それは、運命的なものではなかった。それは、打算によるものだった。しかしそれすらも必然的に辿る道筋だったの言うのなら、それは、『運命』以外の何物でもないだろう。
ベル・クラネルという『冒険者』は、リリルカ・アーデをはじめとする『サポーター』にとって理想的な雇用主だったと言える。
まず、報酬をきちんと払う事。『サポーター』への偏見や差別意識を、
だがしかし、ベルは全く違った。それが当然であるかのように、彼は何も
次に、『サポーター』への理解が極めて高いという事。『冒険者』には『冒険者』の領域があるように、『サポーター』には『サポーター』の領域がある。その境界線をベルは熟知しているかのようだった。あるいは、その姿勢を見せた。パーティを結成した時、初めに話し合ったのはそこである。そこで互いの考え方や意向を擦り合わせ、あとは実際に行ってみてまた話し合う。それを何度も組み合わせ、『役割』を確立していく。そうする事で、パーティの練度は格段に上がる。
他にも、ベルは『サポーター』にとっての理想を体現してみせた。
そう、ベル・クラネルはビジネスパートナーとしては最高だった。
──
リリルカはベルの事が嫌いだった。
否、『嫌い』という表現は適切ではないだろう。
リリルカはベルの事が『苦手』だったのだ。
何か嫌な事をされた訳ではない。寧ろダンジョン探索中、彼に助けられた事は数知れず。
普段のふざけた言動から誤解しがちだが、ベルは冷静な思考の持ち主だ。リスクを常に考えるリリルカとの相性は抜群だった。
だがしかし、リリルカはベルの事が苦手だった。
いつからか、と問われればリリルカはこのよう即答する。
そう、リリルカはベルと初めて言葉を交わした時から、彼の事が苦手だった。そしてそれは日を重ねるごとに強くなり、苦手意識として根付いた。
底なしに明るく、常に浮かべているその笑みが。
ふざけた言動をして周囲を呆れさせ、しかし最後には笑いに変えるその魅力が。
常人とは比較にすらならない圧倒的な速度で飛躍する、その『才能』が。
自分のような『
その姿が。
その、
リリルカ・アーデを狂わせる。
ベル・クラネルはあまりにも眩しかった。まるで
羨望の眼差しを何度向けたか分からない。
何度嫉妬したのか分からない。
だが、それ以上に気に入らないのが──『英雄』への憧れ。
出会った時からベルは常々言っていた。『英雄』になりたいのだと。その為に『
それが、リリルカの癇に障る。
それが、リリルカの逆鱗に触れる。
『
『英雄』などこの世界にはどこにも居ない。
だって、そうだろう。もし本当に『英雄』が居るのなら。
あの日、虐げられていた自分を救ってくれた筈だ。『
『暗黒期』を終わらせた『英雄候補』達もそうだ。彼等は確かに無辜の民は救ったかもしれないが、その根底にある問題を解決しなかった。解決出来なかった、とも言える。
もしあの時彼等がこの問題に向き合っていたら、自分達の境遇は大きく変わっていただろうに。実際『悪』に堕ちた者の中にはそういった事情を抱えている者が大半だった。
『真性の悪』はほんとに極わずかで、殆どはそうせざるを得なかった彼等なりの事情があった。だと言うのに、『正義』はそれをまるで考慮しない。
一度『悪』に堕ちたのなら、過程はどうであれ『悪』なのだと勝手に決め付ける。そして『暴力』をもって解決した。
そういった人間を、リリルカは何度も目にしてきた。
今なら、
自分達は切り捨てられた『一』なのだ。『九十九』に選ばれなかった、『一』。大勢を救う為に選ばれた『生贄』が、自分達なのだ。
──私は『英雄』になりたい。
街を歩いている時、ダンジョン探索を行っている時、ベルは事ある
それに適当に同調しながらも、リリルカは、本当にいつか『英雄』とやらになりそうだとも思っていた。
もしも、『英雄』の定義を『
何度でも言おう。ベル・クラネルはあまりにも異常だった。たった二ヶ月程で『基本アビリティ』の数値が【A】や【B】に至るなど、そのような前例は一度もない。あの【
曲がりなりにも『サポーター』として
だと言うのに、何故か、少年の自己評価は低いようだった。
リリルカが褒める度にベルは苦笑いして、そんな事はないさ、と口にする。調子に乗ることはあれどそれは『演技』に過ぎず、本当の意味で調子に乗ったり慢心したりする姿を、リリルカは一度たりとて見た事がない。
──君が思い描くような
その言葉を聞いた時、訳が分からなかった。
だって、そうだろう。
ベル・クラネルは誰の目から見ても『才能の塊』だ。だと言うのに何故、そのように言うのか。
謙遜している? いいや、そんな風には見えなかった。
あれは、心の底からそう思っているから出てきた言葉だった。少なくともリリルカの瞳には、そのように映った。
そもそも『鍍金』とは何だろうか。その意味がリリルカにはさっぱり分からない。
そのように『違和感』を抱きながら、リリルカはベルとパーティを組んで行った。
そしてふと、このままこの人とパーティを組むのか、と考えた事がある。
しかしその考えを、リリルカは鼻で笑って切り捨てた。
長期契約こそ結んでいるが、それはベルがLv.1だからだ。リリルカの方が現場をよく知っているから、まだサポート出来ている部分があるに過ぎない。そのうち自分の手助けなど『余計な行動』になるだろう。あるいはそうではなくとも、ベルがLv.2に『
話でしか聞いた事はないが、『中層』は『上層』とはまるで違う、文字通りの別世界だと聞く。モンスターとの
そのうちベルの方からパーティ解消を言ってくるだろう。
だがそれに何とも言えない複雑な感情が芽生えかけている事に、この時のリリルカは気付いていなかった。
そして──パーティ解消は前触れなく訪れた。
気紛れに寄った『
だがとある街娘との会話で疲れていたリリルカはそれを気の所為だと判断してしまった。その結果、自ら敵を案内してしまっていたのだ。間抜けだと自分で思う。
「やっと見付けたぜ、この糞
武器を首筋に突き付け、冒険者達は一様に殺気をリリルカへ向けていた。
突然の事に何がなんだかさっぱり分からなかったリリルカだったが、すぐに冷静さを取り戻すと事態の把握につとめる。
「……」
冒険者達の顔には、どこか覚えがあった。それもその筈、彼等は以前、リリルカがパーティを組んでいた相手だった。正当な報酬を支払わなかった為、彼等の武具やヴァリス金貨を盗んだのだ。
「よう、探したぜ。この、薄汚い
そう言ってニヤリと笑う、大男。彼を見て、リリルカは全て腑に落ちた。
彼には変身魔法【シンダー・エラ】を解呪する場面を見られており、リリルカ・アーデの正体を知られていた。どうやら彼は被害者達を集め、自分に報復しないのかと話を持ち掛けたようだった。
自分を三百六十度包囲する冒険者達。絶体絶命のピンチである事は誰の目にも明らかだった。鼠一匹すら通さないと、圧力を掛けてくる。リリルカもそれは重々承知していたが、気が付けば、口角が上がっていた。
「おい、何を笑っていやがる。この状況が分かっているのか?」
「ふふっ、いえ、失礼致しました。まさかこんなにも大勢の方を巻き込むとはな、と思いまして」
リリルカに戦闘能力は皆無だ。だと言うのに、自分を警戒するかのように武器を構えている彼等が滑稽に映ってしまい、仕方がなかった。
「それで? 皆様は何をご希望でしょうか?」
全てが面倒臭い、とリリルカは態度に出しながら尋ねる。
リリルカは逃走など一切考えていなかった。自分の最期は決定した。それなら逆らうだけ、抵抗するだけ全て無駄だ。それならば全てを受け入れて身構えていた方が遥かに良い。
「お前……ッ!」
ふてぶてしい態度を取るリリルカを見て、大男が声を荒らげる。他の冒険者も同様であり、憎しみを込めた視線を
そして、大男が大剣を振りかぶった、その時。
「落ち着いてくだせぇ、旦那。ここでこの
芝居がかった喋り方。聞き慣れた声が、リリルカの
まさかと思いつつもそちらに視線を送る。するとそこには冒険者達から一歩離れた場所で、獣人の青年が薄笑いを浮かべながら立っていた。
その顔を見て、これまで無表情だったリリルカの顔が初めて揺れ動く。
その人物を、リリルカはよく知っていた。天敵と言っても良いだろう。リリルカが顔を顰めていると、大男が青年へ詰め寄る。
「だがせっかくの機会だ。ここで報復しないで、いつ報復するんだ!」
「まあまあ、落ち着きなさいな。とはいえ、旦那の気持ちは分かりますがねぇ」
「何をケラケラと笑っていやがる。それともなんだ、まさかこの糞
しかしその獣人──【ソーマ・ファミリア】所属、カヌゥは依然として軽薄に笑っていた。そして目を細めると、冷静に指摘する。
「旦那、ここは地上ですぜ。いくら路地裏とは言え、
「それは、確かにそうだが……」
「俺も、この
カヌゥはさらに続ける。
「だが、ここは地上だ。旦那、俺の言いたい事、分かるでしょう?」
「チッ、分かったよ。ここはお前の言う通り退いてやる」
「さっすが旦那! それが賢い選択でさぁ」
「黙れ。糞
大男はそう言葉を吐き捨てると、仲間を連れて闇の中に消えていった。
カヌゥは人の気配が完全に無くなったのを確認すると、獲物を見つけた動物のようにその瞳を爛々と輝かせた。
「久しぶりだなぁ、アーデ?」
リリルカが沈黙すると、カヌゥは「おいおい、無視するなよぅ」とケラケラと笑いながら旧友に接するかのように手を軽くあげた。そしてリリルカへ近付くと、右足を少女の腹部へと振り上げる。
「──ッ!?」
腹を押さえながら
「あの大男から話を聞いた時は半信半疑だったがなぁ。まさかお前に変身魔法だなんて『魔法』があるだなんて、思いもしなかったぜ」
「……」
「奴等、
視線を合わせないリリルカへ、カヌゥはさらに続けて言った。
「団長や幹部陣は幸か不幸か
「……」
「そんな優しい俺が話を聞いてやれば、奴等はお前に報復したいと言い出しやがった。当然、俺は反対したぜ? そこは
嘘塗れの言葉を平然と事実かのように言いながら、カヌゥは邪悪な笑みを深めた。
「奴等が何をするのか、分かったもんじゃねえ。最悪刃傷沙汰になる。それは困る。俺は奴等に暫く付き合ってやる事にした。その時は怒りもじきに収まると思っていたんだが、奴等、相当頭にきてたみたいでなぁ」
「バベルの出入口に立って、血眼になって
それにリリルカが思わず眉を顰めていると、カヌゥは急に真顔になってから、言った。
「だが、奴等の『執念』は凄かった。その結果が、これだ。奴等はお前を見付けてみせた」
ダンジョンから出る所をよりによって大男が見付けたのだと、獣人の青年は忌々しげに言った。
「そうなりゃあ、あとは簡単だ。そうだろう?」
なるほど、とリリルカは腑に落ちた。ようは今の今まで尾行されていた、という事だろう。
気配に敏感なベルが気付いていなかったのは意外だったが、街はダンジョンとは違って人の気配で溢れ返っている。少年が察知出来なくとも不思議な事ではない。
「話は分かりました。それで、カヌゥ様は何をお望みになられているのですか?」
「話が早くて助かる。曲がりなりにもお前は【ソーマ・ファミリア】の一員だ。奴等がいつ
「……なるほど。つまり
その通り、とカヌゥは相槌を打つ。
「奴等は近いうち、ダンジョンの中で仕掛けるだろうさ。お前は『餌』になって引き付けろ」
「……」
「あとは俺達がやる。どうだ、簡単だろう?」
ダンジョンは無法地帯。迷宮内で起こった出来事は全て自己責任という形になる。
【ファミリア】の抗争もダンジョン内で行われる事は多い。カヌゥはそれを利用しようと言っているのだ。
つまり、ダンジョン探索中に大男を始めとした冒険者をリリルカが『餌』となって引き付ける。そしてリリルカが襲われている時に、カヌゥが偶然を装って登場する。そして、『仲間が他派閥に襲われているのを見た為、仕方なく交戦した』という大義名分を得て、カヌゥとその一味が大男達と戦闘し、リリルカは助けられるという寸法だ。
なんて下らない茶番劇なのだろう。リリルカは心から思った。
「俺達は仲間だろう。仲間がピンチなら助けてやるさ。そうだろう?」
吐き気がする程の笑みを浮かべながら、カヌゥがそう言った。
リリルカは頭の芯まで冷たく感覚になりながら、低い声音で尋ねる。
「……見返りは?」
「見返りだとぅ? おいおい、そんなもの必要はないぜぃ? 俺達は仲間だろぅ?」
「ただまぁ、お前が助けてくれたその礼にくれるって言うんなら、貰うけどなぁ」とカヌゥはわざとらしくそう言った。
そして、どこまでも見下した目で見ながら、リリルカの頭を勢いよく踏む。
「お前がこれまで奪ってきた金品、全てを寄越せ」
「……ッ!」
「当然だろう。俺達は文字通り命を賭けて
ギリッ、とリリルカは奥歯を噛み締める。これまでの半生を寄越せと言っているも同然だからだ。
あまりにも舐め
だが、それは別に良い。盗賊になり、『悪』に堕ちた時から覚悟していた事だ。
一番恐れているのは、そこではない。そんなリリルカの内心を見透かすかのように、カヌゥは言った。
「お前が随分前に身を寄せていた花屋だが……あの後、店を再開したそうだな」
ドクン、と。リリルカの心臓が大きく動いた。フードの奥で瞳を揺らす彼女へ、カヌゥはさらに続ける。
「おかしな話だよなぁ。店を再開するにしたって、その為にはある程度の資金が必要だ。爺と婆にそれだけの貯蓄があるとは思えねぇ」
それ以上何かを言う前に、リリルカは必死になって懇願していた。
「分かりました、分かりましたから! だからどうかカヌゥ様、お願いします。それだけはやめてください……!」
「ククッ、最初からそう言えば良いんだよ。これで取引は成立だ」
リリルカは悔しくて仕方がなかった。これは取引では断じてない。これは、脅迫だ。
もしリリルカが応じなければ、カヌゥは店を再開した老夫婦に襲撃するだろう。一般人に危害を与えたら
老夫婦だけではない。今この瞬間にもカヌゥはリリルカの『弱点』を探っている。心の拠り所である『ノームの万屋』に辿り着くのも時間の問題だ。
「期限は一週間。いまお前はヒューマンの餓鬼とパーティを組んでいるな?」
「……ええ、はい」
「その餓鬼をいつものように裏切るんだ。決行の合図は、俺が指定する
「……当日は、どうすれば良いのでしょうか?」
「俺が指定するポイントに来い。どうだ、馬鹿なお前でも簡単に出来る事だろう」
その命令に、リリルカは力なく頷く。
カヌゥは満足そうに嗤うと、最後に、リリルカの身体を自身の足で押し潰した。そして、苦悶の声を出すリリルカに構うことはせず闇夜に姿を眩ませる。
「ゲホッ……ゴホッ……!」
咳き込みながら立ち上がる。
口の中は、血の味がした。もったいないとは思いつつも、ローブの胸ポケットから
身体の傷が塞がり、治ったのを確認する。リリルカは緩慢とした動作で、安宿へ足を運ぶ。
──私は『英雄』になりたい。
ふと、少年のその言葉が頭の中で
──もし良かったら、リリも一緒に『英雄』にならないか。
──……『英雄』、ですか? リリが?
──ああ、そうだ。世界は『英雄』を欲している。一人よりも、二人。二人よりも、三人。もし君が同じ道を歩んでくれるのなら、これ程頼もしい事はない。
その時は丁重に断った。自分のような存在が『英雄』だなんて、なんて詰まらない愚劇なのだろうかと、そう思ったからだ。
空を仰げば、憎たらしい程の夜空が広がっている。満天の星々、そして悠然と闇夜に佇む月が恨めしい。
リリルカは昏い瞳で、無限に広がるキャンパスを見詰め続けた。
そして、リリルカはベルにパーティ解消を訴えた。
他所の
ベルは納得出来ないと顔に出しながらも、最終的には頷いてくれた。
カヌゥから言い渡された期限は一週間。その一週間のうちに、リリルカは動いた。
まずは、ボムへ別れの手紙を送った。
そして、ベル・クラネルにはせめてもの償いとして、自分の代わりとなる『サポーター』を見繕う事にした。
『冒険者』とは違い、『サポーター』にはあまり【ファミリア】の垣根はない。何故なら等しく、『サポーター』は惨めな思いをしているからだ。
何度でも言うが、ベル・クラネルはリリルカ達『サポーター』にとって最も理想的な『冒険者』だ。変身魔法を用い
しかしいつまで経っても、自ら名乗りあげる者はいなかった。すぐに誰かしら名乗り上げ、一つしかない席を取り合うとばかりに想像していた為、この展開に驚いてしまう。
そんな彼女へ、
さらに別の
あの、夢へ向かってひた走る少年と離れたくない? それを、この自分が思っていると?
何て詰まらない
そしてその狼人の言葉に、周囲の亜人族は先程の虎人と時と同じように首を縦に振ったのだった。
それなら、他を当たります。そう言って足早に立ち去ったリリルカは、コミュニティのサポーター達がにやにやと笑っているのに気が付かなかった。
それからリリルカは幾つかのコミュニティへ顔を出しては同じ提案をしたが、その返答はどこも同じだった。
そして最終的に、リリルカは諦めた。知人が自分の代わりになればと声を掛け続けたが、彼等には何故かその気が微塵もないらしい。唯一の心残りはそこだが、ベルの事だ。すぐに新しい『サポーター』を雇うだろう。その『サポーター』が優秀だと尚良いが、こればかりは『運命』とやらに願うしかなかった。
それから、リリルカはカヌゥの命令通り、指定された
リリルカはこのトラップアイテムを、ベルを罠に嵌める目的の為だけに購入した。『上層』に出現するモンスターでは、ベルの相手は務まらない。『上層の主』と言われている『インファント・ドラゴン』も含まれるだろう。
彼を裏切ったところで、すぐに追い付かれてしまう。それを回避する為、考えた策がこれだった。
すなわち、トラップアイテムを用いた『人為的な
そして、時は『
リリルカ・アーデは当初の計画通り人為的な『
「はあ……はあ……ようやく、9階層ですか……!」
これだからダンジョンは! そう叫びたい
リリルカは小さな身体を懸命に動かして、全力で走っていた。いつも背負っているナップサックはそこにはない。ダンジョン探索中にモンスターから得た『魔石』とレアドロップごと、走るのに邪魔だと道端に捨てたからだ。
頭に叩き込んだ
『グルァ……!』
だが、ここはダンジョン。
リリルカが
ゴブリンと言えど、その強さは9階層のもの。当然、
それをリリルカは知っている。それ故に、まともに戦うつもりは毛頭ない。
「邪魔ですッ!」
懐から一本の短剣を取り出し、それを勢いよく振る。
ゴブリンはせせら笑った。短剣の
しかし次の瞬間、ゴブリンは驚愕で声を上げた。何故なら気が付くと、自分の身体が宙を舞っていたからだ。
『──グルァアッ!?』
何をされたのか分からないまま、そのまま壁に激突する。骨が折れる音と共に、モンスターは絶命した。
コロン、と落ちた小さな紫紺の結晶。リリルカはそれを
(やっぱり、『魔剣』は便利です……!)
そう思いながら、抱えている短剣を見る。
この短剣は『魔剣』だった。『魔剣』は擬似的な魔法を繰り出す事が出来る優れ物であり、この『魔剣』は強力な風を生み出す事が可能だった。
ちなみにこの『魔剣』は盗品ではない。リリルカが奥の手として、ヴァリス金貨を貯めて購入したものだ。
(とはいえ、あと数回が限度でしょうか。それまで持ってくれると良いのですが)
『魔剣』は普通の武器とは違い、使用回数に制限がある。短剣の刀身には
「8階層……!」
階段を駆け登り、8階層に辿り着く。
ベルを出し抜いて裏切ったのが、11階層の最奥。そこからこの階層に辿り着くまで、多くの時間と体力を消費してしまった。
もしベルが居たらもっと短い時間で、そこまで体力を削らなかっただろう。
チリ、と脳に響く痛み。ベルの事を少しでも考えた瞬間、リリルカの身体と『魂』に傷が入る。
(大丈夫、大丈夫です……! あの人は、強い! 絶対に生きています! あの憎たらしい笑みを浮かべて、平然と生きているに違いありません!)
雑念を振り払い、前だけを見据える。その先にあるのが自身の破滅だと分かっていても、足を止める訳にはいかない。
もし、もしも万が一──無いとは思うが、ベルがリリルカの事を追って来ていたら。そして、リリルカを連れ戻そうとしていたら。
それだけは絶対に、何としてでも避けなくてはならない。未来の『英雄』に『悪』を見せてはならないと、リリルカは強迫観念に駆られていた。
「そこを退いて下さいッ! 申し訳ないですが、貴方達に構っている暇はありませんッ!」
『魔剣』と自身の唯一の得物──リトル・バリスタを駆使し、リリルカは『サポーター』とは思えない速さでダンジョンを駆け上っていく。
8階層を突破し、7階層へ。この時には既に『魔剣』は破砕しており、その役目を果たしていた。そしてここが、カヌゥが指定した階層だった。肩を息をしながら、獣人の青年が指定した
(分かっていたとはいえ、正規ルートから離れていますね)
ダンジョン探索に
そしてリリルカは、ついにそこへ辿り着いた。だだっ広い広間だ。
中心部まで進んだ所で、背後で、人の気配を感じ取る。それと同時に、殺気が飛ばされてきた。
「よくも来やがったな、この糞
リリルカが振り返ると、そこには大男をはじめとした冒険者達が立っていた。全員、殺気と共に武器を抜いている。
「カヌゥの言う通りだった。やっぱり、あいつの言う事は全て正しい」
「……?」
その奇妙な言い回しに引っ掛かりを覚え、尋ねる。
「貴方、何を仰っているのですか?」
「黙れ! その汚い口を開くな!」
大男はそう言うと、声を張り上げた。
「お前等、こいつが女だからと言って
そして、大男がリリルカへ襲い掛かる。少し時間を置いて、他の冒険者もリリルカへ迫った。
「ぁ……」
小さな悲鳴と共に、非力なリリルカは組み伏せられた。汚い地面に顔をぶつけ、砂利を被る。だがうつ伏せになる事は許されず、大きな手で顔を
「なあ、どんな気持ちだ? 騙した相手からこうして復讐される気分は!?」
「……ッ!」
「教えてくれよ、なあ! 何か言えよ、この糞
「……ッ! ……ッ!?」
骨の折れる音が鳴った。口の中が切れる感覚がした。顎の割れる音が大きく響いた。
栗色の髪は鷲掴みにされ、今にも千切れてしまいそう。
「……」
殴られ、蹴られ、また殴られ、また蹴られる。冒険者達による圧倒的な暴力が小さな身体に襲いかかってくる。
痛い、と身体が悲鳴をあげた。やめてくれ、と『魂』が泣き叫ぶ。それを、リリルカは理性を総動員して堪える。
地面には鮮血と胃液が混じった液体が広がっていた。意識が
そして、どけだけ経ったのか。数十分にも、数時間にも感じられる時間が経った頃、ようやく、暴力はやんだ。
だが、まだ彼等の復讐は終わっていない。むしろ今までのは前哨戦に過ぎない。
死体のように横たわるリリルカ。その頭上で、大男がまるで理性を失ったかのように笑声を上げる。
「こいつの身ぐるみ、全部剥げ! さぞかし貴重な武器や道具を持っているだろうさ! そしたら、あの『酒』を飲めるぞ!」
聞き捨てならない単語が、リリルカの耳に届く。その瞬間、朦朧としていた意識は一気に
「……『酒』とは、何の事を指しているのですか」
「あぁ!? 黙れ! 手前には何も関係ない事だろうが!」
そう言って、大男はリリルカの頭を強く踏み付けた。
しかしリリルカはそれに構わず、再度尋ねた。
「どうか、教えて下さい。『酒』とは何の事を指しているのですか?」
大男は「チッ」と舌を打つと答えた。
「お前も
「ま、まさか……!」
「そう、その通り! 『
その単語が、大男の口から出た時。
リリルカは思考を一瞬無くしていた。自分だけ時が止まったかのような、そんな感覚に陥る。
大男は今、確かに『
──『
その実物を見る事も、その名前も二度と聞かないと心に決めていた、自分の運命を変えたモノ。
気持ちの悪さを覚えながら、リリルカは必死になって、何故大男の口から『
しかし彼女が答えに辿り着くよりも前に、大男が自ら答えを口にした。
「正直に言うとなぁ、俺も、そしてこいつ等も、お前への復讐なんざ
「なっ!?」
「今はただ、あの極上の『酒』を! 『
大男の言葉に同調するかのように、他の冒険者が「『
やめろ、やめてくれと、リリルカは顔を強張らせる。そして、悟った。
目の前の人間全員、既に『
リリルカにはそれが分かる。分かってしまう。
何故なら彼等は、数年前の自分にそっくりだったからだ。ダラダラと
恐らく昨晩、カヌゥは『
「あいつは言ったんだよ! お前から金品を巻き上げたその時、『
「落ち着いて下さい! そんなの嘘です!」
「手前の言葉なんて聞いちゃいねえよ! さあ、お前等! 『
声を掛け続けるも、リリルカの言葉は彼等には届かなかった。
非力なリリルカはとてもあっさりと、装備を剥がされてしまう。リトル・バリスタも、道具も、回復薬も、懐中時計も、ローブも、そして、少年から盗む形となった長剣も。気が付けば、リリルカの身体は布だけの服となっていた。
「チッ! これだけしかないのか!」
大男が苛立つ。
地面に無造作に置かれた数々の装備品。そこに高価なものが一つもなかったからだ。
「待てよ、この長剣。結構な業物じゃないか?」
大男の仲間の一人が、純白の刀身を鞘から出しながらそう言った。
「あっ、でも製作者の
「いや、そんな筈がねえ! これ以外にも価値のある物がある筈だ!」
「けどよ……そんなのないぜ」
「チッ! お前、『魔剣』はどうした!? こいつのパーティから盗んだだろう!?」
リリルカは思わず、呆れた声を出した。
「そんな物……とうの昔に売り払っていますよ。何を馬鹿な事を仰っているのですか。その剣は今盗んできたものです。とはいえ、価値はあまりなさそうですが」
「それなら、売って手に入れた金はどこにある!? そもそもお前、本当に無一文じゃねえか!」
「……さて、どこにあるのでしょう」
リリルカはせせら笑うと、言った。
「もしかしたらお腹の中にあるかもしれませんね。あるいは口の中かもしれません。とはいえ、貴方達に教えるつもりはさらさらありませんが」
たちまち、大男の表情が憤怒に染まった。そして、彼が拳を振りかぶった、その時。
「待ってくだせえ、旦那」
三つある出入口、その一つから、カヌゥが姿を現した。冒険者達が顔を向ける中、カヌゥは邪悪な笑みをその顔に張り付かせて、リリルカと大男の元へ近付く。
「やけに遅かったじゃないか、カヌゥ。どこに行ってたんだよ」
「ちと、野暮用がありやしてね。それにしても……随分とやられたなぁ、アーデ?」
カヌゥは芝居がかった口調で地に伏すリリルカを見下ろすと、彼女の脇腹を横から思い切り蹴った。ドサッ、と音を立てて崩れ落ちる。
仮にも同じ
「見てくれよ、こいつ、
「……そいつは、本当ですかい?」
「ああ! 地上のどこかに隠しているとは思うんだが、全く答えやしねえ!」
「なるほど、なるほど……」
「だが、俺達はお前の指示通り動いた。約束通り『
そう訴える大男を、カヌゥは冷たい眼差しで見た。そして、深々と溜息を吐くと残念だと告げるかのように首を横に振った。
次の瞬間、獣人の青年は残忍な笑みを浮かべる。
「それじゃあ、あんたらは用済みだ」
「……? 何を言っている?」
「まだ分からないんですかい? ──ここで死ねと、そう言っているんだよ」
銀線が走った。同時に、悲鳴が上がった。
カヌゥが自身の得物で、大男の肩から胴体を斬ったのだ。
「ぐあああああああああああ!?」
ドサッ、と大男が音を立てて倒れる。地面でのたうち回りながら、カヌゥを見上げる。
「て、お前! 何をしやがる!」
「何って、決まっているでしょうがぁ。『偶然通り掛かった俺は、【ファミリア】の仲間が襲われているのを目撃した。仲間を救う為、俺は武器を手に執った』──餓鬼でも分かる物語ですぜぃ、旦那ァ?」
「こ、この野郎!? お前等、この糞獣人に──ッ!?」
大男が彼の仲間にそう指示を出し掛けた、その時。
その冒険者達の顔に、リリルカは見覚えがあった。それもその筈。彼等は全員、同じ【ソーマ・ファミリア】の構成員であり、カヌゥの一味だった。
「ぁ……! ぁ……ッ!?」
そしてようやく、大男達は自分達が置かれている状況を理解したようだった。絶望で顔を歪める彼等へ、カヌゥは無慈悲な宣告をする。
「死ね」
その合図と共に、【ソーマ・ファミリア】が大男達へ襲い掛かる。一度始まった悲鳴の連鎖は止まらず、リリルカはそれがただただ不快だった。
「俺達は数だけは多いですからねぇ……旦那達が俺達よりも強いのは知っていますが、それでも同じLv.1。流石にこの『数』には勝てないでしょう」
しかしその言葉は、泣き喚く彼等へ届いていなかった。
そして気が付けば、
「あぁ……!」
物言わぬ死体の数々を、リリルカは呆然と、
リリルカと関わったばかりに、彼等は悲惨な末路を迎える事になった。彼等が死んだ原因は、自分にある。その事実を認めた瞬間、リリルカは吐き気を催した。胃液を地面にぶちまけ、荒い呼吸を繰り返す。
「さぁて……次はお前だぜ」
獣人の男はそう言うと、しゃがみ込んでリリルカに目線を合わせた。
「こいつらが死んだのは、お前の所為だ。お前が、こいつらを死に追いやった。良かったなぁ、アーデ、
絶望に染まった自分の顔が、彼の瞳に映る。
「約束通り来てやった。自分の命を顧みず、お前を助けに来てやった。感謝しろよ、アーデ?」
「はあ……はぁ……!」
「さあ、どこに盗んだ金品を隠していやがる。お前の事だ、本拠やあの拠点とは違う別の場所に隠しているんだろう。それを教えろ」
嫌らしい笑みを浮かべながら、カヌゥが尋ねる。
「おい、早く答えろ。いつモンスターが来るのかも分からねえんだ」
だが、リリルカは荒い呼吸を繰り返すばかりで、それに答えなかった。
「オラッ、さっさと答えろ!」
蹴られる。
リリルカの小さな身体はそのまま壁へ激突した。また、何処かの骨が折れた──そんな事を他人事のように思う。地面に横たわる彼女は虫の息だった。コヒュー、コヒュー、と
だが、カヌゥはそれを見ても暴行を止めない。少しでも早くリリルカが口を割るよう、彼女の顔面を殴り、踏み付け、蹴る。
顔の形が変わるのではないかと思った時、ようやく、カヌゥは暴力を中止した。肩で息をしながら、その憤怒に染まり切った顔をリリルカへ近付ける。ギラギラとした眼光が、リリルカの身体へ注がれた。
「何を渋っていやがる。それとも何だ、今更、自分の犯した罪を自覚したとでも言うつもりか?」
「……」
「それなら、言ってやる。俺も、そしてお前も! 俺達は同じ『悪』なのさ! その事実を認めろ!」
そうだ、とリリルカは朦朧とする意識の中で頷いた。
カヌゥの言う通り。自分が【ソーマ・ファミリア】を忌み嫌ってきたのは同族嫌悪に他ならないのだ。
生まれ育ってきた環境がどれだけ劣悪だったとしても、その選択をして来たのは自分自身。
それは、分かっている。
だが、だが仕方なかったのだ。そうするしか方法がなかった。その方法しか知らなかった。
真っ当に生きられたら、それで良いに決まっている。だが、それはできなかった。自分は全ての分岐点に於いて、致命的なまでに間違い続けたのだ。
それが、この十五年という年月。それが、リリルカ・アーデの物語。
それ故に、自分はまた選択を誤るのだろう。
リリルカは最後の力を振り絞って目を開けると、カヌゥを強く睨み付けた。
「絶対に……!」
みっともなく吐血しながら、けれど、ありったけの意志を掻き集めて宣言した。
「絶対に──貴方達には、教えません……ッ!」
「ッ!?」
「たとえ
ポカン、とカヌゥは間抜け面を晒した。
そんな彼を、リリルカは嘲笑う。べーっ、と舌を出して煽った。
「残念でしたね、冒険者様。生憎、
「……ッ!?」
「
その言葉で、カヌゥは全てを悟った。自分達は、この醜い糞
その事実に、カヌゥをはじめとした【ソーマ・ファミリア】は唖然とする。
我を取り戻した獣人の男は顔を真っ赤に染め上げると、怒りで身体を震わせた。
「それなら望み通り、ここで死ね!」
そう言って、カヌゥは自身の得物の
突然、
その音を聞いた全員が、今まさにリリルカを殺そうとしていたカヌゥでさえもが硬直する中、その亀裂音は少しずつ大きくなっていく。
ダンジョンに潜る冒険者なら、その音が何かを知っている。それすなわち──モンスターの誕生。
だが普段聞いているものと、今
「おい、カヌゥ! やけに音、大きくねえか!?」
「数が多いぞ!? これ、一つや二つじゃねえ!? 下手したら……それ以上!?」
四方の壁全面に、亀裂が走る。
「おいおい……まさか、
余裕を失った切羽詰まった声が、
【ソーマ・ファミリア】の構成員が焦燥に駆られる中、カヌゥはギリッと歯噛みした。彼の中では今なお、迷いがあった。ここで何の収穫も得ずに退散するのは、彼のプライドが許さなかった。
だがそれ以上に、カヌゥには退けない理由があった。先日、彼は大男達に『
「お、おいカヌゥ! 早くずらかるぞ!? これ以上はやべえ!?」
「この音……フロア全体に響いてやがる!? いやもしかしたら、別の階層でも!?」
何だよ、それは! 一人の【ソーマ・ファミリア】が狂ったように悲鳴を上げる。
「『
「分かんねえよ! ただもしこの音が、俺達の想像通りなら、そういう事だろうが!」
カヌゥは激しく葛藤した。時間は差し迫っている。だが、ここでリリルカから金品の居場所を聞けずに撤退したら、待っているのは自身の破滅。
どうする──?
そして彼が決断出来ずにいると、その時は必然的に訪れた。
『キシャアアアアアアアアアアア!』
母なるダンジョンから、モンスターが生まれ落ちた。壁から着地したそのモンスターは、誕生した事を喜ぶかのように産声を上げる。そして次々と、そのモンスターの同種が生まれていった。
そしてそのモンスターを見た冒険者達は、等しく絶望の表情を浮かべた。
「キラーアント……」
7階層から出現する、『初心者殺し』。ダンジョンが冒険者へ用意する、初めての『洗礼』。
だが彼等は『階位』こそLv.1なものの、駆け出し冒険者ではない。7階層の巨大蟻なら問題なく対処出来る【ステイタス】はある。
「う、うわあああああああああ!?」
一人の冒険者が恐怖という衝動に突き動かされ、キラーアントへ攻撃を仕掛けた。
「馬鹿野郎──ッ!?」
思考の海から戻ったカヌゥが声を荒らげるも、それはあまりにも遅い声掛けだった。
剣の切っ先は、
『シャアアアアアアッッ!?』
致命傷なのは、誰の目にも明らかだった。あと一撃、もしくは放っておけばモンスターは死に至るだろう。
「おい、誰か早くソイツを始末しろ!」
カヌゥから命令が出されるも、誰も、足が
黒灰と化すモンスターを見届けていた【ソーマ・ファミリア】の構成員達だったが、ある一人が出入口へ身体を向けた。
「こんな事している場合じゃねえ! 悪いがカヌゥ、俺は逃げさせて貰う!」
「なっ!? ちょっと待って!」
「キラーアントの特性を考えれば当然だろうがッ!」
制止する声を無視して、その【ソーマ・ファミリア】の構成員は
彼が言った、キラーアントの特性。それは瀕死時に、仲間を引き寄せる特別なフェロモンを出すという事。今のキラーアントはカヌゥが倒したものの、既にこの
原因不明の
つまりここでの最善策は、逃走以外の何物でもない。
逃げ出した一人を皮切りに、それに続く者が現れる。これまでカヌゥの指示通りに動いていたのが嘘だったかのように、彼等は自分勝手に動いた。
「何をチンタラしていやがる、カヌゥ!? 置いていくぞ!?」
「……クソが! しょうがねえ! お前等、撤退だ!」
「もう始めてるよ!」
自分達の置かれている状況を、カヌゥは把握した。
『上層』での
まず、自分達が居る
「おい、出入口からモンスターが!?」
その声に釣られてカヌゥが視線を送れば、三つある出入口、そのうちの二つが
幸い最後の出入口からは、まだモンスターの気配はなかった。仲間と共にそこへ向かおうとしたカヌゥだったが、ふと、足を止める。
そして死体も同然のリリルカへ近付いた。そして服の襟を摑むと、そのまま持ち上げて移動を開始する。
「カヌゥ、正気かお前!? まさかアーデを連れ戻すつもりなんじゃないだろうな!?」
カヌゥはそれに、何も答えない。モンスターの横を通り抜け、
リリルカを脇に抱えているカヌゥへ物申したいと雄弁に顔で語りながらも、【ソーマ・ファミリア】の構成員は押し問答は時間の無駄だと理解していた為素直に従う。
カヌゥは道を切り開いていく彼等を見ながら、リリルカの頭を強く叩いた。そして、声を掛ける。
「さて、アーデ。お前には一つ、最後のひと仕事をして貰うぜ」
「……」
「ほら、見えるだろう、あのモンスターの大群がよ。俺達は今からとんずらするが、奴等に追われて挟み撃ちにでもあったらまず間違いなく助からねえ」
リリルカが重たい瞼を開けてみれば、そこには、モンスターが大量に居た。
そして、カヌゥはリリルカの耳元へ口を寄せて、囁いた。
「お前が、『囮』になるんだ。それで全部、チャラにしてやるよ」
その言葉の意味を理解する前に。
リリルカの視界は、揺れていた。今日何度目になるか分からない浮遊感。
まるでゴミが放り捨てられるかのように、リリルカの身体は綺麗な放物線を描きながら宙を舞う。そして着実に迫りつつあったモンスターの頭上を飛んでいき、ちょうど、
当然、モンスターはリリルカを見る。仰向けになって天井を見詰める彼女を、モンスターはすぐに取り囲んだ。
「最後に役立ってくれよ、『サポーター』」
その言葉が、哄笑と共に残される。遠くなっていく人の気配、それを感じ取る。
リリルカはぼんやりと、自分の置かれている状況を把握する。だがそれは考えるまでもない事だった。幼子でさえ簡単に解けるだろう。
カヌゥは自分達がより助かる道を選ぶ為、リリルカを『囮』にした。それ以上でも、それ以下でもない。
『弱者』はいつだって、真っ先に切り捨てられる。それは自然界の摂理だった。
「あは、あはは……」
何だか可笑しくなって、リリルカは笑い声を上げた。
分かっていたとはいえ、やはり、自分の末路はこうなった。じきに自分は、モンスターに喰われる。そして、死ぬ。
『魂』は『器』から剥がれ、天界に向かう。そこで『魂』は浄化され、『
「神様……どうか、お願いします。来世はもう少し、マシな
見ているか定かでない神に、リリルカは言った。
「高貴な身分でなくても良いです。お金持ちの家に生まれなくても良いです。身体が不自由だって構いません」
ただ──と、続ける。
「どうか次の
「寂しかったなぁ……」
自分の溜めていた想いを、吐露する。
誰かからの愛情とは縁遠い人生だった。
誰かから、必要とされたかった。生きていて良いのだと、ここに居て良いのだと、一緒に居たいのだと、その言葉がずっと欲しかった。
だが──、そこまで悪い人生ではなかった。
ほんの些細な時間ではあったけれど、他者と接する上で、あたたかさを知った。幸福だった。
屑ばかりだと思っていた冒険者だったが、中には真っ当な冒険者も居た。
自分を『悪』だと断じる事は出来ないと、そう、言ってくれた精霊が居た。
これまでの人生が映像となって、走馬灯のように記憶から掘り起こされていく。
そして、最後に見たのは。
──私は『英雄』になりたい!
傲岸不遜、大言壮語にもそう言う少年の姿だった。記憶の中でも彼は不敵な笑みを浮かべていて、自分の夢が叶うのだと信じて疑っていなかった。
(あの人は……大丈夫でしょうか……?)
ふと、断続的に続く意識の中で、そんな疑問が芽生える。
カヌゥ達も言っていたが、今の『上層』は可笑しい。
だが、心配不要だろう。きっと今頃、ドヤ顔を浮かべているに違いない。
(ああ、そう言えば……あの人の剣、返せなかったなぁ……)
霞む視界の中、目を凝らせば、少年の長剣は横たわっていてモンスター達に踏まれていた。使用者を失った剣はただそこにあり、このままひっそりと朽ちていくのだろう。今後、成長した少年の相棒となっただろうに。
ナップサックを捨てた時に、一緒に捨てようとも思った。だがそれは出来なかった。もし生きて地上へ帰還する事が出来たら、
しかし、それは出来そうにない。地精霊との約束を破ってしまったな、と後悔が残る。
(……)
意識が遠くなっていく。
これはいよいよだな、と他人事のように思う。全身から力が抜け落ち、瞼が閉じていく。
そう言えば、と。死の淵に立ちながら、リリルカは昔読んだ論文を思い出した。
その論文によると、人は死ぬ時、聴覚と触覚だけは最期の時まで残されているそうだ。死にゆく人を必死に思い留まらせようと、声を掛けて手を握る人々の行動には、確かな意味があったのだ。
とはいえ、自分には何も関係のない事だが。最期に聴くのがモンスターの鳴き声とは、何とも最悪だ。
だが、それで良い。これで良い。
そして、リリルカの『魂』が『器』から洩れ出した、その時だった。
『『『キシャアアアアアアアアアアア!?』』』
悲鳴が出た。それは、人間のものではない。それは、モンスターのものだった。
最初小さかったそれは徐々に大きくなり、そして不思議な事に、近付いてくる。
死の淵に立つ人間は、最期まで聴覚と触覚は残されている。
リリルカは、確かに地面の揺れる音と、何者かの気配を感じ取った。
はあ、はあ、と荒い吐息。仲間を殺された事に対してか、怒りを表す上げるモンスターの鳴き声。
──
恐らく、手を伸ばせば届く距離だ。
ああ、だが、力が入らない。それ故にリリルカは、本当に、本当に最後の力を振り絞って、重たい扉をこじ開けるように、瞼をゆっくりと開けた。
視界は霞み、物体の輪郭を中々捉えない。だが、自分は
栗色の目を凝らすと、まず、漆黒の靴が目に入った。同時に、服の裾も。
下から上に目を動していくのにつれて、リリルカの目は見開き、表情は驚愕で彩られていく。
その
「なん、で……」
言葉が、唇から
そして、その言葉は、目の前の人物に届いたようだった。剣を油断なく構えながら、ゆっくりと、顔だけ振り向かせる。
「なん、で……!」
同じ言葉を、今度は強く、自分の意志で口にする。
そうすると、目の前の人物はきょとんとした顔になった。それから、優しく
「あとはもう、大丈夫。『僕』が、君を助ける」
ベル・クラネルは優しく、いつものように唇を曲げながら、リリルカ・アーデへそう言った。
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