音を愛す君へ   作:tanuu

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第九十六音 恋人

 人間関係というのは、言葉一つで変わってしまう事がある。それはプラスの事もあれば、マイナスの事も存在しているだろう。言葉によって定義された関係性が変更され、その後の生活に大きな影響をもたらすこともしばしばだ。多分、告白っていうのもそう言うモノなんだと思っている。

 

 好きです、という言葉は好意の確認作業だ。私はあなたが好きです、あなたは私のことを好きですか? という確認。ロマンティックさの欠片も無い言い方をするのなら、こういう事だろう。だから、告白をして一発逆転、今まであんまり接点の無かったあの子と付き合えるかも! というのは大半の場合において夢物語だ。現実はそんなに甘くないし、クラスの美少女は付き合ってくれない。

 

 とは言え、そんな確認作業だったとしてもされる方もする方もかなり緊張はする。それはしょうがないことだろう。と言うか、しない方がおかしい。

 

 恋人になったから、何かが急激に変化するということは、多分そんなに無いのだろう。だとしても、自分の中に存在している感情は確かに異なるモノになっていた。今までは相手が自分を好きでいてくれるのか分からないで苦しかったりしたモノが、相手と自分の関係が定義されると消えて別の感情になっていく。新しく生まれているのは多分、安心感なんじゃないだろうか。

 

 頭の中はごちゃごちゃとこんな考えが渦巻いている。要するに、自分でも気持ちの整理が出来ていないということだ。関西大会まで一週間を切った今日、私は好きだった人と付き合えることになった。

 

 とは言え、とは言えである。これを部内に持ち込むわけにはいかない。関係性が露見すること自体は、彼女が拒まなければ別に構わないのだけれど、それで指導に何らかの差異が存在してはいけないのだ。あの二人、付き合ってるらしいけどホント? 全然そんな風に見えないけどね。そういう風に練習態度を見て言われるくらいでないと、指導者としては不適格だろう。

 

 そもそも、指導者と部員が付き合ってること自体が問題ではないかと言われれば、返す言葉も見つからない。やっぱりなるべく内緒にしておいた方が良いのかもしれないと思い始めていた。だが私の中の良くない部分が囁く。お前だって生徒ではあるんだから、彼女と付き合うことに問題なんかないだろうと。どっちが正しいのか、その答えはよく分からないままだった。

 

 混乱する頭を振り払って、私は職員室に向かう。空は夕暮れから薄紫に変わっていた。先生は椅子に座りながら、コーヒーを飲んでいた。その机の上には、譜面が広げられている。きっと、先ほどの演奏を聞いて先生の中にも大きな心の変化が生じていたのだろう。

 

「お疲れ様です」

「あぁ、桜地君。お疲れ様です」

 

 先生はゆっくりと譜面から顔を上げた。ズレていた眼鏡を戻して、彼は私に視線を送る。

 

「今日の演奏は大変素晴らしいものでした。あの演奏こそ、あなたの思い描いていたモノなのだと、初めて実感を持つことが出来たと言えるかもしれません」

「今まで実感持ってなかったんですか?」

「理解はしていましたが、完璧に会得していたわけではありませんでした。如何せん、編曲者にしか分からない目指す景色というのはあるのでしょう。しかし、今日の演奏で私にもあなたの目指している景色が見えました」

「百聞は一見に如かず、の逆バージョンみたいな感じですかね」

「そうかもしれません」

 

 先生はゆっくりとコーヒーを口に含んだ。百回楽譜を見つめるよりも、一回の演奏が全てを理解することに繋がることもあるのかもしれない。今回の演奏は、まさにそうだった。あの演奏こそ、私の求めていたモノだ。私の目指していた物語の解釈である。希美とみぞれは、私の解釈を完璧に会得してくれたように思う。これで結果が振るわなければ、私の解釈が悪かったという話になってしまうだろう。

 

 あれから何回も演奏を行ったけれど、二人の演奏クオリティは下がることが無いままだった。それどころか、周りを引っ張りながら少しずつ完成度が上がっている。高坂さんやウチの妹なんかの負けず嫌いな部員は目の色が変わったように練習していた。多くの部員が感銘を受けたのか、空気は明確に変わっていた。追い付け追い越せ。去年存在していたあの高揚感と疾走感、そしてほんの僅かな焦燥。それは完全に蘇ったように思う。

 

「高校生の音楽とは、ここまでポテンシャルがあるのかと、この年になっても学ばないといけないと改めて思わされます」

「あの演奏は、多分今しか出来ませんよ。大人にあの音が出せるかは微妙だと思います。迷いと懊悩の末に希望を見出すのは、若者の特権ではないかと思いますので」

「その時の一瞬にしか奏られない演奏、というのは高校吹奏楽の魅力でしょうね。その繊細さを活かしきることが、我々指導者に求められているのかもしれません」

「あぁ、それに関連してですが」

 

 私は感慨深そうに言う先生に紙を渡す。

 

「こちらは?」

「課題曲の指揮に関するアドバイスです。この前の合宿での演奏を録画して送ってみました。取り敢えずこちらが返信です。和訳してあるので、何か参考になれば」

「ありがとうございます」

「自由曲も一応送ってはみたんですが、そっちは外野が余計な事を言わない方が良いという風に言われてしまいまして。なので課題曲だけで勘弁してください。より完璧に近づけることが求められる課題曲なら、多分役に立つとの話でした」

「どちらかだけでも参考になります。私もプロの指揮者ではありませんので」

「それならば良かったです」

 

 課題曲は指揮者のやりたいことを落とし込む作品になっている。と言うのも、今回の課題曲はこちらに任せてくる部分が多いのだ。要するに、楽譜に細かく指示が書いていないのである。故に、私と先生でどういう風に演奏するか細かく詰めて、指示を書き足していた。私の友人にはその書き足した楽譜と共に演奏を送っている。

 

 表現が甘くなっている部分がちょくちょくあると、かなり厳しい指摘も飛んできていたが、総じて高校生でこの演奏なのかと感心していた部分があった。海外からすると日本のこの吹奏楽文化はかなり特異であるらしい。確かに、比較的上中流階級用のものとされていることの多いクラシックなども、日本では割と普通に嗜んでいる人が多い。高校に入れる程度の財力があれば、最低限音楽活動は出来る。それは日本吹奏楽の良いところだろう。

 

「桜地君」

「はい」

「ありがとうございます」

「……はい? どうしたんですか藪から棒に」

「今年の自由曲、『リズと青い鳥』は私の妻が好きだったのです。曲も、物語の方も」

 

 先生は小さな声で、呟くように言った。誰にも明かしていないであろう、曲が選ばれた秘密。

 

「昨年、次回のコンクールの曲はどうしようかと悩んでいました。そこにアンコンやソロコンで傘木さんと鎧塚さんの演奏を聞いて、もしかしたらと欲が出てしまいました。あの曲で、いつか妻が自分の生徒と大会で演奏してみたいと言っていた曲で、挑めるのではないかと。図らずも桜地君のお母様と関係していたわけですが、それも却ってこの選択をして良かったのだと私の中で思う要因になっていました」

「薄々勘づいていました。なんとなくですが。去年奥様の話を伺っていたからかもしれません」

「やはり、そうですか。あなたなら気付いているのではないかと、私も少し思っていました。昔の私は、この曲が別に好きでも嫌いでも無かったのです。綺麗ではありましたが、どことなく物悲しかったので。別れというのは、妻が死んでからより一層辛いモノだと思っていました。ですので、自由曲でハッピーエンドというコンセプトをあなたが打ち出した時、半信半疑だった部分もあります。本当に、別れの物語で幸せな終わりに出来るのかと」

 

 先生は吐き出すように言った。ブラインドの降りた職員室の窓の向こうは、すっかり夜の帳が降りていた。人の少ない職員室の中には、私たちの会話だけしか響いていない。

 

「ですが今回の演奏で分かりました。妻が好きだったのは、第四楽章の希望に溢れた部分だったのかもしれません」

「……」

「ですので、私は感謝したいのです」

「その感謝は、全国大会が終わる頃まで取っておいてください。その時に、嫌と言うほど感謝してもらいますから」

「そうでしたね。それが、私たちの目標でした」

「えぇ、そうですよ。忘れてもらっては困ります」

 

 別れ、出会い、希望、旅立ち、そして愛。それは人生を彩る要素。リズと青い鳥は、一人の人生を描いたものなのかもしれない。それでも希望で終えたのはきっと、作曲者なりの人生賛歌なのではないか。今、何となくそんな風に思っていた。

 

「先生と奥様、どっちが先に告白したんですか?」

「そちらも随分藪から棒ですね。お恥ずかしい話ですが、大学時代の私はかなり奥手、と言うよりコミュニケーションが得意ではなく。橋本先生に連れまわされているような人間でしたので。好意は持っていましたが、結局妻からアプローチを受けるまで何も出来ないままでした」

 

 少し照れるような顔で先生は頭を掻いた。奥手な先生の大学時代は、ちょっと見てみたい。口が悪い同期はそれなりに慣れているので、何となく仲良くなれるような気がする。先生の同期というのも、面白そうだ。でもそれだと希美とは出会えないので、そう考えるとやっぱり無しという気分になる。

 

「しかし、急ですね」

「いや、あの、何と言いますか……。あまり言いたくはないのですが、ご報告はしないといけないと思いまして……その……」

 

 歯切れの悪い私を、先生はどうしたのかという目で見ている。黙っていることも出来るけれど、指導者がするにはあまり褒められたことではないことをしているので、報告しない訳にもいかないと思う。リスク回避、問題回避のためにも。尤も、真の意味で問題回避したいなら告白しない方が良いのかもしれないけど、自分の気持ちに嘘は吐けなかった。

 

「希美と、傘木希美さんとお付き合いをすることになりまして」

「……はぁ」

 

 それがどうしたという顔で先生は気の抜けた声を漏らした。

 

「あぁ、おめでとうございます」

「……それだけですか?」

「それ以外に何か? 私は妻帯者でしたので、特段羨ましくはありませんから、自慢でしたら他の生徒にしていただけると助かりますが。松本先生ではありませんが、健全な高校生らしい付き合いを心掛けてください」

 

 冗談めかして先生は言う。予想していた回答とはずいぶん違う言葉に、私は少し驚いていた。と言うより、こういう冗談を言うとはあまり思わなかったので、それも意外だった。真面目に話すような内容では無いと、彼は思っているのだろう。

 

「いえ、てっきり良い顔をされないと思っていましたので。仮にも部活動の指導を担っている存在が、その部員と付き合っているというのは歓迎されないと思っていました。色々とリスクもありますし」

「それは事実ですが、あなたは指導者である前に一高校生です。高校生の健全な交際を妨げる権利を、私は有していません」

「そう、ですか」

「はい。あなたがどう思っているのかは分かりませんが、もうオーディションもありませんし、特段心配することは無いと思います。普段の練習に参加していれば、例えどういう関係性であっても妥協することも贔屓することも無く指導しているのが分かるでしょう。家族であろうと、一切妥協しない姿勢は皆が知っているはずです。恋人であろうとも、音楽においては妥協しない。私はあなたがそういう存在であると、信じています」

 

 先生は真っ直ぐな目線を私に向けてくる。自分の信頼通りの人間であって欲しい、という意思はひしひしと伝わって来た。この信頼を裏切ってはいけないのだろう。そういう風に私が思うであろうと考えて、先生が言ったのだとしても。実際、私は妥協する気はない。一度指揮台に立った以上、指導者と教え子は明確に区別しないといけないのだ。それは今までもそうしてきたつもりだ。変えるつもりもない。妹にだって、妥協しない演奏をさせていた。

 

「あなたは、周りからどう評価されているのかを、もう少し上方修正しても良いかもしれませんね」

「そうでしょうか」

「えぇ。やや自罰的なきらいがありますので」

「……」

「ともあれ、その報告は私よりも鈴本先生にしてあげてください。あなたと傘木さんの関係性を随分と心配していたようですので」

 

 ウチの担任が色々と気を揉んでいたのはよく知っていた。

 

「まぁとは言え、隠していてもいずれ我々教員には露見しますが」

「そうなんですか?」

「えぇ。あなたは難しそうですが、傘木さんは隠せなそうですから」

「……確かに」

「私も教師になって初めて知りましたが、案外職員室は生徒の交友関係や恋愛関係を把握していますよ」

「マジですか」

「はい」

 

 小さく頭を抱えた私を、先生は愉快そうに見ている。私の感情も、先生たちには筒抜けだったのかもしれない。そう考えると穴があったら入りたい気分だ。顔が熱くなってきたのは、間違いなく恥ずかしさに由来するものだろう。

 

 

 

 

 

 

 その後、今日の報告を渡して逃げるように職員室を後にした。夏の潤んだ空は真っ黒に染まっている。あのまま職員室にいたらとんでもないことになっていた気がするので、逃げるが勝ちだった。最後まで先生が愉快そうだったのを思い出し、何とも憮然とした面持ちになってしまう。普段はこっちが押していることが多いのだが、そこは大人と子供の違いと言うことなのだろうか。私もまだまだ、大人にはなり切れないらしい。

 

 校門の所には小さな人影。その姿を視認して、少しだけ歩を速めた。私に気付いた彼女は大きく手を振って来る。

 

「ごめん、遅くなった」

「滝先生と何話してたの?」

「まぁ色々と」

 

 夏でも涼しげ、という表現が妹に向けられる言葉なら、希美に向けられるのは夏でも爽やか、という言葉だろう。清涼剤か炭酸のCMに出演できそうなくらいには、爽快さがあるのが彼女の魅力でもあった。ゆらゆら揺れているポニーテールの隙間から見える白い肌に流れてる汗も、爽やかな気配を漂わせている。吹奏楽部と言うよりは、テニス部かバスケ部と言った感じの雰囲気がある。もしかしたら、ダンス部かもしれない。弓道部や剣道部でも似合いそうだ。

 

「滝先生と一番仲良いの、実は凛音説あるよね」

「そう?」

「高坂さんが嫉妬しそう」

「なんで先生との仲で嫉妬されないといけないんだ……」

 

 あの熱量で嫉妬の炎を燃やされたら困ってしまう。六条の御息所よろしく呪いが飛ばされそうな気がする。と言うか、私と先生の間にあるのは信頼関係であって、それ以外の何物でもない。確かに生徒という括りの中で先生と一番接している時間が長いのは私だろう。高坂さんがそれに気付かないか、気付いても何も思わないことを祈るしかなかった。

 

「じゃあ、帰ろっか。大分遅くなっちゃったし」

「先に帰ってくれても良かったけど」

「わー酷い。数時間前に出来たばっかりの彼女にそんな事言っちゃうんだ。折角待ってたのにな~」

「ごめん」

「分かればよろしい」

 

 ドヤっという顔で彼女は歩き出す。その隣に並んで、私も帰り道を歩き始めた。去年の夏の夜も、こうして歩いた記憶がある。あの時はまだこんな関係になるなんて考えられないくらいには、私たちの間には冷たい氷の壁が横たわっていた。あの時に言えなかったことをその後にしっかり言って、そして二人の関係はもう一度始まった。あれから一年経っている。

 

 恋愛が関係性の至上とは言わない。多分、一番上は家族愛だと思う。とは言え、一年かけて私たちの距離がずっと近付いているのは事実だろう。それは、とても嬉しいことだった。

 

「もうすぐだね、関西」

「不安?」

「うーん、どうだろう。どっちかと言えば、ワクワクしてるかもしれない。関西行くの、久しぶりだし」

 

 希美が関西大会に行ったのは、南中在籍時だ。それも、二年生の時。なので、もう五年ほど前になる。五年前のことなんて、高校生にしてみれば随分と昔の出来事だった。私だって、それは同じ。

 

「だから楽しみ。もう一回、あのスポットライトの下に立てるんだって思うと」

「それなら良かった。緊張してガッチガチになってたらどうしようかと思ってたし。去年の高坂さんみたいに」

「あの子、そんな風になってたの? 全然想像つかない」

「割と緊張してたよ。あの子も若い時代があったわけだね」

 

 今でもそれなりに緊張はしてるんだろう。けれど、最近は緊張を飼いならせるようになってきた気がする。メンタルも強くなったのだろう。吉沢さんにいい影響を受けているのかもしれない。

 

「一緒に行こうね、全国」

「それはもちろん」

「できれば……一緒に演奏したかったけど」

「それ、涼音にも言われた」

「じゃあ思ってることは同じだね。涼音ちゃん、パートでは凛音のことツンツンしながら言ってるけど何だかんだお兄ちゃん大好きだし」

「ツンツンしてるの?」

「してるよ。結構」

 

 割と衝撃的な事実がサラッと語られていた。フルートパートの中で私の尊厳が消えている可能性が浮上してきている。そうなってしまうとちょっと困った。

 

「今度あの子の私生活暴露しようかな」

「また嫌がられちゃうよ~。ちょっと興味はあるけど」

「遅くまで寝てたりとか、部屋が適当とか、家ではミニスカ履いたりしてるとか。後、口調は露骨に崩れてるし」

 

 頑なに私生活を秘そうとするのは、あまり模範的な生活態度では無いからだろう。放っておくとずぼらに生きていると思う。外で真面目な分、家庭生活ではだらけるタイプだった。

 

「涼音ちゃん、将来どうするとかもう決めてるのかな」

「理系に進みたいとは言ってた。もしかすると医学部かもしれない」

「医学部!? 流石だね……」

「別にそれは良いんだけどね。学費が……」

 

 最悪、遺産を切り崩すか誰かの支援を頼むしかないだろう。学校にもよるだろうけれど、親族で医学系に進んだ人はいなかったはずなので、新しい分野の開拓と言うことなら支援を貰える可能性もある。

 

「でも、決めてるのはえらいと思うよ。私みたいに堂々巡りしてないし」

「確かに」

「こらぁ、ちょっとくらい慰めてよ、シスコンさん」

「だって慰めると嫌がりそうだし」

「うっ、それはそうだけど」

 

 希美は誰かに哀れまれたり、慰められたりするのがそんなに好きじゃない。よく知っていた。何だかんだ、それなりにプライド高いのが希美なのだ。とは言え、それは別に悪いことでは無いし、自分の事を大切に出来るということでもある。

 

「それでもちょっとくらい慰めて欲しいのが乙女心なんですよ~。まぁいいけど。私が好きなのは、こういう時に変な慰め言ってこない人だし」

「それはどうも」

「そう言えば、みぞれたちに言わないとなぁ、私たちの事」

 

 大っぴらにするようなことではないけれど、彼女たちに隠し事をするのはよくないだろう。どうせそのうちバレるだろうし。ウチの妹には一瞬で露見した。告白した後音楽室に戻った私の顔を見るなり、告った? と小さな声で聞いてきたのには度肝を抜かれたのを思い出す。

 

「明日、言おうか」

「だね」

 

 希美の言葉に小さく頷いた。にへら、と笑う彼女の顔が月に照らされる。その仄かな光の下を私たちは歩いていた。確かな足取りで、ゆっくりと。 

 

 

 

 

 

 

 翌日。朝早くに登校した私たちは、音楽室の扉を開けたその瞬間に待ち構えていた優子によって中に引き摺り込まれた。そのまま連行され、音楽準備室の中に入れられる。秘密警察とはこういう感じなのかもしれないと思わせる手口は随分と手慣れている。既視感があると思ったが、定演の時に黄前さんを拉致した際もこんな感じの方法だった。

 

 音楽準備室の中には夏紀とみぞれが既に待機している。二人とも私たちが連行されてくるのを待っていたのは明白だった。

 

「あんたたち、私たちに何か言うことあるんじゃなぁい?」

 

 優子は腕を組んだまま、ジト目をしつつ問いかけてくる。その声は隠し事を追及する母親のようでもあった。その星のような瞳とそこから繰り出される力強い視線は皆を導くときには大きな道しるべとなるのだが、今は我々を照らそうとする真実追及の光に見えてならない。

 

「いや、あの、何で分かった……?」

「うん? 私は何か隠してることが無いか聞いただけよ? でもそう言うってことは隠してたことがあるってことね」

「別に追及されなくても言うつもりではあったけど……」

 

 優子が笑顔になっていく。笑顔は元々攻撃的なものだとする話を思い出した。そんな話を思い出すくらい、彼女の口はドンドンと弧を描いていく。その目が細くなっていく。薄っすら開いた瞼の向こうからこちらを見る目が光っていた。

 

「えっと、付き合い始めました!」

 

 希美が大きな声で返す。私はそれに追随するように頷いた。その言葉を聞いて、優子は組んでいた腕を下ろすといつもの顔に戻る。

 

「はいはい、知ってたわよ」

「なんで?」

「逆に気付かないと思ってたの? だとしたら私も大分舐められてるわね。あんたたちと何年付き合ってると思ってるのよ」

「まぁ要するに、部長さんは自分に言ってくれなくて拗ねてるってこと」

「はぁ? 拗ねてませんけどぉ!」

 

 夏紀の言葉にムキになって反抗しているあたり、多分夏紀の言葉が真実なのだろう。確かにもっと早くに教えておくべきだったのかもしれない。友人として、内緒にしているのはあまり良くなかった。それは反省しないといけない。

 

「ごめん、ホントは昨日に言うべきだった」

「私からも、ごめんね」

「まぁ、良いわよ。最終的に教えてくれたわけだし」

「ちなみに、隠し通そうとしてたらどうしてた?」

「信頼されてないんだなぁと思った」

 

 私の問いに答えた優子の声は、少し寂しそうな色を含んでいた。

 

「とにかく! 別に付き合うのは自由だけど、健全に行きなさいよ、健全に。変な問題起こさないでちょうだいね。後、お願いだから揉めないで。部内恋愛自由なのは、今まであんまり恋愛系で揉め事が無かったからなの。後輩のために、お願い。良いわね、そこのポンコツカップル」

「「……はい」」

 

 ポンコツと言うところに対して言いたいことは色々とあるけれど、余計な事を言うと十倍くらいになって返ってきそうなので、取り敢えずは引き下がっておくことにする。どの辺がポンコツなのだろうか。そう思いつつも、去年色々あった身としては確かに部内に問題の風を起こしかねないポンコツカップルと言うのは意外と的を射ているかもしれない。

 

「ちゃんと会って話そうと思ってたんだけど……確かに信頼してないみたいになってた。すまない」 

「凛音は悪くないよ、元はと言えば私が黙ってたのが良くないわけだし。昨日の夜に言うべきだったと思うから」

「あぁもう庇い合っていちゃつかない! ほら、何かみぞれも言ってあげなさいよ」

「……」

 

 ガミガミ怒ってる優子よりも、冷たいみぞれの目の方が心に刺さる。とは言え、その空気はすぐに消えて、優しい顔になる。

 

「仲良くね」

「「はい」」

「なんでそんな素直なの?」

「アンタと違ってみぞれはいい子なんだよ」

「なんですって?」

 

 また揉め始めた優子と夏紀。こんな時までも揉めているのはもうお家芸なのかもしれない。

 

「はぁ、取り敢えずあと数日で関西大会なんだし、気張っていきなさいよ」

「それはもちろん。今日もみぞれとバリバリ演奏するよ。ね?」

「うん」

 

 みぞれはニコニコとしている。良い感じに息が合うようになってきたの今の状態は、みぞれにとって一番いい状態なのかもしれない。彼女の中で静かなフィーバーが来ているようにも見える。何にせよ、みぞれと希美の二人が上手く行ってるのは良いことだった。友人としても、音楽の面でも。

 

「私は、絶対全国に行きたい。色々ここまで大変なことがあって、それでも何とかしてきた。だから全員で行きたい。特に、このメンバー、この五人では絶対に。一年の時に馬鹿にされて、それでもこうして吹部として大会に挑んでる私たち南中出身の五人で、絶対に」

 

 優子はグイっと掌を開きながら前に突き出す。しょうがないなぁというような顔で、夏紀がその上に掌を重ねた。みぞれは静かにその上に手を重ねる。希美は少しためらった後、それでも思い切って手を重ねた。

 

 我々は南中出身者の最後の生き残り。南中吹奏楽部の記憶を持っていなかったり、一度辞めていたり、色んな欠けているパーツはある。優子とみぞれだけが全ての記憶を持っている。それでも、どことなく仲間意識は存在していた。あの時嘲笑われた南中組が、今や全国に挑む強豪校の舵取りをしていた。これは、数年越しに行われた優子なりの小さな復讐だったのかもしれない。

 

「ほら、ボサっとしてないで。アンタがどう思ってるのかは知らないけど、私たちはアンタを仲間だと思ってる。同じ部活の仲間で、同じ先生の下にいる部員で、同じ大会に挑む。違う?」

 

 今の自分は過去の自分に誇れるのか。私は不意に、部に戻ることを決めた時、優子を説得するべく言ったその言葉を思い出した。今の優子は、十分過去の彼女自身に誇る事が出来るだろう。

 

 思えば、最初から彼女は優しかった。外様である私にも。だからこそ、最後の最後には私が戻ることに了承してくれたのだと思う。最初に相談したのが彼女で良かった。今、そんな事を思った。迷う心はまだ存在している。自分がそこに手を重ねるのに相応しいのかという想いも。でも、部長がそれを求めているのならば。何より、私の友達が求めているのなら。

 

 私はゆっくりと手を重ねる。優子は満足そうな顔を見せる。希美がにっこりと微笑んだ。

 

「絶対全国行くわよ、北宇治幹部組ファイト―!」

「「「オー!」」」

 

 五つの拳が天に突き挙げられる。埃っぽい音楽準備室の中に、私たちの声が響く。私たちの願うハッピーエンドへたどり着くために、出来る事を今日もこなしていくのだ。その先にきっと、望む結末はあるのだと信じて。

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