それもその筈。
今日は一年に一回
都市内部だけではなく、この日の為だけに世界各地から多くの観光客が訪れる。太陽が西空に顔を覗かせる早朝。都市の各所にある入り口には人々が詰め寄せている。
【ヘスティア・ファミリア】も、今日は普段よりも早めに活動を開始していた。
「胃もたれは治ったかい?」
屋台の制服を綺麗に畳みながら、ヘスティアがそう尋ねる。ベルは皿洗いをしながら、
「ああ、このベル・クラネル! 完全復活した! ナァーザが処方してくれた薬のおかげだな!」
と、元気よく答えた。
ヘスティアが【
彼は『豊穣の女主人』に友人と行き、その友人の奢りということで、彼は調子に乗りに乗った。大量の料理を注文したは良いものの、途中から、彼の腹は満たされ始めたのだ。無論、店主であるミアが残すことを許す筈がなく、彼は友人を巻き込んで食べ切った。友人の肩を借りて──友人も吐気を催していたが、気合と根性で耐えていた──
ルンルン気分で我が家に帰ってきたヘスティアはそれはもう絶句した。己の眷族が
深夜の時間帯ということで、店は何処もやっていない。ベルの友人が書き置きをしていくれていたから助かったが、それでも、ヘスティアは気が気ではなかった。アルコールが身体から一気に抜ける感覚と共に、彼女はベルを夜通し看病していたのである。
「全く……君はもうちょっと後先のことを考えたら良いんじゃないか?」
「ははは……本当にすみません」
「ミアハとナァーザ君には感謝してもし足りないよ」
「ほんとそれな!」
朝になり、彼女は神友が営んでいる薬局──【ミアハ・ファミリア】の『青の
営業時間外なのにも関わらず、笑顔で対応してくれたミアハは実際に症状を診ないと薬は処方出来ないと言われ、そのまま、往診してくれたのだ。早朝から起こされた彼の眷族──ナァーザ・エリスイスは最初こそ不機嫌だったものの、ヘスティアの「お金は二倍払う!」という一言によりやる気を漲らせた。
結果、ベルの診断名は『胃もたれ』ということが判明した。酒場での暴飲暴食により、少年の胃は悲鳴を上げたのだ。
「今度会ったらきちんとお礼を言うんだぞ」
「ああ、もちろんだ。命の恩人だからな、礼は尽くすとも」
具体的には
何を隠そう、ベルは『青の薬舗』の常連客であった。そもそもヘスティアとミアハ、
【ヘスティア・ファミリア】は零細派閥だ。しかし、【ミアハ・ファミリア】もまた零細派閥だ。数年前までは中堅派閥として【ディアンケヒト・ファミリア】に勝るとも劣らなかったが、
尚、余談ではあるが【ミアハ・ファミリア】と【ディアンケヒト・ファミリア】の仲は
主神では、ディアンケヒトがミアハのことを。眷族では、ナァーザ・エリスイスがアミッド・テアサナーレのことを嫌っている。
ナァーザもアミッドもベルの友人ではあるが、社会的な付き合いならナァーザが、個人的な付き合いならアミッドの方が仲が良かった。
「それじゃあ、ボクは今日もアルバイトがあるから」
「分かった。ヘスティアも大変だな」
「ああ、今日もお客さんに頭を撫でられるのか……ボク、これでも女神なんだぜ? でも雇い主には逆らえない……」
「私の主神がすっかりと『社畜』になっている」
半眼になっているヘスティアを、ベルは複雑な表情で見た。同情は出来るが、彼女はそれを望んでいないので、「が、頑張ってくれ」と応援するのに
「……ベル君は今日、給仕君とデートなんだろう?」
ベルは満面の笑みで頷いた。
それを見たヘスティアは「ケッ」と唾を吐いた。女神にあるまじき行為である。しかし内心では給仕──シル・フローヴァに対して感心していた。
(
ベルが友人と『豊穣の女主人』を利用した時、彼女は、中々ご飯を食べに来てくれなかったベルに対して拗ねに拗ねてしまったのだ。
少年が陽気に挨拶をしても彼女は塩対応をした。「つーん」と唇を尖らせる始末である。典型的な面倒臭い
ベルも罪悪感を感じていたので、謝罪と共に、何か贖罪をさせて欲しいと言った。シルは笑顔で受け入れ──これにはさしものベルも苦笑いを禁じ得なかった──
「あーぁ、良いなぁ! ボクだってベル君と二人きりで過ごしたことはあまりないって言うのに!」
そのあからさまな態度に、ベルは何も言えなかった。
ヘスティアの我儘は終わらない。
「
「羨ましいって言ってるじゃん……」
「聞こえなーい! 何も聞こえないぞー!」
ふむ……とベルは顎に手を当てて考えた。それから彼は反撃を開始する。耳を塞いでいるヘスティアに聞こえるよう、独り言を大きな声で呟く。
「残念だな……せっかくの
「わーい! パーティーだパーティー! 流石はベル君! わかっているじゃあ、ないか!」
ヘスティアは手のひらを返した。
いえーい! とツインテールが彼女の感情を反映させたかのように跳ねる。
しかしそれは一瞬で、彼女は神妙な面持ちで口を開いた。
「ベル君」
「……? 何だ?」
ヘスティアは言おうか言わまいか迷ったが、言うことに決めた。
「給仕君にはくれぐれも注意してくれ」
「それはいったい……?」
訝しむ己の眷族に、ヘスティアは言った。
「いや、ボクの気の所為かもしれない。うん、だから、楽しんできなよ!」
「あ、ああ……」
「それじゃあ、パーティー楽しみにしているぜ!」
それからは迅速だった。彼女は準備を済ませると、キメ顔でベルにサムズアップする。
「東のメインストリートに今日は居るから! もし良かったら来てくれ! サービスするよ!」
行ってきまーす! ヘスティアは駆け出していった。
ベルは手を振って見送り、自身も着々と準備を進めていく。漆黒の
「祭には不要かもしれないが……一応、持っていくか。シルは美人だから、
迷った末、手を伸ばして鞘ごと摑む。
鞘から刀身を少し出すと、白銀の輝きが覗いた。それに思わずベルは頬を緩める。
それは、昨日までの武器とは違った。
「ああ、早く使ってみたいものだ……友人から頂戴した君は、どれ程の性能を誇るのだろう」
口角を上げてから、
戸締りをしてから、ベルは外套を翻して
「今日も空は青い。正しく、祭日和と言える」
空気を吸って、吐く。新たな一日の訪れに感謝し、ベルは駆け出していった。
西のメインストリート。
「ベルさん、まだかなぁ……」
目抜き通りに面している辺り一帯で最も大きな建造物──酒場、『豊穣の女主人』では、緩やかな時間が流れていた。開店の準備こそしているが、客は東に流れると記録が出されている為、時間にも精神的にも余裕があるからだ。
その中で一人の少女が店内を
「シル、少しは落ち着くニャ!」
「で、でもアーニャ……」
「良いからそこの椅子に座ってるニャ! 衝突事故でも起きたら大変ニャ!」
珍しくも正論を言われ、シルは「ごめんなさい」と素直に頭を下げ、カウンター席に腰を下ろす。そこはベルが以前座っていた場所であった。
最初は暇潰しにと読書に興じていたが、すぐに集中は途切れ、ちらちらと何度も店の出入口を確認する。
一方、彼女の親友であるエルフの少女は。
「遅い……! やはりあの只人は信用出来ません!」
未だに姿を見せない少年に対して殺意を膨らませていた。
「まぁまぁ、もうちょっと待ちなよ。約束の時間はまだ過ぎてないんだからさ」
「しかし……」
「リューの気持ちは分かるけどさ、まずは待とう」
従業員の一人の
その代わり、天井をぼんやりと眺めている親友に声を掛ける。
「シル」
「あっ、リュー。ベルさん、いつ来てくれるのかな?」
リューは舌打ちをしたかったが、
「……あの
ムッとシルは表情を歪める。
「ベルさんはそんな
「何故、そう言い切れるのですか。貴女とあの
「それは……そうだけど……」
親友の言葉にシルは反論出来る術を持たなかった。これはマズいと判断した彼女は、論点を少し逸らす。
「ねえ、何でリューはベルさんのことを『あの只人』って呼ぶの?」
「……それは、私と彼には何も接点がないからです」
「嘘。リューは真面目だから、すぐにファミリーネームで呼んでいるわ。特にそれが、私の友人なら尚更」
「それは……確かにそうですが……」
今度は、リューが言葉に詰まった。
シルは一度微笑んで言った。
「確かにエルフのリューからしたら、ベルさんはちょっと苦手な部類に入るかもしれない」
高潔なエルフと節操なしの少年では、相性が悪い。それが異性ならもっと拍車に掛かるだろう。
口を噤むリューに、シルは優しく問いを投げ掛けた。
「でも、本当にそう?」
「……? それはどういう意味ですか?」
困惑するリューに、シルは言った。
「ベルさんが本当にふしだらな性格なら、リュー、貴女にだってナンパをしていると思うな。だってリューがこのお店で一番綺麗だもの」
「……ッ!」
「気付いた? ベルさん、リューにはまだ一度も声を掛けていないのよ?」
「……言われてみれば、確かにそうですね」
同僚達は口説かれているが、自分にはまだ一度もなかったと、リューは思い出した。
「だから、リュー。難しいとは思うけど、どうか、ベルさんのことはファミリーネームで良いから呼んであげて。あの人も
お願いと、鈍色の瞳が碧眼を見詰める。
やがて、リューは顔を逸らして、
「……分かりました。シルがそこまで言うのなら」
「ありがとう! リュー!」
無垢な笑みを浮かべ、シルはリューに抱き着いた。
「し、シル!?」とリューは突然のことに悲鳴を上げるが、無理矢理引き剥がすことはしなかった。顔を熟れた林檎のように染め、なすがままにされている。
「リューが照れているニャ」
「ニャニャ! これは弄り甲斐があるニャ!」
「やっぱり仲が良いねえ」
他の従業員達がニヤニヤと意地が悪く笑っているので、リューは後で報復することを決意した。
と、そんな時だった。突如、大通りから、
「おはようございまーす!」
途轍もない大声が出される。
この場に居る全員がその声に聞き覚えがあった。
間違いようもなく、『彼』だろう。
ミアが近所迷惑だと青筋を浮かべているのを他所に、シルは床を蹴る。そして扉を勢いよく開け、笑顔で待人を出迎えた。
「おはようございます、ベルさん!」
挨拶をされたベルもまた、笑顔で応える。
「ああ、おはよう! ベル・クラネル、只今参上!」
ふははははは! と笑っていると、
「──へぶちッ!?」
悲鳴を上げ、後ろに倒れた。ドサッと音を立てて、少ない通行人達が何事かと視線を送る。
「ベルさん!?」と慌てて駆け寄るシル。
よろよろと上半身を起こし、ベルが近くを見ると、そこには一つのフライパンが転がっていた。
「まさか、これが当たったのか……?」
確信を持ちつつも、小さく呟く。ぶわっと首筋に流れる冷汗。飛来してきた方をおずおずと見ると、そこには修羅が立っていた。纏っている覇気は他者を威圧し、恐怖を植え付ける。
ベルは己の死を悟った。
「喧しいよ! 近所迷惑を考えな!」
右手には既に別の
ベル・クラネルは冒険者である。彼は生き残る為、最善策を打つべく、頭を回転させた。
そしておもむろに引き攣った笑みを浮かべると、すぐに立ち上がる。そしてにやりと笑った。
「……何だい、その気持ち悪い顔は」
ミアが首を傾げた、その時だった。
ベルはシルの手を摑むと、駆け出した。強引に引っ張られる彼女は「わっ!?」と声を上げる。
「べ、ベルさん!?」
「さあ、デートに行きましょう! この私が貴女をエスコート致します!」
ベルが後ろを振り向いて笑い掛けると、シルはくすくすと笑って、繋がれている手が決して離れぬようにした。
そして彼女は心から思う。
「嗚呼──やっぱり、貴方を誘って良かった!」
「おっと、その言葉は最後に聞きたかったものですが、なに、終わる時にもう一度引き出してみせましょう!」
最後にベルは立ち止まると、ぽかんと呆然としている彼女の
憎たらしいほどの満面の笑みで、宣言する。
「お宅の娘さん、お借りしまーす! 夜までには送り届けるのでご安心下さい!」
「こら、逃げるんじゃないよ! ったく……」
ミアが溜息を吐いた時には、二人の姿は視界から消えつつあった。あまりの逃げ足の速さに舌を巻いたのは内緒である。切り替え、声を張り上げる。
「楽しんで行ってきな!」
すると「行ってきます!」という声が小さいながらも届いた。ミアは若い男女を最後まで見送ると、地面に落ちているフライパンを回収してから、店内に戻った。
そして愛娘達に号令を掛ける。
「お前達、今日も張り切っていくよ!」
「「「はい!」」」