※竈門一家の引っ越し後→原作開始10年前→竈門一家の引っ越し後
麹町の古い大店が諸事情で廃業することになった時、近所ではその跡地に何が建つのかがもっぱらの噂の話題だった。新しい店舗が開くと思っていたものが大半だったのだが、その予想は大きく裏切られ、あれよという間に新築の香りをふりまく小さな邸宅が完成し、翌週には、見目は良くとも垢ぬけない母子7名が入居していた。
もともと山住まいの炭焼きだという竈門一家は、大黒柱を失い途方に暮れていたところを、さる理由からやんごとなき方の支援を受け引っ越してきた、というのが、その支援者の使いを名乗る若者が近隣の住民に一軒一軒まわって説明した内容だ。怪しさ満載の話であったが、それを述べたのが、身なりが良い睫毛が豊かな美々しい青年だったせいか、疑念を口にする者はいなかった。
「失礼する」
「あ、狛治さん、おはようございます。兄を呼んできますね」
「ああ、おはよう禰豆子。頼むよ」
真冬の夜に一家を帝都までつれてきた男―やんごとなきお方の使いこと狛治は、それからほぼ毎日、新居に顔を見せていた。
引っ越しの日、宮城での【八咫烏の家紋の家】当主への目通りは深夜に行われ、その後、へとへとになった母子は、新しい家への感嘆もそこそこに、広間に上がるなり畳で雑魚寝した。彼らに伴っていた狛治と恋雪は、布団に寝かせてやるべきかと悩んだ末、起こさないように掛け布団だけかけてやり、宮城へと帰ったのだった。
山を出てからの出来事は目まぐるしいものだったが、桜が咲く頃になれば葵枝も子供達も帝都での新生活にも慣れてきて、炭治郎以外の子供たちは学校に通いはじめた。葵枝は、件の当主―金烏に気に入られ、日中だけ宮城内の屋敷の下働きとして働いている。金烏曰く、経産婦でなければ上位の巫女になれたであろう逸材だそうで、禰豆子と花子にも熱い視線が向けられていた。とはいっても、金烏は他に優先することがあり、炭治郎以外の竈門家に構うつもりはなさそうだったが。
「狛治さん、おはようございます!」
廊下をぱたぱたとかけてくる赫灼の少年に、狛治は気安く笑いかけた。
「おはよう、炭治郎。今日の昼から鬼殺隊士が呼吸と剣術の指南に来るぞ。しばらく滞在してお前につくことになる」
「わあ、楽しみです! 朝の訓練は何をしますか?」
「軽く体をほぐしてから、受け身の練習だな。道着に着替えたら中庭においで」
「はいっ」
金烏に使役されている身の狛治は、特に炭治郎の教育方針にこだわりはなく、主に命じられるままの内容を口にしているだけだ。それでも炭治郎は連日のしごきにやりがいを感じているようで、打撲や擦り傷だらけになっても嬉しそうにしている。人間時代の狛治がそうであったように、炭治郎も努力型の才能の持ち主だった。
くるりと自室へ駆けていく少年の背を見送り、狛治は履物を脱いで竈門家に上がった。すでに勝手知ったる間取りを中庭まで進み、上着だけ脱いで縁側においてから、砂が敷き詰められた広場になっているそこに素足で降りる。夜風に冷えた砂地は湿気を帯びていたが、狛治は気にせず庭の中央辺りまで進み、晴れ空を仰いだ。
「……眩しいな」
帝に侍る【八咫烏の家紋の一族】である金烏は、天照大神を祀る巫女である。このため、彼女の呪を受けている狛治は太陽のもとにある方が力が発揮できるのだが、長く夜を生きる鬼であった過去は拭えない。十年たった今でも、恋雪が隣にいない時は日に焼かれる錯覚をするほどだ。
恋雪は、初日以降の竈門家への訪問には伴っていない。それは金烏の指示であり、狛治は多少の寂しさを感じながらも主の意向に逆らうことはなかった。
(炭治郎の浄化力が強すぎるのだったか。)
金烏曰く、竈門炭治郎の限りなく【陽】に振りきれた存在感は、恋雪のような幽世の者には毒なのだ。狛治に対する強い心残りで現世に残っているが、まかり間違って成仏するようなことがあれば、今生では二度と会うことができなくなる。
(鬼舞辻と戦う上では、最高の資質だと仰っていたが……あの優しい気性で奴を倒せるのだろうか。)
雑念へと逸れていく思考は、近づいてくる元気な足音に断ち切られる。考えるよりも鍛錬あるのみ、と鋭く息を吐き出し、狛治は仮の弟子を待ち受けるのだった。
※ ※ ※
狛治と恋雪の祝言は、金烏との出会いから二月後に、新郎新婦にとってなじみがない神前式として執り行われた。儀式を取り仕切ったのが巫女であったからだが、参加者が僅か五名のささやかな式は確かな幸せに包まれていた。
厳かな雅楽が流れる中、白い単に赤袴をまとった小さな主が朗々と祝詞を唱える。早朝から女官らに白無垢を着つけられ、いつに増して美しい恋雪の綿帽子からのぞく横顔が薄紅に染まっている。参列者として少し離れて座している父と慶蔵は、声と姿だけの亡霊の筈だが、慶蔵が声を押し殺して号泣しているのと、父が泣き笑いを浮かべてその背を撫でている様子は、生前よりも活き活きしているように見えた。
(夢じゃないのか。俺なんかが、こんなに幸せでいいのか?)
ふと恐ろしくなって視線を落とせば、丁寧に着つけられた黒羽二重の袖が目に入る。そっと右手で左の袖をめくり、そこに残った藍色の三本線を食い入るように見つめた。
(どれだけ人を喰ったかなんて、とうに忘れた。喰うため以外にも何人だって殺した。親父も慶蔵さんも恋雪さんも助けられなかった弱い男だ。大事なことをずっと忘れていた負け犬だ。それなのに、本当に、いいのか?)
祝詞の声が遠ざかり、胸の奥から嫌な鼓動が聞こえてくる。ぐう、と喉がなりそうになったその時。
「狛治さん」
白い袖口に隠れた小さな手が隣から伸びて、優しく狛治の甲に重ねられた。少しひんやりとした、恋雪の手だった。
「私と、夫婦になってくれますか?」
はっとして見つめた恋雪の顔は、綿帽子に隠れている。ぽたりと白い膝に落ちていく雫を認め、狛治は愛しい手を握り返した。
「はい、今度こそ必ず、一生あなたを守ります……っ」
いつしか祝詞は終わっており、三々九度の盃から御神酒を口に含む。水さえ必要としない鬼の体に、じわりと染み込むその味は、きっと幸福の味だと思った。
※ ※ ※
午前を受け身の練習に費やし、炭治郎が葵枝が用意しておいた昼食をとっている間に、中庭で素流の一人稽古を行う。そうしているうちに表に良く知る気配がやってきたため、狛治は足をふいてから玄関口へと向かった。その後ろには食器を片付け終わった炭治郎が続いている。
子供たちが学校で出払ったため、今は狛治と炭治郎しかいない。客を迎える準備もできていないが、稽古しかしないならいいだろう、と引き戸を開いた。
「おお、狛治。久しいな!!」
今まさに戸を叩こうとしていた若い男は、特徴的な獅子のような髪と大きな瞳の印象にたがわず、大声で挨拶をする。笑顔で狛治の肩を叩いた拍子に、男がまとった羽織が浮き上がり、炎の柄が舞った。
「杏寿郎、よく来てくれた。壮健で何よりだ」
狛治も上機嫌で言葉を返し、男を中へと迎え入れる。この男こそ、炭治郎に剣術と呼吸の稽古をつけるために派遣された鬼殺隊員ー炎柱・煉獄杏寿郎だった。その大柄な体から繰り出される剣技は輝かんばかりに研ぎ澄まされ、まさに快男児といった裏表のない人柄も素晴らしい。初めてまみえた時から、彼は狛治の大のお気に入りだった。
「杏寿郎、こいつが竈門炭治郎だ。まだ子供だが見どころがある。産屋敷殿から聞いていると思うが、神楽という形で日の呼吸を継承する者だ。炭治郎、この男は煉獄杏寿郎。鬼殺隊最強の柱と称される剣士の一人、炎の呼吸を使う炎柱だ」
「はじめまして、竈門炭治郎と申します! お忙しい中、お時間をいただきありがとうございます!」
礼儀正しく深々と頭を下げた炭治郎に、杏寿郎はその常時見開いているような眼力のまま笑う。
「良い挨拶だ、竈門少年。お館様より、君を強い剣士に育てるよう申しつけられている。厳しくいくぞ!」
「はい、よろしくお願いします!」
杏寿郎の勢いに乗せられて炭治郎の瞳も爛々としてくるのに、狛治は仕方がないなと客人を奥へと促した。
「うむ、しっかり面倒を見てやろう。大船に乗ったつもりで、炎の呼吸の習得に向け励むことだ!」
「まて、杏寿郎、どの呼吸を教えるかはまだ決まっていないぞ。お前の剣技は素晴らしいが、思うに、日の呼吸と組合わせるには些か激しすぎる。まずは剣術の基本を教えてやってくれ」
「そうなのか? まあ良い、適性を見極めるのも役目のうち。炎の呼吸が合うようなら、本格的に弟子にとりたいものだ!」
うきうきとした杏寿郎が継子を探しているということを思い出す。鬼殺隊で最も親しくしている杏寿郎を名指しで指名したのは早計だったかと考えかけ、しかし炭治郎のような少年には、こういった爽やかで熱い男が相性が良いだろうと懸念を追いやった。
「受け身の取り方は教えてあるから、そう怪我はしない。全面的にお前にまかせるよ」
日の呼吸の継承者の育成は、鬼殺隊の頭領・産屋敷耀哉にとっての最重要案件のひとつであり、専任の担当地域をもつ杏寿郎を向こう十日もの間、派遣してくるほどの入れ込みようだ。杏寿郎から剣術の基本と全集中の呼吸を習得し、その後は【日】以外で適性が高い呼吸の育手について型を学ぶ。耀哉から提示された育成計画は、金烏のそれと凡そ変わらず、狛治が竈門家につきっきりの現状が終わることを意味していた。
訓練をはじめるべく中庭に降りていく杏寿郎と炭治郎を横目に、狛治は置き去りにしていた上着を羽織り、廊下に腰を下ろす。
(炭治郎が一人前になるまで、長くて二年。才能が抜きん出ているというほどではないが、本人のやる気は相当なものだから、甘さを消すことができれば、藤襲山の選別は問題なく生き抜くだろう。問題は、竈門一家を見失ったであろう鬼舞辻無惨が、どう動くか。炭治郎が鬼殺隊士として活躍すれば、必ず鬼舞辻の知るところになり、集中的に狙われることになる。主は自らの力で乗り越えさせろと仰ったが……)
木刀を渡され、とにかく打ち込んでみろと言う丸腰の杏寿郎に向かっていく少年は、会ったばかりの相手にも力になってやりたいと思わせる程に良い人間だ。それは護鬼の狛治も例外ではなく、似た者ばかりの竈門一家は全員漏れなく彼の庇護対象となっていた。
がむしゃらな一撃を素手で捌かれ、ころりと転がされる様子に、自分が教えた受け身が取れているのを見て嬉しくなる。いつか炭治郎が下弦の鬼を一人で倒せるぐらいに成長したら、その時は一武闘家として手合わせするのもいいと思った。
(何にせよ、まだ猶予がある。しばらくは恋雪を連れて鬼退治の旅に戻ることになるな。)
花々が美しい季節の間に、恋雪が気に入りそうな名所を巡ることを考え、知らず口角があがる。炭治郎の行く末は狛治が案じたところでどうにかなるものではないのだ。それなら、彼の成長を楽しみにしておけば良い。
(強くなれ、炭治郎。杏寿郎や他の柱たちに並ぶほどに。)
楽しげな炎柱が檄を飛ばす声と容赦なくしごかれる少年の気合いの声が響く中、鶯が合いの手のようにひとつ鳴いた。
【登場人物紹介】
狛治/猗窩座
主人公。炭治郎に少しだけ体の動かし方を教えた。煉獄さんとは仲良し。奥さんとの旅に戻るのがとても楽しみ。
恋雪
ヒロイン。狛治さんのお嫁さん。逆プロポーズのプロ。白無垢が似合いすぎるかわゆい子。
お父さんズ
子供達の祝言に参列して号泣した。
金烏
ラスボス系巫女さん。四歳にして部下の結婚式を取り仕切った。産屋敷さんと文通してる。葵枝さんにお母さんを重ねているかもしれない。
竈門一家
初っ端から一軒家を与えられてビックリした。仕事と学校の世話までしてもらってとても感謝している。新生活にようやく慣れてきた。
煉獄さん
狛治とは仲良し。柱になる少し前に出会い、その時から気に入られている。二人の手合わせは、真剣で狛治が切り刻まれるのと、人間ゆえのスタミナ切れで煉獄さんがぶっ倒れるまでがお約束。継子を絶賛募集中。