さあ──『喜劇』を始めよう!   作:Sakiru

10 / 91
『神の宴』

 

【ヘスティア・ファミリア】本拠(ホーム)──『教会の隠し部屋』は忙しい朝を迎えていた。

 

「寝坊したァー!」

 

 うがぁー! とツインテールが暴れる。ヘスティアは悲鳴を上げながら身嗜みを整えていた。いっそ見事に、彼女は寝坊をかましてしまった。

 魔石製品の冷凍庫の扉を開けて──何も無いことに愕然(がくぜん)とする。そう言えば食材の補充をしていなかったな……と頭を抱えた。

 

「ヘスティア……朝から(うるさ)いぞ……」

 

 そう、欠伸を呑気にしながら文句を言ってきた己の眷族を、ヘスティアは強く睨んだ。

 ベルは掛け布団を被り直し、もう一度夢の世界に──。

 

「えぇい、そうはさせるか! 君も起きるんだ!」

 

「嫌だ! 私はもっと寝る! 何故かって? 眠たいからだ!」

 

 ヘスティアは激怒した。

 何故自分だけがこんな目に()わなければならないのかと。

 自分だってもっと惰眠を貪りたいのに!

 だがしかし、それは許されない。

 何故なら自分には労働が待っているのだから。『天界』に居た頃とは違うのだ。自分で汗水を流して身体を酷使しないと、この下界では生きていけないのだ……!

 

「えぇい! 良い加減にするんだ!」

 

「うぎゃ──ッ!?」

 

 ヘスティア、渾身の攻撃。又の名を、ツインテール・アタック。ベルは悲鳴を上げた! 

 ようやくベルが起床した時には、いよいよ、ヘスティアに時間の余裕はなかった。

 彼女は「ふわぁ……」と呑気に目を擦っているベルに向かって、朝の伝達事項を伝える。

 

「ベル君、ボクは今日【群衆の主(ガネーシャ)】主催の『神の宴』に行ってくる! そこではご飯が出されると聞いているから、今日は一人で食べてくれ!」

 

「ああ、分かった。久し振りに神友(しんゆう)と会うのだから、私には気を遣わず、存分に楽しんできて欲しい」

 

「おうともさ! それと、良いかい。くれぐれも問題事は起こさないでくれよ!?」

 

 そう言うと、ベルは心外そうに唇を尖らせた。軽い調子で「わかってるわかってる」と頷く。

 一抹どころか()()の不安をヘスティアは覚えたが、念を押している時間はないと判断、厳重に管理されている金庫から500ヴァリスを取り出し、彼に投げ渡す。

 

「それで彼処(あそこ)の酒場にでも行っておいで! 給仕君もベル君を待っているだろうから!」

 

「ありがとう」

 

 ベルがお礼を言った時には、ヘスティアは「女将君と給仕君に宜しくー!」と言い残し、階段を登っていた。

 主神を見送った眷族は苦笑とともに一言。

 

「やれやれ……落ち着きのない女神だ」

 

 友人や知人がこの場に居たら「お前がそれを言うな!」と突っ込みを入れただろうが、彼以外誰も居なかった為、彼の言葉は空気に溶けて行った。

 

「さて……私も支度(したく)を済ませるとしよう。ヘスティアから軍資金は渡されたが……自分の食い扶持くらい、自分で稼がなくては」

 

 うーん、と身体を伸ばし、ベルは寝台(ベッド)を名残惜しく思いながら本格的に活動を始める。

 何も無い冷凍庫を覗き込んで真顔になったりしながら、慣れた動作で装備を纏う。壁に掛けられている自身の愛剣を腰の調革(ベルト)に吊るしたところで、部屋の唯一の扉から、コンコンコン、というノック音が鳴った。

 ヘスティアが忘れ物でもしたのかと思ったが、すぐに、それは違うと思い直す。自分の家にわざわざノックをする必要はない。

 

「どちら様──」

 

 覗き窓がない為、扉を開けるまで向こうに誰が居るか分からない。主神に相談しなければならないと頭の片隅に記銘しながら、やや厚い扉を開けていく。

 しかし、彼の深紅(ルベライト)の瞳が人物を映すことはなかった。自分の聞き間違いかと疑ったところで、

 

「ははっ……すまない、(した)だよ」

 

 笑いを(こら)えた声が出た。

 聞き覚えがある声にベルは驚きながらも、言われた通り、視線を下ろす。

 果たしてそこには、小さな子供が立っていた。

 

「やあ、おはよう。先日以来だね、ベル・クラネル」

 

 挨拶しながら、目深に被っているフードを外す。鮮やかな小金色の髪に、碧眼(へきがん)(あらわ)になった。

【ロキ・ファミリア】団長──フィン・ディムナ。

 ベルはぱちくりと瞬きしてから、次いで、戸惑いの表情を浮かべる。

 

「ええっと……フィン、どうして貴方が此処に? それにその恰好はいったい……?」

 

 まるで正体を隠すかのような小人族(パルゥム)専用のローブを纏っている友人に、ベルは目を白黒させた。

 フィンは笑みを深めて、その質問に答えた。

 

「約束しただろう。ベル・クラネル。僕の友人。君に贈物(プレゼント)をするとね。──突然で申し訳ないが、今日は空いてるかな? もし空いているなら、僕とダンジョンに行かないかい?」

 

 

 

 

§

 

 

 

「うおおおおおおお! 急げ、急げー!」

 

 夜。

 今宵(こよい)も月が浮かび、人々を優しく照らす。魔石灯の街灯がつき、迷宮都市(オラリオ)に光を与えていた。

 人々がごった返すメインストリートを、一柱(ひとり)の幼い女神が身体を揉まれながらも進撃(しんげき)していた。

 

「まさか怪物祭(モンスターフィリア)とやらの準備が、こんなにも大変だなんて……」

 

 ここ最近、定時で終わってないぞ!? とヘスティアは雇用者である、通称、『おばちゃん』に愚痴を零した。

『天界』から『下界』に降りてきて、ヘスティアはまだ一年も経っていない。だから、近日中に開かれる催し──怪物祭(モンスターフィリア)について何も知らなかった。

 それが今回(あだ)となった。ヘスティアが勤めている『ジャガ丸くんの屋台』は、毎年、怪物祭(モンスターフィリア)に出店しているようで、今日はそのオリエンテーションだったのだ。オリエンテーション、といっても、毎年のことなのでヘスティア以外のスタッフは勝手を知っている為、すぐに終わり。訳が分からないまま矢継ぎ早に飛ばされてくる指示に従い、気が付いたら、今日一日を終えていた──と、言いたいところではあるが、彼女にはまだやる事があった。

 

「タクシーを使いたい……使いたいが、それは出来ない……!」

 

 横を通り過ぎていく馬車を睨む。

 世界で唯一『ダンジョン』を保有する迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオは広い。世界中から(つど)う冒険者、労働者、市民、そして神々が住んでいるこの都市の総面積は諸都市とは比べるまでもない。そんな広過ぎる都市を徒歩で歩くのは時間が掛かるし、疲れると、他の移動手段が確立されるのは自然の流れであった。

 人を、そして物を輸送(ゆそう)する馬車を気紛れな神々がいつからか『タクシー』と呼ぶようになり、すぐに浸透したという経緯がある。

 そんなタクシーではあるが、当然、サービスを利用する為には対価──つまり、運賃が必要となる。これは運ぶ人数や物の重さ、彼我の距離などで変化する。

 零細派閥である【ヘスティア・ファミリア】にはそのような雑費に使うヴァリスはなかった。

 なので、彼女は走る。ひたすらに走る。やがて、彼女はとある建造物の前に辿り着いた。

 象の頭を持つ巨人像が、白い堀に囲まれただけの広い敷地の中で、胡座(あぐら)をかいて座っている。主張が激しいその象の大きさは30M(メドル)にも及ぶだろうか。威風堂々と胸を張るその姿に、見た者は例外なく感心したりだとか、呆れたりだとか、何かしらの感想を抱くのであった。夜ということで、現在は無数の魔石灯によってライトアップされていた。

 はっきり言って、とても目立っていた。

 そしてこれこそが、『都市の憲兵』を(にな)い、民衆から絶大な支持を得ている派閥──【ガネーシャ・ファミリア】の本拠(ホーム)、『アイアム・ガネーシャ』である。主人によって貯金はたいて土地を購入及び建造したのは良いものの、団員からは専ら不評である。

 一番の原因は出入り口が胡座をかいた股間の中心だろう。古参の団員は慣れてしまったが、新参の団員はどういう事かと先輩や主神に直訴するのが恒例であった。

 そして今夜、此処(ここ)で『神の宴』が行われる。

 

処女神(ボク)が通るのは些か抵抗があるな……」

 

 恐るべしガネーシャ! とヘスティアは思った。その一方で。

 

「ガネーシャさんマジパネェっす」

 

「ガネーシャさん最高!」

 

「ガネーシャはガネーシャであったな」

 

 ニヤニヤと笑いながら、寧ろ、嬉々として男神達は通り、麗しい女神達は無表情で通っていく。

 入り口の派閥構成員に招待状を見せたヘスティアは、「あー」とわざとらしく言った。

 

「すまない。ボクの【ファミリア】はとても貧乏でね……ドレスが準備出来なかったんだ。そんな女神だけど、(はい)れるかい?」

 

「もちろんでございます。我々も、そして主神も、喜んで貴女を歓迎致します」

 

「それと……非常に申し訳なく思うんだけどね。今日は料理が出されると聞いているんだけど……」

 

「間違いありません。一流の料理人(コック)達が腕によりをかけて作った料理は絶品でございます」

 

「うん、それは美味しそうだ。うんうん、これぞ『下界』の素晴らしいところだよね。それでだ、これはお願いなんだけど……余った料理を頂くことは可能かな?」

 

 ようは、持ち帰りをしたいのである。

 これには獣人の男性団員も困る。マニュアルにはない対応だが、彼は冒険者。『未知』を『既知』に変えた彼は見回りに来た団長に指示を仰ぐ。

 

「団長」

 

「どうした、何か問題でもあったか?」

 

「こちらの女神が──」

 

 事情を聞いた団長の女性は即断した。

 自身よりも低い女神の目線に合わせる為、膝をつける。服が汚れるのも気にせず、彼女は言った。

 

「料理についてですが、承知致しました。元より毎年残っていたので助かります。明日、団員が本拠(ホーム)に伺いましょう」

 

 ヘスティアは自身の名前と、本拠(ホーム)の所在地を告げた。手続きを終え、彼女は満面の笑みを浮かべた。

 

「本当に助かるよ! えっと、君の名前を聞いても良いかな?」

 

「【ガネーシャ・ファミリア】団長、シャクティ・ヴァルマと申します」

 

「ありがとう! 君のことは恩人として記憶しておくぜ!」

 

 シャクティは苦笑いした。神の気ままな性格から来た発言だと思ったからだ。

 それから彼女は「是非、楽しんでいって下さい」と言って案内係を呼ぶ。正装を着ている美人なヒューマンの女性のあとをヘスティアはてとてとと付いていった。

 

「女神ヘスティア。ちょうど今、主神(ガネーシャ)が宴の挨拶をしております。是非ともご清聴下さい」

 

 そう言いながら、彼女は大広間に通じる扉を静かに開けた。「ごゆっくりどうぞ」と慇懃に一礼をしながら送り出し、自身の持ち場に戻っていく。

 独創的な外装とは違い、大広間は落ち着いた内装となっていた。

 そして設けられたステージに、一柱(ひとり)の男神が立っていた。何を隠そう、象の仮面を被ったその男神こそが──【群衆の主】であるガネーシャである。

 

「本日はよく集まってくれたな(みな)の者! 今回の宴もこれ程の同郷者に出席して頂きガネーシャ超感激! 数百年振りに再会する神も居るだろう! 是非とも交流を楽しんでいって欲しい! 愛しているぞお前達! さて、積もる話はあるが、今年も例年通り三日後にはフィリア祭を開催する。どうか皆の【ファミリア】にはご協力をお願いしたく──」

 

 魔石製品である『拡声器』を使い、ただでさえ大きい地声が大きく部屋に反響する。

 ヘスティアは給仕から貰った葡萄酒(ぶどうしゅ)をちびちびと飲みながら挨拶を聞いていたが、他の神々は案の定、主催者の言葉など華麗に聞き流して各々雑談していた。

 会場は立食パーティーの形式が取られていた。先程の獣人の男性団員が言ったように、出される料理は、その全てがオラリオでも屈指の料理人(コック)が作る極上のもの。果実は瑞々しい光沢があり、配られている葡萄酒(ぶどうしゅ)はとある農業系【ファミリア】が栽培したものだ。

 

「殆どの神が居るんじゃないか……?」

 

 ヘスティアはざっと会場を見渡す。知り合いがそこかしこで見受けられるし、逆に、交流が殆どない神も居る。

『神の宴』の招待状は、主催者が招き入れられる分だけ配られる。【ガネーシャ・ファミリア】は迷宮都市(オラリオ)でも指折りの派閥であり、それは都市最大派閥である【ロキ・ファミリア】に勝るとも劣らず、抱えている上級冒険者の数は最も多い。【群衆(ぐんしゅう)(あるじ)】を標榜(ひょうぼう)しているガネーシャの派閥方針は都市の安寧。治安を維持する為、彼等は犯罪者を捕まえては管理機関(ギルド)に引き渡している。

 民衆からの支持率は他の【ファミリア】の追随を許さない。特にガネーシャは子供から大人まで、老若男女問わずの人気者だ。

 

「それでは諸君! 是非とも楽しんでいってくれ!」

 

「「「おお──!」」」

 

 ガネーシャ万歳! と調子が良いことを言いながら、神々がグラスをぶつけ合う。

『神の宴』の始まりだ。

 ヘスティアは、まず、瞳をギラつかせて近くのテーブルに近付いた。

 

「せっかくの立食形式(タダめし)だ……! ベル君には悪いけど、遠慮なくお腹をいっぱいにするぜ!」

 

 待機している給仕を呼び「踏み台を持ってきてくれ!」と頼む。兎人(ヒュームバニー)の青年は哀れみの目で見てから、要望に応えた。

 

「美味い……! とんでもなく美味い!」

 

 女神に矜恃(プライド)なんてものはなかった。

 小さな口を懸命に動かし、頬張る姿はまるで栗鼠(りす)のよう。この場に彼女の眷族が居たら「流石はヘスティアだ!」と主神に呆れることなく、寧ろ、感激するだろう。

 また彼女だけが正装ではなく、私服姿である。髪を下ろすことで大人っぽさを精一杯出しているが、彼女の()()はとても目立っていた。すぐに男神達の目に留まる。

 

「おいおい、あれってロリ巨乳じゃん!」

 

「ほんとだ、ロリ巨乳だ! す、すげえ……なんて凶器(おっぱい)だ……! あれだけで人を殺せるんじゃないか!?」

 

「っていうか、あいつ、下界に来てたんだな! てっきり天界で引きこもり生活を続けているものかと」

 

「いやいや、それがよ、最近は北のメインストリートでアルバイトしているんだぜ! 俺この前、子供に頭を撫でられているところ見た!」

 

「マジかよ! あのぐうたらで有名なロリ巨乳が!?」

 

「これはスクープだ! 新聞会社に情報を流せ! ウヒヒヒヒッ、どんな記事になるか楽しみだ!」

 

 品がなく笑いながら、男神達はヘスティアを酒の(さかな)にして盛り上がる。彼女の外見的特徴は多くの神達にとっては格好の揶揄(からか)い対象であるのだ。

 ヘスティアは、当然、それが分かっているので無視を決め込む。彼女の使命はただ一つ。少しでも腹を満たすことだ。

 

(でもなぁ……此処のご飯も充分に美味しいけど、彼処の酒場の方が美味しく感じるなぁ……)

 

 つい先日行った『豊穣の女主人』を思い出す。ヘスティアにとっては、恰幅の良いドワーフの店主が出してくれた料理の方が舌に合っていた。

 

(ベル君……今頃は酒場に居るのかなぁ? 問題を起こしてなければ良いけど……)

 

 連鎖的に、眷族(かぞく)のことも思い出す。

 ヘスティアはベルが問題事を起こしていないことを切に願った。

 尚、同時刻。ベルはとある友人と『豊穣の女主人』を訪れ、友人の奢りの元、調子に乗って料理を大量に注文していた。そして注文したものは良いものの彼の腹には全て収まらず、吐き気を催しながらも気合いでフォークを動かしていた。巻き込まれた友人も気合いで付き合っていた。

 そんな事を露も知らないヘスティアは、「まぁ、いっか」と持ち前の能天気さで綺麗さっぱり消し去ることにした。たとえそれが現実逃避だとしても、今は幸福に生きたいのである。

 次の料理に手を伸ばそうとしたところで、側から、

 

「何やってんのよ、あんた……」

 

「むぐっ!? ん──!」

 

「食べてから喋りなさい……」

 

 ヘスティアはもぐもぐもぐと一生懸命咀嚼(そしゃく)し、ごくんと嚥下(えんげ)し、声主に振り返る。

 蒼の瞳が映したのは、一柱(ひとり)の女神であった。燃えるような(あか)い髪に、同色の瞳、そしてドレス。耳につけている貴金属のイヤリングはその美貌を引き立てることが出来ておらず、負けてしまっているだろう。

 だが最も目を引くのはそれではない。顔半分を覆っている黒色の皮布だ。右眼を隠しているのは大きな眼帯。

 鍛冶の女神──ヘファイストスだ。

 

「ヘファイストス!」

 

「ええ、久し振りねヘスティア。元気そうで何よりよ。……神友(しんゆう)としては、もう少しマシな姿を見せてくれたらもっと嬉しかったんだけど」

 

 そう言って、ヘファイストスは溜息を重く吐いた。

 天井を見上げ、紅蓮の長髪を(きら)めかせる神友(しんゆう)を、ヘスティアは不思議そうに見た。

 

「何やら疲れているようだけど……大丈夫かい?」

 

「そうね……疲れを感じたのはたった今だけど、ええ、大丈夫よ」

 

 ヘファイストスは嘆息してから、自身の神友(しんゆう)はこういう奴だったなと思い出した。

 

「いやぁ、やっぱり此処にきて正解だったよ! 君に出会えただけでも価値があったものだ!」

 

「〜〜ッ!」

 

「どうしたんだい? 顔を赤くして? ……ハッ、もしかして熱でもあるんじゃ!?」

 

 大変だ! と騒ぐヘスティアを「大丈夫だから。本当に大丈夫だから!」と麗人は宥めた。

 それから、心配そうに上目遣いで見詰めてくる彼女に、ヘファイストスは内心で毒づく。

 

(落ち着きなさい……ヘスティアの()()はいつものこと。毎回反応していたらきりがないわ……)

 

 すぅーはぁーと深呼吸し、冷静さを取り戻す。

 向こうにペースを渡さない為、ヘファイストスは話を切り出した。

 

「随分と頑張っているみたいね。私の耳にも何回か入ってきているわ」

 

「えへへー、そうだろうそうだろう! 今の、社会の荒波に揉まれているボクは数ヶ月前のボクじゃないのさ! うん本当に数ヶ月前のボクは神生を舐めてたぜ……」

 

 死んだ目になりながらヘスティアがそうやって言うものだから、ヘファイストスはそのあまりの変化に驚く。

 ヘスティアが眷族──ベル・クラネルと出会い【ファミリア】を結成する前に厄介になっていたのが、何を隠そう、ヘファイストスである。

 ヘスティアよりも先に下界に降臨し【ファミリア】を築き、成功を収めていたヘファイストスは、神友(しんゆう)が下界に来たことがとても嬉しかった。

 それはもう……嬉しくて嬉しくて、本拠(ホーム)に泊める程には彼女達は仲が良かった。

 しかし、数ヶ月経ってもヘスティアは【ファミリア】を結成しようとしなかった。眷族の勧誘はやらず、ヘファイストスが貸し与えた部屋に引きこもり、下界の書物を読み漁り、気が向いたら食事をするだけの怠惰な日々。

 ヘファイストスはキレた。それはもう、キレた。

 これまでの友情が音速(マッハ)で無くなっていった。零にならなかったのが奇跡である。

 堪忍袋の緒が切れ、ヘファイストスはヘスティアを本拠(ホーム)から追い出した。しかし、ヘスティアはやれお金がないだの仕事先が見付からないだの雨風を凌げる場所がないだのと懲りずに神友(しんゆう)を頼った。

 元来面倒見が良いヘファイストスは、非常に対応に困った。ヘスティアを甘やかす訳にもいかず、かといって、放置して餓死させる訳にもいかない。

 女神が餓死で天界に(かえ)るなんてことがあったら後世にまで伝えられる笑い話である。

 結局、ヘファイストスは最後の情けでヘスティアに『教会の隠し部屋』を与え、さらには、アルバイト先も斡旋した。彼女の雇い主であるおばちゃんが女神であるヘスティアを遠慮なく()き使うのは、ヘファイストスからそのように言われていたからである。

 

眷族(こども)が出来て変わったみたいね……)

 

 最後に会ったのは、ヘスティアが「ボクにも眷族が出来たよー!」と笑顔で報告してきた時だ。

 あの時の笑顔はそれはもう素敵なもので、思わず、同性なのにも関わらず見惚れてしまった。

 

「【ファミリア】の運営はどう? って、聞くまでもないか」

 

 ヘスティアの服装、そして、声を掛ける前にやっていた行いから、芳しくないことは察せられる。

 

「いやぁ、中々お金が貯まらなくてね……。あっ、でもお金を借りたいだなんて言うつもりは毛頭ないから、そこは安心して欲しいな!」

 

 ヘファイストスは涙を流す思いであった。

 社会不適合者(ニート)の成長を感じる。これが、駄目な子供を持つ親の気持ちなのかと本気で思った。

 そんな中、一つの靴を鳴らす音が鳴った。いったい誰かとヘスティアは発生源を見て──絶句。

 

「ふふ……相変わらず仲が良いのね」

 

「き、君は……フレイヤじゃないか!」

 

 久し振りね、と彼女は微笑んだ。

 それを偶然目撃した一柱(ひとり)の男神がノックダウン、会場は何事かと大いにざわめく。

 彼女は、容姿端麗の神々の中でも、群を抜いていた。

 白磁を思わせる雪の肌。柔い臀部に、くびれのある細い腰。充分な質量を誇るその双丘はヘスティアのそれとはまた違った魅力で、妖艶(ようえん)であった。彼女の一挙一動に『美』がある。その美貌はもはや超越しているといっても過言ではないだろう。

 それもその筈、彼女は『美』に魅入られているのだから。

 美の女神──フレイヤ。

 それが女神の真名(まな)だ。

 

「な、何で君が此処に……ッ!?」

 

 ヘスティアの疑問に答えたのは、ヘファイストスだった。

 

「ああ、さっき丁度会ったの。久し振りーって挨拶して、じゃあ一緒に会場回ろうかって流れになって」

 

 軽いよ、軽過ぎるよヘファイストス!? とヘスティアは内心で叫んだ。

 とはいえ、感情の起伏が激しいヘスティアであるので、フレイヤは看破し、それから困ったように微笑んだ。

 

「私が居ては邪魔だったかしら?」

 

「い、いや、違うんだ! 違うんだよフレイヤ! 確かに処女神(ボク)美の神(きみ)が苦手だけれど、今回はそうじゃないんだ!」

 

 どういう事かと、フレイヤはヘファイストスと顔を見合わせ、首を傾げた。

 それだけでも男共は色めき立つ。麗しの美の女神に誰が声を掛けに行くか無言の心理戦が繰り広げられていた。

 一方、ヘスティアは『ヤバい!』という思いでいっぱいであった。

 言葉に出した通り、処女神(ヘスティア)美の女神(フレイヤ)とは相性が悪い。それは在り方として、仕方がないのだ。

 神というものは、基本的には移り気な性格の持ち主が多い。常に刺激を求めていると言えば聞こえは良いが、その本質はただの我儘だ。そんな彼等が涎を垂らして夢中になる程の力が──『美』を司る神にはある。

 下界の子供達がもし『美の神』の裸体を見れば、文字通り、昇天するだろう。

 それが本望だと宣う者も居る程だ。

 だが──いや、だからこそだろうか。『美の神』は例外なく()()()()()()をしている。

 程度はあるが、出来れば近付きたくない。それがヘスティアの思いであったが、しかし、今はそれ以上に彼女には隠し事があった。

 

(まずい……非常にまずいぞ!? もし万が一にでもフレイヤの耳に()()()()()が入ったら……)

 

 あの時の話とは、即ち、『豊穣の女主人』での出来事であった。熟眠していた己の眷族を起こす為、ヘスティアは美の女神をネタにしたのである。

 

(ああ、もう! 何で今日に限ってフレイヤが此処に居るんだ!? 普段は参加しないんじゃなかったのか!?)

 

 今日、『美の神』で参加しているのはフレイヤだけだ。

 だらだらと首筋に汗を流す神友(しんゆう)を、ヘファイストスは不思議そうに見ていた。

 

「そう言えば、ヘスティアも【ファミリア】を結成したそうね。おめでとう」

 

「な、何でそれを……!?」

 

「いやいや、私達のさっきの会話を聞いていただけでしょうが」

 

 ヘファイストスの突っ込みもヘスティアには届かない。

 フレイヤは蠱惑的(こわくてき)に微笑み、言った。

 

「ふふ、何か困ったことがあったら言ってちょうだい? 【ファミリア】を結成した時が一番大変でしょう?」

 

「は、HAHAHA! い、いやぁー、都市最大派閥を率いる君にそう言って貰えるだなんて、とても嬉しいなぁ!」

 

 迷宮都市で真っ先に名が挙がる派閥は二つある。

 一つ目は──【ロキ・ファミリア】。

 そして二つ目が──【フレイヤ・ファミリア】。

 この二つの【ファミリア】が迷宮都市(オラリオ)を代表とする都市最大派閥だ。

 両派閥の運営方針が両極端であることから、何かと比較されることが多い。

 

「気持ちだけ有難く受け取っておくよ!」

 

「そう? 私に気を遣っているのなら──」

 

「いやほんと! 大丈夫だから! ほ、ほら! 君のような大手派閥に気にかけて貰えるのは嬉しいけどさ、他の派閥からのやっかみもあるだろうし!」

 

 上擦った声を出しながらも断固とした口調で断った。

 残念だわ……と愁眉を下げるフレイヤ。

 女が三人寄れば姦しい。それが女神なら尚更だ。自然と、彼女達は注目を浴びていた。

 それもその筈。

 炉の女神であるヘスティアはその善性によって神々から一目置かれているし、鍛冶の女神であるヘファイストスは迷宮都市(ダンジョンとし)でも有数の鍛冶系【ファミリア】として数多の武具を打っているし、そして美の女神であるフレイヤはその美貌に加え、都市最大派閥を率いる主神であるのだから。

 沢山の神達からの視線を彼女達は感じていたが、無視を決め込んでいた。そんな彼女達の元に、一柱(ひとり)の女神が近付く。

 

「あら、ロキじゃない」

 

 真っ先に気が付いたヘファイストスが「久し振りね」と手を挙げて挨拶をした。

 

「……久し振りやな、ヘファイストス、フレイヤ……そんで、ヘスティア」

 

「「「……!?」」」

 

 三柱の女神は驚愕を表した。周りの神々もざわめきを起こす。

 この中で最も親交があるフレイヤが、面白そうに微笑みながら尋ねた。

 

「あら、ロキ。貴女がヘスティアのことを名前で呼ぶだなんて……私の記憶違いじゃなければ初めてね。体調でも悪いのかしら?」

 

 この場に居る全員の疑問を口にする。

 ヘスティアがロキの名前を出すことはあっても、その反対は全然ない。ロキがヘスティアの名前を呼ぶ時はいつも『ドチビ』だ。

 指摘されたロキは、苦虫を噛み潰したような表情になった。

 

「……んな訳あるかぁ」

 

「それにしては軽口にいつもの勢いがないけれど」

 

 ロキは仏頂面だった。それから、フレイヤは「ああ」と思い出した様に言った。

 

「思い出したわ。ロキ、貴女大変だったみたいね」

 

 さらに言う。

 

管理機関(ギルド)からの罰則(ペナルティ)……とても重たい物だったのでしょう? 遠征も異常事態(イレギュラー)の所為で失敗したと聞いているわ。大丈夫? お金なら貸してあげても良いわよ?」

 

 ロキは舌打ちをしたかった。フレイヤの笑みが心底憎たらしい。

 

(こんの色ボケ女神……!)

 

 心の中で思い付く限りの罵倒を飛ばす。

 元々彼女は気が長い性格ではない。だがしかし、ここで挑発に乗っては駄目だと己を(りっ)した。

 ヘファイストスが慌てて、

 

「私も眷族から聞いたわ。ロキの所が事件を起こすのは珍しいわね」

 

 都市の支配者である管理機関(ギルド)には様々な役割があるが、地下迷宮(ダンジョン)で起こった事件の発表もしている。それはひとえに、日々、変貌を繰り返しているダンジョンの脅威を冒険者に(しら)せる為。情報を発信し、冒険者が受け取り、対応する。これをしなければ異常事態(イレギュラー)が起こった際に生存出来ないからだ。

 そして、今朝、管理機関(ギルド)はある事件を発表した。

 ──『ミノタウロス上層進出事件』。これが事件の名前だ。

 都市最大派閥である【ロキ・ファミリア】が起こしてしまったこの事件は既に迷宮都市(オラリオ)中に広がっていた。

 

「……なるほどね。『神の宴』に参加している、被害者の神達に改めて謝罪をしていた。そんなところかな?」

 

「……そうや。そんで、ヘスティア。お前が最後や」

 

 ふぅーん、とヘスティアは興味なさそうに、テーブルの上に置かれているパスタに手を伸ばした。だが、身長が低く手足が短い彼女では届かない。フレイヤと話をしながら、ヘファイストスが「はい」と取ってあげた。正に阿吽の呼吸である。

 それを見たフレイヤが「やっぱり仲が良いわ。妬けちゃう」と言い、ヘファイストスは「揶揄わないでよ」と言いったが、満更ではなさそうな様子だった。

 炉の女神は朱色の瞳を見詰め、静かに口を開けた。

 

眷族(ベルくん)があの時言っていた筈だ。謝罪は必要ないとね。それが分からない君じゃないだろう。でもロキ、君は屈辱を味わいながらもボクに頭を下げようとする。ああ、全く、とんでもない事だ」

 

 淡々と、ヘスティアは言葉を続ける。

 

「女神の矜恃(プライド)を捨て、眷族達の為に行動しようとする。それはとても偉いこと、素晴らしいことだ。同じ眷族(こども)を持つ主神(おや)として君を尊敬するよ」

 

「……」

 

「けどね、ベル君はそれを望んでいない。ロキ、何故か分かるかい?」

 

 ロキは答えなかった。

 当然だ。ロキとベル・クラネルの接点は皆無に等しいのだから。

 ここでロキが知ったかぶりをしたら、ヘスティアは憤慨していただろう。

 

「あの子はね、ロキ。本気で『英雄』になろうとしているんだ。英雄譚を聞いた子供が憧れるように。だから、もしあの子が此処に居たら、『やめてくれ』と言うだろう。()()するだろう。憧憬(あこがれ)の対象である【ロキ・ファミリア】がこんな些末な出来事で頭を下げるのを見たくないからだ」

 

 だから、と炉の女神は計略の女神に言った。

 

「──()()()

 

 ヘファイストスはヘスティアが誇らしかった。

 この女神と神友(しんゆう)で良かったと心から思う。ぐうたらで、すぐに(なま)けて、我儘を言う。けれど、人のことを考えられる、想いやれる彼女のことが、ヘファイストスは大好きだった。

 やがて、ロキは言った。

 

「……なら、うちは何も言わへん」

 

「そうか、分かってくれた──」

 

「でもなぁ、ウチの気が収まらん!」

 

 は? と呆然とするヘスティアに、ロキはビシッと指を突き付けた。

 

()()()! 【ロキ・ファミリア】は【ヘスティア・ファミリア】に、一度だけ、出来ることなら何でもやる!」

 

 ヘスティアはその言葉に青筋を浮かべた。

 距離を詰めると同時に、ロキは一歩後退する。伸ばした手は(くう)を切った。

 

「次会う時は背が伸びているとええな!」

 

「んなっ!? そう言う君だって、その無乳が膨らむと良いね。あっ、ごめん! 無いものに言っても意味ないか!」

 

「何やと!?」

 

「何さ!」

 

「「ぐぬぬぬ……!」」

 

 両者、睨み合う。それは彼女達恒例の行い。喧嘩──じゃれ合いだ。

 神達が好き勝手にどちらが勝つか賭けをする中、ヘスティアの攻撃をひらりと躱したロキは、へらりと笑い。

 

「ほな、さいなら!」

 

「こらぁー! 待てー!」

 

 待てと言われて待つ奴が何処に居るん! 高笑いしながらロキは走り去っていく。そのすぐ後をヘスティアが追従して行った。

 

「女神様!?」

 

【ガネーシャ・ファミリア】の団員が慌てて、後を追って行く。主神であるガネーシャは「俺が、ガネーシャだ!」と謎のポージングして場を湧かせた。

 

「ふふふ……本当に、貴女達と居ると退屈しないわ」

 

 フレイヤが今日一番の花を咲かせた。ヘファイストスは苦笑を浮かべたが、否定することはしなかった。

 

「それじゃあ、そろそろ私も行くわね」

 

「え!? もう行くの?」

 

「ええ、ヘスティアに当てられたのかしら。私の可愛い眷族(こども)達に会いたくなったの。それに──聞きたいことも聞けたから」

 

「……?」

 

 どういう事かとヘファイストスが首を傾げた時には、フレイヤはもう「また会いましょう。ヘスティアにも宜しく伝えておいて頂戴」と言って、背を向けていた。

 男神達が美の女神を引き留めようと──気を引こうと──群れるが、彼女は目をくれず出口に向かっていく。その様子を女神達は軽蔑の眼差しで見ていた。

 やがて、暫くすると、疲労困憊(ひろうこんぱい)な状態のヘスティアが戻ってきた。

 

「お帰り、その様子じゃあ、ロキを捕まえられなかったのね」

 

「ぜぇー、ぜぇー……お、可笑しい。曲がりなりにもボクはアルバイトをしているのに。なのに何で追い付けなかったんだ……!」

 

 ヘスティアは絶望していた。

 ヘファイストスは理由が分かっていたが、「何でかしらね?」と言うだけにしておいた。

 

「あれ? フレイヤは?」

 

「ついさっき帰ったわ。貴女に宜しくだって」

 

 伝言を受け取ったヘスティアは頭上にクエスチョンマークを浮かべた。彼女には腑に落ちない点があった。

 

()()()()()()()……」 

 

「変って、何がよ」

 

「フレイヤさ。ボク達はこれまで、接点が特になかったんだぜ? なのに『困ったことがあれば何か言って頂戴?』なんて言ってきてさ……うん、やっぱり可笑しいよ」

 

「そう? 私は彼女の善意だと解釈したけれど」

 

「だとしても、だよ。うぅーん、分かんないなぁ……」

 

 らしくもなく、ヘスティアは思考に耽る。だが、いくら考えても答えには辿り着かなかったので、頭の片隅にメモをするのに留めておいた。

 その後、数時間に渡って『神の宴』は開かれた。

 ヘスティアは天界から親交がある神々と再会を果たし、喜びを分かちあった。

 神々の時間の感覚は下界の子供達とはズレている。何故なら、彼等彼女等には時間という概念がないからだ。数百年振りに会っても「お(ひさ)ー」のたった一言で片付けられてしまう。これが超越存在であることの証であると、嘗て、とある学者が論文を発表したことがあった。

 

貞潔の女神(アルテミス)は参加してないみたいだね……」

 

 残念だ、としょぼんするヘスティアを、ヘファイストスが励ます。

 

「仕方がないわよ。彼女は、こういった催しはあまり好きじゃないから」

 

「そうだけどさぁー。せっかく会えると思ったのに」

 

「大丈夫。彼女もオラリオで【ファミリア】を築いているわ。近いうちに会えるわよ」

 

 それもそっかと、ヘスティアは頷いた。

 

「いやぁー、久し振りに皆と会えて良かったよ。特にデメテルと会えたのは良かったかな!」

 

「お裾分けを強請っておいてよく言うわよ……」

 

「失礼な! ただほんのちょっと、余っている分を貰えないかなぁって思っただけさ」

 

 話に挙がった『デメテル』は豊穣(ほうじょう)を司る女神である。彼女は農業系【ファミリア】を築いており、都市郊外で畑を耕し、農作物を収穫。それをオラリオを始めとした世界中の都市に流通させている。評価はとても高く、何を隠そう、今回の『神の宴』で出されている葡萄酒は【デメテル・ファミリア】の物から作られている。

 そんな彼女とヘスティアは親交があり、『野菜が欲しいな。チラッ、チラッ』と態とらしくアピール。デメテルはおっとりとした笑顔でお裾分けを約束してくれたのだ。

 

「ディアンケヒトにも言ってみなさい。『この儂が無料(タダ)回復薬(ポーション)を渡すぅ? 寝言は寝て言うんだな! ガッハッハッ!』って言うわ。間違いなくね」

 

「大丈夫さ、ボク達がお世話になっているのはミアハだからね」

 

 ああ言えばこう言うと、ヘスティアの屁理屈にヘファイストスは溜息を吐いた。本人は至って真面目に答えているのだから質が悪い。

 

「そう言えば、ミアハの姿を見ないわね」

 

「彼処もボク達と同じくらいに貧乏だからねえ。きっと、薬の開発でもしているんだろうさ」

 

 話題は尽きなかった。

『神の宴』は時間の経過に比例して盛り上がっていく。ガネーシャが何度も「俺が、ガネーシャだ!」とステージで叫ぶものだから、神達は腹を抱えて大爆笑。団員達は最初こそ諌めていたが、すぐに諦め、放置していた。

 しかし、流石に深夜の時間帯になれば会場を出ていく者がぽつぽつと出始める。男女率では女神の方が圧倒的に多い。敬愛している主神を迎えに来る眷族も居る程だ。

 ここから『神の宴』は二次会に移行し始めるのだ。

 

「どうする? まだ残る?」

 

 ヘファイストスが問うた。ヘスティアは「あー……」と、おずおずと神友(しんゆう)を見上げた。

 

「ヘファイストス、この後、用事はあるかい?」

 

「いいえ、ないけど」

 

 ぱあっとヘスティアは無垢な笑みを咲かせる。

 

「な、ならさ! 二人で何処か飲みに行かないかい?」

 

「ええ、それはもちろん構わないけれど……でもヘスティア、お金はあるの?」

 

「うぐっ……痛いところを突いてくるね。500ヴァリスくらいかな」

 

 視線を逸らしながら、ヘスティアは正直に打ち明けた。

 まあそうよねと、ヘファイストスは頷いた。彼女も通った道だから、共感出来る。

 しかし、そうではない性格の悪い神も居る。女神のあまりの所持金の少なさに、豪華な衣装に身を包んだ男神が高笑いした。

 

「がはははは! この貧乏人め! たったそれだけの額とはな!」

 

「し、仕方ないだろう! 【ファミリア】を結成してまだ一ヶ月も経っていないんだ!」

 

 男神──医療を司るディアンケヒトはその反論を鼻で笑って切って捨てた。

 彼は医療と製薬を提供している【ディアンケヒト・ファミリア】の主神である。腕が良い治療師(ヒーラー)を何人も抱え、売っている薬品はとても効能があり、迷宮都市(オラリオ)──ひいては、冒険者には欠かせない派閥だ。

 

(何でディアンケヒトが……? ヘスティアとはあまり面識はなかった筈だけど……)

 

 ヘファイストスが訝しむ中、彼はずんずんと大股でヘスティアに近付き、見下ろした。

 老人と若い娘が向き合っているその絵面は、犯罪臭を感じさせる。

 

「貴様の所の眷族だが」

 

 ディアンケヒトは、そう、話を切り出した。

 

「ベル君の事かい……?」

 

 まさか知り合いなのかとヘスティアは勘繰(かんぐ)る。

 ベルの交友関係の全てを彼女は知らないし、知る気もない。二人は確かに眷族(ファミリア)ではあるが、それでも、踏み入れてはならない一線がある。

 何かと問題を起こす少年のことだ。ディアンケヒトと繋がっていても可笑しくはない。

 身構えるヘスティアに、ディアンケヒトは言った。

 

「儂の眷族がベル・クラネルに助けられたと、本人から聞いている。また、友人であるともな」 

 

「は、はあ……」

 

「これを貧乏人に施してやる」

 

 言いながら、ディアンケヒトは懐から札束を取り出した。ヘスティアは差し出されたそれを反射的に受け取ってしまう。

 

「んにゃっ!?」

 

 目を丸くし、ヘスティアは奇声を上げた。

 それもその筈、なんと、その額は10万ヴァリス。貧乏人である彼女からしたら大金だ。

 

「な……なっ……!?」

 

 開いた口が塞がらない彼女を、ディアンケヒトは嘲笑う。

 

「ふふん、たったこれくらいで大袈裟な奴め!」

 

 巨万の富を築き上げている彼からすれば、10万ヴァリスなど端金(はしたかね)なのだ。

 神友(しんゆう)を馬鹿にされ、ヘファイストスが眉を顰める。

 

「それで? あんたはヘスティアに何がしたいのよ?」

 

「言っただろう、貧乏人への施しだとな! お前の眷族に伝えておけ! アミッドに変なことを吹き込むなと! 最近、妙に儂に反抗的で、手を焼いているのだ!」

 

 アミッドって誰だよとヘスティアは思ったが、ヘファイストスはその名前に聞き覚えがあった。

 迷宮都市(オラリオ)で一番の腕を持つ治療師(ヒーラー)の名前だ。多くの冒険者、多くの市民から絶大な人気を誇っている。

 

(ディアンケヒトに反抗的……? あの、人形みたいな彼女が?)

 

 ディアンケヒトの言葉は続く。

 

「アミッドめ……無料(タダ)回復薬(ポーション)を冒険者共に配りたいなどと言いよって」

 

「まあ、素敵なことじゃない」

 

 回復薬(ポーション)が充分に行き渡れば、冒険者達は傷を癒すことが出来る。魔物達(モンスター)の魔窟に挑み続ける彼等にとって、回復薬(ポーション)精神力回復薬(マインド・ポーション)は必需品だ。

 ヘファイストスの手放しの称賛に、ディアンケヒトはクワッと目を見開いた。

 

「素敵だと!? 製薬するのにどれだけの費用と手間が掛かっていると思う!? 貴様も武具を製造しているなら分かるだろう!?」

 

「それは、まあ、そうだけど……」

 

「なのにアミッドと来たら『重々承知です。あくまでも私個人の活動にするつもりですから、ご安心を』等とほざきおって」

 

 こいつも苦労しているんだなぁーと、ヘスティアは頭を抱えるディアンケヒトを見て、そう思った。

【ヘスティア・ファミリア】は探索(ダンジョン)系なので、考えるのは派閥の運営資金と管理機関(ギルド)に納める税金だけで済む。もちろん、派閥の活動が大きくなったら色々と積み重なっていくだろうが、それが訪れるのはまだ先のことだ。

 

「儂も、もう帰る! 次会う時はドレスを着れると良いな!」

 

 来た時と同様、ディアンケヒトはずんずんと大股で出口に向かっていく。

 

「ちょっ、待ってくれ! 結局、このお金は!?」

 

「勝手にするが良い! 眷族を助けて貰った礼金だ!」

 

 その言葉を残し、男神は会場をあとにした。それを目撃していた一柱(ひとり)の女神が驚愕する。ディアンケヒトは金にがめつい金の亡者として名を馳せているからだ。

 ヘスティアは「えぇ……」と最初こそ狼狽えていたが、すぐに瞳をきらきらと輝かせる。両手が摑んでいる札束を決して落とさぬよう握った。

 

「軍資金が手に入った! よし、ボク達も行こう!」

 

「あ、あんたね……それで良いの?」

 

「貰える物は貰うさ!」

 

 うきうき気分のヘスティアにどの言葉を投げても、彼女はあの手この手を使って受け取らないだろうことは想像に難くない。

 酒を一杯や二杯程度なら奢ることも吝かではなかったヘファイストスは、はあ、と本日何度目かの溜息を吐いた。きょとんと目を瞬かせるヘスティアに、苦笑をふんだんに混ぜた笑みを向ける。

 

「行きましょう。私の行き付けのバーを紹介してあげる。ヘスティアもきっと楽しめるわ」

 

「おおっ! それは楽しみだ!」

 

 二柱の女神は『神の宴』をひっそりと抜けた。

 だが、彼女達の交流は終わらない。話すことはまだ沢山あるのだから。

 

「そうだ、ヘファイストス。ボク、ある物を探しているんだけど──」

 

 星々が今宵も、下界を明るく照らしていた。 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。