さあ──『喜劇』を始めよう!   作:Sakiru

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発現

 

 新しい一日が幕を開ける。

 太陽が東空の彼方に顔を出し始める頃、下界の住民達は起床してそれぞれの人生を歩くべく用意をしていた。

【ヘスティア・ファミリア】もその例に洩れず、(さび)れた廃教会の地下では賑やかな声が飛び交っていた。

 

「ベル君にもようやく仲間が出来たのか!」

 

「ああ、そうなんだ! 今日から彼女と一緒にダンジョン探索をする予定だ!」

 

「ほうほう! それは朗報だ! いやぁー、本当に良かった! ただでさえ色々と心配な君なんだ、独り(ソロ)でのダンジョン探索は前々から反対だったんだよ!」

 

「はっはっはっ、過保護だなぁヘスティアは!」

 

「はっはっはっ、そう思うならもっと落ち着いた言動をして欲しいところだけどねぇ!」

 

「「はっはっはっはっはっ!」」

 

 普通の人なら朝方のテンションは低いものだが、この二人にそれは当てはまらないようだった。この場には二人しか居ないのにも関わらず、その賑やかさ、騒がしさは数十人のそれにも匹敵(ひってき)するだろう。

 そんな彼等は現在、【ステイタス】の更新を行っていた。ヘスティアがベルの背中に跨って更新していく中、ベルが彼女に昨日の出来事について報告する。

 

「それで? そのサポーターの少女──リリルカ・アーデ君だっけ? その子はどんな子なんだい?」

 

 ヘスティアがベルにそう質問した。

 愛している眷族が選んだ子なら大丈夫だとは思っているが、万が一の事もある為、主神として聞いておく必要があると判断してのことだ。

 ましてや現在の【ヘスティア・ファミリア】は管理機関(ギルド)の特例措置によってほぼ全ての情報がブラックボックスと化している。冒険者ベル・クラネルの情報も同様の処置がされているが、情報を集めることは決して不可能ではない。ダイダロス通りの住民達からベルの人相を聞いて回れば、彼の元に辿り着くことは充分に可能だ。

 ベルは「そうだなぁ……」と呟きながら、顔をヘスティアに振り向かせて言った。

 

「サポーターとしての腕は一流、いや、()()()だと思う。自分の『仕事』に誇りを抱いている印象も見受けられた」

 

「なるほど、それなら安心だ。他には?」

 

「良い子だと思う。愛嬌も良いし、話していて楽しい。ただまあ、気になることは幾つかあるが……」

 

「気になること?」

 

「ああ。だが、ヘスティアが心配するようなことじゃないから安心して欲しい」

 

 そう言われて、「オッケー!」と言う程ヘスティアはお気楽ではない。

 前言撤回。

【ファミリア】を結成する前は一時を凌げればそれで良いと思っていたのだが、眷族が問題児な為せめて自分だけはマトモになろうと決意していた。

 

(嘘は吐いていないか……)

 

神の力(アルカナム)』こそ封印しているが、ヘスティアが炉の女神であり超越存在(デウスデア)であることに変わりはない。故に、子供(ベル)が嘘を吐いていないことが分かる……と言いたいところではあるが、この能力はそこまで万能ではない。

 嘘というものは主観的な情報を多く含んでいる。

 つまり、ベルが先程の発言を本心から言っていたとしても、ヘスティアから見ればそうではない、ということが充分に起こり得るのだ。これはその逆も然りで、使い所が難しいのである。

 なら、どうするか──。

 そこまで考え、ヘスティアは己を恥じた。

 

眷族(けんぞく)を信じないで何が主神(おや)だ。自分ではなく、ボクはこの子を信じないといけないのに……)

 

 深く反省した彼女は、気を付けようと胸に刻んだ。

 ただし、「くれぐれも気をつけるんだよ」と注意喚起することは忘れない。

「もちろんだ!」と返事だけは良いベルの声を聞きながら、ヘスティアは【ステイタス】更新を進めていく。

 

(いやぁ……最初こそ手間取ったものだけど、慣れたものだなぁ……)

 

 それが何だか、ヘスティアは堪らなく嬉しかった。

 自分の大切でかけがえのない眷族と、一緒に成長しているような、そんな感じがするからだ。

 胸をあたたかくしながら指を動かしていく。

 あと少しで終わるところで、

 

「あれ?」

 

 ヘスティアは、そう、声を出した。

 慌てて口を塞ぐがベルには聞こえていて、彼は顔だけ振り向かせて怪訝そうに「ヘスティア?」と尋ねた。

 

「どうかしたのか?」

 

「な、何でもないよ! もうちょっと待ってくれ!」

 

 そうか? と顔を伏せるベル。

 ヘスティアは嘘を吐いてしまったことを後悔するが、それは後だと己を叱咤する。

 

(どういうことだ……? 『()()()()()()()()()()()()()?)

 

 そんな馬鹿なと思うが、決して間違いではなかった。

 炉の女神(ヘスティア)にとって、ベル・クラネルは初めての眷族だ。【ファミリア】の運営方法は毛が生えた程度の知識しかないし、他の子供に『神の恩恵(ファルナ)』を授けたことがない故に比較対象がなく、神友(しんゆう)達から聞いた情報でしかそれが出来ない。

 神友(しんゆう)達から聞くところによると、『魔法』というものは突然出てくるようなものではないらしい。

 そりゃそうだ、とヘスティアは全面的に同意見だ。今でこそ『神の恩恵(ファルナ)』によって『魔法』は誰にでも発現し得る『可能性』になっているが、それはあくまでも『可能性』でしかない。

 そんな簡単に自己実現されたら困るというのがヘスティアの意見であり、他の神々もそうだろう。

 

(昨日の探索で何か『切っ掛け』でもあったのか?)

 

 いやでも、とヘスティアは否定する。

 ベルの報告からは、そのようなものはなかった。精々がサポーターの少女と長期契約を結んだくらいで、他は至って普通だったと聞いている。

『魔法』が発現するような出来事は起こっていない。

 つまり、何か他に要因があったと考えるべきだろう。

 

(例の『スキル』──【英雄回帰(アルゴノゥト)】が関係しているのか? でも、『スキル』が『魔法』に干渉することなんて起こり得るのか?)

 

 ベル・クラネルには数々の『秘密』がある。

 彼の『秘密』を知っている数少ない者の一人であるヘスティアは、何がなんだかさっぱり分からなくなってきていた。

 

(だけど、問題はそこじゃない。問題は……このまま『魔法』をこの子に授けるかどうかだ)

 

 理由は分からないが、ベル・クラネルは現在『魔法』が修得可能になっている。

 それならすぐにでも『魔法』を──『奇跡』を起こす力を己の眷族に授ける、という訳にはいかない。

 他の子供だったら、ヘスティアは迷うことなく授けていただろう。自分の新たな力に目覚めた眷族と共に喜びを分かちあっていただろう。

 だが──。

 ヘスティアは悩んでいた。

 

(どうする? 今のこの子に……ベル君に『力』を授けるのか?) 

 

【ヘスティア・ファミリア】は複雑な事情を抱えている。ただでさえ一部の冒険者や神達から注目されているというのに、『魔法』を()()しただなんてことが知れ渡ったら、その時は迷宮都市(オラリオ)全域に【ヘスティア・ファミリア】の名前と、その眷族であるベル・クラネルの名前が認知されることになるだろう。

 活動を続けていく【ファミリア】なら必ず起こる現象だ。宿命と言ってもいいかもしれない。

 だが、それはあまりにも【ヘスティア・ファミリア】には時期尚早だ。構成員が一人の零細派閥など、他の派閥からしたら()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 本来なら着実にゆっくりと力をつけていき、その時の準備をするのだ。最大派閥と言われている【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】だってそうだったのだと、ヘスティアは当時を知る神友から聞いている。その階段を駆け登るのは愚の骨頂だとも。

 ギルド長と取引をして特例措置がされているが、これ以上、ベルが活躍したら庇い立ては不可能であり、【ヘスティア・ファミリア】の情報は公にされるだろう。

 

(ああそうだ、時期尚早だ。【ファミリア】にとっても、駆け出しのベル君にとっても、『魔法』という『奇跡』は身の丈に合わない)

 

 だが、とヘスティアは思わずにはいられない。

 

(もし『魔法』の修得の有無でベル君の生死が分かれるとしたら……?)

 

 ベルが挑んでいるのは異常事態(イレギュラー)が頻繁に起こる地下迷宮(ダンジョン)だ。死者は後を絶たず、大手派閥の構成員であろうと死ぬ時はあっさり死ぬ。

 ましてやベル・クラネルがこれまで直面してきた出来事を思えば──『ミノタウロス上層進出事件』や『モンスター脱走事件』など──これからも巻き込まれる可能性は極めて高いだろう。

『英雄』に憧れている少年ならば、尚のこと。

 なら、眷族の為に主神がやるべき事は──。

 

(あの時、ボクは誓った筈だ。この子を……ベル君をずっと見守るって)

 

 葛藤を振り払い、ヘスティアは決断する。閉じていた蒼色の瞳を開け、止めていた手を再び動かした。

 自分の想いも宿れと、そう思いながら【ステイタス】の更新を行い、そして、終わらせる。

 

「待たせてしまったね。これで終わりだ」

 

 背中に跨るのをやめると、ヘスティアは寝台の上で正座となった。これは神友(しんゆう)の武神から教わったもので、何でも、厳粛な場に用いられる座法らしい。

 彼女の真剣な顔に当てられてベルも真似する中、先程までの喧騒が嘘だったかのように、本拠(ホーム)は静寂に包まれた。

 おもむろに、ヘスティアは「こほん」と咳払いを打つと、ベルの深紅の瞳を見詰めた。

 

「それじゃあ、まずは口頭で【ステイタス】を言おう」

 

 羊皮紙に写したベルの軌跡を、彼女は紡ぎ始める。

 

「『力』が【E】の497。『耐久』が【H】の182。『器用』が【F】の352。『敏捷』が【B】の786。『魔力』が【I】の0だ」

 

 一番高い熟練度である『敏捷』が評価値【A】になろうとしていることに目眩を覚えつつ、ヘスティアは「そして」と言葉を区切ってから、慈愛の微笑みを浮かべた。

 

「──おめでとう」

 

「……え?」

 

「今回の【ステイタス】更新で、とうとう君にも『魔法』が発現した」

 

「ふふっ、事態が呑み込めてないようだね。なら、君が認識出来るまで何度でも言おう。ベル君、君は『奇跡』を行使出来るようになった」

 

 ぽかんと、ベルは口を半開きにして呆然としていた。

 ヘスティアの言葉を「……『魔法』?」と無意識で呟き、呆然とする。

 ()女神(めがみ)はそんな彼を笑うことはしなかった。

 もう一度優しく微笑みかけると、口で言うよりも、自分の目で見て貰った方が早いと判断し「ほら!」と羊皮紙をベルに手渡した。

 早くなる動悸(どうき)を抑えつつ、ベルが確認すると、

 

「……ほ、本当に発現している!」

 

 がばっと勢いよく顔を上げ、驚愕の表情でそう言った。

 ヘスティアは「だからさっきから何度も言っていることだろう」と今度は苦笑した。それを見たベルは段々と顔の表情をだらしなく緩めていく。

 あっ、とヘスティアが嫌な予感を覚えた時には、もう、遅かった。

 

「うひょー! キタコレ──────ッ!」

 

 いつかの夜のように、ベルが大声を出す。

 ヘスティアが「うおっ!?」と仰け反る中、彼は腹を抱えて笑っていた。

 

「フハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

「う、五月蝿いぞ!?」

 

「ついに、ついにだ! ついに私にも念願の『魔法』が発現したぞ! 夢の一つが叶った!」

 

「えぇい、少しは落ち着くんだ! そしてボクの話を聞けぇー!?」

 

 ヘスティアが必死に窘めるが、ベルには届かなかった。これはもう放置するしかないと悟った彼女は購入しておいた耳栓をすると、黙々とバイトの準備を始めた。

 

「これは綴らずにはいられない! 綴るぞ、我が英雄日誌! ──『少年ベル・クラネルは長年の夢であった『魔法』を修得した! これより始まるは無双劇! 『魔法』を修得した彼は数々のモンスターを薙ぎ倒していくのだった!』──ふっ、私は応援者(ファン)の皆にこう伝えたい。夢はいつか叶うとな!」

 

 彼女がバイト先への用意を終えた時にようやく、ベルは冷静さを取り戻した。叱り付けるのもこれまでの付き合いで億劫になってきているヘスティアは「ほら」と冷水が入ったグラスを渡すだけに留めた。

 

「それじゃあ、幾つか話をしよう。まずはこの『魔法』についてだ」

 

 ヘスティアが、そう、話を切り出すとベルは無言で頷いた。真剣な顔で羊皮紙を再度読むと、彼女は言った。

 

「これは()()()()だ。ベル君、この『魔法』はまだ使っちゃ駄目だ」

 

「……理由を聞いても良いか?」

 

「そうだね……幾つかあるけど、まず一つ目に、今の君じゃ『魔法』を行使出来ない。いや、訂正しよう。【ステイタス】に刻まれている以上、君は『魔法』を(うた)うことが出来る。でもボクの見立てだと、それは一回か二回で、とてもではないが連発出来ないだろう。ましてや『魔力』の評価値【I】0である君じゃあ、使ったらすぐにでも精神疲弊(マインドダウン)する筈だ」

 

 精神疲弊(マインドダウン)? と初めて聞く単語にベルは首を傾げた。

 ヘスティアは「これはボクの神友(しんゆう)から聞いたことだけどね」と前置きしてから説明する。

 

「『魔法』を行使するには二つの絶対条件がある。それが『詠唱』と『精神力(マインド)』と呼ばれるものだ。これはベル君も知っているね?」

 

「ああ、無論だ。確か、『詠唱』は『砲台』の役割を持っていて、詠唱文が長ければ長い程に『魔法』の威力、効果が強くなる。そして、『魔法』を行使するにあたって『精神力(マインド)』と呼ばれるエネルギーが必要となるのだったな」

 

「その通りだ。『精神力(マインド)』という体内にあるエネルギーを消費し、『詠唱』することで初めて『魔法』は起動される。精神疲弊(マインドダウン)とはその精神力がない状態をさすらしい」

 

「『精神力(マインド)』がないとどうなるんだ?」

 

「気絶するそうだよ。症状が酷い時には死に至ることもあるらしい」

 

 そこまで言われれば、ベルも一つ目の理由に合点がいった。

 魔物の巣であるダンジョンで意識を手放すことはまさに自殺行為だ。モンスターに襲われ、そのまま殺されるのがオチだろうと冒険者の顔になった彼は推測する。

 

「そして、この詠唱文……都市でも限られた魔術師しか修得していないって噂の()()()()()で間違いないだろう。当然、その分消費する『精神力(マインド)』は増える訳だから……」

 

「なるほどな。確かにヘスティアの推測通りになりそうだ」

 

 ベルはそれから、「他に理由はあるのか?」と主神に尋ねる。

 

「二つ目だけど、この『魔法』はあまりにも強力過ぎる。反則級(チート)とも言えるだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「だが、それが『魔法』というものじゃないのか?」

 

「これが炎やら風やら水やらと、そんな簡単な超常現象を起こす『魔法』だったら話は別なんだけどね。君のこれは派手さはあまりない。どちらかと言うと地味な物だろう」

 

「じ、地味……」

 

 ぐさっと、ヘスティアの遠慮がない言葉のナイフがベルの胸に深く刺さった。

 蹲るベルを見て、彼女は慌てて「ご、ごめんよ!」と謝罪してから、言葉を続ける。

 

「でもねベル君。こういった地味な物こそ、真価を発揮したら最も恐ろしいと、ボクは思うな。話を戻すけど、この『魔法』は非常に強力だ。主神命令とさっきは言ったけれど、この『魔法』を使うのは非常に危機的状況に陥った時のみにして欲しい」

 

「……分かった。それが貴女の神意(しんい)だと言うなら、私はそれに従おう」

 

「ありがとう、そうしてくれると助かるよ。それと、ごめんね。せっかく『魔法』が発現したのに……」

 

「謝るようなことじゃないさ。【ヘスティア・ファミリア】の立ち位置が非常に不安定なのは理解しているつもりだ。これ以上注目を浴びるのを避けたいと思うのは、私も同じだ」

 

 ぽん、とベルはヘスティアの頭に手を置くと「だから気にしないで欲しい」と笑った。

 ヘスティアが嬉しくなって笑い返すと、彼は「さて、私も準備をするとしよう」と言って、正座をやめて寝台から立ち上がると探索の用意を始める。

 その様子をヘスティアは眺めていた。

 

「それにしても、何で急に『魔法』が発現したのだろう?」

 

「寧ろボクが聞きたいくらいさ。何か思い浮かばないのかい?」

 

「うぅーん」とベルは勝色のロングコートを着ながら悩まし気な声を出した。

 ベルの種族はヒューマンだ。魔法種族(マジックユーザー)でない彼が『魔法』を修得する為には何かしらの『切っ掛け』が必要だ。『魔法』が発現する程の『出来事』があれば身に覚えがあるのが通常だが、ベルにはそれがないと言う。それがヘスティアには不思議だった。

 

「昨日は普通にダンジョン探索しただけだしなぁ……。変わったことと言えばリリルカと会ったことくらいだぞ」

 

「それ以外は?」

 

「それこそ全然身に覚えがないな」

 

 そっかぁー、とヘスティアが返す中、ベルはテキパキと装備を纏っていく。相も変わらずの軽装に苦笑いしながら、何となく寝台(ベッド)に目を向けると、ヘスティアは「あれ?」と疑問の声を出した。

 

「ベル君、この本は何だい?」

 

「……? ああ、それか。昨日『豊穣の女主人』で借りてきたものだ。客の忘れ物のようでな、特別に貸して貰った。ダンジョンに行く前に返しに行こうと思っている」

 

「……ふぅーん。まあ、ベル君の趣味が読書なのは知っているから、そこに驚きはしないけど……。しかし、わざわざ借りてきたんだ、面白い内容なのかい?」

 

 ヘスティアが下界に降臨する前、つまり天界で過ごしていた頃。彼女は教会に引きこもり本ばかりを読んでいた。

 下界に来てからも本好きは変わっておらず、暇さえあれば今でも読んでいる。最近は眷族(ベル)の影響を受けて英雄譚に手を伸ばしており、彼が村から飛び出してきた時に持ってきた英雄譚を暇さえあれば読んでいた。

 興味を示す彼女に、ベルは「読んでみるか?」と尋ねた。

 

「時間には余裕があるから、そうさせて貰うよ」

 

「分かった。それなら、読んでいてくれ。私は道具(アイテム)の確認をしているから」

 

「はーい!」

 

 ヘスティアはベルの了承を得ると、枕元に置かれていた分厚い本に手を伸ばす。

 数々の本を読破してきたという自負が彼女にはあったが、その本から異質な物を感じ取った。

 

「変わった本だなぁ……これ、何処かの厨二病の闇が詰まった本じゃないだろうね?」

 

「ははは、まあ、そう言いたくなる気持ちは分かるが……私の記憶が確かなら、内容は至って真面目だった筈だぞ」

 

「その言葉を信じよう。えーっと、何なに……──」

 

 そこで言葉が途絶えた。

 

(いやいやいやいや、きっとボクの気の所為だ)

 

 ヘスティアはそう思った。

 すぅー、はぁーと深呼吸する。

 そして眼下の本に目線を下げると、彼女は絶句した。

 

「ヘスティア、そろそろ私は出ようと思うのだが……」

 

 冒険者装備に身を包んだベルが、ヘスティアに声を掛ける。それまで彼は、彼女が真剣に読書していると信じて疑わなかった。だから静かなのも気にしなかったし、邪魔しないように物音を出来るだけ立てないようにもしていた。

 しかし、それは彼の思い違いだった。

 ヘスティアは表情が固まっていた。虚無、と言えば良いだろうか。普段の喜怒哀楽に満ちた顔はすっかりと色を無くしていた。

 

「へ、ヘスティア……?」

 

「……」

 

「おーい?」

 

「…………」

 

 心配になったベルが彼女の目の前で手を振るが、ヘスティアは無反応だった。

 

「うあ、ああああ……!」

 

 そんな掠れた声が喉から出たのは、暫く後だった。

 

「うわああああああああああああああああ!?」

 

「うおっ!?」

 

「うわああああああああああああああああ!?」 

 

 悲鳴にも似た絶叫が、ベルの鼓膜を襲う。

『教会の隠し部屋』が揺れる錯覚に陥りながらも、眷族は主神に何事かと尋ねた。

 ヘスティアは蒼色の瞳を大きく見開いて答える。

 

「これ、魔導書(グリモア)じゃないか!」

 

 主神が狂乱する一方、耳にしたことがない単語にベルは「魔導書(グリモア)……?」と復唱する。

 何だそれはと首を傾げるベルに、ヘスティアは苦虫を噛み潰したような表情で言った。

 

「……これはね、ベル君。簡単に言うと『()()()()()()()()だよ」

 

「……すまない、つまりどういうことだ?」

 

「……この分厚い本を読むだけで、『魔法』が発現する。種族や経験値(エクセリア)関係なくね」

 

 今の君がそれだ、とヘスティアは言った。

 理解が徐々に追いついていくベルに、彼女はさらに言葉を投げる。

 

「君に『魔法』が発現したのはこれが原因だ。それしか考えられない。その証拠に……ほら、見なよこれを」

 

「……真っ白?」

 

 書物に求められる文字の羅列が無くなっているのを、ベルはその目で見た。

 ヘスティアがパラパラと最初から最後まで頁を捲っていくが、ベルは黒色の軌跡を視界に入れることが出来なかった。

 

「この状態になっているということは、魔導書(グリモア)が効果を発揮したってことだ。こうなった魔導書(グリモア)に価値はない。文字通り、ただの奇天烈書(ガラクタ)だ」

 

「……ち、ちなみに本来の価値はどれくらいあるんだ?」

 

「HAHAHA、そうだねぇ……【ヘファイストス・ファミリア】の一級品装備と同等、もしくはそれ以上かな」

 

「……マジか」

 

「……本当と書いてマジと読むくらいにはね。魔導書(グリモア)を作成する為には『魔道』と『神秘』っていう【発展アビリティ】が必要でね……それはつまり、最低でも階位(レベル)がLv.3以上じゃないと無理なんだ……」

 

 二人は無言で視線を交わし合う。

【ファミリア】という組織は、主神と眷族から成り立っている。子は親に似るとはよく言ったもので、似たような性格、思想を持った者が集まったのが【ファミリア】だ。

 そしてヘスティアとベルの根本的な性格や思想は同じだ。二人はこの時、全く同じことを考えていた。

 それ即ち。

 

「「どうやって隠そう」」

 

 顔を見合せ、同じことを口にする。

 この場には二人しか居ないのにも関わらず、彼等は顔を近付け、小声且つ早口で意見を交わす。

 

「確認だけどベル君。これは誰かの忘れ物なんだよね?」

 

「そう聞いている。私からも質問良いかヘスティア。賠償は無理だよな?」

 

「無理無理、絶対無理だよ! ボク達の総資産は100万ヴァリスと少し。そんなお金じゃあ、低級の魔導書(グリモア)だって買えないよ!」

 

「なるほど、つまり、私達が取れる手段は──」

 

「白状するか、しないかだ。そしてボクは後者を強く勧めよう。忘れ物をした人が良い人で許してくれる、なんてことは起こらないと思うべきだ。確実に怒り狂い、ボク達を訴えるだろう。借金で済めば御の字、もしその人が大手派閥の構成員だったら潰される!」

 

「私もそこには激しく同意ではあるのだが。それはそれとして、もしバレたらどうする? そっちの方がリスキーじゃないか?」

 

「適当に話をでっち上げれば良いさ。ベル君は確かに魔導書(グリモア)を借りた。でもいざ本を読んでみると不思議なことに、それは効果を失っていたただの奇天烈書(ガラクタ)だった。これでどうだい?」

 

「神の前では意味がないぞ!」

 

「くぅー、これだから神ってヤツは!」

 

 知恵を出し合うが、妙案は思い浮かばず。

 ふとヘスティアが時計を見れば、時間が差し迫っていた。彼女はわざとらしく「タイヘンダー!」と声を上げる。

 

「ボク、モウスコシデバイトノシフトダヨ! ゴメンネベルクン、ボクハサキニデルヨ!」

 

「ヘスティア!? そんな嘘だろ!?」

 

「アア、ハヤクイソガナイトナー! ──すまないベル君、世界は神より気紛れなんだ!」

 

 ヘスティアはそんな名言を残して、本拠(ホーム)を飛び出して行った。「ヘスティアー!?」という、愛しい眷族の制止を振り払い、彼女は今日も労働に勤しむ。

 残されたベルは、伸ばしていた手を静かに降ろすと唇を強く噛んだ。

 

「……こうなったら奥義、土下座をするしかない! うおおおおおおおおおおおお!」

 

 ベルは眦を上げると、奇天烈書(ガラクタ)をボディバッグに入れ、準備を手早く整えてから本拠を飛び出した。

 雄叫びを上げながら全速力で街道を走り抜け、西のメインストリートにある酒場──『豊穣の女主人』向けてひた走る。

 自慢の『敏捷』を以て、わずか数十分で彼は酒場に辿り着いた。肩で息をする彼に、ちょうど掃き掃除をしていたシルが驚きながら声を掛ける。

 

「ベルさん、おはようございます。ごめんなさい、お店はまだやっていなくて……」

 

「ああ、おはようシル! すまないが挨拶は簡略化させて貰う!」

 

「それは全然構いませんが……どうされました? そんな風に慌てて……呼吸も荒くして。今日もダンジョン探索に行かれるのでしょう? ちょっと待って下さい、お水を持ってきますから──」

 

「アーニャ、アーニャは居るか!? まずは彼女と話がしたい!」

 

「あ、アーニャですか? 彼女は今日、用事があるようで、お店には居ませんが……」

 

 タイミングが悪い! ベルは思わず毒を吐きたくなったが「なら!」と声を上げる。

 

「なら、ミア母さんを! ミア母さんを呼んでくれ!」

 

「は、はいっ! すぐに呼んで来ますね!」

 

 そう言ってシルが呼んでこようとするが、そうするよりも前に女将がフライパン片手にやってきた。顔に青筋を何本も浮かべ、野太い声を出す。

 

「朝っぱらからなんだい、騒々しい! 近所迷惑を考えな!」

 

「お叱りは尤も! だがまずは私の話を聞いてくれ! その後にいくらでも受けよう!」

 

 必死さを感じ取った彼女は「あァン?」と訝しげにベルを見下した。

 

「しょうもない話だったら承知しないよ! 話は店でだ! シル、坊主に水でも出してやりな!」

 

 女将は従業員に指示を出すと、その巨体を店内に消していった。残されたベルとシルは顔を見合わせてから、慌てて彼女を追い掛ける。

 準備をしていた従業員達が機嫌が悪い母親を見て恐怖する中、「それで?」とミアが話を早速切り出した。 

 シルが用意してくれた水を呷ると、彼はボディバッグから奇天烈書(ガラクタ)を出し、おずおずと彼女に見せた。

 

「実は──」

 

 眉を顰めるミアに、ベルは説明した。

 全てを聞き終えた彼女は「ちょっと見せてみな」と奇天烈書(ガラクタ)を奪い取る。

 

「……確かに魔導書(グリモア)だね、これは。なるほど、これを坊主が読んじまったってことか」

 

「ああ、そうなんだ! ミア母さん、私はいったいどうすれば──」

 

「まっ、読んじまったもんは仕方がない。ラッキーだったと思いな」

 

「はぁ!?」

 

 その発言に、ベルはぎょっと目を剥いた。

 まさかミアからそのようなことを言われるとは露も思っていなかったからだ。

 

「これ、物凄く高価なのだろう!?」

 

「そうだねえ……しかもこれは見た所最上級のものだ。いったい幾らになるか、あたしには見当もつかないよ」

 

「だったら!」

 

「忘れていった方が悪い。普通、こんな分厚い本を忘れるかい?」

 

 ミアはさらに言葉を続ける。

 

「これはね、そういう物なのさ。坊主が読まなくたって、これを見付けた冒険者は自分の物だと嘘を吐いて使っていたよ」

 

「それは、そうかもしれないが……」

 

「坊主もそうだろう。最初は読んじまったことを隠そうとしたんじゃないのかい?」

 

 その指摘に、ベルは何も言い返せなかった。気まずそうに視線をふいっと逸らす。

「フンッ」とミアは鼻を鳴らす。仏頂面で、ぶっきらぼうに言った。

 

「別に咎めている訳じゃないさ。言っただろう、これにはそれだけの価値がある。寧ろあたしは感心しているくらいさ。まさか、過程はどうあれ告白してくるだなんてねえ。小心者というか、何と言うか……」

 

「ははは、正論過ぎて何も言い返せない。ちなみにだが。私が嘘を吐いていたらどうしていた?」

 

「半殺しの刑にしていたよ」

 

 即答され、ベルは引き攣った笑顔を浮かべた。それを見て、ドワーフの女性はニヤリと嗤う。

 

「どちらにせよ、坊主に本を貸したのはこっちだ。坊主が不安に思うようなことは何もないさ」

 

 それに、と。

 彼女は店内の壁に掛けられている大型時計を見て言葉を続ける。

 

「保管期限もあと数時間で切れる。普通、魔導書(グリモア)なんて物を忘れたと気付いたら一縷の望みをかけて慌てて戻ってくるさ。さっきの坊主みたいに喚きながらね」

 

「ハハハ……」

 

「笑い事じゃないよ。店の評判が落ちたらどうしてくれるんだい、全く」

 

「本当にすまない。以後気を付けよう!」

 

「……はあ、反省はしているが、後悔はない。そんな顔で堂々と言われると怒る気も失せてくるね。──兎に角、そういう事だ。あと数時間で馬鹿な客が戻ってくるとは思えないが、その時はこっちが対応する。分かったね」

 

 有無を言わせない口調で女将が言うものだから、小心者な冒険者はコクコクと頷くしかなかった。

 彼女はニヤッと唇を吊り上げると、豪快に笑って「さあ!」と大声を出した。

 

「さっさと行きな! 今日もダンジョンに行くんだろう!」

 

 その言葉を受けてベルは強く頷いた。

 

「ありがとう、ここで失礼する! また近いうちに必ず来るから、その時は宜しく頼む!」

 

「それは構わないが、もっと金を落としな!」

 

「おっと、ダンジョンが私を呼んでいる! さらばッ!」

 

 ベルは酒場をあとにし、天高く聳える白亜の巨塔目指して駆けていった。

 こうして今日も、少年の愉快な一日が始まる。

 

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