追いついた咎、離れない過去--
※蝶屋敷にて、幼児狛治と柱たち。
瓜二つの少年たちが手をつないで部屋に入ってきた時、狛治は寝台を離れ、髪が短い少年の方へてちてちと歩み寄った。いつ元に戻ってもいいように大人用の入院着を帯でたくしあげて着ているため、不自然に余った布を背後に引きずっている。三歩ほど離れた場所で止まったのは、少年――無一郎から放たれた殺気のせいではなく。短くなった足を折り、木の床に膝と手をついた幼児姿の鬼は、そのまま深々と土下座した。寝台脇の丸椅子に座った彼の妻は静かに見守っていた。
「何の真似?」
無一郎の温度のない声に、狛治は臆することなく答えた。
「三年前にお前の兄を無断で連れ去ったこと、本当にすまなかった。あれは俺の独断だ。有一郎はずっと弟を気にしていたのに再会を引き伸ばさせたのも、お前が記憶を失い心を病んだと知りながら真実を教えなかったことも、すべては」
「そういうのいいから、顔あげて立って」
ぴしゃりと降ってくる声に直ちに従い、小さな体が床を踏みしめる。間髪おかずに胴体にめり込んだ爪先で今度は仰向けに床に伏すことになったが、狛治は顔をしかめることもなかった。椅子から腰を浮かした恋雪を手をあげて制し、倒れたまま能面のような無一郎の顔を見上げる。風をきる音とともに頸に三分の一ほど刀が食い込む。傷口から溢れた血が床を汚すことだけが気になった。
刀を握る少年の手首を有一郎がきつく抑えてとどめている。それがなければ狛治の頭は体から泣き別れしていただろう。
「無一郎、やめろ!」
「離して、兄さん。どうせこいつ死なないでしょ。頸斬るぐらいじゃ気がすまない」
「狛治さん達が来なかったら俺は死んでた! 御方様のところに連れてってもらえなかったら、腕を失くしたままだった! この人が助けるって言い出さなかったら、お前と一緒に戦える未来なんてなかった! 頼むよ、お前にこんなことしてほしくないんだ、やめてくれ」
弟に縋るように声をあげる有一郎は半泣きだ。大きな浅葱の目からぽろりと一粒こぼれた途端、無一郎は刀を引いて血を飛ばしてから鞘に戻した。そのまま無言で兄の背に腕を回して深い息を吐き出した。
「狛治さんっ」
「大丈夫だ、恋雪。怖がらせてしまってすまない」
双子の様子が落ち着くなり恋雪が小走りに近づき、上体を起こした狛治の背を支える。刀鍛冶の里での最後の術により護鬼の体を構成する神秘を大きく削がれた彼は、いまは見た目通りの子供の力しかない。不死身なのは変わらず、頸の傷はすでに閉じているが、血を被った痛々しい有様であった。
恋雪は青ざめたまま口の端を緩め、ぎごちなく微笑んだ。愛しい夫が一人で責任を背負おうとしていることが苦しいのだ。
「いいの。有一郎君のことは私達の責任だもの。あの子の大事な家族を悲しませてしまった。その咎は負わないといけない」
「俺が言い出したことだ」
「いいえ、私たち二人で願ったのよ」
方や三歳ほどの幼児の姿にも関わらず甘い空気が立ち込める。見つめあう護鬼夫婦の頭上から冷水のような声が注ぐのと、廊下から複数の気配が近づくのは同時だった。
「もういい、兄さんに免じて水に流してあげる。あとは親玉の陰陽師女を一発殴ったら忘れるよ。兄さんの偽の死体まで用意して偽装したのが一番許せない、何がしたかったの、そいつ」
「お、お前、御方様になんてことっ」
無一郎が平然と毒を吐き、有一郎が冷や汗をかいて弟の口に手をあてる。鏡のようでいて似ていない兄弟の足元で抱き合う狛治と恋雪は、顔を見合わせて小さく笑った。
恋雪から離れて立った狛治はもう申し訳なさげではなかった。下げ眉を凛々しく上げて無一郎を見つめ、堂々と口を開く。
「無一郎、八咫烏の家紋の御方はこの国で最も重要な役割を担う尊いお方だ。故に、今の言葉は聞かなかったことにする。かわりといってはなんだが、偽装の件も含め俺が話せることは全て語ろう。丁度、聞き手も集まったようだしな」
「……もうそれでいいよ」
押し当てられた手のひらの下でむーむー言っていた柱の少年はつんと目をそらし、すぐに誰か入ってくるであろう戸口へと視線を向ける。同時に開いたそこには翅のような羽織の美しい女と古傷だらけの白い髪の男、そして彼女らの後ろには巌のような男が立っており、狛治はついにきたかと固唾をのんだのだった。
※ ※ ※
狛治が上弦の参として在った百年以上もの時間は、ほとんど無駄な捜索と無益な殺生でしめられていた。鬼舞辻無惨の命令で青い彼岸花を探し求め、腹を満たすために定期的に人を襲い、鬼殺隊の強者を見つけては殺す日々だ。悪鬼・猗窩座の犠牲となった命は千に下らない。その一人ひとりの特徴を覚える気もなく、そもそんな頭脳も併せ持たなかったため、猗窩座がもたらした死は誰の記憶にも残らない虚しいものばかりだった。
「主に拾っていただいてからは、護鬼として各地の鬼を間引く任についた。後はお前たちも知るとおりだ」
長い話になるからと客間に移動してから、どれぐらい語っていたのか。細かすぎる詳細を省いて今日に至るまでを語り終えた鬼は、小さく息をついて聞き手の人間たちを見回した。隣に座る恋雪も沙汰を待つように彼らを見つめている。
狛治を囲んで長椅子や持ち込んだ丸椅子に座した剣士らは、概ね静かに話を聞いていた。時折、カナエが目元を拭ったり、無一郎や実弥が激情を飲み込む様子があったが、狛治が人喰い鬼だったと口にしても斬りかかる者はいなかった。無一郎は兄に始終右手を握られていたので、単に刀に手を伸ばせなかっただけかもしれない。
「俺から話せることは以上だ。俺の過去は産屋敷殿はすでにご存知だが、絵物語に関しては耳に入れていない。補足が必要なことがあれば言ってくれ」
そう締めくくると、狛治の正面に座っている実弥が眉を寄せて口を開いた。
「狛治よォ、今更人助けして罪滅ぼしになると思ってんのかァ?」
つり上がった三白眼の濃藤が切っ先のように貫いてくる。狛治はその視線をまっすぐ受け止め、幼くまろい頬を自嘲気味に緩めた。
「この十数年、善行を積んできたつもりだが、全くそう思わない。奪われた命は戻らない。残された者たちの悲しみも憎しみも拭われない。俺がしたことは取り返しがつかない罪だ。他でもないお前達鬼殺隊に言うまでもないな」
「わかってるじゃねェか」
「不死川君、そんな言い方は悲しいわ」
吐き捨てる実弥をカナエが優しく嗜める。
「狛治さんも、そんな風に自分を悪くするだけの言い方はしないで。貴方が助けた人たちの命が、殺してしまった人たちの命より軽いわけではないでしょう?」
「それは……そうだが」
「貴方はこれから何十年も償い続ける。その力でたくさんの幸せを護るの。過去は変えられないけれど、未来まで貶めるのは間違っていると思うわ」
「カナエ殿は優しすぎる。それではいつまでも行冥が心配するはずだ」
入室してから一言も話さず、いつもの涙もろさが嘘のように無表情を貫いている岩柱。故意に話を向けた狛治に、鬼殺隊最強と称される男は重苦しい様子でかぶりを振った。
「胡蝶はすでに立派な柱だ。己の甘さに踊らされる子供ではない」
ピリ、と震えた空気を感じなかったのは恋雪だけだったろう。行冥の盲た瞳が狛治をとらえ、透明に見透かすように細められる。
「私は鬼を信じない。お前を信じたこともなければ、これから信じることもない。宮家の威光などどうでもよい。この千年、鬼の存在を知りながら放置してきた権力者達を敬う理由はないのだ」
昨今怖いもの知らずの酔っぱらいでも口にしないであろう物言いに、ぎょっとした宮城住まいの三人だけでなく剣士達も息を呑む。あまり世間に関わってこなかった無一郎だけが平然としていた。
「凄いね、悲鳴嶼さん。そんなにはっきりいう人初めて見たよ」
「御方様に会ったことないから言えるんだ。知らぬが仏だよ」
「八咫烏の家紋の御方ってそんなに怖いの?」
「結構優しいけど、威光が服着てるような感じ」
「ふぅん」
ひそひそと言葉をかわす双子をよそに、行冥は凶器めいた両手を合わせて数珠がひび割れるほどにこすり合わせた。
「お館様は私の『目』で見極めるよう仰った。お前が欠片でも悪鬼であれば、なんとしても排除するつもりであった。しかし……」
憤りで加減をあやまった手のひらの間で砕けた珠がこぼれ落ちる。現役の剣士で最も長く鬼殺の道を歩んできた男は、心底口惜しいとばかりため息をついて哀れな数珠を開放した。
「護鬼狛治、お前を共闘者として許容しよう。人喰い鬼の過去を隠すことなく、この先も償い続けるというのならば、我らはお前を見張る目となろう。もし悪鬼の道に戻ることがあれば、どのような手を使ってでも滅してみせよう」
言い終わるなり立ち上がった男は一言の断りもなく戸口へと向かう。狛治はその巨大な背中に頭を下げ、ささやくように「ありがとう」と零した。
「悲鳴嶼さんったら照れ隠しかしら」
「それはねぇだろォ」
「カナエさんってたまに変なこと言うね」
美しい花柱の言葉に同僚らのつっこみが入り、張り詰めていた空気が一気に緩む。有一郎を巻き込んで自己紹介をしはじめる剣士らを他所に、頭を下げたままの狛治の背を恋雪が静かに撫でていた。
【登場人物紹介】
狛治/猗窩座
主人公。刀鍛冶の里防衛戦の後、三歳児の見た目になって寝込んでいた。起きても小さいままであることから金烏の状態を察しており、焦らず元に戻るのを待っている。恋雪の膝に乗せられたり抱っこされたりするのは気恥ずかしい。無一郎とのひと悶着を終え、柱達にかなりの情報を開示した。一番の難関と思われた岩柱チェックをクリアしたと思いきや、この先は柱稽古→最終決戦の大イベントが待っている。
恋雪
ヒロイン。子供姿になった狛治をイキイキとお世話中のかわゆい奥さん。何日も元に戻らないので金烏の様子が気になるが、ゆっくり帰っておいでという命令に従っている。鬼殺隊の女性陣とは仲良し。蜜璃ちゃんのお見舞いに何度も顔を出している。狛治がどうにか認められて一番ホッとした人。
金烏
脱ラスボスルート済巫女さん。今回出番なし。有一郎を送り出すまで平然を装っていたが、今は疲労困憊でのろのろと仕事をこなしている。八咫烏の分霊をおろす術は狛治という強力な媒体と数日かけての下準備をもってしても負担が大きかった。絵物語が佳境に入ったら情報開示していいと、予め狛治には伝えてあった。有一郎いわく、威光が服着てるような人。
時透有一郎
弟成分を補充中の運命系魔法剣士。無一郎と再会できて大変ハッピーだが、鬼殺隊で弟が過激に成長したのは内心残念に思っている。特に、金烏に関する暴言には血の気が一気に下がった。その後、岩柱の物言いにもショックを受けたあたり宮城暮らしに染まっている。狛治の過去や事情は知っていた。
時透無一郎
兄成分を補充中の霞柱。狛治を蹴り倒したときも頸を切ろうとしたときも有一郎の手を握ったままであった。記憶喪失になる前にみた兄の姿が血まみれで死にかけだったため、自分が守らなければという強迫観念がある。実は(殺し合いなら)兄のほうが強いということは知らない。狛治たちを許すことにした。
花柱・岩柱・風柱
護鬼が蝶屋敷に滞在する機会に、お館様から金烏の目的や狛治のことについて情報を得るよう命じられた。カナエと実弥は恩人である狛治を信じており、かなり好感度が高い。このため好感度が低い無一郎に加え、全てにおいて疑心暗鬼な行冥を送り込むことでバランスを取った。これまでは狛治=猗窩座=上弦の参だということは産屋敷家と煉獄一家だけが把握していた。金烏関連の情報についても、この後、行冥からお館様に報告した。
【今回開示した情報】
・金烏が知る絵物語について(超ダイジェスト。現在が書き換わっているため結末は未確定という注意付)
・猗窩座に関する全て(18巻のあれ)
・護鬼のこれまでの活動(超ダイジェスト)
・無一郎と有一郎に関すること(水に流された)