さあ──『喜劇』を始めよう!   作:Sakiru

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斯くして、『彼』は『運命』と再会した

 

 ダンジョンに、剣戟の音が響いていた。

 

「十時、影の異形(ウォーシャドウ)が二体! 三時の方角からゴブリンが三体接近中です!」

 

「分かった! ──はぁああああああああ!」

 

 信頼出来る支援者からの報告に冒険者は了承の返事をし、雄叫びを上げる。

 愛剣である《プロシード》を(ひらめ)かせ、迫り来るモンスターの群れに立ち向かう。

 剣戟の音が終わったのは、それから間もなくであった。

 

「お疲れ様です。随分と調子が良さそうですね」

 

 差し出された手拭いに「ありがとう」とベルはお礼を言いながら受け取り、顔を一度拭く。

 

「これなら当初の予定時刻よりも早く、11階層に行けそうですね」

 

 現在、ベルとリリルカが居るのはダンジョン7階層。そこからモンスターとの遭遇(エンカウント)率や休憩時間の確保、様々な要素からリリルカがそう計算する。

 

「少し早いですが、一度、この階層の広間(ルーム)を安全地帯にして本休憩を取りましょう」

 

「分かった」

 

「予定としては、8、9階層を最大速度で突破。9階層最奥の広間(ルーム)付近にて、本日最後の小休憩を。その後、10階層を突破して11階層へ。目標としては、半分は踏破したいです」

 

「そうか。それなら、そうなるよう頑張るとしよう」

 

「貴方の能力値(ステイタス)なら十二分に可能です。答える必要はありませんが、殆どの『基本アビリティ』が高い評価を得ているのでしょう?」

 

「流石だな。隠さず言うと、リリの推測通りだ」

 

「そうでしょうね」と、リリルカは考えを的中させたのにも関わらず特に喜ばなかった。

 優秀な支援者(サポーター)は、雇用主の現在の力量を正しく理解していた。

 

「さあ、次、行きましょう。時間は有限です。少しでもモンスターを倒して、『魔石』を地上へ持ち帰らないと行けませんからね」

 

「ああ、そうだな」

 

 ベルはパーティメンバーと頷き合うと、再び移動を始める。

 それからベル達は、リリルカの予測通り破竹の勢いで迷宮探索を進めて行った。

 今のベル・クラネルにとって、7階層では物足りない。巨大蟻(キラーアント)の硬い甲殻でさえも、能力値(ステイタス)の『力』補正によって、甲殻を『魔石』ごと一刀両断出来る。6階層から出現する影の異形(ウォーシャドウ)が繰り出す鋭利な鉤爪状の指も、冒険者の影すら掠められない。

 そしてベル達は、7階層最奥の広間(ルーム)に到着する。

 そして予定通り、この広間(ルーム)を安全地帯として活用する。とは言え、モンスターが完全に産まれない訳ではない。モンスターを産むよりもダンジョンの維持を優先するというダンジョンの特性を利用し、壁や天井、地面といった箇所に攻撃する事でダンジョンの意識を誤認させ、一時的にモンスターの湧出を送らせているに過ぎない。

 

「そう言えば、あの時みたいに剣は二本使わないのですね」

 

 酒場の女将が用意してくれた弁当を美味しく食べ終えた頃、ふと思い出したように、リリルカがそんな疑問を口にした。

 栗色の瞳が、ナップサックの留め具に固定されている一本の長剣に向けられる。

 

「あー、いや、使いたいには使いたいのだが……」

 

 言い淀みながら、ベルも、自身の深紅(ルベライト)の瞳を長剣──《プロミス─Ⅱ》に向けた。その剣は、まるで眠っているかのように漆黒の鞘に収まっている。

 

「何か理由でもあるのですか?」

 

 その質問に、ベルは中々答えない。

 らしくないベルに怪訝な表情を浮かべながらも、リリルカはサポーターとして提言する。

 

「あの時の貴方の攻撃力には目を見張るものがありました。今後の探索を思えば、理由もなしにそれを使わない手はないでしょう。手を抜ける程、ダンジョンは決して甘くありません」

 

「分かった、分かった。理由を言おう」

 

 観念したようにベルは両手を上げて降参の意を示すと、理由を言った。

 

「使えるには使えるんだがな。どうやら今の私では、制限時間(タイムリミット)があるようなんだ」

 

「……制限時間(タイムリミット)、ですか?」

 

「ああ、そうだ」

 

 ベルは重く頷くと、真剣な表情で続けて言った。

 

「私もこの前の一件で初めて知ったのだが……同時に剣を二本扱うというのは思っていた以上に脳と身体を酷使するようだ」

 

「……なるほど。それなら納得出来ます」

 

 一度そう頷いたリリルカだったが、それで引き下がる事はしなかった。「それで?」と質問を重ねる。

 

制限時間(タイムリミット)と言いましたが、具体的にはどれくらいですか?」

 

「……あー、いや、その……何て言ったら良いのかな……」

 

 歯切れの悪い返答をするベルに、リリルカは困惑する。

 数秒後、ベルは衝撃的な事を言った。

 

「非常に言い辛いのだが……分からないんだ、それが」

 

「……はい?」

 

「う、嘘じゃないぞ。本当に分からないんだ。ただ言えるのは、私の限界が来た時だと思う。正直、あの時も途中から頭痛がしたし、いつもより疲れていた」

 

 片頬を掻きながら、ベルはらしくなく、ほとほと困ったように笑った。

 それを見たリリルカは、ベルが冗談を言っている訳ではないと分かってくれたようだった。

 

「……それなら、『使い時』を間違えないようにしないといけませんね」

 

 顎に手を当てて、リリルカは思考する。

 

「理屈はさっぱり分かりませんが……敢えて理由付けするのなら、今の貴方の階位(かいい)の限界が、そこなのかもしれませんね」

 

「……階位(かいい)の限界?」

 

「ええ、そうです。とはいえ、あくまでも可能性の一つでしかありませんが」

 

 そう前置きしたリリルカは、仮説を展開していく。

 

「『理想』と『現実』が一致していない。とはいえ、全くそうという訳ではない。それ故に、頭痛や体力の消耗といった形で肉体という『器』が悲鳴を上げる」

 

「……」

 

「『魂』に『器』が追い付いていない状態と言っても良いかもしれません。そして、『器』を昇華させる方法はたった一つ──『昇格(ランクアップ)』です」

 

 避けては通れない道だと、リリルカは断言する。

 

「『昇格(ランクアップ)』とは、超越存在(デウスデア)たる神に近付く事と言われています。そして、その果てに貴方が目指す『英雄』が()る」

 

「……そうだな。リリの言う通りだと、私も思う」

 

 ベルが神妙に頷いた。

 そして、リリルカはベルに尋ねる。

 

能力値(ステイタス)的には、貴方はいつでも『昇格(ランクアップ)』出来るのでしょう?」

 

「ああ。隠しても意味がないから言うが、その通りだ」

 

「それなら、貴方に必要なのはより質の高い【経験値(エクセリア)】となります。言わば……──」

 

 その先に続く言葉を、ベル・クラネルは知っている。

 深紅の瞳で制すると、冒険者は結論を口に出した。

 

「──『冒険』か」

 

「ええ」と、リリルカは深く頷いた。

 

「『冒険』なくして、『器』の昇華は有り得ないでしょう。今代の『英雄候補』達も──嘗ての『英雄』達も、『冒険』を乗り越えてきました」

 

『冒険』とは、自身の物語を一頁進める事である。

 それこそが『冒険』であり、それは大きな意味を持つ。

 

「とはいえ、不可解な点があります」

 

「……不可解な点? それは何だ?」

 

 首を傾げる、ベル。

 リリルカは真剣な表情を浮かべ、深紅の瞳を下から覗き込んだ。

 

「私の見立てが正しければ、貴方は既に上位の【経験値(エクセリア)】を得ている筈なのです。いえ、そうでなければ可笑しい」

 

 そう言うと、リリルカ・アーデはこれまで彼女が何度も抱いてきた『違和感』を口にした。

 

「『モンスター脱走事件』の時。貴方は銀の野猿(シルバーバック)と戦い、勝利しています」

 

「だがそれは前にも言っただろう。あれは、『魔剣』という反則手を使ったに過ぎないと」

 

「そうだとしても、です。その時の貴方にとって、銀の野猿は格上だった。本来なら勝てない相手だった。そうでしょう?」

 

「ああ、そうだ。だから私は『魔剣』を──」

 

「そこですよ、そこ」

 

 ベルの発言を遮り、リリルカは強調する。そして、生じている認識のズレを言った。

 

「貴方は勘違いをしているようですが……何も『冒険』とは、必ずも真正面から臨む必要はないのです。一体の強大なモンスターに、パーティを組んで戦いを挑むのを貴方は卑怯だと言うのですか?」

 

「いや、そうは思わないが……」

 

「貴方が頑なに認めない『魔剣』もそれです。もし『魔剣』を使う事が反則手なのだとしたら、神様達はそれを言っていますし製造を認めません」

 

 リリルカはさらに言った。

 

「『過程』はどうであれ、貴方は格上に勝った。ましてや、『魔剣』を使うまで貴方はたった一人で戦っていたと聞いています。後ろに、無辜の民を庇いながら」

 

「……」

 

「リリから言わせて貰えば、これは間違いなく『冒険』です。そうでなくても、上位の【経験値(エクセリア)】になっていなければ可笑しいです」

 

「まだまだ他にもあります」と、リリルカは持論を披露する。

 

「以前、話に出た正体不明の『謎の冒険者』からの襲撃。さらには……その、リリを助ける為に行った7階層での大立ち回り。リリが知っているだけでもこれだけあります」

 

 そして、リリルカ・アーデはベル・クラネルに投げ掛けた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()? それが分からなければ、貴方はずっと、今の貴方のままです」

 

「それは……──」

 

 ベルはそれに答えようとして、中々、二の句が継げなかった。

 そんなベルを、リリルカは呆れもせず笑いもせず、ただ無言で見詰める。そして、遠慮がちにベルの手を取ると言った。

 

「どうか、進む道は間違えないよう注意して下さい。その先の破滅を、リリはよく知っています」

 

「……ああ、肝に銘じる。そして、考え続けるよ。ありがとう。やっぱり君は、とても優しいな」

 

「〜〜っ!? 全く、貴方はいつもそうやって!?」

 

 ダンジョンに居る事を忘れ、顔を真っ赤にしたリリルカが叫び声を上げる中。

 ベルは探索を再開すべく立ち上がると、浮かべていた笑みを収めて呟いた。

 

「私にとっての『冒険』、か……」

 

 

 

 

§

 

 

 

 支度を終え、ベル達は広間(ルーム)から出るとダンジョン探索を再開した。7階層から8階層へ下に降りる。

 特に苦戦する事なくモンスターを倒し、そのまま9階層へ。

 

「変ですね……」

 

 階段を降りていると、リリルカがそんな疑問を口にする。

 足を止めベルが振り返ると、リリルカはこう言った。

 

「他の冒険者と、全くすれ違いません」

 

「……そうか?」

 

 腑に落ちないベルに、リリルカは再度言った。

 

「8階層に来てから、他の冒険者を一度も見掛けていません。それが、変です」

 

 そう言うと、リリルカは懐から懐中時計を取り出した。

 

「時間は、お昼を少し過ぎていますか……。この時間、ダンジョンに足を運ぶ冒険者は統計的に最も多い筈……」

 

 ブツブツと呟く、リリルカ。

 そんなリリルカへ、ベルは言った。

 

「今日は【ロキ・ファミリア】の遠征開始日だろう。彼等にモンスターが倒されると踏んで、敢えて休息日にしているんじゃないのか?」

 

「……そう、かもしれませんね」

 

 ベルの推測に、リリルカは歯切れ悪くも頷いた。

「申し訳ございません。進みましょう」と謝罪をするサポーターへ、ベルは気にするなとフォローする。

 歩みを止めていた足を再び動かし、階段を降りる。そして、9階層へ到着する。

 

 

 そして、それから僅かの時間でベル達は再び足を止めた。

 

 

 9階層の最深部。この広間(ルーム)には10階層へ続く階段がある。

 ベルとリリルカは、顔を見合わせた。

 

「……やっぱり可笑しいです。この階層に来てからたったの一度も、モンスターと遭遇していません」

 

「ああ、そうだな。リリの言う通りだ。流石の私も、これは可笑しいと思う」

 

 ダンジョンは下の階層へ行く程、モンスターの出現率及び遭遇(エンカウント)率が上昇していくという特徴がある。それなのにも関わらず、ベル達は9階層へ到着してからたったの一度もモンスターと遭遇(エンカウント)していなかった。

 

「それに、他の冒険者とも一度も会ってない。戦闘音も聞こえない」

 

 いくらベルが耳を澄ませども、冒険者の雄叫びやモンスターの唸り声、剣戟の音は聞こえなかった。

 ダンジョンには決して相応しくない、静寂。

 ベルの中で、選択肢が二つ生まれる。

 行くか、行かないか。

 単純にして究極の二択。

 それを前にして、ベルは逡巡し、決断する。

 

「──行こう」

 

「……分かりました」

 

 リリルカは、サポーターとしてベルの判断を尊重した。

 通路に入り、短い一本道を渡り終え、次の広間(ルーム)へ。

 そして、『それ』を見た時、ベル達は立ち尽くした。

 

「なん、ですか……これ……!?」

 

 リリルカが目を大きく見開かせ、驚愕の声を出す。

 それは、ベルも同じ思いだった。

 ベルは自分の目が最初信じられなかった。だが、何度瞬きしても視界は変わらず、それが夢や幻ではなく現実だと証明していた。

 

「これ全部、血、なのか……?」

 

 ベルが思わず呟くが、それを拾う者はいなかった。

 9階層の広間(ルーム)は、一つ一つの面積が大きいという特徴がある。芝生を思わせる草原は、その殆どが赤く変色していた。

 

「……あれは!?」

 

『それ』を発見したベルが、駆け出す。草木を踏み締め、一直線に進む。

 

「ちょっと待って下さい!? まずは状況把握を!?」

 

 背後から飛んでくる制止の声を無視してベルは走り、『そこ』に辿り着く。『そこ』は四つあるうちの一つの壁であり、地面と同様、赤色に染まっていた。

 そして、そんな壁と同化するようにして、身体を預けて一人の冒険者が居た。頭から血を流し、全身が血塗れの男の肩を、ベルは自分の手が汚れる事も厭わずに強く摑む。

 

「大丈夫か!? 声は聞こえるか!?」

 

 必死に声を投げ掛けるも、冒険者からの返答はなかった。全身から力という力は抜けているようで、ベルの手には手応えというものがまるでない。

 頭部は何か大きな衝撃を受けたのか変形している。特徴的な耳から、辛うじて獣人である事が分かった。瞳孔は恐怖で大きく開いている。口は中途半端に開き、何か言葉を紡ごうとしているようだった。それが悲鳴か、あるいは遺言なのかは分からない。

 

(死んでいる)

 

 冒険者が既に物言わぬ亡骸となっている事を、ベルは認めざるを得なかった。

 そして、亡骸は一つだけではなかった。遠目からでは分からなかったが、冒険者の遺体は他にもあった。共通しているのは、彼等の表情が『絶望』その物であるという事。

 

「勝手に動かないで下さい! ──……え?」

 

 片膝をつき歯噛みしているベルに、リリルカが合流する。最初こそ怒声を上げていたリリルカだったが、最後は疑問の声を出した。

 異変に気が付いたベルが顔だけ振り向かせると、リリルカは信じられないとばかりに目を見開かせ、呆然としていた。

 そして、リリルカは戸惑いの声を出す。

 

「カ、カヌゥ様……?」

 

「知っているのか!?」

 

 ベルが尋ねると、リリルカは「は、はい」と頷いた。

 

「この人は……リリと同じ【ソーマ・ファミリア】の構成員です。そして、リリを標的にしていた連中……その筆頭でもあります」

 

「何だと!?」

 

「……カヌゥ様だけじゃありません。この人も、この人も……みんな、【ソーマ・ファミリア】の構成員で、カヌゥ様に従っていた人達です。とはいえ、見知らぬ顔も中にはありますが……」

 

 衝撃の事実に、ベルは驚愕する事しか出来なかった。

 

「一体、どういう事だ……!?」

 

「分かりませんよ! 分かりませんが……この人達が誰かに殺されたのは確実です……」

 

「見て下さい」とリリルカは、カヌゥの頭部を震えながら指さす。そこには見るも無惨な傷が出来ていた。

 サポーターは顔面蒼白させながらも、冷静さを捨てていなかった。傷の周囲をよく観察し、その結果を報告する。

 

「この傷……斬り傷によるものだと思います」

 

「斬撃……? つまり、冒険者という事か?」

 

「……その可能性が高いかと。影の異形(ウォーシャドウ)をはじめとしたモンスターの可能性も高いですが……カヌゥ様はLv.1の中でしたら上位の能力値(ステイタス)があったと記憶しています。ましてや此処は、9階層です。モンスターに後れを取る事はほぼほぼ無いかと思います」

 

 同じ【ソーマ・ファミリア】という派閥に属しているからこそ、リリルカの言葉には説得力があった。ましてや、散々虐げられてきたのだ。文字通り、身をもって知っている。

 

「……『抗争』か?」

 

「その可能性はありますが……低いでしょう。【象神の杖(アンクーシャ)】が仰っていましたが、【ソーマ・ファミリア】は『都市の憲兵(ガネーシャ・ファミリア)』が注意を向けていて尚、決定的な証拠を隠し通してきました。それは団長の手腕によるところがとても大きいですが、代々、【ソーマ・ファミリア】は立ち回るのが上手かったのです」

 

「……それは厄介だな」

 

「どちらにせよ」と、リリルカは締め括った。

 

「この付近はとても危険です。今すぐに地上へ撤退しましょう」

 

 それは非常に合理的な選択だった。

 Lv.1の上位に居る冒険者を倒せるのは、それだけの力量を持つ冒険者であるという事。もしかしたら上級冒険者かもしれない。

 その者の狙いが何か分からない以上、この場に留まるのは危険でしかない。

 だがしかし、ベルはそれが合理的だと分かっていてなお即決出来なかった。

 

「……待ってくれ、他の冒険者も襲われているかもしれない」

 

「何を仰っているのですか。此処は、法の効かないダンジョンです。私達冒険者はそれを覚悟してこの地下迷宮に挑んでいます。全て、自己責任です」

 

「だ、だが──」

 

 ベルの言葉を、リリルカは強い口調で遮った。

 

「この状況下に於ける最適な行動は、地上に戻り可及的速やかに管理機関(ギルド)へ報告する事です。すぐにでも原因究明の為、上位派閥へ強制任務(ミッション)が出るでしょう。私達のような下級冒険者に出る幕はありません」

 

 リリルカ・アーデは緊急時であっても……否、緊急時だからこそ、正しい判断が出来る人間だった。

 いっそ冷徹な程に、リリルカは現実を見ていた。

 

「断言します。貴方のそれは、ただの『偽善』です」

 

『偽善』。

 リリルカ・アーデのその表現は、何も間違っていなかった。

 ベル・クラネルは、それを分かっている。他ならないベル自身が、それを理解している。

 

「それでも──その『偽善』で助けられる人が居るのなら。『僕』は、その人を助けたい」

 

『道化』は愚かにも踊る事を選んだ。

 そして『道化』がそうする事を、仲間の少女は知っていた。

『道化』の選択を、仲間の少女は糾弾しようとして……──出来なかった。

 

「ああ、もう! 本当に、本っ当に! 貴方って人は!?」

 

 リリルカはベルを強く睨んだ。だが、それだけだった。

 

「リリは何度も言いましたからね! 後で後悔しても知りませんからね!?」

 

 ぷんすかと怒りながら、リリルカは生きる為に装備を整える。

 それが優しさから来るものだと、ベルは分かっていた。

 冒険者達の遺体を一箇所に纏め──リリルカは複雑そうな表情を浮かべていたが、丁寧な処置を行った──そして、9階層をあとにする。

 普段よりも長く感じる階段を降り、10階層へ。

 10階層最大の特徴にしてダンジョンギミックである、『靄』がベル達の視界を遮る。

 

「リリ、いつもよりも近くに居て欲しい」

 

「……ええ」

 

 言葉を短く交わし、ベルは普段よりも神経を張り詰めながら辺りを警戒する。

 

「静かですね……」

 

 真後ろに居るリリルカが、囁くようにして言った。

 10階層も9階層と同様、否、それ以上に異様な静寂が支配していた。

 オークの豚のような唸り声も、インプやバッドバットの奇怪な鳴き声も聞こえない。

 何よりも、人の気配が全く感じられなかった。

 

「誰か! 誰か居ないのか!?」

 

 危険を承知で、ベルは叫んだ。広間(ルーム)に大きく反響するが、望んだ返答はない。

 それでも声掛けを継続しながら歩いていると、突然、リリルカが「あっ」と小さな悲鳴を出した。直後、ドサッと物音が立つ。

 

「リリ!?」

 

「だ、大丈夫です……どうやら、枯木の根に躓いたようで……──ヒッ!?」

 

 先程ほどとは温度の違う、悲鳴。

 ベルが後ろを振り返った時、リリルカは尻もちをついていた。その固まった表情で、ずるずると地面を後退する。

 

「こ、これ……まさか……」

 

 恐怖に染まった声。

 だがそれは、ベルも同じ思いだった。リリルカが躓いたそれを凝視する。

 

「冒険者の……腕……なのか?」

 

 呆然と、ベルはそれを手に取る。

 それは疑いようもなく、人体に於ける右腕だった。小指が本来曲がらない方向に曲がっており、親指は第一関節上から無い。

 

「……」

 

 腰を落として目線を低くし、ベルは辺りを見回した。地面から立ち昇る『靄』を睨め付けるようにして凝視する。

 そして、ベルはそれを見た。

 

「ヒッ……ッ!?」

 

 リリルカの小さな唇から、悲鳴が洩れる。

 それは、ベルも同じ思いだった。深紅の瞳を大きく見開かせ、『それ』を映す。

 

「これ全部……死体、なのか……?」

 

 その嗄声が自分のものだと言うことに、ベルは暫くの間気が付かなかった。

 肉塊が、広間(ルーム)の至る所に転がっている。

 血だらけの、物言わぬ亡骸。

 刃こぼれした武器──武具に掘られている、派閥を象徴する徽章。

 広間(ルーム)は既に、冒険者の墓場となっていた。

『惨劇』が、ベル達の目の前にあった。

 

「うぁ……ぁ……。だれか……」

 

 今にも掻き消えそうな、呻き声。

 

「リリ! 今の声、聞こえたか!?」

 

「はい、確かに!」

 

 ベルはリリルカと顔を見合わせ、全神経を使って発生源を突き止める。

 

「……だれか……たすけ……」

 

 耳朶を打つ、小さな生命の声。

 

「……また聞こえた!」

 

「恐らく、九時の方向です!」

 

 リリルカと頷き合い、ベルは地面を蹴った。道中、視界の端には幾つもの死体が映る。背後で仲間が悲鳴を上げるのを聞きながら、ベルは発生源に向かう。

 

「──居ました! 枯木に身体を預けています! 数、二!」

 

 小人族(パルゥム)亜人族(デミ・ヒューマン)の中でも視力が良い。『靄』の中、ベルよりも先に発見したリリルカが、端的に報告する。

 そしてベルも、自身の深紅(ルベライト)の瞳で生存者を映し出す。サポーターの報告通り、枯木の幹に二人の冒険者が身を寄せ合っていた。

 

「大丈夫か!?」

 

 大丈夫でない事は明白だったが、そう、声を掛けずにはいられなかった。

 

「頼む……たすけて……くれ……」

 

 冒険者は、ベル達と同じ二人一組(ツーマンセル)のパーティのようだった。一人は片目を潰され、そしてもう一人は──いつ事切れても可笑しくない程の重傷を負っている。

 

「まだ……死にたくない……」

 

 助けを求めていたのは、どうやら、片目を潰されている冒険者のようだった。

 今にも手放しそうな意識を意地で繋ぎ続け、助けを呼んでいたのだ。全ては自分と、仲間が助かる為に。

 

「リリ、私はこの重症の冒険者を診るから、こっちの冒険者を頼む! 応急処置は出来るか!?」

 

「出来ます!」

 

 優秀な支援者(サポーター)は、ベルが指示を出すよりも早く動き出していた。恐怖で身体を震わせながらも、リリルカ・アーデは自分をしっかりと持っていた。

 ナップサックから救急箱を取り出し準備を進める頼もしい仲間を視界に収めつつ、ベルは改めて重傷者を見た。

 頭部には右眼の上に横三CM(センチメドル)の深傷。それ以外にも、全身の至る所に切傷や深傷、打撲や内出血が見られた。

 

(だが、それ以上に……この胸の傷! 深い! 使われたのは長剣……いや、大剣か……?)

 

 心臓部付近にある、大きな傷。傷口からは血が流れ、目を凝らせば、骨や内臓が露出しているのが見て取れた。

 

(普通の治療じゃ到底間に合わない!)

 

 ベル・クラネルは冒険者だ。治療師(ヒーラー)ではない。簡単な傷なら応急処置は出来るが、これはどうしようもなかった。

 

「こちら、応急処置終わりました! 恐らく、命に別状はないかと思います!」

 

「……そうか、分かった。ありがとう」

 

 ベルはリリルカに礼を言うと、片目を潰されている冒険者が這うようにして縋り付いてきた。

 

「頼む……たのむよ……仲間を……なかまを、どうか……」

 

 仲間を助けて欲しいと、片目を潰された冒険者は何度も懇願する。だが本当の意味での限界が来たのだろう、その譫言も途絶えてしまう。

 意識を失った冒険者を、ベルは抱きとめる。

 

「この人はもう……助かりません……」

 

 リリルカが小さな声で、そう言った。

 それは、今まで思ってはいても口にしてこなかった、これから起こるであろう事実だった。

 

「……撤退しましょう。貴方は兎も角、リリは小柄です。ましてや、ナップサックもあります。荷物を限界まで捨てても、とてもではないですが、人ひとりを抱えて運ぶ事は出来ません。貴方がそれを担うとしても、手が塞がるのですぐに戦闘態勢を取れないでしょう。なので、モンスターはリリが『魔剣』を使って倒します。それしか方法はありません」

 

「……」

 

「幸い、こちらの冒険者は間に合います。目は治るか分かりませんが……。恐らく、他に生存者は居ない……居たとしても、リリ達ではこれ以上助けられません。助けられるこの人を、確実に助けましょう」

 

 それは、非常に合理的な判断だった。

 否、ベルとリリルカの命を最優先にするという意味でなら、それは非合理だった。

 リリルカはベルに、譲歩しているのだ。

 

「今は一刻も早く地上へ帰還しなければなりません。ええ、そうです……。リリ達は判断を間違えました。リリ達の想定を、『これ』は遥かに超えています。『これ』は正真正銘──異常事態(イレギュラー)です」

 

 そして、リリルカ・アーデは悔恨の表情を浮かべながら、

 

「リリ達では、この問題を解決出来ません」

 

 そう、断言する。

 言う事を言ったリリルカは、パーティリーダーが判断を下すのを待った。

 十数秒経って、ベルは言った。

 

「……そうだな、君の言う通りだと私も思う。──撤退しよう」

 

「はい!」

 

 返事をするリリルカ。

 しかし、ベルはナップサックを背負い直そうとするサポーターへ「ただし」と言った。

 

「助けるのは一人じゃない。二人だ」

 

「……は?」

 

 リリルカが呆けた声を出した時には、ベルは既に行動に移していた。レッグホルスターから一本の試験管を取り出し、その蓋を開ける。

 

「ちょっ、それ、万能薬(エリクサー)ですよね!? 正気ですか!?」

 

 ベルが何をしようとしているのか、聡いリリルカはすぐに理解した。驚愕と制止の声に、ベルは顔を向ける事なく言った。

 

「助けられる手段があるのなら、それを使わない手はないだろう」

 

「……そうだとしても! 貴方のご友人は、貴方の為にそれを渡した筈です! さっきも言いましたが、それは『偽善』……いえ、ただの『押し付け』でしかない! 何故、名前も知らない赤の他人の為に貴方はそうまでするのですか!」

 

 到底理解出来ないとばかりに、リリルカが強く叫んだ。

 その疑問に、ベルはやはり顔を向ける事なく答える。万能薬(エリクサー)の液体を冒険者の口に流し込みながら。

 

「言っただろう、助けられる手段があるのならそれを使うと」

 

「だから! それが理解出来ないんですって! リリの時もそうでした! あの時も貴方は万能薬(エリクサー)を使いましたよね!? それがどれだけ貴重なのか、貴方は分かっているんですか!?」

 

「分かっているとも」

 

 そこで初めて、ベルはリリルカを見た。

 真剣な表情を浮かべ、「分かっているさ」と再度同じ事を言う。

 

「これは、私のような駆け出し冒険者が持つには不相応な品物だ。これ一本を作るのにどれだけの時間と労力が必要なのかまでは知らないが……」

 

「なら!」

 

「だが、これが友人の優しさと努力の結晶である事は知っている。きっと、あの優しい彼女は呆れるだろう。怒りもするだろう。だがしかし、それ以上に! 私の行動を、彼女は尊重してくれる! 私は、それを確信している!」

 

 ベルはそう言い切ると、試験管を傾けて入っていた液体を冒険者の口に全て流し込んだ。

 効果はすぐに表れ、冒険者の全身という全身にあった傷口が塞がれていく。浅い呼吸は落ち着きを見せ、悪かった顔色も普通となった。

 

「私が二人を運ぶ。リリは当初からの計画通り、モンスターと遭遇(そうぐう)したら『魔剣』で倒してくれ」

 

「……仕方ありません。言いたい事はまだまだ山ほどありますが、それは生きて帰ってからにしましょう」

 

 リリルカはそう言うと、思考を切り替えた。ナップサックの留め具から炎を出す『魔剣』を取り出す。

 

「それと、リリ。これを渡しておく」

 

「……良いのですか?」

 

「ああ。寧ろ、もっと早く渡しておくべきだった」

 

 ベルはそう言いながら、万能薬(エリクサー)を二本リリルカへ手渡した。

 

「残っている万能薬(エリクサー)はリリに渡したので二本、そして、私が持っている一本の計三本。もし必要になったら、遠慮なく使うんだ」

 

「……分かりました」

 

 リリルカが重く頷いたのを見て、ベルは微笑んだ。

 そして立ち上がると、辺りを警戒しながら指示を出す。

 

「出せる限りの最大速度で、私達はこの階層から脱出する。まずはそうだな……7階層だ。7階層を目標地点とする。異論はあるか?」

 

「ありませんが、進言を幾つか。7階層で改めて負傷者の経過観察及び小休憩を取りましょう。また、戻る最中もし他の冒険者と会ったらこの異常事態を情報共有。信に足る人物なら、協力を要請。これでどうでしょうか?」

 

「それで構わない。願わくば、フィン……【ロキ・ファミリア】と運良く会えれば良いのだが。あそこには都市を代表する冒険者が勢揃いしている。『遠征』中で申し訳が立たないが、恥を忍んで助けを求めるしかないだろう」

 

 サポーターと話し合い、ベルは方針を定めた。

 そして、移動を開始するべく、まずは片目を失った冒険者を担ごうとした、その時。

 遠吠えが、聞こえた。

 

『──ォ、────ォオ』

 

 その瞬間。

 ベルは反射的に《プロシード》を鞘から取り出し戦闘態勢を取っていた。腰を低くし、油断なく中段の構えを取る。

 険しい顔付きを見せるベルに、しかし能力値(ステイタス)の低いリリルカは聞こえなかったのか首を傾げた。

 

「一体、何を……?」

 

「────来る!」

 

 ベルがそう言った、その瞬間。

 

『ヴゥオオオオオオオオオォォォオオ──ッッ!』

 

 耳朶(じだ)を震わせる、轟音。

 ベルとリリルカが顔を顰め耳を抑えて尚、それは貫通して脳を──『魂』さえ揺らした。

 

(何だ……!? 何だ、これは!?)

 

 それは、()く者を恐怖へ陥れる魔の旋律。

 堪え切れなくなったリリルカが脱力しながら地べたに座る中、ベルは深紅(ルベライト)の瞳を極限まで開けて目を逸らまいとした。

 

『────ォォォオオオオオッッ!』

 

 時間にして、数十秒。

 体感にして、数時間。

 それはゆっくりと、終わりを迎えた。

 だがそれは、始まりに過ぎず。

 否、まだ始まってすらいなかったのだと、ベルはこれから身をもって知る事となる。

 

(……ッ、何だ、この感覚……!?)

 

 ベルは大量の冷や汗と脂汗を全身から流しながら、奇妙な感覚に陥っていた。

 

(……知っている! 私はこれを、知っている!)

 

 ドクン、ドクン、と響く心臓の鼓動。

 鳥肌が立ち、荒くなる呼吸。

 恐怖……? 

 それもある。

 だが恐怖以上に感じるのは、興奮だった。

 

(まさか……そんな……!?)

 

『魂』がそれを知っていると、ベル・クラネル──『彼』に訴え掛ける。お前はそれを知っている筈だと、それに会っている筈だと力説する。

 

 それはともすれば、祝福であるかのようだった。

 

 地響きのような足音と共に。

『靄』の中から、シルエットが浮かび上がってくる。

 

 そして、『絶望』を──これから幕を開ける『惨劇』を告げるかのように、それは、とてもゆっくりと現れた。

 

 人間を遥かに超える背丈に、遠目から見ても鍛えられていると分かる屈強な身体。

 右手に持っているのは、鮮血で染まった大剣。

 一対の角はその右角が根元から折られておりアンバランスであり、口元からは涎が垂れている。

 血走った紅い目が眼下を睥睨する。

 ベルはその場に立ち尽くし、呆然とそれを眺める事しか出来なかった。

 

「なん、で……そん、な……!」

 

 リリルカが有り得ないとばかりに呟く。その声音は絶望で満ちており、これまで持ち続けた精神は折れ、彼女は屈してしまっていた。

 だがしかし、ベルはそれを心配する事が出来なかった。

 構えていた剣も中途半端になり、無防備を晒してしまう。過呼吸になりそうな呼吸を何とか落ち着かせ、それでも尚、震えている唇を必死に動かした。

 

「ミノ、タウロス……!」

 

 ダンジョン、10階層。

 本来出現しない筈の、牛頭人身の『怪物』──ミノタウロス。

 

 見えない『糸』が引き合せるように。

 あるいは、そうなる事が最初から決められている必然であるかのように。

 

 

 斯くして、『彼』は『運命』と再会した。

 

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