「あのときはごめん」
りっちゃんは、お茶とアイスを手に戻ってきた私を、綺麗な土下座で出迎えてくれた。
「えっなにが?」
「えっ……」
片方はばっちりと外行きの服装で土下座、そしてもう片方はがっつり部屋着で両手に入り切らなかった袋菓子を口に咥えてる状態で、私たちの今日は始まった。
=*=*=*=*=
「まさか謝りにくるとは思ってなかったよ」
「ごめん……」
とりあえず荷物を降ろした私は、ずぼっとビーズクッションに体をうずめる。そしてスマホをつけて、数人のチャットに返信を打ち込んでから閉じる。しばらくは開けそうにないから、返信が遅れる旨も伝えた。
「それで、今日はそれだけ?」
「……うん。自己満足かもしれないけど、謝っておきたくて」
「そう。ならいいや」
私はもってきた袋菓子を開けて、それから溶ける前にアイスを頬張る。
「食べないの?溶けるよ」
「えっいや、いただきます」
おずおずとアイスに手を伸ばすりっちゃん。別に家に呼ぶのは今日が初めてじゃなかったと思うのだけれど、やたらと緊張してる。
「あっもしかして暑い?」
「いや!そ、そんなことないよ」
少し汗ばんでいるようだったけど、暑いわけではないようだ。まあクーラーも効かせているから快適なはずなのでうそではないだろう。
「亜希子ちゃんは……変わらないんだね」
「私?」
「うん。いままで……打ち明けてきた人は皆、私のことを異質なものを見るかのように態度が変わったから」
「もしかして、中学のときのいじめって……」
「そう、これが原因」
りっちゃんは中学時代、いじめを受けてきたというのは聞いたことがあった。だから高校に入ってからは人との距離がわからなくて、クラスでも孤立するつもりでいたんだと。まあその手を無理やりひっぱってグループにいれたのが私なんだけども。
「まあ、べつに同性愛者がどうのこうのとか……私はとくにないよ」
「でも……昨日体調が悪そうだったのは私のせいだよね?」
「あれは……気持ち悪いってわけじゃなくて、ただ困惑しちゃっただけだから。どちらかというと、自分の心に整理がつかなかったって感じで」
「そうだよね、戸惑わせちゃったよね」
アイスを食べる手を止めて、りっちゃんはうつむいてしまった。せっかくクーラーまで付けて快適空間にしているというのに、外からじめじめとした湿気が入り込んできてしまったみたいだ。
「逆に聞きたいんだけどさ」
私は、もう遠慮することをやめることにした。
「なんでりっちゃんは私のこと好きなの?」
「手紙、読んだんでしょう?」
「あれだけ?」
「うん」
私は首をかしげてあの手紙の内容を思い出す。あんな当たり障りのないエピソードだけで、果たして恋人になりたいという気持ちにまでなるものなのだろうか。
「じゃあ、私じゃなくても同じような思い出を持っている誰かなら、それでいいんだ?」
そう考えると、すこしもやもやした。りっちゃんの恋人として、私が隣に立つ理由なんてないのだ。りっちゃんが求めているのは、りっちゃんと思い出を持つ誰かであって、私個人ではない。最初に手を差し伸べたのが私だった、ただの偶然というやつだ。
「でも、手を差し伸べてくれたのは亜希子ちゃんが最初で最後だった。私にはそれだけで十分。十分好きになる理由になるの」
「わからない」
「わかってくれるとも、わかってほしいとも思ってない」
「それは私がわからずやってこと?」
「違う」
りっちゃんは立ち上がって私の方へずいっと近寄ってきた。
「亜希子ちゃんに知っててほしいのは、私が亜希子ちゃんのことを好きってことだけ。それ以上は知ってても知らなくてもいい」
「そう……なんだ」
すこし興奮した様子で詰め寄られて、思わず身をひいてしまった。ビーズクッションに余計に身が沈み込む。
「そもそもさ、変わらないっていっても変わらなすぎじゃない?」
「りっちゃん?」
なかなか起き上がれずにクッションに埋まってる私の腕を、りっちゃんは上から押さえつけた。
「あの、起き上がれないんだけど」
「ここまでやっても、亜希子ちゃんは亜希子ちゃんのままなんだね」
りっちゃんはそのまま、私のおなかの上に跨って体重をかけてくる。
「ぐぇ……」
「ねえ、わかってる?亜希子ちゃん今、襲われてるんだよ?」
「襲われ……てる?」
言われてみればそうなのかもしれない。ビーズクッションとりっちゃんに挟まれた私は、もはやまともに抵抗できない。
「ねえ、ここまでしてもだめ?私のこと、意識してくれないの?」
「りっちゃん……」
りっちゃんが、そのまま私に覆いかぶさるようにして抱きついてくる。はるばる外を歩いてきたのだろう。すこしベタついた肌が、クーラーでひんやりと冷めきっていた。
「ごめんねりっちゃん」
私は優しく抱き返してみる。まるで泣いた友達を慰めるように、優しく。
「ねえ、亜希子ちゃん」
りっちゃんが、体を起こす。あまり力をいれていなかったものだから、私が抱きついていた手からはスルリと抜けた。
「キス、していい」
「どうして?」
焦らないように、そう答える。マウントポジションを取られているからか、すこし言葉尻が震える。まさかりっちゃんに恐怖を抱いてしまったなんて、考えたくもなかった。
「おねがい。1回やってみて、それでも駄目なら諦めるから」
私はそっと横を向いた。必死そうな顔をしているりっちゃんの顔を見ていられなかった。ここまでされても、いまいち真剣にりっちゃんの気持ちに答えられない自分に、目を背けたかった。
「じゃあ、いくよ」
りっちゃんは、器用に片手で私の両手首をつかんで、それからもう片方で私の顔を正面に向ける。ああ、力を入れる気にもならない。抵抗力のない首は、りっちゃんの方へと簡単に回ってしまう。
りっちゃんの瞳に映った自分が、近づいてくる。その自分は、こんな状況にも限らず、未だ現実を見てないような、興味なさげな表情をしていた。
あと数センチ。そんな距離まで近づいたとき、私のスマホが鳴る。この着信音は、買い物に出かけた母親からだ。
「ごめん、電話に出てもいいかな」
瞳に映る自分が、にへらと外行きの笑顔を浮かべる。なかなかみることのない自分の作り笑いは、どうしようもなく下手だった。
「はい、じゃあどうぞ」
りっちゃんは私の手をつかんだまま、私のスマホを操作して電話をとる。そして私の耳元に、スマホを置いた。どうやらこのままの姿勢で話せということらしい。
「もしもし、ママ?」
『ああ、寝てるのかと思った』
「ううん、いまりっちゃんが遊びに来てて」
『そう、じゃあなにかお菓子でも買って帰るから、あと30分くらいかしら』
「わかった。じゃあ切るね」
『なんか具合でも悪いのあんた』
「えっなんで?」
『声がくぐもってるから何かなって。まあ気の所為ならいいわ。じゃあね』
そういって通話は切られた。うちの母親は勘がするどい。その鋭さを、遺伝子として私にも受け継がせてほしかったなんて思う。
「というわけで、母親が帰ってくるんだけど」
「まだ30分ある」
「30分で何をするつもり?」
「何って……こんな状況でもそんなこと言う?」
すこしムスっとしたりっちゃんを見て、私は目を閉じる。もう、りっちゃんを止める気にもならなかった。
「ねえ、ずるいよ」
暗闇に染まる視界の中で、りっちゃんがそう呟く。私は何も言えなかった。言えるわけがない。目を瞑ったのは覚悟ではない。諦めだ。りっちゃんも、すぐにそれがわかったのであろう。
そのまま、しばらく時間がたつ。うつむいたままであろうりっちゃんと、身動きできないまま目を瞑る私。
ふと、唇に感触を感じる。それは指だった。りっちゃんの指が、まるで私の唇の形を確かめるかのようになぞってくる。そして、ひととおり満足したあとはふにふにと柔らかさを楽しむようにつまみはじめた。
私はゆっくりとまぶたを開く。
「今はこれだけにしとく。キスは、亜希子ちゃんが私を見てくれたときにとっておく」
「そう」
私の声は、思っていた以上に冷たかった。いや、冷たいままだったと言ったほうがいいかもしれない。
「亜希子ちゃん、友達になってくれる?」
「何を言ってるのりっちゃん。もう友達だと思ってたんだけど」
「違う」
ずいっと顔が近づいてくる。りっちゃんの髪の毛が首にあたって、くすぐったかった。
「皆と同じように、ただよく話して、行動を一緒にするっていう『友達』じゃない。もっと深い、いずれ親友とだって言えるくらいに進展するような『友達』」
「諦めてはくれない?」
「諦めないよ。亜希子ちゃんから拒絶の言葉を引き出すまでは」
「ひどいね」
「似た者同士でしょ?」
「……かもね」
ようやく私の上からどいてくれたりっちゃんは、手を差し伸べてくる。
「じゃあ、よろしく。あっちゃん」
「……よろしく、りっちゃん」
手をにぎると、思いっきり引っ張られる。その細腕からは考えられない力で引っ張られた私は、ようやくビーズクッションからも抜けだすことができた。