Everything I Need   作:アマエ

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つないだ手は離さない--

※原作開始9年前ぐらい、新米護鬼と新妻と小さな主の一幕。




番外 つないだ手

如月も中ほどのその日、東京では珍しい大雪が降った。

 

夜の間もずっとしんしんと雪の音がしていたため、明け方に渡り廊下へと踏み出すなり一面が白かったことに驚きはなかった。気温は零下に達するぐらいだろうか。朝の鍛錬のため白い道着姿の狛治は、裸足のまま薄暗がりの庭へと下り立った。

 

雪の深さは足首を覆うほどで、そこまで深くはない。北陸の方へ任務に赴いた際の、家の軒下いっぱいまで積もるような豪雪とは比べるべくもないものだ。けれど宮城の広大な庭が真白に染まっている様は、あまりこういった光景に感慨を抱かない狛治でも、一瞬目を奪われる美しさがあった。

 

母屋からやや離れた開けた場所に立ち、深い呼吸を繰り返す。鬼として長年戦いに明け暮れる中で、鬼狩りの剣士達の呼吸法に着目したことはあった。しかし圧倒的に人間より優れた鬼の肉体は、そも肉体に無理をさせて力を振り絞る呼吸法とは相性が悪く、元鬼狩りの上弦の壱の技を盗めるような関係でもなかったため断念したのだ。金烏のもとに下り生前の記憶を取り戻したことで、あの夜、剣術道場を襲撃したときに全集中の呼吸に近いことをしていたと思い至ったが、あの凶行に連なるものを再現したいとは思えなかった。

 

(空気が冷たい。忌々しい奴を思い起こさせる)

 

こんな麗しい冬の朝に脳裏に浮かべたくない優男を連想してしまい、鋭い正拳突きとともにそれを追い払う。激しい踏み込みで雪の下の地面がめり込み、辺りに粉雪が舞った。

 

素流は攻撃こそ最大の防御を地で行く流派だ。善良な慶蔵によって守るための力として昇華されたものの、実際は打撃に優れた超攻撃的な格闘術である。いくつもある型の中にひとつも純粋な防御技がない。狛治が得意とする鈴割りも、相手の後の先を取る打撃技である。鋭い技の数々は、鬼の膂力をもって敵の肉体を砕くのに最適といっても過言ではない。武器も防具も必要としない鬼の体なら、なおのことだった。

 

(俺が素流を殺人拳に貶めた。この手で、足で、数千の命を奪った。ならばせめて地獄に行く前に、素流でそれ以上の人々を守りたい)

 

雑念が混ざっていようとも、狛治の体は美しい形で突きと蹴りをつなげていく。仮想敵の顎を掌底で跳ね上げ、飛遊星千輪で追い打ちをかける間も、豊かな睫毛に縁取られた瞳は険しく、牙をもつ口元はぎゅっと引き結ばれていた。

 

ひととおりの技をなぞった後には、狛治の足元の雪は大きく円形に吹き飛んでいた。ここだけ雪かきはいらないなとどうでもいいことを考えながら縁側の方に戻れば、愛らしい少女が手ぬぐいを持って待っていた。

 

「はい、あなた」

 

「ありがとう、恋雪」

 

差し出された布で足を拭い、廊下へと上がる。恋雪はすみれ色の着物に分厚い半纏を重ねており、朝の身支度を整えた姿だ。彼女のすぐ後ろについて離れに戻れば、着替えまで用意されていた。

 

「さっき主様の式がきました。鍛錬が終わったら二人でおいで、ですって」

 

「わかったよ」

 

手早く道着を脱いで藍鼠色の羽織と冬柄の着物を纏えば、少年らしさが消えきらない凛とした姿が一層映える。狛治のごく短い髪を、背伸びした恋雪が愛おしげに両手で梳いた。

 

「ふふっ、髪が冷たいです」

 

「最近めっきり冷え込んだからな。あまり触ると手が冷えてしまう」

 

そっとやめさせて、てのひらを合わせるように指を絡めれば、案の定、細い指先はひやりとしていた。それを昔していたように両手で包んで息で温めてやると、恋雪はくすぐったげに笑った。狛治も小さく笑みを浮かべ、片手をつないで母屋へ向かう。

 

恋雪の手は小さく、肌が薄くて肉が少ないか弱いつくりだ。五本の指は、狛治が少し力を込めるだけで細枝のように折れてしまうだろう。それなのに、いつだって彼の背を押すのは、手を引いて明るい道へ導いてくれるのは、彼女の優しい両手なのだ。

 

「恋雪」

 

「はい、狛治さん」

 

「ありがとう」

 

穏やかな声が白い息とともに空気を揺らす。長い睫毛の影から見下ろす瞳があまりにも優しく、恋雪は木漏れ日でも浴びたように眦を赤らめた。

 

「わ、私のほうこそ、ありがとうございます」

 

ひたひたと二つの足音が重なる中、つないだ手の温もりが二人の頬まで染めていた。

 

 

※ ※ ※

 

 

「今日は一際美しい糸でつながっているなあ」

 

執務室もかねた私室にちょこりと座った金烏は、若夫婦を見るなり開口一番そう言った。

 

五歳にして当代一の術者と名高い子供は、まるで大人のように狛治らを手招き、自分の正面に座らせて雛人形でも愛でるように目を細めた。まるで特徴がない黒い瞳は狛治と恋雪の手元を見つめている。

 

「糸、ですか」

 

やや首をかしげて金烏の視線をたどる狛治。その隣に並んで座る恋雪も同じように首をかしげている。

 

「くふっ、丁度よい。そなたらにも見せてやろう」

 

金烏のあどけない右手がすいと上がり、白い袖をひらめかせて指が宙をなぞる。途端、眉間を刺されたような衝撃とともに二人の上半身が揺らいだ。狛治の左手が反射的に恋雪の背を支え、反撃一歩手前の動きで右膝をたてる。飛びかかろうとする獣のようだったのは、ほんの一瞬。幼い主人が自分たちを害するはずがないと、理性が制止をかけたのもあったが、それ以上に視界いっぱいに広がった彩りに意識をさらわれたのだ。

 

「綺麗……」

 

恋雪がこぼした無意識の囁きにあわせるように赤い糸が揺れる。狛治と恋雪のまわりに幾重もの縁を描いて浮かぶそれは、刺繍糸ほどの細さでふわふわと揺蕩っている。ほんのりした煌めきがこの世のものとは思えぬ美しさだ。

 

「主、この赤い糸は一体?」

 

「なんだ、知らぬのか狛治」

 

呆然とした問いに、子供は笑みを深めて答えた。

 

「俗に『運命の赤い糸』というものだ。愛しあい結ばれる運命にある者たちの小指をつなぐ縁の糸。なかなか良いものだろう?」

 

私はこの色が一等好きでなあ、と言う声が遠い。緊張が解けて正座にもどった狛治は己と恋雪をとりまく赤色を凝視しており、恋雪は顔を赤らめて右手の小指を見下ろしている。華奢な小指から伸びた糸が無骨な小指に繋がっている。そう思い知った二人の万感の沈黙は、軽く両手を打ち鳴らした金鳥によって破られた。

 

景色を書き直したかのように一斉に赤い糸が消えてしまい、二人して落胆の息をこぼしたのだ。

 

「すまぬなぁ。目が慣れると他のよくない縁も見えるようになる。アレはそなたらが見る必要がないものだ」

 

金鳥はそう言って、護鬼の任務の話をするために用意していた地図を広げた。革表紙のノートもとい『じゃぷにか救済帳』を膝のうえで開き、ぺらぺらとめくりながら、若夫婦へと視線を上げる。

 

「美しかったであろう?」

 

「はい……素晴らしいものを見せていただき、ありがとうございます、主」

 

「ありがとうございます、主様」

 

そろって頭をさげる狛治と恋雪に、特異な子供はくふりと笑いをこぼした。

 

「初めて狛治を見たとき、悍ましい数の悪縁の中であの赤い糸が輝いて見えたのだ。すぐ側で恋雪が泣いていたのが痛ましかった」

 

「それは……」

 

「百年以上も、ただ一人を案じ見守り続けるのは並大抵の愛ではない。狛治、これからも恋雪を大事になぁ。そなたらの良縁を見ていると、私も浮き立つような気持ちになるのだ」

 

「……はいっ」

 

「よし。それでは任務の話をするとしよう」

 

幼気な声にチリリと庭先の小鳥のさえずりが入り混じり、穏やかな朝が過ぎていく。広げられた地図に視線を落とした若夫婦の手はいつしか繋がっていたが、それに気づいたのは平坦に任務の指示をつげる子供だけだった。

 

 




【登場人物紹介】

狛治/猗窩座
主人公。まだ新婚さん。小さな子供に仕えている現状に慣れつつある新米護鬼。朝の鍛錬は日課であり、任務先でも人の目につかない場所でほぼ欠かさず行っている。恋雪に気安く話すようになったばかりの頃なので、ふいに「恋雪さん」と言ってしまうことがまだある。赤い糸が雁字搦めレベルで繋がっていて感無量になった。

恋雪
ヒロイン。まだ新婚さん。狛治がタメ口と呼び捨てをしてくれるようになり、離れで二人暮らしもどきをするようになったことで、妻の自覚が日々深まっている。でもふいに「恋雪さん」と呼ばれると真っ赤になってしまうのがかわゆい。赤い糸がしっかり繋がっているのを見て言葉にできないほど嬉しかった。

金烏
ラスボス系巫女さん、御年5歳。直属かつ実働用の部下を持つのは初めてで、実は手探り状態の新米あるじ。まだ狛恋モンペではないが、片鱗は見えている。猗窩座を初めて目にした時、恋雪との間に伸びる赤い糸の美しさに内心驚嘆し、それが狛治の厚遇に繋がった。前世のオタク精神が残っていたなら尊死していた。なお、運命の赤い糸の他に悪縁(悪意、殺意、不幸を招く類)もしっかり見えるが、生まれた時からなので気にしていない。

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