【ヘスティア・ファミリア】
「寝坊したァー!」
うがぁー! とツインテールが暴れる。ヘスティアは悲鳴を上げながら身嗜みを整えていた。いっそ見事に、彼女は寝坊をかましてしまった。
魔石製品の冷凍庫の扉を開けて──何も無いことに
「ヘスティア……朝から
そう、欠伸を呑気にしながら文句を言ってきた己の眷族を、ヘスティアは強く睨んだ。
ベルは掛け布団を被り直し、もう一度夢の世界に──。
「えぇい、そうはさせるか! 君も起きるんだ!」
「嫌だ! 私はもっと寝る! 何故かって? 眠たいからだ!」
ヘスティアは激怒した。
何故自分だけがこんな目に
自分だってもっと惰眠を貪りたいのに!
だがしかし、それは許されない。
何故なら自分には労働が待っているのだから。『天界』に居た頃とは違うのだ。自分で汗水を流して身体を酷使しないと、この下界では生きていけないのだ……!
「えぇい! 良い加減にするんだ!」
「うぎゃ──ッ!?」
ヘスティア、渾身の攻撃。又の名を、ツインテール・アタック。ベルは悲鳴を上げた!
ようやくベルが起床した時には、いよいよ、ヘスティアに時間の余裕はなかった。
彼女は「ふわぁ……」と呑気に目を擦っているベルに向かって、朝の伝達事項を伝える。
「ベル君、ボクは今日【
「ああ、分かった。久し振りに
「おうともさ! それと、良いかい。くれぐれも問題事は起こさないでくれよ!?」
そう言うと、ベルは心外そうに唇を尖らせた。軽い調子で「わかってるわかってる」と頷く。
一抹どころか
「それで
「ありがとう」
ベルがお礼を言った時には、ヘスティアは「女将君と給仕君に宜しくー!」と言い残し、階段を登っていた。
主神を見送った眷族は苦笑とともに一言。
「やれやれ……落ち着きのない女神だ」
友人や知人がこの場に居たら「お前がそれを言うな!」と突っ込みを入れただろうが、彼以外誰も居なかった為、彼の言葉は空気に溶けて行った。
「さて……私も
うーん、と身体を伸ばし、ベルは
何も無い冷凍庫を覗き込んで真顔になったりしながら、慣れた動作で装備を纏う。壁に掛けられている自身の愛剣を腰の
ヘスティアが忘れ物でもしたのかと思ったが、すぐに、それは違うと思い直す。自分の家にわざわざノックをする必要はない。
「どちら様──」
覗き窓がない為、扉を開けるまで向こうに誰が居るか分からない。主神に相談しなければならないと頭の片隅に記銘しながら、やや厚い扉を開けていく。
しかし、彼の
「ははっ……すまない、
笑いを
聞き覚えがある声にベルは驚きながらも、言われた通り、視線を下ろす。
果たしてそこには、小さな子供が立っていた。
「やあ、おはよう。先日以来だね、ベル・クラネル」
挨拶しながら、目深に被っているフードを外す。鮮やかな小金色の髪に、
【ロキ・ファミリア】団長──フィン・ディムナ。
ベルはぱちくりと瞬きしてから、次いで、戸惑いの表情を浮かべる。
「ええっと……フィン、どうして貴方が此処に? それにその恰好はいったい……?」
まるで正体を隠すかのような
フィンは笑みを深めて、その質問に答えた。
「約束しただろう。ベル・クラネル。僕の友人。君に
「うおおおおおおお! 急げ、急げー!」
夜。
人々がごった返すメインストリートを、
「まさか
ここ最近、定時で終わってないぞ!? とヘスティアは雇用者である、通称、『おばちゃん』に愚痴を零した。
『天界』から『下界』に降りてきて、ヘスティアはまだ一年も経っていない。だから、近日中に開かれる催し──
それが今回
「タクシーを使いたい……使いたいが、それは出来ない……!」
横を通り過ぎていく馬車を睨む。
世界で唯一『ダンジョン』を保有する
人を、そして物を
そんなタクシーではあるが、当然、サービスを利用する為には対価──つまり、運賃が必要となる。これは運ぶ人数や物の重さ、彼我の距離などで変化する。
零細派閥である【ヘスティア・ファミリア】にはそのような雑費に使うヴァリスはなかった。
なので、彼女は走る。ひたすらに走る。やがて、彼女はとある建造物の前に辿り着いた。
象の頭を持つ巨人像が、白い堀に囲まれただけの広い敷地の中で、
はっきり言って、とても目立っていた。
そしてこれこそが、『都市の憲兵』を
一番の原因は出入り口が胡座をかいた股間の中心だろう。古参の団員は慣れてしまったが、新参の団員はどういう事かと先輩や主神に直訴するのが恒例であった。
そして今夜、
「
恐るべしガネーシャ! とヘスティアは思った。その一方で。
「ガネーシャさんマジパネェっす」
「ガネーシャさん最高!」
「ガネーシャはガネーシャであったな」
ニヤニヤと笑いながら、寧ろ、嬉々として男神達は通り、麗しい女神達は無表情で通っていく。
入り口の派閥構成員に招待状を見せたヘスティアは、「あー」とわざとらしく言った。
「すまない。ボクの【ファミリア】はとても貧乏でね……ドレスが準備出来なかったんだ。そんな女神だけど、
「もちろんでございます。我々も、そして主神も、喜んで貴女を歓迎致します」
「それと……非常に申し訳なく思うんだけどね。今日は料理が出されると聞いているんだけど……」
「間違いありません。一流の
「うん、それは美味しそうだ。うんうん、これぞ『下界』の素晴らしいところだよね。それでだ、これはお願いなんだけど……余った料理を頂くことは可能かな?」
ようは、持ち帰りをしたいのである。
これには獣人の男性団員も困る。マニュアルにはない対応だが、彼は冒険者。『未知』を『既知』に変えた彼は見回りに来た団長に指示を仰ぐ。
「団長」
「どうした、何か問題でもあったか?」
「こちらの女神が──」
事情を聞いた団長の女性は即断した。
自身よりも低い女神の目線に合わせる為、膝をつける。服が汚れるのも気にせず、彼女は言った。
「料理についてですが、承知致しました。元より毎年残っていたので助かります。明日、団員が
ヘスティアは自身の名前と、
「本当に助かるよ! えっと、君の名前を聞いても良いかな?」
「【ガネーシャ・ファミリア】団長、シャクティ・ヴァルマと申します」
「ありがとう! 君のことは恩人として記憶しておくぜ!」
シャクティは苦笑いした。神の気ままな性格から来た発言だと思ったからだ。
それから彼女は「是非、楽しんでいって下さい」と言って案内係を呼ぶ。正装を着ている美人なヒューマンの女性のあとをヘスティアはてとてとと付いていった。
「女神ヘスティア。ちょうど今、
そう言いながら、彼女は大広間に通じる扉を静かに開けた。「ごゆっくりどうぞ」と慇懃に一礼をしながら送り出し、自身の持ち場に戻っていく。
独創的な外装とは違い、大広間は落ち着いた内装となっていた。
そして設けられたステージに、
「本日はよく集まってくれたな
魔石製品である『拡声器』を使い、ただでさえ大きい地声が大きく部屋に反響する。
ヘスティアは給仕から貰った
会場は立食パーティーの形式が取られていた。先程の獣人の男性団員が言ったように、出される料理は、その全てがオラリオでも屈指の
「殆どの神が居るんじゃないか……?」
ヘスティアはざっと会場を見渡す。知り合いがそこかしこで見受けられるし、逆に、交流が殆どない神も居る。
『神の宴』の招待状は、主催者が招き入れられる分だけ配られる。【ガネーシャ・ファミリア】は
民衆からの支持率は他の【ファミリア】の追随を許さない。特にガネーシャは子供から大人まで、老若男女問わずの人気者だ。
「それでは諸君! 是非とも楽しんでいってくれ!」
「「「おお──!」」」
ガネーシャ万歳! と調子が良いことを言いながら、神々がグラスをぶつけ合う。
『神の宴』の始まりだ。
ヘスティアは、まず、瞳をギラつかせて近くのテーブルに近付いた。
「せっかくの
待機している給仕を呼び「踏み台を持ってきてくれ!」と頼む。
「美味い……! とんでもなく美味い!」
女神に
小さな口を懸命に動かし、頬張る姿はまるで
また彼女だけが正装ではなく、私服姿である。髪を下ろすことで大人っぽさを精一杯出しているが、彼女の
「おいおい、あれってロリ巨乳じゃん!」
「ほんとだ、ロリ巨乳だ! す、すげえ……なんて
「っていうか、あいつ、下界に来てたんだな! てっきり天界で引きこもり生活を続けているものかと」
「いやいや、それがよ、最近は北のメインストリートでアルバイトしているんだぜ! 俺この前、子供に頭を撫でられているところ見た!」
「マジかよ! あのぐうたらで有名なロリ巨乳が!?」
「これはスクープだ! 新聞会社に情報を流せ! ウヒヒヒヒッ、どんな記事になるか楽しみだ!」
品がなく笑いながら、男神達はヘスティアを酒の
ヘスティアは、当然、それが分かっているので無視を決め込む。彼女の使命はただ一つ。少しでも腹を満たすことだ。
(でもなぁ……此処のご飯も充分に美味しいけど、彼処の酒場の方が美味しく感じるなぁ……)
つい先日行った『豊穣の女主人』を思い出す。ヘスティアにとっては、恰幅の良いドワーフの店主が出してくれた料理の方が舌に合っていた。
(ベル君……今頃は酒場に居るのかなぁ? 問題を起こしてなければ良いけど……)
連鎖的に、
ヘスティアはベルが問題事を起こしていないことを切に願った。
尚、同時刻。ベルはとある友人と『豊穣の女主人』を訪れ、友人の奢りの元、調子に乗って料理を大量に注文していた。そして注文したものは良いものの彼の腹には全て収まらず、吐き気を催しながらも気合いでフォークを動かしていた。巻き込まれた友人も気合いで付き合っていた。
そんな事を露も知らないヘスティアは、「まぁ、いっか」と持ち前の能天気さで綺麗さっぱり消し去ることにした。たとえそれが現実逃避だとしても、今は幸福に生きたいのである。
次の料理に手を伸ばそうとしたところで、側から、
「何やってんのよ、あんた……」
「むぐっ!? ん──!」
「食べてから喋りなさい……」
ヘスティアはもぐもぐもぐと一生懸命
蒼の瞳が映したのは、
だが最も目を引くのはそれではない。顔半分を覆っている黒色の皮布だ。右眼を隠しているのは大きな眼帯。
鍛冶の女神──ヘファイストスだ。
「ヘファイストス!」
「ええ、久し振りねヘスティア。元気そうで何よりよ。……
そう言って、ヘファイストスは溜息を重く吐いた。
天井を見上げ、紅蓮の長髪を
「何やら疲れているようだけど……大丈夫かい?」
「そうね……疲れを感じたのはたった今だけど、ええ、大丈夫よ」
ヘファイストスは嘆息してから、自身の
「いやぁ、やっぱり此処にきて正解だったよ! 君に出会えただけでも価値があったものだ!」
「〜〜ッ!」
「どうしたんだい? 顔を赤くして? ……ハッ、もしかして熱でもあるんじゃ!?」
大変だ! と騒ぐヘスティアを「大丈夫だから。本当に大丈夫だから!」と麗人は宥めた。
それから、心配そうに上目遣いで見詰めてくる彼女に、ヘファイストスは内心で毒づく。
(落ち着きなさい……ヘスティアの
すぅーはぁーと深呼吸し、冷静さを取り戻す。
向こうにペースを渡さない為、ヘファイストスは話を切り出した。
「随分と頑張っているみたいね。私の耳にも何回か入ってきているわ」
「えへへー、そうだろうそうだろう! 今の、社会の荒波に揉まれているボクは数ヶ月前のボクじゃないのさ! うん本当に数ヶ月前のボクは神生を舐めてたぜ……」
死んだ目になりながらヘスティアがそうやって言うものだから、ヘファイストスはそのあまりの変化に驚く。
ヘスティアが眷族──ベル・クラネルと出会い【ファミリア】を結成する前に厄介になっていたのが、何を隠そう、ヘファイストスである。
ヘスティアよりも先に下界に降臨し【ファミリア】を築き、成功を収めていたヘファイストスは、
それはもう……嬉しくて嬉しくて、
しかし、数ヶ月経ってもヘスティアは【ファミリア】を結成しようとしなかった。眷族の勧誘はやらず、ヘファイストスが貸し与えた部屋に引きこもり、下界の書物を読み漁り、気が向いたら食事をするだけの怠惰な日々。
ヘファイストスはキレた。それはもう、キレた。
これまでの友情が
堪忍袋の緒が切れ、ヘファイストスはヘスティアを
元来面倒見が良いヘファイストスは、非常に対応に困った。ヘスティアを甘やかす訳にもいかず、かといって、放置して餓死させる訳にもいかない。
女神が餓死で天界に
結局、ヘファイストスは最後の情けでヘスティアに『教会の隠し部屋』を与え、さらには、アルバイト先も斡旋した。彼女の雇い主であるおばちゃんが女神であるヘスティアを遠慮なく
(
最後に会ったのは、ヘスティアが「ボクにも眷族が出来たよー!」と笑顔で報告してきた時だ。
あの時の笑顔はそれはもう素敵なもので、思わず、同性なのにも関わらず見惚れてしまった。
「【ファミリア】の運営はどう? って、聞くまでもないか」
ヘスティアの服装、そして、声を掛ける前にやっていた行いから、芳しくないことは察せられる。
「いやぁ、中々お金が貯まらなくてね……。あっ、でもお金を借りたいだなんて言うつもりは毛頭ないから、そこは安心して欲しいな!」
ヘファイストスは涙を流す思いであった。
そんな中、一つの靴を鳴らす音が鳴った。いったい誰かとヘスティアは発生源を見て──絶句。
「ふふ……相変わらず仲が良いのね」
「き、君は……フレイヤじゃないか!」
久し振りね、と彼女は微笑んだ。
それを偶然目撃した
彼女は、容姿端麗の神々の中でも、群を抜いていた。
白磁を思わせる雪の肌。柔い臀部に、くびれのある細い腰。充分な質量を誇るその双丘はヘスティアのそれとはまた違った魅力で、
それもその筈、彼女は『美』に魅入られているのだから。
美の女神──フレイヤ。
それが女神の
「な、何で君が此処に……ッ!?」
ヘスティアの疑問に答えたのは、ヘファイストスだった。
「ああ、さっき丁度会ったの。久し振りーって挨拶して、じゃあ一緒に会場回ろうかって流れになって」
軽いよ、軽過ぎるよヘファイストス!? とヘスティアは内心で叫んだ。
とはいえ、感情の起伏が激しいヘスティアであるので、フレイヤは看破し、それから困ったように微笑んだ。
「私が居ては邪魔だったかしら?」
「い、いや、違うんだ! 違うんだよフレイヤ! 確かに
どういう事かと、フレイヤはヘファイストスと顔を見合わせ、首を傾げた。
それだけでも男共は色めき立つ。麗しの美の女神に誰が声を掛けに行くか無言の心理戦が繰り広げられていた。
一方、ヘスティアは『ヤバい!』という思いでいっぱいであった。
言葉に出した通り、
神というものは、基本的には移り気な性格の持ち主が多い。常に刺激を求めていると言えば聞こえは良いが、その本質はただの我儘だ。そんな彼等が涎を垂らして夢中になる程の力が──『美』を司る神にはある。
下界の子供達がもし『美の神』の裸体を見れば、文字通り、昇天するだろう。
それが本望だと宣う者も居る程だ。
だが──いや、だからこそだろうか。『美の神』は例外なく
程度はあるが、出来れば近付きたくない。それがヘスティアの思いであったが、しかし、今はそれ以上に彼女には隠し事があった。
(まずい……非常にまずいぞ!? もし万が一にでもフレイヤの耳に
あの時の話とは、即ち、『豊穣の女主人』での出来事であった。熟眠していた己の眷族を起こす為、ヘスティアは美の女神をネタにしたのである。
(ああ、もう! 何で今日に限ってフレイヤが此処に居るんだ!? 普段は参加しないんじゃなかったのか!?)
今日、『美の神』で参加しているのはフレイヤだけだ。
だらだらと首筋に汗を流す
「そう言えば、ヘスティアも【ファミリア】を結成したそうね。おめでとう」
「な、何でそれを……!?」
「いやいや、私達のさっきの会話を聞いていただけでしょうが」
ヘファイストスの突っ込みもヘスティアには届かない。
フレイヤは
「ふふ、何か困ったことがあったら言ってちょうだい? 【ファミリア】を結成した時が一番大変でしょう?」
「は、HAHAHA! い、いやぁー、都市最大派閥を率いる君にそう言って貰えるだなんて、とても嬉しいなぁ!」
迷宮都市で真っ先に名が挙がる派閥は二つある。
一つ目は──【ロキ・ファミリア】。
そして二つ目が──【フレイヤ・ファミリア】。
この二つの【ファミリア】が
両派閥の運営方針が両極端であることから、何かと比較されることが多い。
「気持ちだけ有難く受け取っておくよ!」
「そう? 私に気を遣っているのなら──」
「いやほんと! 大丈夫だから! ほ、ほら! 君のような大手派閥に気にかけて貰えるのは嬉しいけどさ、他の派閥からのやっかみもあるだろうし!」
上擦った声を出しながらも断固とした口調で断った。
残念だわ……と愁眉を下げるフレイヤ。
女が三人寄れば姦しい。それが女神なら尚更だ。自然と、彼女達は注目を浴びていた。
それもその筈。
炉の女神であるヘスティアはその善性によって神々から一目置かれているし、鍛冶の女神であるヘファイストスは
沢山の神達からの視線を彼女達は感じていたが、無視を決め込んでいた。そんな彼女達の元に、
「あら、ロキじゃない」
真っ先に気が付いたヘファイストスが「久し振りね」と手を挙げて挨拶をした。
「……久し振りやな、ヘファイストス、フレイヤ……そんで、ヘスティア」
「「「……!?」」」
三柱の女神は驚愕を表した。周りの神々もざわめきを起こす。
この中で最も親交があるフレイヤが、面白そうに微笑みながら尋ねた。
「あら、ロキ。貴女がヘスティアのことを名前で呼ぶだなんて……私の記憶違いじゃなければ初めてね。体調でも悪いのかしら?」
この場に居る全員の疑問を口にする。
ヘスティアがロキの名前を出すことはあっても、その反対は全然ない。ロキがヘスティアの名前を呼ぶ時はいつも『ドチビ』だ。
指摘されたロキは、苦虫を噛み潰したような表情になった。
「……んな訳あるかぁ」
「それにしては軽口にいつもの勢いがないけれど」
ロキは仏頂面だった。それから、フレイヤは「ああ」と思い出した様に言った。
「思い出したわ。ロキ、貴女大変だったみたいね」
さらに言う。
「
ロキは舌打ちをしたかった。フレイヤの笑みが心底憎たらしい。
(こんの色ボケ女神……!)
心の中で思い付く限りの罵倒を飛ばす。
元々彼女は気が長い性格ではない。だがしかし、ここで挑発に乗っては駄目だと己を
ヘファイストスが慌てて、
「私も眷族から聞いたわ。ロキの所が事件を起こすのは珍しいわね」
都市の支配者である
そして、今朝、
──『ミノタウロス上層進出事件』。これが事件の名前だ。
都市最大派閥である【ロキ・ファミリア】が起こしてしまったこの事件は既に
「……なるほどね。『神の宴』に参加している、被害者の神達に改めて謝罪をしていた。そんなところかな?」
「……そうや。そんで、ヘスティア。お前が最後や」
ふぅーん、とヘスティアは興味なさそうに、テーブルの上に置かれているパスタに手を伸ばした。だが、身長が低く手足が短い彼女では届かない。フレイヤと話をしながら、ヘファイストスが「はい」と取ってあげた。正に阿吽の呼吸である。
それを見たフレイヤが「やっぱり仲が良いわ。妬けちゃう」と言い、ヘファイストスは「揶揄わないでよ」と言いったが、満更ではなさそうな様子だった。
炉の女神は朱色の瞳を見詰め、静かに口を開けた。
「
淡々と、ヘスティアは言葉を続ける。
「女神の
「……」
「けどね、ベル君はそれを望んでいない。ロキ、何故か分かるかい?」
ロキは答えなかった。
当然だ。ロキとベル・クラネルの接点は皆無に等しいのだから。
ここでロキが知ったかぶりをしたら、ヘスティアは憤慨していただろう。
「あの子はね、ロキ。本気で『英雄』になろうとしているんだ。英雄譚を聞いた子供が憧れるように。だから、もしあの子が此処に居たら、『やめてくれ』と言うだろう。
だから、と炉の女神は計略の女神に言った。
「──
ヘファイストスはヘスティアが誇らしかった。
この女神と
やがて、ロキは言った。
「……なら、うちは何も言わへん」
「そうか、分かってくれた──」
「でもなぁ、ウチの気が収まらん!」
は? と呆然とするヘスティアに、ロキはビシッと指を突き付けた。
「
ヘスティアはその言葉に青筋を浮かべた。
距離を詰めると同時に、ロキは一歩後退する。伸ばした手は
「次会う時は背が伸びているとええな!」
「んなっ!? そう言う君だって、その無乳が膨らむと良いね。あっ、ごめん! 無いものに言っても意味ないか!」
「何やと!?」
「何さ!」
「「ぐぬぬぬ……!」」
両者、睨み合う。それは彼女達恒例の行い。喧嘩──じゃれ合いだ。
神達が好き勝手にどちらが勝つか賭けをする中、ヘスティアの攻撃をひらりと躱したロキは、へらりと笑い。
「ほな、さいなら!」
「こらぁー! 待てー!」
待てと言われて待つ奴が何処に居るん! 高笑いしながらロキは走り去っていく。そのすぐ後をヘスティアが追従して行った。
「女神様!?」
【ガネーシャ・ファミリア】の団員が慌てて、後を追って行く。主神であるガネーシャは「俺が、ガネーシャだ!」と謎のポージングして場を湧かせた。
「ふふふ……本当に、貴女達と居ると退屈しないわ」
フレイヤが今日一番の花を咲かせた。ヘファイストスは苦笑を浮かべたが、否定することはしなかった。
「それじゃあ、そろそろ私も行くわね」
「え!? もう行くの?」
「ええ、ヘスティアに当てられたのかしら。私の可愛い
「……?」
どういう事かとヘファイストスが首を傾げた時には、フレイヤはもう「また会いましょう。ヘスティアにも宜しく伝えておいて頂戴」と言って、背を向けていた。
男神達が美の女神を引き留めようと──気を引こうと──群れるが、彼女は目をくれず出口に向かっていく。その様子を女神達は軽蔑の眼差しで見ていた。
やがて、暫くすると、
「お帰り、その様子じゃあ、ロキを捕まえられなかったのね」
「ぜぇー、ぜぇー……お、可笑しい。曲がりなりにもボクはアルバイトをしているのに。なのに何で追い付けなかったんだ……!」
ヘスティアは絶望していた。
ヘファイストスは理由が分かっていたが、「何でかしらね?」と言うだけにしておいた。
「あれ? フレイヤは?」
「ついさっき帰ったわ。貴女に宜しくだって」
伝言を受け取ったヘスティアは頭上にクエスチョンマークを浮かべた。彼女には腑に落ちない点があった。
「
「変って、何がよ」
「フレイヤさ。ボク達はこれまで、接点が特になかったんだぜ? なのに『困ったことがあれば何か言って頂戴?』なんて言ってきてさ……うん、やっぱり可笑しいよ」
「そう? 私は彼女の善意だと解釈したけれど」
「だとしても、だよ。うぅーん、分かんないなぁ……」
らしくもなく、ヘスティアは思考に耽る。だが、いくら考えても答えには辿り着かなかったので、頭の片隅にメモをするのに留めておいた。
その後、数時間に渡って『神の宴』は開かれた。
ヘスティアは天界から親交がある神々と再会を果たし、喜びを分かちあった。
神々の時間の感覚は下界の子供達とはズレている。何故なら、彼等彼女等には時間という概念がないからだ。数百年振りに会っても「お
「
残念だ、としょぼんするヘスティアを、ヘファイストスが励ます。
「仕方がないわよ。彼女は、こういった催しはあまり好きじゃないから」
「そうだけどさぁー。せっかく会えると思ったのに」
「大丈夫。彼女もオラリオで【ファミリア】を築いているわ。近いうちに会えるわよ」
それもそっかと、ヘスティアは頷いた。
「いやぁー、久し振りに皆と会えて良かったよ。特にデメテルと会えたのは良かったかな!」
「お裾分けを強請っておいてよく言うわよ……」
「失礼な! ただほんのちょっと、余っている分を貰えないかなぁって思っただけさ」
話に挙がった『デメテル』は
そんな彼女とヘスティアは親交があり、『野菜が欲しいな。チラッ、チラッ』と態とらしくアピール。デメテルはおっとりとした笑顔でお裾分けを約束してくれたのだ。
「ディアンケヒトにも言ってみなさい。『この儂が
「大丈夫さ、ボク達がお世話になっているのはミアハだからね」
ああ言えばこう言うと、ヘスティアの屁理屈にヘファイストスは溜息を吐いた。本人は至って真面目に答えているのだから質が悪い。
「そう言えば、ミアハの姿を見ないわね」
「彼処もボク達と同じくらいに貧乏だからねえ。きっと、薬の開発でもしているんだろうさ」
話題は尽きなかった。
『神の宴』は時間の経過に比例して盛り上がっていく。ガネーシャが何度も「俺が、ガネーシャだ!」とステージで叫ぶものだから、神達は腹を抱えて大爆笑。団員達は最初こそ諌めていたが、すぐに諦め、放置していた。
しかし、流石に深夜の時間帯になれば会場を出ていく者がぽつぽつと出始める。男女率では女神の方が圧倒的に多い。敬愛している主神を迎えに来る眷族も居る程だ。
ここから『神の宴』は二次会に移行し始めるのだ。
「どうする? まだ残る?」
ヘファイストスが問うた。ヘスティアは「あー……」と、おずおずと
「ヘファイストス、この後、用事はあるかい?」
「いいえ、ないけど」
ぱあっとヘスティアは無垢な笑みを咲かせる。
「な、ならさ! 二人で何処か飲みに行かないかい?」
「ええ、それはもちろん構わないけれど……でもヘスティア、お金はあるの?」
「うぐっ……痛いところを突いてくるね。500ヴァリスくらいかな」
視線を逸らしながら、ヘスティアは正直に打ち明けた。
まあそうよねと、ヘファイストスは頷いた。彼女も通った道だから、共感出来る。
しかし、そうではない性格の悪い神も居る。女神のあまりの所持金の少なさに、豪華な衣装に身を包んだ男神が高笑いした。
「がはははは! この貧乏人め! たったそれだけの額とはな!」
「し、仕方ないだろう! 【ファミリア】を結成してまだ一ヶ月も経っていないんだ!」
男神──医療を司るディアンケヒトはその反論を鼻で笑って切って捨てた。
彼は医療と製薬を提供している【ディアンケヒト・ファミリア】の主神である。腕が良い
(何でディアンケヒトが……? ヘスティアとはあまり面識はなかった筈だけど……)
ヘファイストスが訝しむ中、彼はずんずんと大股でヘスティアに近付き、見下ろした。
老人と若い娘が向き合っているその絵面は、犯罪臭を感じさせる。
「貴様の所の眷族だが」
ディアンケヒトは、そう、話を切り出した。
「ベル君の事かい……?」
まさか知り合いなのかとヘスティアは
ベルの交友関係の全てを彼女は知らないし、知る気もない。二人は確かに
何かと問題を起こす少年のことだ。ディアンケヒトと繋がっていても可笑しくはない。
身構えるヘスティアに、ディアンケヒトは言った。
「儂の眷族がベル・クラネルに助けられたと、本人から聞いている。また、友人であるともな」
「は、はあ……」
「これを貧乏人に施してやる」
言いながら、ディアンケヒトは懐から札束を取り出した。ヘスティアは差し出されたそれを反射的に受け取ってしまう。
「んにゃっ!?」
目を丸くし、ヘスティアは奇声を上げた。
それもその筈、なんと、その額は10万ヴァリス。貧乏人である彼女からしたら大金だ。
「な……なっ……!?」
開いた口が塞がらない彼女を、ディアンケヒトは嘲笑う。
「ふふん、たったこれくらいで大袈裟な奴め!」
巨万の富を築き上げている彼からすれば、10万ヴァリスなど
「それで? あんたはヘスティアに何がしたいのよ?」
「言っただろう、貧乏人への施しだとな! お前の眷族に伝えておけ! アミッドに変なことを吹き込むなと! 最近、妙に儂に反抗的で、手を焼いているのだ!」
アミッドって誰だよとヘスティアは思ったが、ヘファイストスはその名前に聞き覚えがあった。
(ディアンケヒトに反抗的……? あの、人形みたいな彼女が?)
ディアンケヒトの言葉は続く。
「アミッドめ……
「まあ、素敵なことじゃない」
ヘファイストスの手放しの称賛に、ディアンケヒトはクワッと目を見開いた。
「素敵だと!? 製薬するのにどれだけの費用と手間が掛かっていると思う!? 貴様も武具を製造しているなら分かるだろう!?」
「それは、まあ、そうだけど……」
「なのにアミッドと来たら『重々承知です。あくまでも私個人の活動にするつもりですから、ご安心を』等とほざきおって」
こいつも苦労しているんだなぁーと、ヘスティアは頭を抱えるディアンケヒトを見て、そう思った。
【ヘスティア・ファミリア】は
「儂も、もう帰る! 次会う時はドレスを着れると良いな!」
来た時と同様、ディアンケヒトはずんずんと大股で出口に向かっていく。
「ちょっ、待ってくれ! 結局、このお金は!?」
「勝手にするが良い! 眷族を助けて貰った礼金だ!」
その言葉を残し、男神は会場をあとにした。それを目撃していた
ヘスティアは「えぇ……」と最初こそ狼狽えていたが、すぐに瞳をきらきらと輝かせる。両手が摑んでいる札束を決して落とさぬよう握った。
「軍資金が手に入った! よし、ボク達も行こう!」
「あ、あんたね……それで良いの?」
「貰える物は貰うさ!」
うきうき気分のヘスティアにどの言葉を投げても、彼女はあの手この手を使って受け取らないだろうことは想像に難くない。
酒を一杯や二杯程度なら奢ることも吝かではなかったヘファイストスは、はあ、と本日何度目かの溜息を吐いた。きょとんと目を瞬かせるヘスティアに、苦笑をふんだんに混ぜた笑みを向ける。
「行きましょう。私の行き付けのバーを紹介してあげる。ヘスティアもきっと楽しめるわ」
「おおっ! それは楽しみだ!」
二柱の女神は『神の宴』をひっそりと抜けた。
だが、彼女達の交流は終わらない。話すことはまだ沢山あるのだから。
「そうだ、ヘファイストス。ボク、ある物を探しているんだけど──」
星々が今宵も、下界を明るく照らしていた。