つがいの人外、お出かけ日和ーー
※良い夫婦の日にちなんだもの、時間軸未定
とある11月22日、狛治と恋雪は朝から主である子供に呼ばれ、当主の私室に赴いていた。朝の鍛錬は終えているため、狛治は普段着の着流し姿だ。つい先日も同じようなことがあったが、あの時のようなよろしくない遊びはもうないだろう。二人の主は、時に悪戯もするが、実年齢をはるかに超えて聡明なのだ。
「ようきたな、二人とも。そこに座るがよい」
巫女姿の小さな子供―【八咫烏の家紋の御方】こと金烏は、今日も文机の前に行儀よく座っていた。前回と異なるのは、その隣に置かれているのが大きな長方形の木箱であるという点だ。舶来のものらしく、桐箱よりざらりとした表面には西洋の文字が刻印されている。
護鬼夫婦が並んで正座すると、金烏はすいと右手をかざし、箱を二人の前へと滑らせた。
「日頃よう働いてくれるそなたらへの労いだ。開けてよいぞ」
「はっ、ありがとうございます」
箱に施された紋は、横浜で見かけたことがある洋服店のものだ。狛治も恋雪も、金烏に与えられた衣服が充実しすぎているが、洋装はもっていない。帝都の大通りや、それなりの身分の者が出入りする場所での任務なら、背広が相応しいこともあるだろう。
そんなことを考えながら箱を開けると、中身の半分は想像どおりの男物の背広だった。もう半分は、綺麗に畳まれているものの、その色や生地から女物であることが明白だ。
「本日の任務を申し付ける。それを着て銀座辺りでデートをしておいで」
着つけは式神にさせるからなぁ、と笑う金烏。懐から懐紙の束を出して小さな手をぱんと鳴らせば、彼らを取り囲むように六体の影が現れる。白拍子のような装いにどこか金烏に似たのっぺりした顔の、同じ姿をした者たちだ。式神は箱から男物と女物を取り出し、三体に分かれて狛治と恋雪の周りに控えた。
「承知いたしました。洋装で外出してまいります」
「ふふっ、でぇとは久しぶりですね、あなた」
にこにこと嬉しそうな妻に、狛治もうんと頷く。揃って金烏に頭を下げた二人は、それぞれ式神に付き添われて別室へと向かった。
恋雪と分かれ、適当な六畳間にやってくると、式神たちが丁寧な手付きで着物を脱がせてくる。使役鬼になったばかりの頃は、式神相手とはいえ、こうして傅かれるのは慣れなかったが、今は力を抜いてされるがままにしていられる。貧しい長屋暮らしから、ろくに塒もない鬼の生活を経て、今は上物の洋服を誰かに着付けてもらっているのだ。人生も鬼生も一寸先はわからないものだ、と人ごとのように考えながら、広げられた白いシャツに腕を通す。
寸法を図った訳でもないのに、伸縮性に乏しい絹の布地はぴったり狛治の体を覆っていく。それもそのはず、狛治も恋雪も、彼らの人ならざる体は金烏が誂えたものだ。彼女が仕立てさせた衣服が体に合わない筈がなかった。
シャツだけでなく、西洋式の下着にスラックス、靴下、ベルトにベスト、銀緑色のタイ。次々と着付けられ、あまり着込むことに慣れない身が窮屈に感じはじめる。実際には、どの品もぴったり作られており、十分な可動の余地を残しているのだが、袖なし羽織りとゆったりしたズボンに慣れきった体が違和感を覚えるのは仕方がないことだった。
箱から出てきた小物類まですべて身につけ、最後に上着の袖に腕を通す。狛治の瞳に合わせた濃灰色の生地に銀糸で羽の刺繍が施されたそれは、間違いなく最高級品。軽く型の動きを試してみると、軽い戦闘なら問題ないほど良い出来上がりだった。最初は窮屈だったシャツも、手首のボタンを外せばさほど邪魔にはならない。上着と揃いの洋袴も、上段蹴りに耐えうるものだ。
式神の一体が大きな姿見を持ち込み、狛治の前に置いた。そこに映った己の姿は見慣れなさすぎて、いっそ絵物語でも見ているようだ。和装なら隠れる体の線がはっきり浮かんだ洋装は、狛治の姿勢の良さ、肩から腰にかけての締まった筋肉の形を一層目立たせている。上着で多少抑えられてはいるものの、逞しい首元やしなやかな手足と相まって、肉食獣の印象が際立つ立ち姿だ。暗色の帽子から覗く双眸も、影がかかっているせいか物憂げな美しさがあった。
「目立ちすぎないか、これは」
思わず独り言が溢れるほど目を引く変わり様に、狛治は少し困ってしまう。普段の己も十分目立っていることに無自覚なのだ。しばらく鏡の前で固まっていたが、閉じた襖の前の気配に気を取り直し、先に相手に声をかけた。
「開けていいよ、恋雪」
「狛治さん、お洋服はどうですか?」
そろそろと襖が開き、髪を下ろした少女が顔を覗かせる。襖が影になって可憐な顔しか見えないが、その顔がみるみる真っ赤になっていくのに、狛治もつられて頬を赤らめた。
「……おかしいだろうか」
瞳をこれでもかと見開いて見つめてくる恋雪に問い掛ければ、ぶんぶんと音がしそうな程首が横に振られる。
「違うの、すっ、素敵です!とても格好良くて、私ドキドキしてしまって、あう……」
「それなら良かった。恋雪の方も見せてくれ」
湯気が出そうな恋雪に、狛治は内心胸を撫でおろす。愛しい妻のお気に召したのなら、洋装も乙なものなのだ。襖の方に歩みより、恋雪の手がかかっているそれを押し開こうとすると、ささやかな力で抵抗された。
「あのっ、狛治さん」
「うん」
「へ、変だったら言ってください」
おずおずと見上げてくる恋雪は不安そうだ。金烏の趣味の良さは折り紙付きなので、似合わない服など贈るはずがない。狛治は、きっと可愛いだろうなという期待と共に襖を全開にして、そしてそのまま固まった。
恋雪の髪はおろすと素直な直毛だが、今は服装に合わせて緩く波立たせてあった。狛治より大分低い位置にある頭は、いつもの雪結晶の髪飾りのかわりに、桜色のレースと白いリボンをあしらった華奢なヘッドドレスが載せられている。小さな白い面は、舶来の陶器人形のような淡い色合いの化粧が施され、薄薔薇の唇は吸いつきたくなる可憐さだ。
(かわいい)
少女らしい細い首筋は立ち襟の白いフリルに飾られ、鎖骨が覗く程度に開いた前袷から一粒、薄紅の宝石の首飾りが覗いている。ブラウスは全体的にふわりとした印象で、華奢な体格を貧相に見せない巧みな作りだ。その上に重なるローズピンクのワンピースも、あまり胸元を強調せず、腰も絞りすぎない優しいデザインで、膝丈の裾を彩る真珠とレースのあしらいが素晴らしい。何より、裾から伸びた華奢なふくらはぎから足先までが、薄手のタイツ越しでもむしゃぶりつきたいほど扇情的だった。
(可愛い、一等可愛い)
「狛治さん?」
(あんなに足を見せていいのか。鎖骨も見えているし、ああ、かわゆいな。当たり前だ、俺の妻は日ノ本一かわゆい。洋装だと一層小さくてかわゆい。あの細っこい足で自分で歩かせて大丈夫だろうか。抱えていくべきか?こんなにかわゆいのを街に連れ出していいのか……まぁ、俺がついているのだから安全だが、他人の目に入れたくない。恋雪が減る気がする。だが主の命だ、でぇとに行かなくては)
「あの、やっぱり変ですか? は、はしたないでしょうか」
「いや、似合いすぎて、外に出したくないと葛藤していたんだ」
不安げな恋雪にきっぱりと言い返し、柔らかな両手を握る。けぶる睫毛を伏せてじっと見つめれば、恋雪は恥ずかしげに狛治の胸に頭を寄せて顔を隠した。
「狛治さんも格好良すぎて、他の人に見せたくないです」
可愛いことを言う妻に、堪らなくなって、その顎を指先ですくって唇を寄せる。折角の紅が落ちるかもしれないと脳裏を過ぎったが、胸を合わせて距離がなくなれば、そんなことは些末ごとだった。
「恋雪」
「あなた」
「そなたら、外出の任務を忘れておらぬか?」
触れるだけではない口づけを、とさらに顔を寄せたところで、下方からかけられた声に二人して肩を揺らす。狛治が気づかない筈がない距離にいつの間にか現れた子供は、薄い笑みを貼りつけて首を傾げている。
「玄関に羽織りと靴を用意してあるから、もう行っておいで。ああ、狛治、この店に注文してある品があるから、受け取りを頼む。別に急がぬから、最後でよいぞ」
「承知いたしました。どのような品でしょうか?」
「行けばわかる」
金烏から渡された紙片には、綺麗な筆記体で舶来の店名が記されている。護鬼として多少の教養を養いつつある狛治だが、流石に海外の物についてはわからない。それでも、金烏が言うのなら、そうなのだろうと納得した。
「うむ、流石は私の見立て。二人とも美しいなぁ」
上機嫌の金烏に褒められ、ときめきとはまた異なる気恥ずかしさで再び赤くなる。幼い当主は、そんな若夫婦を存分に愛で、満足げに執務に戻っていった。
「行こうか、恋雪」
「はい」
男物の革靴も女物の低いヒールの靴も、履き慣れない足には辛いものがあったが、幸い靴擦れとは無縁な体なので、よろめく恋雪が狛治の左腕を抱いて歩くことに落ち着いた。歩き慣れた後も、そのまま街を歩いていたのはご愛嬌だ。
その日、街行く人々は、上等なオーバーコートに背広姿の青年がふわりとしたショールにワンピースドレスの少女の手を引いて宝石店に入っていくのを微笑ましく見守った。そして二人が出てきたとき、初々しく赤面して繋がれた左手の薬指に揃いの指輪が光っていたのに、その場が優しい空気に包まれたのだった。
※ ※ ※
とある11月22日、銀座の高級西洋雑貨店の売り子をつとめる女は、店内に入ってきた若い夫婦を目に止めるなり、商品整理の手を止めた。その理由は多々あったが、最たる理由は彼らが身に着けているものが全て度を越した一流品だからだ。それも、裕福な者にありがちなただ値が張るものを身に着けているのではなく、己に最も似合う色合いとデザインで頭のてっぺんからつま先までコーディネイトしているのだ。
(彼らが自ら選んだ服装ではないわね。立ち振る舞いの訓練を受けているようだけど、高貴な方の側仕えといったところかしら。それにしては若すぎるし、どういった身分なのか。二人ともまだ十代じゃないの)
高級店の売り子らしく、失礼にならない程度に若い二人をちらちら見ていると、何度目かで青年の方と視線が合った。細身ながら筋肉質な体つきなので、若作りな男盛りの可能性も考えていたが、帽子を脱いで露わになった顔は思いのほかまろく、十代後半だと確信する。下がり眉に大きな釣り目の、すました獣のような顔は端正だ。
目が合ってしまったため、女はしずしずと頭を下げた。青年の方も会釈で返してくる。そして連れの少女に何やら言い、二人して女がいる髪飾りの売り場へとやってきた。
「いらっしゃいませ」
煩わしく思われないさじ加減で声をかけ、客が自ら見回りたいか、品を勧めて欲しそうかを計る。どうやら若い二人は自分たちで見たいようで、女はそれ以上は何も言わず、ガラスケースの後ろに静かに控えた。そして、丁度近くにやってきた彼らの姿をさりげなく観察した。
(女の子は美少女だけれど、ちょっと痩せ気味なのね。そう思わせないブラウスとワンピースのデザインが素晴らしいわ。首元やあしらいに目が行くようにして、華奢でも貧相には見えないようにしている。可憐な顔立ちを最大限に活かした化粧に全体的な色合いとフリルの使い方、見事ね)
「これなんか似合いそうだ」
「普段使いには豪華すぎないかしら」
「宝石もついてないし、いいんじゃないか。最近は着物にこういう舶来の飾りを合わせるのが流行りだろう」
銀製のコームを指さしてあれこれ言っている内容から、二人は夫婦なのだと推測する。年齢からして結婚したばかりだろうか。その割に気心が知れた関係のようでもあるが、幼馴染ならおかしくはない。そこまで想像しながら、女はにこやかに彼らに声をかけた。
「お客様、よくご存じですね。この頃はお着物に舶来の装飾品を合わせる和洋の組み合わせが流行しておりますよ。そちらの品は、奥様の御髪に大変お似合いかと思います」
「手に取ってあててみてもいいか?」
「どうぞ、御髪に挿してご覧になってください」
「ありがとう。恋雪、ちょっと触るぞ」
「はい」
奥様と呼んで否定しなかったため、心の中で二人を若夫婦と呼ぶことにして、女は手鏡を少女に手渡した。青年は器用に少女の右耳の上あたりにコームを挿し、うんと満足げに笑った。心底愛し気なその顔だけで、大変な愛妻家なのだろうとわかる。
少女の掌におさまる程度の大きさのコームは、野ばらと葉の繊細なモチーフのものだ。社交界で身につけるには地味だが、一般市民には高級すぎるといった、まさしく上流階級の普段使いの品。それを真っ先に選んだ青年は、一流品に囲まれて生活している誰かの側近だろうか。
「いいな、似合っている」
「素敵……」
普段あまり煌びやかなものをつけないのか、少女はもじもじと手鏡を覗き込んでいる。花が浮かんだような愛らしい瞳は嬉しげで、会計までは秒読みだろう。
案の定、青年はコームを優しく外すと「これを包んでくれ」と女に差し出した。ここまで近づけば、ぴったりの寸法で誂えられているコートと背広の下の体が、何らかの武道を修めた逞しいものであると見て取れた。姿勢の良さはもとより、鍛えていなければ得られない締まった腰や、コームを受け取った時に確かめた硬そうな指先は、ひとつの理想形だ。
強く凛々しい夫に、可憐で大人しげな妻。まるで絵物語から出てきたようなお似合いの二人に、女は観察することをやめて、綺麗に包んだ商品の値を伝えた。少女の方は値が張ると思ったようだが、青年は平然と支払いを済ませ、彼らは仲睦まじく店を後にした。
(素敵な夫婦だったわ。そういえば、旦那様の方の背広の刺繍……どこかで見たような)
濃灰の生地に銀糸で描かれた刺繍は、華麗な羽のあしらいと一羽の鳥だった。小さな鳥には足が三本あっただろうか。そこまで細かく見ておらず、すぐに次の客が寄ってきたため、女は思考を止めて営業の笑顔を浮かべた。
後日、宮内省からの発注文書に八咫烏の紋を見つけ、思わずヒエッと声を出してしまったのは、彼女だけの秘密だった。
【登場人物紹介】
狛治/猗窩座
主人公。デートの任務を与えられるのは初めてではない。洋服は窮屈だが、奥さんに大好評だったので、今後もデート着として採用予定。コームは給料一か月分ぐらいの品。金烏がオーダーしてあった結婚指輪は給料三か月分だった。なお、外出時は闘う可能性があるため、指輪は屋敷でしかつけない派。
恋雪
ヒロイン。初めての洋装は足元がすーすーして恥ずかしかったが、旦那様に大好評だったので、今後もデート着として採用予定。贈られたコームはオフの日のお気に入り。指輪は狛治さんがつけているときだけ一緒にする派。
金烏
ラスボス系巫女さん。可愛がっている手駒にお洒落デートと結婚指輪(の手配)を贈った。なお、指輪はオーダーだけして狛治の給与から分割で天引きした。事後とはいえ本人了承済みである。洋服のデザインはお針子泣かせのこだわりまくった注文だった。
モブ店員
高級西洋雑貨店(後のデパート)のアクセサリー売り場の売り子さん。品が良い感じの中年女性。見目も身なりもいい若夫婦を熱心に観察していた。それなりの値の品を売り上げてホクホクだったが、後日、二人が宮城のさる屋敷の縁者と気づいて仰天した。