さあ──『喜劇』を始めよう!   作:Sakiru

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始源

 

 それは、懐かしい記憶。『僕』は、夢を見ていた。

 

 日は沈み、寒さはまだまだ続いている。暖炉が優しい火の音を鳴らしている、そんな、冬の日。

 地図にも載っていないような、小さな村。そこから少し離れた場所に建っている、小さな木造りの家。

 

 そこに、『僕』とお祖父ちゃんは住んでいた。

 窓辺の椅子に腰掛けているお祖父ちゃんに、『僕』はゆっくりと近付いた。

 

『お祖父ちゃん、今日は何を読んでくれるの?』

 

 お祖父ちゃんの手の中には、一冊の本があった。

『僕』はぴょんとお祖父ちゃんの膝の上に座ると、下から大好きな顔を見上げて聞いた。

 

『この前の、『炎の英雄』みたいなお話?』

 

 お祖父ちゃんは自分で英雄譚を書き(つづ)っては、それを幼い『僕』に読み聞かせてくれていた。

 それはとても面白くて、話に出てくる登場人物達はとても格好良くて、自分もああなりたい、ああなれたら良いな、と憧憬の念を覚えていた。

 

『そうじゃなぁ……』

 

 白い髭を擦りながら、お祖父ちゃんが答える。

 

『それは、最後まで聞いてからのお楽しみじゃ!』

 

 孫の『僕』がドン引くくらいのニヤニヤとした気持ち悪い笑みを浮かべ、お祖父ちゃんはそう言った。

 勿体ぶらずに教えてくれても良いのにと、幼い『僕』は少し拗ねた。

 唇を尖らす『僕』の頭を、お祖父ちゃんはその大きくて優しい手で撫でる。

 たとえ自分の居る場所が小さな世界だったとしても、たとえ両親が居なくても、『僕』は何も不満に思っていなかった。『僕』は、とても幸せだった。

 

『そんじゃあ、始めるぞ!』

 

 お祖父ちゃんが、表紙を捲る。表題(タイトル)を見る暇もなかった。

『僕』はそれに文句を言おうとして……出来なかった。

 だって、そこには。

 子供のようにワクワクとした表情を浮かべている、お祖父ちゃんが居たからだ。

 初めて見るその表情に、とても驚いたのを覚えている。

 幼い子供ながらに、この話は、大人でさえもそうさせてしまうだけの面白さがあるのだと期待した。

 

 

 

§

 

 

 

 それはとても こっけいで だれでも えがおにしてしまう

 

 

 えいゆうに あこがれた ゆかいな 英雄のお話

 

 

 

§

 

 

 

 それは英雄になりたい青年が、猛牛にさらわれた王女様を助けにいく物語。

 時には悪い人に騙され。

 時には王様にも利用され。

 それでも、騙されていることにも気付かない。

 友人の知恵を借りて。

 精霊から武器を授かって。

 なし崩し的に王女様を助けてしまう……。

 

 

 

『──どうじゃ、ベル? これは儂一番のお気に入りでなぁ……』

 

 お祖父ちゃんが、何かを懐かしんでいるかのような口調で、『僕』に感想を聞いてくる。それだけお祖父ちゃんにとって、大事な物語だったのだろう。

 開かれている頁には、挿絵があった。

 

 自信満々に囚われの姫に手を差し出す英雄と、英雄の背後を慌てて指差す姫君、そして後ろから忍び寄っている大きな牛人の魔物。

 

『ここがイチオシのシーンでな! どうじゃ、どうじゃ!?』

 

『僕』はそれに答える事が出来なかった。

 頭痛が、『僕』を襲っている。心臓が早鐘のように脈を打ち、息をするのが苦しくて、視界がぼやける。吐き気さえ催しながら、『僕』は堪える。

 だが同時に、懐かしさを感じていた。制御の効かない感情。気が付けば、『僕』は目尻から涙を流していた。

 

 

『ベル……? おい、ベル! どうしたんじゃ、しっかりせい!』

 

 俯く『僕』のただならない様子に、お祖父ちゃんが気付く。慌てて『僕』の両肩を揺すり、必死になって声を掛けてくれる。

 

『医者に診せる必要が……? えぇい、こうなったら、ディアンケヒトかミアハの所に行くしか……!』

 

 ぶつぶつと何事かを呟くお祖父ちゃん。

 だけど、『僕』にはどうでも良かった。

 お父さんから受け継いでいるという深紅(ルベライト)の瞳で、お祖父ちゃんを真正面から見詰める。

 

表題(タイトル)……』

 

 身体を止めるお祖父ちゃんに、『僕』は声を絞り出して、震えながら尋ねた。

 

『この本の表題(タイトル)、何ていうの……?』

 

 お祖父ちゃんは、『僕』の質問に答えた。

 海よりも深い智慧に富み、未来を見通す賢者のような、神様のような瞳で、『僕』の深紅の瞳を見詰めながら、囁くように言った。

 

 

 

「──『アルゴノゥト』」

 

 

 

 その言葉が、最後の引鉄(トリガー)だった。

 

 その日。

 その時。

 その瞬間。

 

 

 

『僕』は、『始まり』を思い出した。

 

 

 

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