さあ──『喜劇』を始めよう!   作:Sakiru

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これは、『喜劇』ではない。だが、『悲劇』でもない。
これは──。


斯くして、時計の針は進み続ける

 

「もう、大丈夫。『僕』が、君を助ける」

 

 ベルが──ベル・クラネルが、そこには居た。漆黒(しっこく)のロングコートを(なび)かせて、リリルカの目の前に威風堂々と立っていた。

 リリルカが呆然とする中、彼は広間(ルーム)に散らばっている死体へ深紅(ルベライト)の瞳を向けていた。物言わぬ彼等を見た彼は、唇を()み締めると、何事かを呟いた。そして最後にリリルカを見ると、表情を微かに綻ばせた。

 

「……ああ、でも、良かった。本当に、良かった」

 

 まるで自分が生きているのが心底嬉しいように満面の笑みを浮かべると、優しい笑みを向ける。

 しかし、リリルカはそこに安堵(あんど)しなかった。それ所か、混乱の極致にあった。それまで朦朧(もうろう)としていた意識が一気に覚醒し、視界も良くなる。虫の息である事に変わりはないものの、風前の灯火だった生命が少し吹き返す。

 

(何で……!? どうしてこの人が、今、此処に!?)

 

 脳内を埋め尽くすのは、何故、という疑問。そして、混乱ばかり。

 リリルカがベルをダンジョン11階層で出し抜いてから、既に数時間が経っている。オークに囲まれた片手剣使い(ソードマン)が死んでいるとは思っていなかったものの──そのように思い込んでいたものの──ここは7階層であり、さらには正規ルートからも大きく逸脱している。

 

「何で……!? どうして、貴方が!?」

 

 喉が痛むのも気にせず、掠れ声を出して強く問い掛ける。

 三度目になる、問い。だがベルの反応は変わらず、ただただ不思議そうに首を傾げるばかりで、答えを中々口にしない。

 

「なん、で……ッ!?」

 

 四度目の疑問を口にした時、吐血する。まだ流れる血があったのかとリリルカが咳き込んでいると、ベルは「少し待っててくれ」と慌ててレッグホルスターに手を入れた。そして中を漁ると、液体が入った一本の試験管を取り出す。

 

「ゆっくり飲むんだ。そうすれば、傷もすぐに塞がるだろう」

 

 そう言いながら、ベルはリリルカの口へ液体を注いだ。

 ひんやりとしたそれを、リリルカは時間を掛けて身体へ流していく。

 そうすると、不思議な事に、ベルが言った通りになった。全身の、傷という傷が瞬く間に塞ぎ()えていく。痛みが引いた、ではなく、文字通り無くなった。

 

「これは……いったい……?」

 

 回復薬(ポーション)なのは間違いないだろうが、リリルカの知っているそれではない。この即効性に、効能。

 思わず呟くリリルカへ、ベルは軽い調子で答えた。

 

万能薬(エリクサー)だな」

 

 ブホォ、とリリルカは思いっきり()せ込んだ。「リリ!? ここで死ぬのは早いぞ!?」と縁起でもない事を大声で喚くベルを他所に、驚愕で目を見開く。

 今、目の前のヒューマンは何て言った? 

 聞き間違いでなければ、万能薬(エリクサー)と言ったか? あの、死んでなければどんな傷も治すと言われている万能薬(エリクサー)? 一本50万ヴァリスはする、第一級冒険者のみが購入出来る万能薬(エリクサー)? 

 それを今、自分に使ったと? そう、言ったのか? 

 サァーッと顔を青褪めるリリルカとは対照的に、ベルは腹ただしいことに、とても呑気そうに笑っていた。「いやぁ、良かった良かった!」とかほざいていやがる。

 

「どうしてこんな貴重品を、貴方が持っているのですか!?」

 

「どうしてって言われても……貰ったからだからとしか言い様がないな」

 

「嘘を吐かないで下さい!? 誰が貴方のような下級冒険者に渡すというのですか!? その人は余程のお人好しか、ただの馬鹿です!?」

 

 青筋を浮かべたリリルカは、さらにベルへ食ってかかった。

 

「そんな事よりも、いい加減、答えて下さい! 何で貴方が、此処に居るんですか!?」

 

「何でって、君を追ってきたからだが」

 

 それ以外に何の理由があるんだ? と深紅(ルベライト)の瞳が語っている。それに言葉を詰まらせつつ、リリルカはさらに追及した。

 

「……貴方がオーク達を突破したとしても、此処は7階層、さらには正規ルートから大きく外れています。リリを見つけ出せる筈がありません」

 

「そうだな、その通りだ。実際、此処まで来るのにそれはもう苦労したぞ」

 

 うんうん、とベルはげんなりとした顔になりながら何度も首を縦に振る。だが次に彼は、衝撃的な事を言った。

 

「だがそれは、私が一人ならの話だ」

 

「……えっ?」

 

「運良く、それはもう美しい妖精(エルフ)に助けられてなぁ! うん、思わず()れてしまう所だった! それ程に美しい剣技だった!」

 

「……はぁ?」

 

「まあ、そんな事があったんだ。彼女に事情を話して、此処まで導いて貰ったんだ」

 

 何だそれは、とリリルカは疑いの眼差しを向けてしまう。あまりにもベルに都合の良い展開だ。下手な小説の方がまだ説得力のあるというもの。

 だが、それを否定する事は出来なかった。ベルの言った通りなのだ。一人ではこんなにも短時間であのオークの大群を突破し、この階層まで辿り着くことは不可能に近い。しかし、もし協力者が居たのなら話は違う。

 

「……その妖精(エルフ)は、今、何処に?」

 

「他の冒険者を助けて貰っている。道中、沢山のモンスターが居た。恐らく上層全域で、この異常事態(イレギュラー)が発生しているだろうからな」

 

 なるほど、とリリルカは納得した。ベルに手を貸した美しい妖精(エルフ)とやらは恐らく、上級冒険者に違いない。そうでなければベルもわざわざ冒険者依頼(クエスト)を依頼しないだろう。

 

「……リリがダンジョンから出ている可能性は考えなかったのですか」

 

「いや、それはないと考えていた。いくら君が優秀だとしても──こう言っては何だが──『サポーター』ではすぐに限界が来る。君が誰かから呼び出しを受けているのだと、私は考えた」

 

「……そう、ですか」

 

 リリルカは複雑な思いだった。

 助けてくれた事に感謝すれば良いのか、あるいは、何を余計な事をと憤れば良いのか。

 いいや、違う。もっと根本的な事だ。何故ベルは、危険を冒してまで自分を追ってきたのか。その答えを、まだ聞いていない。

 口を開けて問い掛けようとするも、

 

『『『キシャアアアアアアアアアアッッッ!』』』

 

 耳をつんざく雑音(ノイズ)によって、それは出来なかった。

 リリルカとベルが揃って顔を向ければ、そこには、各々の得物を大きく振りかざしているモンスターの姿があった。俺達の存在を忘れていた訳じゃないだろうな! と、そんな主張が聞こえてくるようだった。

 

「さて、悠長に話している時間はもうないようだ」

 

 ベルはそう呟くと、顔付きを剣士のものへと変えた。そして長剣を中段に構えながら、モンスターと相対する。

 今まさに、戦闘の火蓋が切って落とされようとしていた。その直前に、リリルカはベルへ叫んでいた。

 

「まさか、この数を相手に戦うおつもりですか!?」

 

「ああ、そうだ。そうするしか、私達が生き残る術はない」

 

「無理です! 絶対に無理です!? いくら貴方が強くても、この『数』では無理です!?」

 

 ベルの【ステイタス】を考えれば、此処──7階層のモンスターは格下と言える。だがそれは、あくまでも一対一の話だ。

 広間(ルーム)に居るモンスターは数え切れない。ベルが広間(ルーム)に突入してきた時に蹴散らしたモンスターも、既に補充されている。ベルを助けた妖精(エルフ)が居たら話はまた違ってくるが、今この場に戦える者はベルしか居ない。

 これは言わば、たった一人で大国の軍勢と戦うようなものだ。幼い子供でも、それが蛮勇なのだと分かるだろう。

 多勢に無勢。

 それが分からないベルではない筈だ。此処での最善策は、ただ一つ。カヌゥ達がそうしたように、自分を『囮』にする事。そうすれば、ベルは助かるだろう。彼のずば抜けた脚力なら、追ってきたモンスターを振り切る事が出来る。

 

「お願いですから、逃げて下さい!?」

 

 ところが、ベルはリリルカの懇願を聞き入れるつもりが全くないようだった。初めてされる無視に、リリルカは胸がチクリと痛む感覚を覚える。

 表情を歪める、リリルカ。前を向いているベルは、後ろに目がついているかのようにこのように言った。

 

「やめてくれ。私は君の、そんな表情(かお)は見たくはない」

 

「何を言って……!? それなら、(リリ)の言う通りにして下さいよ!?」

 

「それは、出来ない。言っただろう、君を助けるとな。その言葉を撤回する気は毛頭ないな」

 

 ベルはそう言うと、会話を断ち切った。そして一度深呼吸すると、モンスターへ名乗りを上げる。

 

「我が名はベル・クラネル! 行くぞ、大いなる魔物よ! いざ尋常に、勝負!」

 

 冒険者の名乗りに呼応するように、モンスターも鳴き声を上げた。

 こうなったらもう、リリルカにはとめられない。せめて邪魔にならないよう、後ろに下がる。

 緊迫した空気が流れ、広間(ルーム)は一瞬、静寂に包まれた。そしてそれが合図だと示し合わせていたかのように、両者は一斉に走り出す。

 

「うおおおおおおおおおおお!」

 

 魔物の群勢へ、一人の剣士が挑む。

 片手剣使い(ソードマン)は長剣を中段から下段に構えると、そのまま勢いよく突進した。一条の光が走り抜ける。そしてリリルカが気付いた時には、数匹のモンスターが悲鳴を上げて倒れていた。

 

「まだだ、行くぞッ!」

 

 今のは軽い挨拶だと言わんばかりに、片手剣使い(ソードマン)は猛攻を開始する。

 ゴブリンの身体を一刀両断し、キラーアントを硬殻(こうかく)ごと斬り伏せ、ウォーシャドウを影ごと断ち切る。敵の位置を持ち前の能力で察知し、自身の最大の武器である脚力を最大限に活かして敵を翻弄(ほんろう)する。

 

「おおおおおおおおおおおお──ッッ!」

 

 その雄叫びと共に、ベルは上段から剣を振り下ろす。身体が縦に裂かれたゴブリンは、その断面図を見せたまま絶命した。

 

(強い……強過ぎる!? いくら此処が7階層とはいえ、あまりにも出鱈目です!?)

 

 一騎当千、そんな言葉がリリルカの脳裏に浮かんだ。ごくりと生唾を飲み込む。

 自分の心配や不安は杞憂(きゆう)だったのかと、そう、思わずにはいられない。

 これは戦闘では断じてない。これは、蹂躙(じゅうりん)だ。虐殺とも言えるだろう。『神の恩恵』を宿した人間とは、こうまで強くなれるのかと戦慄する。

 そして、リリルカが冒険者へ畏怖の念を抱き始めた時だった。

 キラーアントを纏めて三体屠ったベルが、険しい顔付きでリリルカの居る場所へ走ってくる。随分と余裕のない表情だ、とリリルカが思った時だった。

 

「伏せろ!」

 

 反射的に従い、しゃがみ込む。そして作られた空間に、銀の線が眩く走った。

 それとほぼ同時、すぐ背後で、モンスターの鳴き声が聞こえた。恐る恐るゆっくりと振り返れば、そこには、魔石を穿たれたウォーシャドウが仰け反っていた。影の異形(ウォーシャドウ)はせめて一矢報いようと思ったのか、その長い鉤爪(かぎつめ)をリリルカへ向ける。

 だが、片手剣使い(ソードマン)はそれを見過ごさなかった。鋭くも重い連撃を叩き込む、魔石を粉々に砕く。刹那、心臓部を破壊されたモンスターは黒灰となった。

 

「あ、ありがとう……ございます……」

 

 慌てて口を塞ぐも、出た言葉は撤回出来ない。

 リリルカが激しく後悔する一方で、ベルは剣に付着した血を振り落としながら顔を顰めた。

 

「くそっ、分かってはいたが、やはり数が多いな。これじゃあジリ貧だぞ……」

 

 額から頬に流れる汗を手で乱暴に拭いながら、ベルがそう愚痴る。愚かにも接近してきたコボルトの首を()ねると、溜息を吐いた。

 体力はまだ余裕そうだったが、それも時間の問題だろう。

 リリルカは広間(ルーム)をゆっくりと見渡す。異常事態(イレギュラー)はまだ微塵も終わる気配を見せない。既にベルは何十体ものモンスターを屠っているが、未だに『底』は見えず。こうしている間にも、何処かでモンスターが生まれ落ちているのだろう。

 いつ、この異常事態(イレギュラー)は鎮静するのだろう。いつ、この無限地獄が終わるのだろう。終わりの見えない戦いに、ベルが戦意を保てているだけでも凄い事だった。

 

「何か策を考えなければ……──うん? あれは?」

 

 ぶつぶつと呟いていたベルが、何かに気付いたように疑問の声を上げる。そして近付いてきていたモンスターを纏めて一掃すると、駆け出した。

 そこにあるのは、冒険者達によって剥ぎ取られ、雑に放置されていたリリルカの所持品。ベルはそれらを全て回収すると、深紅(ルベライト)の瞳を動かした。目当ての物を見付けたのか「良かった!」と喜びの声を出す。

 それらを持ってリリルカの元へ戻ると、彼はにこにこと満面の笑みを見せた。

 

「ありがとう、リリ。君が、預かってくれていたんだな」

 

 そう言って、ベルは沈黙するリリルカへ一本の長剣を見せる。彼の予備──《プロミス─Ⅱ》だ。

 そして彼は、至って真面目に、衝撃的な事を言った。

 

「良かった……! これなら、うん、何とかなりそうだ!」

 

 何を言っているんだと、リリルカは叫びたかった。

 確かに《プロミス―Ⅱ》は業物(わざもの)だ。主武器(メインウェポン)である《プロシード》よりも優秀な性能なのは間違いない。

 だが、それが何になる。扱う武器を変えたからと言って、ベルの戦闘力が上昇する訳ではない。それ所か普段使わない予備(スペア)を使うのだから、そっちの方が心配だ。

 

「もう少し、此処で待っていて欲しい。きっと、この状況を打破してみせる!」

 

 懐疑的になっているリリルカへ、ベルが力強く言った。その言葉に、リリルカは投げやりに答えた。

 

「……もう、好きにして下さい。どの道、リリ達は死ぬんです。それなら、貴方の好きなようにして下さいよ」

 

 こうなるのなら、ベルが来る前にさっさと死んでいれば良かった。そうすれば、こうしてむざむざと生き永らえる事もなかった。

 自然と、リリルカの顔は俯いていた。考えるのは後ろ向き、悲観的な事ばかりで目の前の現実から必死に目を逸らす。

 だが。

 そんな自分を見透かしているかのように、前に立っているベルが強い口調で言った。

 

「リリルカ・アーデ!」

 

 名前を、呼ばれる。ハッとなり、リリルカは顔を上げた。

 深紅(ルベライト)に輝く瞳が、自分を射抜いていた。燃えるような熱い眼差しが注げられる。

 

「私は、君の事情は何も知らない! 君の境遇も、君の秘密も、君が抱えている複雑な想い(きもち)も!」

 

 だから──、と少年は続けて叫んだ。

 

「──だから、『道化(ぼく)』は踊ろう! そんな『道化(ぼく)』だから、君を助けられる! それを今、此処で証明してみせる!」

 

 そう言うと、ベルは《プロミス―Ⅱ》を腰の調帯──左側は《プロシード》で埋まっている為、空いている右側──に留めた。パチッ、と小さな音が鳴る。

 そして彼は懐から一冊の手記と羽根ペンを取り出すと、朗々と声を出して言った。

 

(つづ)るぞ、英雄日誌! ──『英雄に憧れる少年ベル・クラネルはその日、ダンジョン探索中に仲間と逸れてしまう! 麗しい妖精(エルフ)に助けられた彼は、今まさに魔物から襲われようとしていた仲間の元へ駆け付ける事が出来た! そして彼は仲間を救う為、たった一人で困難に立ち向かう!』──さあ、この物語も終演だ!」

 

 ベルはそう宣言してから手記と羽根ペンを懐に仕舞うと、左手で漆黒の鞘から白銀の長剣を抜いた。

 右手には、《プロシード》が握られ。

 そして左手には、《プロミス―Ⅱ》が握られ。

 片手剣使い(ソードマン)は二本の片手直剣(ワンハンド・ロングソード)を慣れた動作で滑らかに構えると、魔物の群勢と相対した。

 

「行くぞ──ッ!」

 

 裂帛の気合と共に、ベルが突進攻撃をする。

 黒と白の軌跡が空間に走り、一瞬遅れて、モンスターが絶叫をあげた。

 剣風はやまず、数々の斬撃が魔物の身体へ刻まれていき、モンスターの群勢は瞬く間に数を減らしていく。

 

『『『グギャアアアアアアアア!?』』』

 

 剣士の猛攻をとめられるモンスターは居なかった。光が通った後には黒灰と紫紺の結晶が残る。

 

「うおおおおおおおおおお──ッッ!」

 

 それは、剣舞だった。荒々しくも美しい、剣舞。

 

「強い……!? まだ、『上』があったなんて!?」

 

 目の前で行われる一方的な殺戮(さつりく)の数々。それにリリルカは何度目になるか分からない驚愕を覚えた。

 ベル・クラネルという冒険者が強い事は知っていた。その成長速度がずば抜けている事も分かっていた。

 だが、今回のそれは今までの中で一番のものだった。

 先程の剣士も充分おかしかったが、今の剣士はそれ以上におかしい。

 二振りの剣を華麗に振るい、モンスターを殲滅していく様子は見る者に心地良さすら抱かせるだろう。

 だが、それはおかしい。おかしい筈だ。ベル・クラネルの基本的な戦闘様式(スタイル)は忠実的な一刀流であり、二刀流ではない。事実これまでのダンジョン探索に置いて、彼がそのような発言や行動をした事は一度もなかった。

 二刀流は手数が増える分、扱いがとても難しい。何故ならそれは、二本の剣を同時に扱うのと同義であり、脳に少なくない負荷が掛かるからだ。また非利き手で利き手と同等の技量で剣を振る事は至難の技であり、実践で使う為にはかなりの時間と努力が必要だ。

 

(リリ)は何か、とても大きな思い違いをしていたのではないでしょうか……?)

 

 一つの仮説が、リリルカの頭の中で立てられていく。

 だが、それが完成する事はなかった。

 

「これで──最後だッ!」

 

 遂に剣士の宣言通り、最後のモンスターが倒される。キラーアントは悔しそうに鳴き声を小さく上げると、地に伏して絶命した。

 

「はあ……、はあ……ッ!」

 

 荒い呼吸を繰り返しながらも、ベルは立っていた。

 周囲には黒灰、魔石、そしてドロップアイテムが落ちている。この戦果がたった一人の駆け出し冒険者によるものだと説明しても、信じる者は居ないだろう。

 そしてどうやら、異常事態(イレギュラー)はいつの間にか終わりを迎えていたようだった。モンスターを一時的に産みすぎたダンジョンはとても静かで、此処が戦場なのを忘れてしまう程だった。

 

「……」

 

 ベルは最後に、剣に付着していた返り血を振り払うと、二つの長剣を鞘に収めた。そしてゆっくりと、リリルカへ近付いてくる。

 リリルカは無意識のうちに、後ずさっていた。それは畏怖からくるものだった。両足が絡まり、ドサッと尻もちをつく。

 

「……」

 

 少年の顔を見たくなくて、リリルカは俯いた。注げられる深紅(ルベライト)の瞳から逃げる。

 

「リリ」

 

 ベルが、自分の名前を呼ぶ。

 リリルカはそれを、聞こえない振りをする。

 

「リリ!」

 

 ベルが、自分の名前を強く呼ぶ。

 リリルカはそれを、両耳を両手で塞いで遮った。

 だがそれをした所で、完全に音を遮断出来る訳ではない。どれだけ強く耳を(おお)っても、彼の声が聞こえる。

 その度にリリルカの心は震えた。だが彼はそれをやめない。リリルカが答えるまで、何度も、何度も名前を言った。

 

「……どうして」

 

 リリルカは遂に観念した。ぐったりと項垂れながら、小さく呟く。

 

「……どうして、そこまでして(リリ)を助けるのですか」

 

 喘ぐように、ベルへ問い掛ける。

 そしてその問いに、ベルは即答した。

 

「仲間を助けるのに、理由なんて必要ないさ」

 

 当たり前のように、紡がれる言葉。

 だがリリルカは、それを信じられない。信じられる筈もない。他者を信じた所で良い事なんて一つもなかったからだ。

 

「ハッ、仲間? 仲間ですか?」

 

 演技をする。

 リリルカは鼻で笑うと、顔を上げてベルを見上げた。そして彼の顔面へ唾を吐き、思い切り嘲笑う。

 

「貴方はそう思っていたのですか。(リリ)の事を仲間だと」

 

「そうだ。私達は仲間だろう」

 

「それは貴方の勝手な勘違いですよ。(リリ)は一度も、貴方の事を仲間だと思った事はありません」

 

 リリルカは唇を歪めると、さらに続けた。

 

(リリ)が貴方に近付いたのが、偶然だと思いましたか」

 

「違うのか?」

 

「ええ、違いますとも。(リリ)は貴方に意図的に近付きました。『期待の新人(ルーキー)』と呼ばれている貴方に興味を持ったのですよ。そしてこれまでと同じように、貴方から武器や魔石、金銭を奪うつもりでした。今回の収穫は、貴方の業物な予備(スペア)。預かっていた? ハッ、それは貴方の勘違いですよ!」

 

「何と、そうだったのか。それは全然知らなかったな! それで、私とのパーティはどうだった?」

 

「……最悪でしたよ、貴方とのダンジョン探索は。他のパーティ、特に女性冒険者にはひっきりなしに話し掛けてはナンパをしますし、その高いテンションには辟易とさせられましたし、全てが最悪でした」

 

「そうか、そうか! これは手厳しい! だが正論過ぎて何も反論出来ないな!」

 

「まだまだ、他にもありますよ。だいたい、前から思っていましたが、貴方は──」

 

 それから、リリルカはこれまでの鬱憤を晴らすべく堂々とベルに悪態を吐いた。どれだけ自分が迷惑を被ったのか、どれだけ尻拭いをしてきたのか。それら全てを言葉にしてぶつける。

 だがどれだけ罵倒しようとも、ベルは不快そうにしなかった。眉を顰める事もなければ、傷付いた様子も微塵も見られず、ただ何故か、笑顔でリリルカの言葉を聞いていた。

 それに、リリルカは苛立ちが募っていくのを感じながら。言葉を段々と強くしていく。

 

「これで、分かりましたか! (リリ)は貴方をたったの一度たりとも仲間だと思った事はありません! ええ、そうです! はっきりと言いましょう! (リリ)は、貴方が大っ嫌いです!」

 

「そうか、私は君に嫌われていたのだな。いやはや、普通にショック!」

 

 わざとらしくベルはそう言った。だがしかし、リリルカの目には、彼が傷付いているようには見えなかった。

 それどころか浮かべている笑みは深くなっており、心底嬉しそうな顔だった。

 それが、リリルカの神経を逆撫(さかな)でる。

 

「何なんですか、貴方は! 何でこんなにボロクソに言われているのに、そんな、笑顔を浮かべているのですか!? 馬鹿なんですか!? 阿呆なんですか!?」

 

「フッ、あるいはマゾヒストなのかもしれないぞ」

 

「こ、このッ……!?」

 

 頭に血が上る。気が付けば、リリルカは荒い呼吸を繰り返していた。おかしい、どうして自分はこんなにも疲れているのだろう。

 こんなの、自分らしくない。いつもの自分は冷静沈着で、落ち着いて物事を判断する事が出来る。だが、この少年と話せば話すほど、そこから離れていく。

 これでは、そこら辺にいるただの少女のようではないか。

 それは、認められない。認めてなるものか。そしてリリルカは、激情に駆られるまま言ってしまった。

 

「何が、『英雄』ですか! 笑わせるのも程々にして下さい! 『英雄』なんて居ない! 貴方も、『英雄』になんてなれはしない!」

 

 ハッ、と我に返った時には遅かった。致命的なまでに遅かった。

 慌てて口を塞ぐも、その動作に意味は無い。発言を撤回する事は出来ない。

 

「なあ、リリ」

 

 ベルが、とても柔らかく口を開いた。彼は優しく微笑むと、穏やかな声音でリリルカへ問い掛けた。

 

「君は、『英雄』が居ないと、そう思うのか?」

 

「……当たり前です。もし『英雄』なんて存在(もの)が居れば、世界はもっとより良くなっているでしょう。(リリ)のような人間も、今頃は救われている筈です」

 

「そうだな、そうかもしれない。君はきっと、その時助けられなかった『一』だったのだろう。そして君は、他にも『一』が居る事を知っているのだろうな」

 

 その言葉に、リリルカは頷いた。

 

「誰も、切り捨てられた私達(『一』)を見ない。あるいは見ても、見なかった振りをする。またあるいは、より多くの人を救う為の犠牲になれと強要する。違いますか?」

 

「違わない、とは言えない。私が否定した所で、君はそれを経験している。その時居なかった私がいくら言っても、意味はないだろう」

 

「そうでしょう、そうでしょう! ええ、何度でも言いましょう! 『英雄』なんてものは居ないって! あるいは居たとしても、それは人工的なもの! そのような紛い物を、(わたし)は、犠牲となった私達(『一』)は『英雄』とは断じて認めないっ!」

 

 慟哭が、広間(ルーム)に大きく響いた。それを受けて、ベルは。

 

「君の言う通りだ。『百』を救える『英雄』は未だに現れていない。誰かの犠牲に成り立つ、誰かの幸福。それは間違っているのだろう。『九十九』か、『一』か。いつだって世界は、『九十九』を選んできた」

 

 ベルは、とても悲しそうに笑った。

 その姿に何故か胸を痛めながら、リリルカはそれを隠して嘲笑を浮かべる。

 

「……これで、分かったでしょう。『英雄』になりたいだなんて……(リリ)に言わせれば、それは下らない夢でしかありません」

 

 少年の夢を一蹴する。

 だが、リリルカの想像した反応を、彼はしなかった。それどころか愉快そうに笑い声を上げる。

 

「下らない、か。確かに私の夢は下らないのかもしれない。何を時代錯誤な事を言っているのだと呆れられた事は数しれず。お前には無理だ、やめておけと言われもした」

 

 だが、それでも──と、ベルはおもむろに深紅(ルベライト)の瞳を開けるとリリルカに語った。

 

「それでも、『僕』は言うんだ。『英雄』になりたいって、何度でも、ずっと言い続けるんだ。そうしないとさ、リリ、本当に『英雄』が居なくなってしまうよ」

 

「……理解、出来ません。そもそも、何故、貴方はそこまでして『英雄』に執着するのですか」

 

 それは、リリルカがベル・クラネルと出会った時から抱いていた疑問。

 それに、ベルは笑いながら答えた。

 

()()()()()()。誰かの幸せを、誰かの笑みをこの目で見たいからだよ。それだけの理由さ」

 

「……独善的で傲慢な思考ですね。貴方のそれは余計なお世話というものです。偽善とも言えるでしょう」

 

「同じ事を主神(ははおや)にも言われたよ。だが、それで良い。それが良い」

 

 そして、ベルはリリルカへ目線を合わせる。

 深紅(ルベライト)の瞳が、栗色の瞳を優しく覗き込んでくる。綺麗だ、とリリルカは思ってしまう。

 

「この前も言ったが、君は強いよ。君の強さは、その優しさによるものだ」

 

 彼を否定しろと脳が命令してくる。今すぐに逃げろと警戒音を出してくる。だがリリルカは動けない。もう少し、もう少しだけと子供のように駄々を捏ねてしまう。

 

「『僕』は、君の事情は何も知らない。それでも、君がこれまで一生懸命に頑張ってきた事は分かる。全部が分かるとは言わないけれど、少しは分かるよ」

 

「……」

 

「何度でも言おう。君は、とても優しい一人の女の子だよ。こんなどうしようもない、馬鹿で、阿呆な『僕』に力を貸してくれていた。一生懸命、陰で頑張ってくれていた。他ならない君が、さっき、それを教えてくれた。それが『僕』は、とても嬉しいんだよ」

 

「…………っ」

 

「才能の有無は何も関係ない。他の誰かじゃ、駄目なんだ。努力を知っている君だから、『僕』は君と一緒に居たいんだ。一緒に楽しく過ごして、ダンジョンで一緒に冒険して、酒場で美味しいご飯を一緒に食べたいんだ」

 

 あたたかい言葉が花束となって贈られる。

 冷えきった『こころ』がゆっくりと時間を掛けて溶けていくのを感じた。『魂』が氷解していく。

 目尻に溜まっていく涙を必死に落とさないようにしながら、リリルカはベルの言葉を聞いていた。

 

「『僕』は、『英雄』になりたい。でも、『僕』一人じゃ、『英雄』にはなれない」

 

 独りで出来る事はとても少ないから、と少年は言う。

 

「一人よりも、二人。二人よりも、三人。そうやって少しずつ増えていけば、いつか、『百』を救える。『僕』はそれを信じている」

 

 そして、ベルは言った。

 

「同じ夢を持ってくれる、『仲間』が欲しいんだ」

 

 その言葉を受けて、リリルカは。

 

「ぁ……」

 

 間抜け声を出す。そして、少年と出会った時の事を思い出した。

 

 ──サポーターについてだが、宜しく頼む。私も常々、()()が欲しいと思っていたところなんだ。

 

 そうだ……そうだった。

 ベルは、最初から言っていた。自分の事を仲間だと、何度も、何度も何度も執拗いくらいに言っていた。

 自分はそれを聞き流していた。ただの方便だと考え、まともに取り合ってこなかった。

 だが、違った。全然、違ったのだ。

 勘違いをしていたのは、自分だった。ベルは最初から、自分の事を()ていたのだ。殻に籠っている自分を、その深紅(ルベライト)の瞳でずっと見詰めていたのだ。

 いつか、リリルカが殻を破る時を信じて。だが自分はそれに気付く事が出来なかった。

 それ故に、ベルは今回このような策に出たのだろう。もう我慢ならないと、強引にでも殻を壊そうとしたのだ。そしてそれは、成功した。

 

「っ……!」

 

 その事にようやく気付いた途端。

 あっさりと、涙腺が決壊した。涙が零れ落ちていき、地面にはシミが出来た。

 

「っ……! っ……!」

 

 何度も手で目元を拭うも、全く意味がなかった。それどころか、たちまち手も濡れてしまう。

 そんなリリルカに手巾(ハンカチ)を差し出しながら、ベルが優しく言った。

 

「下ばかり見ていても、良い事なんて一つもないよ」

 

「……でもっ! 上を見た所で意味なんか……っ!」

 

「いいや、意味はあるさ。リリルカ・アーデ、たとえ辛くても、悲しくても、最後には顔を上げるんだ。そして、笑おう。馬鹿みたいに声を出して、盛大に笑うんだ! そうすれば絶対、良い事がある。『僕』の培ってきた、人生観だ」

 

「何ですか、それ……。随分と、舐め腐ったものですね。反吐が出そうですよ」

 

「ははっ、よく言われる!」

 

 そして、少年は優しく言った。

 

「まずは帰ろう、リリ。あたたかいスープを飲んで、あたたかいご飯を食べよう。地上は雨で冷えているだろうから、あたたかい毛布を被りながら寝台(ベッド)で寝よう。明日になったらおはようの挨拶を交わそう。その後は、一緒にこれから先の事を考えよう」

 

「……」

 

「そして、全てが解決したらまた一緒に冒険をしよう。リリルカ・アーデ──小さくも頼りになる、心優しい『支援者(サポーター)』。『僕』には、君が必要だ」

 

 それは、その言葉は。

 リリルカがずっと欲しかった言葉だった。ずっと、焦がれてやまなかった言葉だった。

 

「ごめん、なさい……っ!」

 

 嗚咽と共に、謝罪の言葉が自然と口から出た。

 

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 謝罪を繰り返す。これまでに犯した罪を、リリルカは本当の意味で理解した。

 ベルは、何も言わなかった。ただリリルカを真正面から見詰め続け、泣きじゃくる彼女にそっと寄り添った。

 

 ──きっと、リリちゃんの前にも『英雄』は現れる。儂はそう思う。

 

 地精霊(ノーム)の言葉が、ふと、脳裏に蘇った。

 

(お爺さん、やっぱり、『英雄』は居ませんよ──)

 

 今は、まだ。

 リリルカの前に現れたのは、御伽噺に出てくるような『英雄』ではなかった。

 リリルカの前に現れたのは、『英雄』になりたいと願う、今はまだ、名も無き『英雄(しょうねん)』だった。

 

章題とは別に各話にサブタイトルは? (例:『1話』→『始まり』)

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