時刻は十八時を回りつつあった。
この時間帯になると、殆どの冒険者達がダンジョン探索を終え、地上に帰還する為に行動を始める。
そして、駆け出し冒険者のベル・クラネルもまた、その一人だった。
『始まりの道』と言われている一本の道を通り、バベルの地下一階にある
「あと少しだぞ!」
「ほら、頑張れ頑張れ!」
「肩貸してやるよ!」
彼の周りでは、冒険者達の励まし合う声で溢れていた。
その声を聞きながら上ること数分、ようやく、冒険者達は地上への帰還を果たす。
肩の力を抜き、安堵の息を吐くのは自然の流れだろう。何せ彼等はつい今しがたまで
「うぅーん、空気が美味しいネ!」
他のメインストリートとは比較にならない程の『熱気』が、北西の目抜き通りでは充満していた。
「らっしゃいらっしゃい!」
「今なら
「
『冒険者通り』は今日も大盛況のようだった。
大通りで店を構えている店員達が声を張り上げて客の争奪戦に興じている。彼等にとって、今の時間は
「可愛い女の子が私にも声を掛けてくれないかなぁ! チラッ、チラッ!」
売り子達でも選ぶ権利はあるのだと言わんばかりに、彼女達はベルから距離をとった。
ベルがまだ少年だから許されているが、これが大の大人だったら『都市の憲兵』が呼ばれていただろう。とはいえ、
どちらにせよ、幸運にも、ベルは【ガネーシャ・ファミリア】の厄介になることはなかった。もしそうなっていたら
『冒険者通り』を進んでいくと、やがて、荘厳な大神殿が現れた。この時間に訪ねる冒険者の多くは『魔石』を換金する為に来ている。
「今日はどれくらいの稼ぎになったかなぁ……『ドロップアイテム』も何個か入手しているし、うん、とても楽しみだ!」
金銭の獲得というのは冒険者稼業の醍醐味の一つだろう。自分の頑張りがそのまま反映されるのだから、殆どの者は純粋に楽しむ。
それはベルもそうだ。金銭欲はあまり強くないが、それでも嬉しいものは嬉しいと、期待に胸を膨らませる。
ヘヘへっとヴァリス金貨に囲まれている自分を妄想してだらしなく笑っていると──横の列に並んでいた冒険者がドン引きしていた──突如、ダンッ! と大きな音が響いた。
「
それまで談笑し、賑やかな雰囲気にあった建物内が瞬く間にシンと静寂に包まれた。何事かと顔を見合わせ、発生源は何処かときょろきょろと辺りを見渡す。
そして、ダンッ! ダンッ! と今度は先程よりも大きく、それでいて連続的な音が鳴った。
(これはいったい……?)
それはちょうど、ベルが並んでいた列の最前列から鳴っていたようだった。
「もう一度確認しろ! こんなの
「しかしながら──」
「うるせえ! まさかお前、俺が間違っているとでも言うつもりか!?」
騒ぎは時間の経過と共に大きくなっていく。
(列が……?)
奇妙なことに、ベルの前に並んでいた冒険者全員が、列を離れていった。隣の列に並び直していく。あれだけの長蛇の列が瞬く間に崩れていった。
どういう事かと不思議に思っていると、一人の人物がベルに近付いた。
「ベルー……ベールー……」
声を掛けられたベルが身体を振り向かせると、そこには一人の獣人の女性が居た。
「やっほー……」と抑揚のない声音で挨拶をする彼女に、ベルは笑顔で、
「ナァーザ!」
と、友人の
ナァーザ・エリスイス。ベルの友人の一人だ。
「ギルドで会うのは初めてだな」
「そうだね……。普段はお店の切り盛りをしないといけないから。まあ、切り盛りする程忙しくはないけど……」
そう言って、ナァーザは自虐の笑みを浮かべた。
これにはベルも自慢の笑みが引き攣ってしまう。
「それなら、どうして此処に?」と彼が質問しようとした、その時だった。
「てめえ、いい加減にしろよ!」
三度目の、怒号。
ベルがそちらに顔を向けると、換金所では男の冒険者とギルド職員が変わらず言い争いをしているようだった。
「ナァーザ、あれはいったい……?」
ナァーザは嘗て冒険者だった。とある『事件』を切っ掛けに引退してこそいるが、その『
何よりも、都会にまだ慣れていない田舎出身のベルとは違い、ナァーザは何年も
彼女は眠たそうな表情で一瞥すると、端的に答えた。
「
「く、
聞き返す駆け出し冒険者に、先輩冒険者は教えた。
「冒険者は日夜
「あ、ああ、確かにそうだが……」
「なら、そこには当然、『期待値』が生まれる。ベルはあまり金銭欲がないみたいだけど……普通の冒険者なら、少しでも多くのお金が欲しい」
「あの人のようにね」とナァーザは男に聞こえないよう、小声でベルに言った。言葉を続ける。
「……でも、自分の『期待値』と、実際の『換金額』が同じな事は殆どない。多かれ少なかれ、振り幅があるのは避けられない……」
「じゃあ、あの冒険者は……」
「うん、ベルの想像通りだよ。まず間違いなく、自分の『期待値』に届いていなかった。それが認められなくて、ああやって、ギルド職員に
そう言って、ナァーザは興味が失せたかのように男から視線を切った。
「だ、だが……相手は冒険者だろう。ギルド職員が脅されたりとかは……」
「ううん、それはない。彼等は皆、肝が太いから……」
彼女の言う通りだった。
窓ガラスを一枚隔てているとはいえ、ギルド職員は冒険者に物怖じすることなく、真正面から言い争っている。その気迫は冒険者に勝るとも劣らない。
「みんな見慣れているから、誰も反応しない……。面白がるのは、神様達くらい……」
事実、建物内のロビーの一角では、数名の男神が集まってニヤニヤと嗤っていた。
「俺、あの冒険者が勝つのに1000ヴァリス!」
「オレ、あの職員が勝つのに2000ヴァリス!」
「ふっ、私は敢えての引き分けに5000ヴァリス出そう!」
見世物として楽しんでいる神々を、誰もが呆れた目で見ているが注意したりしない。彼等にとっては、これも『娯楽』なのだ。
そして数分も経たずして、勝敗は決した。
「クソっ、今回はこれで勘弁してやるよ!」
「二度と来るんじゃねえ! このクソ冒険者が!」
負け犬の遠吠えをする冒険者の背中に、ギルド職員が唾を飛ばした。
「「チックショー!」」
「ははは、俺の勝ちィ!」
賭けに負けた男神は地団駄を踏み、勝った男神が高らかに勝利宣言をする。
ベルがその様子を、何とも言えない顔で眺めていると、ナァーザが「ベル」と彼の名前を呼んだ。
「うん? どうかしたか?」
「ベル、まだ換金してないんだよね? なら、今行けばすぐに出来るよ……」
「ハッ、そうだった!」
ベルが見ると、苦情を撃退した勇猛なギルド職員の列が空いていた。
さしもの、荒くれ者が多い冒険者であっても、機嫌が悪いと思われる元には行かない。それはベルも同じで、出来ることならば遠慮したいところだった。
それを表情から読み取ったナァーザは「安心して」と言い、そのまま言葉を続ける。
「あの職員は何年もギルドに勤めている。前の仕事を引き摺る程、あの人は愚かじゃない……」
「そういう事なら、ナァーザを信じて行ってみよう」
「私も用事があるから、それを済ませるね……」
ナァーザは受付窓口に、ベルは換金所にそれぞれ向かう。
彼女の言う通りだった。ギルド職員はベルに丁寧な対応をし、査定額を告げる。
「こちらの金額──5500ヴァリスで宜しいでしょうか?」
「ああ、それで構わない」
ヴァリスを受け取った彼はどこか拍子抜けしつつも、ほっと胸を撫で下ろした。次に胸に満ちるのは喜びだ。確実に収入が増えている。それはつまり、ベルの成長を表していると言えるだろう。
受付窓口に行くと、ナァーザはまだ用事を終えていないようだった。
(エイナ嬢もミィシャも、今日は非番か……)
数個ある窓口に、彼女達の姿は見受けられなかった。
友人と会えなかったことを残念に感じながらも、ベルは大人しくナァーザを待つことにした。
今日の夕食は何にしようかと思案していると、話を終えたナァーザが駆け寄る。
「ありがとう。待ってくれていたんだ……」
「フッ、このベル・クラネル、幼少期より偉大な祖父から英才教育を受けている!
ドヤ顔でそう宣うベルに、ナァーザは色々と勿体ないと思った。
そんな彼女の内心を露も知らない彼は、「ところで」と前置きしてから尋ねた。
「それで、ナァーザはどうしてギルドに?」
「うん……。
これがその書類、とナァーザは羊皮紙を見せる。受け取ったベルは読みながら、担当アドバイザーの講義を思い出していた。
(
それが冒険者依頼のサイクルであり、神々は『ギブアンドテイク』と呼称していた。
「モンスターからのドロップアイテムがどうしても欲しくてね……。お金が掛かるから、あまり
「そうなのか……すまない、ナァーザ。私が受けられれば良かったのだが……」
ナァーザ──【ミアハ・ファミリア】が今回の
ベルの謝罪に対して、彼女は「大丈夫」と言った。
「ベルは今が一番大事な時期。下地を作って、少しずつ強くなっていけば良い……」
「ありがとう」
「それはそうと、
隙あらば宣伝してくる彼女に、ベルは「もちろん!」と深く頷いた。
「【ミアハ・ファミリア】にはとても世話になっているからな。私が貴方達の商品を買うことで経営が少しでも良くなるのなら、いくらでも買おう」
「うん、ありがとう……」
ナァーザは礼を告げると、言葉を続けた。
「くれぐれも、あの鉄仮面女──【ディアンケヒト・ファミリア】では買わないでね……」
「あ、ああ……」
「あの女、ベルにあんなことをして……。私達のお得意様を奪おうとするなんて、
「お、おーい? な、ナァーザさーん?」
ベルの呼び掛けにもナァーザは反応せず、ぶつぶつと呪詛を吐き続けた。
たっぷりと数分掛けて溜まっていたものを吐き散らした後、彼女はそこでようやく我に返り、「ごめん……」とベルに謝罪した。
気にする事はないと彼は言い、
「あー、そろそろ出ようか」
ナァーザはその提案に飛び付いた。
「そうだね……ミアハ様も、ヘスティア様も心配しているだろうし……」
ギルド本部を出ると、二人は帰路につく。
月が照らす街を、ベルとナァーザは談笑しながら歩く。そして西のメインストリートの外れにある深い路地裏に入った。
日当たりが悪くじめじめとしている通路は人の気配を感じさせない。そこを進んでいくと、ぽつんと一軒家が建っており、此処が【ミアハ・ファミリア】の
五体満足の人体を模した
「ミアハ様に会う……? 喜ばれると思うけど……」
ベルは「うぅーん」と逡巡した後、首を軽く横に振った。
「……いや、せっかくの機会だが、今日はやめておこう。話し込んでしまったらこれ以上帰りが遅くなってしまう。代わりにと言ってはなんだが、神ミアハには宜しく伝えておいてくれないだろうか」
「うん、分かった……伝えるね。ありがとう、ベル、わざわざ送ってくれて……」
「礼を言われるようなことではないとも。
それじゃあ、とベルは手を振ってナァーザに別れを告げると来た道を戻っていった。
遠ざかっていく友人の背中が視界から消えるまで彼女は見送ると、
ナァーザと別れた後、ベルは寄り道をすることなく
道中綺麗で美しい売り子達がベルを誘い、足がそちらに向きそうになるが、彼は鋼の意志でそれを断固拒否──することはなく、ふらふらと向かいそうになっては、すんでのところで踏みとどまるということを何度も繰り返していた。
「くぅ、これが迷宮都市オラリオの闇か! これは綴らずにいられない!
自己陶酔にひたるベルを見て、今まさにキャッチをしようとしていた女子は回れ右をした。
彼はそのことに気付くことはなく、そのまま西のメインストリートを進み、いくつもの小径が入り組んだ路地裏に入る。
「ふんふんふふーん♪」
鼻歌を歌いながら走り、曲がり角を曲がろうとしたところで、
「……?」
ベルは、近付いてくる足音に気付いた。
慌てて急ブレーキするが、間に合わない。
「「……!?」」
衝突。
冷たく固い地面の上を何度も転がり、それでも二人は転がり続け、ついには壁に激突する。
背中を強打した痛みで悶え、視界が点滅しつつも、ベルは状況を冷静に確認した。
目の前は真っ暗だが、耳元で呼吸音が聴こえていた。
(私の上に誰かが乗っている……?)
その推測は正解だった。何者かがベルに覆い被さるようにして彼の視界を奪っている。取り敢えずどかそうと考え、ベルが右手を伸ばすと。
──
不思議な感触が手に広がった。正体を探ろうと、好奇心が疼き、今度は『それ』を摑んでみる。
「おおっ!」
思わずベルは感嘆の声を出してしまう。『それ』の正体は俄然分からなかったが、その感触は決して嫌なものではなく、むしろ好ましいものだった。柔らかく、弾力がある『それ』はずっと触っていたいと思うほどだった。
(まるで天国みたいだ……!)
ベルが、そう、思った時だった。
「きゃ、きゃああああああああああっ!?」
耳元で、大音量の悲鳴が上がる。鼓膜を破ろうとするかの如く、声が『爆弾』となって強襲する。
「……!?」
何事かと目を見張る間もなく、再度、ベルの身体は固い地面に打ち付けられた。同時に、重みもなくなる。
先程よりも強烈な痛みで涙目になりながら、ベルが上半身を起こすと、そこには一人の女性が居た。
その女性を見て、ベルは呆然と呟いてしまう。
「エルフ……?」
長い耳に、雪の肌、そして常任離れした美貌。
それは正しく、エルフだった。
しかしながらその美しい顔は真っ赤に染められており、
ベルと目が合うと、彼女は唇をわなわなと震わせる。
「こ、この……下賎な……──!」
罵倒を飛ばそうとしたのだろう、ということはこの状況に頭が追いついていないベルでも分かった。
逃げ出したくなる気持ちをぐっと抑え、ベルは改めて謎のエルフを見た。
エルフらしく、装いは肌の露出を出来る限り抑えたもので、剣帯には一本の長剣が括り付けられている。細く長い両腕は胸の前でかたく交差され……──。
「……」
ベルは首筋に一滴の冷や汗を流した。
再度、エルフの女性を見る。
エルフらしく、装いは肌の露出を出来る限り抑えたもので、剣帯には一本の長剣が括り付けられている。細く長い両腕は胸の前でかたく交差され……──。
「…………」
ベルは自分の顔が青ざめるのを感じた。
最終確認の為に、もう一度だけ、エルフの女性を見る。
「………………なるほど」
長い、長い沈黙の末、ベルはそう呟いた。
そう言うしかなかった。
他に方法はなかったのだ。
ベルは知った。そして分かってしまった。
何故、初対面のエルフの女性が敵意を向けてくるのかを。
自分が何をしでかしてしまったのかを。
「……」
ベルの右手が開閉する度に視線は鋭さを増していく。そして徐々に剣に手が伸びていく。
ダンジョンと同等、あるいは、それ以上に張り詰めた空気の中、ベルは思考を素早く巡らした。
(恐らく、いや、まず間違いなく私が先程摑んでしまったのは彼女の胸だろう。とても柔らかかったですありがとうございます──じゃなくて、このままだと殺されるのは明白! くっ、彼女がアマゾネスだったら良かったのに!)
アマゾネスが性に自由奔放な種族なら、エルフという種族はその対極にある。他者との肌の接触は自分が認めた者以外認めず、自分の種族に誇りを持っているこの種族は頭が固いことでも有名だ。
(数々の女性をナンパしてきたこの私が女性に対して恐怖を抱くとは!)
ぶつかったのは事故で、ベルが彼女の胸を揉んでしまったのは不可抗力で、情状酌量の余地は微かにあると、第三者がこの場にいたらそう考えるだろう。
しかしそれはエルフには決して通じない。余程の変わり者を除いて、彼の種族は下賎な者には容赦しないのだ。
(逃走か、謝罪か、あるいは沈黙か!? だが、逃走をすれば追い付かれて殺されそうだし、謝罪をすれば問答無用で殺されそうだし、時間に身を任せて黙っていればやっぱり殺されそうだし!?)
想起し、脳裏に浮かべるのは偉大な祖父。女子との関わり方を授けた師は、『うん、これは無理。ガンバレ★』と憎たらしい笑みで無責任にも弟子を死地へと送り届けた。
ならばと、ベルはこれまでに会ってきたエルフの女性──ハーフを問わず──を思い浮かべる。しかし全員、ベルの助けを無視して見捨てた。
(これは綴らずにはいられない! 心に刻むぞ、我が英雄日誌! ──『無垢なる少年ベル・クラネルはその日、ラッキースケベに遭遇した! 相手はなんと麗しい美人なエルフ! しかしその代償は高い! 彼は殺されないように策を巡らせるのであった!』──フッ、私はこの出来事を未来永劫忘れない! もし子供が出来たら武勇伝として聞かせよう!)
最低な事をベルは誓った。そして、すぅ、はぁと深呼吸する。
エルフの女性はその様子を訝しむ。そして彼女はあることに気が付き何やら呟いた。
「貴方……確か……?」
しかしベルは彼女の変化に気付かず。
クワッと開眼させた。
(覚悟を決めろ、ベル・クラネル!)
ベルの
「貴方……──」
彼女が言葉を紡ぐよりも早く。
ベルは動いた。
彼女の真正面に座ると、平伏して礼をする。それは極東の最終奥義『DOGEZA』だった。
「すみませんでしたあああああああ!」
シン、と。
静寂だけがそこにはあった。
果たして、沈黙を破ったのは、エルフだった。おもむろに口を開ける。
「あ、あの、一つ確認したいことが……──」
しかし、またもや彼女の言葉は遮られる事になる。ベルは地面を見詰め、心のままに叫んだ。
「本当に申し訳ない! 貴方の胸を揉んでしまった!」
「──んなッ!?」
「とても柔らかかったです大きかったですありがとうございます! 貴方の胸はとても素晴らしく、天国にいるような、そんな錯覚さえ抱きました!」
「──やわらっ、おおきっ……て、天国っ!?」
「しかしどうか、殺生だけは! 殺生だけはどうか堪忍を! 何卒、殺生だけは! 拙者、まだ生きとうござる!」
「──〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?」
体裁もプライドも何もかも捨てた土下座だった。途中から言葉も可笑しくなっている。
この場に神々が居たら口笛を吹いていただろう。新たな伝説を作った少年を褒め称えるだろう。
しかし悲しきかな、此処に居るのは土下座を敢行する少年と、羞恥と怒りで顔を真っ赤にしたエルフの女性だけである。
控え目に行って、
彼女が口を開き掛けた──その時。
「「……!?」」
二人は近付いてくる気配を察知した。
(足音……? それもかなり早い!)
靴音の大小から、ベルはそう推測する。
土下座を中止した彼は念の為、愛剣《ニュートラル》に手を伸ばし、いつでも抜刀出来るようにする。エルフの女性も同様で、鋭い視線を常闇に向けていた。
数秒後、闇が裂かれる。
「ぼ、冒険者……ッ!」
現れたのは、一人の少年だった。ベルの主神、ヘスティアよりも低い身長の彼は、
彼はヒューマンの少年とエルフの女性に驚きの声を出し、足を止めてしまう。
「待てやこの糞
闇から怒声が飛ばされる。ベルが目を凝らすと、一人の大男がこちらに向かってきていた。
パンパンに膨らんだ物体が一直線に進む。数秒も経たずして「んな!?」と悲鳴が上がった。
大男が苦悶の声を上げる中、彼は逃走を開始する。
(慣れているな……)
無駄のない動きに、ベルはそう評価する。
「はあ……はあ……く、くそっ! 逃げられた!」
数秒後にようやく、息を荒く吐きながら大男が闇から現れる。
背中に吊るされているのは身の丈程の大剣であり、右手には荷物が握られている。
「餓鬼に……エルフだと?」
彼は
そんな彼の背中に、ベルは声を投げ掛けた。
「何かあったのか? もし良かったら話を聞かせて欲しい!」
まさか呼び止められると思っていなかった大男はぴくりと反応すると、身体を反転させた。
「さっきの糞
「なに……? それは本当か!?」
「嘘を言ってどうするんだ」
冷たく固い地面の上で胡座をかくと、彼は事情を話し始める。
「完全に油断していたぜ。あの野郎、契約の最終日に動くことを決めていたんだ。今日の稼ぎをそのまま盗みやがった」
「『魔石』の換金を一人で行かせたのか?」
「ああ、今思えば迂闊だったがな。すっかりとこの数日で奴を信用していたんだ。最後にひと仕事させて欲しいって言われてな、頷いたのが間違いだった」
唾を吐き捨てる。
さらに大男は忌々しそうに言葉を続ける。
「サポーターとしての腕は超一流だった」
「そうなのか」
「ああ、特に、『環境』を作るのが上手かった。機転も利いたし、あいつのおかげで助かったことも何回かあった。少なくとも、俺がこれまでに雇ってきた中では随一だった」
「そうか、それで……」
「気が付けば俺を含めたパーティメンバー全員が、あいつの事を認めていた。信頼とまではいかなくとも、信用していた。今にして思えば、それは『罠』だったんだろうさ」
信用させるのは目的の為の『手段』だったのだと、大男は言葉を吐き捨てる。
「……間違いねえ、あいつが最近噂になっている『
「噂?」
「なんだ、知らないのか。お前も俺と同じ下級冒険者だろう?」
「ああ、確かにそうだ。まだ駆け出しの駆け出しだな」
だろうな、とベルの装備を見た大男は頷いた。
「最近、俺達の間で話題になっているんだ。『手癖の悪い
「だが、ギルドは何も言っていなかったぞ。情報掲示板にもそのようなことは公開されていなかった」
「ははっ、馬鹿が。そんな小さな事じゃ
都市の運営者、そして支配者たるギルドには様々な役割がある。
大男が『小さな事』と言った通り、
冒険者が一般市民に暴行を加えた、などということがあれば話は別だが、ギルドは冒険者間のトラブルには基本的には介入しない。
「あー、くそっ、
怒りが再度募った大男は、ドンッ! と先程と同じように壁を殴り付けた。
「じゃあな。お前も精々気を付けろ」
そう言って別れを告げる彼に、ベルは「待ってくれ」と声を掛けた。
「まだ何かあるのか?」
「これを」
「あ?」
訝しむ大男。
ベルは笑みを浮かべ財布からヴァリスを取り出すと、彼に駆け寄って手渡した。
「何の真似だ。同情か?」
厳しい視線で大男はベルを射抜く。
しかしながら、ベルは首を横に振って言った。
「正当な報酬だ。受け取って欲しい」
「……報酬だと?」
「貴方のおかげで私は意義がある情報を入手することが出来る。ならば、その対価を支払うのは当然のことだろう」
さらにベルは言葉を続ける。
「遠慮することはない。偉大な先達が後進の指導をしてくれた。その授業料だと思って欲しい」
大男は逡巡した後に、「なら、貰うぜ」と言った。
ニヤッと、口の端を吊り上げる。
「面白いな、お前」
「ははは、褒め言葉として受け取っておこう」
そんな訳ねえだろ! 大男は声を立てて笑うと、「じゃあな」と言って今度こそ別れた。
笑顔で手を振り彼を見送ると、ベルは浮かべていた笑みを引っ込めた。そして今のやり取りを傍観していたエルフに顔を向ける。
「さて、美しいエルフよ。話が出来ずすまなかった。まずは、これまでの数々の非礼を心から詫びさせて欲しい」
「本当に申し訳ない」と、頭を深く下げるベルを、エルフの女性は無言で見詰める。
そして、二分が経過した頃、
「……顔を上げて下さい」
エルフはヒューマンにそう言った。
おずおずと言われるがままにベルは上げる。断頭台に上がる心境で、下される『裁定』を待つ。
彼女はベルから向けられてくる、真っ直ぐな
「確認したいこと?」
首を傾げるベルに、彼女は「そうです」と頷く。
そのまま続けて、確信を込めた口調で問うた。
「貴方、ベル・クラネルですよね?」
「……? あ、ああ、確かに私は絶世の美男子ベル・クラネルだが。しかし美しい
その問いに、彼女は答える。
「こうして直接会って話すのは初めてですが、私達は初対面ではありません」
「えっ、そんな馬鹿な!? この私が貴方のような美人なエルフを忘れるだなんて!?」
美人、という言葉に尖った耳をほんのりと赤くしつつ、彼女は「いいえ、確かに会っています」とベルの言葉を否定した。
「──『ミノタウロス上層進出事件』」
その言葉が彼女の唇から出た瞬間、ベルはおどけた言動をやめ、真剣な顔になる。
まさか、という推測がやがて確信に変わり、顔に広がっていく。それから彼は珍しくも溜息を吐いた。
「ああ、そうか。確かにそうなるのだろう。あの場に貴女は居たのだろうな」
「仰る通りです。私はあの時カフェテラスに居ましたから。貴方とは一切言葉を交わしていません」
エルフの女性は優雅に一礼した。
「はじめまして。私の
ベルは驚愕を隠せなかった。
──アリシア・フォレストライト。
彼女は都市最大派閥の【ロキ・ファミリア】、その構成員であり、都市でも少ない第二級冒険者だ。
流儀に則り、ベルも名乗り返す。
「私の
この場に第三者が居たら滑稽だと嘲笑う者が多数だろう。駆け出し冒険者が第二級冒険者、ましてや都市最大派閥の構成員に、自分の身の丈に合わない夢を語るのだ。
アリシアはベルの夢を笑うことはしなかった。しかしながら、肯定もしなかった。
ただ無言で、自分の派閥の団長と、幹部の一人である少女が興味を示している若いヒューマンの少年を見詰める。
やがて、彼女は話を切り出した。
「……先程のあれは、お互い、不幸な事故だったと思うようにしましょう」
「い、良いのか!?」
「……良くはありません。恋仲でもない、ましてやほぼほぼ初対面の異性に……む、胸を揉まれるなど! エルフとしてあるまじきことです! 本来なら責任を取って貰わなくてはなりません!」
「責任と言うと……それは、婚約か!? 私としては貴女のような女性と結婚出来るのは非常に嬉しいのだが!?」
「なななななななな、何を仰るのですか!?」
自分が敬服している
呼吸を整えると、「しかし」と彼女は言葉を続ける。
「……私も不注意でしたから。普段ならこのような失態は冒さないのですが、久し振りの非番で浮かれていて……いえ、これはただの言い訳ですね。申し訳ございません、ベル・クラネル。怪我はありませんか?」
「ああ、私は見ての通り無傷だとも。アリシアも大丈夫か?」
ベルが名前を言うと、エルフの女性はぴくりと眉を動かした。
それを見たヒューマンの少年はしまったと後悔する。エルフという種族の頭の固さは名前の呼び方一つでも有名なのだ。
慣れない二つ名呼びにしようかと思い、まずは謝罪をしようとする。しかしそれよりも早く、アリシアは嘆息してから言った。
「……アリシアで構いませんよ、ベル・クラネル」
「ありがとう!」
ぱあっと顔を輝かせ、子供のように無邪気に喜ぶ少年を見て、妙齢の女性はくすりと、ここで初めて笑みを漏らした。
「夜ももう遅い。
時刻は既に二十時を過ぎていた。
女性は家に送り届けるべし、という祖父からの英才教育を受けているベルがそう申し出ると、アリシアは逡巡してから首を横に振った。
「それには及びません。貴方は他所の派閥。敵対こそしていませんが、異なる派閥の構成員が必要以上に交流するのは宜しくないですから」
それに、と彼女はベルを上から下まで見て言葉を続けた。
「貴方のその恰好、ダンジョンに行かれていたのでしょう?」
「その通りだが……」
「なら益々大丈夫です。此処から私の
優しい声音でアリシアは言った。
ベルは彼女の優しさに甘えることにした。実際、彼の帰りを幼い女神が待ち侘びているだろう。
「ありがとう、ならそうさせて貰う。それじゃあ……」
「ええ、また機会がありましたら」
背を向け、
「思い出しました。もし良ければ、今度、アイズと話をしてあげて下さい」
「ああ、彼女とは話をする『約束』を交わしているのだが……すまない、言い訳となってしまうが、中々時間が取れなくてな」
「それはあの子も承知しています。団長もアイズも、貴方のことを心配していました」
アリシアが先日の『モンスター脱走事件』について言っているのが、ベルはすぐにわかった。
「もうすぐ、私達【ロキ・ファミリア】は次の『遠征』に向かいます。今は【ファミリア】総出で準備をしているところです。どうかその前に、あの子と話をしてあげて下さい」
「しかと承知した。それから、頼みがある。彼女とフィンには、心配をかけてすまなかったと伝えてくれないか」
「私の種族、エルフの矜恃にかけて『約束』しましょう。今晩にでも伝えます」
「引き留めて申し訳ございません、良い夜を」とエルフは頭を下げると、魔石灯が明るく照らし、雑踏極まるメインストリートに入る。
彼女を見送ったベルは新たな出会い、縁が交わったことを嬉しく思いながら、今度こそ
「……ベル・クラネル。話に出てきた女神ヘスティア。あの人が噂の……」
その後ろ姿を、一人の少女が路地裏に身を隠し、息を潜めて眺めていた。
三日後。
ダンジョン探索に行こうと、バベルの下にある
「冒険者様、冒険者様。冒険者様の支援をさせて頂く、サポーターは欲しくないでしょうか?」
今日も素敵な天気ですねと、彼女──