さあ──『喜劇』を始めよう!   作:Sakiru

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斯くして、時計の針は遡る Ⅰ

 

 その小人の少女がこの世界に生を受けたのは、十五年前の事だった。

 生誕した場所は、迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオ。

『世界の中心』とも『英雄の都』とも言われている、世界で最も熱い都市。

 しかしながら少女が生まれた時、迷宮都市(オラリオ)の治安は『最悪』の一言で尽きた。

 

 理由は──『三大冒険者依頼(クエスト)』の失敗。

 

 それは、普通の冒険者依頼(クエスト)とは似て非なるもの。普通の冒険者依頼(クエスト)依頼人(クライアント)が『個人』なのに対して、三大冒険者依頼の依頼人は『世界』だ。そして受注対象者は、オラリオの冒険者全員。

 依頼内容は、三体の怪物(モンスター)の討伐。

 とはいえ、そのモンスターは普通のモンスターでは断じてない。神々が降臨する前の(いにしえ)の時代から、このモンスターは生存している。今でこそ管理機関(ギルド)の創設神の『祈禱(きとう)』によって『モンスターの地上進出』は阻止されているが、神々が居ない古代の時代にそのような事が出来るはずもなく、下界には大量のモンスターが跋扈(ばっこ)していた。

 三体のモンスターはその生き残りだ。

 しかし、ここで疑問に思う者が居るだろう。

 ──何故、神時代に入ってから討伐されていないのか? と。

 人々は神々から絶大なる恩恵、『神の恩恵(ファルナ)』を授かった。文明は大きく発展し、『魔法』や『スキル』を獲得、『階位(レベル)』を昇華させる者も現われた。下界を蹂躙(じゅうりん)していた怪物は撃退され、都市外に残っているのはその子孫だけとなっている

 千年もの間、何故、その三体のモンスターだけは討伐されなかったのかと、そう疑問に思うだろう。

 答えは簡単だ。子供でも簡単に、すぐ想像出来る。

 

 ──そのモンスターが、あまりにも強かったからだ。

 

 そう、そのモンスターはあまりにも強大過ぎた。人類は何度も()の怪物に戦いを挑んだが、その(ことごと)くが返り討ちにあい、戦死した。人類の出した知恵は届かず、世界の代表者たる『英雄候補』達が束になってもまるで敵わなかった。古の時代、『大英雄』と呼ばれた猛者が挑んでも黒き獣には歯が立たなかったのだと歴史には残っている。

 その三体のモンスターの名は──陸の王者(ベヒーモス)海の覇王(リヴァイアサン)、そして、黒龍(こくりゅう)である。

 いつしか、その三体のモンスターを打倒する事が、下界全土の『悲願』となっていた。

 永久に等しい時間が流れ──遂に、力を蓄え、再び挑む者達が現れた。

 その者達は当時で最も強かった冒険者の一団だった。

【ゼウス・ファミリア】及び【ヘラ・ファミリア】。

 両派閥(ファミリア)は神時代の初期から結成されている【ファミリア】であり、都市最強派閥だった。

 最大『階位(レベル)』は女神の眷族であり、何と恐ろしい事に──Lv.9。現代の都市最強の冒険者【猛者(オッタル)】よりも、二つも上である。

 Lv.9以外にも、Lv.8やLv.7などの冒険者が多く所属していた。現代の都市最強派閥(ロキ・フレイヤファミリア)はまだその領域に達していない、というのがその時代を知る者達の評価である。

 人々の声援と測り知れない重圧を背に、彼等は戦った。

 陸の王者(ベヒーモス)を【ゼウス・ファミリア】の眷族が、海の覇王(リヴァイアサン)を【ヘラ・ファミリア】の眷族が止めを刺した。しかし二人の眷族は高い代償を払い、戦線から離脱してしまう。

 だが、人々は歓喜した。あれだけ強大で絶対的な強さを持つモンスターを、彼等は斃したのだ! と。 

 人々は期待した。彼等なら最後の一体、あの黒龍すらも斃し、下界は恒久的平和をモンスターから勝ち取るだろう! と。

 老人が、子供が、吟遊詩人が、迷宮都市(オラリオ)で残った冒険者が、精霊が、そして神々がその戦いの行く末を気にした。

 そして、無限に等しい時間が流れ、その一報は瞬く間に世界に届いた。

 

 ──【ゼウス・ファミリア】及び【ヘラ・ファミリア】全滅。黒龍討伐失敗。

 

 最初は誰もがそれを信じなかった。

 あの、いくつもの『偉業』を成し遂げ数多の『伝説』を残してきた最強集団が敗北した。その事実を信じられなかったのである。

 人々がそうだと認識させられたのは、辛うじて生き残った生存者がオラリオに帰還した時だった。

 武器は破砕し、防具は大破し原型を留めていなかった。何よりも、常に自信に満ち溢れていた表情には『闇』が付き纏い、ギラギラと輝いていた瞳にも光が一切灯っていないのが、決定打となった。

 人類は、怪物(モンスター)に敗れた。

 この事実に直面した時。

 とてもあっさりと、『希望』が『絶望』に変わった。いいや、転覆した、と表現した方が良いだろう。

 

 人々が、世界が嘆き──ここから()()()()()が始まる。

 

 始まりは、ゼウス・ヘラファミリアの迷宮都市(オラリオ)からの追放。三大冒険者依頼(クエスト)の失敗、黒龍の討伐失敗の責任を負わされたのである。責任を負わせたのは、他ならない世界だった。そしてこれに乗じる形で計略の女神(ロキ)美の女神(フレイヤ)が結託し、彼等を都市から追い出そうと動く。ゼウス・ヘラファミリアは主戦力を失っていた為、抵抗出来るだけの力が残されていなかった。本来は介入すべき、また両派閥と長い付き合いのあった管理機関(ギルド)は、しかし、『時代の変わり目』を察したのか、庇い立てする事なく黙認。

 栄華の極みから衰退の一途を辿った両派閥(ゼウス・ヘラ)は都市から姿を消した。

 ゼウス・ヘラファミリアの後釜として最強派閥に名を連ねたのが、【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】である。以降、現代まで両派閥は都市最強派閥として君臨し続ける事となる。

 だが、千年の歴史を持つゼウス・ヘラファミリアの壊滅は、想像よりも大きな影響を下界に及ぼした。

 ゼウス・ヘラファミリアはそれはもう好き勝手に振る舞っていたが、それが許されるだけの『力』を示していた。つまるところ、彼等は言わば、世界の安寧を維持する『防衛装置』の役割を担っていたのである。

 しかし、その『防衛装置』は壊れた。【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】にはそれを担えるだけの『力』がまだ備わっておらず、それを担う事は出来なかった。

 

 結果──『悪』が台頭する事に繋がった。

 

 人々の心の揺らぎを『悪』は見逃さなかった。『悲願』が打ち砕かれ絶望する民衆を嘲笑うように、あるいは、今こそだと哄笑するように、『悪』は迷宮都市(オラリオ)を覆った。

 犯罪行為を繰り返す無法者達、甘言に惑わされ『悪』に寝返る人々、遂には闇派閥(イヴィルス)という過激派集団すらも結成され、数多の邪神が暗躍した。

『悪』に立ち向かうべく『正義』が立ち上がった。

【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】を筆頭に、多くの派閥、多くの人々が『悪』を打破しようと奮起した。

 

『暗黒期』と後世で呼ばれる──『正義』と『悪』の戦いはこのようにして始まり、迷宮都市(オラリオ)ひいては下界全土を巻き込むようになった。

 

 そして、そのような混沌極まる戦乱の時代の最中、その少女──リリルカ・アーデはこの世に生を受けたのだった。

 

 

 

§

 

 

 

 リリルカ・アーデが物心を覚えたのは、三歳の頃だった。

 両親に初めて教えて貰った言葉は、

 

『金を持ってこい』

 

 という、()()だった。

 そして彼女が最初に覚えたのは、否、覚えさせられたのは物乞いの方法である。

 

「おかねを……誰か、おかねを……。おかねをください……」

 

 ()()ぎだらけでぼろ雑巾同然の服を(まとっ)て、素足で薄汚い通りの端に立ち、道行く人々に声を掛ける。頭を精一杯下げ、たどたどしくも覚えた言葉を使い、掠れた声を絞り出す。背中に『神の恩恵(ファルナ)』を授かっていなければ野垂れ死んでも可笑しくない極限の状況だ。

 赤ん坊に等しい幼い少女が小さな両手を前に出している光景を見た通行人の反応は様々だった。はなから彼女に気付いていない者、顔を(しか)める者、憐憫(れんびん)の眼差しを向ける者、嘲弄する者、気付かないふりをする者など、彼等は様々な反応を示す。

 

「おかねを……だれか……」

 

 実の両親に叩き込まれた台詞(ことば)譫言(うわごと)のように繰り返す少女は、誰がどう見ても惨めだった。

 幼い子供であっても、向けられる視線が『気持ち悪い』ものだということは分かっていた。

 しかしそれでも、彼女はその行いをやめなかった。朝に太陽が東空に昇り始める前から夜に月光が闇夜を照らし出すまで、彼女は石像のようにそこから一歩も動かず、物乞いをしていた。

 

「これ、もし良かったら……」

 

 時折、通行人が優しく声を掛けながら金貨を少女の手の中に落とす。

 リリルカはそれが『同情』だと分かっていた。そしてその中には自分への嫌悪感が多大に含まれている事も感じ取っていた。

 それが分かっていながら、彼女は。

 

「ありがとう……ございます……!」

 

 と、儚い笑みを自演しながらお礼の言葉を言った。

 するとその通行人は何かを達成したような表情を浮かべる。そして「これからも頑張って!」と言いながら少女の頭を撫でると、雑踏の中に消えていった。

 リリルカは深々と頭を下げ、見送った。自分の心が悲鳴を上げ、尊厳というものがなくなっていくのを感じ取りながら、情けなさに苦しみながら、彼女は頭を下げ続けた。

 そして彼女は数秒後、頭をゆっくりと上げると、

 

「だれかおかねをください。だれか……おかねをください……」

 

 壊れた魔道具(マジックアイテム)のように、再度、物乞いを再開した。

 一部始終を見ていた通行人の、奇異と、気味悪がっている視線を浴びながら、少女は延々とそれを続ける。

 

「かえろう……」

 

 通行人が消え、闇が地上を支配した頃。

 ふと思い出したように、リリルカはぽつりと呟いた。

 重たい身体に鞭を打ち、引きずるようにして路上を歩く。しかしそれも長くは続かず、最後は這うようにして身体を動かし、自身の(ホーム)に向かった。

 程なくして、彼女の家──【ソーマ・ファミリア】の本拠(ホーム)が視界に映った。門番から侮蔑の視線を一身に浴びながら門を潜り、割り当てられている自分の部屋に行く。

 

「金は持ってきたか」

 

 リリルカを出迎えたのは、「お帰り」や「お疲れ」と言ったあたたかいものとは正反対の、不機嫌そうで、温度を一切感じさせない男の声だった。

 ビクッと身体を震わせながら発生源に顔を向けると、そこには、彼女と背丈があまり変わらない小人族(パルゥム)の男が居た。

 その人物は他ならない、彼女の実の父親だった。

 

「た、ただいま……」

 

「金は持ってきたか」

 

「ヒッ……!」

 

 自身の娘が帰宅したことなど至極どうでも良いように、小人族(パルゥム)の男は先程と同じ言葉を、先程よりも語尾をやや強くして言った。

 それは、家族に向けて使う言葉でも態度でもなかった。無言でリリルカを睨み、粘着質な瞳を送る。

 リリルカは目尻に涙を溜めながら、恐る恐る、両手を父親に差し出した。そこには、決して落とさぬよう大事に持っていたヴァリス金貨が何枚かあった。

 そして、

 

「チッ、これだけか……」

 

 舌打ちと共に、取られた。同時に、それまであった重みが、跡形もなく消え去る。

 

「……っ」

 

 嗚咽が洩れる。

 小人族(パルゥム)の男は「ハア」と露骨なまでに溜息を吐くと、ついさっきまでいた寝台(ベッド)に向かった。そこには小人族(パルゥム)の女──リリルカの実の母親が死んでいるかのように横になっており、父親は彼女が被っていた薄い毛布を剝ぎ取ると、それを自分に身体に被せて眠りについた。

 男は自分の娘が項垂れたまま立ち尽くしている事に興味を一切示さず、また、娘に感謝の言葉を送る事もしなかった。

 幼いリリルカはこの時ハッキリと、自分の親がどうしようもないほどの屑だという事を確信した。

 

 

 

§

 

 

 

 路上を行き交う人々に物乞いし、酒場や飲食店の裏口にあるゴミ箱から食べられる食べ物を拾い集める。

 本拠(ホーム)に居るのは寝る時だけにしようと、リリルカは徹底的に決めていた。本拠(ホーム)に居ても良いことは文字通り一つもなく、ならば、少しでも生存率を上げる為に外に出ようと考えたからだった。

 路上と本拠(ホーム)を往復する日々を通して、彼女は様々な事を学んでいった。

 一つは、本拠(ホーム)と同等かそれ以上に、外の世界は危険だという事だった。二日、もしくは三日の間隔でどこからか爆発音と悲鳴が聞こえた。あるいは、それに類似た騒動がひっきりなしに起きていた。

 リリルカは知らなかったが、この時、迷宮都市(オラリオ)は『暗黒期』の初期を迎えていた。これにより、迷宮都市(ダンジョンとし)の各地で無法者達が暴れ始めていたのである。幼い子供でしかなかった彼女が被害に遭わなかったのは運に因るものが大きいだろう。

 もう一つは、冒険者は(クズ)であるという事である。リリルカは自分の派閥(ソーマ・ファミリア)だけが屑だと当初は思っていたのだが、そんな事は全然なかった。好き勝手に振る舞い他人の迷惑を一切鑑みない彼等が、リリルカの目にはどうしようもなく屑に映った。荒くれ者が多いのは下級冒険者だけで、上級冒険者は違うという意見も聞いた事もある。だが彼女からすれば、力を持っていながら何もしないのであれば、やはりそれは同じ屑であった。何よりも、『神の恩恵(ファルナ)』を背に宿している以上、自分もその冒険者の一員だと思われる事が我慢ならなかった。

 

 そして最後に自分が属している派閥──【ソーマ・ファミリア】の事。

 

 当然ながら、【ソーマ・ファミリア】は男神(おがみ)ソーマが結成した派閥(ファミリア)である。しかしながら男神(かれ)は、【ファミリア】運営にあまり意欲を見せなかった。自身の眷族(こども)にも興味を示さない。派閥の定例会議に出席した事も片手で数えられる程しかないようで、派閥の団長に任せっきりにしている。流石に【ステイタス】の更新は行っていたが、それ以外では眷族と関わる事はせず、自身の神室に引き籠っていた。

 外に出て情報を集めるまではそれが普通だと思っていたが、それが『異常』だと気付くのにそこまでの時間は掛からなかった。年端も行かない少女が気付いたのだ、彼女以外も団員もそれには気付いている。

 なのにも関わらず、眷族の数は多い。普通なら打診するか、あるいは、転宗(コンバージョン)する道を選ぶ。しかし奇妙な事に誰もそれをしない。それどころか入団希望者はあとを絶たず、毎日のように本拠(ホーム)の門は叩かれる。

 これがリリルカには甚だ疑問だった。自分の(おや)を悪くは言いたくなかったが、男神(ソーマ)はお世辞に神格者とは言えなかった。なのに何故、彼のもとに眷族は集まるのか。

 そして実にあっさりと、その答えは見付かった。

 

 ──『()』。

 

 端的に言うならば、それだった。

 機嫌よく教えてくれた団員によれば──。

 ソーマは『月』と『酒』を司る神。そして、そんな彼が作る『酒』は『普通の酒』とは一線を画す美味なのだと、その団員は語った。

【ソーマ・ファミリア】の眷族は『ソーマが作る酒』──『神酒(ソーマ)』を求めてやまないのだと、その団員はさらに言った。危険な薬物とは違い、『神酒(ソーマ)』は人体に危害を及ぼす材料は一切使われていない。なのにも関わらず、『神酒(ソーマ)』は薬物とは比べ物にならない程の美味を誇る。これが出来るのは『酒』を司る『(ソーマ)』だからだと、その団員は興奮しながら言った。

 つまるところ、眷族の崇拝の対象は『ソーマ』ではなく『神酒(ソーマ)』だったのだ。

 その話を聞いた時、リリルカは驚きよりも困惑が勝った。幼い子供に酒の善し悪しなどを熱烈に説明されても分かる筈もなかったのだ。

 その団員はさらに言った。主神は必要最低限の派閥運営と酒造りに専念する為にこの『神酒(ソーマ)』を『賞品』にしているのだ、と。

【ファミリア】に貢献すればする程、『神酒(ソーマ)』が下賜される。両親がリリルカに再三金を集めるように言った理由はそこにあったのだ。

 何だそれは、とリリルカは思わずにはいられなかった。幼い子供であっても、自分が所属する【ファミリア】が異常なのはすぐに分かった。いや、これはもう【ファミリア】ですらないだろう。ただの烏合の衆だ。『神酒(ソーマ)』が欲しいなら皆で協力すれば良い。子供のリリルカでも思い浮かぶ事だった。だが彼等はそれをしない。他の団員に渡さぬよう、自分だけが満たされる為だけに行動する。

 それはもはやヒトではなく、ただの畜生だった。

 

 

 

§

 

 

 

 気が付けば、両親が死んでいた。

 いくら経っても部屋に戻ってこず、流石に不審に思ったリリルカが団員に聞いたところ、何でも無謀なダンジョン攻略をして呆気なく死んだらしい。

 自分の身の丈に合わない階層に挑んで死ぬのは、この業界では何も珍しくはないのだそうだ。恐怖の対象でさえあった両親のあっさり過ぎる死に、この世界はいつだって弱肉強食なのだと、リリルカは無感動に思った。

 団員が両親の死を馬鹿にしていても、両親の死を酒の肴にし盛り上がっている現場を目撃しても、リリルカは何とも思わなかった。

 両親が自分に愛情もって接してくれなかった、この事実が、彼女の感覚を壊していた。そこに悲しみはなく、ただ、現実だけがあった。

 こうして、リリルカ・アーデは天涯孤独の身となった。

 派閥の本拠(ホーム)に居ながら、彼女に居場所はなかった。最後の肉親すら無くなった彼女に、居場所などある筈もなかったのだ。

 

 

 

§

 

 

 

 空腹を覚え、何か食べる物はないかと本拠(ホーム)を彷徨っていた時だった。

 

「あ……」

 

 リリルカは目の前に現れた人物──否、神物(じんぶつ)に声を失った。

 そこには、【ソーマ・ファミリア】の主神である男神(おがみ)ソーマが居た。ボサボサに伸ばした前髪の隙間から、墨色の瞳を覗かせてリリルカを見下ろす。

 

「かみ……さま……?」

 

 纏う神威は正しく超越存在(デウスデア)のそれであったが、自身の唇から洩れたのは半信半疑の声だった。すぐに不敬を働いたと気付いたリリルカが慌てて「す、すみません!」と頭を下げるも、ソーマはただそこに無言で佇んでいた。

 暫く、無言の時間が流れた。

 耐えられなくなったリリルカはおずおずとソーマを見上げた。

 茫洋とした男神だった。ボサボサな黒髪に、白色の作業着は汚れている。不潔なリリルカとそんなに大差ない身なりだったが、この神が団員から畏れられているのは知っていた。崇拝の対象が『神酒(ソーマ)』であっても、神は神という事だろう。

 思えば、眷族(リリルカ)主神(ソーマ)とこうして対面するのは初めての事だった。団長や幹部なら話は違うが、リリルカのような下位構成員は【ステイタス】の更新時でしか会えないという規則(ルール)があった。とはいえ、主神は基本的には神室に籠っているので、それがなくても会えないと思うが。

 リリルカの栗色の瞳と、ソーマの墨色の瞳が交わる。

 

「……」

 

 やはり、ソーマは何も言わなかった。ただじっと、リリルカを見詰めている。

 一方、リリルカの視線はソーマからやや外れていた。男神が抱えている小さな紙袋、それにリリルカの目は釘付けとなっていた。袋からは油と塩の香ばしい匂いが漂っている。後になって、リリルカはそれがジャガ丸くんという揚物だと知った。

 くぅ、と腹の虫が鳴る。かあっ、と羞恥のあまり赤面するリリルカであったが、そんな彼女にソーマはゆっくりと近付いた。

 そして、

 

「……」

 

 無言で紙袋をリリルカに差し出した。

 突然の出来事に、リリルカの脳の処理が追い付かなった。一方、間抜け面を晒す彼女とは対照的にソーマの表情は微塵も変わっていなかった。

 

「頂いても、宜しいのですか……?」

 

 リリルカがおずおずと尋ねるも、返答はなかった。

 リリルカはそれを、肯定と受け取った。都合の良い解釈の可能性は充分にあったが、目の前のご馳走に我慢が出来なかった。

 紙袋から狐色の揚物を取り出し、(かじ)る。

 

「……ッ!」

 

 一口食べ、リリルカは衝撃を受ける。

 ──美味しい。

 これまでに食べてきたどんな物よりも、遥かに美味しかった。調理された料理はこんなにも化けるのかと、リリルカは震えた。

 

「あ、あの……ありがとう、ございます……」

 

 指に付着した油と塩を舐め取った後、リリルカは拙くもお礼を言った。ところが、やはり、ソーマは何も言わなかった。

 そして、ソーマはゆっくりと歩き始めた。離れていく背中を、リリルカは激しい葛藤の末に追い掛けた。

 ソーマが向かったのは、当たり前ではあるものの神室だった。ここまで来ればもはや関係ないと、リリルカは若干自棄になりながら神の領域に踏み入った。

 リリルカが落ち着きなくソワソワしていると、ソーマは小皿の上にジャガ丸くんを数個乗せると、椅子の上に置いた。

 それが自分に与えられた物だという事に、リリルカはかなりの時間を要した。その結論に至った時、ソーマは既に自分の食事を終えており、酒造りを行っていた。

 ジャガ丸くんを秒で食べ終えると、リリルカは眠気に襲われた。主神が居る前で寝るなどと、不敬にも程がある。もし団長や幹部陣に知られたら待っているのは暴力だ。せめて寝るなら自分の部屋でと思うものの、リリルカの意識は眠りの世界に誘われた。そして、閉じた瞼から一粒の透明な雫が落ちる。

 

「……」

 

 ソーマは酒造りを無言で中止すると、床で横になっている幼い子供を抱き抱えた。自身の寝台(ベッド)まで運ぶと、暖かな毛布を彼女に被せる。そしてやはり無言で一瞥すると、作業に戻る。

 程なくして、ごりごりという、乳鉢と棒を用いた植物の混和の音が奏でられ始めた。

 眠っている少女の瞼からは涙が止まらず──リリルカ・アーデはこの時初めて、他者からの愛を貰った。

 これが最初で最後の、主神からの温もりだった。

 

 

 

§

 

 

 

 年月が経ち、迷宮都市(オラリオ)は『暗黒期』の中期を迎えていた。闇派閥(イヴィルス)の活動が本格的になり、『悪』が『英雄の都』を陥落させようと悪事を働かせていた。

 リリルカ・アーデは六歳の誕生日を迎えていた。とはいえ、誰も祝ってはくれなかったが。生活は何も変わっていなかった。物乞いと物拾いに一日を費やし、食料や雀の涙ほどの金を得る。限界だと思った時だけソーマの神室に向かい、食事を恵んで貰っていた。主神(ソーマ)眷族(リリルカ)の来訪を拒絶する事はなかったが、大々的に受け入れる事もなかった。とはいえ、リリルカにとってその対応はとても有難いものだった。

 何の為に生きているのだろうかと自問自答の日々を繰り返していたある日、【ファミリア】の全団員に召集がかかった。

 主神(ソーマ)は居ない、眷族のみの集会。

 薄暗い広間の隅の席を陣取りながら、リリルカは憂鬱な気分だった。他の団員に絡まれないようにと、切に願う。

 そして、一人の男が急造の壇上に登った事で集会は開始した。

 

「よく集まってくれたな、諸君。今日から私が団長となったザニスだ。主神(ソーマ)様の代わりに、今後は私が派閥の指揮を執る」

 

 ザニスと名乗った男は、【ソーマ・ファミリア】の中では強者だった。何せ、Lv.2の上級冒険者である。つまり彼は、迷宮都市(オラリオ)に在籍している冒険者の過半数よりも強いという事だ。神々が認める程の『偉業』を、二十代前半のヒューマンの男が成し遂げたその事実に、他の団員達は畏怖の念を抱かざるを得ない。

 リリルカが嫌な予感を覚えていると、ザニスは格好付けたようにパチッと指を鳴らした。そして、団員達に空の杯が配られる。

 いったい何だと団員達が顔を見合わせる中、新団長は衝撃的な事を言った。

 

「今後、【ソーマ・ファミリア】はさらなる拡張を目指す。今の迷宮都市(オラリオ)は時期も時期だ。聞く所によると、巷では『暗黒期』等と呼ばれているそうではないか。そこで、だ。新たな入団者を交え、この時代の荒波を越えてゆこう──この『神酒(ソーマ)』は、我らが主神(ソーマ)様からの期待の証だ。これに応えるように」

 

 ザニスはにやりと嗤いながら、全団員に『神酒(ソーマ)』を与えるとそのように宣言した。これには皆、驚くしかない。そのような事はこれまで一度もなかったからだ。

 新規入団者がラッキーだと喜んでいる横で、リリルカをはじめとした、元から居た団員は知っていた。

 主神が『神酒(ソーマ)』を善意で配る事など有り得ない。まず間違いなく、これは団長が酒蔵から盗み出したものだろう。

 だが、それが分かっていながらリリルカはなみなみと『神酒(ソーマ)』が入った杯に手を伸ばしていた。下位構成員であるリリルカが『神酒(ソーマ)』を飲んだ事は一度もない。何故両親があんなにも狂っているのか、その理由を知りたいと子供ながらの好奇心が疼いていたのだ。危険だと告げてくる脳からの警戒音を無視し、どこまでも幼いリリルカは杯を手に取る。

 団員達の唇が甘く涼しい芳香に寄せられるのを見て、ザニスは醜悪に笑った。

 

「派閥の発展を願って──乾杯」

 

 音頭と共に、リリルカは一口『神酒』を呷った。

 そして、

 

「────」

 

 リリルカ・アーデはヒトから畜生に成り下がった。

 

 

 

§

 

 

 

神酒(ソーマ)』を飲んだその日から、リリルカ・アーデの生活は一変した。これまでの生活習慣であった物乞いや物拾いは完全になくなり、ソーマの部屋へ訪れる事もなくなった。

 その代わり、リリルカはダンジョンへ潜るようになった。両親の死地でもあるダンジョンへ毎日のように赴き、魔物を狩り、『魔石』を得て、ヴァリス金貨に換金する。

 

 ──飲みたい。

 ──あれが、飲みたい! 

 ──もう一度、あの美酒を! 

 

神酒(ソーマ)』を飲む為の、基準(ノルマ)新団長(ザニス)が定めたそれを達成しようと、リリルカは躍起になっていた。

 否、それはリリルカだけではない。あの極上の美酒を飲んだ全ての団員がそうだった。例外があるとすれば、それは日頃から『神酒(ソーマ)』を飲んでいた極わずかな団員達。

 

 ──もっと、もっと! もっと稼がないと! 

 

【ソーマ・ファミリア】は団長の私物と化した。『神酒(ソーマ)』という魔力に取り()かれた団員達は何も気付かず、上からの命令に疑問も持たず従う。

 全ては、あの美酒をもう一度飲む為に。少しでも団長や幹部陣に気に入られようと近付き、少しでもおこぼれも貰おうとする。

 時には、犯罪行為に手を染める事もあった。だが、管理機関(ギルド)や『都市の憲兵』は着々と力を付け始めていた闇派閥(イヴィルス)の対応に掛かりきりとなっており、もっと細かい所まで目を向ける余裕がなくなっていた。これは首謀者であるザニスの狡猾さを物語っていると言えよう。【ソーマ・ファミリア】はこうして、『表』だけでなく『裏』ともコネクションを持つようになったのだ。

 

「──はあ、はあ、はぁ……!」

 

 派閥が静かに悪事を働く一方で、リリルカのダンジョン探索はお世辞にも順調とはいえなかった。

 リリルカ・アーデの種族は小人族(パルゥム)である。背が低い小人族(パルゥム)は他の亜人族(デミ・ヒューマン)とは違い、強い『武器』を持っていなかった。これが、小人族(パルゥム)が蔑視される最大の所以である。

 事実、小人族(パルゥム)から『英雄』が誕生した例は一つしかない。

 また、種族特性に加えて──リリルカ・アーデには才能がなかった。それを、ダンジョンに初めて挑戦した時に彼女は悟った。

 だからリリルカが出来たのは、安全圏である上層でゴブリンやコボルトといった低級モンスターを倒す事だけだった。この二種類のモンスターなら、才能がない彼女でも戦えた。ひとえに、『神の恩恵(ファルナ)』があった為である。

 

「──いまっ!」

 

 リリルカの戦闘スタイルは実に単純(シンプル)だった。

 物陰で息を潜め、敵が一匹になった所を背後から奇襲する。それを延々と繰り返し、リリルカはダンジョンと向き合っていた。

 それはあまりにも効率が悪い方法だった。だが、まともに戦えない彼女には、これしか方法が残っていなかったのだ。

 幼い小人族(パルゥム)は己の無力さを呪った。

 

 だが、彼女の絶望はまだ始まってすらいなかった。

 

 限界はすぐに訪れた。

 武器の整備費、消耗品である道具(アイテム)補充と、ダンジョン探索での稼ぎを遥かに上回る出費に、リリルカは嘆くしかなかった。黒字となった日は一度もなかった。

 さらには、単独(ソロ)での慣れない戦闘。ボロボロの身体に、日に日に消耗していく精神。

 残酷なまでのハイリスク・ローリターン。

 彼女は挫折を味わった。

 主神に泣きつき【ステイタス】を更新して貰っても、上昇値は微々たるもの。微塵も変わらない数字の羅列は、リリルカの才能の無さを無慈悲に伝えてくる。

 リリルカは『冒険者』から『サポーター』への転換を余儀なくされた。

 

 そして、絶望が始まった。

 

「ま、待って下さい! 事前の話と違います!?」

 

「あ? 何だ? 文句でもあんのか?」

 

「そ、それは……!」

 

 サポーターとなったリリルカは、自派閥ではなく他派閥の冒険者と臨時パーティを組むようにしていた。自派閥の人間と組んでも、待っているのは醜い報酬の奪い合いであり、下位構成員のリリルカではまともな報酬さえ得られないと判断したからである。

 その判断は正解でもあり、同時に、間違いでもあった。

 他派閥の冒険者もまた、同じ扱いをリリルカにしたからである。彼等は小人族(パルゥム)で才能がないリリルカの事を嘲笑い、そして虐げた。

 分け前が貰えないのは当たり前であり、寧ろ貰える方が珍しい。時には覚えのない罪を非難されタダ働きを強要された。一番こたえたのは自衛用の武器や回復薬(ポーション)を奪われた事である。

 

 ──どうして、自分ばかり……。

 

 報酬だと与えられた食べかけの鳥肉をゴミ箱に捨てながら、リリルカは自問自答を繰り返した。

 何故、自分だけこのような思いをするのだろう。何故、何故、何故……。

 しかしリリルカは、それが間違いであったとすぐに気付く事になる。

 

「おらっ、さっさと歩け! モンスターと出くわすだろうが!」

 

 出された怒声に身を震わせるも、声主は臨時パーティの誰からでもなかった。発生源に視線を送れば、一つのパーティが近付いてくる。そして、すぐに原因は分かった。

 そのパーティは六人パーティだった。リリルカの目から見てもバランスの良いパーティであったが、少し離れた所に一人の虎人(ワータイガー)が居た。そして、その虎人(ワータイガー)はパーティ全員の荷物を無理やり背負わされていた。

 同族(サポーター)だと、一目見てすぐに分かった。

 

「獣人のクセして戦えないお前を雇ってやっているんだ! もっとキビキビと動け!」

 

 その罵倒に答える気力すら、虎人(ワータイガー)には残されていないようだった。ふらふらとした足取りで、パーティの後ろをついて行く。

 リリルカのパーティとそのパーティがすれ違った時、リリルカは虎人と目が合った。自分と同じように目が死んでいるのを見て、リリルカは自分だけが嫌な思いをしている訳ではないのだと悟った。

 

 小人族(パルゥム)。全種族から『ちんちくりん』だと蔑視される対象だ。

 才能が無い『サポーター』。ただの荷物持ち。代えがいくらでも効く消耗品。

 

 居てもいなくても変わらない存在。それがリリルカ・アーデなのだと、彼女は知った。

 

 

 

 

§

 

 

 

 そして、また年月は流れる。

 迷宮都市は『暗黒期』の末期を迎えていた。とうとう『悪』が『正義』を喰らおうと襲いかかって来た。『正義』は『悪』を倒そうと、【ファミリア】の垣根を越えて協力するようになりつつあった。

『大抗争』の終わりを、都市の住民は予感しつつあった。

 一方。

 ずっと蝕まんできた『神酒(ソーマ)』の魔力がようやく尽き、リリルカ・アーデは【ソーマ・ファミリア】から逃げ出す事を決めた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 リリルカ・アーデは【ソーマ・ファミリア】から逃げ出した。

 幼い子供であったリリルカにとって、世界はちっとも優しくなかった。理想を抱く事さえ許されないこの世界に、リリルカは嘆いた。

 自殺を考えなかったと言えば、それは嘘になる。だが、リリルカは『痛み』の恐怖を中途半端に知っていた。苦痛を知っていた。それ故に、死に踏み切る事が出来なかった。

 神の眷族の肩書きを捨て、無所属(フリー)の一般人に成りすましたリリルカはささやかな幸せだけを願った。

 だが、その願いさえも世界は許さなかった。

 

「お爺さん、お婆さん……ッ!?」

 

 一般人に成りすましたリリルカは、とある老夫婦が営む花屋に身を寄せていた。優しい老夫婦はリリルカを受け入れ、彼女を孫のように接した。

 リリルカは己の願いが叶ったのだと思った。これから、この老夫婦とずっと生きていこうと心に決めていた。

 しかし、その環境は無残にも破壊された。

 他でもない、【ソーマ・ファミリア】の構成員によってだ。彼等は逃げ出したリリルカを見つけ出すと、お前はこちら側の人間だと告げるかのように建物を徹底的に壊し、全てを奪っていったのだ。騒動が終わった後、リリルカは『管理機関(ギルド)』に被害届を出すもこのご時世ではよくある事だからと見向きもされなかった。

 冒険者達が邪悪に笑いながら去っていった後、リリルカは老夫婦の元へ駆け寄った。破壊され尽くした建物以上に、老夫婦は傷付いていた。すぐに治療を施さなければ後遺症が残る可能性があった。

 しかし、老夫婦は差し出されたリリルカの手を強く振り払った。

 

「え……」

 

 向けられる嫌悪と非難に、リリルカは呆然とするしかなった。

 優しかった老夫婦はそこには居なかった。居るのは、自分を睨み付ける()()()()

 嫌だ、やめてくれ、どうかその言葉を言わないでくれと心が叫ぶも、声に出す事は出来なかった。

 何故ならば、それは己の罪だからだ。自分の弱さで、赤の他人を巻き込んだのだ。ならば、それを受け止めるしかない。

 

「──お前なんかと会わなければ良かった」

 

 この日、リリルカ・アーデの『何か』が壊れた。

 

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