さあ──『喜劇』を始めよう!   作:Sakiru

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『前』へ!

 

「待って下さい! あれは、リリ達の獲物です!」

 

 それが自分の口から出た言葉だという事に、リリルカは自分自身で驚いた。

剣姫(けんき)】が。

大切断(アマゾン)】が。

怪物(ミノタウロス)』が。

 只人の少年が。

 驚愕の表情を浮かべ、固まっている。だがその視線はリリルカに集中しており、リリルカは、舞台照明(スポットライト)を浴びている気分になった。

 そして、新たな観客が現れる。

 

「これは……一体、どういう状況かな?」

 

 通路の奥から投じられる疑問の声。数秒経たずして、黄金色の小人族(パルゥム)が現れる。その背後に居るのは、見目麗しい王族(ハイエルフ)に、アマゾネス、狼人(ウェアウルフ)。【ロキ・ファミリア】の主要団員達だ。

 小人族(パルゥム)の少年は、アイズとティオナの視線を追ったのだろう、リリルカへその碧眼を向けた。

 小人族(パルゥム)を代表するその瞳に見詰められ、リリルカは吐き気を覚えた。だが決して逸らしてはなるまいと、強く見詰め返す。

 そして、大きく息を吸って──大胆不敵に宣言した。

 

「手出しは無用! あれは、リリ達の獲物です!」

 

「ちょっ、リリルカちゃん!? 何言ってんの!?」

 

 ティオナが驚愕の声を出す。

 それはこの場に居る全員の思いを代弁したものだった。

 

「……なるほど。どうやら、ただ友人を助ければ良い、という話ではなさそうだね」

 

 小人族(パルゥム)の少年が、そう言った。

 嗚呼、ほんと、なんて居心地が悪いのだろうか。脇役でさえない自分が何故、このような思いをしなければならないのだろうか。

 だがこの気持ち悪さも、今はどうでも良かった。

 この激情、この憤怒に比べれば、そんな事は些事でしかない。

 

「【大切断(アマゾン)】様、荷物を運んで頂きありがとうございました! それでは、リリは行きます!」

 

「ちょっと、リリルカちゃん!? 行くって、何処に!?」

 

 心配してくるティオナの声を振り払い、リリルカはバックパックを背負って駆け出した。

 目標は、決まっている。

 栗色の瞳が真に映しているのは、ただ一人のみ。

 

 

 

 

§

 

 

 

「い、行っちゃった……」

 

 小人族(パルゥム)の少女が駆けていく。

 その身体には不釣り合いな大きなナップサックを背負い──広間(ルーム)中央、少年と『怪物』が居る場所まで走っていく。

 

「と、とめなきゃ──」

 

 慌てて追い掛けようとするティオナだったが、

 

「待つんだ」

 

 黄金色の小人族(パルゥム)が待ったをかける。

 団長からの指示に、ティオナは思わず足を止めてしまう。その代わり、顔を振り向かせてその真意を問うた。

 

「フィン、どうして止めるの!? 早く助けないと、二人共死んじゃう!」

 

「どうやらあの小人族(パルゥム)には、何か考えがあるようだ。まずはそれを確認してからでも遅くないだろう」

 

「いやいや、そんな悠長な事言っている場合じゃないでしょ!?」

 

 確かに第一級冒険者である自分達が本気を出せば、次の瞬間にはミノタウロスを惨殺する事が出来る。

 だがそれでも、只人の少年と小人族(パルゥム)の少女が危険である事は変わらない。

 ましてや、ここは異常事態(イレギュラー)だらけのダンジョン。絶対はない。先程そう言ったのは、他でもないフィンではないか。

 

「アイズはどう思う? すぐに助けた方が良いよね?」

 

「……わたし、は……」

 

 ティオナは同意を求めるも、アイズは歯切れ悪く口を動かすばかりだった。

 それがティオナは理解出来なかった。

 ほんの数分前まで、【ロキ・ファミリア】の中で只人の少年の身を一番案じていたのは彼女だ。それが今では、違うというのか。

 金の瞳を揺らすアイズは、ややあって。

 

「ごめん……」

 

 と、小さく謝罪の言葉を口にする。

 アイズが広間(ルーム)に到着したのと、ティオナがリリルカを担いで広間(ルーム)に到着したのに時間差は殆どない。精々一分くらいだろう。

 その一分の間に、アイズの決心を変えるだけの何かがあったのだろうか。

 アイズだけじゃない。リリルカも広間(ルーム)に来るまでは少年の無事を願っていた筈だ。だからこそ彼女は【ロキ・ファミリア】に冒険者依頼(クエスト)を依頼したのだ。

 そうだと言うのに、リリルカも広間(ルーム)に到着する否や、それとは真反対の事を言い出した。

 

「リヴェリア、何とか言ってよ!」

 

 俯いているアイズから視線を外し、ティオナは副団長のリヴェリアに話を振った。

 だが、王族(ハイエルフ)の彼女は翡翠色(エメラルド)の瞳を伏せると首を横に振った。

 

「ティオナも知っているだろう。迷宮探索に於いて、モンスターと戦うのは早い者勝ちだ。そして私達より先に、ベル・クラネルはミノタウロスと戦っていた。そしてまだ決着はついていない。ならば当然、その権利は向こうにある」

 

 リヴェリアの言う事は一理ある。確かにそれは、冒険者同士の諍いを防止する為の暗黙の了解となっている。

 だがティオナは到底納得出来なかった。

 

「決着はついていないって……リヴェリア、それ、本気で言っている訳じゃないよね!?」

 

「少なくとも私は真面目だ」

 

「……ッ! あぁ、そう! そうかもしれない! 確かにそうかもしれないけど、今はそんな事気にしてる場合じゃないよ! ねえ、ティオネ! ティオネはあたしと同じ意見だよね!?」

 

「私は団長に従うわ」

 

「この馬鹿ティオネ!」

 

 この非常時に於いても、実姉の行動方針は何一つ変わっていなかった。さも当然と言ったような即答だった。

 性に忠実なアマゾネスとしてはそれで正しいのだろうが、人としてはそれで良いのだろうか。

 命令違反にはなるが、やはりここは自分が助けに行かなくては──そう、ティオナが思った時だった。

 それまで沈黙していた狼人(ウェアウルフ)が口を開けたのは。

 

「やめておけ。お前が行った所で、門前払いされるのがオチだ」

 

 ティオナはべートを見た。琥珀色の瞳は広間(ルーム)中央に向けられており、ティオナを見ていなかった。

 

「ベート、それってどういう意味?」

 

「言葉通りだ。お前にとってはそうかもしれねぇ……だが、あいつ等にとっては違う。だからあの小人族(パルゥム)のガキは動いたんだろうぜ」

 

「そう言って……『雑魚』を助けるのが嫌なだけなんじゃないの?」

 

「フンッ、さぁな。──それよりも見てみろ、事態が動くぞ」

 

 ベートは鼻を鳴らすと、以後、意識をティオナに向ける事はしなかった。

 そして、ティオナは見た。

 只人の少年を背に庇うようにして、小人族(パルゥム)の少女はミノタウロスと向かい合っている。

 恐怖で身体を震わせながら、しかし、決して膝を屈する事はせず。

 小人族(パルゥム)の少女は大いなる魔物と睨み合っていた。

 その光景を見た瞬間。

 

「……嗚呼、良かった──」

 

 何故か。

 自分でも分からないけれど。

 ティオナ・ヒリュテは心からの安堵の吐息を出していた。

 その理由を『彼女』はまだ()らない。

 

 

 

 

§

 

 

 

 観客が各々席に着き。

 ようやく、『舞台』が幕を開ける。

 

 

 

 

§

 

 

 

「リリ、何を……!?」

 

 少年と、『怪物』。

 リリルカは、両者の中間地点に立った。

 そして、片膝をついている少年を背に庇い、大いなる魔物と向かい合う。

 

「逃げるんだ、リリ! そこに居たら、ミノタウロスに……!」

 

 切羽詰まった声。少年がここまで余裕のない声を出すのなんて、リリルカはこれまで想像さえしてこなかった。

 だが、その声をリリルカは無視した。何を言われようと此処を退く気はない。

 視線を鋭くし、ミノタウロスを睨め付ける。

 

『ヴルゥゥゥ……』

 

 ミノタウロスが唸り声を上げながら、リリルカを見下ろした。そしてすぐに、詰まらない、とでもいうかのように鼻を鳴らす。

 取るに足らない相手だと品定めされたのだ。

 ミノタウロスの隻眼は、小刻みに身体を震わせるリリルカをしっかりと見ていた。

 事実、リリルカは恐怖していた。

 

(怖い! とんでもなく、怖い! 何度向き合っても、恐怖が込み上げてきます!)

 

 本能で感じる、生物としての圧倒的な格。リリルカが逆立ちしても、この真性の『怪物』には傷一つすら付けられないだろう。

 対峙しているだけで恐怖により足は竦み、視界は濡れてくる。

 正しく恐怖の権化だと、リリルカはつくづく思った。

 

(でも……!)

 

 崩れ落ちそうな膝を叱咤し、リリルカは顔だけ振り向かせ、背後の少年を見る。

 そして。

 

「リリ……」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()、リリルカの怒りは頂点に達した。

 舌打ちしたくなる気持ちを堪え、決断する。それからリリルカの行動に、迷いはなかった。

 

「──ッ!」

 

 懐から取り出すのは、短剣。その切っ先を、ミノタウロスへ向ける。

 ミノタウロスは咄嗟に大剣を振りかぶるも、その出だしはあまりにも遅かった。リリルカを『弱者』だと早々に決め付けていた為だ。

 そして、その『強者の驕り』こそがリリルカの狙いだった。

 

「喰らえッ!」

 

 短剣に力を込め、真横に一閃する。

 迎撃は間に合わないと判断し、攻撃に備えたミノタウロスだったが、次の瞬間、驚愕の声を出す事となった。

 短剣の切っ先から、突風が生まれたのだ。

 

『ヴォオオオオオ!?』

 

 リリルカが使ったのは単なる短剣ではなく、風を生み出す『魔剣』だった。

 暴風は『靄』やミノタウロスの巨体すら後方に吹き飛ばした。仰向きに倒れたミノタウロスは一刻も早く立ち上がろうとするも、またもや、リリルカの方が早かった。

 

「目を閉じて下さい!」

 

 

 

§

 

 

 

 ベルは最初、それをぼんやりと他人事のように眺めていた。

 しかし、リリルカが懐から手投げ玉を取り出し、それをミノタウロスの眼前目掛けて思い切り投げた所で、我に返る。

 緩やかな弧を描いた手投げ玉は、ミノタウロスの顔近くで落ちて爆発するのと、ベルが瞼を閉じたのは全く同時だった。

 刹那。瞼越しでも感じられる程の眩い光がベルを襲う。

 

『ヴォオッ!?』

 

 悲鳴を上げるミノタウロス。

 突如襲った眩いばかりの閃光に、魔物は混乱する。

 リリルカが投げたのは、『閃光玉』という道具(アイテム)であり、目眩しを誘発する手投げ系道具(アイテム)であるこれは、迷宮探索に於いて冒険者から重宝されている。

 とはいえ、素材となるのは中層以下からで採集出来る素材な為値段は張り、下級冒険者が携帯する事は殆どない。

 それをリリルカが所持していたのは、万が一の事態に備えての事だったのだろう。そして小さなサポーターは今がその時だと判断したのだ。

 

「動きますよ! 舌を噛まないように!」

 

 声が掛けられると同時、前方から身体を押され、ベルは尻もちを着いた。そしてベルのロングコートの襟が摑まれる。ぎょえっと悲鳴を上げる間もなく、そのまま地面を引き摺られた。

 ズルズルと激しい音を立てながら、ベル達はミノタウロスから離れる。やがて、風の短剣で吹き飛ばしていた『靄』も戻り、気が付いた時には、牛頭人身の『怪物』はベルの視界から消えていた。

 リリルカがベルを運んだのは、広間(ルーム)の出入口だった。アイズやフィン、ティオナといった【ロキ・ファミリア】が居る出入口とはちょうど対角線上にある。

 

「取り敢えず、此処まで来れば少しくらい話は出来るでしょう」

 

 ベルを広間(ルーム)の壁へ放り投げたリリルカが、ミノタウロスが居る広間(ルーム)中央部分を一瞥してから口を開く。

 

「色々と言いたい事は沢山ありますが……そんな事よりも話すべき事があります。【ロキ・ファミリア】にはあのように言いましたが……貴方は、どうしたいですか?」

 

「…………え?」

 

 呆然と聞き返すベルに、リリルカは「ですから」と続ける。

 

「ミノタウロスと戦うか否かです」

 

「……ッ!」

 

 ベルは息を呑み、顔を上げた。

 リリルカは至って真面目であった。真剣な表情で、その栗色の瞳を細めている。

 

「どうして……」

 

「どうしても何も、あのミノタウロスと最初に会敵したのはリリ達です。貴方もご存知でしょう。迷宮探索に於いて、モンスターと戦うのは早い者勝ちです。その権利は今、リリ達にあります。なのでリリは、パーティの一員としてパーティリーダーの貴方に尋ねているのです」

 

「このまま戦闘を継続するか否か」と、リリルカは一度区切った。

 だがしかし、ベルが聞きたいのはそういう事ではない。

 

「……リリも見ただろう。私は……ミノタウロスに負けたんだ。後少しアイズが……【ロキ・ファミリア】が来るのが遅かったら。私は今頃斬り伏せられているだろう」

 

「そうかもしれませんね。でも、貴方はまだこうして生きている。それが今の全てです」

 

「リリ、君は彼等に救助を依頼したのだろう? それなら益々、私達にその権利はないと思うのだが……」

 

「確かにリリは【剣姫(けんき)】様に冒険者依頼をお願いしました。しかしそれはあくまでも、貴方の救助。ミノタウロスの討伐ではありません」

 

「それは、屁理屈じゃないかな……」

 

 ベルの指摘を、リリルカは無視した。

 

「兎にも角にも、まずは貴方の意向を聞かせて下さい。【ロキ・ファミリア】へ改めてお願いするのは、それからでも遅くありません。元より、彼等は貴方に借りがありますから、リリ達を尊重してくれる筈です」

 

『ミノタウロス上層進出事件』に於いて、【ロキ・ファミリア】は【ヘスティア・ファミリア】に借りがある。それは計略の女神たるロキが炉の女神たるヘスティアに約束している事であり、主神の神意に眷族は逆らえない。

 事実、こうしてベル達が話している間にも、第一級冒険者たる彼等に動く気配は見られなかった。団長の【勇者(ブレイバー)】が他団員達を様子を見るように指示出しているのであろう事は、ベルにも分かる。

 そして閃光玉の効果から脱却したミノタウロスがベル達へ襲いかかってきていないのも、彼等が睨みを利かせてくれている為であろう。

 本来なら、敵を目前に、こうして悠長に話す時間はない。

 

「さあ、もう一度聞きます。貴方の意思を聞かせて下さい」

 

 その真っ直ぐな問い掛けに、ベル・クラネルはすぐに答えられなかった。

 仲間の栗色の瞳を見返していたベルだったが、ややあって、逸らしてしまう。

 

「…………私には、無理だ」

 

 小さな、とても小さな声で、ベルは独り言のように言った。

 それを拾ったリリルカは、淡々とした口調で尋ねる。

 

「何が無理なのですか」

 

「……言っただろう。私じゃ、ミノタウロスには勝てない」

 

「何故?」

 

階位(レベル)が違う。リリも知っているだろう、ミノタウロスはLv.2に分類されるモンスターだ。対して、私はLv.1の下級冒険者……敵う道理はない」

 

「そうかもしれませんね。他にはありますか?」

 

「攻撃が通じない。私の剣技じゃ、皮膚さえ傷付ける事が出来なかった。対してミノタウロスは、私に一撃でも当てれば良い。そんなの、勝負にすらならない」

 

「攻撃手段については、『魔剣』や予備(スペア)があるでしょう。試してみる価値はあるのでは?」

 

「いいや、実際に戦った私には分かる。分かるんだ。あのミノタウロスは、『魔剣』じゃ止められない。予備(スペア)……《プロミス─Ⅱ》は分からないが、試すにはリスクがあり過ぎるだろう」

 

「他には?」

 

「見ての通り、私は傷だらけだ。体力も切れてしまった。立つことさえままならない。こんな状態じゃ、戦えない」

 

「それなら、万能薬(エリクサー)があります。貴方がリリに渡していた、万能薬(エリクサー)が。これを使えば、それは解決出来るでしょう」

 

「そうだな。だが……やはり、無理だ。私には、無理なんだ……」

 

 沢山の博打をしなければならず、それでようやく、公平で対等な勝負になる。

 勝率は限りなくゼロに等しい。

 ベルには、自分がミノタウロスを倒す姿を全く想像出来なかった。

 脳裏に浮かぶのは、先程の光景。片膝を着く自分と、その自分の首を()ねようと大剣を構えるモンスター。

 

「何度も言わせないでくれ……これ以上、私を惨めな男子にしないでくれ。私じゃ、ミノタウロスには勝てない……!」

 

 それは、懇願だった。

 そしてベルの心は、今正に折れようとしていた。

 だがそれを、阻む者が居た。

 

「ハア────」

 

 頭上より降りるのは、長嘆。

 

「それじゃあ、貴方は諦めるのですか。『英雄』になる事を、諦めると言うのですか? あの言葉はやはり嘘だったのですか?」

 

「それは……」

 

「此処で立ち上がらずして、何が『英雄』ですか。リリは今でも『英雄』なんて居ないと思っていますが、そんなリリでも、これ位は分かります。()()()()()()()()()()()()()。それはご自分でもお分かりになっているのでしょう」

 

 その指摘に、ベルは押し黙った。

 リリルカの言う通りだった。

 此処が、自分の分岐点であるという事など、ベル・クラネルは百も承知している。

 あの牛頭人身の『怪物』が自分の『運命』である事など、誰かに言われるまでもない。

 何故なら、『約束』したのだから。姿形は違えども、もう一度戦おうと、『約束』したのだから。

 ベル・クラネルは──『彼』は、それを()っている。

 

「……分かっている。分かっているとも!」

 

 吐き出した語尾は、震えている。

 気が付けば、ベルは感情のままに口を動かしていた。

 

「此処で逃げたら……諦めたら駄目だって事くらい、分かっているさ。だから、戦ったんだ。必死に、命を懸けて戦ったんだ。でも、駄目だった。私じゃあ……──『僕』じゃあ、あのミノタウロスには勝てない!」

 

「本当に?」

 

「実際に、勝てなかった! 『僕』はあの(とし)から何も変わっていない! 能力値(ステイタス)がいくら上がったって、『僕』は今でも、弱いままだ……」

 

 そして、ベルが俯いた瞬間。

 ベルの身体は、グイッと上に持ち上げられていた。ハッとベルが目を開けると、そこにはリリルカの栗色の瞳があった。

 その瞳は、燃えていた。

 

「いい加減にして下さいッ! さっきから何なんですか、貴方は!」

 

 ベルは呆然と、自分の胸倉を摑んでいるリリルカを見詰めた。

 

「我慢していましたが……それももう、限界です! 貴方はアレですか、自分が物語の主人公だとでも思っているのですか!?」

 

「……」

 

「もしそう思っているのなら、滑稽ですらない! だってそうでしょう!? 貴方の物語は、『冒険』は! まだ始まってすらいないのですから! そんなの、架空の物語(フィクション)でしかない!」

 

「……ッ」

 

 息を呑む、ベル。

 リリルカはベルを強く睨みながら、言った。

 

「貴方が何故昇格(ランクアップ)出来ないのか、その理由がたった今分かりました! 貴方は恐れている! 『冒険』する事を! 『冒険』に失敗する事を! そして、そのたった一度の失敗を全てだと思っている!」

 

「何を……」

 

「これまでの殆どが、貴方にとっては『冒険』であって『冒険』ではなかった! 貴方がこれまで強敵と戦ってきたのは、その殆どが成り行きでしかなかった!」

 

 それは、事実だった。

『ミノタウロス上層進出事件』の時も。

 怪物祭の『モンスター脱走事件』の時も。

『謎の冒険者』から襲われた時も。

 第7層でリリルカ・アーデを助ける為、数多のモンスターと対峙した時も。

 そして──今も。

 ベル・クラネルは自らの意志で最初から戦いに臨んだ訳ではない。そうしなければならない状況だった。だから戦いに身を投じたに過ぎない。

 唯一、『謎の冒険者』から襲撃された時は違ったが──それは完敗している。

 

「そんなの、絶対に『英雄』じゃありません! 他人に振り回されるのは──そして、それを良しとするのはただの『道化』でしかない! 今の貴方は、真実、『道化』です!」

 

 押し黙るベルに、リリルカは必死に語り掛ける。

 大切な事を思い出して欲しいと、その瞳は言っていた。

 

「でも違うでしょう!? 貴方は、『道化』ではなくて『英雄』になりたいのでしょう!?」

 

「……ッ!」

 

「それなら! 諦める言い訳を、作らないで下さい! 自分で逃げ道を、作らないで下さい! 貴方は、ベル・クラネルは! 冒険者でしょう!?」

 

「…………でも、『僕』一人じゃ……!」

 

「リリが居ます!」

 

 そして、リリルカ・アーデは叫んだ。

 

「貴方が仰ったのでしょう! 『英雄』には、一人じゃなれないって! 同じ夢を持つ、『仲間』が欲しいんだって!」

 

 ベルは、深紅(ルベライト)の瞳を見開かせた。

 リリルカ・アーデは──心優しい小人族(パルゥム)の支援者は、訴え続ける。

 

「リリは、ただの荷物持ちなんかじゃない! 貴方の、()()()の! 仲間です! 支援者(サポーター)です! ベル様がミノタウロスを倒せる自信がないと仰るのなら、リリが支援して、勝利に導いてみせます!」

 

「──」

 

「だからいい加減、本音を聞かせて下さいよ! 本当の想い(いし)を、伝えて下さいよ!」

 

 その言葉に、ベルは。

 

「────あは、あはは」

 

 リリルカと再会してから初めて、心からの笑みを浮かべた。そして、声を出して笑う。涙さえ浮かべて、笑う。

 

「つ、ついに気でも狂いましたか……!?」

 

 戦慄するリリルカが、ベルの胸倉を摑んでいた両手を離す。当然、ベルは「ぐへぇ!?」と落下、地面と激突する。

 だがそれでも、ベルは暫く笑い続けていた。そしてそれが収まる時、そこには普段通りのベル・クラネルが居た。

 胡散臭く、けれど何処までも明るく笑う、楽天家のベル・クラネルが。

 

「ああ……そうだ……。『僕』はなんて、馬鹿だったんだろう……愚かだったんだろう……。『僕』は何も分かっていなかった……。分かっていたつもりになっていただけで、何も分かっていなかったんだ……。本当、何度目になるのかなぁ……」

 

 独り言を呟く。

 ベルは、ゆっくりと、とてもゆっくりと身体を起こし始める。時間を掛け、片膝をついたベルは、リリルカと目線を合わせた。

 

「ごめん、リリ。『僕』が間違っていたよ。ああ、そうだ。勝手に『絶望』して悲観主義者になるだなんて、『僕』らしくない!」

 

「ほんとですよ、全く!」

 

「今こそ笑おう! 一人じゃなくて、二人で、一緒に! そうすれば、何にも怖くない!」

 

 そして、リリルカの栗色の瞳を真正面から見詰めて、言った。

 

「『僕』は……『僕』は、『英雄』になりたい!」

 

「知ってますよ、そんな事」

 

「だが今はそれ以上に、あのミノタウロスに勝ちたい! あのミノタウロスに好敵手(ライバル)だと認められて、その上で、勝ちたいんだ! それが、『約束』だから! でも悔しいけど……本当に悔しいけど、『僕』一人じゃ、あの『怪物』には勝てない!」

 

 自分一人では勝てない事を、ベルは認める。悲観的ではなく、客観的に。

 ベルはそれを受け入れ、「だから!」と、続けて言った。

 

「リリ、君の力が必要だ! 助けて欲しい! 力を貸して欲しい! そして──一緒に、『冒険』をしよう!」

 

 その誘いにリリルカ・アーデは呆れ、しかし次には頷いた。その言葉を待っていたと言わんばかりに、即答する。

 

「何を今更。リリは、ベル様のサポーターです。答えは既に決まっています」

 

「──! ありがとう!」

 

 子供のように顔を輝かせ、ベルは何処までも無邪気に笑った。

 そして──今度こそ、立ち上がる。

 地面に転がっていた愛剣の柄を強く握り締め、敵が居る広間(ルーム)中央を見詰める。

 そして、ベル・クラネルは。

 或いは、『彼』は。

 懐に仕舞っていた『英雄日誌』を取り出すと、羽根ペンを走らせた。

 

「綴るぞ、英雄日誌! ──『一度の敗北後、ベル・クラネルは小さくも頼りになる仲間と共に、猛牛と再戦する! さあ、『冒険』の始まりだ!』──

 

 誰にも譲れない想いを胸に。

 只人の少年と小人族(パルゥム)の少女は、今日、初めて『冒険』をする。

 




次話予告──『神話継想(リ・プロローグ)
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