※原作開始1年前・鬼殺隊本部→金烏と産屋敷→帝都・竈門家(参話の続き)
スパンと小気味が良い音をたてて、左腕が飛んでいく。血の飛沫を散らして弧を描いた二の腕から先が、背後で砂利に落ちた。狛治は、己の欠けた腕をあげて、数秒ほど切り口を観察していたが、ややあって対峙する青年に視線を戻し、破顔した。
「良い刀……いや、良い腕だ! この炎にあぶられたような痛み、冴えた切り口、今の切り結びも素晴らしい。お前、名前は?」
「煉獄杏寿郎だ! 君こそ信じられない身のこなしだ。その人間ではありえない戦術、大変参考になる」
狛治の左腕がみるみる再生するのを、悔しさよりも感心した様子で見つめる剣士は、この朝、十六人目の挑戦者だ。圧倒的強者と当たっても戦意を砕かれないと太鼓判を押された有望な隊士たちが、それぞれ上司や産屋敷本人に推薦され、鬼殺隊本部近くの鍛錬所に集まっていた。端的に言ってしまえば、下弦以上の鬼との闘いにむけた訓練のためだ。
杏寿郎は、産屋敷当主自ら推薦した、片手で足りる者たちの一人だった。煉獄家の嫡男でありながら、先代炎柱の継子になることなく、ひとつの型も教えられる前に放り出された彼は、しかし自らの努力と才能をもって炎の呼吸を習得し、すでに甲の階級にまで届いている。同年代の中でも、際立つ逸材。それが煉獄杏寿郎だった。
しかし、そんな杏寿郎の剣技でも、宮城直属の護鬼にはまだ及ばない。今しがた腕を飛ばしたことが快挙に思えるほどには、彼らの実力差は明確だった。
「俺はこのとおり、武術で至高の領域を目指すものだ。鬼の体だから、身を削って戦っても不利になることはない。お前たちもよく知る鬼の戦法だな」
「うむ、切っても切っても生えてくるのは、幾度経験しても厄介だな!」
「そうだろう。鬼の体は理不尽にできているんだ」
うっすらと光る模様が走る狛治の体は、杏寿郎のそれよりもやや細く背も低い。しかしその手足から繰り出される一撃の重さは、本気を出せば岩をも砕くほどだ。この連続の手合わせの中で、狛治は一度も技を繰り出していない。すべて基本の、突き、蹴り、払いなどで武装した剣士たちをさばいていた。
「杏寿郎、と呼んでも?」
好意的な鬼のまなざしに収まりの悪さを感じるも、杏寿郎はおおらかに頷いた。
「構わない。俺も、君のことは狛治と呼ばせてもらおう」
「是非そうしてくれ。杏寿郎、お前は強い。そして、必ずやもっと強くなる。若く強いうちに至高の領域に入るだろう。これからもお前と戦えることが楽しみだ!」
「君が護鬼であり続ける限り、こうして手合わせもできるだろう」
大きな燃え盛る瞳には、敵意はない。しかし杏寿郎が言わんとしていることは、狛治にも十二分に伝わっていた。答えるかわりに構えをとれば、獅子のような彼も刀に炎の剣気をまとわせる。
「来い、杏寿郎!」
「おおおっ!!」
※ ※ ※
「彼は、元上弦の鬼かい?」
縁側の日差しが強くない場所に座した産屋敷耀哉は、安全な距離をとった場所で繰り広げられている手合わせから目を離さず、その麗しい声で尋ねた。
<さて、奴から昔のことは聞いておらぬなぁ。>
産屋敷の傍から答えを返したのは、彼の内儀であるあまねの鏡だった。ななめ後ろに座る彼女によって、隣に置かれた台に設置されたそれは、何の変哲もない黒塗りの手鏡だ。しかし、磨かれた面には訓練場の様子ではなく、底がない淡い光が満ちている。そこから聞こえる女の声は、遥か御所から発せられていた。
「君はどんな鬼でも、ああして使役できるのかな」
<試したことがないし、する気もないなぁ。>
「狛治殿は、あの口ぶりから江戸時代を生きた人のようだけれど、私は、彼を鬼にしたのは鬼舞辻無惨だと思っている。彼から直接話を聞いてもいいかな?」
<ならぬ。>
「どうしてだい? 私たちの目的はほぼ重なっていると思うのだけれど、情報共有はしてくれないのかな」
<思いあがるな、産屋敷。狛治は私とともに御上に侍る護鬼、この先もあらゆる脅威から日ノ本を護るモノぞ。あれが喜ぶから、剣士どもとの手合わせを許しているが、純粋な戦力以外は与えぬと知れ。>
鏡から聞こえる声は平坦で、産屋敷の魅惑的なそれとは比べるべくもなく印象に残らない。しかし、凄んだ瞬間の圧はすさまじく、それが殺気であったなら、隊士たちが直ちに反応していただろう。【八咫烏の家紋の当主】は若い女の術者であること以外、謎に包まれているが、侮れない人物なのだ。
「ふむ、仕方がないね。狛治殿は杏寿郎と気が合いそうだけれど、彼らが友人になるのはいいかい?」
<……炎の呼吸の煉獄杏寿郎か。まぁ、よいだろう。>
いきなり歯切れが悪くなった相手に、産屋敷はおやと思ったが、口には出さなかった。かわりに、悪くなっている目をこらして手合わせ中の狛治と杏寿郎を見守る。いずれ炎柱になるであろう杏寿郎でも、手加減している護鬼に一太刀入れるのがやっとであることに、穏やかな顔の下で夜叉が蠢いた。
<産屋敷よ。>
「何かな、八咫烏の家紋の御方」
<そなたがその身にどんな化物を飼っていても私が知ったことではないが、巻き込むのは妻子と子飼いまでにしておくことだ。鬼殺隊といえど日ノ本の民であるのだ、無駄死にさせるのは看過できぬ。>
産屋敷もあまねも、女の言葉にぴくりとも反応しなかった。ただ、変わらない穏やかな声で、一言だけ。
「言われずとも」
返したそれは、剣跋と雄たけびに紛れて、相手に聞こえたかもわからなかった。
※ ※ ※
竈門家の新しい中庭は、十畳程度の町中では大きいといえるものだ。庭木も庭石も池もない砂地であるため余計に広く見えるし、実際に炭治郎が狛治にしごかれる際も手狭に思ったことはなかった。
しかし今、狛治と煉獄杏寿郎の手合わせの場としては、あまりにも狭いとしか言えなかった。
「しまったな、場所を移すべきだった!」
「同感だ。せっかくお前を相手にしているというのに、これでは空式の一発も打てない」
「よもやよもやだ!!」
軽口をかわしながら、所狭しと体制を入れ替えながら剣撃と打撃の応酬が続いている。お互いに殺気はないが、狛治の体の部位が切り落とされたり、杏寿郎の体中に青あざが浮かぶ程度には激しい一戦だ。燃えるような刀身が風音と共に狛治に迫り、黒髪を散らしながら脳天から鼻筋まで割るも、同時に至近距離の正拳突きが杏寿郎の腹を捉え、大柄な体を縁側際まで押し戻した。
「あまり庭先を血で汚すのも申し訳ないな。杏寿郎、今日はこれで打ち切りとしようか」
「そうだな、血のことは考えが及ばなかった。すまんな、竈門少年」
二人の手合わせの前に杏寿郎の指導を受け、くたくたになった体を休めるつもりで廊下に座っていた炭治郎だったが、繰り広げられていた凄惨な光景に口をあけたまま固まっており、声をかけられて漸く硬直がとけた。
「はっ、は、狛治さん、頭が半分になって、えっ、さっき足を切られてませんでしたか!?」
顔色を悪くして狛治の五体満足な様子と砂地に染み込んだ血を見比べる。そんな少年の反応に、杏寿郎ははてと首を傾げた。
「狛治、もしや鬼だと言っていないのか?」
「いや、会ってすぐに伝えたぞ。鬼の特徴も教えてある。どうしたんだ、炭治郎」
二百年以上も鬼をやっている狛治も、日々の任務で鬼を倒しまくっている杏寿郎も、炭焼きの息子である炭治郎の視点で物事を見るのは難しい。炭治郎にとって、生物を殺傷するのは狩りと熊やイノシシに対する自衛ぐらいだったのだ。間違っても、家族ぐるみで世話になっている相手が腕を切られたり、足を切られたり、体の中身が見える状態にされたりするのは見慣れていなかった。
「鬼、そうだ、そうだった。狛治さん、不死身なんですか?」
「……今はそうだな」
「それは初めて聞いた! 十二鬼月よりも厄介だな、狛治!」
快活に言い放つ杏寿郎は、悪気が皆無だ。初めて会った時からこういう男だった、と思い出しつつ、狛治も小さく笑った。
「鬼殺隊と殺し合う予定はないからな、わざわざ脅かすようなことは言わなかっただけだ」
「お前が殺す気で掛かってくるなら、柱でなければ相手にならん。うむ、ぞっとしない!」
親友ともいえる間柄で共闘関係にあっても、鬼である狛治と鬼殺隊の柱である杏寿郎には、相容れない生物としての差異がある。だから、こうして話していても、いずれ戦う可能性を捨てきれない言葉が出てくるのだ。そして、それを悲しいと思えるほど、彼らが身を置く世界は平穏ではなかった。
炭治郎は、楽し気に物騒なことを言い合う男たちに無性に悲しくなったけれど、道着の布を握ることでそれを抑えた。炭治郎が知る鬼は、狛治だけだ。恋雪もまた別の人外のものだと教えられたが、彼女は夫よりもずっと人間に近いだろう。杏寿郎と戦う狛治の姿は、確かに普段の落ち着いて優しいものではなかったけれど、どれが本当の姿なのか。
(他の鬼に会えば、わかるだろうか。)
しごきの合間に杏寿郎から教えられた鬼殺隊のことを思い描き、灼赫の瞳を伏せる。炭治郎が初めて鬼舞辻無惨の鬼にまみえるのは、この日からまだまだ先のことだった。
【登場人物紹介】
狛治/猗窩座
主人公。久々に才有る人間に切り刻まれ、感激して熱烈なアプローチをした。猗窩座でも狛治でも好みは変わらない模様。けして切られることが好きなわけではない。実は、金烏が生きている限り不死身。
恋雪
ヒロイン。狛治さんに同年代(見た目だけ)の男友達ができて嬉しい。旦那さんが楽しければ、自分も楽しくなってしまう。もう死んでるため不死身かわゆい。
金烏
ラスボス系巫女さん。男の友情はよくわからないが、絵物語の顛末を知っているため結構複雑。じゃぷにか救済帳では煉獄さんの名前に〇をつけていたが、後から朱書きの花丸を書き足した。なお、お館様一家には悪気なくバツがついている。
煉獄杏寿郎
初対面の鬼に「素晴らしい剣技だ」「今後も強くなるお前と戦い続けたい」と熱くアプローチされた。出会いの時で17才、階級は甲。炭治郎と会った時点で18才の新米炎柱。よもやよもやだ!
産屋敷耀哉
流石に宮城内のことはわからないが、大よその推測はできている。打倒鬼舞辻無惨のためなら清濁併せ呑める人。金烏に好かれていないことは全く気にしていない。
竈門炭治郎
原作主人公。悲劇が回避されたため、大変ナイーブ。狛治のせいで鬼の強さに関して上方補正をかけた思い込みをしている。