ダンジョンには現在、大まかに四つの区分がある。『上層』『中層』『下層』『深層』だ。そしてLv.1の下級冒険者が到達できるのは『上層』までであり、階層で表すと12階層までとされている。というのも、『中層』に区分されている13階層からはLv.2相当のモンスターが出現するからだ。
ダンジョン探索をするにあたって、
【ステイタス】の『基本アビリティ』を上げる為には長く、険しい道程を歩く必要がある。最初こそポンポンと数値は加算されていくがすぐに打ち止めとなり、その後は停滞に等しい加算率となってしまう。冒険者は果てしなく長い時間と血の滲むような努力の果てに自分を強化していくのだ。
それが、一般的な冒険者の成長の過程である。
しかし……
目の前の光景はいったい何なのだろうと、サポーターの少女──リリルカ・アーデは心から思った。
広い面積を誇る
「せああああああああああああああああッ!」
剣士が、
「リリー、頼めるー?」
ベルが剣を持っている右手をブンブン振って、戦闘を見守っていたリリルカに声を掛ける。つい数秒前まで、生死のやり取りをしていたとは思えない屈託のない笑顔だ。
サポーターの少女は「すぐに!」と返事をする一方で、
(可笑しいです可笑しい可笑しいです!?)
ベルに近寄りながら、胸中で叫んでいた。浮かべている柔和な笑みの裏側では、頭を抱えてそんな馬鹿なと衝撃を受けていた。
彼女が考えていること。それは雇用主であるベル・クラネルについてだ。地面の上に転がっている『魔石』を集めながら、思考に耽る。
(
可笑しい、とリリルカは再度強く思った。
そこには、『確信』だけがあった。『疑問』や『違和感』など挟む余地がない程のもの。
彼女は今しがたの戦闘を振り返る。
(
キラーアントの
その硬殻を、ベルは真正面から斬った。
これが武器の性能なら、まだ納得出来た。彼は折れてしまった《ニュートラル》の代わりに、昨日、《プロシード》という長剣を購入した。武器の性能では《プロシード》の方が勝るだろうが、この長剣の最大の長所は耐久値であって斬れ味ではない。《ニュートラル》よりもほんの少し斬れ味が良いのは認めるが、逆に言えばそれだけ。
武器の性能という一因だけでは目の前の現象を説明出来ない。
つまり──巨大蟻の防御力を軽々と凌駕するほどの【ステイタス】──『力』と『器用』の『基本アビリティ』が今のベルにはある。
(『耐久』はまだ一撃も攻撃を喰らっていないので分かりませんが……『基本アビリティ』の殆どは恐らく評価【B】! 最も高いであろう『敏捷』は恐らく評価【A】──いいえ、下手したら【S】でしょう!)
これまでの戦闘からベル・クラネルの現在の【ステイタス】を推測する。そんな馬鹿なと思い、何度頭の中で算盤を弾いてもこの結果になってしまう。
(冒険者になってからまだひと月しか経っていないんですよ、この人は!? それなのに軒並み高評価!? これを異常といわずして、何を異常というんですか!)
有り得ない! 馬鹿げている! リリルカは声を大きくして叫びたかった。ダンジョンという危険地帯でなかったら、きっとそうしていただろう。
だが、他ならないリリルカ自身が分かっていた。自分の計算は何も間違っていないと。多くの冒険者を視てきたことによって培われた観察眼は正しいと分かっていた。
(リリとダンジョンに潜っていないたった数日の間に、何があったというのですか!?)
誰がどう見ても、今のベルは『異常』だ。『成長』という言葉では言い表せられない。
とはいえ、見当が全くついていない訳ではない。契機となったのは、恐らく──。
(この人を襲った、数日前の襲撃。【ステイタス】の熟練度が馬鹿みたいに伸びたのはこれで間違いありません。それ程の相手、だったという事でしょうか……)
今のベルの【ステイタス】は『昇格』寸前のLv.1のものだと推測される。そのベルをいとも簡単に倒したという事は──襲撃者は最低でもLv.2だったという事は容易に想像出来る。
Lv.2──上級冒険者。
(『冒険』をした、と言えばこの熟練度の上昇率にも頷ける……
原因は間違いなく襲撃だ。だが他にも理由がある……そうでないと説明出来ないと、リリルカは胸中で呟いた。
一番に考えられるのは『改造』だろうか。神々が天界から下界に降臨するにあたって、幾つかの制約──『
だが──と、彼女はこの考えを打ち消した。数日前に会った女神が、悪事を働かせられるような精神の持ち主にはどうしても思えなかったからだ。あれが演技なら
次に考えられるのは『スキル』だろうか。【ステイタス】の成長速度を上昇させる『スキル』……前例はないが、可能性としては充分にある。
(──
そんな言葉を、リリルカは思わず想起した。
もしそうだとしたら──『レア・スキル』を彼が所持しているのならば、とても恐ろしいことだ。この『スキル』が公表されたら、他の冒険者や神達はこぞって彼に詰め寄るだろう。発現条件を探る為に、人体実験を行おうとする研究者も出るだろう。
(
疑問は絶えないが、これ以上の思考は無理だ。リリルカは考えを一度断ち切ると、ゆっくりと立ち上がって声を張った。
「ベル様、終わりました!」
リリカルが殊更に明るい笑顔と声で雇用主に報告すると、ベルは目線を合わせて「ありがとう」と言った。
二人は話し合うと、次の
(……仕掛けてみましょうか)
これ以上は考えても憶測の域を超えない。ならば、直接聞けばいい。そうでなくとも、揺さぶりを掛けよう。
関係を築いたばかりなら論外だが、現在はある程度の信頼関係を築けている。
それは主観的な自分の思い込みでなく、客観的な事実だ。
女性、愛嬌が良い、元気がある、そして何よりも──
それが自分なのだから。
「それにしても、驚きました!」
「驚いたって、何がだ?」
「何がって、ベル様の強さにですよ! リリが居ない間にベル様はとても強くなられているのですから、驚くに決まっています!」
即断即行。
次の目的地に移動する最中、リリルカはさり気なくを装って仕掛けた。普段通り、雇用主の二歩後ろを歩いているので彼女の表情が見られることはない。
表情というものはとても厄介だとリリルカは思っている。多かれ少なかれ、自分が抱いている感情が表情として反映されてしまうからだ。このポジションは最適の位置だろう。
リリルカの言葉に、ベルが返事をしたのは数秒が経った頃だった。
「強い、か……。どうだろう、強くなりたいと思って精進はしているが……私はまだまだ弱いさ」
「ふふっ、ご謙遜を。ベル様が強くなければ、他の下級冒険者は
「……時々思うが、リリってかなり毒舌だよネ」
しまった、とリリルカは思った。慌てて「そんな事ないですよ!」と否定する。
引かれてしまったのは失策だ。すぐに雰囲気を纏い直し、より柔らかいものにする。
「
「そうか?」
「はい、そうです! ましてやリリはサポーターで戦えませんから、このパーティは実質、戦力として数えられるのはベル様だけです。つまりベル様は
リリルカが、そう、声高に力説すると。
ベルは足を止めてリリルカに向き合い「それは違う」と否定した。
えっ、と言葉に詰まるリリルカに、彼は首を横に振る。
「それは違うぞ、リリ。私が戦えるのは君が居るからだ。君という仲間が居なければ、私はまともに戦えないよ」
「ご、ご謙遜を──」
「いいや、謙遜ではない。私はあくまでも事実だけを言っている。謙遜しているのは、寧ろ君の方だ」
台詞を遮られ、リリルカはベルにそう言われた。
目線を合わせ、ベルは
リリルカはその眩い輝きからそっと目を逸らす。そんな彼女に、ベルはさらに言葉を投げ掛けた。
「リリ、君は強い。私よりも、ずっとずっとな」
「……そんな事、ありませんよ。ベル様と違って才能が無いリリは、一人で満足に戦うことすら出来ません」
「才能、か……。君は私に才能があると、そう思うか?」
その質問に、リリルカは考えるよりも早く頷いた。それはそうだろう、と思考が不随して追い付く。
彼女から見れば、目の前の少年は──『才能の塊』だ。
本心から頷くリリルカを見て、だが何故か、ベルは苦笑した。そして衝撃的なことを言う。
「私に才能があるように見えるのなら、それは大きな勘違いだよ、リリ」
「勘違い、ですか……?」
「ああ、勘違いだ。少なくとも、君が思い描くような天賦の才は、私にはない。そのうち
それはどういう事か、とリリルカは気になって仕方がなかった。しかしその前にベルが歩き始めたので、タイミングを見失ってしまった。
(もし、この人の言葉が本当だとして……。天賦の才がこの人にはなくて、凡人だとして……。なら、それを自覚しているこの人は、どうして強くなろうとするのでしょう……?)
──努力は無意味だと分かっている筈なのに。
いいや、それよりも。
リリルカは前を歩くベルの背中をじっと見詰めた。
(どうしてこの人は、『英雄』になりたいのでしょう……?)
今までは気にならなかった、少年の
荒唐無稽、無知蒙昧だと陰で思っていた、少年の
その