とある小さな少女の独白
緩慢とした動作で歩く。
吐く息は荒く、視界はぼやけ、手足にはもう感覚がない。背負っている大きなバックパックが小さな身体に重くのしかかり、心臓を圧迫する。
それなのに、歩いていられるのは──。
「おい、ぼさっとすんな!
──歩いていられるのは、そうしないと死ぬからだ。
「ちっ、この寄生虫が!」
全く変わらない、ともすれば歩くのが遅くなった自分を見て、男は益々苛立ったようだった。「早くしやがれ!」という罵倒と共に、小石が投げられる。『
「……ッ!」
『凶器』が頭部に直撃した。視界が揺れ、開いた傷口から血が垂れてくる。しかし、それを拭う体力も、精神的な余裕も、時間もない。
軽い
「おいおい、あまり
「悪い悪い、あまりにもドン臭くてついな」
「まあ、気持ちは分かるがな。此処は
「わーってるよ」
会話が聞こえる。
彼等から聞こえてくる言葉は、自分にはどうしても吐き気を催す。『
「さっさと来い! モンスターが湧くだろうが!」
また、罵倒が飛んでくる。
言葉の暴力には、既に慣れてしまった。寧ろ直接身体を殴られ、蹴られ、
偽りの笑みを浮かべ、自分が事なきを得ようとした、その時だった。
『『ギジャアアアアアッ!』』
ダンジョンの壁から、数匹のモンスターが産まれ落ちる。奴等は自分達を視認すると、奇声を上げながら襲いかかってきた。
「ちいっ! 言ってるそばから出てきやがった! 後で覚えてろよ!」
前言撤回。
これは戦闘が終われば、『刑』が執行されそうだ。
戦闘区域外から彼等の『冒険』を眺めながら、自問する。
──私は
答えたのは、もう一人の『私』だった。『私』は底冷えのする声で自答する。
──私は
何十、何百、あるいは、何千回も繰り返してきたやり取り。時々、自分は正気なのかと疑う程だ。
戦闘はものの数分で終わった。
「ふぅ……危なかったな」
「だから言っただろう、ダンジョンでは何が起こるか分からないって」
「悪かったよ。反省してるって」
仲間と勝利を分かち合う声が聞こえる。
だが、それが、そのあたたかさが自分に向けられることは決してない。
彼等の邪魔をしないよう、視界に映らないよう、自分は出来る限り首を縮めて『仕事』を行う。
自分の『仕事』は簡単だ。
彼等が倒したモンスター、その
「そう言えば、あれからもう数週間か」
「……? ああ、『モンスター脱走事件』か。街の奴等のごく一部はまだ
「馬鹿なこった。そんな暇があるならもっと他のことをやれっての」
「ははっ、違いない」
自分が『仕事』をしている間、彼等は『休息時間』となる。魔物との戦いは神経をすり減らす為、雑談をすることそのものは悪くない。仲間とのコミュニケーションにもなるから、必要な行為だろう。
しかし、完全に休憩しているかというと、そうではない。
「……」
背中に視線を感じる。
ああ、とてもとても嫌な視線だ。
彼等は隠せていると思っているのだろうが、この、侮蔑の視線を本気で隠せていると思うのなら、自分は失笑する自信がある。
「しかし、おっかねぇな。モンスターが街を我が物顔で闊歩するっていうのはよ」
「ああ、そうだな。『暗黒期』の時も
どうやら、彼等が話しているのは数週間前に起こった『モンスター脱走事件』についてのようだ。
「そういえば、知ってるか?」
「何をだ?」
「【ヘスティア・ファミリア】さ」
「なんだ、それ」
悟られないように、耳を澄ます。
──【ヘスティア・ファミリア】。
初めて聞く派閥の名前だ。情報は武器である。
「俺も、他の
「そうなのか? 【ヘスティア・ファミリア】……俺は初めて聞いたが……」
「そりゃ、新興したての零細派閥だからな。構成員もたった一人らしいぜ」
はあ? と男が疑問を口にする。
「そんな派閥がどうして注目されているんだよ」
「何でも、『モンスター脱走事件』の時に大立ち回りをしたらしい。主神の女神は餓鬼共の保護に一役買ったそうだ。そんで、これが重要なんだが……その唯一の眷族が駆け出しなのに倒したそうなんだ」
「倒したって……何をだ?」
「シルバーバック」
「……は?」
聞いた男が呆然と呟く。
自分も同じ思いだった。
駆け出し冒険者がシルバーバックを撃破? 何だそれは、聞いたことがない。
「言っておくが、嘘じゃねえぞ。話を聞いた後に俺も確かめたんだが、事実、
「ま、まじかよ……」
「ああ、俺もそれを見るまでは疑っていたんだが……。ギルドが嘘の報告をするメリットもないから、本当なんだと思う」
「そいつの名前は分かるのか?」
「いいや、それが分からないんだ。主神がギルドに眷族の名前を公表しないよう直談判したっていう噂があるが……」
何だそれは、と男は言った。
自分も同じ思いだった。
普通なら隠さないだろう。Lv.1の駆け出し冒険者が格上のシルバーバックを倒したとなれば、一気に『期待の
なのに、何故?
考えられるのは……──。
「イカサマでもしてんのか?」
「さぁなぁ。『
「わざわざそんなことしなくても、ギルドに尋ねれば良いじゃないか」
ギルドは都市の支配者だ。
だがしかし、そうも行かないようだった。
「これも主神がギルドに頼んだのか、構成員のことは公開されていないんだ」
「……おいおい、そんなのありかよ」
「ギルドとしても、被害者に命令されちゃ特例措置をとるしかなかったようだな。だがまあ、特徴は割れてる。戦闘を目撃していたダイダロス通りの連中曰く、『白髪で深紅の少年』らしいぜ」
「そんな在り来りな特徴じゃなあ。白髪は珍しいが、居ない訳じゃねえし。ましてやオラリオの人口を考えれば、わざわざ探すのは酔狂な
会話はそこで終わった。
それもその筈、『仕事』を終えた自分が彼等に近付いたからだ。
「『魔石』及び『ドロップアイテム』回収終わり──」
「遅せぇよ!」
「──ガッ!?」
腹を蹴られた、というのを認識した時には、自分は喉から唾を吐き出していた。
ゲホッ、ゲホッと
先程までの和やかな空気は一変、最悪なものに変わる。
「お前は役立たずの
「……はい」
「ならせめて、自分の『仕事』くらいまともにやりやがれ!」
「……申し訳ございません」
もう嫌だ、とは思わない。痛みで泣き喚くことも、もうすっかりとしなくなった。
これは自分が成長した訳ではない。ただ、慣れてしまった、それだけのことだ。
「お前ら
「……はい。私は冒険者様のご厚意によって、冒険を一緒にすることを赦されています。感謝の念は尽きません」
無機質な声だ。自分でもそう思う。
当然、言葉を聞いた男は激怒する。それを自分は聞いている振りをする。そして聞き流す。
やがて、パーティメンバーが彼を諌める。何が起こるか分からないダンジョンで、一定時間同じ場所に留まることは愚の骨頂。さらに騒ぎ立てれば、音を聞いた付近のモンスターがやってくるだろう。
「……ちっ、やってられるか! 与えられた『仕事』もまともに出来ねぇなら、報酬の分け前はなしだ!」
パーティメンバーの誰も、男に反対しなかった。
多数決という暴力で以て、彼等は自分に何の恨みがあるのか、自分の意見に耳を貸すことなく決定した。
それが悲しい、とは思わない。理不尽だ、とも思わない。
ただ、『またか……』と思うだけだ。
自分に限らず、これはよくあることなのだから。
「文句はあるかぁ?」
「……いえ、ありません。皆様の足を引っ張らないよう励みますので、ダンジョンを出るまではご一緒させて頂いても宜しいでしょうか」
「ああ、良いぜ良いぜ!」
ハハハハハ! と高笑いが響く。
馬鹿な男だと、つくづく思う。馬鹿なパーティだと、憐れみすら抱いてしまう。
だが、最もその対象になるのは──自分だ。
何故なら自分は、
──サポーター。
それは、ダンジョン探索時に於ける非戦闘員のことを指す。『冒険者』のダンジョン探索の負担を少しでも減らすことが、『サポーター』の役割だ。
上記で述べたことが、
自分はそれを聞いた時、思わず失笑してしまった。鼻で笑い、ギルドを見下してしまった。いいや、それは違うか。あの時自分は、『失望』したのだ。
サポーターは弱者である。才能がなく、戦う術を持たない。【ファミリア】の仲間からも憐憫の眼差しで見られ、嘲弄さえされる。
せめてギルドが何らかの『対応策』を取ってくれれば、
ギルドだって認知はしているだろう。だが、『冒険者』ではなく『サポーター』の肩を持てば『冒険者』の不満が溜まる。そして
至極当然のことだ。だが、頭ではわかっていても、『失望』するのは避けられなかった。
「……」
無言で、パーティを追い掛ける。仲間を、ではない。パーティだ。
自分は彼等のことを仲間と思っていないし、彼等もまた、自分のことを仲間と思っていない。
例えば、自分がモンスターからの奇襲にあって襲われても、彼等は自分を決して助けようとしないだろう。その確信がある。
「ああ、そうだ、お前には一つ重大な『仕事』があった。お前にしか出来ない『仕事』さ。どうだ、嬉しいだろう?」
男が振り返り、自分を見下ろす。
返答をある程度予想しながらも「……何でしょうか?」と尋ねると、彼はニヤニヤと嗤いながら言った。
「『囮』さ!」
「……」
「モンスターに囲まれてヤバくなった時は、お前が『囮』になってくれ。なあ、良いだろう? 俺達はいつもお荷物のお前を守ってやっているんだ、当然、俺達がピンチになったら助けるよなぁ?」
自分は──私は、笑顔で言った。
「はい、喜んで!」
自然と紡いだ
それも当然だ。彼等は自分のことを見ているようで、視ていないのだから。
「
曰く──良きサポーターに恵まれなければ冒険者は真価を発揮出来ない。
曰く──サポーターの働きがあってこそ冒険者はダンジョンに潜れる。
曰く──サポーターは縁の下の力持ちである。
そんな、綺麗に取り繕った残酷な言葉を思い返し、私は
嗚呼、そうだ。
何も間違っていない。私こそ、このような『奴隷』のような扱いを受けているが、都市でも有数の【ファミリア】は正しくサポーターを運用している。それはつまり、彼等はサポーターの存在意義を理解しているということだ。
だが、と同時にも思う。
いったい、どれだけの冒険者が理解出来るだろうか。
そんな者が本当に居るのなら──それはきっと、御伽噺に出てくるような『英雄』なのだろう。
だからこそ、私は確信している。
私にはきっと、『英雄』は現れない。
何故なら私は、『冒険者』以上に『英雄』のことが嫌いだからだ。