ダンジョン5階層。
そういう観点で見れば、この5階層から本当の意味での『冒険』が始まると言えるだろう。
そして5階層の下、6階層で、冒険者ベル・クラネルは単独迷宮探索を行っていた。
「──ふっ!」
単眼の
腰の
「うおおっ!」
短い裂帛の声と共に、反撃に転じる。
自身の攻撃が躱されたことに固まっているモンスターに、
『……ッ!?』
《ニュートラル》が鮮やかな桃色の舌を綺麗に切断する。
とてつもない痛みが支配し、堪らず、フロッグ・シューターは叫喚した。じたばたするばかりの蛙は、目の前に敵が居ることを忘れてしまう。
「うお、うおおおおおおおっ!」
自慢の『敏捷』を活かし、ベルは彼我の距離を詰める。刹那のうちに
斬撃がフロッグ・シューターの分厚い肉を断ち切る。
『……グビャアアアアアアアアア!?』
一息ついてから、ベルが『魔石』を回収しようとした──直後、ビキッ、と音が鳴った。
弾かれたように彼は顔を上げると、音の発生源を探る。
ビキッ、ビキリ──と、音が大きくなっていく。
「
発生源は、ベルの後方左だった。
ばっと彼は身体を反転させ、三歩ほど後退する。退路があることを確認すると、《ニュートラル》を鞘から抜き、その剣先を薄緑色の壁面に向けた。
(さあ、何が出る……?)
最悪、逃走することも視野に入れながら、ベルが待つこと、数秒。
やがて、壁を突き破って、一体の怪物が産まれ落ちる。その光景を見て、ベルは呟いた。
「ああ、全く……何度見ても見慣れないな……」
人が人から産まれるように、彼等はそれが自然の摂理であるかのように、
ダンジョンの謎の一つとして様々な研究者がその理由を研究しているが、未だに解明されていない。
この光景を間近で見た新米冒険者が腰を抜かし、そのまま、冒険者を引退する
しかしそれは仕方のないことだろう。いくらギルドの担当アドバイザーから、あるいは、【ファミリア】の先達から事前に教えられていようとも、百聞は一見にしかず、耳で聞いただけの情報と、自分の目で見た情報に差異があるのは当然で、衝撃的だ。
『──!』
産声を上げた怪物を見て、ベルは冷や汗を流した。
「『ウォーシャドウ』……!」
果たしてそれは、一言で述べるとするならば、『影』だった。
身の丈は160
『異形の怪物』──それが、ウォーシャドウだ。
このモンスターによって殺される冒険者は数知れず、故に、『新米殺し』という二つ名が冒険者の間では広まっている。
ウォーシャドウはゆらりと身体を起こすと、ベルに気が付いた。
『……』
発声器官が備わっていない『影』が、不可思議な光沢を発する。
そしてウォーシャドウが臨戦態勢をとる──それよりも早く。
ベルは既に固い地面を蹴っていた。
「あああああああああっ!」
右腕を限界まで引き伸ばし、
駆け出し冒険者では有り得ない『
先手必勝の突進攻撃。
《ニュートラル》の剣の切っ先は、ウォーシャドウのその顔の鏡面に直撃した。
『……!? ……ッ!?』
驚愕だけを遺して、『影』はあっさりと消滅する。
フロッグ・シューターよりも大きい『魔石』と、ドロップアイテムとして『ウォーシャドウの指刃』が地面に落ちた。
ベルは勝利の余韻に浸ることなくそれらを回収すると、元の場所に戻ると、落ちたままのフロッグ・シューターの『魔石』も回収した。
「せいッ! おりゃッ!」
やや狭い
ダンジョンの性質の一つとして、修復機能がある。戦闘の余波で天井が崩落し、壁が壊れ、地面に穴が空いても、一定の時間が経つと何事もなかったかのように完全に修復されてしまうのだ。この間はモンスターの産生よりもこちらが優先される為、冒険者が
ボディバッグから水筒を取り出し、ごくごくと喉を
「ふぅー……」
ベルが腕時計を確認すると、現在時刻は十三時を少し過ぎた頃だった。
「昼食にするか」
地上で予め購入しておいた携帯食を取り出す。
うへぇと、げんなりしつつ、懐から手記と羽根ペンを取り出した。
ダンジョンの中なので声を抑えつつ──普段のように大声を出し、近くを徘徊しているかもしれないモンスターがやって来たら休憩の意味がない為──、ベルは今日も日常を記載する。
「綴ろう、我が英雄日誌。──『冒険者ベル・クラネルは今日も独りでダンジョンに潜っていた。当然、彼の勇姿を見る者は居ない。当然、仲間も居ない。彼はそのことを嘆きつつ、一人寂しく昼食を取るのだった……』──嗚呼、温かいご飯が食べたい……」
もぐもぐと機械的に携帯食を味わっていると、近付いてくる複数の気配をベルは察知した。
モンスターかと剣を取り、身構える。
しかしながら、ベルの心配は杞憂に終わった。気配の正体はモンスターではなく、人間──
「こんにちは!」
ベルが朗らかに笑いかけると、一番前に居た
「なんだよ、使われてんのか」
先客が居ることに対して、男は言った。背後に控えているパーティメンバーに、
「別の場所を探すぞ」
と、指示を出す。
「えー、まじすかー!?」と、パーティメンバーは不満の声を上げたが、男がひと睨みすると閉口した。
もう一つある出入口に向かう。
「待ってくれ!」
ぞろぞろと
まさか呼び止められると思っていなかった彼等は、何事かと足を止め、ベルに顔を向ける。パーティリーダーの男が代表して尋ねた。
「何だ?」
「遠慮することはない。此処を使うと良い」
「あァ?」
リーダーだけでなく、他のメンバーも戸惑いの表情を浮かべた。そんな彼等に、ベルはさらに言葉を掛ける。
「此処で会ったのも何かの縁だ。貴方達も昼食を取りたいのだろう? どうだろう、一緒に食べないか?」
ベルは殊明るい笑顔で、そう、提案した。
その誘いにパーティは面食らう。彼等は顔を見合わせると、相談を始めた。
「おい、どうする……?」
「そりゃあ、場所を提供してくれるんなら、それに越したことはないが……」
「向こうが良いって言っているんだ、休もうぜ!」
「なっ、おい! 勝手に決めるな!」
結局、彼等はリーダーの男に視線を送った。
視線を一身に集めても、男は何も動じなかった。冒険者としての
パーティに於いて『リーダー』という役柄はとても大きな意味を持つ。ヒエラルキーの中で頂点に位置するリーダーの決定に従うのが、パーティというものだ。
「お前、仲間は何処にいる?」
まず最初に、男はベルに仲間の有無を確認した。
「居ない。私は単独迷宮探索者だ」
ざわっと、パーティに動揺と、緊張が走る。
基本的にダンジョンは複数人で探索を行う。それはギルドが推奨しているから、というのもあるが、単純な話、頭数が多ければ多いほど、生存率も上がるからだ。もちろん、多過ぎてはパーティ間での連携は行えない為、一般的に、パーティの上限は五人から六人と言われている。
「6階層で独りだと……? 信じられないな」
「そう言われても、事実なのだからしょうがない。私も仲間は欲しいと常々思っているのだが、残念なことに居ないのが現状だ」
肩を竦めるベルを見て、男は目を細める。
「それで? さっきの話だが、いったいどういう了見だ?」
その質問にベルは、はてと首を傾げた。
「どういう了見、とは?」
「時間が惜しい。率直に聞こうか。何が狙いだ?」
ああ、とベルは思った。
同時に、なるほど、とも思った。
「何も狙ってなどいないさ。主神こそ違うが、私達は同じ冒険者だ。言い換えれば、同士でもある。そして、貴方達は場所に困っている。ならば、助け合うのは当然だろう」
さらに、ベルはパーティに言った。
「あとぶっちゃけ、独りでの昼食は寂しい。どうだろう、
それはベルの本音だった。
誰かとの繋がりを好む彼にとって、広大な地下世界での冒険は楽しい時間でもあったが、同時に、寂しい時間でもあったのだ。
だがしかし、初対面のパーティにベルの事情など分かる筈がない。
「……お前、見ない顔だな」
リーダーの男はそう言った。
彼の冒険者歴は五年。『
だからこそ、彼はLv.1の冒険者に対しての知識がある。しかし、これは何ら可笑しな話ではない。同じ『上層』を狩場とする同業者だ。名前こそ知らないが、顔は知っている──そんな関係を自然と、冒険者達は築いていく。
男の記憶に、ベルの顔は記銘されていなかった。
警戒を顔に滲ませる彼に、ベルは飄々と言う。
「見ない顔、というのが貴方の中でどれだけの期間なのかは分からないが。私はついひと月前に冒険者登録をしたばかりだ」
はあ!? パーティの間に二度目の動揺が走る。
彼等にとって、それは衝撃的だった。
そして、男はそれを聞いて即決した。
「せっかくの申し出だが、断らせて貰う。俺達は別の
「そうか……それは残念だ。貴方達となら素晴らしい時間を共有出来ると思ったのだが……」
「俺はそうは思わないがな」
行くぞ、とリーダーは指示を出す。メンバーの誰もな反対意見を出すことはしなかった。
隊列を組み、パーティは行進する。
「ああ、そうだ。先輩として、アドバイスをしてやる」
「ダンジョン内での
その言葉を言い残し、男は仲間を引き連れて
「……」
ベルは彼等を見送ると、食べかけの携帯食を一口食べた。機械的に口を動かす作業を再開する。
そして食べ終わると、薄緑色の壁に身体を預けながら、ぽつりと呟いた。
「過干渉はご法度、か……」
先程言われたことを言葉に出す。
【ファミリア】は神の『代理戦争』という側面を持っており、基本的にパーティは同じ派閥の団員で構成されている。
例外的に、階層主と呼ばれるモンスターとの『大規模戦闘』や、『遠征』の時は派閥を越えて助け合う。とはいえ、連携などはそこにはなく、ただの『数だけの集団』となるのが殆どだ。
そして、男が告げたことは正論でもある。
ダンジョン内で起こった事象は、原則、全て自己責任だ。生命の危機に瀕している時はその限りではないが、たとえ道端ですれ違っても先程のベルのように挨拶は交わさない。
「これも時代の変化か……いや、そうでもないな。あの時は種族の垣根があったのだから……」
何かを懐かしむようにベルは呟いた。
そして、彼の視線の先で振動が起こる。ダンジョンの修復が始まったのだ。
あと数分もすれば、
ボディバッグを身体にかけて、《ニュートラル》を調革に括り付けた時には、修復は終わっていた。
「──来る」
ビキ、ビキリッと音が鳴る。
何度聞いた分からない、モンスターが産出される音。
(手前の壁から一つ……天井から二つ、それにまだあるか。合計、四つ!)
『恩恵』で強化された聴覚が、正確に音の数を察知する。
ベルは
間もなく、四匹のモンスターが天井から壁から、そして地面から誕生する。
「ウォーシャドウ……! しかも全部!?」
思わず、ベルは喉から驚愕の声を出してしまう。
休憩していた冒険者を嘲笑う為に、ダンジョンは牙を剥く。
【ステイタス】の熟練度では、ベルは充分にウォーシャドウの撃破が可能だ。しかしそれは一対一の話であって、相手が複数となると話は変わってくる。
ベルを囲むように、覆うようにして、
「うあああああああああああッ!」
即断即決。ベルは先程のウォーシャドウの戦闘と同様、敵が戦闘態勢を取る前に攻撃を仕掛けた。
前傾姿勢になり、地面を強く蹴る。瞬きする間に敵の懐に潜り込むと、下段から上段へと《ニュートラル》を振り上げた。
『……!?』
『影』に線が走り、すぐに黒灰と化す。紫紺の結晶がころんと落ちた。
この間、五秒。
そしてこの間に、他のウォーシャドウ達は動いていた。獲物を仕留めるのは自分だと言わんばかりに、ベルに襲い掛かる。
三方向からの同時攻撃。
ベルは迷うことなく、空いている唯一の脱出路に飛び込んだ。刹那、ヒュン、と空気を裂く音が彼の耳朶を打った。
その音の正体は、ウォーシャドウの鋭利な『指』。
異様に長い両腕の先には三本の『指』が備わっており、鋭い切っ先を持った三指は『ナイフ』だ。そしてこの『ナイフ』こそが彼等の『武器』である。
これが『新米殺し』と呼ばれる最大の所以だ。彼等は正しく『影』のように冒険者に接近し、その鋭利な『ナイフ』で
『『『──、──!』』』
鏡面の顔が、妖しく発光する。
ウォーシャドウ達がベルに飛び掛かる。
前から、横から、後ろからの連続攻撃をベルは躱し続ける。『敏捷』の【ステイタス】がウォーシャドウ達よりも高いからこそ出来る芸当であり、普通の駆け出し冒険者がこの状況に直面したら、既に腕の一本や二本切られているだろう。
(死角をつくるな! 常に動き回れ!)
ある程度の空間がある
徒党を組み、ベルの行き先を予想して立ち塞がればそれは連携となり、『
だが、『本能』に従う魔物はその思考に至れない。あるのは、目の前の敵を自分が喰い殺すという『殺意』だけだ。
「うおっ、うおおおおあおおおお!」
最大速度、からの
《ニュートラル》の切っ先を地面に食い込ませ、それを支点として、ベルは進行方向を反転させる。
『『『──!? ────!?』』』
『影』が、揺らめいた。
それは動揺であり、驚愕であり、困惑であった。
今まで追っていた敵が、今度は自分達に突進してくるのだ。
突然のことにウォーシャドウ達は、一瞬、硬直してしまう。
そして、その硬直は──明確な『隙』を生んだ。
『─ッ!?』
さらに、もう一度。
『──ッ!?』
二匹のウォーシャドウが瞬く間に絶命した。
しかしこの間に、最後のウォーシャドウは『ナイフ』を構えていた。
長い両腕、六本の指爪がベルに振るわれる。
だが、それよりもベルの方が速かった。
担当アドバイザーから教えて貰った敵の弱点──『魔石』の場所目掛けて、《ニュートラル》で突き攻撃を放つ。
鋭利な『ナイフ』がベルの眼前に突き付けられているが、身体を害すことはなかった。
「私の、勝ちだ……!」
『──!』
爆散。
『影』は消滅し、黒灰となった。
それは超至近距離に居たベルに降りかかり、処女雪のような白髪を穢す。
ベルはそれを手でパッパッと振り落とすと、手拭いで汗を拭き取った。
「よし、次に行こう」
(エイナ嬢の言う通りだったな……今の私では、此処より下はまだ早過ぎる)
複雑怪奇な構造。
強力なモンスター。
そして何よりもベルを苦しめるのは、
モンスターとの
単独迷宮探索者のベル・クラネルにとって、自身の体力管理はとても重要な意味を持つ。
反面、【
どちらにもメリットとデメリットがある。
担当アドバイザーの助言に従って良かったと心から思いながら、地図を片手に歩き続けていると、
『グギャアアアアアア!』
前方からフロッグ・シューターが現れた。