その夜。僕は寝つけなくて、永遠亭の縁側に一人で座り、ほんの少し欠けた月をゆっくりと眺めていた。生地の薄い寝巻は夜風が通るたび身体の熱を奪っていくが、丁度良い程度に体温を保っていた。
今日は早苗さんが来てまたうどんげと喧嘩しているのをなだめ……。
射命丸さんと会って、色々取材されて……。
昼や夕方の喧騒が嘘のよう。月の光が竹林を幻想的に照らす。
ここに来てからか、騒がしい毎日が続いていた為、こんなに静かに過ごしているのが久しぶりの様に感じる。こんな時思い出すのは両親の事。
母様も、父様もどうしていらっしゃるのだろうか。母様は確証はないが、父様はこの世に居ない事がわかっている。でも、多分母様も……。
僕は頭を何度も振った。嫌な事は今は考えちゃいけない。またみんなに心配をかける。
こんな時、母様はいつも歌を歌って下さった。
夕暮れ 月夜を 恨んでは
またまたあそぼと 家路つく
星に願わば 朝長々と
夜は短し 子は夢を見ゆ
母様がいつも歌っていた歌。僕が夜眠れない時に母様が歌ってくれた子守唄。僕は思い出すように呟き、手探る様に歌った。
「初めて聞く歌だわ。でも良い歌ね」
「……起きてたんだ」
隣、いい? と問われた僕は、どうぞと返すと、寝巻姿のうどんげは僕の隣に腰かけ、肩を並べた。
「いつも寝つけない時、母様が歌って下さったんだ」
歌の名前は知らないけどね。と笑うと、彼女は悲しそうに僕を見つめた。
「……寂しいの? お母様に会いたい?」
その言葉で、うどんげの方を向く。彼女の眼に月の光が入り、綺麗な赤い瞳を光らせていた。
「会いたくないと言ったら嘘になる。でも、僕は寂しくなんかないよ」
赤い瞳をずっと見ていると、その瞳に吸いこまれてしまいそうになる。僕は視界を逃がすように月を見上げた。
「だって、ここに来てから皆が僕に優しくしてくれる。うどんげにも感謝しきれないほど色々してもらってる」
「いや、私はそんなっ」
「早苗さんが来てからはとっても賑やかになったし」
「――もうっ!」
嫌味に聞こえたのか、うどんげは僕の方を見ようとしない。
「でもね」
ここに来て嬉しかったこと。あんな事があっても挫けずにいられた事。それは
「うどんげは言ってくれた。甘えても良いって。その言葉が本当に嬉しかった」
「……ユキ」
そっぽを向いていた彼女はその言葉でまた僕の方を向いてくれた。
「僕ね、あっちでは友達なんて居なかったんだ。ずっと一人だった。気楽に話せるのも父様、母様だけで、後はみんな僕に対して敬語を使っていたよ。僕も使ってたけどね」
言葉に合わせて僕も顔を向ける。面と向かってじっくり見ても、うどんげはとても綺麗な女の子だった。
「だから、誰かに甘えるという事がこんなにも気が楽になるなんて思わなかったんだ」
だから、と目の前の女の子に今の気持ちを伝える。
「ありがとう。君のお陰で僕は今が楽しい。君に助けられて良かった」
眼を丸くしたうどんげは、時間差で数秒としないうちに白い耳まで桃色に見えるほど、真っ赤になってしまった。
「――あ。いや……私は、お師匠様に言われて……」
挙動不審という言葉がとても合う程に、うどんげはオドオドしていた。
「じゃあ、うどんげは永琳さんに言われなかったら、僕のお世話をしなかった?」
「……うぅ~、その質問はずるい。逃げ場ないじゃなぃ……」
堪え切れずに笑ってしまい、声がふるえた。
「ごめんね、うどんげが可愛いから、つい」
「ほらまたそう言うぅ!」
違う意味で声が震えているうどんげ。今も真っ赤になって俯いてる。不意に僕の口から欠伸が漏れる。
「さて、じゃあ僕は寝ようかな」
そう言って立ちあがり、部屋に戻ろうとした……が、寝巻の裾が引っ張られる感覚があった。振り向くと、未だに顔が赤い彼女が、僕の服をつまんでいた。
「うどんげ? 僕部屋に戻れないんだけど」
「――あっ、嘘。違うの! 何でもないから!」
つまんでいた手を勢いよく離す。うどんげ、どうかしたのかな。
「そ、そう? じゃあ、寝るね。おやす――」
「やっぱり待って!!」
思いっきり腕を掴まれ、体制が崩れる。
『僕ら』の悲鳴は静かだった縁側を少しだけ五月蠅くした。
いてて、と頭を少し打ち、暗転した片目の視界が戻ってくる。すると、目の前にはまたもうどんげの顔が。
気付くと、僕らは、「二」の字を作る様に向かい合う形で廊下に倒れていた。
先に眼を開いていた彼女と眼が合い、またも真っ赤になっている。
「あ、あの。うどんげ?」
僕がそう言っても返ってくる答えは無い。すると、彼女は僕の頭に腕を絡めると、
「ね、ねぇ。うどんげこの手はな――」
「じっとしてるのっ」
潤んだ目が僕をジッと見つめてくる。はい、としか言い返せなかった。
そして、彼女の眼がゆっくりと閉じられ、段々と僕に近づいて、
唇同士が重なった。
接吻という奴だ。と頭に浮かんできたのは唇が触れてから。
口付けが数秒だったのか。それとも数分か。どうしてか時間間隔がおかしくなってしまった。
「……ぷはっ」
彼女は僕の口から自分の口を離すと、すぐさまに呼吸をした。僕も唇が離れると同時に、呼吸をし、脳に酸素を送る。
「ううっ、うどんげ!? ど、どうしてせっ、接吻なんかっ」
それでも頭がついていかない。うどんげと眼を合わせようとすると、すぐさま眼を逸らし、
「……だって、したかったんだもん」
その顔は、ばつの悪そうな顔をしながらもどこか満足げだった。
「……嬉しい事ばかり言うユキのせいだよ」
「ぼ、僕のせいなの?」
悪いことした? と聞くと首を横に振った。
「嬉しい事は悪い事なの? 私はユキが優しくて、可愛くて……好きなんだよ」
『好きなんだよ』
「……誰が。誰を?」
「私が。貴方を」
うどんげは、僕の事が『好き』
またうどんげが真っ赤になった。そりゃあ抱きしめられて顔が近いと、確かに恥ずかしいけど、そんなに真っ赤にして言う事かな。
なにも言えずの僕に彼女は催促した。
「ねぇ、聞かせて。ユキは私の事……どう思ってるの?」
僕はうどんげをどう思ってるか。確かに助けてくれたうどんげには感謝してるし、毎日一緒に居るんだから、一番話しやすいし――
「僕も好きだよ。うどんげの事」
「ほんとっ?!」
花が咲いたかのように満面の笑みのうどんげ。
「だって、毎日一緒に居るし、優しいし、料理は美味しいし、可愛いし……」
「や、やめてよ……恥ずかしいっ」
「?」
どうして恥ずかしいんだろう。
「ね、ねぇ。そこまで言うんだったら……私、良いお嫁さんになれるかな」
今の今まで「好き嫌い」の話をしてたんじゃないの? 話が飛ぶなぁ。でも、こんな子がお嫁さんだったら僕も嬉しいなぁ。
「うん。なれると思うよ。……いいなぁ。僕もうどんげみたいな女の子と結婚したいよ」
「……え?」
隣の彼女が固まった。
「どしたの?」
「い、いや。あれ、話しが噛みあってない様な……」
そう思ってたのは僕だけじゃないらしい。
「元はと言えば、うどんげの質問もおかしいんじゃない? どうして「好き嫌い」の話から「お嫁さん」の話になるのかな?」
「え、でも私の事好きって――」
その質問に対しては肯定だ。
「うん。好きだよ」
「……っ!」
うどんげは何かを悟った様な顔をして、どこか遠くを向いてしまった。
「あ、あはは。そうよね。好き。好きなんだもんね」
「? 好きだよ?」
「告白は良いけれど。真夜中に、しかも廊下でしないでくれる?」
「「……え?」」
僕らは上を見上げた。すると、そこには寝巻姿の――永琳さんが。
「貴方達、夜中にどたどたと五月蠅いと思って来てみたら、何をやっているのかしら、鈴仙、雪正」
「ええっと……僕は眠れなくて、ここで涼んでいたら、うどんげが来て……」
同意を求めようとうどんげを見やると、身体を震わせ、
「う、うどんげ――」
「ごめんなさぁぁぁあああああいっ!!!」
と言い逃げ、まさに脱兎のごとく走り去ってしまった。
「あら、あの子ったら。これはお仕置きね」
貴方も早く寝なさい、と言い残すと永琳さんは、ふらりと来た道を戻っていった。
僕も起き上がると、大きいため息をついて部屋に戻った。
「火傷しない様に、と言ったのだけれど、どうやらもう遅かったみたいね」
一足先に部屋に戻った彼女の声は、僕の耳には届かなかった。
「でも良かった。あの娘もこれで人並みの恋が出来るってわけね」
ゆっくりと床につき、眼を閉じる。
「でも気をつけなさい。その恋は敵が多くなるわよ」
誰に言う訳でもない声は、静かな夜に響き消えていった。
鈴仙side * * * *
この頃ずっとおかしかった。
お世話係としてユキとずっと一緒に居る事になったのは、おかしくない。
ユキと話していると楽しくて、ずっと一緒に居たいと思う事もおかしくない。
ご飯を食べる時も、慣れない視界での箸を使いながら「美味しい」って言ってくれて、嬉しいなって思うのもおかしくない。
守矢の巫女が来るようになり、仲良さげに話しているのを見ると、なんだか無性にイライラするのは……『おかしい』。
夜寝る時、ユキの事で頭がいっぱいになって、夜も眠れないし。早く朝にならないかな、そしたらすぐに会いに行けるのにって思う様になった事も、『おかしい』。
私は、彼に恋をしたのだと。そう気付いたのは、彼との会話だった。
ユキは、外の世界では甘えるという事が出来なかったという。そんなユキが私のたった一つの言葉で、救われたと。嬉しかったと。
そう言ってくれた時、私の心は高鳴った。彼を見れば見るほど気持ちが溢れて来て止まらない。
行動に移したのは無意識が始まりだった。いつの間にかユキの寝巻を掴んでいたのだ。グッジョブ無意識。
そこからは勢いに任せた。顔が近い。本当に可愛い顔をしている。綺麗な瞳をしている。
右目の瞼には、鋭利な物で刺された跡――ユキは『刈り込み鋏』で刺されたと言ったか――がある。それすらも愛おしい。私が彼の右目になろう。
決意というものは、時として自分を抑えられなくなる。
キスをした時も、勢いに任せ、自分を抑えられなかったのだ。
『僕も好きだよ。うどんげの事』
その言葉でどれだけ私が嬉しかったか。
『どうして「好き嫌い」の話から「お嫁さん」の話になるのかな?』
その言葉でどれだけ私ががっかりしたか。
彼は知らないだろう。知ってくれないだろう。
私は悟った。ユキは『恋愛感情』をまだ知らないのだろう。
ユキも年頃の男のはずなのに、友人が居なく、異性が自分の母親しかいない。となるとこうなるのも仕方ない。
私の恋は実らなかった。
「――よしっ」
でも私は決意をしている。彼の右目になるのだと。
「見てなさいよユキ! 私は諦めてなんかいないんだからね!」
走り戻ってきた自分の部屋で、静かに闘志を燃やす。
恋を知らないのなら、私が教えてあげればいい。
彼の、皆にふりまく『好き』を、私だけにくれる『好き』にしよう。
絶対に、守矢の巫女には負けたくない。
恋をした乙女は、誰よりも強いんだからね!
9話です。この頃多忙すぎて小説を書く時間がない……。書きたい願望はあるし、ストーリーもスラスラと出てくるんですけどね。
うどんげ、玉砕す。雪正は近くに友達が居ない為、恋愛感情等が育たなかったのかなぁ。まさに天然ジゴロ。でも嫌いじゃない。嫌いじゃないわ。
なお、「誤字脱字」「この表現おかしくない?」「○○ってなに?」等がございましたら、感想とともに記載して頂けると大変嬉しゅうございます。