さあ──『喜劇』を始めよう!   作:Sakiru

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早朝、酒場の前での一幕

 

 むにゅんとした柔らかい感覚。

 まるで極上の抱き枕を思わせる感触。

 ベル・クラネルは(てん)にも昇る心地で長い睫毛(まつげ)を震わせ、深紅(ルベライト)の瞳をゆっくりと開いた。

 

「……ふっ」 

 

 無垢な少年はぱちくりと(まばた)きをし、一瞬の後には普段の軽薄な、胡散臭(うさんくさ)そうな笑みを浮かべた。

 上半身を起こそうとして──苦笑。目を下に落とせば、そこには敬愛している愛しい女神が自分をがっちりと拘束(ロック)していた。

 世の男共がこの光景を視界に収めれば、彼等は例外なく役得な少年に殺意と嫉妬の眼差しを送るだろう。そしてベルはそれに(おび)えるような玉ではないため、むしろ、得意気にドヤ顔を浮かべるだろう。

 

「【ファミリア】の今後を考えれば団員は少しでも多く増やしたいところではあるが……」

 

 構成員が増えれば(おの)ずと【ヘスティア・ファミリア】は発展するだろう。この素晴らしい()の女神に(つか)えようと思うだろう。そして等級(ランク)が上がり、迷宮都市(オラリオ)に居る冒険者や市民からの認知度も高くなるだろう。

 しかし、急激な発展は身を(ほろ)ぼすことをベルは知っていた。団員が増えるということは、それ即ち、誰かが死ぬ可能性が増えるということでもある。

 だが──と、ベルは(よだれ)を垂らしむにゅむにゅと幸福な表情を浮かべている主神を見て思った。

 

「もう暫くは一人で大丈夫か」

 

「うぅーん……や、やめろぅー……ジャガ丸くんが……ジャガ丸くんがぁー……!」

 

「さて、私も二度寝するとしよう」

 

 床に落ちていた毛布を何とか摑み、掛けてから、ベルは再び夢の世界に誘われた。

 ──数刻後。

 有明(ありあけ)の月が澄んだ青空に微かに存在を(あらわ)にしている。太陽が昇り、新たな一日の訪れを(しら)せていた。

 ベルは外套(がいとう)羽織(はお)り、万が一の非常時に備え、長剣を帯剣して西のメインストリートを散歩していた。バックパックやレッグホルスター、回復薬(ポーション)など、ダンジョンに必要な物は本拠(ホーム)に置いてきている。

 主神(ヘスティア)は今日もアルバイト生活をし、汗水を流しているだろう。

 普段ならこの時間、ベルもダンジョンに向かっているところだ。朝のこの時間帯は冒険者が比較的少なく、稼ぎ時なのである。

 だがしかし、今日は一週間に一度の休息日。これはベルとヘスティアが協議した末に決められた。

 ──『おいおい、毎日ダンジョンに行くつもりかい? どこぞの戦闘狂(バーサーカー)じゃあるまいし、休日くらいは用意しようぜ!』とは炉の女神(ヘスティア)の御言葉である。

 ヘスティアのその発言は間違っていない。連日ダンジョンに潜って身体を酷使しても意味はない。それでは良い【経験値(エクセリア)】は得られないし、魔物が巣食う地下迷宮(ダンジョン)で過ごすとかなり疲弊する。それは『上層』だろうが『深層』だろうが何一つとして変わらない。何故なら、ダンジョンは異常事態(イレギュラー)に満ち溢れているのだから。

 

「ふわぁ〜……しまった、もう少し惰眠(だみん)(むさぼ)れば良かったか」

 

 大きな欠伸を零しながら、舗装(ほそう)された石畳の上を歩く。

 西のメインストリートは市民街である。労働者が居住しているこの区画を冒険者が訪れることはあまりなく、彼等は(もっぱ)ら北西のメインストリート──『冒険者通り』に足を運びがちだ。暇さえあれば彼等は『冒険者通り』に足を向け、ギルド本部に赴き冒険者依頼(クエスト)が貼られている掲示板を見たり、あるいは、回復薬(ポーション)精神力回復薬(マインド・ポーション)の購入をしたり、武具屋の硝子(ガラス)棚から武器を眺めたり、道具屋(アイテムショップ)で店主と値切り交渉をしている。

 ベルはそれが嫌いなわけではないが、彼がこれまで過ごしてきた環境が、自然と足を市民街へ誘う。

 

「……ッ!」 

 

 足を止め、ベルはばっと振り返った。しかし、そこには誰も居ない。視線を右往左往、上下に動かすが、そこには何人も居なかった。

 奇怪な行動を取った只人に奇異の眼差しが送られる。

 

「気の所為か……? いや、だがしかし──」

 

 ──誰かに()られていた? 他人が聞いたら自意識過剰だと呆れるだろう、そんなベルの疑惑は、しかし、時間の経過とともに肥大化していった。

 

「……ッ! やはり間違いない。いったい誰だ?」

 

 変人だと眺めていた住民達が己の生活に戻っていく中、ベルは(あご)に手を当てて考え込む。

 

「……ああ、嫌な視線だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。さらに、悪意が微塵もないのも(たち)が悪い。可愛い女子(おなご)からだったら喜ぶ私であるが、これは遠慮したいものだ」

 

 瞳を閉じ、視線を探り当てる。何処から注がれているのか、その者が何処に居るのか。

 そして、ベルはおもむろに目を開けると。

 

「うん、分かんない。私が一流の冒険者──その道の達人なら違ったのだろうが、生憎、私にそのような(わざ)はないからネ」

 

 これ以上気にするのはよそうと結論に至った。

 時間を浪費するばかりであるからだ。

 

「不快なものではあるが、悪意はない。ならば、放っておこう。私達が出会う、その時まで」

 

 ──しかし、(きょう)が冷めてしまった。今日はもう散歩は中止しようとベルは思案する。

 教会に戻ろうと帰路につこうとした、その時だった。

 

「あの……」

 

「うわっと!?」

 

 驚きの声を出し、ベルはたたらを踏みながらも何とか反転、元凶に振り向いた。

 

「ご、ごめんなさい……驚かせるつもりはなかったんですけど……」

 

 そう言って気まずそうに頭を下げたのは、一人のヒューマンの少女だった。光沢のない薄鈍色(うすにびいろ)は後頭部で団子状で纏められている。同色の瞳は純真そのものといった具合で可愛らしい。白く、柔軟な肌は朝日に照らされとても輝いていた。

 そんな美しい彼女が身に纏っているのは酒場の制服だった。白いブラウスに膝下まで丈のある若葉色のジャンパースカート。さらにその上にはサロンエプロン。

 

「きみは……彼処の酒場のウェイトレスか?」

 

 そう言ってベルが指をさしたのは、カフェテラス付きの酒場だった。夜に繁盛する酒場は、基本的には、日が出ている時間帯は営業していない。事実、酒場の出入口には『準備中』という文字が共通語(コイネー)()られていた。

 ベルの確認に少女は笑顔で頷いた。

 

「はい! 貴方の仰る通り、私は彼処のお店──『豊穣(ほうじょう)女主人(おんなしゅじん)』で働かせて頂いています」

 

「そうか……おっと、名乗るのが遅れてしまった。すまない。私の名前はベル・クラネル。今はまだ無名の冒険者だ。貴女の真名を尋ねても?」

 

「シル・フローヴァと申します」

 

 どうか宜しくお願いしますとシルは笑みを湛えた。

 

「シル……素敵な名前だ。可愛らしい貴女にとても似合っている。そんな貴女を名前で呼んでも構わないだろうかッ」

 

「は、はい……それは全然構いません。お客様からも呼ばれていますから。えっと……私は何と呼べば良いですか?」

 

「出来れば『ベル』と! もちろん、無理強いはしませんが名前で呼んで頂けると嬉しいです。主に、この私がッ!」

 

「分かりました。それでは『ベルさん』と」

 

「ええ、それでお願いします!」

 

 いやー、昨日に引き続き私は女子(おなご)との出会いに恵まれているな! と喜ぶ少年に、シルは呆けてから、即座に営業スマイルで対応した。

 それは彼女が酒場で働くうえで身に付けた処世術である。困ったら取り敢えず笑みを浮かべる。これだけで人生大抵のことは何とかなると彼女は知っていた。

 しかしその完璧な笑みも、次の瞬間には罅が入ることになる。

 

「お嬢さん、仕事は放り出して今日は私とデートをしませんか?」

 

「あはは……お誘いありがとうございます。でももしそんなことをしたら私、解雇されちゃいますから」

 

「なんと! それは残念だ!」

 

「ええ、また今度誘って下さいね」

 

 シルは建前を使い、若干、ベルから距離をとった。

 この時になってようやく、彼女は『どうしよう……変な人に声を掛けちゃったかな……?』と軽く後悔を覚え始めていた。

 酒場で勤めている関係上、ナンパされたことはある。しかし彼等は飲酒をしており、言わば、酒に()まれていた状態だ。また、酒場という雰囲気がそれを容易にさせているし、一種の『娯楽』とも言える。

 だがしかし、まさか朝の大通りでいっそ清々しいくらいにナンパをしてくる輩が居るとは……こんな経験は一度もない。

 

(でも……こんな純真そうな子供が……) 

 

 処女雪を思わせる白髪は陽の光を反射し、角度によっては白銀にも映る。

 身体全体の線は細く、身長も並のヒューマンくらいか。

 歳は……幾つだろうか。例えば小人族(パルゥム)は子供から大人に歳を重ねても姿形はあまり変わらないし、長寿種族のエルフはその美貌を保ったままだ。

 しかし、『神の恩恵(ファルナ)』を刻まれた冒険者は例外である。『昇格(ランクアップ)』を果たした彼等は不老不死である神に近付き、老化の進行がレベルを重ねるにつれ遅くなるのだ。より厳密には、その者の最盛期の時代が長くなるのだが。

 目の前の可愛らしい顔立ち、その人相はまるで兎人(ヒュームバニー)だと一部の女性からは魅力に映るだろう。シルもそれは同感だ。

 だがしかし、彼が浮かべている笑み。ただ口を曲げているだけなのにも関わらず、そこからは軽薄さ……いや、胡散臭さを感じる。そしてそれは少年の魅力を帳消しにする程だ。

 

(悪い人じゃないとは思うんだけど……)

 

 悪人だったら私が気付くよりも前に他のみんなが動いてくれるだろうし……とシルはちらりと酒場を一瞥した。

 同僚は営業の準備を行っている。ちらちらと時折こちらを見ているが、それは純粋な興味だと分かった。

 そしてこの時も、シルが観察していることに気付いている筈なのに、少年は笑みを携え続けている。

 誰かに見られるということをされたら、多かれ少なかれ、何らかの反応を示すものだ。

 事実シルが話し掛ける前、ベルは()()()()の送り主を探していた。

 だがしかし、今の彼は何もしていない。いっそ、気付いていないのではと思う程、自然な状態を貫いている。

 

「ところで、貴女は何の用があって私に声を掛けたのだ? 美男子の私に一目惚れしたわけではなさそうだが……」

 

 自分で自分のことを『美男子』と言う人は初めて見た……とシルは思いながらも、纏い直した笑みで対応する。握っていた右手を開き、彼に見せた。

 

「これは……小さいが『魔石』か?」

 

 それは小さな欠片ではあったが、正しく魔物から獲得出来る『魔石』だった。半透明な紫紺(しこん)の砕片が太陽の光に反射する。

 

「先程ベルさんが不審な行為をしていた時に落とされましたよ?」

 

 言いながら、シルはベルに手渡した。

 

「かふっ……(めん)と向かって『不審な行為』と(ひょう)されると中々心に来るものがあるな……。──ありがとう、シル。大事な稼ぎを失うところだった。実は昨日、ギルドの換金所で換金するのをうっかり忘れてしまってな」

 

 ギルド本部での騒ぎが原因である。尤も、完全に自業自得なのだが。換金を忘れたと気付いたのは本拠(ホーム)に着き、暫くしてからであった。

 そして腰の調革(ベルト)に括り付けている、地味な色の巾着袋をベルは取り出す。村で住んでいた時から使っているそれは所々小さな穴があった。

 

「これは昔祖父が私に贈ってくれたものでな。見ての通りボロボロだが、愛着があるので手放せずにいるのだ。この小ささだ、落ちてしまうのも道理だろう」

 

「お役に立てたようで嬉しいです」

 

「ああ、全くその通りだ。貴女のおかげで私は九死に一生を得て、無惨に餓死に陥ることを防げた。つまり、貴女は命の恩人だと言える」

 

「ふふっ……ベルさんったら、そんな、大袈裟ですよ」

 

 女子(おなご)はくすくすと笑う。そんな彼女を見守りながら、ベルは妙案を思い付いたように声を上げる。

 

「そうだ、お礼と言っては何だが、今晩は貴女の職場で夕餉を戴こう」

 

「まあ! そんな……良いんですか?」

 

 売上が伸びる! そんな思いを巧妙に隠しながら、シルは申し訳なさそうに尋ねた。

 

「無論だ。生憎私が所属している派閥は零細【ファミリア】であるから多くは注文(オーダー)出来ないが、その代わり、我が主神も連れて行こう。これで少しは貢献出来ると良いのだが……」

 

「充分です! ミアお母さんもきっと喜んでくれます! お二人分の席、用意しておきますね!」

 

「ああ、頼む。美味しいご飯を楽しみにしていよう!」

 

「──シル。そろそろ戻ってきて下さい。ミア母さんが怒ります」

 

 話し掛けたのは薄緑色の髪を持つエルフの女性だった。

 その浮世離れした妖精の美貌に、ベルはいつものように思わずナンパをしようとして……すんでのところで思い留まった。

 

(危ない危ない……昨日、あのドワーフに勝るとも劣らないエルフに返り討ちされたばかりだ。あれは痛かった。それはもう痛かった。具体的には転げ回るくらいには。目の前の彼女も、もしかしたらそうかもしれない。うん、今回は自重しよう)

 

 昨日のギルド本部での公開私刑はすっかりとベルの黒歴史になっていた。

 元よりエルフは、同胞若しくは自分が認めた者以外が自分の身体に触れることを極端に嫌っている。

 それは『古代』から『神時代(しんじだい)』と時代が進んでも変わらない。多くのエルフは森に住み、外界と関わりを持とうとしない。

 そしてベルの咄嗟(とっさ)の判断は正しかった。ベル・クラネルは己の破滅を回避したのだ。

 

「リュー、すぐに行くね。それじゃあベルさん、私はお店に──ベルさん? どうかしましたか?」

 

 突然押し黙ったベルに、シルは体調を崩したのかと尋ねた。というのも、それ程までに彼の顔は死んでいたからである。

 

「……ああ、何でもない。何でもないんだ……だからどうか詮索はしないでくれ」

 

「え、ええ……」

 

「それじゃあ、私ももう行こう。シル、そして名も知らぬ美しいエルフよ。今宵(こよい)の夕餉を楽しみにしている」

 

「は、はい。待ってますね」

 

 ベルは最後に一度笑うと、別れを告げ、都市の中心部に向かっていった。

 まるで嵐のような男子(おのこ)を二人のウェイトレスは見送り、店内からの「お前達! 好い加減戻ってきな!」というお叱りの言葉に、彼女等は笑い合ってから素直に指令に従った。

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