さあ──『喜劇』を始めよう!   作:Sakiru

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斯くして、祭りは終わった

 

 昼。

 巨塔(きょとう)──バベル。

 地下迷宮(ダンジョン)の『蓋』の役割を担う摩天楼施設(まてんろうしせつ)は、二十階まではテナントとして【ファミリア】に貸し出されている。簡易的ながらも換金所があったり、食堂があったり、治療施設があったりする。階層を行き来するのは魔石製品で作られた昇降盤(エレベーター)であり、魔石製品を製造、輸出している迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオならではの移動方法だろう。

 二十階から上は神々が住んでいる。無論、法外な税金を納める必要がある為、この神々の領域(プライベートルーム)を使えるのは、都市でも有数の【ファミリア】の主神だけだ。

 その五十階、つまり最上階。壁一面を占領するのは長方形の硝子(ガラス)

 

「──ふふっ、ふふふふふふっ」

 

 一つの笑みが、零れ落ちた。

 彼女──美しい女神は魔石製品である立体映像機()を凝視していた。画面が映すのは、一つの動画であった。

 動画はやがて終わり、部屋には静寂が訪れる。

 

嗚呼(ああ)、もう終わってしまった……。仕方がないわね、もう一度見返すとしましょうか」

 

 その言葉が出た時には既に、動画は再び始まっていた。

 女神──フレイヤは「ありがとう」と、自身の神意を見事に察し、端末を操作した己の眷族に礼を言う。

 

「……いえ」

 

 黒と灰の毛並みを持つ小柄な青年──アレン・フローメルは無機質な声で、主神の御礼に返答した。

 女神の時間を邪魔しないよう、入り口の扉の横で立つ彼は、珍しくも、敬愛している主神に対して呆れていた。

 

(これ、何回目だ?)

 

 数えているだけでも、既に三桁に突入していた。

 三桁。つまり、百回以上。

 フレイヤが()()()()()をループしている回数である。

 

(他の連中がくたばるのも頷ける……)

 

 眷族の仲が良いとはお世辞にも言えない【フレイヤ・ファミリア】であったが、この時、被害にあった構成員達は僅かながらも距離が近くなった気がした。

 

「そう、そこよ! 嗚呼、なんて雄々しいのかしら!」

 

 死んだ目になっている自らの眷族にも気付かず、フレイヤは立体映像機(スクリーン)に夢中になっている。

 最初は優雅にソファに座り極上のワインを(たしな)んでいたが、次第にソファから離れ、動画を超至近距離で見るようになった、と本拠(ホーム)を出てバベルに向かおうとするアレンに報告してきたのは、憎き猪人(ボアズ)であった。

 あの時は機嫌が(すこぶ)る悪かったので──話しかけて来たのが怨敵でもあったのだから、さらに悪くなった──耳を貸さなかったが、なるほど、あれは『報告』ではなく、『忠告』だったのだと、アレンは本当に、本当に少しだけ、雀の涙ほどだけ感謝した。

 

(チッ……俺が地下迷宮(ダンジョン)に行っている間に、まさかこうなっているなんてな……)

 

 今にして思えば、【フレイヤ・ファミリア】本拠(ホーム)──『戦いの野(フォールクヴァング)』は、いつもは血飛沫と雄叫びが飛び交っているものだが、今朝はそれが少なかった気がする。そのことに気付かないほどアレンは機嫌が悪く、地下迷宮(ダンジョン)に『八つ当たり』をしていたのだ。

 

「すごい、凄いわ! ふふっ、『喜劇』! 『喜劇』ですって!? 女神(わたし)が課した『試練』を『喜劇』と言うだなんて、なんて不遜(ふそん)なのかしら!? 嗚呼、けれど、とても面白い!」

 

 貴方もそうは思わない!? 主神が同意を求めるように、物凄い速さで振り返るものだから、アレンは瞬時に端末を操作、動画をぴたりと静止させた。

 

「面白いかどうか聞かれれば、面白くないですね」

 

 そして自身の感情をそのまま吐いた。

 下界の子供であるアレンが嘘を吐いても、神であるフレイヤにはそれが通じない。

 かと言って、(だんま)りを決め込む訳には行かない。主神の質問に答えないのは【フレイヤ・ファミリア】の禁忌の一つだ。

 

「そう……貴方にもそう映るのね。アレンだけじゃない。ヘグニも、ヘディンも、小人族の四兄弟(アルフリッグ)達も、オッタルもそう。みんな、私に賛成してくれなかったわ」

 

 つまらない、と女神は無垢な少女のように頬を膨らませた。

 

「もう良いわ。今日はここまでにしておきましょう。明日はまた他の子と見るから」

 

 ここに一人、新たな被害者が生まれることが確定したが、アレンは何も思わなかった。寧ろ、晴れやかな思いすら抱いた。

 それを隠そうともせずに素早く端末を操作する己の眷族を、フレイヤは『清々しいわね……』とすら思っていた。全員もれなく、似たような表情なり行動なりするのだから、最初こそ拗ねたものだが、流石にここまで来ればフレイヤも慣れたものである。

 

「アレン、せっかくだから此処で【ステイタス】の更新をしてしまいましょうか」

 

「畏まりました」

 

 二人は天蓋付き寝台(ベッド)に移動した。そのままカーテンを閉める。

「おいでなさい」と声を掛ける主神に、眷族は慇懃に礼をすると、戦闘衣(バトル・クロス)を脱いで背中を(あらわ)にした。鍛え抜かれた上背(うわぜ)に、美の女神は微笑を浮かべる。

 自身の神血(イコル)を落として、フレイヤは慣れた手つきで【ステイタス】を更新していく。

 

「それで? 単独での『遠征』はどうだったかしら?」

 

「……攻略階層が幾つか増えましたが、その程度です」

 

「それは素晴らしい事ね。『騒動』から帰って来るなり『深層』に単独『遠征』に行きたいだなんて、貴方がそんなお願いをしてきたことにはとても驚いたけれど……ふふっ、やっぱり、『彼』に当てられたのかしら?」

 

 アレンは沈黙だけを返した。

 主神は素直になれない猫人(キャットピープル)を愛おしそうに目を細めて見ると、頭を何度か優しく撫でる。

 

「なら、貴方は『騒動』の顛末を知らないということになる。その間に何が起きたのか、教えてあげるわ」

 

「……それは【フレイヤ・ファミリア】に関係することでしょうか」

 

「いいえ? 直接的には関係ないわね。けれど、アレン、貴方は副団長だもの。迷宮都市(オラリオ)の世情は把握しておかないと」

 

 それに、久し振りに貴方と会えたんだもの、ゆっくり話をしたいわ──主神の我儘を、眷族は受け入れた。とはいえ、【フレイヤ・ファミリア】では主神が絶対である為、忠誠を誓っているアレンが断るという選択肢は元からないのだが。

 

「『騒動』──いいえ、『モンスター脱走事件』だったかしら。これが、管理機関(ギルド)が名付けた『騒動』の名前」

 

 とても物騒で、品がない名前だとフレイヤは言った。

 それから彼女は、滔々と話をする。

 

 年に一度に開かれる──怪物祭(モンスターフィリア)

 

 この行事(イベント)の歴史は長いとは言えない。都市の実質的な支配者である管理機関(ギルド)が発案したというこの催しは、最初の頃はウケがいいとは決して言えなかった。

 地下迷宮(ダンジョン)に挑む冒険者からは『パンと見世物』だと言われ、都市の住民達からは危険な怪物(モンスター)を地上に運ぶとはどういう事だと苦情(クレーム)が殺到した。

 しかし管理機関(ギルド)と、彼等に提携している【ガネーシャ・ファミリア】は非難の声に屈することなく怪物祭(モンスターフィリア)を決行。彼等の努力の甲斐があって、最初は少なかった観客は回を重ねる度に増えていき、迷宮都市(オラリオ)だけでなく、やがて世界全土に広がっていった。

 しかしながら、受け入れられ始めていた怪物祭(モンスターフィリア)は、今年、予期せぬ出来事に襲われることになった。

 

 それこそが、『モンスター脱走事件』。

 

 闘技場の地下で厳重に捕らわれていた怪物(モンスター)が、何者かの手によって檻から脱走──否、脱獄したのだ。何かを探し求めるように、モンスターは民衆を襲うことなく我が物顔で都市を闊歩した。それは『世界の中心』たるオラリオで起きてはならない事態だ。

 ギルドと【ガネーシャ・ファミリア】は自分達だけでは早期解決が困難だと判断、冒険者達に協力を要請。幸か不幸か、その場には都市最大派閥である【ロキ・ファミリア】の第一級冒険【剣姫(けんき)】をはじめとした屈強な冒険者が怪物祭(モンスターフィリア)を観戦に来ていた。また、主神である計略の女神、ロキが居たことも幸運に入るだろう。彼女は事態を知ると、眷族達に神意を出した。また【ロキ・ファミリア】だけでなく、その他多数の冒険者も協力を受諾。

 一時間も経たずにモンスターは討伐されたが、都市の東区画は封鎖されることとなった。安全が確認され、開放されたのは事件が起こってから一日後である。

 

「──ふふっ、今尚、民衆は怯えているわ。管理機関(ギルド)が正式に怪物達(モンスター)は討伐されたと発表したのにも関わらず。そこが子供達の可愛いところではあるけれど」

 

「……そうですか」

 

「あら? もしかして怒ってるの?」

 

「いえ」

 

 短く言葉を交わす。

 アレンは全ての元凶が主神であることを知っている。

 寧ろ自分は主神の神意(しんい)──『神の計画(シナリオ)』に加担したのだ。巻き込まれた民衆に思うところがない訳ではないが、その程度である。

 

管理機関(ギルド)には非難の声が殺到。北西のメインストリートは『冒険者通り』なんて言われているけれど、今は民衆の方が多いみたい。ギルド長(ロイマン)はあまりの忙しさに少しばかり痩せたそうよ?」

 

「……あの豚が少し痩せたところで、寧ろ、気持ち悪さが増すと思いますが」

 

 それもそうね、と美の女神は頷いた。

 

「モンスターの脱走を許してしまった【ガネーシャ・ファミリア】にも、管理機関(ギルド)までとは行かないけれど、非難の声が上がっていたわ。とはいえ、此方はすぐに止んだけれど」

 

群衆(ぐんしゅう)(あるじ)】であるガネーシャだからこそ、『都市の憲兵』としてオラリオの治安維持に貢献してきた【ガネーシャ・ファミリア】だからこそ、許しを得られた。

 あるいは、「すまなかったああああああああああああ!」と道のど真ん中で土下座を敢行するガネーシャを見て、毒気を抜かれたのかもしれない。

 どちらにせよ、他の【ファミリア】だったら駄目だっただろう。

 

「来年の怪物祭(モンスターフィリア)は開催されないでしょうね。再来年も危ぶまれているわ」

 

「……」

 

「ガネーシャや創設神(ウラノス)には悪いことをしてしまったわ」

 

 口ではそう言いつつも、女神フレイヤは反省している素振りを微塵も見せなかった。

 事実、彼女は反省などしていない。寧ろ、自身の『計画(シナリオ)』が達成されたことに大変満足している。

 神とは自身の感情に良くも悪くも正直なのだ。

 

「ロキの所は『モンスター脱走事件』の解決に大きく貢献したから、『ミノタウロス上層進出事件』の汚名を返上した。ふふっ、あの時のロキの表情(かお)……女神がしては駄目なものだったわ」

 

『事件』が起こった当日の夜、フレイヤはロキから呼び出しをくらった。会って早々殴りかかってきた彼女を思い出し、フレイヤは思い出し笑いをする。

 とはいえ、既に女神の間で『契約』はされている。破ることは赦されない。悔しそうに顔を歪める計略の女神はとても見物だった。

『ミノタウロス上層進出事件』の失態を今回の『モンスター脱走事件』に協力することで、【ロキ・ファミリア】は名誉挽回に成功した。

 

「そして──【ヘスティア・ファミリア】。ふふふっ、アレンは知らないでしょうけど、彼処の派閥は今、民衆からとても注目されているわ。いいえ、民衆だけでなく、一部の同業者(ぼうけんしゃ)神々(わたしたち)からも」

 

『モンスター脱走事件』で、一つの派閥が台頭した。

 その名も、【ヘスティア・ファミリア】。

 結成されてからようやく一ヶ月の零細派閥。構成員も僅か一人で、等級(ランク)は当然、最低の【I】。

 だが、この零細派閥は現在、最も注目されていた。

 その理由は、主に二つ。

 まず一つ目に、炉の女神ヘスティア。彼女は親と(はぐ)れてしまった子供達を見付けると、再会出来るよう手助けをした。その数、およそ迷子となってしまった子供達の全体の半数以上。幼い容姿の女神が、幼い子供達を引き連れ避難所に向かう姿は多くの住民に目撃されている。

 そして二つ目に、たった一人の眷族の少年。彼は執拗に追いかけて来る野猿──シルバーバックと対峙し、戦い、そして一人の少女を守り抜いてみせた。迷宮街で繰り広げられた死闘は口伝で瞬く間に都市中に広がり、新たな『新人(ルーキー)』の誕生にオラリオは湧いている。

 

「一つ、質問宜しいでしょうか?」

 

 珍しいことだと、フレイヤは益々思った。

 故に、彼女は赦す。

 

「良いでしょう。何でも答えてあげるわ」

 

 感謝申し上げます、と眷族は主神の慈悲に慇懃に答えると、静かに問うた。

 

「あの糞餓鬼──ベル・クラネルを貴女は見付けた。しかしながら、私はあの糞餓鬼が『英雄』になれるとは思いません。精々が『道化』でしょう」

 

「一日中尾行していた貴方がそう思うのなら、きっと、そうなのでしょうね」

 

 アレンは女神の神命に従い、怪物祭(モンスターフィリア)が開かれたあの日、ベル・クラネルと街娘の逢引を尾行していた。

 アレン・フローメルは迷宮都市オラリオでも数少ないLv.6。相手に気取られないよう、気配を殺し、空間に紛れることなど造作もない。

 

「けれど、貴方はその『道化』を視て──ダンジョンに潜っていったわ。貴方をそうまで駆り立てる『何か』が『道化』にはあった。違う?」

 

 つーっと、白く細い手でフレイヤは背中をなぞった。

 一度身体を震わせた猫人(キャットピープル)は、しかし、やはり沈黙する。

 それすらも美の女神にとっては可愛らしく映るのだ。蠱惑的な笑みを浮かべ、再度、背中をなぞる。

 

「それで? 貴方は何が聞きたいの?」

 

「──『道化』の『魂』の本質(いろ)についてです」

 

「ふふっ、ふふふふふふふふっ!」

 

 フレイヤは笑った。

 自分が想像していたものよりも、深い、深い意味がある質問だ。

 つまり、己の眷族はこう問うているのだ。

 ──糞餓鬼(ベル・クラネル)の何処に惹かれたのか。

 嗚呼、とても面白い質問だ。腹が捩れるくらいに笑声をあげる。

 暫くして、女神は『約束』を果たす為に口を開けた。

 

「あの子の『魂』の本質(いろ)わね……一言で言うならば──『透明』なの」

 

 どういうことかと、アレンは説明を求める。

 

「白でも、黒でも、赤でも、青でもない。あの子は『透明』。『透明』だということは、即ち、どの『色』にも『変色』出来るということ。だから、あの子は他者を惹き付けてやまない。だから──あの子の周りには笑顔が咲いている」

 

 でもね──と、フレイヤは言葉を続けた。

 

「あの子の『魂』の本質(いろ)は、本来、別の『色』のような気がするの。『()()()()()()()()

 

「……どういうことでしょうか?」

 

「私にも分からない。私が主に司るのは『美』と『愛』。本質(いろ)を見抜く()こそ持っているけれど、逆に言えば、それしか出来ないの。これで良いかしら?」

 

「はい。感謝申し上げます」

 

「もう……オッタル達に使っているような口調で私は構わないのに、貴方は私の前ではそのように振る舞うのね」

 

「女神の御前ですから」

 

 唇を尖らせても、眷族は態度を変えることはしなかった。とはいえ、フレイヤはアレンのそういうところが好きなのだが。

 

「あの子はまだ療養中。【戦場の聖女(デア・セイント)】は人形だなんて言われているけれど、親しい間柄には過保護みたいね。お見舞いにでも行こうかしら」

 

「……」

 

「ふふっ、冗談よ」

 

 さて、とフレイヤは話を変えた。

 

「【ステイタス】の更新が終わったわ」

 

 実のところ、かなり前に更新は終わっていた。それはアレンも分かっている。

 フレイヤは敢えて口にすることで、二人きりの時間は終わりだと暗に告げたのだ。

 羊皮紙を手渡しながら、フレイヤは苦言を呈する。

 

「アレン、貴方相当無茶をしたわね。【ステイタス】の伸びが凄いわ。特に『耐久』が著しい。都市最速の貴方がこんなに傷を負うなんて……」

 

 だが最後には「よく頑張ったわね」と主神は眷族の喉を撫でた。猫人(キャットピープル)の青年は俯き表情を隠す。

 フレイヤはそれを見て気が変わった。悪戯心が芽生えたともいう。兎にも角にも、眷族の頑張りに応えるのは主神として当然であると建前をつくる。

 

「アレン」

 

 名前を呼ぶ。

 アレンが反応して顔を上げると、そこには裸の女神が居た。

 全てが目に毒だった。同時に、全てが『美』であった。

 

「おいでなさい」

 

 抵抗する暇もなく、アレンは女神の胸に引き寄せられたのだった。

 

 

 

 

§

 

 

 夜。

【ディアンケヒト・ファミリア】の治療施設──その一室では、定期検診が行われていた。そして今検査は全て終わり、その報告がされようとしている。

 患者とその保護者が固唾を呑む中、その小さな身体に視線を集める治療師(ヒーラー)は淡々と言った。

 

「これなら戦闘行為に支障をきたさないでしょう」

 

「つ、つまりどういうことだい?」

 

 ヘスティアの問い掛けに、アミッド・テアサナーレはここで初めて表情を綻ばせて答えた。

 

「おめでとうございます。予定通り、本日をもちまして退院可能です」

 

 治療師(ヒーラー)の祝辞の挨拶に、ヘスティアは満面の笑みでガバッと己の眷族(こども)に振り返った。

 患者──ベル・クラネルは暫く呆然としていたが、やがて事態を把握すると、

 

「やったああああああああああああああ!」

 

 両の腕を思い切り天井に伸ばし歓喜した。

 釣られるようにして、ヘスティアは目尻に涙さえ浮かべて、ベルの胸にダイブした。ベルは敬愛している女神を難なく抱きとめる。

 

「「いえーい!」」

 

 ぱん、とハイタッチする。

 

「こほん。申し訳ございません、お気持ちは分かりますが、他の患者も隣室にいらっしゃいますので──」

 

 ──どうかご静粛にお願い致します、とアミッドが言うよりも早く。

 彼女の前に二つの手が出されていた。

 

「あ、あの……これは?」

 

 訝しむアミッドに、ベルが言った。

 

「ほら、アミッド女医も!」

 

 そう言って、ハイタッチを要求してくる。ヘスティアも同様だった。

 アミッドは考えた。【ディアンケヒト・ファミリア】の治療師(ヒーラー)としてなら、ここは情に絆されることなく、厳しく諌めるべきだろう。だがしかし、彼の友人としてなら、どうだろうか。

 

(ディアンケヒト様が知ったら、なんて仰るでしょうか)

 

 そんな考えが一瞬(よぎ)ったが、アミッドはそれを無視した。とはいえ、自分の性格的に彼等のように振る舞うのはとても難しい。

 おずおずと見よう見まねで手を上げると、ベルとヘスティアはさらに笑みを深くした。

 

「「いえーいっ!」」

 

「……い、いえーい?」

 

 アミッドが小首を傾げる中、二度目の、ぱん、という小気味よい音がなった。

 じんわりと広がっていく痛み。だがそれは決して、嫌なものではなかった。

 

「ふふっ」

 

 目の前で、小さいながらも微笑する少女は、周りから『人形』だなんて言われているけれど、ベルにはとてもではないが、そうは映らなかった。

 

「アミッド女医、本当に世話になった。貴女のおかげで私は、今尚、生を謳歌することが出来ている」

 

「ボクからも御礼を言わせて欲しい。ありがとう、聖女君。いや違う、アミッド・テアサナーレ君。きみの尽力がなければ、ボクはたった一人の眷族を(うしな)っていただろう」

 

 一人の少年と一柱の女神は頭を深く下げた。

 アミッドは表情を元に戻して言葉を投げ掛ける。

 

「頭を上げて下さい。私は治療師(ヒーラー)として、当然のことをしたまでです。救える生命を救う、救えるよう模索する、それが治療師(ヒーラー)の使命の一つだと、私は──いえ、我々【ディアンケヒト・ファミリア】は考えています」

 

 それに、とアミッドは言葉を続けた。

 

「ベルさんは私の友人ですから」

 

「アミッド女医……!」

 

 感激したベルはガバッと顔を上げると、彼女の手を取ってぶんぶんと縦に振る。アミッドは苦笑しながらも受け入れた。

 それを見ながら、ヘスティアは予め用意しておいた衣服を、部屋の隅に設えてある棚から取り出した。

 

「はい、ベル君。病衣で出る訳にも行かないだろう」

 

「ありがとう、ヘスティア!」

 

 ベルの現在の服装は【ディアンケヒト・ファミリア】が支給している純白の病衣だ。白髪のベルにとても似合っていて、不謹慎ながらも、ヘスティアはその儚さから女子(おなご)だと思った程である。

 感謝の言葉を言いながら受け取ったベルは、まず最初に上着を広げると、

 

「おお、これが都会の服か! くぅー、格好良いネ!」

 

 感嘆の声を上げた。

 目を輝かせるベルに、ヘスティアは得意そうに胸を張る。

 

「へへん、そうだろうそうだろう! 何せ、このボクが選んだんだからね!」

 

「いやほんと助かる。私の外套(がいとう)は駄目になってしまったからなあ」

 

 漆黒の外套は先の戦いでただの布切れと化した。

 ヘスティアは転換期だと判断し、都市で今流行の衣服を丸々一セット眷族の為に購入していた。

 

「さっそく着替えるか。すまないが時間をくれないか」

 

「おうともさ!」「失礼致します」

 

 ヘスティアとアミッドは一旦病室を出ていく。廊下に出るとヘスティアはアミッドに近付いた。

 

「神ヘスティア……?」

 

 訝しむ彼女に、炉の女神は頭を深く下げた。

 

「ありがとう。きみのおかげでベル君は助かった。本当に、本当にありがとう」

 

「……先程も申し上げましたが、私は治療師(ヒーラー)として、彼の友人として、当然のことをしたまでです」

 

 だから気にする必要はないと口にする治療師(ヒーラー)に、ヘスティアは顔を上げた。

 

「確か【戦場の聖女(デア・セイント)】だったかな、きみの二つ名は。どうやらボクの眷族は、ボクの知らない所で素晴らしい子供と友人になっていたようだ」

 

「お褒めのお言葉、ありがとうございます。これからも神々から頂いた二つ名に恥じぬよう、精進致します」

 

「き、きみは固いなあ。そんな畏まった口調と態度、疲れないのかい?」

 

「……? 治療師(ヒーラー)として当然のことですから、何も疲れませんが……」

 

「そ、そうかぁ……」

 

 自分じゃ無理だと苦笑するヘスティアを、アミッドは不思議そうに見た。

 ここでヘスティアは声を抑え「ところで」と前置きして。

 

「今夜は来れそうかい?」

 

 何に、という言葉は口にしない。

 聡明なアミッドはすぐにその質問に頷いた。

 

「ええ、はい。今夜は主神から暇を貰っています。渋い顔はされましたが、説得しました。しかし申し訳ございません。雑務が多少残っていますので、開始には遅れてしまいます」

 

「全然構わないよ! いやー、良かった良かった! やっぱり人は多いに越したことはないからね!」

 

「しかし宜しいのですか? 私は他派閥の人間ですが……」

 

「勿論さ! きみならいつでも大歓迎だよ! ミアハの所も来るからね! ああ、だけど先に言っておくけれど、ナァーザ君とは喧嘩しないでくれよ?」

 

 アミッドは気まずそうに視線を逸らした。ヘスティアは心配になったが、まあ何とかなるだろと思うことにした。

 そんな二人に「着替え終わったぞ!」と扉越しに声が掛けられる。彼女達は顔を見合わせてから、病室に入る。

 

「どうだ、似合うか!?」

 

 部屋の中央では、新たな衣装に身を包んだベルが女性陣の反応を今か今かと待ち望んでいた。

 

「おお! 流石ボクの眷族だぜ! とても似合っているよ! くっ、お金があれば『撮影機(カメラ)』で永遠保存出来るのに……!」

 

 主神はツインテールを踊らせて口に出して賞賛した。

 ちなみに『撮影機(カメラ)』は魔石製品の一つであり、購入するにはかなりのヴァリスを用意する必要がある。ヘスティアはいつか絶対に入手してみせると意気込んだ。

 一方で、ベルの友人である少女は、

 

(こうして改めて見ると、ベルさんは中性的な顔付きですね……。所謂、『わいるど』風な服は似合わないでしょう……)

 

 少しズレた感想を抱いていた。

 勝色のフード付きロングコートの裾は膝下まで伸びている。覗き見えるのは墨色のインナー。そして漆黒のパンツに、同色のシューズ。

『神の感性』と『都市の流行』、何よりも『眷族の嗜好』を重視した、ヘスティア渾身のコーディネートだ。

 

「さあ、帰ろうぜベル君! ボク達の本拠(いえ)に!」

 

「ああ、帰ろう!」

 

 そこからは早かった。

 元より退院準備はしていたので、ものの数分もしないうちに準備は整う。ヘスティアとアミッドが先に部屋を出ていく中、最後にベルは振り返り、一礼するのだった。

 

「申し訳ございません。本来なら昼頃に退院出来たのですが……」

 

「仕方ないさ。急患が出たのだろう?」

 

「はい」

 

「なら、貴女はまた人を一人救ったということだ。友人として貴女を誇りに思うこそすれ、身勝手な怒りを抱くことを誰がするだろうか」

 

「そう言って頂けると嬉しいです」

 

 三人が廊下を渡っていくと、数名の【ディアンケヒト・ファミリア】の治療師(ヒーラー)とすれ違う。彼等はベル達に会釈をすると、最後にアミッドに「お疲れ様です」と声を掛けた。

 

「アミッド女医はこれで仕事が終わりなのか?」

 

「はい。ベルさんの触診で本日の業務は終了となります。貴方達を見送った後、最後に雑務を済ませて終わりです」

 

「如何でしょう、美しい女性(ひと)。今宵、私と一夜を共にしませんか?」

 

「申し訳ございません。本日はこの後用事がありますので、ご要望には添いかねます」

 

「ふっ、そうか。ならば仕方ない! 次の機会にお願いしよう!」

 

 ヘスティアは思った。

 こいつ懲りねー、としみじみと思った。

 と言うか、主神(ははおや)の前でナンパをするか、普通? 

 そして流れるようにして振られている……というか、無視(スルー)されている。

 控え目に言って今のベルは非常に格好悪かったが、本人は至って傷付いていなかった。

 

(それにしても……ここまで清潔を保てていられるのは凄いな……。ボク達もそろそろ本拠(ホーム)の大掃除をしないとなぁ……)

 

 埃一つ落ちてない、ぴかぴかに磨かれた廊下を渡りながら、ヘスティアはただただ感嘆していた。

【ディアンケヒト・ファミリア】は都市でも少ない、二十四時間体制の派閥だ。これにより、駆け込み治療が可能となっている。治療施設は販売所と、治療の為の診療室・待合室の区画になっている。

 出入口に辿り着くと、アミッドは慇懃に一礼した。そして団員として患者を送り出す。

 

「改めまして、退院おめでとうございます。出来ることならば、貴方が二度と此処に運ばれてこないことを願います」

 

 それは、切実な願いだった。

 アミッドはこれまで多くの怪我人を治療してきた。そして、多くの死者を看取ってきた。

 治療師(ヒーラー)は告げていないが、【ディアンケヒト・ファミリア】の治療施設にベルが救急搬送されてきた時、患者は死の一歩手前だった。もしその場にアミッドが居なければ、彼は死んでいただろう。

 

「ああ、私もそう思う。それじゃあアミッド女医、また会おう」

 

「ええ、また会いましょう」

 

 別れの挨拶を交わし、ベルとヘスティアは施設をあとにした。

 アミッドは二人の姿が雑踏の中に消えるのを確認してから踵を返すのだった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 北西のメインストリート『冒険者通り』は地下迷宮(ダンジョン)から帰還を果たした冒険者達で今日も大いに賑わっている。ヴァリス金貨が詰まった巾着袋を振り回し、彼等は仲間と共に生還を祝っていた。神々もそこに混ざり、騒いでいる。

 そんな中、一柱の女神と一人の少年が夜の都市を歩いていた。見失わないように繋がれている手の『熱』が、互いの存在を証明し、相手に伝える。

 

「いよーし、ベル君! せっかくの退院祝いだ! 夕食は豪勢なものにしようじゃないか!」

 

 中央広場に差し迫ったところで、ヘスティアがそう提案した。ベルは「おお!」と目を輝かせる。

 二人が行く場所は決まっていた。確認する必要は皆無であり、自然と西のメインストリートに足を運ぶ。

 

「あっ、ヘスティア様だ!」

 

「こんばんは、女神様。本日は眷族とご一緒なのですね」

 

 道中、犬人(シアンスロープ)の親子がヘスティアに声を掛けた。ヘスティアは話しかけて来た彼等に最初こそ戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに「ああ!」と頷く。

 

「リク君じゃないか!」

 

「僕のこと覚えてくれているの!?」

 

「おいおい、ボクは炉の女神だぜ? 当然、覚えているに決まっているじゃないか!」

 

「わあっ、嬉しいな! お父さん今の聞いた!?」

 

「ああ、聞いたとも。良かったなリク」

 

 きゃっきゃっと白い歯を覗かせて喜ぶ息子を、父親は微笑ましく見た。

 ヘスティアがベルに二人を紹介する。

 

「ベル君、こちら犬人(シアンスロープ)のレブン君と、その息子のリク君だ」

 

「初めまして、レブンと申します」「リクだよ!」

 

 親子の挨拶に、ベルは誠意を持って応じる。

 

「これはご丁寧にありがとう! 私はベル・クラネル。いずれ『英雄』に至る者! そして炉の女神ヘスティアの唯一の眷族だ!」

 

 父親には握手を求め、息子には屈んで目線を合わせて自己紹介をする。

 ほう……とレブンは内心で驚いた。荒くれ者が多い冒険者の中でこのような誠実な対応が出来る者が何人居るだろうか。それと同時に、流石は炉の女神の眷族だと思う。

 

「ヘスティア、彼等とはどのような関係なんだ?」

 

「この前の『モンスター脱走事件』の時に、色々とあってね」

 

 ざっくりと答えるヘスティアに、レブンは「とんでもない!」と声を上げた。

 

「ヘスティア様が子供達を避難所に導いて下さなかったら、どうなっていたことか! 想像するのも恐ろしいですよ! 私は……いえ、私達は本当に感謝しているんです。ヘスティア様、貴女だけが子供達に手を差し伸ばしてくれたのですから……」

 

 そう言われた女神はむず痒そうに片頬を掻く。

 

(うぅーん、感謝されるのは嬉しいんだけどなあ……)

 

 先程の治療師(ヒーラー)もこんな気持ちだったのかとヘスティアは共感出来た。

 そう、炉の女神である彼女からしたら当然のことを行ったに過ぎない。だから、崇拝されても困るというのが本音であった。

 日頃から女神の扱いをされたいとは常々思っているが、これは自分が求めていたものとは少し違う。

 そんなジレンマに陥っていると、リクが「ねえねえ!」と声を出した。

 

「ヘスティア様、『ジャガ丸くんの屋台』でアルバイトしてるってほんと!?」

 

「ああ、そうだぜ」

 

「わぁー、女神様も働くんだ! 大変だね!」

 

「こ、こらリク! も、申し訳ございませんヘスティア様! 愚息がとんだ無礼を……!」

 

「あー、いや、良いんだ。全部事実だからね」

 

 苦笑い気味にヘスティアはそう言った。

 凄まじい勢いで何度も頭を下げる父親を、息子は不思議そうに小首を傾げて見ていた。しかし、すぐに再び喋り始める。

 

「今度、リタと一緒にお店に行っても良い?」

 

「勿論さ。楽しみに待っているぜ。リタ君にもそう伝えてくれるかい?」

 

「うんっ」

 

 約束だよ! とリクは興奮して言った。女神は「炉の女神の真名に誓って」と言って、まだ自分よりも低い子供の頭を優しく撫でた。

 それを父親は目を細めて眺めていたが、暫くすると二人に近付いた。

 

「ヘスティア様、私達はここで失礼します」

 

「うん? そうかい?」

 

 リクが不満そうに頬を膨らませる。

 

「えー、もっとお話したいよ!」

 

「これ以上はヘスティア様達に失礼だろう。それにリク。早く家に帰らないとお母さんに怒られるぞ」

 

「それは嫌だ! お父さん早く帰ろう!」

 

 素晴らしい切り替えの早さに、ヘスティアも、そしてベルも苦笑を感じ得なかった。

 

「じゃあ、ボク達も行こうか」

 

 親子と別れ、二人は再び歩みを始める。

『豊穣の女主人』に辿り着くと、店の入口前でベルが「あれ?」と疑問の声を上げた。

 

「店に照明がついていない……? 私の記憶では、此処の酒場に定休日はなかった筈だが……」

 

 普段多くの客で(ひし)めき合っている酒場は、まるで廃墟のように静かだった。カフェテラスはもちろん、店内から人の気配は感じられない。

 何か複雑な事情でもあったのだろうかとベルが思う中、ヘスティアが繋がれている手を離し、扉に手を伸ばした。

 

「へ、ヘスティア? 勝手に入るのは……」

 

 堂々と不法侵入しようとする主神を眷族は制止するが、女神は「大丈夫大丈夫!」と謎の笑顔で無視した。

 そして彼女は空いているもう片方の手でベルの右手を握ると──勢いよく引っ張った。

 

「さあ、行こうぜベル君!」

 

「ちょっ──!?」

 

 鍵は掛かっていなかった。暗闇が訪問者を迎え入れる。

 ベルはヘスティアに導かれるままに漆黒の闇の中を突き進んで行った。

 

(……?)

 

 夜目が徐々にきき始める中、ベルは視線を感じた。その数、一つや二つではない。しかし奇妙なことに害意や敵意といったものは含まれていなかった。

 どういう事だと戸惑っていると、突如、暗闇が晴れた。

 視界を埋め尽くす白い光。酒場の各所に設置されている魔石灯の電源が入ったのだろうと推測する中で、ベルは思わず目を細める。

 そして、目が慣れないうちに。

 

「「「退院おめでとう!」」」

 

 何重にも重なった声が爆弾となって炸裂した。

 さらにパーン! という、クラッカーの鳴る音が響いた。

 

「……!? ッ!?」

 

 驚愕に顔を染め、素で目を丸くするベルを、仕掛人達がにやにやと眺めていた。

 仕掛人は全員、ベルの知っている顔だった。

 まずは『豊穣の女主人』の従業員達。女将ミアをはじめ、シルやエルフのリュー、見目麗しい美女達が酒場の制服ではなく私服で居る。

 次に、【ミアハ・ファミリア】の主神ミアハと、その眷族であるナァーザ。こちらもまた、私服姿だ。

 最後に、管理機関(ギルド)の受付嬢であるエイナに、ミィシャ。こちらもまた、私服姿だ。

 やがて暫くして彼は我を取り戻すと、周りを見渡す。そしてさらなる衝撃が彼を襲った。

 

「ふっふーん! ベル君、周りも見てみるが良い!」

 

 言われるがままに、ベルは店内を見回した。

『豊穣の女主人』の内装は、ベルの知っている物ではなかった。配置されていたテーブルは一箇所に集められ、その上には料理を乗せた大皿が何枚も並べられている。ステーキ、スパゲティ、サラダといった料理から、世界各地の名物料理も見られた。壁にはペーパーファンや折り紙で作られた立体輪っかがカラフルに彩られ、店内を明るくしている。魔石灯の光量も調整されていた。その他様々な道具がそこかしこで見受けられる。

 そして最も目を引くのが、壁に掛けられている横断幕。達筆な共通語(コイネー)で『ベル・クラネル退院おめでとう!』と書かれており、人の目を集めること間違いなしだ。

 

「ベル君」

 

 呆然と立ち尽くす眷族の手を、主神は優しく取った。

 ヘスティアは愛しい我が子の深紅(ルベライト)の瞳を下から覗き込むと、にっこりと笑った。

 

「改めて、退院おめでとう。今回はきみの退院祝いのパーティーだ。楽しんでくれると嬉しい」

 

「……パーティー」

 

「ああ、そうさパーティーだよ。おいおい、まさか『約束』を忘れていたのかい?」

 

 意地悪そうにヘスティアが尋ねるとベルは「そんなことはない」と強く否定した。「ただ……」と少年は言葉を続ける。

 

「ただ……こんな豪華なパーティーになるなんて」

 

「ボクの巧みな交渉術によって、女将君から特別にお店を貸してもらってね。今日は貸切さ! そう、これもボクの巧みな交渉術のおかげさ!」

 

「はは……分かっているから二回も言わなくて良いぞ」

 

 先日の意趣返しをされたベルは苦笑を禁じ得なかった。

 一方で、呆れているのは酒場の女将である。「はあ」と溜息を吐くと。

 

「よく言うよ。交渉も何も、ただあたしに『パーティーを開きたいんだ!』って言うだけだっただろうに」

 

「ギクッ!? お、女将君それは言わないでくれよ!」

 

「あたしは正直者なのさ」

 

 そう言うと、二人の猫人(キャットピープル)が、

 

「確かに間違ってちゃないけどニャー」「それニャー」

 

 と、ひそひそと囁きあっていた。地獄耳の女将はそれを拾うと「あァ!?」と低い声でひと睨み。猫人(キャットピープル)達は下手な口笛を吹いて誤魔化した。

 青筋を浮かべるミアであったが、すぐに沈めるとベルに近付く。

 

「坊主、詳しい話は馬鹿娘から聞いている。何でも、小っ恥ずかしくなるような歯の浮くような台詞を何度も吐いたんだろう?」

 

 ぎろりと、睨まれる。ベルが反射的にシルに視線を送ると、彼女は「ふふっ」と微笑むだけだった。

 

「何か弁明はあるかい? 聞くだけ聞いてやるよ?」

 

 ベルは冷や汗を流しつつも、それを受け流す。言葉を撤回しない生意気な子供(ガキ)の頭に、ミアは母親としてゴツン! と拳を落とした。

 

「いだだだだだだだだだだだだだだ!?」

 

 しゃがみこみ、頭を押さえるベル。それを見たミアは凶暴に笑うと、

 

「だがまあ、良くやった。あんたは愛娘(シル)を守った。ベル・クラネル。あの時の『宣誓』を、あんたは破らなかった」

 

「……!」

 

「ありがとう。あんたは確かにその時、シルの『英雄』だった」

 

 ベルはがばっと顔を上げると、「ミア母さん!」と見上げる。豪傑な女将はにやりと笑った。

 

「あたしにここまで言わせたんだ。これからも精々、死なない程度に頑張んな!」

 

「ああ!」

 

「今日の料理は全てあたしが作った。このあたし自らがね。何を言いたいか、分かるね?」

 

「無論だ! 決して食べ残しはしないと誓おう!」

 

「はははっ、その意気や良し! さあ、たらふく食いな! 食べる子は育つよ!」

 

 そう言うと、ミアはずんずんと厨房に姿を消した。追加の料理を作る為、女将は鍋を振る。

 新たに香ばしい匂いが店内に流れる中、ヘスティアが「こほん!」と咳払いを打った。

 

「なんだか女将君に美味しいところを持っていかれたような気がするけれど、まあ、良いか! それじゃあ皆の衆、グラスを持って!」

 

 各々、自分が好きな果実汁や酒を手に取る。

 ベルはあまり酒を好まないので、無難に林檎汁を飲んだ。飲むにしても、後にしようと決める。

 ヘスティアは全員がグラスを手に持っているのを確認すると、おもむろに話し始めた。

 

「まずは今日、この場に集まってくれてありがとう。ボクはとても嬉しい。ボクの眷族が、こんなにも大勢の人達に愛されている。それが堪らなく嬉しいんだ」

 

 女神の御言葉を、子供達は静かに聞く。

 

「ベル君がオラリオに来て、一ヶ月が経った。皆も知っていると思うけれど、この子はどうしようもなく馬鹿だ。特に女性陣には多大なる迷惑を掛けているだろう。主神であるボクが許す、セクハラされたら遠慮なく()らしめてやってくれ」

 

 酒場の従業員達が笑顔で頷いた。

 

「この子は馬鹿だ。だから、この子が馬鹿をやった時は大いに笑ってくれ。そしてもし良かったら、その時は笑いながらも手を差し伸ばして欲しい。ベル君は一人じゃ何も出来ないから」

 

 それは女神の我儘だった。

 そして誰も、「嫌だ」と口にすることはしなかった。

 ヘスティアは「ありがとう」と微笑むと、液体がなみなみと入ったグラスを高く掲げた。

 

「さあ、祝おう! ベル・クラネルの退院を祝って──乾杯!」

 

「「「乾杯!」」」

 

 パーティーが開かれた。

 女神がたった一人の眷族の為だけに用意したパーティーが。

 主役のベルに沢山の声が掛けられる。

 

「シルから聞いたニャ! アーニャが褒めて遣わすニャ! 感謝するニャ!」

 

「少年のお尻、食べても良いかニャ?」

 

「シルバーバックを倒したんだって? 駆け出しなのに凄いよ!」

 

 まずは怒涛(どとう)の、酒場の従業員達の波状攻撃であった。二人の猫人(キャットピープル)、アーニャとクロエが「ニャニャ!」と騒ぎ立て、そこにヒューマンのルノアが混ざる。

 エルフのリューがベルに話し掛けようと試みていたが、結局、それは出来なかった。

 その様子をシルは一歩離れて眺めていた。

 

「ベル君、退院おめでとう!」

 

「おめでとーう!」

 

 次にベルに話し掛けたのは、エイナとミィシャであった。

 

「ベル、身体の調子はどうだ?」

 

「ベルー……久し振りー……」

 

 次にベルに話し掛けたのは、一柱の男神とその眷族であった。【ミアハ・ファミリア】主神のミアハと、犬人(シアンスロープ)のナァーザだ。

 

「神ミアハ! それにナァーザ!」

 

 男神ミアハは爽やかに笑うと、「お主が胃もたれになった時以来か」と再会を喜んだ。それから、申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「すまぬな、ベル。私もナァーザもお主の見舞いに行きたかったのだが……」

 

「ごめんね、ベル……。今月分のお金を貯めるのに精一杯で……」

 

「その気持ちだけで充分だ。本当にありがとう。それでどうだ、貯まったのか?」

 

 心配するベルに、ナァーザは無表情で頷いた。

 

「うん……何とか。でも今月もやばいから、ベルにはうちをもっと贔屓にしてくれると嬉しいな……」

 

「ああ、勿論だ!」

 

「……あの優等生気取りの女も、ベルを取られて悔しいだろうな……。ざまぁーみろ」

 

 ベルはその言葉に笑顔のまま固まった。

 主神のミアハがすぐさま「ナァーザ!」と叱咤するが、彼女は肩を竦めるだけで、さらに続ける。

 

「ふふふ……ベルは【ミアハ・ファミリア】の顧客。絶対に他の派閥……ましてや【ディアンケヒト・ファミリア】には渡さない」

 

「はあ……すまぬなベル。私も常々注意はしているのだが……」

 

 苦笑い気味にベルが「慣れたから大丈夫だ」と口を開きかけた時だった。

 

「失礼致します。『豊穣の女主人』は此処で間違いないでしょうか」

 

 一人の少女が現れた。

 ベルはその声に聞き覚えがあった。というか、つい少し前に聞いたし、声主と話もしている。

 ベルとミアハが揃って硬直する中、彼女は彼等に近付いた。

 

「遅くなってしまい申し訳ございません、ベルさん。友人として言わせて下さい。退院おめでとうございます」

 

 友人の登場に、ベルはすぐに顔を輝かせた。アミッドも釣られて微笑を浮かべる。

 

「用事とはこの事だったんだな! 教えてくれれば良かったのに!」

 

「申し訳ございません、神ヘスティアから口外しないよう言われていましたから」

 

 それからと、アミッドはベルから視線を外し。

 

「ミアハ様も、エリスイスもこんばんは。先日以来ですね」

 

 まず先に反応したのはナァーザであった。

 

「遅刻とは恐れ入る……友人のパーティーよりも、仕事が大事なんだ……」

 

 アミッドはナァーザの煽りに淡々と返す。

 

「神ヘスティアには遅れることを伝えてありました」

 

「ふぅーん……そうなんだ。でも、私は無理だな……せっかく、大切な人が退院するのに、遅れるだなんて……うん、私には無理だよ」

 

「……エリスイス」

 

「あっ、怒った? でもごめん……怒らせるつもりはなかったの。ただ……私には出来ないことをやっていて……凄いなぁって思っただけだから……」

 

 そして、最後の一言がとどめとなった。

 

「貴女にとって、ベルは所詮、その程度の友人(ひと)なんだね……」

 

 明らかな挑発だった。そして、ナァーザも本気で言っていないことは分かっている。

 昔のアミッドであれば感情を抑えつつ、冷静に対応していただろう。

 だが、今の彼女は昔とは少しばかり違った。

 

「エリスイス……!」

 

 アミッドが静かに怒気を放ち始めるのを見て、ナァーザは一瞬怯んでしまう。

 しかしすぐに無表情ながらも口角を上げた。それはまるで、人形と言われている腐れ縁の彼女の成長を歓迎しているようでもあった。

 そして、緊張が臨界点を突破する──直前。

 

「ちょっと待ったー!」

 

 ヘスティアが二人の間に立ち、両手をぶんぶんと振る。

 

「きみ達は何をしているんだ!? 二人の仲が悪いのは知っていたけれど、今は抑えてくれよ頼むから!」

 

 せっかくのパーティーなんだから! とヘスティアは言った。

 女神の正論に「うぐっ」と喉を詰まらせるナァーザとアミッド。視線を逸らす彼女達を、女神は蒼の瞳で見詰めていた。

 先に非礼を詫びたのはアミッドだった。

 

「申し訳ございませんでした」

 

 次にナァーザも「ごめんなさい……」と頭を下げる。

 ヘスティアは「今後は気を付けるように!」と言うと、持ってきた料理を二人に手渡した。

 

「極東には何でも『同じ釜の飯を食う』って(ことわざ)があるらしいぜ」

 

「おお、そうなのかヘスティア! して、その意味は?」

 

 ミアハが尋ねると、ヘスティアは笑顔で言った。

 

神友(しんゆう)曰く、仲良くなれるらしい!」

 

「素晴らしい! ナァーザ、そしてアミッドよ。どうだ、これでお主らも仲良く出来るだろう!」

 

 そんな訳ないだろ、と二人は同じことを思ったが、神の手前、否定することはしなかった。

 目でアイコンタクトを送り合い、渋々ながらも同じ料理を口にする。刹那、渋面は百八十度変わった。美味に頬を緩める彼女達を見て、ミアハは感動に打ち震えた。

 パーティーが盛り上がる中、それは唐突に起こった。アミッドが「ベルさん」と、ヘスティアと話をしていたベルに声を掛けたのだ。

 

「ベルさん、これをどうぞ」

 

 アミッドが懐から取り出したのは、数本の試験管が入った容器だった。試験管の中には緑色の液体が入っている。

 ベルが訝しむ中、声を上げたのはナァーザだった。

 

万能薬(エリクサー)……!」

 

 ミアハも「なんと……」と目を見張っている。

 ベルは『万能薬(エリクサー)』という単語に聞き覚えがあった。担当アドバイザーから講習で教わった。

 

「あ、アミッド女医……これはいったい?」

 

「差し上げます」

 

「……へ?」

 

 間抜け面を晒すベルの代わりに、ナァーザが詰問する。

 

「……どういうつもり?」

 

「どういうつもり、とは?」

 

 聞き返すアミッドに、ナァーザは苛立ちを声に含ませた。

 

「それ……まさか無料(タダ)で渡すだなんて言うつもり……?」

 

「無論です。寧ろ何故お金を取るのですか?」

 

「……貴女、巫山戯(ふざけ)てる?」

 

「至って真面目ですが」

 

 アミッドは本心から小首を傾げた。そんな彼女を見て、ナァーザは言葉を荒らげる。

 

「貴女の所……【ディアンケヒト・ファミリア】で売られている万能薬(エリクサー)の単価は50万ヴァリスは軽くこえる筈」

 

「「50万!?」」

 

 ベルとヘスティアは思わず顔を見合わせ、受け取った容器を見る。がたがたと持つ手が震えるのを、いったい誰が笑えるだろうか。

 彼等を一瞥してから、ナァーザはさらに問い詰める。

 

「しかもそれ、多分だけど貴女が直々に製薬したもの。違う?」

 

「ええ、仰る通りです。全て私がつくりました」

 

 さらりとアミッドが答えた。

 ベルとヘスティアはナァーザの質問の意図が分からなかったが、分かる者は戦慄を禁じ得なかった。

 アミッド・テアサナーレは迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオで最高位の治療師(ヒーラー)である。その彼女自ら製薬した万能薬(エリクサー)。その価値は測りしれない。オークションに掛ければ数百万にすら届き得るだろう。

 

「……もう一度質問する。貴女、何が目的?」

 

 ナァーザ・エリスイスは知っている。

 目の前のアミッド・テアサナーレという治療師(ヒーラー)のことを。何せ同業者であり、その付き合いはとても長いのだから。

 

「……貴女のそれは明らかに異常。いくら友人とはいえ、万能薬(エリクサー)をそんなに渡すのは可笑しい」

 

「そんなことは御座いません。懇意にしている【ロキ・ファミリア】の皆様にも、彼等が『遠征』に向かう際には渡しています」

 

「でも、ベルはまだ『遠征』とは縁遠い。どんなに順調に『昇格(ランクアップ)』を果たしても、あと数年は掛かる」

 

 ナァーザの指摘は理にかなっていた。

 万能薬(エリクサー)の効能は素晴らしいの一言に尽きる。生きてさえいれば擬似的な蘇生すら可能とするのが万能薬(エリクサー)だ。

 駆け出し冒険者であるベル・クラネルが使い始めるのは地下迷宮のもっと下の階層からだろう。

 

「此処にはミアハ様やヘスティア様が居る。嘘を吐けばすぐに分かる……」

 

 神々は嘘を看破する能力がある。

 そのことを引き合いに出して目を細めるナァーザに、アミッドはやはり真面目に言った。

 

「エリスイス、貴女が思っているようなことをするつもりは毛頭ありません。ベルさんが【ミアハ・ファミリア】と『契約』を交わしているのは知っています。私達商人にとって『契約』はとても大きい意味を持っています。それを破棄させようと──【ディアンケヒト・ファミリア】の顧客にしようという意図は全くありません」

 

 ちらりと、ナァーザは己の主神に視線を送った。受け取ったミアハは首を横に振り、嘘がないことを告げる。

 

「今回の件で私は確信しました。この人はこのままでは早死にすると」

 

 それは、多くの人を救い──多くの人の死を見てきた治療師(ヒーラー)の言葉だった。

 誰もが言葉を失う中、アミッドはベルに向き合う。

 

「ベルさん、私は貴方に死んで欲しくありません」

 

「アミッド女医……」

 

「私の身勝手な想い、受け取ってくれますか?」

 

 銀の瞳が小さく揺れる。

 ベルは深紅(ルベライト)の瞳でもって彼女の瞳を捉えた。

 

「ああ、貴女の想い、受け取らせて貰う」

 

 アミッドは心底嬉しそうに微笑んだ。

 この時、ベルの瞳には彼女しか映っていなかった。 

 

「こ、こほん! さぁさぁ皆、まだまだパーティーは続くぜ!」 

 

 妙な空気が酒場に流れる中、ヘスティアが断ち切ろうと声を張る。

 ヘスティアの言葉に皆乗った。

 すぐに店内は和やかな雰囲気を取り戻し、至る所で笑顔という花が咲く。

 

「すまない、少し夜風に当たってくる」

 

 何故か尻を執拗に狙ってくるクロエをなんとか撃退すると、ベルはそう言ってカフェテラスに出た。

 通りを一望出来る席に座ると、ふぅ、と息を吐いた。夜空を暫く眺めていると、彼は近付いてくる気配に顔を向ける。

 

「お(しゃく)、しても宜しいでしょうか?」

 

「貴女のような美しい女性にして頂けるなら、とても嬉しい」

 

 シルはベルの口説き文句を華麗に無視すると、「失礼しますね」と対面に座った。

 そして持ってきた林檎汁の瓶を開けると、慣れた様子でグラスに注ぎ入れる。

 

「はい、どうぞ」

 

「ありがとう」

 

 渡された林檎汁を味わうようにゆっくりと飲む。

 

「何回も言われていると飽きてしまうでしょうが──退院おめでとうございます」

 

「ありがとう、シル。今回だけじゃない。何度も見舞いに来てくれて、本当に嬉しかった」

 

 迷宮都市(オラリオ)でのベルの交友関係はまだ狭い。

 主神であるヘスティアと、主担当であったアミッドを除き、足を運んでたのはシルだけだった。

 とはいえ、他にも見舞いに来てくれた人物はいる。

 担当アドバイザーであるエイナが親友のミィシャと一緒に来てくれた。エイナは無茶をしたベルに小言を言ったが、最後には「頑張ったね」と褒めた。美人のエルフに頭を撫でられてテンションが上がったベルであったが、「次からは講義、もっと下層の範囲もやろうか」という言葉によって死んだ顔になった。ミィシャだけが彼を慰めた。

【ガネーシャ・ファミリア】の主神であるガネーシャとその団長であるシャクティも、迷惑を掛けてしまったと頭を下げにきた。ベルが昏睡していた一週間の間に、面倒事は全てヘスティアが片付けており、つまり彼等が謝罪をする義務は事実上ないのだが、彼等はベルからの糾弾を受け入れる覚悟を持ってやってきたのだ。ベルは彼等の謝罪を正式に受け入れた。ちなみにこの時、ベルとガネーシャは通じるものがあったのが意気投合している。

 そんな風にベルの病室には様々な人達が来てくれた訳だが、朝、昼、夜の時間帯に見舞いにやって来たのはヘスティアとシルだけだった。

 

「貴女が来てくれたおかげで私は退屈せずに済んだ。ありがとう!」

 

 破顔するベルとは対照的に、シルは気まずそうだった。俯き、懺悔するように言葉を紡ぐ。

 

「そんな……私の所為でベルさんは大怪我をしてしまいましたから……。だから、私は……」

 

「──それでも貴女は来てくれた」 

 

「……!」

 

 シルが顔を上げると、そこには変わらず、いつもと同じように笑っているベルが居た。

 

「もし貴女に罪の意識があるというのなら、どうか、私の我儘を聞いて欲しい」

 

「私に出来ることなら、何でも言って下さい」

 

「笑って欲しい」

 

「……え?」

 

「貴女にはいつも笑っていて欲しい。だって、そんな悲しみを携えた表情は決して貴女には似合わないと思うから」

 

 その言葉を聞くと、シルは唇を尖らせた。

 

「本当に、貴方はズルい人。そう言われたら、笑わない訳にはいかないじゃないですか」

 

 少女の心からの笑み。

「素敵な笑顔だ」とベルは笑う。

 シルはその表情のまま、懐からある物を取り出した。

 

「あ、あの! これ、受け取ってくれますか?」

 

 差し出されたのは小包だった。

 戸惑うベルにシルは早口で言う。

 

「本当は怪物祭(モンスターフィリア)の時に渡そうと思っていたんですけど、でも、あんな事があって渡せなくて! ベルさんが贈物(プレゼント)してくれた時は持っていなかったから!」

 

 シルが見舞いに来てくれた時に、ベルは既に怪物祭(モンスターフィリア)で購入していた贈物(プレゼント)を渡していた。ちなみに選んでいたのは手巾(ハンカチ)である。

 暫く呆けていたベルだったが、「中、見ても良いだろうか」と確認する。「は、はい!」とシルの了承を得てから小包を開ける。

 

「これは……ミサンガか?」

 

 それは、黒色のミサンガだった。

 手首に巻き付けるタイプのそれを、ベルは手に取って眺める。

 

「ベルさんの願い事が叶うと良いなと思って選んだんですけど……」

 

 ベルはにかっと笑う。

 

「ありがとう、とても嬉しい! このミサンガが切れた時、それ即ち私が『英雄』になった時だろう! 大切にする!」

 

「喜んで頂けて私も嬉しいです」

 

「そうだ、これは是非シルに結んで欲しい。お願い出来るだろうか」

 

「は、はいっ!」

 

 月が照らす中、少女が少年の右手をとって、優しくミサンガを結ぶ。決して紐が解けないよう、想いを込めて強く結んだ。

 

「ありがとう。貴女に感謝を」

 

 ベルが無邪気に笑うのを見て、シルは堪らずに俯いた。今の自分の表情を、たとえ夜で見づらくても隠したかったから。

 彼女は椅子から立ち上がると、

 

「私、戻りますね!」

 

 返事を待たず、屋内に戻っていった。

 ベルは彼女を見送ると、「そろそろ出てきたらどうだ」と声を投げる。

 暗闇に紛れていた神物が「バレていたかぁー」と全く悪びれずに舌を出す。

 

「いやぁー、きみもほんとに罪な男だねぇー」

 

 神特有の野次馬根性丸出しの台詞に、ベルは思わず顔を顰めてしまう。

 

「ヘスティアは確か三大処女神じゃなかったか? そのような発言をしても良いのか?」

 

「如何にも。とはいえ、ボクは他の二柱に比べれば全然寛容さ。一番厳しいのは貞潔の女神(アルテミス)だね。彼女は恐ろしいから、もし会うことがあればくれぐれも注意するように」

 

 弓で射貫かれる可能性大だ、とヘスティアは至って神妙な面持ちで警告した。

本気(マジ)か……」と冷や汗を流す眷族に、彼女は別の話題を振る。

 

「ボクのサプライズ、どうだった?」

 

「とても素晴らしい、これに尽きる。まさかこのようなものが退院後にあるとは思いもしなかった」

 

「ふふん、ならベル君、きみはさらに驚くことになるだろう!」

 

「どういう事だ……?」

 

 ヘスティアはドヤ顔でその疑問に答えた。

 

「ボクのサプライズはまだ終わってないぜ!」

 

 そう言って、彼女はある物を取り出した。

 そしてそれをベルに「ほら!」と手渡す。

 

「これは……手記か……? それにこれは、羽根ペン?」

 

 ヘスティアは大きな胸を揺らし、やはりドヤ顔で言う。

 

「その通り! 手記は至って普通の物だけれど、羽根ペンはそうじゃないんだ! なんとこれはインクやペンナイフを必要としない魔石製品なのさ! ちなみにかなり高かったぜ!」

 

 さらに彼女は言葉を続ける。

 

「ほら、この前言っていただろう? 残りの(ページ)数が少なくなってきているって」

 

 それは、二人で星空を眺めていた時にした話だった。

 あの時のことを、ヘスティアは覚えていたのだ。呆然とする眷族を見詰めながら、彼女は言葉を紡ぐ。

 

「きみの『冒険』は始まったばかりだ。『英雄』になりたいというきみの想い(いし)が続く限り、きみが、きみだけが紡ぐ『冒険』もまた、終わらない。だって、そうだろう? きみの物語(みち)は滑稽で、愉快で、そして腹を抱えて笑うようなものなのだから」

 

「ヘスティア……」

 

「最初の一頁目はボクに書かせて欲しい。駄目かな?」

 

 ベルは首を縦に振ることしか出来なかった。

 ヘスティアは声を張り、実に楽しそうに真っ白なノートに羽根ペンを走らせた。

 

「綴ろう、ボク達の英雄日誌! ──『ベル・クラネルは友人や神と共に楽しいひと時を過ごしたのであった!』──さあ、戻ろうぜベル君! 皆がきみを待っている!」

 

 手を取り、強引に立ち上がらせる。

 ベルは「ちょっ、ヘスティア!? 待ってくれ!?」と口では不満を言いながらも、顔が綻んでしまうのを抑えられなかった。

 




Sakiruと申します。
今回のお話をもちまして、『第二幕 ─怪物祭─』は終わりとなります。
読者の皆様のおかげで、第二幕を無事に終わらせることができました! 本当にありがとうございます!

第二幕のお話を執筆していて思ったのは、兎に角、戦闘描写がとても難しいということです。自分のイメージを文字にするというのはとても大変ですね。これからも精進します。

第三幕はどうしようか迷っていますが、すぐに更新することが出来ると思います。気長に待っていて下さい。

それでは、また会えたら嬉しいです。
最後に、アンケートに答えて下さると嬉しいです。






以下、私なりの第二幕の解説もとい言い訳です。興味がない人はスルーして下さいな。

①シルバーバックとの死闘について
この作品のベル君は通常の方法では、絶対に野猿シルバーバックには勝てません。それは作中でも述べていますが、一番に挙げられるのは【ステイタス】不足。読者の皆さんは気付いていたと思いますが、この作品のベル君がシルバーバックと戦った時は原作よりも【ステイタス】が低かったです。唯一、『敏捷』だけは勝っていましたが、それ以外、特に『耐久』は酷かった。そんなベル君は本格的な戦闘に入る前に左腕を潰されるという大怪我を負っています。気合と根性──『執念』で何度も立ち向かっていましたが、身体がそれについていけないのです。
原作とは違い、ヘスティアは居ない。【ステイタス】の更新は出来ず、更には、【ヘスティア・ナイフ】もありません。背中には守るべき少女が居ます。つまり、詰んでいます。勝てる要素はゼロに等しいです。
じゃあ、どうするのか?
その答えが、あれです。第三者の力を借りるしかありません。その力が『魔剣』でした。

②【魔剣鍛冶師】ヴェルフ・クロッゾについて
チートですね、以上!

③【フレイヤ・ファミリア】について
直接的な描写こそありませんが、実はベルとシルのデートを見守り……もとい、監視しています。アレンはその筆頭ですね。ちなみに、なぜ彼かというと都市最速だからです。
そして主神の神命によって、ベルとシルバーバックの死闘は構成員によって録画されています。フレイヤ様はめでたくオタクとなりました。

④【ロキ・ファミリア】について
原作と同じ展開を概ね辿っています。ただし、ベル君が迷宮街を原作よりも走り回った結果、アイズが戦闘区域に辿り着くよりも前に戦闘は終わりました。よって、ベル君がシルバーバックと戦っていたことは知りませんでした。騒動が落ち着き、管理機関が正式に発表した時に初めて知りました。

これからも宜しくお願い致します。
最後に、アンケートに答えて下さると嬉しいです。

第二幕は?

  • 『喜劇』だった!
  • 『悲劇』だった!
  • どちらでもない!
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