夜の
迷宮探索から帰還を果たした冒険者達が、ヴァリス金貨の入った巾着袋を振り回しながらお気に入りの酒場へ足を運ぶ。市民達は彼等を出迎え、幼い子供達は冒険者達をキラキラとした眼差しで見詰めている。
『英雄の都』の夜の姿に、ベル・クラネルは何度目になるか分からない興奮で胸を膨らませていた。ありとあらゆる光景を、『英雄日誌』に書き込んでいく。
「こうして見ると、田舎者感丸出しですね」
「いきなり酷くない!?」
「思った事を言ったまでです」と、ベルの
本来は
「妹よ、もう少し兄を敬っても良いと思うんだけどナ」
「すぐに調子に乗り、日頃から奇行ばかりしている兄をどう敬えと?」
「うーん、正論過ぎて何も言え返せないネ」
『彼』は苦笑いした。
「それよりも、私も本当に行くのですか? 出来れば、あの酒場には行きたくないのですが……」
変身中の為、一人称を普段の『リリ』から『私』に変えたリリルカがベルに尋ねた。
現在、二人が居る場所は西のメインストリート。その一角にある酒場──『
駄々を捏ねる
「今日の『打ち上げ』に、君は絶対に必要だ! あの『冒険』を乗り越えられたのは、私と君、二人が居たからだろう! どちらか片方欠けても駄目だった! そうだとは思わないかね、うぅん?」
「それは、まぁ、そうかもしれませんが……」
「そうだとしても、です」とリリルカは前置きし、続けて、目的地へ行きたくない理由を語った。
「前にも言いましたが、私、あそこの給仕──シル様に睨まれているんですよ。私、今でも時々、あの時の事が悪夢となって出てきます」
「それは自業自得なのではないかな」
「うぐっ」
ベルからの反撃の一手に、リリルカは呻いた。
恨めしそうにベルを見るも、当のベル本人はどこ吹く風で、すれ違った巨乳美女に鼻を伸ばしている。
後でヘスティア様にチクろう、とリリルカは強く決意しながら、進言した。
「ベル様はどう思っているのか知りませんが、シル様は恐ろしい方だと思います」
「……シルが?」
「はい、絶対にそうです。私の女の勘がそう囁いてくるのです。あの女性を敵に回したら、待つのは破滅。そんな気がしてならないのです!」
強く訴える、リリ。
そんな彼女に、ベルは笑って言った。
「まっさか〜!」
リリルカ・アーデは思った。
自分の仕えている主は何でこんなにも呑気なのだろうか、一度シバいたろか、と。
女好きを公言する癖して、女の恐ろしさを全然わかっていない。
そんな風にリリルカが頭を抱えているうちに、二人は目的地へ到着した。
『豊穣の女主人』。ベルお気に入りの酒場である。
「ほら、着いたぞリリ! 此処まで来たんだから、一緒に行こう!」
「うぅ……今日はいつにもまして強引ですね」
「そりゃそうさ! 何度でも言うが、私は君と一緒に祝いたいんだ!」
「〜〜! あぁ、もう! 貴方って人は! 分かりましたよ! 少しお待ち下さい。
フードを目深に被ったリリルカが、そう言う。小声で『魔法』を解呪し、続けて、唱え直す。次の瞬間には、リリルカの姿はヒューマンの女子から、
「その『魔法』、ほんと汎用性が高いなぁ」
感心するベルに、リリルカは少しだけ胸を張った。
分厚い扉を開け放ち、ベルは店内に入る。そして、意気揚々と声高に主張した。
「ミア母さん! 私が来たぞ! そして聞いてくれた!? 私の『二つ名』! 【
「煩いよ、このアホンダラァ!」
営業妨害する迷惑な
「仮にもLv.2になったベル様を、瞬殺……。うぅ、やはり、この酒場は魔境です……!」
顔を青くするリリルカに、一人の給仕が近付く。酒場に入る直前まで話題に上がっていた、シル・フローヴァだ。
「こんばんは、ようこそいらっしゃいました!」
満面の笑みを浮かべて出迎えるシルに、リリルカは「ど、どうも」と頭を下げた。
リリルカが気まずく思っているのを、シルは知らないようだった。
「リリさん。また来てくれたんですね! 私、とても嬉しいです!」
数日前の酒場でのやり取りを忘れているのかと、リリルカは思った。
何か言われると身構えていたリリルカが拍子抜けしていると、「さあ、こちらへどうぞ!」と、シルがリリルカの手を取る。そしてそのまま、大きな
「やあ、リリルカ君! 待っていたぜ!」
席には、ヘスティアが既に腰掛けていた。
「シル何某も、ご苦労様」
「ヘスティア様、私の事はこれまで通り『シル』とお呼び下さい。これまではそう呼んで頂けていたではないですか〜」
「うん、それは暫く無理そうかな」
「あはは、残念」
ちっとも残念に思ってなさそうな顔でシルはそう言うと、一礼してから離れていった。
「ヘスティア様。シル様と何かあったんですか?」
ヘスティアらしくない行動にリリルカが尋ねるも、「まあ、ね……」とヘスティアは言うだけでそれ以上口を開けなかった。
疑念を強くしながら、リリルカは席に座る。
「他の方々は?」
リリルカの質問に、今度こそヘスティアは答えた。
「いや、まだのようだ。ミアハ達はお店があるからね。営業が終わったら、現地集合する事になっている。他のみんなも、ゆっくり来るだろうさ」
「そうですか。それなら、始まるのはもう少し後になりそうですね」
リリルカが相槌を打ったタイミングで、シルとアーニャの二人が近付いてくる。シルの抱えているお盆には
「ヘスティア様、リリさん。こちら、お通しです」
「白髪頭も懲りないニャー。ミア母ちゃんを怒らせちゃニャらんと言うのに、学習能力ゼロかニャ?」
「冒険者くんもアンタにだけは言われたくないだろうね」
シルが丁寧に軽食を、アーニャが雑に荷物を置く。アーニャの言葉に突っ込みを入れたのは、ヒューマンの給仕、ルノアだ。
「ほら、さっさと戻ってくるんだベル君。主役がその体たらくじゃみんなに笑われちゃうぜ」
「はーい! 健康優良児、ベル・クラネル! 大・復・活ッ!」
気持ち悪い動きでにょきにょきとしながら、ベルは跳ね起きた。
「シル、こんばんは! 今日は店の予約を受けてくれてありがとう!」
「いえいえ、これくらい大した事ありません。ただ、今日はお店貸切なので、ご飯、沢山頼んでくれると嬉しいです♪」
特にミアお母さんが! とシルは言う。
ベルは笑いながら了承した。それくらい、なんて事はない。何せベル・クラネルはLv.2。胃袋もLv.2になっているのだ。
シルの言葉通り、今晩、『豊穣の女主人』は【ヘスティア・ファミリア】の貸切となっていた。【ランクアップ】を果たした
「貸切にさせてくれたのは本当に感謝しているけど……もう少し、安くならなかったのかい? この前とは段違いだぜ?」
ヘスティアの言う『この前』とは、
今回、打ち上げに掛かる費用とその他諸々の費用に関しては【ヘスティア・ファミリア】が全額負担している。
「あはは。実はあの時はですね、私が迷惑を掛けてしまっていたので、その殆どをミアお母さんが負担してくれていたんですよね」
「ほーぅ。なるほど、なるほど。なるほどねぇ……」
両腕を組み、意味深に呟くヘスティアを、街娘は不思議そうに見詰めた。
「……? どうかされましたか、ヘスティア様?」
「いーや。何でもないよ、ウン。シル何某、君がそういう態度を取ると言うのなら、ボクもそれなりの態度を取らせて貰おうじゃないか。言っておくけれど、ボクは曲がりなりにも神だからね! 疑念を抱く事は出来るんだよ! 確信は持ってないけどね!」
「ふふ。ヘスティア様が何を仰っているのかさっぱり分かり兼ねますが……態度と言うのであれば、私はこれからも、ベルさんの
ヘスティアとシルが交わす言葉の応酬に、ベルはついていけなかった。
ただ、街娘の言った言葉に感激を受ける。
「
「あっそれは大丈夫です解釈違いと言いますかベルさんにそう言うのは致命的に合っていないと思います」
「し、シル……?」
怒涛の早口に、ベルは「へ?」と間抜けな声を上げて口を半開きにした。
困惑するベルを見て、シルは我を取り戻したようだった。「こほん」とわざとらしく咳払いする。
「か、隠す気があるのかい君はブツブツ……──」
「や、やっぱりシル様には何か重大な『秘密』があるんじゃ……」
ヘスティアの独り言を拾ったリリルカが、疑念の眼差しでシルを見る。
それらを全て軽く受け流してみせた街娘は、「また後で伺いますね!」と微笑むと、
「ベル君! くれぐれも! くれぐれも、あのシル何某には気を付けるんだぞ!」
「ヘスティアも、リリみたいな事を言うなぁー」
「呑気に笑っていられる君が羨ましいぜ、全く!」
そんな風にやり取りしていると、来客を告げるチャイムが鳴った。
「エリスイス、明日主神とそちらに伺いますが、
「……」
「エリスイス、何か言いなさい。ミアハ様も、視線を逸らさないで下さい! 大丈夫なのですよね!? そうなのですよね!?」
「……煩い。祝いの場で、そういう事話すのは……非常識。というか、何でいるの……?」
「招待を受けたからですが!?」
「ふぅーん。この前も言ったけど……いち個人にあまり肩入れしちゃ、いけないんじゃないの……? 最近、随分と好き勝手に動いているって噂になってるよ?」
「派閥の業務は問題なく行っていますので、個人的な時間に口を挟まれる謂れはありません」
登場したのは、この打ち上げに参加する最後の人物達であった。
まず【ヘスティア・ファミリア】とリリルカの居候先である【ミアハ・ファミリア】。薬神ミアハと、その眷族ナァーザ・エリスイス。
そして、銀の
「驚いた。まさか、君達が揃って来るとはね」
ナァーザとアミッドの二人は犬猿の仲。それを知っているヘスティアからすれば、これは驚きであった。
ナァーザが、心底嫌そうに答える。
「ミアハ様と向かっている最中……鉢合わせた……。最悪……」
それに対して、アミッドが顔を顰める。だがすぐにナァーザから視線を外すと、ベルへ顔を向けた。
「ベルさん。本日は招待して下さり、ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだ、アミッド女医。多忙な所、わざわざ来て貰って済まない。だが、本当に嬉しく思う」
ベルとアミッドは笑みを交わした。
そんな二人を見て、「あのっ」とリリルカが声を上げる。
「ベル様を治療して下さっていたので、ご友人だと言うことは分かっていましたが……お二人は、どういったご縁でそうなったのですか? 高価な
「ふむ。そう言えば、ボクも知らないな……」
「私も気になる。もし良ければ、教えてはくれぬか」
「……」
ヘスティア、ミアハ、ナァーザもリリルカと同様の視線をベルとアミッドに送った。そして少し離れた場所では、シルも耳を澄ませていた。
視線を受け止めたベルは、笑みを浮かべて答える。
「いい質問だな、リリ。そうだな……あれは私がヘスティアと出会うよりも前の事だ」
「嘘だろ!? ボクよりも付き合いが長いのかい!?」
「あれは正しく必然の出会いだった!」
「ベルさん、そんな大袈裟に言う事では……」
アミッドの言葉を、ベルは「いいや」と遮った。
「決して大袈裟じゃないさ。あの時、私は色々な事が積み重なっていた」
「色々な事……?」
首を傾げるリリルカに、ベルは苦笑しながら答える。
「恥ずかしながら私は、らしくもなく、子供のように泣いていたんだよ」
「……ベル様が、ですか?」
「ああ」と、ベルは頷く。
リリルカは主の言葉に、些かショックを受けた。
リリルカだけではない。ミアハも、ナァーザも驚いている。
唯一、ヘスティアだけが表情を変えていなかった。
アミッドが、やんわりと訂正する。
「……涙を流していた訳ではなかったでしょう」
「同じ事だよ、アミッド女医」
ベルは深紅の瞳を閉ざすと、当時の事を思い返しながら言った。
「私は、救われたんだ。貴女に」
アミッドは少し顔を赤らめながらも首を横に振った。
「……有難いお言葉ですが、助けられたと言うのならそれは私も一緒です。あの時、あの場に貴方が居なければどうなっていた事か……」
「──と、まあ、そのような感じだな。私とアミッド女医の出会いは。以降、今に至るまで友人関係は続いている。
「いえ単にベルさんが無茶ばかりしていつ死んでもおかしくないからですが」
「はい、いつもありがとうございます!」
そして、ベルとアミッドは笑いあった。
静寂が場を包む前に、「お待たせ致しました」と妖精の給仕が現れた。その手に持っているお盆の上には沢山の料理が乗っている。
「おお、リュー!」
「クラネルさん。【ランクアップ】おめでとうございます。聞き飽きた祝いの言葉でしょうが……」
「そんな事はないさ。嬉しいに決まっている」
ベルとリューの会話を皮切りに、場は賑やかさを取り戻した。
「アドバイザー君は来ないのかい?」
「どうしてもシフトを抜けられなかったらしい。ミィシャも同様だ。そこだけが残念だな」
ギルド職員の友人二人を思い浮かべ、ベルは残念に思った。その代わり、二人からは先程ギルドを発つ前に祝いの言葉と共に
「ところで……貴女、その格好は何……?」
ナァーザが珍しくアミッドに話し掛ける。
「何、とは?」
質問の意図が分からないと首を傾げるアミッドに、ナァーザは冷ややかな目で言った。
「それ、製薬する時に着る作業服でしょ」
薄桃色の作業服は、アミッドにとても似合っていた。
だが酒場という場所に適していないのも、事実だった。ぶっちゃけて言えば、ナァーザの言葉は他の面々も少しは思っていた事であり──聖女の多忙さを考えると着替える時間がなかったんだろうな、と思っていたのだ。
そんな暗黙の了解など知らんと言わんばかりに、ナァーザは追及する。
「この前も、派閥の制服だったし……他に服、ないの?」
「無論、あります。主神から頂いた法衣は、その時に使えるよう大切に保管しています」
「いや、そういう事じゃなくて……」
そして、ナァーザは決定的な一言を口にした。
「私服、ないの……?」
文字通り、空気が凍った。
「……」
押し黙るアミッドへ、ナァーザはニヤリと笑うと、追撃する。
「信じられない……。これが、仕事にばかりかまけてきた女の末路……。まさか、ファッションセンスがゼロだなんてね。フッ(暗黒微笑)」
「これ、ナァーザ! そのような言い方は良くないだろう!」
「私は事実を言っただけ……」
主神からの注意を、ナァーザは何食わぬ顔でやり過ごす。
顔を俯かせ、プルプルと震えるアミッドを、周りの面々は気の毒そうに見遣る。
「つ、次までに用意しますっ!」
そんな出来事もありつつ、次々と料理が運ばれてくる。偶然ではなく
そして会場は、気持ちの良い静けさに包まれる。
主役が杯を上げると、参加者達はそれに倣った。
「今日は来てくれてありがとう! 私が【ランクアップ】出来たのは、此処に居る皆のおかげだ! 今日はどうか、楽しんでいって欲しい! ──乾杯!」
「「「乾杯!」」」
打ち上げが始まった。
皆、店主の作った料理に舌鼓を打ち、談笑し、愉快で楽しい時間を過ごす。
ベルが歌を歌う。
リリルカがベルに巻き込まれ、恥ずかしながら一緒に歌を歌う。
ヘスティアが口笛を吹き、場を沸かす。
ミアハとナァーザが静かに見守る。
アミッドがベルに、新しく製薬した
シルが隙間時間を捻出してはベルに近付こうとし、同僚達に止められる。
リューが真面目に業務を行う。
ミアが美味しそうにご飯を食べる客達を見て、満足気に豪快に笑う。
「──それで、アドバイザー君からは何て言われたんだい?」
打ち上げが一段落ついたところで、ヘスティアがベルに尋ねた。
シルから追加の
「まずは
「まあ、ベルさん。お勉強するんですか?」
シルが驚いたように声を上げる。
冒険者ではない街娘の反応に、ベル──ではなく、彼女の友人であるリューが答えた。
「賢明な判断だ。『中層』を『上層』だと思い甘く見てはいけない」
「リューは冒険者として活動していたと以前言っていたな。そんなにも違うのか?」
先達に教えを乞うと、嘗て冒険者だったという妖精は深く頷いた。
「モンスターの強さは言わずもがな。『中層』にある全てが、『上層』とは比較にならない程の危険性を孕んでいます」
「そうか……。それは、心してかからないといけないな」
「ええ。事前準備を怠っては、『中層』を踏破する事など夢物語だ」
その言葉には、重みがあった。
その妖精の眼差しで何を視てきたのかとベルは知りたくなった。
だが、それは今ではないと思い留まる。
リューは少し微笑みながら、続けて言った。
「どうやら貴方の担当アドバイザーは、優秀のようだ。クラネルさん、知識を蓄えなさい。そして、それを知恵にするのです。『冒険』を乗り越えた貴方には、それが出来る筈だ」
「ああ! 期待に応えられるよう頑張るさ!」
友人からの激励を受け、ベルは破顔した。
そんなベルを見て、シルが唇を尖らせる。
「何だか詰まらないです。私だけ仲間外れみたいで」
「ああいや、シル! そういうつもりでは!?」
リューが慌てる中、ベルも「そうだぞ」と窘める。
「ごめんなさい。私、寂しくなっちゃって。他の方々はベルさんを支えられるのに、私だけ何も出来ないから」
「シル……! そんな風に思ってくれるだなんて!」
「ベルさん……!」
シルがベルを熱い眼差しで見詰める。
ここに
そんな事を思いながら、ヘスティアはげんなりとしながら言った。
「それじゃあシル何某、ベル君に弁当でも作ってやったらどうだい」
「ヘスティア様! 宜しいのですか!?」
ガバッと勢いよく振り向くシルに、ヘスティアは苦渋に満ちた顔で答えた。
「それがボクの出来る最大限の譲歩だ。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
キャラ崩壊して大喜びする、
そんな彼女へ、ヘスティアは釘を刺す。
「勿論、これはあくまでもボクのお節介でしかない。決めるのはベル君だ」
「──ベルさん!」
期待に満ち溢れた眼差しで、ベルを見るシル。
当然、可愛い
「是非お願いします!」
「喜んで!」
ベルはウハウハだった。
なんて素晴らしい日なのだろうかと、提案してくれた主神への好感度が爆上がりする。
斯くして、打ち上げは深夜まで続くのだった。