古刀の神と煉獄の剣士――
※刀剣乱舞とのクロスオーバー、未プレイでも問題ないです。
遠くで雅楽の音が聞こえた気がして、杏寿郎は足を止めた。辺りは緑が深い木々に囲まれ、朝露と苔生した石段から瑞々しい香りが漂っている。
(はて、俺はどこに向かっていたのだったか)
杏寿郎が身につけているのは、炎柄の羽織と黒い詰襟の隊服だ。しかし腰に日輪刀はなく、上弦の陸との戦いの最後、あの爆発を迎え撃った際に折れてしまったのだと思い出す。昏睡状態だった間に、刀鍛冶が新しい刀を打ってくれたというのに、何故それを佩いていないのか。幸い、辺りは木々で陰っているとはいえ、今は昼間だ。鬼に会うこともないだろうと判断し、屋敷に帰ることにした。目覚めたとはいえ静養中の身なのだ。
「おや、帰ってしまうのか」
踵を返したところで、石段の上の方から声をかけられる。そちらを向いていた時には誰もいなかったというのに、まさか見落としていたのだろうか。やや警戒して向き直ると、十段ほど上がったところにある立派な鳥居の下に、華奢な人影が立っていた。
「すまぬな、驚かせるつもりはなかった」
ころころと笑う声は、少年と大人の過渡期にあるものだ。少し目を凝らせば、赤と黒の鮮やかな色合いの水干を纏った、14、5歳ほどの少年だと判別できた。絹のような黒髪を翼のような形に結い上げており、紅をさした白い面は、これまで杏寿郎が目にしてきたどの人間よりも美しい。いっそ、寒気がするほどの美貌だ。艶かしい細い腰に、不釣り合いなほど立派な太刀を佩いている。
「いや、気にしないでくれ。君が突然現れたように思ったのだ」
「おお、そうであったか」
平安絵巻から抜け出てきたような少年。その現実離れした様子に、杏寿郎はもしや鬼かと考えかけたが、相手が陽光のもとにいることで疑いを放棄した。相手から害意は感じない。世の中には、護鬼狛治のような者も存在しており、鬼舞辻無惨に与する鬼でも人を害する者でもなければ、炎柱が敵意を向ける理由はないのだ。
「ところで少年、聞きたいことがあるのだが」
「なんぞ?」
杏寿郎の宝石のような瞳に、少年の黒曜石のようなそれがぴたりと合う。
「ここはどこだろうか」
「ここは我の神域よ。久々に現世に目を向けていたら、そなたが気になって、つい招いてしまった。許せ」
用が済めば返す、と笑う相手は参道の中央に立っている。神が通るこの道は、彼のために誂えられたものなのだろう。ざわざわと音を立てていた木々も、少年が現れた途端に静まりかえり、まるで主人に首を垂れているかのようだ。
「君は、いや、貴方は神だと仰るか」
「うむ。我は小烏丸、平家の重宝にして帝に捧げられし太刀、その付喪神よ」
少年が名乗った途端、杏寿郎は目の前の世界が一気にひらけたような錯覚を覚えた。あらゆる色が煌めきを帯び、五感が持て余すほどの鮮烈さに包まれる。これが神の住う場所か、と思い知るとともに、崩れそうな膝に力を込める。ぐらついた体を留めた杏寿郎に、古刀の化身はほうと口角をあげた。
「この場にあって我に跪かぬとは、天晴れ天晴れ。ふふっ、久々の客人だ、ゆっくりして行くとよい。さ、着いてまいれ」
機嫌よくそう言って、小烏丸は鳥居の向こうへと行ってしまう。杏寿郎はその背をじっと見つめ、すぐに覚悟を決めて後を追った。この場の主人は、あの美しくも恐ろしい神なのだ。招かれたならそれに預かり、気まぐれに甘えるのが吉。八百万の一柱に見えるのは初めてだが、自然とそう思えた。
石段を上り切って見えた小烏丸の社は、一軒家ほどの大きさの慎ましいものだった。参る人間がいないためか拝殿等はなく、落ち葉ひとつ乱れがない境内には本殿だけがある。石畳の端の方を歩いてきた杏寿郎が入り口の階段で足を止めれば、小烏丸はすでに社殿の障子を開いてまっていた。
「履き物を脱いであがっておいで」
「……失礼する」
杏寿郎はさほど信心深いたちではない。寺にも神社にも参拝することはあれど、信仰という意味では、概念的な神仏よりも現実の人間の尊さを信じてきた男である。つまり自分の目で見たものは信じるということだ。
小烏丸が足を踏みいれた本殿には、ほかに誰の気配もなかった。それなのに、すぐさま燭台に火が灯され、十畳間程度の室内は外の朝冷えとは無縁の心地よさとなる。部屋の奥には祭壇と刀置きがひとつ。小烏丸は腰の太刀ー彼の言葉のとおりなら、彼自身である刀をそこに置き、部屋の中ほどに現れていた二つの膳のうち、上座の前に腰を下ろした。視線で促された杏寿郎も対面に座し、あらためてこの場の主に頭を下げた。
「そう肩肘張らなくともよい。我が招いたのだからな」
「貴方のことはどう呼べばよいだろうか」
「小烏丸でよい」
「では、小烏丸殿。俺は煉獄杏寿郎。こうしてお招きいただき感謝申し上げる」
この場にいるのが神職のものだったなら、杏寿郎の堂々とした物言いと軽々しい名乗りに震え上がったことだろう。若い姿をしていても、小烏丸は付喪神としては非常に古く力がある一柱だ。赤ん坊にもひとしい初対面の若者が、許しも得ず視線を合わせていい相手ではない。しかし、当の小烏丸は、えもいわれぬ美貌に笑みを載せ、膳に用意された徳利を手にした。
「杏寿郎……良い名であるな。家名もなかなか趣がある」
「ありがとう。名前を褒められるのは初めてだ」
「ふふっ、名は体を表すというだろう。煉獄杏寿郎とは、そなたそのもの。誠に良い名だ、何より美しい魂だ。うん、気に入ったぞ」
少女のような白くたおやかな手が白磁の容器を差しだし、杏寿郎が手にしたお猪口に酒を注ぐ。杏寿郎も同じように注ぎ返せば、ふわりと日本酒の香りが漂った。二人して口をつけ、その美味に小さく息をついた。
「美味い! これはどういった酒だろうか」
「さて、我が娘が奉納してきたものなのだが銘は知らぬ」
「御息女がおられるのか」
「実子ではないが、我と同じく八咫烏に縁深き娘よ。そなたも知らぬ相手ではないぞ」
「まさか、【八咫烏の家紋の御方】か?」
確かに、杏寿郎にとって知らない相手ではない。顔も名前もわからなくとも、その存在は戦友の護鬼を通じてよく知っているのだ。御所内から鬼殺隊に助力している、やんごとなき身分の若き女性。鬼殺隊にとっては、政府に様々な便宜を図ってくれる協力者にして、強力すぎる遊撃戦力をもつ得体が知れない相手だ。
「確かそのように呼ばれておるな。この父に甘えてはくれぬが、礼節を重んじる良い娘よ」
小烏丸が片手にしている徳利には、確かに八咫烏の紋が入っている。不思議な縁に思いをはせる杏寿郎だったが、楽しげな相手に現世(そと)の話を強請られ、いつしか弟にするように各地で見聞きした出来事を話していた。
甘露のようなとろりとした酒は尽きることなく、本殿を満たす杏寿郎の大声の語りと上機嫌な刀神がころころと笑う音も、また途切れることがない。日輪刀の話から小烏丸の逸話へと話題が移り、興がのった付喪神から抜身の本体を持たされた男がその美しさにあらんかぎりに賛辞を送ったあたりで、すでに本殿の外は夢の目覚めに白んでいたけれど、現実の朝日が瞼を貫いたその瞬間まで、杏寿郎は両刃の業物に心奪われていた。
「ああ、剣士の手がかように心地よいものであったとは、永らく忘れておった。八咫烏の神使なれば、我にとっても愛い子よ。またおいで、煉獄杏寿郎」
小烏丸は本殿の入り口に佇み、覚醒の淵へと消える男を見送っていた。腰にさげた本体の柄に触れた手で、そこに残る温もりを大切に閉じこめ、黒曜石の瞳をゆるりと伏せた。
※ ※ ※
宮城には、それなりの数の人ならざるモノたちが住んでいる。蔵に納められている古き物や、いたる場所に飾られた由緒ある物。神棚や庭園にある社を住処とする小さき神々や、清廉な空気に惹かれてやってきた自然の精。いずれも悪さなどしない、現世に干渉することさえ滅多にないモノたちだ。
金烏をはじめ、【八咫烏の家紋の一族】とその縁者らは、そういった存在を視認できるが、あまりに多いそれらを気にも留めないことがほとんどだ。特に、金烏がそういったモノに対応することは滅多にない。異能の巫女として日々忙しい彼女は、いちいち人外に構っている暇などないのだ。
けれど、その忙しい時間の合間をぬって、金烏はひとりの美しい少年と向かい合って座っていた。
「父上、勝手をしないでいただきたい」
平凡極まりない少女の顔は微笑みを貼りつけた無表情だ。対して、緋色と黒の水干姿の少年は、この世のものとは思えない麗しい顔立ちに涼しい笑顔を浮かべていた。
「はて、我は何も良からぬことはしておらぬぞ」
「煉獄杏寿郎に接触したでしょう」
「あれは愛い子だ、気に入った」
「そう仰るとわかっていたから、人の子に関与せぬよう申し上げたのです。父上は御力が強すぎるゆえ、やんちゃをされると、高天原の御方々よりお叱りがあるやもしれません」
金烏の声は平坦だが、彼女から小烏丸に向けられている不可視の圧力は、全方向から槍を突きつけるに等しいものだ。しかし、その殺気めいた牽制も、古刀の付喪神には意味をなさなかった。
「ようわかっておる。しかしなぁ、金烏よ」
珍しく名前で呼ばれた少女が身構える。小烏丸は、その様子にうっそりと口の端をつりあげ、言葉を続けた。
「いささか不公平ではないか? 蔵に納められた子らが一期一振を羨む声は聞こえておろう。この父も胸が痛んでおるのよ。剣士の手で振るわれる幸いを、他の子らにも与えてやりたいとな」
「御物をそう易々と市井の者に貸し出すことはできませぬ」
「なに、剣士らを御上の下に置けばよいではないか。朝廷の命にて戦わせ、我らが力を貸せば、鬼なぞ一網打尽。久々の戦働きなれば、子らもさぞ奮闘するであろうよ」
黒曜石の瞳が妖しくゆらめき、室内の温度が下がっていく。金烏は膝のうえで重ねた手を握りこみ、この場を支配しようとする剣気を跳ね除けて立ち上がった。
「小烏丸殿」
金烏は生来の巫女であり、戦う者ではない。その両手に肉刺はなく、特に見目が優れなくとも少女らしい柔らかい手指だ。それでも、今この瞬間、小烏丸を見下ろす彼女の目は、触れれば斬れる刃だった。
「人から転じた人食い鬼は、人の手で滅する。神々がそう定めたからこそ、鬼舞辻無惨は神罰を受けることもなく千年のさばってきたのだ。産屋敷の一族に呪いをかけ、民を扇動し鬼と殺しあうよう仕向けたのは八百万の神々(あなたがた)ではないか! 今更、口出しするでないわ!」
びり、と空気がざわめき、小烏丸の艶やかな髪が揺れる。睨みあうように合わさった視線は、しかし庭先でたわむれていた雀が怯えて飛び立った音で、どちらからともなく緩んだ。
「すまぬな、娘よ。今し方、父が言うたことは忘れてよい」
「いえ、私の方こそ申し訳ございませぬ。子供の戯言とお忘れください」
再び行儀よく座った金烏は、穏やかな無表情をはりつけ、相手を見やった。
「父上、そろそろ蔵に戻られませ。現世のことは忘れ、長く眠られるがよいでしょう」
「ふふっ、ここ数十年眠りすぎたゆえ、またすぐ顔を見せよう。そなたも父がおらぬと寂しかろう?」
人を喰った風に言い残して小烏丸が消えてしまえば、執務室には金烏だけが残される。まっすぐ伸びた背筋と肩が小さく震え、目が据わった少女の右手がびゅんと宙に五芒星を描いた。
「封!」
御所の一角にある蔵から抗議の声が次々とあがるも、気にせずに文机へとにじり寄る。どうせ封じたところで、平安からの遺物らがその気になればすぐ破られてしまうのだ。それでも封印を施したのは、父親面した太刀の化身への八つ当たりだ。
「鬼殺隊に付喪つきの刀剣なぞ支給したら、鴨が葱を背負って鍋に飛び込むようなものではないか、全く……」
ぶつぶつと独り言をこぼしながら、再度指先に光を籠める。すでに少年一人の死後を明け渡してしまっている自分が言えたことではないと自嘲する部分はあれど、今は炎柱や他の剣士たちに縁をつなげようとしている蔵の中身をどうにかすることが先決だ。
『鍵をかけるとは、悲しいぞ。我が娘はもしや反抗期か?』
「父上は黙っていてください!」
からかう鍔鳴りに言い返す金烏は、まるで年相応だ。そして、脳裏に浮かんだ美顔にばってんを描くように封じの術を重ねたのだった。
【登場人物紹介】
狛治/猗窩座
主人公。今回出番なし。きっと任務先で奥さんとイチャイチャしている。
恋雪
ヒロイン。今回出番なし。いついかなる時でも大変かわゆい。
金烏
まだラスボス系な巫女さん。小烏丸のことを「父上」と呼んではいるが、彼女にとって自分より目上のものは祀っている大神と八咫烏、そして御上だけである(アッ) 炎柱にこれ以上関与する予定はない。ないったらない。フラグでも振りでもないからな!
煉獄杏寿郎
無限列車の戦闘で九百九十九死に一生を得たが、その仕組みを知ることはない。八咫烏つながりで古い刀に気に入られてしまった。実はまだ静養中。この後、任務に復帰してバリバリ鬼を狩る。
小烏丸
天国作とされる御物の太刀。平家の重宝にして、鋒が両刃になっている古刀。刀剣男士が生まれる前の本霊であり、八咫烏の化身としてひと際高い神格を備えている。【八咫烏の家紋の一族】とは千年来の付き合いで、歴代当主の父を自称している。金烏のことを可愛がっているが、一方通行を自覚している。最近八咫烏に捧げられた人の子が気になって神域に招いたら、うっかりメロメロになってしまった。