使役主の不調とその影響についてーー
※原作開始7年前→1年前
格子から入りこむ月明りだけでも、狛治には可愛い妻の頬が薔薇色になっているのが見て取れた。すでに浴衣の帯は緩められ、悪戯な左手が袷の中へと忍び込んでいる。なめらかな鎖骨あたりを撫でてやると、花が浮かぶような可憐な瞳が潤み、雄弁にもっと触ってほしいと訴えてきた。
「恋雪、可愛い……」
ちゅ、と唇をついばみながら体を合わせ、袷に手をかける。恋雪が恥ずかしがりながらも脱がせてくれた狛治の浴衣はすでに布団脇に脱ぎ捨てたため、彼女の目には逞しい上半身が映っている。
いよいよ宝物を開けるような丁寧さで浴衣の前が開かれていく間、恋雪はたまらなくなって目を閉じた。口づけだけで色づいたであろう体を見られるのは、いつだって恥じらいと歓喜が綯交ぜになって、美々しい夫の視線から逃げてしまうのだ。
恋雪はじっと胸元に冷たい空気が触れるのを待っていたが、数秒しても狛治が動かないので、薄目をあけて仰ぎ見た。
「何だ? これは」
誰かわからないほど、高くまろい声。腰あたりに座り込まれて重たいはずなのに、起き上がれないほどではなく、驚いた恋雪が体を起こせば相手はころりと後ろに倒れた。
「え……狛治さんなの?」
「恋雪、俺はどうなってる」
「とても小さくて可愛いです」
はだけた浴衣を直すことさえ忘れた少女が真顔で言う。
「幻覚じゃないのか……」
恋雪の足元で項垂れる狛治の姿は、初めて出会った頃の金烏と同じぐらいの小さな子供だ。まあるい輪郭に大きすぎるほどの猫目、そして西洋人形のような豊かな睫毛。筋肉のかけらもない柔らかく短い手足とふくふくした体。前腕の刺青は当然なかった。
全裸で幼児になってしまった狛治は、とりあえずぶかぶかになった浴衣をたぐりよせ体を隠した。そして、何も言わなくても恋雪が身支度をしているのにホッとして、どうにか布につまづかないように立ち上がる。
「主のもとに急がねば。恋雪、すまないが抱き上げてもらえるか?」
「ええ、喜んで!」
華奢な妻に頼むのは躊躇われたが、言ってみれば喜々として抱き上げられた。流石に軽くはなかったようで、戸を開くために片腕に抱いた時はふらついていたが、渡り廊下から母屋に向かう足取りはしっかりしていた。
金烏の部屋は屋敷の奥の方にある。すでに下働きはほぼ帰宅し、住み込みの女官らも寝静まっている。薄暗い照明をたよりに歩く恋雪の腕の中から、できる範囲で五感を確かめた狛治は、一応は鬼の体であることに安堵していた。
「主様、主様、遅くに申し訳ありません。狛治さんの様子がおかしいんです。入室してもよろしいでしょうか」
「……けほっ、よいぞ。大方予想はついておるからなぁ」
入っておいで、と掠れた声で返され、恋雪は廊下で膝をついたまま襖を開けた。その間、下ろされていた狛治は、大きすぎる浴衣に埋もれながら金烏の声がおかしいことを気にかけていた。
「お休みのところ失礼いたします……主!?!」
襖があくなり入室した狛治が暗がりで見たのは、布団から体を起こし、林檎のように真っ赤になって全身から熱気を発している子供だった。就寝用の襦袢姿の金烏は、ぜいぜいと肩で息をしながら若夫婦を迎えた。
「すまんなぁ、このとおり夜から熱が出て、ゲホッ、ゲホッ、結界維持のため、ほかの術を緩めておるのだ」
「そうでしたか。どうかご無理はなさらず、安静になさってください」
布団脇まで早足で進み、そろって座り込んだ狛治と恋雪に、金烏は辛そうにうなずいて横になる。熱でうつろになった平凡な瞳が狛治をとらえ、顔色に反して青ざめた唇が笑った。
「ふふっ、かわゆいなぁ、狛治」
「主……」
「私より小さい、ふふっ、ゲホゲホッ」
喋るごとに大きく咳こみ、ついに横向きに丸まってしまった金烏に、護鬼夫婦も顔色を悪くする。二人とも看病はお手の物だが、今の狛治では役に立たないため、恋雪が先に身を乗り出した。
「主様、女官のみなさんはご存じなのですか?」
「ゲホッ、ズズッ、いや、情けないが、床から動けなくてなぁ」
「私が呼んできますから、あなた、主様をお願いね」
「ああ、任された」
恋雪が走り去ると、部屋には金烏の苦しい息だけが聞こえるようになる。意識が朦朧としているのか、狛治が汗ばんだ手を握っても、あまり反応はなかった。ただ、掠れた声で「かわゆいなぁ」とつぶやきが聞こえただけだった。
真夜中に呼ばれた医師が処方した薬で金烏の熱は翌日中に下がり、狛治の体もすぐに元通りかと思われたが、18歳の肉体に戻れたのは三日後のこと。
幼児の姿をしていた間、主人にも妻にも猫かわいがりされ、構われ疲れた狛治が押し入れに逃げ込んだり、高い木の上に避難したり、屋根の上に隠れたりする一幕があったが、数年後にも困ったことが起きるとは、この時は誰も露にも思っていなかった。
※ ※ ※
その日、狛治は鬼殺隊本部まで使いに来ていた。金烏から産屋敷耀哉への書簡を手渡し、返事を待つ間に、耀哉が呼び出した柱との手合わせを楽しむのはいつものことだ。
「おらぁッ!!」
「いいぞ、不死川! 隙ありだ、狛治!!」
弐ノ型 爪々・科戸風ーー
伍ノ型 炎虎ーー
風柱・不死川実弥の技で前方の空間が縦に裂かれ、炎柱・煉獄杏寿郎によって前方全体が燃える斬撃に埋め尽くされる。その猛攻を浴びた狛治はというと、あえて避けずに右手左脚を犠牲に前に飛びだしていた。手足を生やしつつ砂埃の中を突っ込んできた護鬼に、間合いを詰められた実弥は果敢に切りかかったが、貫手を胸倉に添えられて死亡判定となった。
「くそっ! すまねぇ煉獄」
「気にするなっ」
狛治の爛々とした獣の瞳と、杏寿郎の常時見開かれた燃える瞳が交差する。にぃと好戦的に笑った鬼は、乱打による衝撃波を放ち、己に有利な中距離から攻める。対する杏寿郎は、持ち前の反応速度で何度も距離を詰め、白い袖なし羽織を斬り飛ばす程度には手傷を負わせた。しかし、勝ちの判定となる頸を取ることはできなかった。
「ぐうっ、しまった!」
「終わりだ、杏寿郎!」
炎色の日輪刀が狛治の肩から胸に食い込み、一気に両断しようとしたが、割れた端から塞がる傷に刃が止まり、締められた筋肉で抜けなくなる。気づいた杏寿郎は狛治を蹴り飛ばそうとしたが、狛治の右こぶしが彼の側頭部に触れる方が速かった。当然ながら、死亡判定である。
今日の手合わせはどちらかが全滅したら終了のため、柱二人は悔し気に納刀し、狛治も持ってきていた小さな荷物から替えの羽織を出して身に着けた。
「お前の回復力どうなってんだぁ、この化物め」
「相変わらずえげつない速度で再生するのだな、狛治!」
それぞれ歯に物を着せない言い方をしてくる実弥と杏寿郎に、狛治は意地悪いすまし顔で返す。
「鬼だからな、理不尽にできているんだ。あ、何だ……?」
何か鼓舞する言葉をかけようとしていた口が、ぽかんと半開きで止まる。それは、自らの半分むき出しの上半身や腕を見下ろす狛治だけでなく、彼の正面に立つ柱たちも同様。三人揃って無言で数秒すぎ、最初に我に返ったのは、顔から火が噴き出そうな風柱だった。
「おっ、お前ぇ、何で乳が生えてんだよ!? 早く隠せぇ!!」
「あっ、ああ、そうか、これは俺の胸か」
「二人とも錯乱するんじゃない! 狛治、これを着て前を合わせておけ!」
死ぬほど赤くなった実弥と真っ青になった狛治、そして無表情を貫く杏寿郎。誰一人として冷静ではなかったが、炎柄の羽織を脱いで狛治の上半身を包んだ杏寿郎は、まさしく紳士だった。その際、瞬きを忘れたような眼力が真っすぐ豊満な胸元に向けられていたのはご愛敬だ。
「……女になっている。まさか主に何かあったのか」
杏寿郎の羽織の下でぺたぺたと自らの体を触って確かめた狛治が小さく独り言をこぼす。あまり高くない、甘い声音だ。それをしっかり聞いた男二人は、改めて目の前の護鬼を観察した。
短い黒い髪と血色がよい肌は変わらない。まろい顔立ちとけぶる睫毛の目元もそうだが、下がり眉と口元はより繊細なつくりになっており、勝気そうな少女でしかなかった。最も違いが顕著なのは羽織に隠された体つきで、もともと中背以上にあった背丈は杏寿郎の肩ほどまで縮んでおり、惚れ惚れする逞しさは見る影もない。小さな肩幅と羽織を抑えるたおやかな手は完全に女性のものだ。
「すまないな、二人とも。使役の術に不具合がでたようだ。じきに戻るはずだが、取り急ぎ【八咫烏の家紋の御方】に連絡を取る」
「それがいい。体の具合は大丈夫なのか、狛治」
「問題ない。少し離れるぞ」
「おう、行ってこい」
あからさまに視線を合わせない実弥に苦笑しつつ、狛治は荷物から手鏡を取り出し、少し離れた木陰まで移動した。親指に牙で傷をつけ、鏡面にわずかに血を塗りつける。すると白銀の光が鏡を見たし、待っていたかのように愛しい妻の声が聞こえてきた。
「狛治さん、何もおかしなことは起こっていませんか?」
「女になってしまったが、体調は問題ない。性能はいささか落ちているな。恋雪、主は大丈夫か」
「昼から風邪で臥せってしまわれて、今はお医者様を待っているところです」
沈んだ恋雪の声に、何年も前に同じようなことがあったのを鮮明に思い起こし、納得する。
「やはりそうか。他の重篤な病ということはないのか?」
「それは大丈夫です。女官の中にそういうモノが見える人がいるのだけど、間違いなく風邪だって言っていたわ」
「わかった。俺は男に戻ってから宮城に帰ることにするよ。それまで主を頼む」
「はい。狛治さんも気を付けて帰ってきてください」
名残惜しい気持ちもあったが、変わってしまった声で恋雪に語りかけるのは違和感がありすぎた。狛治は鏡を片付け、まだ動いていない杏寿郎らに目を向けた。
「杏寿郎、すまないが屋敷に泊めてくれるか。明日には元通りだと思うが、このままでは自衛もままならん」
「ああ、構わないとも」
「待て待てぇ、男所帯に泊まるのはなしだ! 胡蝶のところに行きやがれ!!」
申し訳なさげに言う狛治に快諾する杏寿郎、そして駄目だ駄目だと割って入る実弥。三人のやり取りは、金烏への返事を用意してきた耀哉と彼の手をひく内儀にすべて聞かれており、結局、狛治はあまねの着物を着つけられ、柱二人を護衛にして蝶屋敷に向かうことになったのだった。
「あらまぁ、狛治さん、とっても可愛いわ!」
耀哉から先ぶれが来ていたらしく、蝶屋敷の玄関では胡蝶姉妹が狛治らを待ち構えていた。少女姿になった狛治を一目見るなり、カナエは手をあわせて感嘆の声をあげ、しのぶは目が零れそうなほど凝視した。
「杏寿郎、実弥、ありがとう。後はカナエ殿たちの世話になるから、もういいぞ」
「ああ、男に戻ったらまた手合わせをしよう。それでは失礼する!」
「気にすんじゃねぇよ。さっさといつもの化物に戻っとけ」
それぞれ帰っていく二人に手を振り、改めて美しい姉妹へと向き直る。今の狛治はカナエと同じぐらいの身長だ。
「急に押しかけてしまってすまない。一晩だけ泊めてもらえるだろうか」
「お館様から連絡をいただいています。狛治さんならいつでも歓迎ですよ」
「ええ、どうせなら恋雪さんも一緒に女子会がしたかったわね」
「姉さん……」
にこにこと中へと案内してくれる二人について行く狛治が、廊下の大鏡の前で自分の変わりように凍りつくのは数秒後のことだった。
【登場人物紹介】
狛治/猗窩座
主人公。二度も大変な目にあったが、主の健康状態の方が気にかかる部下の鑑。少女姿は超グラマーな美少女だが、本人は邪魔な胸と消えた筋肉の方にショックを受けた。蝶屋敷には予測どおり一晩だけお世話になり、ダッシュで宮城に帰っていった。
恋雪
ヒロイン。主様が風邪をひくと昔を思い出して悲しくなる。看病は女官がしてしまうため、たまに部屋を覗くことしかできないのがもどかしい。幼児な狛治さんを堪能した。女の子になった狛治さんを見たかったとかわゆく拗ねる。
金烏
ラスボス系巫女さん。自己管理がしっかりしており、基本的に病気とは無縁。4歳以降に風邪で倒れたのは2回だけだが、狛治に影響が出て内心申し訳なく思っている。幼児な狛治さんを猫かわいがりして逃げられた。
炎柱と風柱
いつもどおり血みどろな手合わせをしていたら、いきなり友達に乳が生えてびっくりした。むき出しの袖なし羽織でも、ちゃんと着ていてよかった。ほぼモロ見えの某牛若ルックは大正時代には早すぎたうえ、見た目がグラマーな美少女なのでうっかり意識してしまった青少年に合掌。