さあ──『喜劇』を始めよう!   作:Sakiru

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予感

 

 管理機関(ギルド)の歴史は長い。

 その起源は、迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオが出来る前、否、神々が降臨する前の時代──『古代(こだい)』にまで遡る。

 名称こそ違うが、ギルドの役割を担う組織はあり、現代に至るまで引き継がれているのだ。

 ギルドが迷宮都市(オラリオ)の運営者であり、支配者たる要因となっているのが正にこれであり、この組織は長きの間人類に貢献してきた。

 そして、迷宮都市(めいきゅうとし)北西のメインストリート──通称、冒険者通りに、ギルド本部は建っている。

 大神殿の最上階、重厚な(かし)の扉の前に、ハーフエルフのギルド職員──エイナ・チュールは立っていた。

 

(いつ来ても緊張するなぁ……)

 

 胸中でエイナは、毎度ながらに同じ感想を抱いてしまう。

 はあ、と思わず溜息が(こぼ)れそうになる。

 右手首に着けている腕時計を確認すると、丁度、約束の時間を指した所だった。数秒待ってから、扉を三回ノックする。するとすぐに、

 

「入れ」

 

 という、野太い声が出される。

 声のトーンからして、発声主は機嫌が悪そうだった。うわぁ、最悪だ……と思いつつ、エイナは「失礼致します」と言ってから、両開きの扉を静かに開けて入室した。

 部屋の中は『(ぜい)』の限りを尽くしていた。壁一面にはとてつもなく大きな本棚があり、ぎっしりと分厚い本が並べられている。様々な亜人族(デミ・ヒューマン)の文字が背表紙に書かれており、部屋主の頭の良さを匂わせていた──基本、自分の種族の文字と、世界各国の標準語である共通語(コイネー)の二つしか、この世界の住人は習得していない──。その他にも、豪奢な絨毯(じゅうたん)(つぼ)や絵画など、部屋の至る所に調度品が置かれている。贅沢好きな神々であっても、この一室に張り合うのは難しいだろう。出来るのはほんのひと握り、バベル上階の神々の領域(プライベートルーム)に住居を構えている神々だけだ。

 普段よりも姿勢を正しながら、そして、足音を立てぬよう細心の注意を払いながら、エイナはこの部屋の主の元へ足を運んだ。

 

「四十二秒の遅刻だぞ、エイナ・チュール」

 

 その人物は会って早々、エイナに嫌味を言った。エイナよりも明るい緑色の瞳が細められる。

 長く細い尖った特徴的な耳はエイナに酷似しているが、その伸びは彼女よりも長い。それは、純血種であるエルフだという事を表していた。

 しかし逆に言えば、この特徴的な耳がなければ、彼を『エルフ』だと見抜く事は難しいだろう。

『エルフ』という亜人族(デミ・ヒューマン)は、基本的には容姿端麗である。

 だが、彼に『容姿端麗(ようしたんれい)』という言葉はお世辞にも相応しくなかった。

 通常職員よりも遥かに質の良いスーツを押し上げるのは、腹の肉だ。横腹のある体型は控え目に言っても『肉付きが良い』とは言えず、短い両足両腕、弛みきっている顎も相まって『(オーク)』──とある受付嬢が命名したとされる──である。

 典型的な豪遊貴族だなと、彼の事を何も知らない者が見たら、そのような感想を抱くだろう。

 しかしながら、それは、大きな間違いである。

 彼の真名(まな)は──ロイマン・マルディール。

 彼こそが、迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオの最終決定権を持つ──ギルド長であった。

 

「貴様が浪費した四十二秒。この時間に私は資料を読む事が出来た。これが迷宮都市(オラリオ)の大きな損害に繋がったら、貴様はどのように責任を取るつもりだ?」

 

「……」

 

「何か言ったらどうだ、エイナ・チュール?」

 

 エイナは言い返したかった。

 時間丁度で入室したら文句を言うだろうがとか、そんな事を言われても困るとか、そう、言いたかった。

 

「申し訳ございませんでした。以後、気を付けます」

 

「ふんっ、気を付けるだけで直るとは思えんがな!」

 

「……ッ!」

 

 イラッ。

 エイナは、自分のこめかみに青筋がくっきりと浮かぶのを感じ取った。

 以前はこれしきの事では何も思わなかったのだが、最近、どうにも自分は沸点が低くなっている気がする。これも、自分の担当冒険者の所為だろう。そうに違いない。

 とはいえ幸いにも、深々と頭を下げているおかげで露見する事はなかった。

 数秒、謝罪の意を示す為に最敬礼を取っていると「もう良い、顔を上げろ!」と怒声が飛ぶ。

 言われた通りに指示に従うと、エイナは、表情を歪めているロイマンと目が合った。

 

「何だ? その目は? 不服そうだな?」

 

 目が合っただけで口撃される、この理不尽さ。

 エイナは、もし自分が純血腫のエルフなら違うのだろうかと、そのような妄想をする。

 エイナ・チュールはハーフエルフだ。

 ヒューマンの父と、エルフの母が結ばれてこの世に生を受けた。

 尊敬している両親は、種族という垣根を越えて愛を(はぐく)み、そして、エイナという娘を産んだ。

 最近はそうでもないが、昔、それこそ『古代』では『ハーフ』は『半端者(はんぱもの)』と言われていた。

『半端者』──この世界の最大の蔑称の一つとされている。

 それというのも、昔は現代以上に種族という『壁』があった。神々が下界に居ぬ時代、『古代』に於いて、人類が滅亡の危機に瀕した理由の一つがこれであると、とある歴史家は評している。

 つまり、モンスターという『絶対悪』を前にしても、広義的にみれば同じ人類である筈の彼等は、中々、手を取り合おうとしなかったのである。それは己の種族への矜恃(きょうじ)であったり、他種族への侮りや蔑みであったり、あるいは、価値観の相違であったりする。事実、大国や小国、村など、多くの人々が死んでいる。

 超越存在(デウスデア)である神々が降臨し『神時代(しんじだい)』に突入してからは『半端者』は禁句の一つとして数えられるようになり、街中でこの言葉を聞くことは激減した。

 とはいえ、口には出さないだけで、心中で思っている者は一定数──否、大勢居ると、エイナは思っている。

 それは、彼等がふとした拍子に見せる嘲りの表情や、視線から感じ取る事が出来るのだ。

 そして恐らく、目の前の純血種(ロイマン)もまた、その一人だろう。

 だがしかし、ロイマンはその見た目とは裏腹に非常に優秀だ。エイナもまた優秀な成績で学区を卒業し、狭き門を通ってギルドに入職したが、ロイマン・マルディールはその比ではない。

 それは、彼のギルド長の勤務歴にあるだろう。

 ──百年。

 彼は一世紀に渡って、ギルド職員として都市の発展、ひいては、人類に貢献してきたのだ。長寿種族であるエルフだからこそ、このような芸当が出来たと言えよう。

 ロイマンは、同族であるエルフからは『ギルドの豚』だと唾棄(だき)されている。これは、エルフらしからぬ醜悪な見た目や、種族の誇りを捨てたからだと言われている。自分の種族への誇りがどの亜人族(デミ・ヒューマン)よりも強いエルフにとって、今のロイマンは一族の印象を下げる汚点でしかないのだ。

 とはいえ、エイナとしてはあまりそうは思わない。少なくとも、『汚点』などと思える筈もない。

 彼もまた、『英雄候補』の一人なのだ。

 現に、都市を代表する第一級冒険者達は緊急事態の際はギルド長の指示に従っている。『悪』が跋扈(ばっこ)した『暗黒期(あんこくき)』では、()の【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナと連携、協力していたという記録も残っている。そして、エルフの絶対的崇拝対象である王族(ハイエルフ)もまた、一定の敬意は持っているようで、ロイマンの見た目や言動には思う所があっても、公に言及していない。

 何よりも、厳格で公平な──ギルドの『真の主』たる迷宮都市(オラリオ)の創設神が、百年という長きに(わた)って、ロイマンをギルド長に選任している理由がない。

 ──とはいえ。

 それは、傍観者だから抱く出来るものであり、このように、当事者になると話は些か変わってくるのだが。

 

「また時間を浪費した。──本題に入ろう」

 

 ロイマンは表情を少し変えると──不機嫌そうなのは変わっていないが──そのように話を切り出した。

 エイナとしても助かるので、無言で相槌を返す。

 

「話というのは、あの小僧──ベル・クラネルへの『特例措置』についてだ」

 

 来た、とエイナは表情を引き締めたものに変えた。

 今日、何故エイナが執政室に呼ばれたのか。エイナのような組織の末端が首長と話すという事は滅多にない。

 だからこそ、彼女は獣人の班長に通達された時、真っ先に一つのことを考えた。

 そして、それは正解だったようだ。

 

「女神ヘスティアと管理機関(我々)が契約した『特例措置』。それについて書かれている。貴様はこれをベル・クラネルに渡せ」

 

 言いながら、ギルド長は一通の白い封書を執務机の上に置いた。

 視線で促され、エイナは丁重にそれを受け取る。

 封書にはギルドの封蝋が施されており、ロイマン・アルディールの署名と捺印がされていた。

 ──『特例措置』。

 それが、管理機関(ギルド)と【ヘスティア・ファミリア】が結んでいる契約だ。

 それは、冒険者ベル・クラネルの情報を全て非公開にするという内容。

 通常、冒険者登録された『冒険者』はギルドの管轄の元、情報が公開される。この開示される情報は、氏名、所属派閥、階位、種族、性別等といった、他者に露呈しても問題ない範囲の内容だ。

 だが、先日の怪物祭(モンスターフィリア)の際に起きた『モンスター脱走事件』。

 この事件に巻き込まれた冒険者ベル・クラネルは脱走した銀の野猿(シルバーバック)と戦闘、見事撃破し、民間人を守り抜き、事件の鎮静化に貢献した。

 不思議な事に、ベル・クラネルを除けば被害者は居なかったが、被害者たる彼は昏睡状態に陥ってしまった。幸い、都市最高位の治療師(ヒーラー)である【戦場の聖女(デア・セイント)】が担当となった為に死には至らなかったが、主催者たる管理機関(ギルド)及び【ガネーシャ・ファミリア】が謝罪をするのは当然の事だった。

 その謝罪を受け取ったのは主神であるヘスティアだった。自由奔放、自分勝手な神が多い中、彼女は珍しく善性の持ち主であった。

 だからこそ彼女は、眷族()が巻き込まれてしまった事を大いに嘆いたし、主催者に怒りを抱いた。しかしながら、彼女は『怒る』だけで、彼等に『恨み』を持つ事はせず、眷族(ベル)の意思を汲んで謝罪を受け取り、二度とこのような出来事が起こらないように言った。

 そして最後に、ヘスティアはギルドへ一つの要望──否、命令をしてきたのである。

 それこそが上記の『特例措置』である。ギルド長はその条件として、ベル・クラネルは昇格(ランクアップ)するまでの間、月に一回、背中に刻まれた【ステイタス】をギルド長へ報告する義務を課した。

 

「承知致しました。必ずクラネル氏に渡します。渡した後、報告は必要でしょうか」

 

「必要ない」

 

 ロイマンは短くそう言うと、執務机の書類に目を落とした。

 どうやら、話は終わったようだった。

 先程の彼の言葉は間違いではない。ギルド長の仕事量は他の職員よりも遥かに多く、山のように積まれている紙の束がそれを証明している。

 そこでエイナは、ふと、疑問を持った。

 

(どうして、ギルド長がわざわざ私にこれを?)

 

 何も、多忙極めるギルド長が時間を作る必要はない筈だ。エイナの上司から、エイナに渡すよう指示を出せば良い。

 そうすればロイマンも、毛嫌いしているエイナと顔を合わせる必要がなくなり、もっと穏やかな気持ちでいられるだろう。ただでさえ彼はオラリオの神達から玩具(おもちゃ)のように扱われ、精神的ストレスを毎日のように抱えているのだ。

『特例措置』という、例外中の例外のこれを思えば分からなくはないが……どうにも腑に落ちない。

 だがしかし、自分にそれを確かめる事は出来ない。組織の末端でしかないエイナにとって、上層部の決定──ましてや、最高権力者たるギルド長の指示に従う事は絶対である。

 

「それではギルド長、失礼致します」

 

 一応挨拶をしてから、エイナは退室しようと扉に向かった。

 

「待て」

 

 しかし、最後に一礼しようとしたタイミングで、声が掛けられる。

 まだ話があったのか、これはまた怒られるパターンかとエイナが身構える中、ロイマンは顔を書類から上げることなく言った。

 

「貴様の冒険者だが、問題行動が多過ぎる」

 

「も、申し訳ございません!」

 

 ロイマンは「全く」と露骨に溜息を吐くと、さらに毒を吐く。

 

「元から荒くれ者が多い奴等だ、問題行動を起こすのは仕方がない。だが、この小僧はなんだ、えぇ?」

 

 言いながら、ロイマンは数枚の羊皮紙をエイナに見せる。

 それは間違いなく、エイナが数日前に書いた始末書だった。残業し、苦心して書いた当時の出来事が脳裏に()ぎる。

 

「事ある毎に騒動を起こす。ギルド本部で起こした騒動だけでも、両の手では既に足らん」

 

「申し訳ございません! 私も常々注意しているのですが……」

 

「黙れ、貴様の言い分など聞いていない。担当アドバイザーである貴様の監督不行き届きだとは思わないのか?」

 

「うっ……」

 

「さらには、厳格に取り締まる側である貴様も、これを見た限りでは何回か騒動を大きくしているようではないか、えぇ? ギルド職員として恥ずべきだと思わないのか?」

 

 エイナは何も言い返せなかった。それは当然の事だ。ロイマンが言っているのは全て事実であり、反論の余地などないからだ。

 頭を深く下げ、今度は心から最敬礼する彼女に、ロイマンは露骨に溜息を吐いた。

 

「これでは、何の為に我々が女神ヘスティアの命令に従い、『特例措置』を取っているか分からんではないか」

 

「はい、仰る通りです」

 

 正論という、ロイマンの口撃が続く。

 あと数歩歩けば執務室から出られるが、部屋主の許可を得ずにそうすれば、どうなるのかは目に見えている。

 故に、エイナは頭を下げるしかなかった。

 

「ただでさえ、ここ数ヶ月の間に様々な事が起こっているのだ。貴様もそれは知っているだろう。我々ギルドはその対応に追われているのだぞ」

 

 疲れたように、ロイマンは溜息を吐いた。

 オラリオでは、『モンスター脱走事件』が。都市外では、王国(ラキア)が軍の整備をしているという報告も上がっている。

 

「近日中には神会(デナトゥス)が開かれる。それに間に合わせるようにしてか、『冒険』をして昇格(ランクアップ)する冒険者どもが後を絶たない。ただでさえその対応で忙しいというのに、最近は一部の【ファミリア】が騒動を起こしている。それに怯えた民間人からも苦情(クレーム)が大量に流れ込んでくるわ……全く、これだから冒険者どもは……」

 

「……」

 

「さらに、つい数日前には、ダンジョン8階層の一部地帯が崩落したと、下級冒険者が報告してきた」

 

「……ッ!」

 

「どうした、これは先日の会議で議題に上がっただろう。まさか忘れている訳ではあるまいな?」

 

「い、いえ!」と、エイナは慌てて首を横に振った。

 ロイマンは目を細め「まあ、良い」と言うと、話を再開する。

 

「とはいえ、知っての通り、ダンジョンには再生機能がある。我々ギルドが依頼し、【ガネーシャ・ファミリア】が派遣した冒険者が到着した時には殆どが既に元通りだ。『犯人』にどのような目的があったのかは分かっていないが、そこで『戦闘』があったのは明白。如何なる異常事態(イレギュラー)が起ころうとも、上層のモンスターが破壊するのは不可能、我々ギルドは此処で派閥抗争が起こったと仮定している」

 

「全く、困ったものだ。【ロキ・ファミリア】が猛牛(ミノタウロス)を取り逃した事もあって、最近は下級冒険者達が煩くて仕方がない」という、ロイマンのボヤきを、エイナは表情を崩すことなく聞き流した。

 冷や汗が流れていないか心配で仕方なかったが、ロイマンの反応を見る限りでは大丈夫のようだ。

 

「貴様の担当冒険者はどうにも巻き込まれ体質(トラブルメーカー)のようだ。注意を促しておけ。小僧の攻略階層がどの程度かは知らないが、上層での『事件』だ、関係ない話ではないだろう」

 

「は、はいっ!」

 

 エイナはそう返事をしてから、一つ気になった。

 そして逡巡してから、「あ、あの」と恐る恐る尋ねる。

 

「ギルド長、クラネル氏に何か思う所があるのですか?」

 

「何? それはどういう意味だ?」

 

「す、すみません! ただ、随分とクラネル氏を慮る様子でしたので……」

 

「ある訳ないだろう。仮にあったとしても、貴様にそれを教えると思うか?」

 

「い、いえっ!」

 

「ならば、早く仕事に戻れ。封書を渡すのと、警告するのを忘れるな」

 

 最後に釘を刺すと、ロイマンは閉口した。それから二度とエイナには目をくれず、物凄い速度で羽根ペンを動かし、資料を捌き始めていく。

 エイナは一礼してから、今度こそ執務室を出た。分厚い樫の扉を静かに閉め、充分に離れた所で息を吐き出す。

 

(つ、疲れた……)

 

 エイナはつくづくそう思った。今のたった数分の出来事が彼女に齎した精神的ダメージはとても大きく、真面目な性格な彼女であっても、仕事場に戻りたくないと思わせる程だった。

 しかしながら、帰るのが遅くなれば同僚達に迷惑が掛かる。エイナは少しだけ歩く速度を平生よりも落としながら、自分の持ち場に戻る。

 

(ベル君が巻き込まれ体質(トラブルメーカー)、か……。ヘスティア様も以前仰っていたけど、本当にその通りだよね……)

 

 すれ違った職員に会釈しながら、エイナは考える。

 

(まさかギルド長も、8階層の出来事すらも、ベル君が関わっているとは思わないだろうなぁ……)

 

 先程ロイマンが口にしていた、8階層での異常事態(イレギュラー)。その事をエイナは、どのギルド職員よりも知っていた。

 何せ、それには自分の担当冒険者が大きく関わっていたからだ。

 数日前、女神ヘスティアがエイナの元へ訪ねてきた。そして彼女は言ったのだ、ベルが『謎の冒険者』の襲撃にあったという出来事を。

 その話を聞いた時、エイナは思わず「それは本当ですか!?」と、失礼ながら、ヘスティアに聞き返してしまった。すぐに、眷族(こども)の事を強く想っている主神(おや)が嘘を吐く理由がないと気付いて謝罪をしたが、それだけの衝撃だったのだ。

 我を取り戻したエイナに、ヘスティアは、ギルドが『犯人』を調査する事は可能なのかと尋ねた。そしてエイナは、『否』と口にした。

 無論エイナとて、そう言いたくてそのように言った訳では断じてない。

 出来の悪い、しかし、可愛いと思っている弟分が大怪我をさせられたのだ、ギルド職員としては失格だが、許せる筈もなかった。

 しかしながら、ギルドが調査するのは現実的に考えて不可能だった。

 まず一つに、広大な迷宮都市(オラリオ)からたった一人を探し当てるのは難しい、という事。せめて特徴があれば話はまた変わってくるが、その襲撃者は徹底して自身の身を秘匿していたらしい。ベルを余裕で相手出来る、という点を加味すれば上級冒険者の可能性もあるが、冒険者ベル・クラネルのレベルはLv.1であり、彼が敵わない相手は星の数ほど居る。

 

(せめて地上なら、私も少しは役に立てたんだけどな……)

 

 だがそれ以上に、ベルの襲われた場所が悪かった。都市の市街ならギルドも重い腰を上げるだろうが、彼が襲われた場所はダンジョン。

 ダンジョンは地上の目が届かない無法地帯である。つまりこれは、『殺人』が起きる可能性があることを示唆している事に他ならない。

 ロイマンもボヤいていたが、冒険者は荒くれ者が多い。まともな冒険者など全然居ない。すれ違った時に肩がぶつかったから殴る、何となく自分が気に入らないから殴るなど、彼等は些細な事で喧嘩をする。要注意人物一覧(ブラックリスト)に載ることを恐れて市民には手を出さないが、彼等は同業者が相手なら遠慮なく喧嘩を売り、そして上等だと言わんばかりにそれを買う。

 その『喧嘩』がダンジョンでの『殺し合い』になり、やがて、最終的には【ファミリア】の『抗争』へと行き着くのだ。

 管理機関(ギルド)は都市上での出来事には関与するが、逆に言えば、それ以外での出来事にはあまり関与しない。

 これを逆手に取り、冒険者は度々ダンジョンで『殺し合い』をするのだ。モンスターという共通の脅威が巣食うダンジョンでの『殺し合い』は、下手したら、彼等が『モンスター』とも言えるだろう。

 そう言った事情を伝えると、ヘスティアは引き下がった。一応、被害届を出す事は出来るのでそうするのかとエイナが尋ねても、彼女は断った。

 その理由が、エイナには分かる。ただでさえ、冒険者ベル・クラネルは良くも悪くも注目を浴びているのだ。『モンスター脱走事件』が起こってから数週間が経ち、彼の噂は下級冒険者の間で広まっている。『特例措置』の真偽を確かめる為、暇な神達はギルド本部へ足を運び、【ヘスティア・ファミリア】を探っているし、腕が立つ『情報屋』は既に何らかの情報を掴んでいるかもしれない。

 もしこの状況で、ベルが事件にまた巻き込まれたと知られたら、彼は神の玩具(おもちゃ)となるだろう。ヘスティアはそれを少しでも回避しようとしているのだ。

 とはいえ、これも時間の問題だろう。驚異的な速度で成長し、攻略階層を順調過ぎるほどに増やしている名も無き少年(ベル・クラネル)が台頭するのは、そう、遠くない。

『英雄』に憧れ、そうなれるように邁進(まいしん)している彼が、そのようになるのは仕方がない事だ。避けては通れない道だろう。現に、迷宮都市を代表する第一級冒険者達──『英雄候補』達もまた、自身の真名()をそのようにして轟かせてきた。

 

(でもベル君には──【ヘスティア・ファミリア】にはまだ、その土台が整っていない)

 

 いくつもの『過程』をすっ飛ばして、ベルは飛躍している。まるで死に急いでいるように。

 ヘスティアは少しでも『その時』が来るのを遅らせているのだ。たとえそれが微々たるものであったとしても。

 そしてそれは、エイナも同様だ。

 だからエイナは、本来なら報告すべき事をしていない。自分は何も知らないと装い、無関係であると演技している。

 公正で()らなければならないギルド職員がこのような姿勢をとっている事が周囲にバレたら、その時は重たい罰が彼女に科せられるだろう。

 

(もしそうなったら、その時は【ヘスティア・ファミリア】に入団しようかな?)

 

 第二の人生(セカンド・ライフ)を妄想しつつ、エイナは事務室に戻る。

 此処はいわばギルド職員の休憩室。無論、休息する為の専用の部屋が用意されているが、ギルド職員は忙しい。休憩中に助っ人に入る事は珍しくなく、いつでも入れるようにと、この事務室が休憩室のような扱いをされていた。

 同僚達に挨拶をしながら、エイナは自身の机に向かった。椅子に腰掛け、大きく伸びをする。

 

「チュール。少し早いが、昼休憩に入れ。一時間後、現場に行くんだ」

 

「承知致しました。しかし、良いのですか?」

 

「ああ。ギルド長の相手は疲れただろう、その状態で冒険者や神の対応をするのは大変だ。この一時間で体力を戻しておくように」

 

 犬人(シアンスロープ)の上司はそう言うと、事務室をあとにした。恐らく、エイナが抜けた穴を埋めるのだろう。エイナは上司に深く感謝した。

 

「エイナ・チュール、戻ってきていますか?」

 

 お昼の準備をしていると、聞き馴染みのある声が事務室に響いた。

 学区から付き合いのある、親友兼同僚のミィシャ・フロットはエイナと目が合うと駆け寄ってきた。エイナが用件を問うと、彼女は言葉を砕けたものにして言った。

 

「エイナ、ベル君が来ているよ。大事な話があるって」

 

「大事な話……?」

 

「うん、ベル君、とても真剣な顔をしていた。だからエイナ、早く行ってあげて──」

 

 そこでミィシャは、エイナが今正に昼休憩に入ろうとしている事に気付いたようだった。「ご、ごめん」と、慌てて口を閉ざす。

 

「ベル君には面談用ボックスで待っているように伝えるね」

 

 そう言って事務室を出ようとするミィシャを、

 

「ううん、私、行くよ」

 

 と、エイナは言って引き留めた。

「えっ」と顔を振り向かせるミィシャに、エイナは言う。

 

「私もベル君には用があったから、ちょうど良いかなって」

 

「エイナ、ついさっきまでギルド長の所に行っていたんでしょ!? 大丈夫? 無理してない?」

 

「うん、大丈夫だよミィシャ。そんな事よりも、ベル君の方が心配だから」

 

「で、でもっ!」

 

 ミィシャがそう叫んだ時には、エイナは必要な物を持って既に事務室を出ていた。

 廊下を早足で渡りながら、先程のミィシャの言葉を振り返る。

 

(ベル君が、真剣な顔をしていた。『何か』あったんだ)

 

 いつもは朗らかに笑い、見ているこっちもつい釣られて笑ってしまう少年が。

 そんな彼が真剣な表情を浮かべていると、友人は言ったのだ。

 エイナは表情を引き締めると、自分の担当冒険者の元へ急ぐのだった。

 

章題とは別に各話にサブタイトルは? (例:『1話』→『始まり』)

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