さあ──『喜劇』を始めよう!   作:Sakiru

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このお話が難産だったばかりに、投稿が遅くなりました。ごめんなさい。他のお話は並行して執筆しているので、次は早めに投稿出来るかと思います……多分。


悪い魔法が解ける時

 

 リリルカがヘスティアに連れられて階段を降りてすぐに、香ばしい匂いが鼻腔(びこう)をくすぐった。

 匂いの元を辿ってみると、小さなテーブル一杯に料理が並べられている。スープからは湯気が上り、恐らく、コーンポタージュだろう。

 

「おっ、来たか! おはよう、二人とも!」

 

 そう言って笑顔で挨拶をしてきたのは、ベルだった。既に椅子へ腰掛けていた彼は読書をしていたらしく、その両手には本が握られていた。

 意外だなと、リリルカは思う。普段の騒々しさを考えれば、彼が読書家なのは全く想像出来ない。

 少年が見せる新たな一面に戸惑いを隠せない。

 

「おはよう。ヘスティア、そして、小人族(パルゥム)女子(おなご)よ」

 

 そうしていると、上座の位置にいる群青色の髪を持つ男性が、おもむろに口を開けた。

 

「神様……」

 

 リリルカがぽつりと呟くと、その男性──男神は静かに微笑む。

 

「はじめまして、私の神名()はミアハ。しがない薬神だ。私は其方の名前を既に知っているが、其方の口から聞きたい。其方の真名()は何だ?」

 

「……リリルカ・アーデと申します」

 

「うむ、良い名前だ。宜しく頼むぞ、リリルカよ」

 

 そう言うと、男神は穏やかに微笑んだ。

 その威力たるや、恐るべし。ドクンと心臓が跳ねる音を聞いたリリルカは、この男神が女誑しなのを女の直感で察した。

 

「あ、あの……此処は何処なんでしょうか?」

 

 その質問に答えのは、今まで沈黙していた犬人(シアンスロープ)の女性だった。彼女は眠たげな様子でリリルカを見ると、平坦な声を出す。

 

「此処は……私とミアハ様の住処。【ミアハ・ファミリア】の本拠(ホーム)──『青の薬舗』だよ」

 

「な、なるほど……。それは分かりましたが、何故、リリ……失礼、私が此処に? それにヘスティア様達も此処に居らっしゃるのですか?」

 

「うん、良い質問だね……。簡単に答えると、【ヘスティア・ファミリア】の本拠(ホーム)がこの前の豪雨で崩壊したから……。ヘスティア様とベルは、今、うちで居候(いそうろう)している……」

 

「……そう言えば、そんな事言っていましたね……」

 

 リリルカがそう呟くと、ヘスティアとベルは「いえーす!」と何故か得意げに頷いた。

 そして、ミアハとナァーザを見ると陽気に言う。

 

「「お世話になってまーす!」」

 

 自分達の置かれている状況を、この二人は理解しているのだろうか。

 そんな思いを込めて居候先の男神とその眷族を見るも、視線を逸らされてしまった。

 

「いやぁー、しかし、ナァーザ君のご飯は最高だね! 正しく、家庭の味だよ!」

 

「そうだな! きっと、ナァーザの家族を想うその気持ちがこの料理の隠し味となっているのだろう! 正しく、愛に勝るものはない!」

 

「や、やめてよ……二人とも……恥ずかしい……」

 

 言葉では嫌そうに言っているが、犬人(シアンスロープ)の口元は確かに緩んでいた。男神も「そうだろう、そうだろう!」と何度も首を縦に振っている。

 この人誑し共め! リリルカはそんな称賛(ばとう)を二人へ送った。

 

「ボク達【ヘスティア・ファミリア】と【ミアハ・ファミリア】はマブダチなのさ! 困った時は助け合う、言わば、お隣さん!」

 

「な、なるほど……仲が良い事は、とてもよく分かりました」

 

【ヘスティア・ファミリア】は言わずもがな、【ミアハ・ファミリア】も相当のお人好しなのだろう。

 そうでなければ、派閥の本拠(ホーム)に余所者を居候させる訳がない。

 

「さて、自己紹介も済んだ。まずは朝食を食べよう。話はそれからでも遅くはあるまい」

 

「ミアハに賛成だ! 私の腹の虫が鳴ってしまう前に朝食を食べよう!」

 

 ミアハの言葉に、ベルが強く同意する。

 ヘスティアが呆れたように嘆息していると、ナァーザがグラスに液体を注いでいった。

 何だろうかと訝しんでいると、「悪いけど」と薬神の眷族は言った。

 

「これ、ただの水だから……味は期待しないで……」

 

「あっ、はい。い、いえ、頂けるだけでも助かります!」

 

「それなら良いけど……」と呟くように言ったナァーザへ、ベルがフォローのつもりか、何故かリリルカを見ながらこんな事を言った。

 

「そうだぞナァーザ! それに、あまり幼い時から果実酒ばっかり飲んでいると身体に悪いからな! なぁ、リリ!」

 

 カチン、と来た。

 リリルカは頭の血管が切れるのを感じながら、テーブルから身を乗り出して、この失礼極まるヒューマンへ詰め寄る。

 

「それはリリが小さな子供だと言いたいのですか!? えぇ!?」

 

「えっ、違うの?」

 

「リリは十五です! 貴方よりも歳上です!?」

 

「「えー!? うっそ──!?」」

 

 ブチッ。

 口をあんぐりと開けるヘスティアとベルに、リリルカはキレた。

 

「嘘じゃありません! というか、ヘスティア様は神様なんですから、リリが嘘吐いてないの分かるでしょう!」

 

「そ、それはそうなんだけどさぁ……」

 

小人族(パルゥム)は成人を迎えても、あまり身体が大きくならないんです! それは知っている筈でしょう!」

 

「いや、まあ、勿論知っているよ……」

 

 口をモゴモゴと動かすヘスティア。

 その煮え切らない態度に苛立ちが募るのを感じながら、リリルカは標的を生意気な歳下小僧へ変えた。

 

「それこそ貴方のご友人のフィン様はアラフォーですからね!? 沢山の女性が可愛いと言っていますが! アラフォーですから!」

 

「うぅーん、そう言われると犯罪臭がするな。もしかして私の友人は、性癖が捻じ曲がっているのかも……」

 

「一族の代表を自認しているあの人が、そんな訳ないでしょう! 女好きを公言している貴方じゃないんですから!」

 

「おっと、これは何も反論出来ないネ!」

 

 テヘッ、とわざとらしくアルカイックスマイルを浮かべるベル。

 その巫山戯た態度に、もう我慢ならないと必殺奥義リリルカ・パンチを繰り出そうとしていると。

 今度こそ、ミアハが呆れたように言った。

 

「其方達。早く食べないと、せっかくのスープが冷めてしまうぞ」

 

 見れば、湯気が上っていたスープは見るからに熱量が少なくなっていた。

 リリルカはベルを強く睨んだ後、かっ込むようにスープへ手を伸ばした。

 少し温くなってしまったスープ。今の自分にはこれくらいがちょうど良いのだと、リリルカは思った。

 

 

 

 

§

 

 

 

 朝食を食べ終えた後、リリルカは率先して後片付けを手伝った。

 只より高いものはない。極東にはそんな慣用句があるのだと聞いた事がある。

 

「──さて、これからの事をそろそろ話そうか」

 

 ヘスティアが静かに口を開けた。どうやら、彼女が司会を務めるようだ。

 そこに普段の快活明朗さはなく、女神特有の神聖さを出している。

 居住まいを正すリリルカに、視線が浴びせられる。その視線を、リリルカは甘んじて全て受け止めた。

 

「リリルカ・アーデ。まずは、きみの事を話して欲しい。きみにはその義務がある筈だ。違うかい?」

 

「……仰る通りです」

 

「それが分かっているのなら、どうか、これまでのきみの物語を教えて欲しい。嘘偽りなく、きみがその瞳で見てきた景色を、その小さな身体で体験してきた事、全てを」

 

 目の前の、自分とそう変わらない体格をした少女は正しく『神』だ。

 死後、下界の住人は天に昇る。そこで『神』に『魂』を見透かされ、漂白され、次の生を授かると言われている。

 輪廻転生が、この世界では起こっている。

 これは、それと同じだ。ここが、自分の人生──物語に於ける分岐点なのだと、リリルカは悟った。

 

「詰まらない……よくある話です。それでも、良いですか?」

 

「ああ、良いとも。言っただろう、ボクはきみの話を聞きたいんだ。勿論、ボクだけじゃないぜ? 此処に居る皆が、同じ事を思っている」

 

 女神が、ほんの少しだけ微笑む。

 リリルカは、女神から視線を外し、女神の眷族を見た。

 紅玉(ルビー)を思われる深紅(ルベライト)の瞳は閉ざされていて、その表情も俯いている所為で伺えない。

 普段の巫山戯た言動からは想像出来ない、静かな佇まい。それはまるで、賢者のようだった。

 いったい、どれが少年の『本物』なのか。

 リリルカにはそれが分からない。だが、少年が贈ってくれた言葉はきっと『本物』だ。

 

「リリは……私は……──」

 

 それから、リリルカは沢山の時間を費やして己の半生を語った。

 生まれた時から【ソーマ・ファミリア】の眷族になる事を余儀なくされた事。

 両親は自分には無関心だった事。その癖、実の娘から金銭を要求していた事。

【ファミリア】に自分の居場所が無かったこと。一時期は『誰か』に面倒を見てもらっていたが、それもすぐに無くなった事。

神酒(ソーマ)』の魔力に取り()かれ、文字通りの『獣』に堕ちた事。ダンジョンで蒸発した両親と同じように、喉の渇きを癒す為に『神酒(ソーマ)』を求めた事。

神酒(ソーマ)』の魔力から解放され、一時、仮初の平和の中で穏やかな生活を送ったこと。だが【ファミリア】の仲間から嫌がらせを受け、冒険者への『復讐劇』を始めた事。その為の『武器』として、発現した変身魔法を駆使し、冒険者から金品や武具を騙し取っていた事。

 土精霊(ノーム)に出会い、考え方を変えた事。数こそ少ないが、中には善良な冒険者がいた事。同じ境遇の仲間が出来た事。

 

 そして、打算的に少年へ近付いた事。

 

『夢』を楽しそうに語る少年に表では共感しながら、しかしその裏では唾棄すべき存在だと思っていた事。

『英雄』を夢見る少年が、眩しくて、それでいて 憎くて仕方がなかった事。

 それら全てを、胸の内を、自分の本性を。

 リリルカは嘘偽る事なく、明かした。

 

「──以上が、私の話です」

 

 リリルカは、泣かなかった。

 寧ろ、決して泣くまいとすら決意していた。

 泣いた所で自分の犯した罪が変わらない事を、幼い小人は知っていた。それは時期尚早な、大人の考えだった。

 平坦で、無機質に、リリルカは言葉を言った。それは自分の犯した罪と向き合う時間であり、必要な階段だった。

 そしてリリルカは席から立ち上がると、頭を限界まで下げる。小人の身体に、上から視線という名の重圧が降り掛かる。

 

「本当に、申し訳ございませんでした」

 

 謝罪の言葉を、口にする。

 それは騙してしまった少年へであり、眷族(むすこ)を想う主神(おや)へであり、恐らくは事情を知りながら匿ってくれている薬神とその眷族へであった。

 

「……」

 

 女神は、ただ黙って話を聞いていた。それは彼女だけでなく、薬神もそうだった。

 シンとした静寂の中。

 最初に口を開けたのは、炉の女神だった。

 

「頭を上げるんだ、リリルカ・アーデ。きみの謝罪は分かった。これ以上は不必要だ」

 

 その御言葉に従い、リリルカはゆっくりと顔を上げた。

 

「話を聞かせてくれてありがとう、リリルカ・アーデ君。だけど一つ、きみにはまだ話してない事があるね?」

 

「……え?」

 

 意味が分からず、リリルカは呆然と聞き返してしまった。

 だが、自分の聞き間違いはなかった。

 炉の女神は蒼の瞳で、小人の栗色の瞳を見詰めてくる。

 それを真正面から受け止めつつも、リリルカはヘスティアの神意を測りかねていた。

 

「あ、あの、ヘスティア様! リリは……私は全て話しました! 嘘ではありません、本当に、全て話しました!」

 

「本当に、そうかい?」

 

「……っ」

 

 リリルカは押し黙り、自分と向き合った。

 話してない事? そんなの、本当に思い当たらない。だって、そうだろう。今更何を隠そうと言うのだろうか。

 そう思い、再度女神を見るも、反応は変わらず。

 無言の時間が無為に流れる。それに、不安と焦りが少しづつ積み重なっていく。

 

「ベル君、ミアハ、ナァーザ君。少し、席を外して貰って良いかい?」

 

 次に口を開けた時、ヘスティアはそう言った。

 そしてリリルカが驚いている間に、一柱の男神と二人と眷族は無言で頷くと席を立ち、部屋から出ていってしまう。

 ドアが閉められた音が、痛いほどに部屋に響く。

 リリルカは混乱の極致にあった。そんなリリルカへ、ヘスティアは言う。

 

「さて、これで二人きりだね」

 

 聞き耳を立てている気配はない。

 ヘスティアの言葉通り、今この場には、リリルカとヘスティアの二人しか居なかった。

 

「本当に、ボクの言いたい事が分からないのかい?」

 

「は、はい……」

 

「そうか……」

 

 そう言ったヘスティアは、次にはこう言った。

 

「それじゃあ、話を少し変えようかな。思えば、きみだけに身の上話をさせるのは不公平だからね、ボクの話をしよう」

 

「え……?」

 

 突然と話題転換に戸惑うリリルカを無視し、ヘスティアは神の如く自分のペースで話し始めた。

 

「ボクがこの下界に降臨したのは、つい先日の事だ。ようやく順番がやって来てね」

 

「は、はぁ……そうなんですか……」

 

「下界にはそこまで興味はなかったんだ。ただ、ヘファイストスやアルテミスといった、ボクの神友が揃って下界に降りるもんだからさ、置いていかれるのが嫌で、ボクは引きこもっていた神殿を飛び出した訳だ」

 

「寂しいのは辛いからね」とヘスティアは続けて言う。

 

「オラリオに降りたボクは、すぐに神友の本拠(いえ)を訪ねた。久し振りにあった彼女はとても元気そうで、再会を喜んでくれた」

 

 ヘスティアは『久し振り』と口にしたが、それは果たして本当に『久し振り』なのだろうかとリリルカは訝しんだ。

 神と下界の住人ではそれこそ、時間の尺度が違う。もしかしたらヘスティアの言う『久し振り』は『何百年振り』かもしれないのだ。

 リリルカは黙って、ヘスティアの話を聞く事にした。それが彼女の神意に繋がると思ったからだ。

 

「彼女は、行くあてのないボクに、暫くウチに泊まるように言ってくれた。当然、ボクはその言葉に甘えた」

 

 当然なのか、とリリルカは反射的に突っ込みそうになった。

 ヘスティアがあまりにも堂々としているものだから、自分の価値観が可笑しいのかと自問自答してしまう。

 

「下界は『娯楽』で充ちていた。神々(ボクたち)が忌避してやまない『退屈』とは、この下界は程遠いものだった。それこそ、ジャガ丸くんにボクは感銘を受けた程だぜ」

 

「は、はぁ……」

 

「まあ、それから暫くして、ボクは神友から追い出された訳だけど」

 

 堪忍袋の緒が切れた彼女はそれはもう怖かった、とヘスティアは当時を思い返しながら、しみじみと言った。

 この女神はもしかしたらかなりのぐうたらなのでは? とリリルカの中で疑惑が生まれる中、ヘスティアは話を続ける。

 

「居候先を失ったボクは駄々を()ねて、彼女が管理していた廃教会を譲渡して貰った。そして、そこに住み始めた」

 

「は、はぁ……」

 

「教会には沢山の本があった。こう見えてもボクは元々読書家でね、埃を被っていた物語の中に没頭するのは、そんなに苦じゃなかった。だけどある日、ボクはある事を思い出した。そう、ご飯の問題だ」

 

「それは、まあ、そうでしょうね……」

 

 餓死寸前となったヘスティアは必死な思いで神友に泣き付いたが、相手にされなかったという。

 だがヘスティアは諦めなかった。最後の頼みだ、一生に一度のお願いだと縋り付き、神友はそれに折れたという。

 それからヘスティアは餓死を回避した後、現在のアルバイト先を斡旋して貰い、生計を立て始めたとの事だった。

 

「おっと、その呆れ顔は中々に堪えるね」

 

 ヘスティアが傷付いたように言う。

 だが、リリルカからすればヘスティアは羨ましい事この上なかった。

 ヘスティアの図太さ、そして、何だかんだと言って彼女を世話する神友。それは独りぼっちのリリルカからすれば、ある意味、理想でもあった。

 

「ボクはバイト先で怒られ、女神の矜恃なんてものを無くしながらも毎日を必死に生きていた。それと同時に、【ファミリア】の勧誘も行っていたのだけれど、ボクの眷族になりたいと言ってくれる子供は全く現れなかった」

 

 それは仕方のない事だった。

 何せ今の時代、【ファミリア】はそれこそ星の数ほどあり、ましてや『世界の中心』と呼ばれるオラリオで、途中参加者のヘスティアが【ファミリア】を築くのはとても難しかっただろう。

 ようは、ヘスティアには需要がなかったのだ。

 

「あの方とは、何処でお会いになられたのですか?」

 

 それ故に、不思議であった。

 目の前の女神と、あの少年はどのようにして出会ったのだろうかと。

 リリルカの初めての質問に、ヘスティアは嬉しそうにしながら答えた。

 

「詳しい話はまた後日するけれど、まあ、そうだね。あれは偶然でもあり、必然でもあったかな」

 

「……? どういう事ですか?」

 

「そのままの意味さ。話し掛けたのはボクだったんだけど、家族になりたいと申し出てきたのはベル君の方からだった」

 

 そして、女神は少年に自身の血を授け、二人は家族になったと言う。

 

「それからボク達は、今に至るまで家族として過ごしている」

 

 どこまでも穏やかな笑みを浮かべ、ヘスティアは言った。

 

「……」

 

 リリルカは複雑な気持ちだった。

 否、言葉を選ばないで表現するのなら──嫉妬で気が狂いそうだった。

 羨ましかった。

 自分とは違い、他者からこんなにも愛される少年が。そして、他者を愛せる少年が。

 そんなリリルカの心情を、ヘスティアは簡単に見抜く。それまでの柔らかな雰囲気から一転、威圧的な物に変わった。

 神性さを帯びた銀の瞳に射抜かれ、リリルカは呼吸さえ忘れてしまう。

 

「ボクは、きみを許すつもりはない」

 

「ッ……!」

 

「当然だろう。たった一人の可愛い我が子が騙されていたんだ。許せる筈がないだろう。生憎、ボクは慈愛とは程遠い女神でね、自分の気持ちには正直なのさ」

 

 そしてヘスティアは、致命的な一言を口にした。

 

「ボクは、きみが嫌いだ。大嫌いだよ、リリルカ・アーデ」

 

 直接浴びせられる、嫌悪の言葉。

 ヘスティアの言葉に、嘘偽りは微塵も感じられなかった。

 

「……」

 

 押し黙るリリルカを、ヘスティアは無言で見詰める。

 来た、と思った。

 女神の審判が、遂に訪れたのだ。

 

 

 

「──ここまで言われても、分からないのか」

 

 

 

 ヘスティアの声音には、苛立ちが含まれていた。

 だが、リリルカにはそれが分からない。

 本当に、分からないのだ。

 女神は溜息を吐くと、こう言った。

 

「仕方がない。これが最後のチャンスだよ、リリルカ・アーデ君。これを逃したら最後、ボクはきみを問答無用で管理機関(ギルド)に突き出す。ベル君が何を言おうと、主神権限で、きみとの接触を禁ずる」

 

 分かったね? とヘスティアが言う。

 リリルカはその意味が分からなかった。だが本能で、必死に頷いた。

 

「リリルカ・アーデ。きみは薄汚れている、卑しい奴だ。そうだね?」

 

「……はい」

 

 そうだ、自分は灰を被っている。薄汚れている。小汚く、醜い。

 

「リリルカ・アーデ。きみは犯罪者だ。経緯はどうあれ、きみは超えてはならない一線を超えてしまった。きみは『悪』に染まった。同情の余地はない。そうだね?」

 

「…………はい」

 

 生きる為に始めた犯罪が、快楽の為の犯罪になっていた時期があった。それは否定出来ない事実だ。

 

「リリルカ・アーデ。きみは独りだ。主神、眷族、仲間、全てから見放されたきみは、これまでも、そしてこれからも独りだ。そうだね?」

 

「………………」

 

「おや、違うのかい?」

 

 答えに詰まるリリルカを、ヘスティアは不思議そうに見詰める。

 

「…………」

 

 リリルカは、この問答に何の意味があるのかさっぱり分からなかった。この問答に何の必要性があるのか、何故、ヘスティアが二人きりになりたいとベル達に言ったのか、これっぽっちも分からなかった。

 それ故に、リリルカは考える。

 考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて──それでもやっぱり、分からない。

 

「さあ、ボクの質問に答えるんだ」

 

 考える時間すら、女神はくれない。

 

「さあ、さあ!」

 

 女神が、答えを迫ってくる。顔をリリルカに近付け、退路を断つ。

 

「リリは、私は……──」

 

 そして。

 

「……違う……」

 

 リリルカは何も考えず、己の心のままに、気が付けば言っていた。

 

「私は……独りじゃ、ありません……」

 

「何を言うのかと思えば。いやはや、片腹痛いねリリルカ君。きみは独りさ」

 

「……違います。確かにヘスティア様の言う通り……昔の私は、独りでした。でも、今は違う!」

 

 そうだ。

 違う。

 全然、違う。

 一緒に生活しようと、提案してくれた心優しい地精霊(ノーム)が居る。

 同じ境遇の、同士が居る。

 何よりも──こんな自分を助けようとしてくれている、少年が居る。

 

「私は、その言葉だけには首を縦に振れません。だって、もしそうしたら、私はまた、あの人を裏切ってしまう! あの人から笑顔を、奪ってしまう!」

 

「……」

 

「ヘスティア様の仰る通りです。私は、罪を犯しました」

 

 リリルカはヘスティアの瞳を臆すことなく、真正面から見詰めた。

 

「私はもう、自分から逃げません。自分自身と向き合い、この罪を背負っていきます」

 

「……それで? きみはこれから、どうするんだい? 具体的には?」

 

「まずは、管理機関(ギルド)に自首します。そして、私はあの人の元に必ず戻ります」

 

「戻って、どうするんだい?」

 

「冒険を」

 

 リリルカはもう、迷わなかった。

 

「あの人と一緒に、冒険をしたい」

 

「あの子は本気で『英雄』になろうとしている。きみは、あの子の速度について行けるのかい?」

 

「ついて行きます、必ず。だって私は、あの人の『サポーター』ですから」

 

 言い切る。

 決意を、本当の想いを、女神に宣言した。

 

「…………そうか」

 

 無限にすら思える時間の果てに。

 ヘスティアは、そう、呟いた。

 そして一度顔を俯かせ、もう一度、顔を上げる。そこには、それまでの剣呑な雰囲気が嘘ではないかと思わせるほどの、魅力的な笑顔が浮かんでいた。

 

「その言葉を、待っていた!」

 

「……へ?」

 

 呆然とする、リリルカ。

 そんなリリルカに、ヘスティアはこう言った。

 

「リリルカ・アーデ。きみは、あまりにも自罰的だね。ボクから言わせて貰えば、きみは考え過ぎだよ」

 

「考え過ぎ……?」

 

「ああ、そうさ。きみは悪人になんて、元々向いていなかったんだよ。それなのにきみときたら、全て、自分が悪いのだと思い込んでいるじゃないか」

 

「そ、そんな事……!」

 

 ない、とリリルカが否定するよりも前に、ヘスティアは断言する。

 

「勿論、きみにも責任は十分にあるさ。だがきみがそうならざるを得なかったのは、周りの大人や環境が悪かったからだよ」

 

「……っ」

 

「この迷宮都市(オラリオ)には『奴隷制度』がないね。それはきっと、この都市が『英雄の都』と呼ばれているからなんだろうけど……それ故に、矛盾点も多い」

 

 それがどういう意味なのか、リリルカには分からなかった。

 だが唯一、恐らく、今のヘスティアは神の視点で論じているのだろう、という事だけは分かる。

 

「話を戻そうか。きみは、自分の答えを出した。それがボクの求める、最低条件だった訳だ」

 

「最低条件……?」

 

「ああ、そうだよ。きみはきっと、ボクがきみを、女神として断罪すると思っていたんだろう?」

 

 内心思っていた事を当てられ、リリルカはビクッと身体を上下させた。

 だがそんなリリルカへ、ヘスティアは何て事のないように言う。

 

「きみ達子供の悪い癖だよ、それは。今どき誰も、そんな事はしないぜ。まず間違いなく、皆、自分の事は自分で決めろと言うだろうさ」

 

「……」

 

「その人にとっての悪い事をした時、人は、少なからず罪悪感を抱く物だ。それは主観やこれまで培ってきた倫理によるものだ。結局の所、罪悪感なんてものはね、自分で自分を許せるかどうかでしかないんだよ」

 

 リリルカは、その言葉を胸に刻んだ。

 

「きみは、チャンスを棒に振らなかった。おめでとう、そしてよくやった、リリルカ・アーデ。きみはまだ、やり直せるよ。この炉の女神が保証しよう」

 

「はい……はいっ! ありがとう、ございます……!」

 

 リリルカは泣いた。声を出して、泣いた。

 そして涙が乾き、しゃくり声が収まった頃、ヘスティアは「さて!」と暗い空気を飛ばすように大声を出した。

 

「これからの事を考えようか! 本題はそれだからね!」

 

 そうだ、いつまでも下を向いていては駄目だ。

 自分の事は自分で考えないと。そう決意したリリルカは、ふと、ある違和感に気が付いた。

 人の気配が、全然しないのだ。此処、『青の薬舗』がどれだけの広さの本拠なのかは分からないが、それにしても、全く、人の気配が感じ取れない。

 あの喧しい少年ならば、話が終わり次第、この場に戻ってきそうなものだが。

 

「あ、あのヘスティア様……? 他の方達はどちらにいらっしゃるんですか?」

 

「ああ、その事なんだけどね。実は、ベル君達が席を外したのは決まっていた事だったんだ。彼等には一つ、頼み事をしていてね。今はその用事を済ませて貰っているという訳さ」

 

「は、はあ……」

 

「ボクの見立てでは、そろそろ帰ってくると思うよ」

 

 それから、数分後。

 部屋の外から、複数の気配と話し声が聞こえた。その中には、少年の声も混じっていた。

 

(どんな顔をして会えば……? いえ、まずは改めて、謝罪と、感謝の言葉を……──)

 

 ドアが開かれるのを、リリルカは待った。

 そして、その時は来た。

 

「迷える小人族(パルゥム)の少女よ! 俺が、ガネーシャだぁああああああああ!」

 

 ……。

 そこには、象の仮面を被った上半身裸の変態が居た。

 あちゃー、とヘスティアがこめかみを押さえる中、変態の後ろから、ベルが現れた。

 リリルカと目が合うと、彼はにっこりと笑った。

 

(あっ、これ嫌な予感……!)

 

 そう思ったその時には、遅かった。

 

「私が、ベル・クラネルだぁあああああああ!」

 

「喧しいです静かにして下さい!?」

 

 思わず怒鳴った自分は悪くないだろう。

 リリルカは、心からそう思った。

 

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