ダンジョン8階層。
数多くある
通常なら有り得ない光景。
多くの冒険者が、これはダンジョンの
そして、その犯人は
(──しまった。加減を間違えてしまった)
ヘルメットの奥で、男──オッタルは悩まし気な表情を浮かべていた。
傍から見たら無表情そのものであったが、彼の主神が今の眷族を見たら盛大に笑うだろう。
(分かっていた事とはいえ……やはり、手加減というものは難しい……。
ヘルメットで押しつぶされている
(防御の際の
自分の愚かさに呆れて何も言えなくなった彼は、死んでもこの事は、主神以外には口外しないことを決めた。
副団長の
(
オッタルは目の前の瓦礫の山を見据えた。
彼としては、今すぐにでも救出したいところではあるのだが──救える生命があるのなら、救った方が良いだろう──それは駄目だと主神からきつく言い含められている。
とはいえ普通なら、死んでいると考えるのが妥当だろう。
いくら『
オッタルのように『
それ故に、少年は既に息絶えていると考えるのが普通だ。瓦礫の下には亡骸があると考えるのが普通だ。
(目が死んでいなかった。ならば、生きている。生きていなければならない)
崩落に巻き込まれる直前、オッタルは目的の少年──ベル・クラネルと目が合った。絶望に襲われながらも、
(フレイヤ様から仰せつかった神命、必ずや果たさなければ……)
オッタルの任務は二つある。
一つ目は──ベル・クラネルを徹底的に痛めつけること。
これはある程度達成しているとオッタルは判断している。この目的は少年に『洗礼』を与えること、そして『泥』を被らせることだ。
駆け出しという身でありながら、少年は
だからこそ、フレイヤは少年に一度『敗北』を与えたいのだろう──オッタルは彼女の
──何故なら、『勝者』は常に『敗者』の中にいるのだから。
フレイヤは、天地がひっくり返っても到底及ばない相手がいることを少年に教えたいのだ。そしてそれが務まるのは、都市最強の冒険者であり『
とはいえ、
(あまりにも早過ぎる……)
何も、自分と少年をぶつけるのは今でなくとも良いとオッタルは思う。それこそ『
だが、早過ぎるとは思うが──逆に言えばそれだけだ。
それが分かっているからこそ、眷族の彼は主神の
前述したように、彼は、一つ目の任務はある程度達成していると考えている。
少年の剣技を、彼は全て
それは、オッタルとベルの間に隔絶とした『
オッタルはベル・クラネルの全てを知っていた。剣の太刀筋から、予備動作、攻撃動作、そして自覚していない癖に至るまで彼は事前に知っていたのだ。
(あの観賞会も、この時の為だったと思えば……)
オッタルをはじめとした全構成員が巻き込まれた【フレイヤ・ファミリア】の
それは、フレイヤと一緒に一つの動画を観ることだ。
これだけを聞くと『何だ、そんなことか』と思う
だが、違う。それは違うのだと、オッタルは思わずにはいられない。
あれは正しく苦行だったのだと──仲が決して良くない【フレイヤ・ファミリア】全ての眷族は口を揃えて言うだろう。
──主神と観た動画の内容を一言で言うならば、『死闘』だった。
主神が最近執心している少年の戦う動画を観るのは、苦痛だ。それは当然のことだろう。何で身も心も、文字通り全てを捧げている彼女と一緒に、彼女が気にかけている男の動画を観なければならないのか。これには多くの眷族が彼女に直接
渋々ながらも彼等はその誘いに頷いた。
動画を観た後、殆どの眷族達は一応の納得をみせた。甚だ認めがたくはあったものの、その動画、その『死闘』には人を惹き付け、夢中にさせるものがあったのだ。
そうして、彼等はさらに考えた。
きっと我等の主神はこの動画を通して、もっと精進するよう我等に伝えたかったのだろう、と。
ならばそれに応えなければならない。女神の期待に応えずして何が眷族か。都市最強派閥に属している者として、やらなければならないことがある。
新たな
『あら、何処に行くの?』
『…………はい?』
眷族達は首を傾げた。
そんな彼等を彼女は不思議そうに見て、
『ほら、もう一度観ましょう?』
と、誘った。
唖然とする彼等を尻目に彼女は端末を操作し、動画を再生させた。
出鼻が
そして終わった時、今度こそとばかりに彼等はフレイヤに挨拶をしようとする。しかし時遅く、その時には再び動画が始まっていた。『
流石に三回目となれば飽きがくる。
数分後、動画が終わる。
『さあ、もう一度観ましょうか』
フレイヤはそう言って、とても素晴らしい笑顔で端末を操作する。そんな彼女に眷族は恐る恐る尋ねた。
『あ、あのフレイヤ様……?』
『……? どうかしたのかしら?』
『一つお聞かせ願いたいのですが……あと何回ほど御覧になられるおつもりでしょうか?』
その質問に、フレイヤは心底不思議そうに首を傾げて言った。
『回数は分からないわ。私が飽きるまでよ』
『さ、左様ですか……』
『ええ、そうよ。さあ、もう一度一緒に観ましょうか!』
笑顔でそう言う女神を、誰がとめられようか、否、誰もとめられない。
それから【フレイヤ・ファミリア】全団員は『冒険』に臨んだ。ダンジョンに潜っていた団員を引き戻し、わざわざ専用のシフト表さえも制作したほどだ。このシフト表を作るにあたっても、当然、犬猿の仲である彼等であったので大いに揉めた。なお、主神の許可のもと単独で『遠征』に行っていた副団長の
しかしこれを乗り越えた者はごく僅か。歴戦の第一級冒険者のみ、この『冒険』を突破した。とはいえ、彼等も無傷で突破したわけではない。解放された頃には、精魂尽きたように死んだ魚の目になっていた。バベルから出て太陽の光を浴びた時、そこでようやく彼等の生命は完全に吹き返した。
この観賞会により【フレイヤ・ファミリア】は、事実上、機能停止した。もし【ロキ・ファミリア】が抗争を仕掛けてきたら危なかったと、オッタルは割と
──兎にも角にも。
話が大きく脱線してしまったが、そのような経緯があって【フレイヤ・ファミリア】に所属している殆どの眷族はベル・クラネルに対して特効があるのだ。
(一つ目は問題ない。問題は、二つ目だ──)
一つ目は順調だ。
問題は二つ目にあるといって良い。
二つ目の任務は──ベル・クラネルに『魔法』を使わせることだ。
少年が
この『
しかし、これはとても難しい。発現した『魔法』がどのようなものか分からない以上、オッタルも迂闊な行動は出来ない。
『魔法』の可能性は文字通り無限大だ。先天系ならある程度の傾向があるが、後天系──ましてや最高品質の
『
それ故に、オッタルは最大限警戒する。
しかしながら少年に『魔法』を使わせることが目的である以上、オッタルは初見で対応しなければならない。『未知』に挑むということが『冒険』だというのならば、彼は今『冒険』していると言えよう。
『魔法』や『スキル』はその者を映す鏡だ。その者が歩んできた
何に関心を抱き、認め、
その者の強い
『あの子の周りはとても面白いわ。ええ、とても面白い。駆け出し冒険者でありながら多くの冒険者と
女神がそう言っていたのをオッタルは思い出した。
ならば、少年はどのような『魔法』を発現させたのだろうかと、彼は考える。
攻撃魔法かもしれない。少年は『英雄』を目指している。それならば数々の英雄達が使ってきたような、業火や暴風といった超常現象を引き起こす『魔法』かもしれない。
あるいは、回復魔法かもしれない。【
あるいは、
あるいは、それ以外の『魔法』かもしれない。
そこまで考え、オッタルは、唇の端が僅かに吊り上がっているのを自覚した。
(
眼光を鋭くし、オッタルは物言わぬ瓦礫を見詰め続けた。
そして──
異常なまでに発達した聴覚が、小さな物音を拾う。瓦礫の山が微かに、しかし確実に動いたのだ。
──刹那。
地面に
「──……【笑おう、たとえどんな苦難があろうとも】」
その呟きが静かに零れたのを、オッタルは確かに
紋様は
そして瓦礫の山が崩れ、一人の剣士が現れた。
胸当てをはじめとした防具は破損しており、その機能は完全に失われている。邪魔だと判断したのだろう、防具を捨ててロングコートを身に纏っているだけとなっていた。
処女雪を思わせる白髪は灰を被ったせいで穢れているが、
(負っていただろう傷が完治している……?
しかしそれは、普通の駆け出し冒険者ならの話だ。
(なるほど……フレイヤ様が仰っていた【
オッタルは腑に落ちた。そして彼は、それを卑怯だとは思わない。人との繋がりもまた、その者の強さだからだ。
寧ろ、その方が都合が良い。
意識を切り替える。表情を引き締めたものにした武人は腰の鞘から抜いた剣を上段で構え、その時をじっと待った。
大小の黄金の粒子が紋様から立ち昇り、少年の身体を優しく包んでいく。
少年は、歌を長く
──
オラリオでも限られた魔導士しか修得していない『魔法』である。
魔力を練り、『
「──【約束の刻がきた。さあ、『
ついに『詠唱』を完了させた少年は──ベルは、にやりと不敵に笑い。その『魔法』を高らかに
「──【アナステイスィス・イロアス】!」