先で言葉をかわしていたらしい恋雪ともう一人―竈門葵枝は、金烏が現れるなり一人は深々と頭を下げ、もう一人はその場に膝をついて畏まった。恋雪はともかく、葵枝にとって宮城の住人は雲の上の存在なのだ。たとえ昨日の帰宅前にじきじきに労いの言葉をかけてくれるような気さくな娘であっても、やんごとない身分に違いない。

 

「……よい、楽にせよ。恋雪、葵枝、おはよう」

 

「おはようございます、主様」

 

「おはようございます、御方様」

 

ためらいがちに立ち上がる葵枝をじっと見つめ、少女巫女はそしらぬを装って訪ねた。

 

「葵枝、怪我をしておるなぁ。何があったのだ?」

 

「昨晩、帰り道で鬼に襲われ、鬼狩り様に助けていただきました。傷は、お恥ずかしながら、最初に飛びかかられたときに転んでしまったのです」

 

「そうか。災難であったなぁ。大きな怪我がなく何よりだ」

 

白々しい言葉に、後ろに控える狛治の気配がやや非難めいたものになるが、金烏は薄い笑みをのせたまま続けた。

 

「して、そなたを助けた鬼殺隊士の名はわかるか? 私からも礼を言いたい」

 

「助けてくださったのは、水の呼吸の一門の錆兎さんと真菰さんです。」

 

その時の劇的な変化に気づいたのは、金烏の背を見つめる狛治だけだった。少し離れた恋雪たちの目には、平凡顔の若き当主が変わらず微笑んでいるように映っただろう。やや肘をひいて白い袖に隠した両手の指が握りしめられ、僅かな血の匂いが漂う。優雅でさえある伸びた背筋も筋肉が強張り、きっと赤い袴のなかの両脚は震えていた。

 

「そうか……、そうであったか。葵枝、今日は休むがよい。子供らも昨日の今日で心配していよう。女官には、私から言うておくからなぁ」

 

「そんな、急に休んでは皆さんにご迷惑です!」

 

「よい。この屋敷に、私が命じたことを迷惑とのたまう者はおらぬ」

 

恐縮して肩を小さくする葵枝に、金烏はもう一度、とても優しく「家に帰れ」と命じた。落ち着いた色の着物の後ろ姿が去っていくのを三人して見送っていたが、完全に見えなくなると、どこか張り詰めていた空気は弱って緩んだ。

 

「狛治」

 

「はい、主」

 

「因果とは恐ろしいものだなぁ」

 

「貴方がなされた善行が、巡り巡って戻ってきただけのことです。主、今後あのような策に御身を乏しめる前に、俺に何なりと話してください。知恵はなくても、その白い手を、お心を護ることはできると自負しています」

 

昨日泣いた鬼が、今日は笑っている。狛治のすました顔が眩しくて、金烏はその脇を抜けて渡り廊下の方へと戻った。下駄を行儀よく脱いで上がり、目下に佇む護鬼夫婦へと振り返る。酷い思いをさせたというのに、狛治の眼差しに濁りはない。恋雪の可憐な視線も、夫を苦しめたことへの恨みなど微塵もなかった。

 

「狛治、問題は何も解決しておらんぞ。もう同じ手はそなたが許さんしなぁ、どうしたものか」

 

「主様、狛治さん、お悩みなら私にも話していただけませんか? 三人寄れば文殊の知恵。頑張って考えます」

 

恋雪のあどけない物言いに、彼女の主も夫も恰好を崩し、珍しく大笑いした金烏は眦からぽろぽろ落ちる涙を袖で拭った。そして不自然にこぼれ続けるそれを隠すことを諦め、可愛い若夫婦を手招いた。

 

「そうだなぁ、私の部屋……は狛治が襖を吹き飛ばしてしまったから、祈祷の間で話すとしようか」

 

 

※ ※ ※

 

 

竈門炭治郎が妹の禰豆子からの手紙を受け取ったのは、蝶屋敷の寝台の上だった。吉原での激闘の後、上弦の鬼の毒にやられて昏睡状態に陥っていた彼は、つい先日意識を取り戻したばかり。今は衰弱した体に栄養を巡らせ、残りの毒を解毒剤の点滴と日光浴で対処しているところだ。

 

家族からの見舞いの手紙は連日届いているので、今日もそうなのだろうと思って開いた紙面。アオイに起こしてもらった上半身を枕の山に埋めながら読み進めるうち、赫灼の瞳がどんどん据わり、体調のとおり悪い顔色が怒りで赤くなったり青くなったりした。

 

同室の善逸と伊之助がここにいたなら、かたや怯え、かたや闘争心を燃やしただろう。しかし、一足先に寝台を離れられるようになった彼らは機能回復訓練中だ。手紙を読み終えた炭治郎は、一人うめき声をあげて頭を抱えた。

 

(母さんが鬼に襲われた。どうしてだ、御所から家までは金烏様が護ってくださっている範囲なのに、鬼が出たのか。それとも母さんは護りの外に?)

 

ぐるぐると考えがまとまらず、急激に押し寄せる眠気に負けて目を閉じる。解毒剤には微量の睡眠導入剤も含まれており、臓腑を焼く毒による激痛を緩和するだけでなく、眠りによる回復も誘うのだ。泥のような眠りに落ちる間際にも、母を襲った鬼を憎いと思った。自分の周りに大勢いる、鬼に幸せを奪われた人たち。彼らと同じ怒りの一端が、確かに灯となって燃えていた。

 

 

 

 

 

 

炭治郎は、夕暮れ時の山の中に佇んでいた。現実ではなく、夢の中でだ。そも夢でなければ、目の前の光景はなんだというのだろう。

 

濃梅色の短い髪に、青白い肌。完璧に鍛えらえた体を走る藍色の幾何学模様。袖がない短い羽織とひざ下までのズボンを纏った若い男が、血と肉の海の中で誰かの腕を咀嚼している。少し離れた正面に立つ炭治郎に気づいているのに、目を向けもしない。手にした筋肉質な腕を指先から齧る男のひび割れた双眸には、上弦の参の文字が刻まれていた。

 

炭治郎がこれまで会った鬼の中で、最も鬼舞辻無惨の臭いが強い。そして瞳の文字が示す事実のとおりなら、これまで戦ったどの鬼よりも強いのだろう。しかし、そんなことよりも肝心な、けして許せない事実が目の前にあった。

 

「お前は誰だ!? どうして狛治さんと同じ顔をしている!」

 

上弦の参は、狛治に瓜二つだった。炭治郎がよく知るかの鬼は、まろい顔立ちと美々しい目元をした端正な男だ。いつだって淡い血の匂いと優しい香の香りを纏い、御上の使いとして人々を護るために戦っている素晴らしい護鬼だ。そんな狛治と目の前の人喰い鬼が似ているなんて、許せることではない。

 

夢の中の炭治郎は、病人服ではなく隊服を着て日輪刀を佩いている。柄に右手をやれば、ようやく鬼は彼へと目を向けた。

 

「俺は弱者には興味がない。黙ってそこで待っていろ、じきに喰らってやる」

 

本来なら耳に心地よいであろう声。しかし炭治郎は、それを聞くなり耳を塞ぎたくなった。

 

「答えろ! お前は誰なんだ!」

 

炭治郎の大声に鬱陶しげに眉を寄せ、鬼は食べかけの腕を血の沼へと捨てた。猫のように手の甲で口元をぬぐい、ぺちゃりと音を立ててゆっくりと歩いてくる。それは肉食獣が獲物に距離をつめる動きだった。

 

「うるさい小僧だ」

 

ドンと重たい踏み込みが響くなり、鬼の顔は炭治郎の目前にあった。長く豊かな睫毛まで狛治にそっくりで、しかし獰猛な表情は悪鬼のそれだ。突き出される拳をヒノカミ神楽の足さばきでかわし、返す力で抜刀する。薙いだ刀は鬼に触れることなく、少しの距離を広げただけだった。

 

「面白い動きだな。体術ではない……踊りか?」

 

鬼は一変して機嫌よさげな顔で、炭治郎は血なまぐささの中に僅かな好感まで嗅ぎ取ったことに混乱していた。

 

「小僧、名を名乗れ。俺は猗窩座だ」

 

「……竈門炭治郎だ」

 

「炭治郎、その舞踏の剣をもっと見せてくれ! すべてを見てから殺してやる!」

 

猗窩座と名乗った鬼が弾丸のように迫ってくる。空気を裂いて腹を狙う蹴りを刀で受けるも、あまりの膂力に炭治郎の体は毬のように宙を舞った。すぐさま追撃してくる拳を空中でくるりと避け、かろうじて攻撃をいなしながら落下していく。見えるなり消えていく隙の糸を選別し、どうにか鎖骨あたりに一撃を入れるが、その傷は見る間に塞がってしまった。

 

(凄い回復力だ。狛治さんと同じぐらいか。それにこの武術、凄く似ている)

 

一瞬の攻防で、すでに鬼との実力差は明確だ。幸いなことに夢の中では体は万全だが、日の呼吸で少しずつ蓄積される負担は現実と変わらない。長期戦になれば、確実に負けるとわかっていた。仮に猗窩座と狛治が同門であるのなら、相手はまだ技のひとつも繰り出してはいない。何より、狛治が得意とする、気配察知による後の先をとる戦法を使っていないのだ。

 

(来る!)

 

炭治郎の額から顎まで、汗が伝いおち、ぽとりと離れる。その瞬間、猗窩座の貫手が眉間に迫りーー

 

そこで夢は醒めた。

 

 




【登場人物紹介】

狛治/猗窩座
主人公。良い因果が報われるのを目の当たりにし、ある種の信仰に目覚めた。これまで以上に善行を積んで人々を護っていく所存。俺たちがしてきたことは間違ってなかった!

恋雪
ヒロイン。葵枝さんが疲れた顔をしていたので声をかけたら、狛治さんと主様が色々とおかしくなった。よくわからないけど、昨晩のことが解決したなら嬉しい。かわゆい。

金烏
ラスボス回避した巫女さん。職業柄、天国も地獄も因果応報も信じているが、自分に良い報いが返ってくるとは思わなかった。十二年で丸くなったのではなく、人間になったのだと気付く日は近い。

竈門炭治郎
原作主人公。蝶屋敷で入院中。母親が鬼に襲われたと知り、どこにいても安全ではないと思い知らされた。夢で上弦の参に出会った。鬼でも人でもストーカーはいりません。

竈門一家
お母さんの帰りが遅いと思ったら、懐かしい人達にエスコートされてきて吃驚。鬼に襲われた? 兄ちゃん、退院したら俺(私)たちにヒノカミ神楽を教えてよ!

錆兎・真菰
偶然近くにいて葵枝さんを助けたグッドカルマの権化。結界外だったので金烏は気づかず、完全に良い因果が巡ってきたかたち。今回のスーパーMVP。

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