さあ──『喜劇』を始めよう!   作:Sakiru

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第一幕 ─喜劇開演─
邂逅(ファースト・コンタクト)


 

 

 

 

『ブルァアアアアアアアァァァ――ッッ!』

 

 

 

 

 薄暗い洞窟──否、地下迷宮(ダンジョン)に咆哮が(とどろ)いた。

 空気が震え、近くに居た怪物達(モンスター)は本能に従い逃げ惑い、姿を眩ませる。

 異常事態(イレギュラー)に身体中が警戒音(アラーム)を鳴らしている。

 

 ──猛牛。

 

 本来なら地下迷宮の遥か下に棲息している牛頭人型モンスター──正式名称は『ミノタウロス』。

 上記で述べた通り、彼の棲息地──出没する階層は『上層』と呼ばれる此処ではなく『中層』だ。

 なら何故、『中層』ではなく『上層』に居るのか。

 それはダンジョンが引き起こした災禍(さいか)──ではない。

 数刻前。

 とある冒険者達とミノタウロスの群れが相対していた。問題は、その冒険者達が歴戦の戦士達であり、ミノタウロス達が本能でそれを悟ってしまったことにある。奇跡が起きても自分達が敗れ、死に至ることを予感した彼等は恥も外聞もなく、逃走を図った。

 全ては生き抜く為に。そしてその恐怖は凄まじく、『中層』から『上層』にまで彼等を駆り立てたのだ。

 

『ブルルゥゥゥゥ……!』

 

 ミノタウロスは理解していた。自分以外の同胞が奴等に狩られたのを。しかし、そこに悲しいという感情は湧かない。何故なら彼はモンスター。同じ種族と言えどそこに仲間意識はない。極論、自分が生きていれば良いのだ。

 彼は『上層』を我が物顔で闊歩する。

 彼は空腹をとても覚えていた。追手の気配は感じられない。少しなら時間があるだろうと判断し、『餌』を探す。標的(ターゲット)は勿論、格下だ。

 

『ブルルゥゥゥゥゥゥゥ……!』

 

 一度感じた空腹は彼の理性を奪っていく。『餌』が見付からないことに苛立ちを募らせていく。

 ズン! ズン! と巨体が動く度に地響きが鳴る。

 曲がり角を曲がろうとした、その時──。

 彼は『餌』を見付けた。それは一人の只人(ただびと)だった。

 

「……なんと! これはミノタウロスではあるまいか!」

 

 引き攣った笑みを浮かべる『餌』。目を見開いて、驚愕の声を上げる。

 ミノタウロスは、ニヤリ、と(わら)った。彼は本能で理解していた。

 目の前の人間は武器を持ち、防具を纏っているこそすれ──自分にとっては取るに足らない弱者であることを。

 

「ありゃりゃ……これはもしかしなくても絶体絶命のピンチなのでは? うん、間違いないネ!」

 

『餌』は顔を青ざめさせながらも、引き()りながらも、笑みを浮かべていた。

 何故か、ミノタウロスはそれが気に食わなかった。ああ、酷く気に食わない。

 自分は絶対的強者。なら『餌』は『餌』らしく恐怖で身体を強張(こわば)らせろ。そして絶望するが良い。自分の運命に。

 

『ブルモアアアアアアアアアアアアァァァ!』 

 

 咆哮を上げる。

 それはまるで嵐のような荒々しいもの。

 相手の戦意を(くじ)き、地に膝を着けさせる暴力の塊。

 だが、しかし──。

『餌』は膝を屈することなく、地面に足を着けていた。否、それは辛うじて、である。

 しかし己の意志(いし)で立っているのは事実。身体全体を震わせながらも、眦に涙を溜めながらも、『餌』は未だ尚笑っていた。

 そして『餌』は懐から何かを取り出した。

 それは一冊の手記。彼はさらに羽根ペンを取り出すと、何やら手を動かし始めた。

 

(つづ)ろう、我が英雄日誌。──『新米冒険者ベル・クラネルがダンジョンに潜っていると、なんと、()のミノタウロスが待ち構えていた! 嗚呼(ああ)、これぞ運命(うんめい)! ベル・クラネルは英雄になる為、彼の猛牛を討つため勇猛果敢に勝負を挑んだ!』──ふはははッ! まさかの展開に私のファンもきっと喜ぶだろうッ!」

 

 ミノタウロスは理解出来なかった。

 この絶望的な状況に、()えられないとばかりに笑声を上げる『餌』の行動が。

 それとも『餌』は自分が置かれている状況が分からないのではないだろうかとすら思った。

 

「ふむ、いやしかし……()()()()()()()()()()()()()。ミノタウロス。()の『雷公(イカヅチコウ)』を思い出す」

 

『餌』はぶつぶつと何やら呟いていた。

 

「しかし、何故ミノタウロスが『上層』に……? エイナ嬢の言葉を信じるなら、此処には居ない筈だが……。それともこれが、噂に聞く異常事態(イレギュラー)というものなのか? だとしたら恐ろしい!」

 

 ミノタウロスはこの時になってようやく理解した。

 目の前の『餌』が危険だということを。首筋に冷や汗が流れるのを感じた。

 しかし、同時に気に食わなくもあった。

 自分は先程──絶対的強者と出会って敗走を(きっ)したというのに。

 目の前の『餌』──否、『奴』は恐怖を押し殺して自分と正面から相対している。

 それが自分と『奴』の格の差を証明しているような……そんな気がしてならないのだ。

 だからこそ、決めた。

『奴』を()らうことを。

 血走った赤い目で『奴』を睨むと、『奴』はこれまでの笑みを引っ込めて真剣な顔になった。

 そして、高らかに叫ぶ。

 

「おお、ミノタウロスよ! 我が宿敵よ! 我が好敵手よ! これが私とお前の運命(さだめ)だと言うのなら、私は受け入れよう! ──いざ、参らん!」

 

 ──来るか! 

 ミノタウロスは身構えた。

 そして『奴』は動き──自分に背を向けた。

 

『ブルゥ……?』

 

 怪訝な声が喉から出る。

 そして我を取り戻した時には『奴』は凄まじい速さで自分から逃げていた。

 

「ミノタウロスとか無理ぃぃぃぃぃぃイイ!? 逃げるが勝ちなんだヨ!」

 

 脱兎の如く、逃げる。

 ミノタウロスは嗤った。口元を三日月型に歪め、熱い吐息を吐き出す。

『奴』はやはり『餌』だった。

 なら、ならば──狩りの始まりだ。

 足に力を入れ、地面を蹴る。兎を思わせる『餌』を喰らい、生きる(かて)にし、自分は奴等から生き延びるのだ。

 

 

 

 

§

 

 

 

「ぎゃあああああああ!? どうして追い掛けてくるんだ!?」

 

 ダンジョンに少年の悲鳴が響く。しかし彼の問い掛けに答える者は居ない。

 異様な静けさ、それを破るのは自分の滑稽(こっけい)な悲鳴だけだということに、少年は自嘲した。

 

「いやはや、ほんと、運が良いのか悪いのか……! 神々は私のことが好きなのかもしれないネ!」

 

 少年の(よわい)は十四。穢れを知らない純白の髪に、深紅(ルベライト)の瞳は兎を想起させる。

 格好良いより、可愛いと言われる顔立ち。しかし浮かべる笑みは胡散臭(うさんくさ)いもので、それが全てを台無しにしていた。

 

「自分の取り柄の『逃げ足』が速いことに、これ程までに感謝する日が来ようとは。人生とは何が起きるか分からないものだネ」

 

 少年と猛牛の鬼ごっこは辛うじて均衡を保てていた。

 少年──ベル・クラネルはLv.1の冒険者。さらにそこに『新米』という文字が先頭につく。彼が主神によって『神の恩恵(ファルナ)』を背中に刻まれ、冒険者登録をしてからまだ一月(ひとつき)も経っていない。

 対する猛牛──ミノタウロスはLv.2に該当する凶悪なモンスター。一般的にはLv.1の冒険者がどれだけ攻撃を仕掛けても傷一つ付けることすら叶わない。

 それだけ彼我の能力値(ステイタス)には差がある。

 だがしかし、少年と猛牛の鬼ごっこは続いていた。それは少年の異常なまでの『逃げ足』が最たる理由だが、それだけではない。

 

「ここは確か──右!」

 

 少年は闇雲(やみくも)に逃走しているわけではなかった。担当アドバイザーのハーフエルフによって強制的に頭の中に記銘された記憶──すなわち、彼が居る階層の構造を彼は記憶しており、それを想起し、活かしていたのである。

 事実、もし彼が先程『右』ではなく、『左』を選んでいたら。その先にあるのは行き止まり。

 つまり──詰み(『死』)だ。

 

「エイナ嬢には感謝しなくては。今度夕餉(ゆうげ)をご馳走するとしよう。うんそうしよう」

 

 自分が生きて帰ることが出来ればの話ではあるがな、と、内心で呟く。

 

「しかし、誰か助けは来ないものか。私が全速力で走れるのはあと五分……いや、見栄を張るのはやめよう。あと二分が限界か」

 

『ヴ……ヴォォォォオオオオオオオオ!』

 

「幸か不幸か、彼はとても疲れている。つまり、彼を追い掛けている冒険者が居る筈だ」

 

 冷静に思考を回す。

 鬼ごっこを継続していられる理由、その三つ目。それはミノタウロスが疲弊を帯びているからだ。何十階層もの階層を我武者羅(がむしゃら)に登った彼は、いくらモンスターと言えども体力を削っていた。

 

「どうする……? このまま地上を目指すか? いや、だがしかし、もし私以外の冒険者と遭遇したら。彼等が私と同様下級冒険者だったら──」

 

 それは絶対に避けなければならない。

 運良く上級冒険者と遭遇する、そんなことは考えない。

 何故なら、迷宮都市(オラリオ)に居る冒険者の過半数は少年と同様にLv.1の下級冒険者。

 その確率に()けるほど、少年は愚かではなかった。

 

「追手の冒険者が到着することを待つしかないか」

 

 方針を決める。

 自分がやるべき事はこの階層でミノタウロスを引き留めること。そして恐らくは居るであろう──居なかったら『死』である──上級冒険者が来るまでの時間稼ぎ。

 

「ならば此処は──左だ!」

 

 進路をギリギリの所で変え、そのまま直進する。数秒後、ミノタウロスもそこを通った。

 そしてモンスターは邪悪に(わら)った。

 

『ヴオオオォォォ──!』

 

 それは歓喜の雄叫びだった。

 それもその筈。

 目の前にあるのは行き場を遮る壁。

 つまりとうとう自分は『餌』を追い詰めたのだ! 

 

「ふはははははははは!」

 

 一方、追い詰められた『餌』もまた、笑っていた。

 

「私を追い詰めて嬉しいか、ミノタウロスよ! 貴殿のその高揚、昂りを肌で感じるぞ! 正直に言う── 私はぶっちゃけ怖い。いやほんとに怖いんですけど何で私がこんな目にいぃぃ!?」

 

 しかし次の瞬間には涙目になって現実逃避を始めた。

 

「私は何か悪いことをしたのか!? 否、一切していない! ……筈だ!」

 

 自分に自信がなく、一応、保険をかけておく。

 少年はさめざめと内心で泣きながらも、腰に差している長剣の柄に手を伸ばした。

 

「綴る余裕はないから、()()()! 敢えて言おう! 言おう、我が英雄日誌! ──『冒険者ベル・クラネルは遂にミノタウロスと相対する。それは被害を限りなく抑えようとする想いからだった。しかしレベルの差は歴然! ベル・クラネルはそれを自覚しながらも剣を手に執った──!』──ふっ、多少は脚色しても良いよネ!」

 

『ヴオオオオオオオオオオォォォォッッッッッ!』

 

「おっと、これは失礼。ミノタウロスよ、これまでの非礼をお詫びする。これからは私も本気で行こう。一対一の真剣勝負だ」

 

 少年──ベル・クラネルは表情を引き締めた。そして自らの半身を抜く。

 その長剣は所謂(いわゆる)名刀ではない。ましてや『魔剣』でもなんでない。ギルドから借金して購入したごく一般的な長剣だ。

 これまでの数々のモンスターとの激闘により、刃こぼれが見られ、銀色の刀身は褪せている。

 このような貧弱な武器では、ミノタウロスと対峙するには不充分だ。

 それはベルも重々承知。

 

「──だが生憎! 私にはこの剣しか武器がない! そして私はこの剣と二週間の(ながい)付き合いがある! ならば私は信じよう! この相棒を!」

 

 ミノタウロスは不思議な思いだった。

『奴』が向けてくる剣が自分の筋肉を裂くとは到底思えない。表皮を切り裂けたら上々だろう。仮に骨まで届いても、そこで終わり。自身の厚い筋肉に『奴』の剣は阻まれるだろう。

 だが──。

 猛牛は『奴』の剣の切先から目を逸らせないでいた。

 そして自分が切り裂かれる有り得ない光景を幻覚する。

 

「遥か昔! 『古代(こだい)』の時代──()の英雄達は敵と戦う前に名乗りを上げていた。ならば、私もそれに乗っかろう。──私の真名はベル。ベル・クラネル! ミノタウロスよ、貴殿を討つ者だ!」

 

『ヴオオオオオオオオオオォォォォッッッッッ──!』

 

 少年と猛牛は正面から向かい合う。

 静寂が場を支配し、緊迫した空気が充満する。

 睨み合い、隙を伺う。

 最初に動いたのは──ミノタウロスの方だった。

 

『ヴオオオオォォ!』

 

 一歩で距離を詰め、豪腕を振るう。

 

「──ッ!」

 

 ベルは顔面に来た『死』を、すんでのところで上半身を反らすことで避けてみせた。そのまま後退する。

 顔にぶわっと脂汗が噴射する。

 

(危なかった……! 回避に専念していたから避けれた!)

 

 一瞬でも判断が遅ければ自分の顔は粉砕されていたと思うと震えが走る。

 無意識下でさらに後退し、背中に軽い衝撃。気付けば、ベルの身体は壁に追い詰められていた。

 

「完全に袋小路(ふくろこうじ)か……!」

 

 作っていた僅かな後ろの空間が無くなった。

 退路が完全に絶たれた。

 ミノタウロスも学習している筈だ。単調な攻撃はやめ、次は複雑なコンボを決めてくるだろう。

 そしてそれに自分が反応出来るか──? 

 

「ハハハ……正しく絶体絶命だな」

 

 乾いた笑いが出る。

 いっそ狂ったように笑えたらどれだけ良いだろうか。

 

「だが生憎。()()()()()()()()()()()()()()()。私の取り柄は『逃げ足』だけだからな。それに、私はまだ死ねない。私には願望(ねがい)がある。今度こそ──()()()()()()()()()()()()()()。そうだろう? ■■■■■■(ベル・クラネル)!」

 

 己を鼓舞する。

 そして手を前方に構え、(うた)を紡いだ。

 

雷霆(らいてい)よ全てを焼き尽くせ。全てを駆け巡れ。己が使命を全うせよ──」

 

『ヴルルルゥゥゥ……!?』

 

「──大勢(『九十九』)ではなく。また少数(『一』)でもなく。私は全ての人々(『百』)を助けよう」

 

 ただならぬ覇気(はき)に猛牛は唸った。

 そして、はたと彼は気付く。

 自分が一歩、後退していたことに。たかが一歩。されど一歩。その事実が──怒りが全身を駆け巡った。

 

「フッ、ハッタリも時には必要だネ。いざ参らん、ミノタウロスよ! 貴殿を、今、此処で討つ!」

 

『ヴオオオオオオオオォォォォッッッッッ!』

 

 やれるものならやって見るがいい! とミノタウロスが吠えた。

 それにベルはニヤリと笑って応える。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「すみませ──ん! 助けてくださ────い!」

 

『……ヴォ?』

 

 突如、打って変わった陽気な声にミノタウロスが怪訝な声を出した──次の瞬間。

 彼の怪物の胴体に一本の直線が縦に走った。

 

「いやはや、凄いものだ。これが第一級冒険者の力か」

 

 ベルが感嘆している間にも、ミノタウロスの身体には異変が次々と生じて行った。

 胴体の次は、自分が誇ってやまない胸部だった。上腕、大腿部(だいたいぶ)、下肢、肩口、そして──首と続いていく。

 

「すまない、ミノタウロスよ。()()()()()使()()()()()()()。本当に申し訳ない。私を卑怯者だと罵るが良いだろう」

 

 そう言って、『奴』は頭を下げた。そしてそれが、ミノタウロスが最期に見た光景でもある。

 自分が『奴』によって倒された訳ではないことは分かった。恐らく、背後に感じる絶対的強者が切り伏せたのだろうと当たりをつける。

 ミノタウロスは誓った。

 必ずや、自分が『奴』を殺すことを──。

 断末魔を上げる暇もなく、ミノタウロスは倒された。地に伏し、刹那、塵と化す。

 

「さて……」

 

 ベルは紫紺(しこん)の結晶……『魔石』と呼ばれる物を拾うと、ミノタウロスを倒した女性剣士に近付いた。

 その女性はとても美しかった。女神と見紛うような、とてもとても美しい女性。

 中でもとりわけ目を引いたのは、腰まで伸びた真っ直ぐな金髪。ダンジョンの薄暗い中でも燦然と輝くその金の光はあまりにも眩しい。

 その姿に、ベルは何処か()()()を覚えていた。

 

(嗚呼……『彼女』もこのように美しかったな……)

 

 懐かしい嘗ての思い出(きおく)に浸りながら、ベルは拾った魔石を見せた。

 

「これが彼の生命(いのち)の証だ。きみが倒したのだから、是非、受け取って欲しい」

 

「……良いの?」

 

「もちろんだとも」

 

「なら、貰うね……」

 

『魔石』を手渡すと、女性は僅かに微笑んだ。

 自分に向けられた美人の微笑みにベルは内心で狂喜する。もちろん、それを顔に出す訳には行かないが。

 

「助けてくれてありがとう。おかげで命拾いした」

 

「う、うん……どういたしまして……」

 

「ところで、あのミノタウロスはきみが──いや失礼。()()()が逃したモンスターかな?」

 

「……うん」

 

 それからぽつぽつと女性剣士は話し始めた。

 はっきり言って、彼女の話し方は上手ではなく、時系列もごちゃごちゃであった。

 しかし、ベルはそれを真剣に聞いていた。彼女が話し終わるのを待っていた。

 最後に彼女は一度言葉を区切ると、

 

「ごめん、なさい……」

 

「気にする必要はないさ、と言えれば良かったのだが。今後は是非とも気を付けてくれ。私のような新米冒険者では、些細な異常事態(イレギュラー)で死んでしまうからな」

 

 すると女性剣士は眦を下げた。ベルは彼女が落ち込んでいるのが何となく分かったので、「しかし!」と大声を出して注意を引く。

 

「──しかし! 貴女(あなた)のような美人と出会えたのだから良かったと思うようにしよう!」

 

「び、美人……?」

 

「ああそうだとも。貴女のような女性(ひと)と出会えて喜ばない男子(おのこ)は居ないサ!」 

 

「あ、ありがとう……ございます……?」

 

「いやいや、お礼を言うのは私の方さ! そうだ、この出会いをただの思い出にするのは惜しい。それでは(つづ)ろう、我が英雄日誌!」

 

 女性剣士が「英雄日誌……?」と訝しむ中、ベルは懐から一冊のノートと羽根ペンを取り出す。そして純白の、何も書かれてない(ページ)に黒の軌跡を刻んでいく。

 

「『冒険者ベル・クラネルは勇猛果敢にミノタウロスと戦ったが、善戦するも敗れてしまう。窮地を救ったのは金髪の女性剣士──』……失礼。貴女の真名(まな)を尋ねても?」

 

「……アイズ。アイズ・ヴァレンシュタイン……」

 

「『──なんと、アイズ・ヴァレンシュタインだった!』……ふむ、中々に良い内容だ」

 

 満足したのか、ベルは頷きながらノートをしまった。

 今度は女性剣士──アイズが尋ねる。

 

「えっと……貴方の名前は……?」

 

「おっと、これは失礼! 名乗る時は自分からするように心掛けているのだが、すっかりと忘れてしまっていた。どうか許して欲しい」

 

「う、うん……良いから、名前を教えて?」

 

「──ベル。ベル・クラネル。それが私の真名(まな)だ。どうかヨロシク! 【ロキ・ファミリア】所属の第一級冒険者──【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインよ!」

 

 そう言うと、アイズはぱちくりと瞬きした。

 

「私のこと、知ってたんだ……」

 

 それにベルは苦笑いで返した。

 

「無論だとも。私だけじゃない。迷宮都市(オラリオ)の冒険者は貴女の名前を知っているだろう。ましてや貴女の【ファミリア】は都市最大派閥。名声は世界中に届いているだろう」

 

『世界の中心』──迷宮都市(オラリオ)

 地下迷宮の『蓋』の機能を持つ摩天楼施設(バベル)

 そしてダンジョンに挑む冒険者。

 アイズ・ヴァレンシュタインが所属する派閥は迷宮都市の中でも最強集団の一角として(おそ)れられているのだ。

 

「えっと、きみは──」

 

「私のことは『ベル』と呼んでくれて構わない。代わりに、私も貴女のことは『アイズ』と呼んで良いだろうか?」

 

「う、うん……」

 

「ありがとう!」

 

 いやぁー、美人な女性の名前を下で呼べるだなんて、今日の私はついている! と一喜一憂するベルに、アイズは不思議な思いを抱いた。

 全てのことに反応し、喜びを(あらわ)にする。

 先程のミノタウロスとの戦いもそうだった。

 全てを見ていたわけじゃない。ただ、あの絶望的状況の最中にいても彼は笑っていた。

 それがアイズには不思議でしかない。少なくとも自分だったらそうは出来ない。ともすればそれは、自分が欲しくてやまない──彼女は熱い想いを秘めながら口を開けた。

 

「ねえ、ベル。きみは──」

 

 と、問い掛ける直前。

 ベルが残念とばかりに溜息を洩らした。

 

「おっと、お別れのようだ。アイズ、あの狼人(ウェアウルフ)の青年は貴女の仲間では?」

 

「あっ……ベートさん」

 

 ベルとアイズの視線の先には、一人の狼人が不機嫌そうに立っていた。

 目が合うと殺気が込められた視線が送られる。どうやら自分がナンパ紛いのことをしていたのを視られて居たようだ。獣人の五感は数多の亜人族(デミ・ヒューマン)の中でも頂点に位置する。ましてやあれだけ騒げば聞こえもするだろう。

 

「此処で一旦お別れだ。貴女は彼に付いていくと良い。私ももう、今日はダンジョンから出よう」

 

「……分かった。ねえ、ベル。もし良かったら、今度、話、しよう……?」

 

「おいアイズ!? そんな餓鬼(ガキ)に構ってねぇで早く行くぞ! フィン達が待ってる!」

 

 狼人(ウェアウルフ)が怒号を飛ばしても、アイズの耳には入らない。

 彼女の興味は自分よりも歳下──だと思われる──少年に注がれていた。

 熱意の目にベルは「困ったな」といった風に頬を掻く。

 

「私で良ければ喜んでお相手しよう」

 

「約束、だよ……?」

 

「ああ、約束だとも。私は紳士だから女性との約束は決して(たが)えないのサ!」

 

「アイズ!」 

 

「いま、行きます……ベートさん。じゃあね、ベル……」

 

 アイズは小さく手を振ってから、ベートは舌を打ってからベルの元から姿を消した。

 彼等を笑顔で見送ったベルは──ずるずると背中を壁に預けて地面に臀部を着けた。

 

「あー……疲れた……。死ぬかと思った。彼女があと少しでも遅ければどうなっていたことか……」

 

 腕の一本や二本、()われていても可笑しくなかったとベルは苦笑する。

 

「あのミノタウロスが下手に『知能』らしきものを得てくれていて助かった。それがなかったら、此処に辿り着く前に死んでいた……」

 

【ロキ・ファミリア】は何をしていているのだと各所に苦情が行っても文句は言えないだろう。

 ベルとしてもそれは同意見だ。

 ──『力』には責任が伴う。

 ましてや彼等を『英雄』と呼ぶ者は多い。そんな彼等がこのような()()()()で冒険者や市民からの信頼を損なうようなことがあっては駄目なのだ。

 

「うぅーむ……これは()の派閥に一つ貸しを作れたと思うべきか。しかし、自分から被害者面するのは避けなくては。あくまでも向こうから接触してくるのを待つべきだな」

 

 ベルとしても、殊更に事態を大きくはしたくない。

 しかし彼の思いとは別に第三者──特に、『娯楽』好きな神々は話を音速(マッハ)で広めようとするだろう。

 それに巻き込まれるのは面倒だ。いつだって神々は気紛れなのだから。

 

「さて、私ももう行こうか」

 

 これ以上の長居は危険だと判断する。

 此処は怪物達(モンスター)の巣であるダンジョン。

 先程アイズと会話を悠長に出来たのは、ミノタウロスの出現によってモンスター達が逃げていたからだ。

 しかし、彼等は(いず)れ気付くだろう。()の猛牛が倒されたことを、本能で理解するのだ。あるいは母なるダンジョンが報せるかもしれない。

 どちらにせよ、この階層に戻ってくるのは確定だ。

 壁を支えにしてベルは立ち上がる。そして眼下の景色を胸に刻んだ。

 

「ミノタウロスよ。私は約束しよう。今度こそ卑怯な手は使わず、貴殿と向き合うことを。その時は私の英雄譚の(いしずえ)になってくれ」

 

 此処で戦闘があったのを証明するのは地面に広がっている怪物の血だけだった。既に黒灰は散っていた。

 

(つづ)ろう、我が英雄日誌。──『ベル・クラネルは約束する。()の猛牛と再び戦うことを。それは冒険者としてではなく、一人の男子(おとこ)としての約束だった』──ああ、よもやこの生でもミノタウロスと(えにし)があるとは……」

 

 最後にそう呟いてから、ベルは緩慢とした動きで行き止まりの壁から離れていった。

 向かう先は地上。

 敬愛してやまない女神の元へ少年は帰還するのだ。

 

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