さあ──『喜劇』を始めよう!   作:Sakiru

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居候先の借金事情

 

 Lv.2になったベル・クラネルの朝は早い。

 寝台(ベッド)から身体を起こしたベルは、身体を大きく伸ばした。そしてカーテンの隙間から届く陽の光に目を細め、口元を綻ばせる。

 寝室から出て、階段を降りると相棒のリリルカが台所で料理をしている最中であった。

 

「フッ、世界はこんなにも美しいのだな。Beautiful world! おはよう、リリ!」

 

「何清々しい笑顔で言っているんですか? 『おはよう』ではなく『こんにちは』ですよ。全く、しっかりして下さい。それと『Beautiful world』って言うと不吉な感じがするのでやめて下さいね」

 

 ベルの挨拶に、リリルカはヤレヤレと溜息を吐きながら答えた。

 はて? と首を傾げたベルは改めて窓から空顔を見上げる。リリルカの言う通り、太陽は頂点を過ぎていた。

 

「そうか、そうか! 『おはよう』と思ったら『こんにちは』か! なんて痛快! なんて愉快!」

 

「愉快ではなく、貴方のそれは怠惰なのでは?」

 

「ウーン。ド正論にぐぅの音も出ないネ。というかリリ、ほんと、最近私に辛辣じゃない?」

 

「ご自分の言動を振り返ってみたら如何ですか?」

 

「HAHAHA!」と笑いながらベルは椅子に腰掛けた。

 すぐに、湯気を立てた料理がいくつか並べられる。

 

「おおっ。これはリリが作ってくれたのか?」

 

 ベルの質問に、リリルカはややそっぽを向いてから、おもむろに頷いた。

 

「……まあ、はい。リリも居候させて貰っている身ですから……迷宮(ダンジョン)探索や用事がない時は家事を手伝うべきかと思いまして……」

 

「前も『青の薬舗』の手伝いをしていたな。神ミアハとナァーザが喜んでいたぞ」

 

「……そうですか。それは良かった……──何ですか、その気持ち悪い笑みは? 何か仰いたい事でもあるんですか?」

 

「いっやー、べっつにー?」

 

 ベルはリリルカの言う気持ち悪い笑み──ベルからすれば心外であったが──をやめなかった。

 この中々素直になれない小人族(パルゥム)が実は照れているのだと、ベルは知っている。

 

「ミアハ様達からは、先に昼食を取るように言われています。何でも、今日は来客予定があるそうで……その準備で忙しいそうです」

 

「そうか。それなら、先に頂くとしよう。この、リリルカ・アーデが真心込めて作ってくれた、料理をな!」

 

「ンな!? べ、別に真心は込めていませんが!?」

 

「ははは! 分かってるわかってる」

 

「絶対に分かっていません!」

 

 そんな、定番と化しつつある茶番を繰り広げながらベルは昼食(ちょうしょく)を食べた。

 料理の味は、リリルカ・アーデのこれまでの人生が反映されており──ベル・クラネルは必ずや彼女の問題を解決し正式に仲間として迎え入れる事を決意するのだった。

 

「私は今から管理機関(ギルド)でエイナ嬢の勉強会に参加しようと思っているのだが、リリもどうだ?」

 

『中層』に行く為、ベルの担当アドバイザーであるエイナ・チュールが出した条件の一つ。

 それは、『中層』への理解を深める事。その為に、ギルド職員であるエイナ直々による勉強会が早速今日から行われようとしていた。

 

「申し訳ございません。折角のお誘いですが、今日は道具屋を見て回ろうかと思っていまして」

 

「ん、そうか」

 

「それに、リリが参加しても良いのでしょうか? アドバイザー様はベル様だけのおつもりなのでは?」

 

「言われてみれば確かに、確認はしていなかったな。分かった、そういう事なら、今日は私一人で参加してくるとしよう。そしてエイナ嬢の許可を得たら、リリ、君も参加するんだ」

 

「分かりました。……なんか、やけに必死じゃないですか?」

 

「気の所為サ!」

 

 イイ笑顔のベルを不審に思いながらも、リリルカは頷いた。

 リリルカとしても、『中層』は『未知』である。ましてやリリルカの階位(レベル)はLv.1の非戦闘員(サポーター)。事前準備はベルの何倍も行わなければならない。

 そうでなければ、置いていかれる。それこそ本当の荷物持ちとなり、ベル・クラネルの足枷となってしまう。

 それを、リリルカ・アーデは望まない。あの時のように、同じ二の轍は踏む訳にはいかないのだ。

 それにリリルカの私情を抜きにしても、勉強会に一緒に参加する事でパーティ内の意思疎通や情報共有が出来るという利点(メリット)もある。

 

「後片付けはリリがしておきますから、ベル様は早く行って下さい。遅れると怒られてしまいますよ」

 

「ありがとう、そうする! そう言えば、ヘスティアは何処に居るんだ? 今日もバイトか?」

 

「ヘスティア様はご神友の所に行かれるそうです。数日は留守にすると仰っていました。それと、伝言を預かっています」

 

「伝言?」

 

 首を傾げるベルに、リリルカが言う。

 

「こほん──『仲間を募るのは少し待ってくれ。一つ、あてがある』との事です。恐らく、ご神友の所へ行かれたのと関係しているのだと思います」

 

「……そうか、分かった。それなら私達は、主神(ヘスティア)を信じよう」

 

 神妙に頷くベルに、リリルカはさらに言った。

 

「あと、もう一つ──『くれぐれも、くれぐれも問題を起こすんじゃあ、ないぞ!? フリじゃないからね!? 暫くは自粛するように!』との事です」

 

「あれれ? 私、信頼されていない!?」

 

「身から出た錆なのでは?」

 

 ジト目で送られてくる突っ込みを華麗に無視(スルー)し、ベルは身支度を整える。そして居住スペースから、『青の薬舗』営業スペースへ出た。

 店内は普段通り、閑古鳥が鳴いていた。長台(カウンター)のレジにて、主神のミアハとその眷族ナァーザが積まれたヴァリス金貨を睨んでいる。

 

「どうだ、ナァーザよ……?」

 

「だめ……やっぱり、足りない……」

 

 どうやら二人は、ベルに気がついていないようだった。

 気配を殺し、ベルは耳を澄ます。

 

「ミアハ様、ベル達からお金を借りよう。私達にはその権利が……ある……」

 

「ならん。隣人の危機は、私達の危機でもあるのだ。それにベルは回復薬(ポーション)をいつも買ってくれておるし、リリルカは店の手伝いや家事を率先的に行ってくれている。対価という意味でなら、十分だ」

 

「それは……そう、だけど……。せめて、開発中の新薬が出来れば……」

 

「……やはり、間に合いそうにないか?」

 

 ミアハの問いに、ナァーザは沈痛な声で答えた。

 

「ベルにお願いして、必要だと思う殆どの素材はある……。だけど、それだけじゃ足りない……」

 

「……そうか」

 

 ベルは【ミアハ・ファミリア】の事情を深くは知らない。

 知っているのは、【ディアンケヒト・ファミリア】に対して多額の借金があるという事。

 ナァーザの先程の言葉は何も間違っていない。本拠(ホーム)が崩壊した【ヘスティア・ファミリア】と派閥で居場所が無いリリルカ・アーデは無理を言って居候させて貰っている身。

 ベルはナァーザから迷宮探索に於いてモンスターのドロップアイテムやダンジョンで採れる素材の収集を依頼された事が何度かあったが、それに対して主神のミアハは不要だと固辞するベルへ半ば無理矢理ヴァリス金貨を支払っている。お得意様だからと、回復薬(ポーション)を割引させている。

 だが、それはベルからしたら当然の事なのだ。

 何故ならば、【ヘスティア・ファミリア】と【ミアハ・ファミリア】は専属契約を結んでいるのだから。協力し合うのが道理である。

 リリルカも、ベルと同じ思いであろう。否、これまで送ってきた生を考慮すればベル以上にやるせなさを感じているかもしれない。

 だが、どれだけベル達が金銭の援助をすると申し出ても薬神(ミアハ)は決して頷かない。信用と信頼こそが大事なのだと頑なな態度を取る。

 それ故にベルは今の所彼等を尊重する。

 

「おはよう、神ミアハ、ナァーザ! いやぁー、今日も良い天気だネ!」

 

 ビクッと、男神とその眷族は肩を震わせる。ナァーザが慌ててヴァリス金貨を巾着袋に入れる中、ミアハが柔和に微笑んだ。

 

「ベルよ、『おはよう』ではないぞ。もう、『こんにちは』だ」

 

「ありゃ、リリと同じ事を言われてしまった! リリと言えば、とても美味しい昼食を用意してくれている! 失礼ながら、私は先に頂いてしまったが! リビングで待っているから、是非、温かいうちに食べて欲しい!」

 

「ふむ。それは楽しみだ。ナァーザよ、そろそろ良い頃合だ、営業は中止するとしよう」

 

「うん、分かった……。来ないとは思うけど、一応、看板を裏返しておく……」

 

 そう言うと、ナァーザは一度店から出ていった。カラン、と鈴の音が寂しく鳴る。

 

「今の話、聞いていたか?」

 

「さて、何の事か私には分からないな」

 

「……そうか。其方は本当に、優しいなぁ」

 

 ミアハはそう言うと、「私は先にリビングに向かっていよう。ベル、外出するのであるなら、気を付けるのだぞ」と居住スペースへ行ってしまった。

 ベルは男神を見送ると、『青の薬舗』から出た。

 

「ベル」

 

 歴史を感じる立て看板の前で、ナァーザは立っていた。犬耳はヘタっており、その表情はとても暗い。

 

「どうしよう……。私の所為で、【ファミリア】が……」

 

 ベルはナァーザに近付くと、言った。

 

「ナァーザ、私は何も知らない。貴女がそこまで思い詰める理由も、事情も」

 

 

「うん、そうだよね……」

 

「だから、教えて欲しい。私は、何をすれば良い?」

 

「……っ。助けてくれる、の?」

 

 期待の眼差し。

 それに対して、ベルは明確には答えなかった。その代わり、このように言う。

 

「貴女にそんな顔は似合わないよ。貴女は、神ミアハの傍で静かに微笑んでいるのが一番素敵だ」

 

 そう、ベルが笑い掛けるとナァーザは少しだけ笑った。

 そして、無言で手刀をベルの脳天に振り下ろす。

 

「イダッ!? ナンデ!?」

 

「傷心中の女の子に……軽々しく、そういう事、言っちゃダメ」

 

「そう言うつもりはなかったのだが……」

 

「あの女もそうやって誑かしているの?」

 

「あの女と言うと……?」

 

「あの冷血女の事」

 

 相変わらずの毛嫌いにベルは苦笑いすると、真剣な表情を浮かべて問い掛けた。

 

「状況を打破する術はあるのか?」

 

「一つだけ、ある……」

 

「その方法は?」

 

「新薬……『二属性回復薬(デュアル・ポーション)』」

 

「『二属性回復薬(デュアル・ポーション)』?」

 

「うん。体力と精神力(マインド)、二つを回復させる薬。前々から試作品を作ってて……あとほんの少しで、出来そう。だけど……その為には、時間が欲しい……」

 

「具体的には?」

 

管理機関(ギルド)に、都市外出許可を申請している」

 

「そうか……。確か、管理機関(ギルド)の許可が必要だったな」

 

「都市外への戦力流出を、管理機関(ギルド)は嫌っているからね。でも、すぐに申請は通らない。そろそろだとは……思うんだけど……。許可が降りて、素材を手に入れて……──具体的な日にちは何とも言えないけど、やっぱり、あと数日は欲しい」

 

「……そうか」

 

【ディアンケヒト・ファミリア】が来るのは、今日。とてもではないが、間に合わない。

 その上で、ベルは尋ねた。

 

「分かった。ナァーザ、私には何が出来る?」

 

「夕方……ベルは偶然を装って、時機(タイミング)を見計らった上で帰ってきて欲しい」

 

「その、時機(タイミング)は?」

 

「【ディアンケヒト・ファミリア】が来た後。その後なら、いつでも大丈夫……。立て看板をいつもの時間よりも早く仕舞うから、それを合図だと思って欲しい……」

 

「分かった。それなら、その時間帯に帰ってこよう」

 

 即答するベルに、ナァーザは目を見張った。

 

「本当に、良いの……? ヘスティア様にも話を通さないで……」

 

「ヘスティアがもし此処に居たら、私と同じようにするさ。私達は、隣人だ。そんな私達だからこそ出来る助け合いが、私にはあると思う」

 

 ベルは最後にもう一度ナァーザへ笑い掛けると、「それじゃあ、私は行ってくる!」と手を振りながら走り出した。

 瞬く間に遠ざかっていく背中を見て、ナァーザは感慨深く呟いた。

 

「そっか……。ほんとうに、Lv.2になったんだ……。私と、同じ……」

 

 

 

§

 

 

 

 夕方。

 薄暗い路地を、一柱の男神とその眷族が歩いていた。

 灰色の掛かった髪と蓄えた髭の持ち主である初老の男神は、着ている衣服も一目で高級だと分かる品物であった。超越存在(デウスデア)の神らしく容貌は非常に整っている。

 だが、

 

「フハハハハハハハッ! 遂に、あの貧乏人共から金を巻き上げる時が来たぞ! 儂の月一の楽しみだ!」

 

 纏っている雰囲気は神聖さとは程遠く、俗に満ちていた。胸をふんぞり返りながら歩き、大きな笑い声を響かせている。

 男神の真名()は、ディアンケヒト。主に医療を司る神である。

 そんなディアンケヒトの半歩後ろを歩く眷族は、アミッド・テアサナーレ。

 

「ディアンケヒト様。先程申し上げた通り、【ミアハ・ファミリア】が今回の分の返済額を用意しているとは思えないのですが……」

 

「だから何だと言うのだ、アミッド! 儂達、商業系【ファミリア】にとって信用と信頼は何にも勝る担保! きちんと、管理機関(ギルド)を介して契約書にもそのように書かれている! 毎月、借金を取り立てに向かうとなぁ! 違うか!?」

 

「いえ、ディアンケヒト様の仰る通りです」

 

 主神の言葉を、団長は肯定した。

 ディアンケヒトは「フンッ」と鼻を鳴らすと、アミッドへ言う。

 

「それよりも、だ! 本拠(ホーム)に戻ったら、貴様の行いについて徹底的に話し合うぞ!」

 

慈善活動(ボランティア)の件でしょうか? それでしたら、何度も説明をしてきた筈ですが」

 

「ああ、そうだな! だが儂は、一度たりとて認めた覚えはないぞ! 神会(デナトゥス)の準備で有耶無耶となっていたが、今日という今日は貴様に諦めさせてやる!」

 

「良いでしょう、畏まりました。私も、ディアンケヒト様を納得させてみせます」

 

「〜〜ッ!? アミッド、貴様ァ!」

 

 老神(ろうじん)の叫び声を、アミッドは澄まし顔で受け流した。

 やがて薬神と眷族は、とあるみすぼらしい店の前に立つ。【ミアハ・ファミリア】本拠──『青の薬舗』。

 ディアンケヒトはアミッドをじろりと睨むと、衣服についている埃を手で払い落とした。そして、ニヤリ、と誰が見ても悪者だと思う邪悪な笑みを形作ると、扉をゴンゴンと何度も無遠慮に叩く。

 

「ミアハ〜〜〜〜ッ! この儂自らが出向いてやったぞぅ! 感謝するが良い! フハハハハハハハッ!」

 

 高らかに宣言しながら、ディアンケヒトは『青の薬舗』へ侵入した。遠慮なんてものは欠片もなく、ドシドシと足音を立てながら。

 その後ろを、アミッドは内心で溜息を吐いてから追うのだった。

 

 

 

§

 

 

 

『青の薬舗』には重苦しい空気が流れていた。

 卓を挟み、二柱の男神とその眷族達が向かい合っている。

 ディアンケヒトが品性の欠片もない笑みをニタニタと浮かべながら「それでぇ〜?」とミアハに尋ねた。

 

「今月分の返済額は用意してあるのかぁ〜? えぇ? ミアハ〜?」

 

「……申し訳ない。実はまだ、出来ていない」

 

 頭を下げる、ミアハ。眷族のナァーザが主神の姿に顔を歪める中、ディアンケヒトが高笑いした。

 

「おいおい、どういう事だぁ〜? 今回の返済期日は、神会(デナトゥス)があったから遅くなっていただろぅ?」

 

「……その通りだな」

 

「そうだと言うのにぃ? 貴様達はぁ? 用意出来なかったと言うのかぁ?」

 

 ミアハに顔を近付け、ディアンケヒトは威圧した。

 

「新薬を作るのに成功すれば、今月分どころか数ヶ月分は──」

 

「よせ、ナァーザ」

 

 ナァーザの言葉を、ミアハは遮った。

 真剣な表情を浮かべたミアハは、「それは、言い訳でしかない」と言う。

 ニヤリと笑ったディアンケヒトが高らかに高説を垂れる。

 

「その通りッ! 商売とはぁ、『信頼』で成り立っている! だがぁ、しかし! 貴様達はぁ! その『信頼』を損なった!」

 

 口を閉ざすミアハに、ディアンケヒトは続ける。

 

「新薬だぁ? 結構な事だ! もし開発すればそれは大きな利益を産むであろう! だがそれは並大抵の事ではなぁい!」

 

 そう言うと、ディアンケヒトは沈黙を貫いているアミッドを手で指さした。

 

「何せ、うちのアミッドでさえ新薬の開発には多くの失敗と金、そして時間を掛けているのだ! それを、貴様達のような弱小派閥が出来るものかァ」

 

 ディアンケヒトの主張は、言い方こそ悪いが真理であった。

 医療の進歩は一朝一夕ではならずと、医療の神(ディアンケヒト)は断言する。

 

「良い加減認めろ、ミアハ! そして儂に平伏すが良い!」

 

「そうすれば!」と、ディアンケヒトは高らかに言った。

 

「貴様の派閥を、儂の傘下に入れてやっても良いぞ!」

 

【ヘファイストス・ファミリア】が迷宮都市(オラリオ)の鍛治を営んでいる派閥や店を取り纏めているように。

【ディアンケヒト・ファミリア】は迷宮都市(オラリオ)の医療そのものである。

 都市最高位の治療師(ヒーラー)たる【戦場の聖女(デア・セイント)】アミッド・テアサナーレが所属しているこの最大手の医療系派閥(ファミリア)の治療院を、多くの人間が利用する。傷を負った冒険者は治療師(ヒーラー)による治療を頼り、病気を患った市民は薬を求めるのだ。

【ディアンケヒト・ファミリア】がそのような存在になったのは、金にがめついながらも確かな結果を残してきた主神(ディアンケヒト)の手腕によるものであり、何よりも──多くの人々に対する眷族達の献身によるものであった。

 

「甚だ認めたくはないが、貴様達の製薬に関する知識、そして技術には価値がある! だが、今の貴様達では金にならん! だからこそ儂の傘下に入るのだ、ミアハ!」

 

 医療の神(デォアンケヒト)薬神(ミアハ)に決断を迫る。

 

「ディアン、そう言って貰えるのはとても有難い。だがすまぬな、無理だ」

 

「……ッ! 何故だ!? もしや、そこの眷族の事を言っているのか!?」

 

 ディアンケヒトの視線が、ナァーザに向けられる。

 

「貴様達の働き具合によっては、借金(ローン)の額を減らしてやっても良いぞ!」

 

「……っ」

 

 居心地悪く身動ぎする犬人(シアンスロープ)、その長袖に隠れている右腕を神の瞳は注視した。

 ミアハが半身前に出て、眷族を隠す。神々の話し合いに、子供達を巻き込ませないという意思の表れだった。

 

「勘違いしないで欲しい、ディアン。ナァーザは関係ない」

 

「それなら、何故だぁ!? 貴様とて分かっている筈だ! 今そんなにも落ちぶれているのは、貴様の甘さが原因なのだと!」

 

 ドンッ! とディアンケヒトが卓を感情のままに殴る。

 

「ディアンケヒト様、お怪我を……!」

 

神の力(アルカナム)』を封印し、身体能力は『恩恵』を持たない子供達にまで下がっている主神(ディアンケヒト)を、眷族(アミッド)が心配する。

 だがディアンケヒトはそれには構わず、その視線はミアハにのみ向けられていた。

 

「答えろ、ミアハ! 何故、儂の誘いを断る!?」

 

 薬神は医療の神からの質問に答えた。

 

「根本的な考え方の差異だ、ディアンケヒト」

 

「なァ……!?」

 

「ディアンケヒト、其方の方法を私は否定しない。其方の派閥(ファミリア)無くして、今の迷宮都市(オラリオ)は無いだろう。だが其方は、些か強引な時がある。それが其方なりの『献身』である事は理解しているが、私には到底、同じ事は出来んよ」

 

 普段は穏やかな男神の声音が、今は厳かに満ちていた。目を見開くディアンケヒトへ、ミアハは続ける。

 

「本来──行き過ぎている面があるとはいえ──私よりも其方の方が正しいのであろうな。だが再度言おう。私には、出来ないのだ。そして、ディアン。私からも、質問をさせて欲しい」

 

「……何だ?」

 

「もし貧困に喘ぐ者が居たとして、もしその者が助けを求めてきた時其方はどうする? 助けるか?」

 

「決まっている! 助けてやるともッ!」

 

「だがそれは、金銭を要求した上でだろう?」

 

「それこそ決まっている! 無論、そうだッ!」

 

 血走った目で、ディアンケヒトが即答した。

 アミッドが微かに表情を変化させる中、ディアンケヒトは主張する。

 

「無償の奉仕程下らんものはない! 生産性の欠片もなく、実に無利益だ! それでは、真に他者を助ける事なんて出来る筈もないッ!」

 

「先程の質問の続きをしよう。それでは、もしその者が一銭も持っていなかった場合はどうする?」

 

「『対価』を支払わせるに決まっているでだろうッ! 金が無いと言うのなら、助けた分だけ『対価』を要求するッ! もしそいつに医療を施したのなら、掛かった費用の分だけ働かせるッ! 当然の事だッ!」

 

 商業系派閥として、ディアンケヒトの運営方針は何も間違っていない。

 そしてミアハは、それを肯定する。

 

「うむ、当然の事であるな。私も、その考えに基本的には同意見だ。やはり、其方は正しい」

 

「だからこそ」と薬神は結論を覆さない。

 

「私は、其方とは同じ道を歩めない。もし私と其方が協力し合えば、より多くの人々を助ける事が出来るかもしれんが」

 

「なら、何故だぁッ!?」

 

「だが──もし『その時』が来た時。無辜の民が傷付いていると知った時。私は恐らく後先を考えないで『対価』を求めず助けてしまうだろう」

 

「──ッ!?」

 

 初めて、医療の神は息を呑んだ。

 ミアハがディアンケヒトへ笑い掛ける。

 

「そうなった時、其方と私は口論するであろう。今、この時よりも壮絶に互いの譲れない矜恃を賭けて、だ。これに、勝ち負けはない。だが私達はどちらも折れず、平行線を辿り──結局、袂を分かつのだろう」

 

「私はそれを寂しく思う」と、ミアハは最後に締め括った。

 

「ミアハ様……!」

 

 薬神の眷族が誇らしげに胸を張り、主神の傍で微笑を浮かべる。

 

「……」

 

戦場の聖女(デア・セイント)】が瞳を伏せ、思案に耽る。

 そして。

 

「それなら、話は終わりだッ!」

 

 医療の神は、激情を迸らせた。

 

「儂の温情を袖に振るとは、覚悟は出来ているんだろうなァ、ミアハァ!?」

 

 ミアハを射殺さんばかりの眼圧で、ディアンケヒトがその決定的な一言を口にしようとした──その時。

 

「ちょっと待ったァアアアアアアアアア!」

 

 叫び声と共に、『青の薬舗』唯一の出入口が開かれる。

 外には、一つの影があった。

 ミアハ、アミッドが驚く中、ナァーザは微かに笑った。

 

「一体、何者だァアアアアアアア!?」

 

 突然の乱入者にディアンケヒトが目を見開かせながら怒声を上げる。

 返答は、高笑いと共にあった。

 

「フハハハハハハハ! その話、このベル・クラネルに預からせて欲しい!」

 

 ベルが名乗りを上げる。

 

「ベル・クラネルだとぅ!? 貴様がか!?」

 

 ディアンケヒトの睨みを、ベルは「如何にも」と澄まし顔で受け流した。

 

「私こそが絶世の美男子、ベル・クラネル! 神々から頂戴した『二つ名』は、【未完の英雄(リトル・ルーキー)】! お初にお目にかかる、医療の神ディアンケヒト! 眷族(むすめ)さんには常日頃からお世話になっています!」

 

 深々と、本人にとってはあくまでも真面目に頭を下げるベルを、ディアンケヒトは憎々しげに見詰めた。

 それに気付かない振りをして、ベルは親しい友人に声を掛ける。

 

「やあ、アミッド女医! こんにちは? あるいは、こんばんはかな?」

 

「夕暮れ時ですので、『こんばんは』が正しいと思いますが……いえ、その話はまた後にしましょう。何故、ベルさんが此処に? 偶然ではないでしょう?」

 

 その質問に、ベルは答える。

 

「良い質問だ、アミッド女医! 経緯は長くなるので省かせて貰うが、結論を言うと、【ヘスティア・ファミリア】は【ミアハ・ファミリア】の本拠(ホーム)で絶賛居候している!」

 

「い、居候ですか……?」

 

「ああ、居候だ! 先日の大雨でそれまで住んでいた本拠(ホーム)が崩落してしまってな! 今は隣人の【ミアハ・ファミリア】の厄介になっている!」

 

本拠(ホーム)が、崩落……? そんな事が?」

 

 初めて聞く話に、アミッドはただただ困惑した。

 

「ベル……遅い……」

 

「ああ、すまないナァーザ! エイナ嬢からの課題がえげつなくてな! 先程ようやく終わった所だ!」

 

 ナァーザからの文句を、ベルは軽く笑って流した。

 ディアンケヒトが、今にも胸倉を摑み掛からん勢いで怒声を上げる。

 

「ベル・クラネル! アミッドに要らん事を吹き込んだのは貴様だな!?」

 

「うぅむ、心当たりが有り過ぎてどの事か分からない──申し訳ない、神ディアンケヒト! その話はまた後日にして頂きたい!」

 

「何を好き勝手に言っている! この場の主導権は貴様ではなく儂にあるのだぞ! だいたい、無関係の貴様に出る幕などないわ!」

 

「無論、それは承知している」

 

 神の瞳を真正面から見詰め、ベルは言った。

 

「今回の支払い分、【ミアハ・ファミリア】の代わりに【ヘスティア・ファミリア】が立て替えよう。そう言ったら、私もこの話に無関係ではないだろう?」

 

「なッ!?」

 

 目を見開くディアンケヒト。アミッドも静かに息を呑む中、ベルは懐からヴァリス金貨の入った巾着袋を卓の上にドン! と置いた。

 

「ベル!? 其方、一体何を!?」

 

「神ミアハ。このヴァリス金貨分の回復薬(ポーション)を私に売って欲しい」

 

「それは出来ん! ベル、其方の気持ちは本当に嬉しい! だが、それだけは出来んッ!」

 

 語尾を荒らげる、ミアハ。

 普段の静かな佇まいから離れた主神の姿に、眷族のナァーザが瞠目する。

 

「ナァーザ。足りない額を教えて欲しい」

 

「……うん」

 

 ナァーザから聞き出し、ベルは懐から巾着袋を取り出した。ジャラジャラと、大量の金貨の音が鳴る。

 ディアンケヒトとアミッドが見ている中、ベルはミアハへ謝罪の言葉を口にした。

 

「申し訳ない、神ミアハ。貴方の矜恃を、愚かな私は踏み躙る。許して欲しいとは思わない。──だが、今はこれしかない。貴方も、それは分かっている筈だ」

 

「……だが、それでは──」

 

「派閥が無くなるよりは良い筈だ」

 

「……ッ!」

 

 深紅(ルベライト)の瞳に射抜かれ、薬神は返す言葉を持ち合わせていなかった。

 犬人(シアンスロープ)の少女が、へたりと耳を垂らし、罪悪感で顔を歪ませながらベルに言った。

 

「ありがとう、ベル……。ごめんね……」

 

「──ッ! ならん、ならんぞナァーザ! 決してその金貨を受け取ってはならんッ!」

 

 主神(ミアハ)の制止を、眷族(ナァーザ)は無視した。それは、初めての事であった。

 ナァーザは金貨の入った巾着袋と、回復薬(ポーション)の入った(ケース)を交換する。

 

「ごめんなさい、ミアハ様……。でも今は、こうするしか……なかったから……」

 

 ナァーザはそれ以上、主神へ掛ける言葉が見付からなかった。

 

「あ……、あぁ……!」

 

 崩れ落ちる、ミアハ。

 斯くして、【ミアハ・ファミリア】の在り方は瓦解した。

 事態を見届けたディアンケヒトが、詰まらなそうに溜息を吐いた。巾着袋を手に取ると、中身を一枚ずつ確認する。

 そしてそれを懐に仕舞うと、ディアンケヒトは低い声音を出した。

 

「ベル・クラネル……貴様、何が目的だ?」

 

 神からの質問に、下界の子供は笑みで答える。

 

「神の瞳には、私がどのように映っている?」

 

「神を試すか、不届き者め。──アミッド、帰るぞ。本拠(ホーム)に着いたら、先程の話の続きだ。良いな!」

 

「……はい」

 

 ディアンケヒトがアミッドに声を掛けて『青の薬舗』から出ようとする。

 

「神ディアンケヒト、それでは、また会おう! 親愛なる我が友アミッド女医も、また!」

 

 ディアンケヒトはそれに答えなかった。その代わり、アミッドが一礼する。

【ディアンケヒト・ファミリア】をベルは笑顔で見送った。

 

「ただいま戻りました──ミアハ様!? ナァーザ様!? 一体どうされたのですか!?」

 

 外出から戻ってきたリリルカが、沈痛に苦しんでいる【ミアハ・ファミリア】を見て驚愕の声を出した。そして、仕えている主へ視線で事の経緯を尋ねる。

 だがベルはそれに答える事はしなかった。【ミアハ・ファミリア】へ目線を合わせ、「さあ」と声を掛ける。

 

「二人とも、顔を上げるんだ」

 

「無理だよ、ベル……。今回は、ベルが助けてくれたから何とかなった。でも、私達は、もう……」

 

【ミアハ・ファミリア】が【ディアンケヒト・ファミリア】へ吸収されるのは時間の問題だとナァーザは悲しみに喘いだ。

 そんな隣人へ、明るく笑い掛けた。無神経にも、無遠慮にも、非常識にも、ベルは「こういう時こそ、笑おう!」と口にする。

 

「悲壮に暮れるのはまだ早いし、何より、貴方達には決して似合わない」

 

「ベル……」

 

 薬神(ミアハ)がベルの名前を呟く。

 手を差し伸べ、ベルはもう一度笑い掛けた。

 

「もし貴方達が立ち上がってくれるのなら、私は協力を惜しまない!」

 

「リリもです!」

 

 ベルの言葉に、リリルカが同調する。

 ミアハが弱々しく言う。

 

「……ありがとう、そう言って貰えるのは嬉しい。だが、ベル……。私達に打つ手はないぞ」

 

「いいや、あるとも」

 

「……なに?」

 

 ベルは強く断言し、困惑する【ミアハ・ファミリア】へ自信満々に言った。

 

「ナァーザから新薬の話を聞いている。それを、完成させるんだ!」

 

「新薬って、もしかして……」

 

「……『二属性回復薬(デュアル・ポーション)』の事か? だがベル、それはまだ開発の目処が立っていないのだ……」

 

「大丈夫だ! 私に策がある!」

 

 目を見張る薬神と薬師へ、ベルは続ける。

 

 

「一緒に、医療革命を起こそう!」

 

 

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