大型級モンスター──オーク。太く丸まった体型をしているこのモンスターは、その見た目通り動き自体は遅い。ベルがこれまでに戦ってきた
(まずは攻撃を回避! そこから反撃する!)
白髪紅眼の
彼我の体格差は一目瞭然だった。しかし、ベルは約三
『ぶるぐぁぁぁぁぁ……!』
白兎のその不遜な態度を、オークは不快に感じた。暗褐色の瞳の輝きをより強くして異質な呻き声を上げながら、右腕を振り被り、そのまま殴りかかった。
被弾すれば致命傷とまでは行かなくとも、それなりの負傷をする事は明確。しかしながら、ベルにとってその攻撃はあまりにも遅いものだった。
「ふっ」
黒衣の剣士は右に軽くステップをする事で華麗に
黒閃が走った次の瞬間、オークの身体から大量の血が噴出する。絶叫を上げるモンスター。
(浅い……!)
ベルは
「ベル様、もう一体がすぐそこまで近付いています! 次で確実に仕留めて下さい!」
サポーターからの戦況報告と、指示が飛ぶ。
ベルにとってリリルカ・アーデというサポーターは非常に頼りになる存在だった。非戦闘員である彼女は戦況を見渡せる位置に常におり、その都度、必要事項を報告してくれる。
それはつまり、これまでベル一人で行ってきた負担を減らす事に繋がる。結果、ベルは余分な事を考えずに済み、戦闘に集中する事が出来ていた。
そして、ベルは迷うことなく指示通りに動く。上へ振り上げていた剣を、今度は下に振り下ろした。先程の攻撃で体皮は抉られている為、そこに更なる一撃を加える。
ベルの愛剣《プロシード》は今度こそ『魔石』を
一息つきたいところだったが、状況がそれを許さなかった。『靄』の中から、茶色の肌を持つ巨体がのっそりと現れる。
「うげっ!」
オークの姿を認め、ベルは思わず顔を顰めた。
姿形は全く同じだったが、今回のオークには先程と違う点が一つあった。先程のオークが素手だった事に対して、
──『
通常、モンスターは武器を持たない。武器を持つ事は冒険者の『特権』であり、モンスターは生まれ付き持つ牙や爪といったもので攻撃をする。
神々が降臨する前の『古代』、人類がモンスターを撃退する事が出来た理由の一つがこれだった。本能で生きるモンスターとは違い、人類には理性があり、知恵があった。他者と協力し、武具を製造し、怪物に少しでも対抗出来るように成長していったのだ。
しかしながら、その『特権』は10階層から無くなる。
冒険者の進行を止める一手として、母なるダンジョンが我が子であるモンスターに『力』を授ける。その『力』こそが
例えば10階層の『
「武装したモンスターか。流石の私も戦った事はないな!」
武装、と言っても冒険者が扱う物と比べたら性能は遥かに劣る。しかしながら、このダンジョンの
視野を妨げる、『
「ベル様、来ますよ!」
リリルカの声が鋭く飛んでくる。ベルは目の前の敵に意識を向けると、攻撃に備えた。
『ぶるぅぅっっ……!』
豚のような鳴き声を上げながら、オークは棍棒を最上段から振り下ろした。
その必殺の一撃を、ベルは左にステップして回避する。先程の戦闘と同じように回避しようと──して、ゾクリ、と。
「ぶるぅぅ……!?」
棍棒という武器を持ったオークの一撃は子兎の脳天に直撃する事はなく、そのまま空振りとなる。オークは驚愕の声を上げ、慌てて止めようとするも、全体重を乗せた攻撃を途中で静止する事は出来なかった。結果、棍棒はそのまま地面に当たる事となる。
ズドン! という衝突音と共に、地面に亀裂が走る。それは周囲を巻き込み、霧を切り裂き、草木がぱらぱらと舞った。
(危なかった……!)
額から頬に一滴の冷や汗が流れる。
もしベルが先程と同じようなステップをしていたら、衝撃波に巻き込まれて少なくない傷を負っていただろう。
自分の直感を信じて良かったと思いながら、ベルは反撃に出た。自慢の『敏捷』で瞬きのうちに敵に肉薄し、斬撃を見舞う。
『ぶるぅぅぁああッ!?』
止まない斬撃の数々に、オークは悲鳴を上げた。
「せあああああああッ!」
空気に溶けてゆくそれを見届け、ベルは一息つこうとするも、
「ベル様、増援です! 今度は三体! 足音から察するに、恐らくは三体ともオークです!」
サポーターの報告によって、中断される。意識を向ければ、確かに、リリルカの言う通りだった。地響きが徐々に近付いてくる。
恐らくはオークの上げた悲鳴を、近くに居た同種が聞き付けたのだろう。
剣に付着した血を振り払うと、ベルは
「一番近いのは真正面! その次が二時、最後に十時の方向です!」
「分かった!」
リリルカの言葉に返事をしてから、ベルは霧の中に飛び込んだ。海を思わせる『靄』を、サポーターの言葉通りに進む。
滑空するように前進する事数秒、茶色の肌が視界に入った。足音を立てぬよう注意しながら、ベルはオークの背面に回り込み、跳躍する。背中に担いでいた剣を、首筋目掛けて真横に振った。
『ぶるぅぅあああああああ……!?』
首を切断され、豚頭が地面に落ちる。切断面からは大量の血が飛び出た。ジャンプしていたベルはそれを回避する事が出来ず、その返り血を浴びてしまう。ヘスティアに怒られるなあ、と思いつつ着地した。
そして、体勢を整えようとした、その時。
「……ッ!?」
ブンッ! と霧を裂いて、大剣がベルの顔面に迫っていた。
それが直撃する寸前、冒険者は【ステイタス】にものを言わせて上半身を逸らすことで回避する。前髪の毛先がぱらぱらと数本切られ、ベルはぶわっと全身の産毛から冷や汗を出した。
もし瞬間的判断が出来ずに直撃していたら、今頃は天界に昇っている頃だろう。決して油断していた訳ではなかったが、ベルは気を引き締められる思いだった。
『靄』というダンジョン・ギミックの厄介さを痛感する剣士を見下すように、オークが嗤いながら姿を見せる。左手に握られているのは、今まさにベルの生命を刈り取ろうとした無骨な大剣だった。
(あれも『
そのように奥歯を噛み締めていると、さらにもう一個、ベルの頭上に影が差した。
もう一体のオークが、遂に合流したのだ。タチの悪いことにこのオークも無骨な棍棒を装備している。
一対二の状態に、ベルはどうしたものかと迷う。このまま戦闘を続行しても良いが、一度体制を立て直すべきか。
「リリ、どうする!?」
相談をしようと、ベルは後ろを振り返った。しかしながら、ナップサックを背負った小柄な少女は見えない。先程まではぎりぎり視認出来る距離に居たが、
気配は感じ取れるので、リリルカの所在はある程度分かるものの、安否までは分からない。
一度合流すべきだとベルは判断し、後退しようとするも。
「リリは無事です、ベル様! それよりも目の前のオークに集中して下さい!」
霧の海を掻き分けたリリルカの言葉によって、足を止めてしまう。そんなベルに、更なる声が飛んでくる。
「本当に大丈夫なのか!?」
「ベル様、リリは
全ての能力が平均的で器用貧乏なヒューマンとは違い、
(だがしかし、私から見えないのではあまり意味がない。
ベルは葛藤する。
しかしながら、自分の中で答えを出す前に「ベル様!?」と、仲間の悲鳴じみた声が出された。
思考を中断しハッと我に返ると、大剣を持ったオークが攻撃の予備動作に移っていた。
『ぶるぅぅ……!』
オークは緩慢な動作ながらも腰を捻り──大剣を横に振った。
薙ぎ払い。
ベルは咄嗟に《プロシード》を構え、その一撃を真正面から受け止める。途轍もない衝撃が剣から全身に伝わり、渋面を作る。身体はやや後退し、草木にはその跡がくっきりと残った。
だが、敵の攻撃はそこで終わりではなかった。
『ぶるぁああああああああ──ッッ!』
獣声と共に、棍棒が振り下ろされる。まるで連携を取っているかのような、絶妙なタイミング。
回避は間に合わないと即断し、ベルはそれをパリィした。《プロシード》の刀身を、棍棒が滑る。すぐ隣に棍棒は落ち、衝突音と共に地面が割れた。
(反撃をするなら、今しかない!)
ベルは眦を決すると、防御から攻撃に転換した。棍棒を持ったオーク、その
『ぐるぁあ!?』
突如として目の前に現れた子兎に、オークは驚愕の声を上げた。慌てて迎撃しようとするも、その時には既に、ベルは間合いに入っていた。
下段から中段──左下から右上へ逆袈裟斬りを行い、そのまま巨体の背面へ回る。無防備なその背中向けて、剣士は渾身の一突きを放った。贅肉を抉り、そのまま『魔石』を穿つ。
大剣使いのオークは前方の棍棒使いのオークを巻き込み、倒れ込みながら絶命した。
巻き込まれた棍棒使いオークはそのまま前に倒れ、ズドン! と盛大な音を立てながら、うつ伏せとなる。手に持っている棍棒を闇雲に振るうも、それがベルに当たる事はなかった。
「うおおおおおおおお!」
ベルはオークの巨体に乗ると、そのまま連続攻撃を仕掛けた。そして最後に豚頭の後頭部を斬り、息の根を止める。
勝利の余韻に浸りたい身体を理性で抑えつつ、ベルは三百六十度辺りを見渡した。しかしながら、仲間の少女は見えない。先程まで感じ取れていた気配も薄くなり、朧気なものになっている。それだけ物理的距離が離れてしまったのだろうか。
「リリ! 無事か!?」
付近に居るであろうモンスターに聞こえる事を覚悟しつつ、ベルは声を張り上げた。耳を澄まし、少女の声を聞き漏らさないようにする。
ところが、返答は来なかった。
「リリ! 聞こえるなら、返事をしてくれ!」
声が嗄れるのも厭わずに、ベルは必死に呼び掛けた。嫌な汗を背筋に流しながら、ベルは微かな気配を頼りに動き始める。
だがどれだけ走っても、ベルはリリルカと合流出来なかった。両者の【ステイタス】を考えれば、とっくに合流出来ていないと可笑しいのに。
そして、それが出来ていないのには、明らかな理由があった。
「……ッ! そこを通してくれ!」
一つ。大声を出しながら動き回るベルを、モンスターが感知して襲いかかってきた事。その度にベルは足を止めざるを得ず、戦闘を始めなければならなかった。
(リリも動いているから、中々合流出来ない!)
さらに、もう一つ。それはリリルカもまた、ベルと同様に動いているという事。
合流出来ると思った時にはモンスターが襲い掛かり、その戦闘中にもリリルカは移動している。『靄』がなければ最短で仲間の元に駆け付けられるというのに、この霧の海がベルを邪魔して思うようにいかない。
まるで、そこに何者かの『意思』があるかのように。
「──邪魔だッ!」
霧の中から現れたモンスターを、一撃で屠る。
膝から倒れるオークの横を通り抜けながら、ベルは思考を巡らした。
(こちらの呼び掛けには、一切の反応がない。モンスターに襲われたのなら悲鳴が一つあっても良い筈だが、それもない。一人の所を、あの冒険者達に襲われたか?)
脳裏に浮かぶのは、自分に声を掛けてきた一人の冒険者。
大剣使いの男はベルに、リリルカ・アーデに騙され、復讐を企てていると言っていた。その復讐劇に、リリルカは登壇している──そこまで考え、ベルはそれは違うと却下した。
(恐らくは、徒党を組んでリリに接近する筈。だがこの
確証はないものの、この広大過ぎる
一度冷静になるべきかと、ベルは呼気を整えようとするも、
『グギャアアアアアアア!』
霧の中から現れたゴブリンによって、それもままならない。鋭利に発達した爪を最小限の動きで躱し、そのまま反撃に転ずる。隙を晒した敵に、
(まずいな……体力が消耗してきたか……)
霧の海を走り回った所為で蓄積されつつあった疲労という毒が、徐々にベルの身体を蝕んできた。怪我は負っていないものの、回復薬をレッグホルスターから取り出して一気に呷る。回復薬は傷を癒す事が主な用途だが、少しなら体力の回復も見込められている。
「……っ!?」
空となった容器を投げ捨て、深呼吸をした時。
突如として鼻腔を襲った
(何だ、これは……!? さっきまでは無かった筈だ!)
空気と一緒に、その異臭を吸い込んでしまう。これ以上此処に居たら鼻が捻じ曲がりそうだった。
(ダンジョン・ギミックの一つか!? だがそんな事、エイナ嬢は一言も言っていなかったし、情報もなかった!)
担当アドバイザーから受けた講習を思い返すも、そのような事をあの優秀なギルド職員は言及していなかった。
まっさきに浮かんだのは──
(まずは発生源を突き止めて、この目で確認しなければ……! 本当に
ベルは目を凝らして臭いの元を探すも、『靄』の所為で思うようにいかない。
(この
そして、ようやく。
ベルは臭いの発生源を発見する。
それは生々しい血肉であった。それは見付からないように、枯木の根元にあった。ベルは膝を曲げ、それよよく観察する。
(これは確か……トラップアイテムか……?)
担当アドバイザーが講義の際に教えてくれた、
ダンジョンには数多くの
嫌な予感を覚えつつ他の枯木の根元を確認すると、そこにもまた、脂の乗った血肉が置かれていた。少し離れた場所に置かれているのを直接見て、ベルは表情を険しくした。
(
そして、この事態を引き起こせるのは──。
だがしかし、ベルが答えに辿り着く前に、
『ぶるぁああああああああああ──ッ!』
霧の向こうから、低い雄叫びが出される。それに呼応するかのように、獣声は続く。
(落ち着け……! 優先事項を見誤るな! まずは──)
しかし、ベルのその考えを嘲笑うかのように。
それまで沈黙していたダンジョンが目を覚まし、牙を向けた。
その聞き慣れた音を拾い、ベルは奥歯を噛み締めた。
亀裂音は徐々に大きくなっていき、
『ぶるぁああああああああああ──ッッ!』
ついに、壁面からモンスターが産み落とされる。ズドン! と巨体が地面に着地した音が連続する。
──『
10階層以下の階層でダンジョンが引き起こす、モンスターの大量発生。
今回の現象は厳密にはそれではないが、極めてそれに近かった。
(クソっ、どうする……!?)
冷や汗と脂汗が混ざり、ベルの全身に流れる。そして気が付けば、ベルは数体のモンスターに囲まれようとしていた。
ダンジョンが提供する
(一か八か、突貫するしかないか……!?)
塞がれようとしている空間。退路が断たれたが最後、待っているのは
この階層に出現するモンスターは、ベル・クラネルには決して敵わない。それだけ彼我の力には歴然たる差がある。それこそ『上層』の最奥部──12階層ですら、攻略は可能だ。
『古代』から『神時代』に移り、戦いの基本は『数』から『質』へと変化した。だがそれでも、『数』が『質』を凌駕する事はよくある事だった。
詰まるところ──ベル・クラネルは窮地に追いやられていた。
ベル・クラネルにとってそれは、いつもの事だった。
女神の施した『
そして覚悟を決め、ベルが地を蹴った──その時だった。
「やっぱり、貴方はその選択を取りますか」
その声と共に、暴風が吹き荒んだ。その風の刃は『靄』を切り裂き、ベルの目の前に居たモンスターを吹き飛ばした。オークの巨体がボールのように飛んで行くのを見て、ベルは呆然と立ち尽くしてしまう。
暴風が来た方向に視線を送ると、ベルは驚愕の声を上げた。
「リリ!?」
廊下へと通じる出入口に、リリルカ・アーデは立っていた。振りかぶっていた短剣を懐に入れると、彼女はベルに言った。
「流石にこの危機的状況に陥れば、貴方の絶望した顔を拝めるかと思いましたが……それはどうやら、リリの思い違いだったようですね。非常に残念です」
「リリ、大丈夫か!? 怪我はしていないのか!?」
「……ハハッ、貴方は本当に愉快ですね。ああ……全く、反吐が出そうですよ」
ベルが必死の声掛けを、リリルカは無視していた。目深に被ったフードの奥から、ベルへ視線を送る。
そして、ベルが今まで聞いた事のない底冷えた声を出した。
「言いたい事は色々とありますが──貴方とは此処でお別れです」
「ッ!? リリ、何を言って!?」
「言葉通りの意味ですよ。今までお世話になりました」
そう言って、リリルカは頭を下げた。最後にフードを外し、素顔を見せる。
そして、リリルカは唇を滑らかに動かした。
「【
その『
リリルカ・アーデは『
呆然とするベルに、リリルカは
「こういう事です。おっと、これ以上の長居は無用ですね。非力なリリではあっという間に殺されてしまいます」
そして、リリルカ・アーデは言った。
「さようなら。貴方とはもう二度と会う事はないでしょう」
その言葉を残して、
「リリ、待ってくれ! まだ話は終わっていない!」
ベルが遠ざかっていく背中に声を掛けるも、リリルカはそれを無視した。
やがて払われていた霧が再び立ち込め、『靄』となって視界を遮った。
今ならまだ間に合うとベルは追い掛けようとするも、周囲に居るモンスターがそれを許さない。まるで彼女の仲間であるかのように振る舞い、
それが、ベルにとってはただただ不快だった。
「私の邪魔をするなッ!」
ベルはそう言うと、最も近くに居るオークへ斬撃を浴びせるのだった。
章題とは別に各話にサブタイトルは? (例:『1話』→『始まり』)
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必要
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不必要