さあ──『喜劇』を始めよう!   作:Sakiru

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斯くして、逃走劇は始まった

 

 怪物を見事調教(テイム)してみせた調教師(テイマー)に拍手が(おく)られる。賛美と称賛の声が闘技場を行き交う中、アナウンスが流れた。

 

『ここで怪物祭(モンスターフィリア)は昼休憩に入らせて頂きます! 次の開演は一時間半後ですので──』

 

 観客はそこでようやく、今の時間を思い出した。時刻は正午を回ろうとしている。

 彼等は現在時刻を認識すると、空腹を感じた。一度覚えるとそれを強く意識するもので、四方に巡らされ、外に通じているゲートに向かうべく、席を立ち始める。

 

「私達も行くとしよう」

 

「そうですね……時間も限られていますから」

 

 なら決まりだと、ベルは軽やかに席を立つ。そのままシルを見下ろし、手を伸ばした。

 彼女はぽかんとしてから、微笑むと、「お願いします」と差し出された手を取った。

 

「ごめんなさい。お昼、用意すれば良かったですね」

 

 昼食を予め用意してきた者達は既に風呂敷を広げていた。ベルはわざとらしく。

 

「貴女の手料理を食べられないのは非常に残念であるが、なに、(まつ)りで売られている料理は格別に美味しい。だから、次の機会を待つことにしよう」

 

「そうですねー」

 

「あれ!? 対応冷たくない!?」

 

「そんなことありませんよ」

 

 ただ、耐性がようやく出来てきただけだと、シルは内心で呟いた。今だって正直危なかったと、首筋には冷や汗が流れている。

 逸れないように注意しながら、混雑極まる廊下を渡りきり、ようやく、二人は闘技場正門に辿り着いた。

 

「凄いな……まだ人が並んでいるぞ」

 

怪物祭(モンスターフィリア)も世界的に有名になってきたのだと思います。それこそ、最初の年は数える程しかお客さんは居なかったそうです」

 

「それが今ではこれか……」

 

 ベル達が入場する際に並んだ列は、未だに多くの人で構成されていた。減るどころか寧ろ増えており、ベルはつくづく、早く並んで良かったと思った。

 

「さて、シルは何を食べたい?」

 

「そうですね……正直なところ、何でも構いません。ベルさんと一緒なら、どんな料理も美味しくなりますから」

 

「いやぁー、何だか照れるなぁー!」

 

 少年は少し頬を染めて、片頬をぽりぽりと搔いた。

 歳相応の反応を見て、シルは反撃はここからだと己を鼓舞する。歳上の矜恃(プライド)が試される時が来た。

 ふっふっふっと黒い笑みを巧妙に隠していると、ベルは「取り敢えず」と提案する。

 

「適当にぶらぶらと歩いてみないか。それが祭の楽しみだと思うのだが、どうだろう?」

 

「賛成です!」

 

「あとはそうだな……個人的な用事になってしまうのだが、ヘスティアの様子を見たい。何でも、彼女の勤め先が今日は此処で屋台を出しているそうなんだ」

 

「まあっ、そうなんですか! ヘスティア様はとても可愛らしい女神様ですから、さぞかし人気があるでしょう」

 

 そうだろうそうだろう! と眷族(こども)主神(おや)が褒められたものだから、鼻穴を大きくした。

 闘技場に続いている長蛇の列は、通行人の邪魔にならないよう、道脇で三列ほどになっていた。拡声器を持った『都市の憲兵』である【ガネーシャ・ファミリア】や管理機関(ギルド)の職員達が指示を出している。

 大変そうだと、ベルとシルが話をしていると、

 

「ベル君!」「やっほ〜!」

 

 二人の女性がベルに声を掛けた。

 ハーフエルフとヒューマンという、異なる種族の二人組は管理機関(ギルド)の制服を着ている。

 

「エイナ嬢、それにミィシャ!」

 

 三人は簡単に挨拶を交わした。それから、突然のことに戸惑っているシルの為にベルが仲介人になる。

 

「シル、こちら私の担当アドバイザーのエイナ・チュールだ。もう一人はミィシャ・フロットで、彼女もギルドに勤めている」

 

「改めまして、はじめまして。わたくし、ベル・クラネル氏の迷宮探索アドバイザーを務めております、ギルド事務部所属、エイナ・チュールと申します」

 

「同じく、ミィシャ・フロットでーす!」

 

 紹介された二人は慇懃(いんぎん)にお辞儀した。徹底的に仕込まれているその所作は美しく、接客業を担っているシルが戦慄を覚える程であった。

 

「エイナ嬢、ミィシャ。こちら私の友人のシル・フローヴァだ」

 

「はじめまして。西のメインストリートにある酒場、『豊穣の女主人』で主に給仕を担当しています、シル・フローヴァと申します。お二人とも、機会がありましたら、是非当店をご利用になって下さい。サービスしますから!」

 

 商魂たくましい看板娘の宣伝に、エイナとミィシャは苦笑いした。それから「今度、是非」と約束をする。

 挨拶が一通り終わったところで、ミィシャが若い男女(カップル)に尋ねた。

 

「何なに〜、ベル君達は逢引(デート)中〜?」

 

「ちょっと、ミィシャ!?」

 

 真面目を地で行くハーフエルフは「失礼だよ!」と親友を叱る。しかしミィシャはへにゃへにゃと笑うだけで、

 

「いやぁー、まさかベル君に意中の相手が居たなんて〜。今回のフィリア祭で射止めるつもりなのかなぁ〜?」

 

 このこの〜、と少年の頬を肘でぐりぐりする。

 ベルはにこにこと笑みを浮かべて、何も答えることはしない。下手な返答をすると、この、噂好きなミィシャによって広められることがわかっているからだ。

 そんな風に攻防を繰り広げていると、雷が落ちた。

 

「こら、ミィシャ!」

 

「は、はいぃぃぃぃぃぃぃ!?」

 

 びくっとミィシャは両肩を震わせ、恐る恐る親友に振り向いた。果たしてそこには、阿修羅(あしゅら)が居た。

 

「ベル君が困っているでしょう! フローヴァさんだって!」

 

 堪忍袋の緒が切れたエイナは、それはもう恐ろしいオーラを纏っていた。ミィシャは姿勢を正して、

 

「ご、ごめんなさーい!?」

 

 悲鳴を上げる。

 ちょうど、美女達に囲まれている少年に野次を飛ばそうとしていたヒューマンの独身の中年男性は、すんでのところで命の危機を脱した。

 くどくどと衆人環視の前で親友から説教を受けたミィシャは涙目になりながら、頭を下げた。

 

「ごめんね、ベル君にフローヴァさん」

 

「私からもごめんなさい」

 

「気にしないで下さい。それと、私のことは『シル』と呼んで頂いて構いませんから」

 

 そういう事ならとエイナとミィシャも自身の真名で呼ぶよう訴え、シルは快諾した。

 

「全く……二人が許してくれたから良かったものの……ミィシャはもう少し落ち着きを持った方が良いよ」

 

「うっ……え、エイナだって気になっていた癖に」

 

「なっ!?」

 

 だってそうじゃん、とミィシャは反撃を開始する。

 

「エイナが先にベル君達に気付いたし」

 

「おや、そうなのか?」

 

「そうなんだよ。すぐに気付いてさ! 私の服の袖を引っ張って『ベル君が居る!』って言ってきたの」

 

「そ、それはそうだけど……」

 

 エイナは語尾を濁した。

 見覚えがある処女雪を思わせる白髪。さらには、聞き慣れてしまった、劇者を連想させる声色。それを彼女が先に発見したのは、紛れもない事実だった。

 頬を仄かに赤く染めながら、エイナはちらちらと街娘に視線を送る。それに気付いたシルは可愛らしく小首を傾げた。

 

(ベル君がこんな美人な女性(ひと)と……)

 

 まさか逢引(あいびき)しているだなんて、とエイナはその感想を胸に留めた。

 受付嬢エイナ・チュールは冒険者……特に自分が担当する冒険者とは仲が良い。ともすればそれは、先輩や上司から小言を度々貰うくらいには。

 そんな彼女は、ベル・クラネルという少年に対してさらに一歩距離を縮めているという自覚があった。

 彼に恋している訳ではない。そこは断定出来る。

 ──それじゃあ自分達の関係は? 

 暫く悩んだ末、彼女は答えを出した。

 ──出来が悪い弟を放っておけない姉。

 空気を読まないぶっ飛んだ言動。さらには、毎回のように爆弾を持ってくるのだ、しかも悪気がないのだから(たち)が悪い。

 つい数日前、彼が【勇者(ブレイバー)】を連れてギルドに訪れてきたのには思わず仰天し、一緒にダンジョンに潜ると言い出した時は思わず大声を出してしまった。その所為で上司からは叱責を受けてしまった。

 目を離すと何をしでかすか分からない問題児。それがベル・クラネルだ。何度同僚から憐憫の眼差しを送られたことか。何度親友に愚痴を零してしまったことか。

 そんな風に思っている弟が、歳上の女性──ベルが十四歳なため、推測になってしまうが間違いないだろう──、さらには、美少女とかなり親しげな様子で手を繋いで歩いていたのだ。その時のエイナの衝撃はとてもではないが、言葉では言い表せられない。現に今も二人の手は(むす)ばれている。

 弟の知らない面を見せられている気がして、また、母から引き継いでいる妖精(エルフ)の血によって、エイナが複雑な気持ちを抱いていると。

 

「お二人はやっぱり、怪物祭(モンスターフィリア)のスタッフとして?」

 

「うん、そうだよ! 【ガネーシャ・ファミリア】だけじゃ足りないからね! もうすぐ休憩が終わるから、戻ってきたところなんだ〜」

 

 元気良く答えるミィシャ。シルが美味しいご飯を出してくれる店に心当たりはないかと相談すると、彼女は破顔してから、すらすらと候補を出していく。

 終わったところで、エイナが「あっ」と声を上げた。

 

「ミィシャ、そろそろ行かなきゃ」

 

「あっ、ほんとだ!」

 

「ベル君、シルさん、私達は此処で」

 

「じゃあね〜!」

 

 ベルとシルは手を振って二人を見送る。彼女達の姿が見えなくなったところで。

 

「随分と仲が良いんですね」

 

 シルがそう言った。

 ベルは笑顔で首肯する。彼女の言葉の意味を考えず、

 

「ああ、とてもお世話になっている」

 

「……ふぅーん。そうなんですか」

 

 面白くなかった返答だったので、ふいっと、シルは顔を逸らす。

 

「し、シル……?」

 

 少年の戸惑った気配を感じながら、内心で自虐する。

 なんて面倒臭い女だろうかと、彼女は思った。

 見目麗しい女子(おなご)達と談笑するベルを見ていたら、嫉妬心がふつふつと湧いてきたのだ。今、彼と逢引(デート)しているのは自分だという思いがそうさせた。

 ある程度時間が経つと、次に覚えるのは自己嫌悪、そして、後悔。こんな身勝手な女だ、嫌われても文句は言えない。

 やってしまったという、悔恨の念を抱いていると、「シル」と名前が呼ばれた。謝らなくちゃという一心で振り返る。

 

「ベルさん、私──」

 

「ご飯を食べに行きましょう!」

 

「……え?」

 

 そこには、いつもと変わらない、胡散臭そうな、けれど優しい笑みを浮かべているベルが居た。

 

「貴女が不機嫌になったのは、お腹が空いたからだ。なら、美味しいものを食べましょう。そうすればきっと、貴女は笑顔になれる」

 

 シルは笑った。

 声を立てて、この、道化のように振舞(ふるま)う少年が面白可笑しくて、心から笑った。それから、穏やかな気持ちで言う。

 

「ごめんなさい、ベルさん」

 

「何について謝られたのかは分かりませんが、受け取りましょう」

 

「それと、私はあまり空腹じゃありませんから。もう……女性に失礼ですよ?」

 

「なんと! これは失礼しました!」

 

 ベルはにやりとすると、懐から一冊の手記と羽根ペンを取り出した。朗々と(うた)い、すらすらと軌跡を刻む。

 

「綴ろう、我が英雄日誌! ──『美しい女子(おなご)とのデート中、少年ベル・クラネルは軽率な発言をしてしまい怒られるのだった』──うむ、女心とは難しいものだ」

 

「ふふ、ちゃんと勉強して下さいね」

 

 それから二人は、ミィシャが紹介してくれたうちの一つである、目抜き通りに面している喫茶店に入店する。

 

「これは……」

 

「お客さん、少ないですね……。可笑しいですね、ミィシャさんが言うには、此処のランチはとても美味しくて人気があるらしいんですが……」

 

 木目調で落ち着いた内装の店内は、しかし、席はあまり埋まっていなかった。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 顔を見合わせていると、ウエイトレスが殊更に明るい笑顔で近付いてきた。決して客を逃がさないという強い意志を感じさせる。

 彼女は「二名様、ご来店でーす!」と叫んだ。それに返すのは厨房に居る料理人や、給仕達。

 此処は喫茶店ではなくて酒場なのでは? とシルは思ったが、口には出さなかった。

 

「お好きな席にどうぞ!」

 

「だそうだが、シルは何処が良いとか希望はあるか?」

 

「うぅーん、そうですね……折角ですから、二階が良いです」

 

 シルがそう言うと、ウエイトレスは引き攣った笑みを浮かべた。それに二人は益々訝しく思ったが、今更退店することも出来ず、二階に通じる階段に向かう。

 二階は全て空席だった。シルは窓際の、大通りが一望出来る席が良いと言い、ベルは快諾した。ウエイトレスはいよいよ顔を青ざめさせていたが、専門職(プロフェッショナル)として根性を出し、注文を聞いた。「少々お待ち下さい!」と、脱兎(だっと)の如く姿を消す。

 

「私達が来る前に何かあったのでしょうか?」

 

「だろうな。おおかた、神が暴れたりしたのだろう」

 

「もうっ、ベルさんったら。ヘスティア様が聞いたら『不敬だぞ!』って怒られますよ?」

 

「ははっ、違いない」

 

 ベル達以外に客が居ないので、実質的に貸切状態だ。多少騒いでも注意を受けることはない。

 談笑を楽しんでいると、ものの数分で料理が運ばれる。先程のウエイトレスではなく、今度は兎人(ヒュームバニー)の男性だった。あまりにもぎこちなく、不振な動きに見ている方が心配になる。

 

「おおおおおおお待たせ致しました。こ、こちら──」

 

 彼は無事に仕事をこなすと、そそくさと厨房に姿を消して行った。

 微妙な空気が流れる中、ベルが気を取り直すように「食べようか」と言った。

 サーブされた料理は、噂好きのミィシャが紹介するだけあって、とても美味だった。しかし、店内に流れる何とも言えない空気。従業員達が必死に取り繕うとしているが、それは誰の目から見ても失敗していた。

 ベル達は食べ終わるとすぐに退店した。メインストリートに出ると、すぐに『熱』が彼等を襲う。

 

「ジャガ丸くんの屋台を探そう」

 

「ヘスティア様に会いに行くんですね」

 

 肉が焼ける香ばしい匂いが充満する大通り。至る所で商人達が露店を開いては客寄せをしている。

 ジャガ丸くんの屋台を探しつつ、ベルとシルの二人は店を覗いて行った。珍しい物や怪しい物など、商品は多岐にわたる。物色していると、シルが恥ずかしそうに。

 

「ごめんなさい。私、お手洗いに……」

 

「分かった。私は此処に居るから」

 

 シルの姿が見えなくなったところで、「さて」とベルは呟いた。

 

「デートをしたら、女子(おなご)に何か贈物(プレゼント)するのはマナーだと、祖父が言っていた。孫として、祖父の教えは守らなければ!」

 

 時間的猶予はあまりない。

 だが、ベルはこの時を虎視眈々と狙っていたのだ。手早く英雄日誌を取り出すと、書き出していく。

 

「綴るぞ、英雄日誌! ──『少年ベル・クラネルは女子(おなご)を喜ばせる為、一人、贈物(プレゼント)を探す。果たして彼女に見合う素敵な物は見付けられるだろうか。男子(おのこ)としての才能が、いま、問われる!』──いざ、参らん!」

 

 とはいえ、実の所、既に目星は付けてあった。露店に向かい、店主に「これが欲しい」と即決。綺麗に包装されたそれを受け取ると、急いで元の場所に戻った。

 

「良かった……間に合ったか」

 

 ふぅ、と息を吐く。

 それから数分後、シルがやって来た。何やら上機嫌のようで、鼻歌を歌っている。

 ベルが訝しんで「どうかしたか?」と尋ねても、

 

「いいえ、何でもありません♪」

 

「……?」

 

「さあ、行きましょうベルさん! さっき、小さな女神様が売り子をしていると、そんな話を耳に入れました!」

 

 シルがベルの手を引っ張り、案内する。雑踏を掻き分けていくと、二人は殊更大きい人集りを発見した。

 頭上に高く掲げられているのは、手書きのジャガ丸くんが写されている暖簾だ。

 

「これは……気軽に挨拶が出来る状況じゃないな……」

 

「並ぶしかないようですね」

 

 屋台は大盛況していた。【ガネーシャ・ファミリア】の構成員が一人配置されている。

 

「最後尾は此方です! 決して横入りしないよう、お願い致します!」

 

 指示に従い、ベル達が並ぶこと、数十分。

 ようやく二人の番がやって来た。小さな女神がトテトテと注文を聞きに来る。

 

「いらっしゃいませ──って、ベル君!? それに給仕君も!」

 

「約束通り会いに来たぞ、我が主神よ!」

 

「お久し振りです、ヘスティア様」

 

 己の眷族と知人の登場にヘスティアは驚いた様子を見せたが、すぐに我を取り戻すと「いやぁー、来てくれて嬉しいよ!」と破顔した。それから声を張り上げ。

 

「おばちゃーん、サービスしても良いかい!」

 

「ははっ、少しくらい構わないよ! ヘスティアちゃんのおかげで大繁盛だからね!」

 

「という訳だ、好きなものを頼むといいさ!」

 

 遠慮は無用だと、ヘスティアはグイグイとおすすめメニューを提示していく。

 神らしい強引な姿勢にベルとシルは苦笑いしてから、言葉に甘えることにした。怪物祭(モンスターフィリア)限定メニューを選ぶと、ヘスティアが「ありがとうございまーす!」と叫ぶ。打って響くように、跳ね返ってくる従業員達の声。

 

「はい、お待ちどお!」

 

 一つの紙袋が渡される。僅かに覗いている隙間からは香ばしい匂いが漂ってきた。

 

「ありがとう、ヘスティア」

 

「ありがとうございます。大事に食べますね」

 

「おうともさ! ベル君、しっかりと給仕君を家まで送り届けるんだぜ?」

 

「もちろんだとも」

 

「……給仕君も、ベル君が迷惑を掛けてないかい?」

 

「ふふっ、全然です♪」

 

「……なら良かったよ。──さあ、行った行った! 次々とお客さんが待ってるからね!」

 

 ヘスティアは急かすように、ベルの背中を押した。

 持ち場に戻っていく女神にお辞儀をしてから、二人は、そろそろ昼休憩が終わるので、会場に戻ることに決めた。

 ジャガ丸くんを食べ歩きしていると、不意に、

 

『────ッ!』

 

神の恩恵(ファルナ)』が刻まれ、常人よりも強化されたベルの聴覚が、その音を拾った。

 ぴたりと、ベルは足を止める。

 シルも釣られるようにすると、「どうかされましたか?」と尋ねた。

 

「気の所為か……?」

 

「ベルさん?」

 

「ああいや、何でもない」

 

 と言ったベルであったが、移動を再開することはしなかった。

 深紅(ルベライト)の瞳を右往左往させ、耳を澄ませ、抱いた違和感の正体を探る。

 

(あれは、いったい……?)

 

 獣のような遠吠えがベルは聞こえた気がしたのだ。

 怪物祭(モンスターフィリア)が再開された円形闘技場(アンフィテアトルム)からならモンスターの雄叫びだと納得出来るが、もうすぐで終わるとはいえ、今はまだ昼休憩中だ。

 虫の知らせというものなのか、一筋の脂汗が首筋に流れる。第六感(シックス・センス)に導かれるまま、彼は低い声を出す。

 

「……シル、此処を離れよう」

 

「ベルさん……?」

 

「何だか……嫌な予感がする」

 

 戸惑いと困惑の表情を浮かべるシルの手をやや強引に引っ張って、ベルは来た道を戻ろうとした──

 その時だった。

 

「きゃ、きゃあああああああああ!?」

 

 闘技場の方から、一つの悲鳴が出る。

 何事かと人々は振り返り──『それ』を瞳に映す。

 

『ルグァァアアアア……!』

 

 それは人類の敵であった。それは恐怖の象徴であった。

 妖しく濁った赤眼、強靭な肉体は見る者に恐怖心を抱かせ、足を竦ませた。

 (つんざ)くような金切り声が、誰かの口から出る。『それ』の真名を、唇を震わせながら紡ぐ。

 

「も、モンスターだあああああああああああ!?」

 

 ベルは見た。

 距離はある。だが、確かに見たのだ。

 我が物顔で表通りを闊歩する一匹の獣を。

 人垣が割れ、姿が明瞭となる。幸か不幸か、そのモンスターはベル達の方に来ることはなく、姿を眩ました。

 何故、モンスターが街に居るのか。その疑問を解く為、ベルは近くの【ガネーシャ・ファミリア】の団員を呼び止める。

 しかし、獣人の男が返したのは、

 

「お、俺も分からない!」

 

 というものだった。

 

「理由に心当たりは何もないのか!?」

 

「……まさか、檻から脱走したのか……?」  

 

「なッ──!?」

 

「誰かが檻から解き放ったとしか考えられない。鍵を使えば、容易な筈だ……」

 

 兎に角、君達は避難をしてくれ! そう言うや否や、『都市の憲兵』は走り去っていった。

 ベルは周りを見渡す。深紅(ルベライト)の瞳が映したのは、地獄絵図(じごくえず)だった。

 立ち尽くす者。逃げ(まど)う者。泣き喚く者。力がない市民は、突如として襲いかかってきた災厄(さいやく)に対処出来ない。

『都市の憲兵』とギルド職員が協力し、落ち着いて避難をするよう呼び掛けているが、何処が安全なのかすら分からないこの状況では無意味だった。寧ろ呼び掛けている彼等が動揺している為、かえって混乱を生み出している。

 

(くそっ……どうする!? どうすれば良い!?)

 

 思考を懸命に回す。

 現在分かっているのは──モンスターが脱走したらしいということのみ。それすら情報としては不明瞭だ。

 何匹逃げたのか、何処に居るのか。人々の狂乱と共に、情報は拡散している。迷宮都市(オラリオ)中に広まるのも時間の問題だろう。

 ベルは考えに没頭していた。故に、気付かなかった。普段なら気付いていたであろう、死の気配に。

 

「べ、ベルさん……!」

 

 シルが恐怖を乗せた声音で、ベルの服の袖を引く。

 そこでようやく、ベルは気が付いた。我に返った彼は、一直線に急接近してくる存在を視界に収める。

 

「んなっ……!?」

 

 愕然と口を半開きにする。

 あまりにも遅い判断──致命的なミス。

 建造物の屋根から屋根を渡ってきた魔物は、ベルを嘲笑うかのように上から見下ろした。

 交錯する異なる色の瞳。

 

『ルグググゥ……』

 

 獣は身軽な動作で地面に着地。衝撃で石畳が飛び散る。

 そのモンスターは純白な毛並みに覆われていた。ごつい体付きの中で両肩と両腕筋肉が異常に発達しており、隆起(りゅうき)している。銀色の頭髪は陽の光を反射して白銀(はくぎん)に輝き、背を流れており、それはまるで尻尾のよう。

 ベルは喉奥から掠れた声を出し、喘ぐ。戦慄と共に、獣の真名(まな)を言った。

 

「シルバー、バック……!」

 

 応えるように、シルバーバックは身体を大きく仰け反らした。猛々(たけだけ)しい轟きが天を貫く。

 

『ルグァアアアアアアアアアアアアアア!』

 

「……ッ!」

 

 意識を瞬時に切り替え、ベルは調革(ベルト)に吊るしている愛剣に手を伸ばし、勢いよく抜刀。純白の刀身が漆黒の鞘から()かれる。

 

(来るッ!)

 

 迫り来る攻撃に備えようと──したところで、ベルは目を見張った。

 

(違う、この軌道……! 狙いは私じゃない!?)

 

 シルバーバックはベルなど眼中になかった。

 この時のベルは何も知らなかったが──()()()()()()()()()()()()()()()()()怪物(どうほう)達の気配は既に幾つかなく、消失している。

 そして『目印』──目標はすぐそこにあった。つまり、達成出来るのは自分だけだ。ならば、そこに向かうのが道理。

 

「え……?」

 

 一歩踏み込んで、ベルから少し離れた所で呆然としているシルに剛腕を伸ばす。彼女の華奢な身体が大きな掌に包み込まれる、直前。

 

「──ッ!」

 

 すんでのところで、ベルが間に合った。右手で彼女を胸に抱き、野猿の腕から逃れる。しかしそのまま、受け身を取ることが出来ず背中から壁に激突した。

 鈍い痛みがじんわりと全身に広がっていく。

 

「がはッ……! けほッ……!」

 

「ベルさん! そんな……私を庇って……!」

 

「だ、大丈夫──、シル!」

 

「きゃっ!?」

 

 またもや間一髪。ベルはシルを抱き寄せ、魔の手から脱出した。

 

『グルルルルルゥゥウウウ……!』

 

 一度ならず二度までも邪魔されたシルバーバックが唸り声を出す。そして、邪魔者を強く睨めつけた。

 殺気が込められた視線がベルに襲うが、彼はそれに構わず思考を爆速的に加速させていく。

 

(シルを狙っている……!? だが、何故!?)

 

 道中、人間(えもの)は何人も居た筈だ。現に今も、逃げ遅れた市民が居る。なのにも関わらず、シルバーバックはベル達の──否、シルの前に現れた。

 

(違う……! シルバーバックだけじゃない! さっきのモンスターもそうだった!)

 

 怪物達(モンスター)に理性はない。あるのは、本能のみ。

 しかし、まるで、何か意図があるかのように。宝探しの遊戯(ゲーム)でもしているかのように、一心不乱に『何か』を探していた。

 ()()()()()()()()()()』──? 

 

(くそっ、だとするなら──脱走した全てのモンスターがシルを!?)

 

 思考の大波に呑み込まれる前に、ベルはかぶりを振った。考えている時間はない。

 ベルは地面に転がっていた愛剣を拾うと、納刀、シルの手を摑んで立ち上がらせる。

 目線を合わせ、深紅(ルベライト)の瞳と鈍色の瞳が絡まったのは一瞬。

 

「失礼!」

 

「えっ──きゃっ!?」

 

 ベルはシルを横抱き──俗に言う、お姫様抱っこ──をすると、裏路地に飛び込んだ。

【ガネーシャ・ファミリア】や管理機関(ギルド)の職員に保護を依頼することは出来ない。彼等は一般市民を避難誘導しなければならず、そこにシルが居たら意味がない。

 

「ははっ、()()()()()()()()……」

 

「あの時……?」 

 

「いや、何でもないさ」

 

 つまるところ、ベルが取れるのは時間稼ぎだ。

 数日前、()猛牛(ミノタウロス)にやったように、時間を稼ぎ、モンスターを引き付け、救助を願う。

 前回と違うのは、今回は独りでの逃走劇ではないということだ。

 シルを抱えた状態で何処まで、どれだけ逃げられるかと──噴出した汗が彼女の顔に流れ落ちた。

 そんな汗を、シルは手を伸ばして優しく拭った。それから、状況にそぐわぬ明るい声を出す。

 

「あのっ、ベルさん!」

 

「何だ!?」

 

「不謹慎ですが……私、かなり楽しいです!」

 

「た、楽しい……?」

 

「はい! だから、楽しみませんか?」

 

「……ええ、そうしましょう!──これから始まるは逃走劇! この先迷宮都市(オラリオ)で語り継がれるであろう、前代未聞、壮大な鬼ごっこの始まりです!」

 

 口角を上げ、笑う。

 薄暗い路地裏をベルは駆け抜けて行った。

 

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