さあ──『喜劇』を始めよう!   作:Sakiru

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2ベル:舞台に於いて、開演直前に鳴るベルの事。本ベルとも言う。


2ベル

 

 ──物語は、リリルカ・アーデがベル・クラネルの命令により離脱した刻まで遡る。

 

 

 

§

 

 

 

「うわ……、うわああああああああああ!?」

 

 背後で聞こえる、叫喚。遠ざかっていく足音。

 それを背に受けたベル・クラネルは顔を大きく歪めた。そこに普段ある笑みはなく、悔恨の念に駆られている。

 

「……ごめん、リリ」

 

 その謝罪を受け取る人間は既に居らず、行方を失ったそれは、誰にも聞かれる事なく溶けていった。

 

「ほんと、格好悪いなぁ……」

 

 自嘲の言葉を発し、自嘲の笑みを浮かべる。

 そこに、普段のベル・クラネルは居ない。居るのは、嗚呼、『道化』という仮面を外した少年のみ。

 少年は──『彼』は嘆いていた。自分の力不足さを。

 仲間の少女に逃げろとしか言えなかった自分自身に、怒りさえ抱いていた。

 だが、『彼』が感傷に浸っていられる時間はなかった。

 

『ヴォオオオオオオオ──ッ!』

 

「……ッ!?」

 

 真上から振り下ろされる大剣。

 ベルはそれを右に大きくステップする事で回避した。刹那、地面が地響きと共に(えぐ)れる。

 途轍もない破壊力を持つその攻撃に、ベルは冷や汗を流した。

 

『ヴルゥゥゥウウウウ……!』

 

 喉を鳴らし、ミノタウロスが低く唸る。

 視界を遮る『靄』を貫通して送られてくる血走った紅い眼。ベルはそれを真正面から見返す。

 

「逃がしてはくれなさそうだな……」

 

 とはいえ、逃げるという選択肢はベルにはない。

 もしベルがミノタウロスから逃げおおせたとしても、この付近にはまだ仲間の少女が居る。ベルとは違い、リリルカに戦闘力は皆無。襲われたら、必ず死ぬ。

 それに、ベルが守るべき相手はリリルカだけではない。

 

(私が逃げたら、あの冒険者達が襲われる。意識が無い彼等に、助かる道理はない)

 

 ちらりと、ベルは後方の枯木を一瞥した。そこには、ベル達が助けた冒険者達が居る。万能薬(エリクサー)を飲ませた為一命は取り留めているが、それでも危険な状態なのは変わらない。すぐにでも治療師(ヒーラー)に診て貰う必要がある。

 幸い、ミノタウロスはまだ彼等に気が付いていないようだった。その暗褐色の瞳が今映しているのは、ベルのみ。

 

「これは困ったな」

 

 その呟きに答えるように、ミノタウロスが大きく吼える。

 

『ヴォオオオオオオオオ──ッッ!』

 

 ベルは意識を切り替え、愛剣《プロシード》を構え直す。

 そして、次の瞬間。

 ミノタウロスが『靄』を吹き飛ばしながら突進してきた。

 防御では受け切れないと判断し、ベルは左に大きく跳躍、それを躱す。だが猛牛の攻撃はそれで終わらず、身体を反転させると、今度は大剣を振るった。

 その巨体に似合わぬ速度に瞠目しながらも、ベルはその一撃を長剣で受け流す。

 激しい火花を飛び散らせながら、金属の塊が地面に直撃した。

 鼓膜に響く轟音に顔を顰めながらも、ベルは反撃に出る。大剣を受け流され重心が前に行っている猛牛の懐に入り、斬撃を入れた。そのまま戦闘領域から離脱し、少し乱れた呼吸を整える。

 

「分かってはいた。分かってはいたが……強い!」

 

 数度剣を交え、ベルはミノタウロスの化け物じみた強さを感じ取っていた。

 

(やはり、リリを避難させて正解だった。とてもではないが、そこまで視る余裕がない)

 

 一筋の冷や汗が流れる。

 

(『神の恩恵(ファルナ)』を背中に宿している私達と違い、モンスターに階位や能力値(ステイタス)という概念はないが……これに当てはめた場合、『基本アビリティ』の殆どが私よりも上を行っている)

 

 集めた情報を統合し、結論を出す。

 流石、本来は『中層』に出現するモンスターだと感心すらしていた。

 

(唯一、ほんの僅かではあるが……私の『敏捷』の方が上か。そうでなければ、今頃私はあの大剣に斬られていただろう)

 

 さらにベルは思考する。

 

(それにこのミノタウロス……戦い方を明らかに知っている。今までも何度か理知を宿し掛けたモンスターと戦ってきた事はあるが……このミノタウロスはまたそれとは違う。そのように感じる)

 

 それは言わば、擬似的な『技』と『駆け引き』。

 そして、浮上してくる『違和感』。

 それは時間の経過と共に大きくなり、放置してはならないと脳が警告してくる。

 

調教(テイム)……? いや、そうだとしたら何故調教師(テイマー)が付近に居ない?)

 

 調教について専門的な知識をベルは持ち合わせていないが、調教師が付近に居なければ調教されたモンスターは指示に従わないという事は分かる。

 

(どちらにせよ、何者かの思惑を感じずにはいられない。一体、誰が? 何の目的で? それに……この、何処から送られてきているのかちっとも分からない視線は何だ?)

 

 遥か頭上から視られているような、そんな錯覚。

 だがいくら考えようとも、ベルは答えに辿り着けなかった。そこに至るまでの必要な情報が欠けている。

 

『ヴァアアアアアアアアアアア──ッッ!』

 

 考え事をしている余裕はあるのかと、ベル目掛けてミノタウロスが突進してくる。

 ベルは前方に身を投げ、そのまま前回転した。猛進してくる雄牛、その股の間を潜り抜ける。

 

『ヴォ!?』

 

 ミノタウロスが初めて、驚愕の声を出す。

 目標を見失った猛牛は急ブレーキし、慌てて背後を振り返った。

 だがその時には、ベルは既に剣を振り抜いていた。

 

「せああああああッ!」

 

『魔石』があるであろう胸部に、ベルは跳躍。渾身の突き技を放つ。

 普通のモンスターなら、この攻撃で『魔石』を穿(うが)たれ、ベルの勝利となっていただろう。

 だが、ミノタウロスにはその常識が通じない。

 

「……なッ!?」

 

 深紅(ルベライト)の瞳を大きく見開かせ、ベルは驚愕した。

 ベルの愛剣《プロシード》はモンスターの『魔石』を穿つ所か、その皮膚さえ裂いていなかったのだ。

 

(攻撃がまるで通じない……!?)

 

 元より、《プロシード》は斬れ味よりも耐久が優れている武器である。だがそれを加味しても表皮すら破る事が出来ないとなると、ミノタウロスの『耐久』が桁違いである事をベルは痛感せざるを得なかった。

 

(このミノタウロス、私の想定を軽々と凌駕している……!)

 

 柄を握っている右手から全身に伝わる振戦に、ベルは顔を歪めた。

 そしてベルが地面に着地した瞬間に出来た隙を、ミノタウロスは見逃さない。

 大剣を横凪に一閃させる。

 その一撃をベルは両足を大きく広げ、且つ上半身を前方へ倒す事で躱した。頭頂部の髪が数本裂かれる。

 だがそれに意識を割く余裕はなかった。

 

「──」

 

 ゾクッ、と悪寒がベルの背中に走る。

 直感を信じ、ベルは両脚に力を込めて前転。刹那、ベルの背後で、ブンッ、という空気を裂く音が出た。次いで、地響きが耳朶を打つ。

 

(危なかった……! 今のは、本当に危なかった……!)

 

 地面から立ち上がり、直剣を構え直しながらベルは大量の冷や汗を流す。あとほんの少しでも判断が遅れていたら、上半身と下半身が分断されていただろう。

 

(くそっ、体力の消耗が激しい)

 

 息を整えながら、ベルは喉の渇きを水の代わりに回復薬(ポーション)で癒す。

 攻撃も、防御も、回避も。

 ベルは全ての行動(アクション)を全力で行うことを強いられていた。

 言葉で言うのは簡単だが、実際に行うとそれが如何に大変なのか、それは本人でなければ分からない。

 

(私じゃあ、このミノタウロスの肉を断つ事が出来ない。せめて《プロミス─Ⅱ》があれば……いや、あったとしても、通じるかどうか……)

 

 ミノタウロスの猛攻撃をいくら必死の思いで掻い潜み懐に入ったとしても、こちらの攻撃が通らないのであれば意味がない。

 

(これじゃあ、ジリ貧だ……!)

 

 深紅(ルベライト)の瞳が映す猛牛に、疲れは見られない。

 闘志は衰えを見せず、寧ろ、その殺意は攻防を繰り広げる度に濃くなっている。

 

『ヴォオオオオオオオオオオ──ッッ!』

 

 殺意を純粋な暴力に変換し、猛牛が突進してくる。ベルはそれを左に大きくステップする事で回避した。

 だが、モンスターの攻撃はそれで終わらない。

 その巨躯からは考えられない程の軽快な動きで、身体を反転、再度突進する。

 

「……ッ!」

 

 ベルは歯噛みしながらも、今度は右に身を投げ出した。直後、それまでベルが立っていた場所に猛牛が襲い掛かる。

 躱されたミノタウロスはその代わり枯木にぶつかるも、まるで意に介さない。文字通り、全てを破壊しようと嵐の如く唸る。

 ベルはそれを耐え忍びながら、ある決断をした。

 

「──ッ! こっちだ、ミノタウロス!」

 

 大剣を受け流し、ベルが叫ぶ。そしてぴょんと兎のように跳ねると、大きく距離を取った。

『靄』で両者の視界が遮られる、その前に。

 ベルは再度、ミノタウロスに声を掛ける。

 

「こっちだぞ、ミノタウロス! 私は此処に居るぞ!」

 

 そう言うや否や、ベルはミノタウロスに背を向けて走り始めた。

『靄』の中を突っ切り、全速力で駆け抜ける。

 

『ヴォォォ──!』

 

 すぐに、ミノタウロスは雄叫びを上げて猛追を始めた。

 地面を大きく揺るがす足音が、ベルの耳に届く。

 だが、ベルに焦りはない。寧ろ目論見が上手くいったのだと、内心では安堵していた。

 

(──これで良い。これでミノタウロスが、リリの所に行く可能性は無くなった。幸いにも、私はどうやら『餌』として数えられたという事だ)

 

 ベルとミノタウロスの鬼ごっこが始まる。

 

(思えば、私は何時だって逃げているな)

 

 自嘲の笑みを浮かべる。

 ベルの──『彼』の求める英雄像とは程遠い、逃走劇。やはり格好付けるのは自分には難しそうだと、『彼』はつくづく思った。

 

(とはいえ、すぐに終わらせるつもりはない)

 

『敏捷』に限ってはベルの方が僅かに上であり、殺し合いでは劣勢を強いられるベルではあるが、こと鬼ごっこに於いては対等だった。

 さらにベルは、次の一手に出る。

 

「済まない、鍛冶師よ。外させて頂く!」

 

 隣の広間(ルーム)へ通じる廊下を走りながら、ベルは胸部のプレートアーマーの留め具を外した。それが地面に落ちるのも構わず、続いて、両肘や両膝といった関節に着けている防具も外す。

 防具を全て外したベルが纏うのは、勝色の戦闘衣のみ。少しでもミノタウロスとの距離を離す為の行動と、選択。

 だが当然、これにはリスクがある。

 もし一撃でもベルがモンスターから攻撃を喰らった場合、それは致命傷となり得る。否、致命傷と言わず即死の可能性だってある。

 

(リスクは承知! 元より、私の装備は軽装。防具はあってないようなもの! それなら、防御力を犠牲にしてでも『敏捷』に賭けた方が良い!)

 

 この行動と選択が正しかったのか。それは現段階では分からない。結果だけが真実となる。

 通路を駆け抜け、広間(ルーム)に入る。数秒後、ミノタウロスもまた広間(ルーム)に入った。

 

『ヴォオオオオオオオ──!』

 

 背後で聞こえる怒声。

 ベルはそれを無視し、ミノタウロスと絶妙な距離を維持しながら別の通路へ入った。

 300(メドル)はありそうな一本道を、ベルは一刻でも通り抜けようとする。

 その時。

 ヒュウウウウウ──、という空気を裂く音をベルの耳は拾った。

 気の所為かと思ったそれは段々と大きくなっていき、ベルに近付いているようであった。

 ベルが顔だけを振り向かせると、同時。深紅(ルベライト)の瞳が、迫り来る銀の凶刃を捉える。

 

「ぐあッ!?」

 

 痛みの声を上げ、ベルは倒れた。足が絡まり、顔から地面にぶつかる。

 

(一体……何が……?)

 

 右脇腹に激しい熱があった。そして、そこから生じる、言葉では言い尽くせない痛み。

 点滅を繰り返す視界。瞬きを何度も行ったベルは、自身の身体を貫くそれを見た。

 

「大剣……?」

 

 呆然と呟いたベルは、そのまま深紅(ルベライト)の瞳を闇に向ける。

 その向こうでは、ミノタウロスが中途半端な姿勢で固まっていた。そう、それはまるで、何かを思い切り前方に投げたような。

 そして、ベルは瞬時に理解する。

 速度では自分に分が悪いと悟ったミノタウロスが、この直線を利用して、大剣を投擲したのだ。人間とは違い、並外れた膂力を持つモンスターによるその遠距離攻撃は、瞬く間に彼我の距離を詰めた。

 モンスターには有るまじき思考力。そしてそれを実現せんとした判断力に、実行力。

 

「かはっ……ごふっ……!」

 

 状況を理解した瞬間、ベルは口から大量の血を吐き出した。

 

(急所は……外れている……)

 

 地面から立ち昇る『靄』が視界を遮ったのと、何より、それまであった両者の物理的距離が最悪の事態を回避させた。

 ほんの少しの誤差。されどその誤差により、ベルは即死を免れた。

 

「はあ……はあ……ごふっ……」

 

 壁に手を当てえずきながら、緩慢とした動きで立ち上がる。地面には夥しい量の血の海が広がっていた。

 全血液量の30パーセント以上が短時間で失われると血圧低下となり、40パーセント以上の出血では意識が無くなり生命の危険があると言われている。

『恩恵』持ちの冒険者であれど、その身体はあくまでも人間であり、ましてや、階位がLv.1のベル・クラネルはその理の内に居る。

 すぐにでも止血措置をはじめとした、或いは、回復薬(ポーション)による応急処置が必要な状態。

 だが状況が、それを決して許しはしない。

 

『ヴォオオオオオオ……──』

 

 遠くからベルの様子を眺めていたミノタウロスが、生存を確認。今度こそ息の根を止めようと突進を再開した。

 これまでの努力が水の泡となり、彼我の距離が瞬く間に無くなっていく。

 

(くそっ……!)

 

 絶体絶命の窮地。

 だがそれでも、ベルは生への執着を決して手放さなかった。

 左脇腹に刺さっている大剣、その柄を右手でグッと強く握る。そして、それを勢いよく抜いた。

 

「ぐぅぅぅぅぅぅ!?」

 

 顔を大きく歪めながらも、ベルは立っていた。傷口からは蓋が無くなった事により出血があり、血の海を益々広げていく。

 全身という全身から発汗しながら、されどベルはそんな事はどうでも良いと言わんばかりに、迫り来る猛牛だけを瞳に映す。

 

「……せぁああああああああああああああああ!」

 

 感覚が無くなりつつある両手で大剣の柄を握り直し──力を振り絞り、ミノタウロス目掛けて投げる。

 

『ヴォオ!?』

 

 自分が投擲した大剣がまさか返ってくるとは思っていなかったのだろう。ミノタウロスは驚愕の声を上げ回避行動を取ろうとするも、狭い一本道に於いては、モンスターの巨体が逃げられる場所はなかった。

 また、走る事に全集中していた事もあり、ミノタウロスは判断を一瞬遅らせてしまう。

 その結果、ミノタウロスは自ら進んで飛来してくる大剣と激突する事になった。

 

『ヴァアアアアアアアアアアア!?』

 

 ミノタウロスが上げる、初めての悲鳴。

 だがベルには、それを喜ぶ余裕は一切無かった。

 今のうちだと感覚のない身体を動かし、通路の壁を伝い歩く。

 数十秒後、ベルはようやく通路を渡り終えた。

 

『ヴァァアアアア……!』

 

 通路の奥から聞こえてくる、ミノタウロスが痛みで苦しむ鳴き声。

 それをぼんやりと聞きながら、ベルは群生している枯木の陰に身を潜ませた。

 

「はあ……はぁ……──」

 

 両肩を大きく上下に動かし、紫色に変色した唇で呼吸を繰り返す。その度に激痛が脳髄を走り、ベルは狂ってしまいそうだった。

 痙攣を起こしている右手をレッグホルスターに向かわせ、悪戦苦闘しながらも、一本の試験管を取り出す。

 万能薬(エリクサー)

 友人の治療師が持たせてくれた、万が一の回復手段。

 

「……」

 

 容器に入っている液体、それをベルは一気に飲み干した。

 刹那、効果がすぐに現れる。

 それまであった激痛は無くなり、左脇腹の傷口も塞がり、体力も大きく回復した。

 全回復。

 

(ありがとう……)

 

 心の中で、自分を救ってくれた少女に感謝の言葉を言う。もし彼女が居なければ、ベルはとうの昔に死んでいただろう。

 だが、その助けもここまでとなる。

 貰った時は数本レッグホルスター入っていた万能薬(エリクサー)も、今回ので最後。厳密にはあと二本あるが、それはリリルカに託している。聡いあの支援者なら、使うべき時に使ってくれるだろう。ベルにはその確信がある。

 

「さて、と……」

 

 枯木の幹に手を当てながら、ベルはゆっくりと立ち上がった。身体の動きに支障はないのを確認する。

 

『ヴゥゥゥ……!』

 

 そして遂に、モンスターが唸り声を上げながら広間(ルーム)へやって来た。

 先程まで無かった新たな傷を、ミノタウロスは携えていた。左眼が大きく抉れており、その瞳は光を映していない。

 ベルの必死の行動は、確かにミノタウロスに届き、隻眼にさせていたのだ。

 

『ヴァルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア──ッッッ!』

 

 怒りの咆哮。

 ベルはそれを肌で感じながら、勝利の女神はまだどちらにも笑っていない事を確信する。

 そしてミノタウロスはベルを視認すると、助走をつけて大きく跳躍。その巨躯で矮小な人間を押し潰そうとする。

 

「来るか、ミノタウロス!」

 

 愛剣《プロシード》を構えたベルは頭上から迫り来る『怪物』を見上げ、睥睨してくる暗褐色の瞳を、自身の深紅(ルベライト)の瞳で返した。

 そしてギリギリの所で、片足に力を込め、横に大きくステップを取り、空からの攻撃を躱す。

 ズドォン! という衝撃音。一瞬、『靄』が吹き飛ぶも、すぐに土煙が巻き起こる。

 

「ああああああああああ!」

 

 着地し、ミノタウロスが硬直した瞬間を見逃さず、ベルは反撃に出た。懐に侵入し、渾身の回転攻撃を放つ。

 だがその一撃は大剣で受け止められ、金属同士が衝突すると、激しい火花が飛び散る。

 膠着状態は終わり、そのまま流れるようにして剣戟に移る。

 ミノタウロスの攻撃をベルは受け流し、ベルの反撃をミノタウロスは防御する。

 命を賭したそのやり取りは正しく剣舞。

 広間(ルーム)から広間(ルーム)、通路から通路へと場所を変え、両者は何度も激突する。そして場所は正規ルートから既に外れていた。

 

(──相手が隻眼の状態であっても、劣勢は変わらずか!)

 

 視界の半分が失われているとは思えない程、ミノタウロスの立ち回りは凄まじく、ベルは戦慄せざるを得なかった。

 万能薬(エリクサー)という回復手段を用いたベルとは違い、ミノタウロスはその身一つと大剣で戦っている。

 

「流石、と言っておこう!」

 

『ヴォオオオオオオオオ!』

 

 ベルが心からの称賛を送ると、お前もな! と言わんばかりの返事と共にタックルがされる。それを寸での所で回避しながら、ベルは己の心が沸き立つのを確かに感じていた。

 

(嗚呼──やはり……私は、『僕』は! このミノタウロスに……!)

 

 昂る感情。抑え切れない『想い(いし)

 意図的に蓋をしていたそれが、ゆっくりと、今正に取れようとしていた。

 だが。

 

「お、おい!? あれってまさか、ミノタウロスじゃねえか!?」

 

 刹那。

 ベルはそれに蓋をして我に返る。ミノタウロスの剛撃を受け流し、後方へ大きく後退。

 声がした方へ顔だけ向けると、四人組の冒険者達が呆然と立ち尽くしていた。

 

「ま、間違いないですよ、リーダー! ミノタウロスです!」

 

「何で此処にミノタウロスが居るんだよ!?」

 

「知りませんよ!?」

 

 本来此処には居ない筈の『怪物』に、冒険者達は混乱していた。顔を見合わせ騒ぎ立てる。

 そして、それをミノタウロスは雑音だと思ったようだった。ベルから注意を外すと方向転換し、彼等の方へ突進する。

 

「お、おいこっち来んぞ!?」

 

「ど、どうします、リーダー!?」

 

「どうするって言われたって……!?」

 

 迫り来る『怪物』を前に、冒険者達は動けないでいた。突然の異常事態(イレギュラー)に思考が追い付かず、咄嗟の判断すら出来ない。

 無防備を晒す彼等の元へ、ミノタウロスが強襲する。

 

「や、やめ……っ!?」

 

 その懇願は、あまりにも遅かった。

 甚だ不愉快だと言わんばかりに、或いは、お前達はこれだけで充分だと言わんばかりに。

 ミノタウロスはとても雑に大剣を振り、冒険者達の首を刎ねようとする。

 

 ──この時。

 

 ベル・クラネルには三つの選択肢があった。

 一つ目は、ミノタウロスと冒険者達の間に入り、助ける事。

 二つ目は、逆に彼等へミノタウロスを押し付ける事。『怪物進呈(パス・パレード)』とされるこれは、ダンジョンでは冒険者の間で頻繁に行われる事である。だが『命あっての物種』という共通意識が冒険者にはあり、生き残る為には致し方がなく、やるのもやられるのもお互い様という考えがされている。もしベルが彼等へ『怪物進呈(パス・パレード)』を行った場合、ベルは問題なく撤退が可能だ。だがそれは、彼等の命を犠牲にする事と同義である。

 三つ目は、彼等を助けた上で状況を報告、協力を仰ぎ、ミノタウロスと戦うという事。相互不干渉が暗黙のルールとなっている迷宮探索ではあるが、緊急時には協力する事もある。

 ベルには、ミノタウロスの太刀筋がよく視えた。静止しているのではないかと思う程だった。だが少しずつではあるが物体は動き、世界は待ってくれない。

 

(──)

 

 そして。

 ベル・クラネルは、思考の前に身体を動かしていた。

 地面を思い切り蹴り、両者の間に、ベルは入る。

 ガギィィィィン。

 肉体を刎ねる音ではなく、金属が衝突する音が出る。

 

「…………えっ」

 

『…………ヴゥ!?』

 

 冒険者とミノタウロス。両者の喉から出る、驚愕と困惑が混じった音。

 ベルはミノタウロスに笑い掛けた。

 

「どうした、ミノタウロス! お前の相手はこの私だぞ!?」

 

『ヴゥゥゥ……!』

 

「らしくないな、このような精細さを欠いた一撃など、何にも怖くない! ほら見るがいい、私の剣が、お前の剣をしっかりと受け止めているぞ!」

 

 これまで受け流ししか出来ていなかった『怪物』の攻撃を、ベルは初めて防御していた。

 人語(ことば)は分からずとも、それが挑発なのだとミノタウロスは悟ったのだろう。叫喚を上げると、その瞳に片手剣使いを再度映した。

 

『ヴォオオオオオオオオオ──ッ!』

 

「あああああああああああ──ッ!」

 

 再開する剣戟。

 そして、ミノタウロスの上段からの一閃を受け流したベルは、呆けている冒険者達へ声を掛ける。

 

「此処は私が引き受ける! 貴方達は一刻も早くこの場からの離脱を!」

 

「だ、だが……それは……」

 

 我を取り戻したパーティリーダーの男が言い淀んだ。

 彼から見ても、ベルは防戦一方だった。ベルの言う通りに従うという事は、それはベルを『囮』にする事と同義であり、見捨てるという事に他ならない。

 だが、パーティリーダーの男には責務がある。それはパーティメンバーの命を危険に晒さないという、リーダーとしての責務だ。それが出来なければリーダーの資格はなく、情に流されず適切な判断をする器がパーティリーダーには求められる。

 そんな葛藤を、ベルは見抜いていた。地面を転がり、ミノタウロスと一度距離を取り、顔だけを向ける。

 

「私も隙を見て撤退する! だから、早くッ!」

 

 一秒に満たない、視線の交錯。

 

「……分かった! ──そして、済まねぇ」

 

 その謝罪を、ベルは聞こえなかった振りをした。

「行くぞ!」とパーティリーダーの男が仲間達に声を掛け、去っていく。

 名も知らぬ冒険者達の背中が遠ざかっていくのをベルは一瞥すると、意識を切り替えた。

 

「さあ、まだまだ行くぞ、ミノタウロス!」

 

『ヴォオオオオオオオ──!』

 

 只人と『怪物』は、何度目になるか分からない衝突をした。

 

 

 

 

§

 

 

 

 そして、現在。

 

 

 

 

§

 

 

 

 ベルとミノタウロスの戦闘は終わろうとしていた。

 どちらが勝者になろうとしていたのか、それは明らかだった。

 

「はあ……はぁ……っ……!」

 

 片膝を着き、呼吸を激しく繰り返す。ベルの身体には至る所に傷が出来ており、その純白の髪は土と砂利で汚れていた。

 その一方で、ミノタウロスは健在だった。小さな傷こそいくつもあるが、傷らしい傷と言えば何者かに折られた片角と、ベルの必死の抵抗で偶然出来た光を宿さない片眼だけであった。

 

 ──終わりは、とてもあっさりとしたものだった。

 

 モンスターの膨大な体力と比べた時、人間の体力はあまりにも少ない。

『怪物』の攻撃を受け流し、小さな隙があれば反撃に出ていた只人だったが、遂にその体力が切れてしまったのだ。回復薬(ポーション)も既に底を尽いている。

 

「クソッ……!」

 

 言葉に力はなく、ぼやける視界の中、ベルは眼前のミノタウロスを見上げる。

 

『ヴゥゥゥ……!』

 

 ミノタウロスは、勝者の雄叫びを上げなかった。この結末を甚だ残念だと思っているかのように、ベルには見えた。

 そして、もし本当にミノタウロスがそう思っているのであれば、それはベルも同じだった。

 

(結局……)

 

 深紅(ルベライト)の瞳を閉じ、ベルは思う。

 

(結局、駄目だったなぁ……。必死に戦って、今度こそはって思ったけど。でも、やっぱり、『僕』じゃ……──)

 

 刻一刻と近付いてくる地響き。

 ベル・クラネルの命は、あと僅かもなかった。

 そして、『勝者』が凱旋をすべく、『敗者』へその大きな剣を突き立てようとした、その時。

 

「────ベルッ!」

 

 静寂が破られた。

 ベルも、そして、ミノタウロスも。

 突如生まれたその声に、顔を向ける。

 広間(ルーム)の出入口に、アイズ・ヴァレンシュタインが息を荒げて立っていた。

 その表情はとても険しく、顔を大きく歪めている。

 

(どうして……)

 

 ベルがそう思う中、アイズはベルの姿を認めると安堵の表情を一瞬浮かべる。しかし次の瞬間には元に戻り、その殺意をミノタウロスに向けた。

 その視線を受けたミノタウロスは本能で彼我の実力者を悟ったのだろう、怯えたように数歩後退る。

 

「待ってて、今、助けるから……!」

 

 抜剣したアイズが、ベルにそう言った。

 だがベルには、アイズの言葉は届いていなかった。呆然と目を見開き固まるその姿は正に滑稽であったが、そんな事もベルにはどうでも良かった。

 

(どうして……)

 

 ただ、何度も同じ事を思う。

 

(どうして……!)

 

 ベルの中で、言葉にならない激情が爆発した。

 

(どうして、貴女が!)

 

 ベルは自分が情けなくて、不甲斐なくて仕方がなかった。

 よりにもよって、『彼女』にまたもや助けられようとしているだなんて。

 そんな事、ベル・クラネルには。

 或いは、『彼』には。

 到底容認出来ない事だった。

 

(立たないと……! 立って、戦わないと!)

 

 それは、ただの『意地』である。

 男子(おのこ)としての、下らない、されど決して譲れない『意地』。

 

(また『僕』は、同じ事を繰り返すのか……!?)

 

 脳裏に過ぎるのは、忘れない、忘れられる筈もない、『魂』に刻まれた記憶。

 あの時と同じ事を繰り返そうとしている事実に、ベルは何よりも恐怖した。

 だが。

 

(立たないと行けない……そう、思っているのに! 身体が動かない!)

 

 動けと強く念じるも、ベルの身体は、その指先すらも動かなかった。

 それが『彼』には堪らなく悔しかった。

 

(何で、なんで!)

 

 自問自答を繰り返す。

 何故自分はこんなにも無力なのかと、何の為に此処まで来たのだろうかと。

 

「良かった、間に合ったぁー!」

 

 場にそぐわない、明るい声。新たに友人となったアマゾネスの少女がそこには居た。

 

「ティオナ」

 

「うわ、ほんとにミノタウロスだ! よし、それじゃあアイズ、サクッと倒しちゃってよ!」

 

「今そうしようと思ってた」

 

 ベルにとっては戦場でも、第一級冒険者たる彼女達にとっては違う。

 この場の主導権は、ベルでもなければ、ミノタウロスでもない。

 とてもあっさりと、彼女達に握られていた。その当たり前の事実が、今のベルには直視出来ない。

 

「ほら、リリルカちゃん! 着いたよ! 戻っておいでー!」

 

 ティオナの口から出た名前に、ベルはハッとなった。よくよく見れば、仲間の小人族(パルゥム)の少女が、女戦士に米俵のように担がわれていた。

 そこでベルは、何故、彼女達が此処に来る事が出来たのか、その理由を悟った。

 リリルカは当初の方針通り、遠征中の【ロキ・ファミリア】へ助力を願ったのだろう。地上へ帰還せよというパーティリーダーの命令を破り、自分の命を危険に晒してまで。

 

「う、うーん……」

 

 地面に降ろされたリリルカは、ふらふらと覚束ない足取りだった。目をグルグルと回していた彼女は、しかし我を取り戻すと、栗色の瞳をめいっぱい広げて──ベルの姿を認める。

 ベルの深紅(ルベライト)の瞳と、リリルカの栗色の瞳が交錯した。

 そして、リリルカは大きく頷くと、今正にミノタウロスへ向かおうとしていたアイズの袖を引っ張り、こう言った。

 

「待って下さい! あれは、リリ達の獲物です!」

 




次話予告──『前』へ!

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