音を愛す君へ   作:tanuu

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第百音 ドラムメジャー

 朝の職員室は静かだった。時折キーボードを叩く音や誰かの呼吸音だけが聞こえてくる。

 

「おはようございます」

「あぁ、おはようございます」

 

 私は先生に向かって静かに挨拶する。毎朝毎晩こうして顔を突き合わせている。この前希美が言っていたけれど、確かに一番滝先生と会っているのは私かもしれない。だからどうというわけでは無いけれど、高坂さんからすれば羨ましい話なのだろうか。やっている内容は世間話などほとんどなく、いつも練習の話。今日の練習について朝相談し、放課後にフィードバックを行う。自主練が多い日は報告を行うこともしばしばだ。個人ファイルはドンドンと分厚くなっている。

 

「先日お話ししたドラムメジャーの件は幹部会で合意を得た後に、当人に許可を取る事が出来ました」

「そうですか、それは何よりです」

「来年の幹部陣については、もう?」

「えぇ。部長から話を聞いています。随分と早いと思いましたが、今年は色々と早めに動いているようですね」

「はい。全部前倒しですね。それが吉と出るか凶と出るかは分かりませんが……とは言え、経験を積むという観点から考えると、悪いことではないだろうと。これから部長に許可を取りますが、それが取れ次第ドラムメジャーの話だけは先にしてしまおうと思います」

「なるほど。早くにあなたの後任であることを示して、この文化祭の曲練習期間を使って実践的な練習にしようということですね?」

「はい、ご明察の通りです」

「分かりました。私としてはそれを拒む理由はありません。ただし、高坂さんの練習や演奏に支障が出ないように最大限の配慮をしてください」

「もちろんです」

 

 先生の懸念は尤もだった。あくまでも彼女は奏者。専任の指導者である私とは違って、演奏が本分だし、彼女自身もそう思っているだろう。それを邪魔するようなことがあってはいけない。あくまでも実力を保ちつつ、指導力も磨いていかないといけない。それは簡単な事ではないだろう。

 

「しかし……もうそういう時期ですか。分かっていることではありますが、少し寂しいものがありますね」

「そうですね。私は卒業ギリギリまで練習に携わるつもりではいますが、それでも心に来るものがあります」

「二年間共にやって来たあなたがいないというのは、私も変な気分になります」

 

 先生は言葉に僅かな寂寥感を滲ませていった。確かに、これまで二年間ほぼ毎日会ってきたので、それを考えれば私もやや寂しいものがある。ベルリンの家で朝早くに「練習の相談しないと」と言って飛び起きている自分の姿が容易に想像できた。けれど、しんみりしていても仕方ない。

 

「まぁまだまだ全国大会も終わってませんから! しんみりするのには少し早いですよ」

「そうですね。諸々前倒しになっているので、私の心情まで前倒しになってしまっていたようです。高坂さんの件は承知しました。よろしくお願いします」

「任せてください」

 

 彼女の熱量に突き動かされて、私は先生の要請を受けた。そんな教え子の面倒を見るのは、当たり前の事だ。指導の技術や知識を渡すのは、吹奏楽の世界に引き戻してくれた彼女への、せめてもの恩返しだろう。

 

 

 

 

 

 

「高坂さんは承諾してくれた」

 

 朝練の前、私は優子に昨日行った高坂さん説得の結末を話した。その言葉に、彼女は小さく頷く。

 

「良かった。取り敢えず、これで来年の幹部は決定ね」

「それなんだけど」

「何か問題?」

「いや、そうじゃなくて。部長と副部長は従来通りの発表で良いと思うけど、高坂さんの話だけは先にしておきたい」

「理由は?」

「経験を積める時間を増やしたい」

「でも、演奏しながらだとキツイ……どっちにしろ来年そうなるわね」

「そういう事」

 

 いきなりコンクール指導をやらせるのはちょっとブラックが過ぎる。指導方法や理念・理想に関する話、権限の縮小とそれに伴う部長副部長との上下関係など、説明しないといけないことや教えないといけないことは多い。彼女は奏者ではあるけれど、別に指揮者や指導者としての専門教育を受けてきたわけじゃない。それを言い出したら私もそうなのだけれど、経験を積む機会はどれだけあっても困りはしないだろうと思っている。

 

「高坂さんがいきなり全体指導が出来るのかは不明だし、はいよろしくって任せるよりは練習期間があった方が圧倒的に良い。技術を積んで、経験を得れば、少しは余裕が出るでしょ」

「アンタは最初から出来てたけどね」

「そりゃ音大出てるから。学歴だけは滝先生と一緒なんだし。でも高坂さんは高校生だから」

「そう言えばそうだった。ま、いいけど。その案には反対しない。ただし、新部長がやりにくくならないようにしなさいよね」

「それはもちろん」

 

 具体的な話はしなかったけれど、つまり優子の言いたいことは高坂さんが必要以上に声望を集めたことによって黄前さんがやりにくくならないようにしろ、ということなのだろう。部長よりカリスマのある存在は去年の田中先輩が記憶に新しいが、それが望ましいかと言われるとケースバイケースである。特に大所帯である以上、部長が一定以上の権威を持っていないといけない。

 

 田中先輩が「特別な存在」として半ば神聖視されていたように、高坂さんがそうなってしまう可能性は大いにある。滝先生と並び、新生北宇治躍進の象徴の一つであるからだ。二年生には去年の再オーディションも記憶に新しいだろう。あの時先輩に一歩も引かず挑んだ、そして勝利した鮮烈な姿は記憶に染みついていると思われる。

 

 神聖視は不可侵性を生み、そしてそれは暴走を生む。高坂さんは比較的理性寄りの人間ではあるが、決して理性だけで出来ているわけではない。むしろ、割と感情的な存在だ。そうである以上、ストッパーは欲しいけれど、その役を担える存在が減るのはよろしくない。パートリーダーがドラムメジャーに意見できない状態などは生みたくなかった。彼女が威圧的に自分の信じる正論を言うところがあるので、なおのこと。

 

「高坂、ホントにしっかり分かって引き受けたのよね?」

「それは、どういう?」

「アンタ、時々自分の求めてる方向に人をコントロールしようとするし。高坂はアンタに大分心酔してるみたいだからちょっと心配。私なら、アンタの後任とか絶対に引き受けたくないわね。期待されるレベルが高すぎる。先生からも、部員からも、求められるのはアンタと同じ働きなのよ」

「高坂さんと私が別人なのは理解してるでしょ、誰だって」

「……皆そんなに理性的なら私の胃はもっと元気よ」

「それはそうかもしれないけど。彼女なら大丈夫だよ。二年間見てきたんだ。プレッシャーがあっても、それを跳ね除けるだけのメンタリティーがある。それに、DM設置に賛成してたのはそっちも同じじゃないか」

「それはまぁ、そうだけど」

 

 優子の懸念も分かる。高坂さんがプレッシャーや焦りに潰されてしまわないか。それは心配だった。今年全国で金だったら、それに続かないといけないというプレッシャー。金じゃなかったら自分たちの代こそというプレッシャー。どっちにしても大きな圧がのしかかる。だが、その圧に負けず平常心でいられなくては、今後大成することは出来ないだろう。厳しいかもしれないけれど、その厳しさに耐えられると、私は信じていた。

 

 

 

 

 

 

 優子の承諾を貰い、高坂さんの話を全体にすることになった。とは言え、その前にまずは文化祭の話をしないといけない。出された希望の曲の中から上手く私が選んで編成したのが今年の演奏曲になっている。去年よりは民主的な決め方になっているはずだ。最後の最後に決定するのが私なので、完全に民主的とは言えないけれど。

 

 決定した後刷った楽譜を配布している。曲がそれなりにあるので、刷るのが大変だった。この辺の雑務を来年は誰がやる事になるのだろう。副部長の塚本君がやらされてそうな気がする。彼は優しいけれど、こき使われてしまわないか不安もある。特に高坂さんに。

 

「今配布したのが今年の文化祭で演奏する曲の楽譜です。しっかり読み込んで、各パートごとに練習を行ってください。全体練習ではすぐに合わせられるように」

「「「はい!」」」

「今年は映画やドラマなどの映像音楽で占めてます。コナンはサックスやトロンボーンが欠かせませんし、パイレーツはコンバスやホルンがカッコいい曲です。後ユーフォ。『君の名は。コレクション』にはユーフォソロがあります。しかも無伴奏」

 

 一瞬黄前さんの目が凄まじく輝いた。普段は目立つことの少ないユーフォにソロがあるのが嬉しかったのだろう。同じ曲では前半の方にトランペットとのソリもある。加えて無伴奏ソロともなれば興奮するのも理解できた。田中先輩だったら飛び上がって話を始めていたであろうことが容易に予想される。

 

「パーカス、コナンのテーマはドラムがありますが、もし出来るようなら楽譜通りで無くても構いません。改変したい場合は相談して下さい。応じます」

「「「はい」」」

「ソロは各自練習しておくこと。後で演奏を聞き、こちらで決定します。コンクールとは違う曲ですので、当然普段ソロを演奏している人ではない人になることもありますから、そのつもりで。文化祭は楽しいお祭りですが、演奏会であることには変わりません。聞く人は二年連続で全国出場の演奏という前提で来ています。それを忘れないように」

「「「はい!」」」

「では、文化祭の話はここで終わります。何か質問等あればまた聞いてください」

 

 私は一回ここで話を区切る。一瞬だけ瞑目してから、全員の顔を見渡してから私はまた口を開いた。

 

「少し気が早いですが、全国大会が終わった後の話をしたいと思います。全国大会終了後、三年生は引退し現二年生が部を主に指導していくことになります。私は受験が無いため指導者として引き続き指導を行っていきますが、卒業後は当然携われません。そこで、生徒内で指導を行ってもらう役職を新しく創設することにしました」

 

 チョークを手に取って、私は黒板に向かう。ドラムメジャーと深緑の板に白色で書いた。そして部員の方を向き直り、黒板をコツコツと叩く。

 

「この役職はこれまでサンフェス時の臨時職でしたが、今後は音楽指導を行う仕事として常設とします。ただし、オーディションの審査や曲の決定などは行いません。あくまでも一生徒の中の役割として担ってもらいます。当然、大会の出場権も存在しています。この話を何故この時期にしたかと言えば、これまで存在していなかった役職を創設するにあたって、経験を積む期間が必要だと考えたからです。今回の文化祭における指導もその一環としたいと思います。メインは昨年通り私が担いますが、時折になってもらう事になるでしょう。私や先生の指示と思って、学年に関係なくしっかりと指示を守るように。よろしいですね?」

「「「はい」」」

 

 少し困惑している様子はあったが、それでも理由などを説明すればある程度納得してくれたような感じはある。生徒に指導されるという意味では私がいるので比較的受け入れられやすいとは思う。ただし、高坂さんはあくまでも経歴上は他の部員と同じ。私と違って音大は出てないし、世界大会で勝ってもいない。その分は権威性が薄れてしまうかもしれないので、指示を聞いてもらえるかは彼女の腕にかかっているだろう。私がいる間は、私や先生をバックにして三年生にも指示を通すつもりだ。

 

「では、来年度からその役職についてもらう人を発表します。高坂さん、前へ」

「はい」

 

 やっぱりそうなるかぁ、と言った感じの雰囲気が音楽室の中に漂っている。私の後継者は誰になるのか。そういう話は大なり小なり聞こえるようになっていた。これまで二年間、部活の指揮をしてきた存在がいなくなるとなれば、誰がその後釜になるのか、或いは後継者を残さないのか。気になるのもしょうがないことだろう。

 

 そこで候補に挙がるのが誰かと言えば、私に近しい存在がピックアップされるのも無理はない。聞いた話だと、高坂さんが最有力。次点で吉沢さんや新入生指導をしていた黄前さんなどが挙げられていたらしい。希美曰く、一年生の中にはウチの妹が世襲するんじゃないかと言う話もあったらしい。不可能ではないけれど、それはしたくない。兄の七光りなんて、言われたくはないだろう。

 

「高坂麗奈さんにドラムメジャーの役を担ってもらいます。高坂さん、挨拶を」

「はい。今回、ドラムメジャーを拝命しました、高坂麗奈です。桜地先生の立場を引き継ぐプレッシャーはありますが、精一杯北宇治のため、吹奏楽部のためになるよう努めていきます。よろしくお願いします」

 

 頭を下げた高坂さんに拍手が起こる。これから半年弱。どこまで彼女を指導役が出来るような人材にしていくかが私に課せられた課題になって来る。これまでは奏者としてのレッスンを行って来ればよかったけれど、今度からは違う方面での成長をさせないといけない。大分骨が折れるだろうけれど、それでもきっと彼女なら期待に応えてくれるだろう。

 

 これからの展望は明るいはずだ。私はそう信じていた。正確には信じたかった。去年も同じような事を思って、大きな嵐がやって来たのだから。とは言え、今は嵐の予兆などない。そのままであって欲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 吹奏楽部は目下文化祭に向けての練習を始めている。同時に、リズと青い鳥のフルバージョンの練習も行って、清良との演奏会に備えていた。清良との演奏会が終われば、昨年に引き続き南中との交流会が存在している。これが十月の中旬の予定だった。先方は今年も全国らしい。ウチの妹が間を取り持ってくれた。来年も優秀な奏者が一定数入って来ることが多いに期待できる。今年の南中組は全員メンバー入りしているからして、その優秀さは折り紙付きだ。

 

 教室では文化祭の出し物を決めている。去年のメイド喫茶が今となっては懐かしい。今年は受験を意識しないといけないので、そこまで大掛かりなことは出来ないだろう。それでも、体育祭と合わせて高校生最後のイベントとあって、クラスも盛り上がっていた。

 

 我々の担任は目を細めながら席に座って進行を眺めている。私と希美の関係を話した時、背中を叩きながら喜んでくれたのが記憶に新しかった。

 

「ということで、3年3組は占いの館をやることになりました」

 

 去年の3年7組のパクリではあるが、一定数人気があるのも事実。準備もそこまで時間がいらないし、三年生向けの出し物だ。

 

「今年はどんな衣装なのかな」

「去年は魔女みたいな服だったなぁ、確か」

 

 私と希美は後ろの方の席に座っているので、小さな声なら話していても怒られたりしない。文化祭の話し合いをしている時は基本緩いのだ。周りと話している人はチラホラと目に入る。

 

「じゃあ、今年も魔女?」

「捻りが無いから変えるんじゃないの、流石に」

「あー、確かに。衣装と言えば、私去年の衣装持ってるよ」

「マジで?」

「うん。制服の隣でハンガーにかかったまま一年間吊るされてる」

「お母さん何にも言わないの?」

「着るのこれって言われちゃった。でもなんとなく捨てづらくて……。割と可愛いし、思い出もあるから、しばらく取っておこうかなって」

「確かに捨てにくいのはなんとなくわかる。クラスTシャツとか」

「そうそう」

 

 今になって振り返ると、遠い昔にも感じるしついこの前のようにも感じる。ただ一つ思うことがあるとすれば、もっと見ておけば良かった。あんな恰好している姿はそうそう見られるものじゃない。携帯の中にはあの時に撮った写真が残っているけれど、もっと撮っておくべきだった。後悔先に立たずというやつかもしれない。頼んだらもう一回着てくれるのだろうか。そんな不埒な事を考えて、慌てて頭から振り払った。

 

「なーに考えてたのかな」

「……」

「目逸らすってことはやましいことがあるんだね」

「そんなこと無いけど」

「ふーん」

 

 希美はジトっとした目線を向けてくる。私はその視線の追求から頑張って目を逸らした。

 

「正直に言ってくれればクローゼットの中から出てくるかもしれないよ」

「すみませんでした。着てくれないかなぁとか考えてました。可愛かったので」

「はい、素直でよろしい。まぁ気分が良ければそのうち、ね?」

 

 パチン、と彼女はウインクする。彼女は私をどうしたいのだろうか。私をおかしくさせたいというのが目的なら、もうとっくの昔に達成されている。危うく心臓が止まりかけるかと思った。他の男子には絶対にやらないでほしい。女子にもできればやらないでほしい。

 

「そう言えば、涼音ちゃんのところは何するの?」

「去年やった合同メイド喫茶のフォーマットが下級生で流行ってるみたいで、何クラスか合同でメイド喫茶やるんだって。7組も噛んでるらしい」

「へー、涼音ちゃんも着るのかな」

「吹部組は大体当日の接客担当だからね。着るんじゃない? ……良くないな。不特定多数が来る環境でメイド服だと不埒な有象無象の虫が……」

「はいはい。あんまりシスコンしてると、嫌われちゃうよ」

「でも気になるし」

「大丈夫じゃない? 同じクラスにセコムしてくれる子くらいいそうだし」

「ぐむむむ……」

 

 しょうがないなぁ、という顔で彼女は私を見ている。

 

「女の子は気付かない間に大人になってくモノなんだよ」

「まぁ、そうなのかもしれないけど。でもやっぱり心配で」

「ウチのお父さんより過保護だなぁ。大丈夫大丈夫。私だって一応見てるし」

「なら……心配ないけど。ありがとうね」

「涼音ちゃんは私から見ても妹みたいなものだし、当然だよ。私、一回くらい妹欲しかったし」

「……それは桜地になりたいということ?」

「へ?」

 

 彼女は少しだけ固まった後、真っ赤になってそっぽを向く。ちょっと刺激が強すぎたのかもしれない。半分冗談、半分本気で言ってみた。もしそうなってくれたら嬉しいなぁという、ぼんやりとした願いを込めて。結婚なんて考えるのには私たちは若すぎる。でも一応制度上は可能な年齢だった。

 

 来年、多分私は日本にいない。その中で、もし希美が妹の事を気にかけてくれていたらどんなに嬉しくて、ありがたいことか。考えてはみるけれど、流石にそこまでお願いすることは出来ない。高校時代のカップルが長続きする確率は低い。10%を切ってしまうらしい。その10%の中に自分たちが入っていることが出来ると、自信を持って言うことは出来ない。それでもそうなってくれたら良いと願っているし、そのための努力を欠かしてはいけないと思っている。いつか、人生を一緒に歩けるように。

 

 

 

 

 

 ビュン、と風を切る音が庭に響いている。庭の中央には日本刀を持った妹が立っていた。下手すると暗殺されるのかというような感じだが、全くそんなことは無い。彼女が持っているのも、何も切れない模造刀だ。重さだけは本物に近いけれど、叩かれたら痛いかもしれないが鈍らである。本物は奥の方にしまったまま日の目を見ていない。

 

「納刀がガチすぎる……」

「演劇部みたいだね」

 

 私の何とも言えない呟きに、様子を見に来た希美が呟いた。夜八時を回ったウチの家で、妹は文化祭でやる寸劇の練習をしていた。みぞれにより配役が発表され、主役で剣を振るわないといけないことになった妹は、演劇部からちょっと教わり自分でネットなどで調べた殺陣をやっていた。剣術は使えるが、殺陣はまたそれとは違うらしい。そのせいか、手つきが往年の時代劇俳優みたいになっている。要するに、本気過ぎた。

 

 希美は受験勉強のためによくウチに顔を出していた。それ以外にも全国大会に向けての練習もある。音大受験にはピアノの試験がある。彼女の志望する大学では、奏者じゃないコースでも必要らしい。そのピアノの練習だったり、それ以外にも必要な勉強を見ている。ピアノ指導をしっかりしたところに頼むと大枚はたくことになるので、なるべく安上がりで済ませるためには私が一番だった。夢を見せた責任はしっかり取らないといけない。夢を見せたくせに、叶えるための力を渡さないで終わりなんて一番良くないだろう。

 

「希美先輩! お疲れ様です」

「うん、お疲れ。頑張ってるね」

「はい、みぞれ先輩が色々求めてくるので、それに応えていたらこんなになってしまいました。私、意外と才能あるのかもしれません」

「調子に乗らない」

 

 ぺしっと楽譜で妹の頭を叩く。不満そうな顔で妹は私の顔を見てきた。

 

「殺陣も良いけど、フルートを頑張りなさい。来年ソロあったら絶対やるんだろ」

「今くらいいいじゃん」

「その甘えが油断に繋がるんだ。もし来年高坂さんみたいな超上手い一年生が入ってきたらどうする?」

「むー」

「まぁまぁ、それくらいで」

「ほら、希美先輩はしっかり分かってくれてるじゃん。兄さんだけだよそんな杓子定規で頭固いの」

 

 学校での姿とは随分と違うものだ。教室や部活での妹の姿を知っている人がこれをみたら、別人かと疑うかもしれない。誰しも家庭での姿と他人を前にした時の姿では大分差があるものだ。逆に言えば、家族ではない希美にこういう姿を見せているのは相当に信頼している証だろう。ある意味では、希美に甘えているのもしれない。両親が死んで以来、こんな風に甘えられる相手は少なくなってしまった。そんな妹にとって、希美は本当の姉のような存在に近いのだろう。

 

「まぁ、あんまり無理し過ぎないようにね」

「はい、ありがとうございます」

「じゃあ、私先に戻って練習してるから」

「あぁ、うん」

 

 希美は妹に笑いかけてから部屋に戻っていく。最初の頃は迷っていた彼女も、もう最近は真っ直ぐ目的の部屋にたどり着けるようになっていた。

 

「そうだ、兄さんと言えば。高坂先輩にこの前呼ばれたよ」

「何の用事で。と言うか君ら絡みあったんだ」

「少しくらいは話すよ、そりゃ。同じ部活なんだし」

「なるほど」

 

 高坂さんが自分からあんまり関わりの無い後輩に話しかけに行くとは、成長したのかもしれない。少なくとも、ハリネズミみたいになっていた去年の様子では、こんな風に声をかけに行くことは出来なかったと思う。

 

「それで?」

「来年一年補佐役やってくれないかって」

「だろうね。それで、なんて答えたの」

「ちょっと保留にさせてくださいって言った」

「そう。高坂さんの下は嫌?」

「そういう訳じゃないけど。ただ、私が幹部やるのは……あんまり自信が無くて」

「うーん……。それ、身内の前なら良いけど、他の人の前で言うなよ、嫌味に聞こえるから」

「言わないよ、こんな事」

 

 小さくため息を吐きながら、彼女は縁側に腰を下ろした。九月の夜はまだまだ暑い。それでもこの子の周りだけどこかひんやりしているのはどうしてだろうか。身体の周辺だけ数度温度が低い気がする。私の気のせいかもしれないけれど、他の人も同じような事を言っていた。

 

 南中時代の諸々を、妹は成功だと思っていない。結果としては全国金賞と言う大金星を獲得してきたわけだが、それに至るまでに払った代償が大きすぎると、この子は思っていた。だからこそ、高坂さんの要請にすぐに頷かなかったのだろう。もっと相応しい子がいると思っているから。そして、あの成功は首の皮一枚繋がった結果だったと考えているから。

 

「南中時代の結果は、一般人からすれば栄冠以外の何物でもないからね」

「それ、高坂先輩にも言われた。北宇治が求めている栄冠を獲ることが出来た力を貸して欲しいって」

「高坂さんなら、言いそうだ」

 

 世間一般の成功=喜びと考えているのが高坂さんだ。一般的にはそれで間違っていないけれど、世の中にはたまに成功を成功と思っていない人もいる。妹が例外的なそれに含まれていたのが、高坂さんの説得が上手くいかなかった理由だろう。まさか保留にされるとは思ってなかったのだと思う。

 

「高坂さんには後でちょっと言っておく。ゆっくり考えなさい。まだ時間はあるんだから」

「……ありがと」

「自分の人生だ。自分のやりたいようにすればいい。私も希美も、他の誰もそれを咎めたりはしない。部長でも副部長でもドラムメジャーでもそれ以外でも、涼音なら何でもできると思ってる」

「分かってる。無理じゃないとは思う。でも、見えてる地雷に突撃したくない」

「地雷、ね」

「分かってるでしょ、私たちの学年は人数が多すぎる」

「……」

「44人全員が三年生の時に大会メンバーっていうのは、ちょっと現実味が無い。来年、再来年の一年生にだって有望株は何人もいると思う。不可抗力で出れなかった加部先輩以外全員出れた今年、人数の都合で全戦力を投入するしかなかった一昨年とは違う。多分、来年ですら三年生が全員出れるかは分からない。どう考えても見えてる地雷案件だから」

 

 何らかのトラブルが起きる。それが目に見えている所に飛び込むのは、誰だって避けたいだろう。それでもそんな風に考えてしまう事に嫌気を感じているのか、妹は少し目を伏せた。

 

「私は多分、トラブル解決には向いてないから」

「……とにかく、ゆっくり考えなさい。誰かに相談したって構わないし」

「兄さんは、私がDMやってくれたら、嬉しいの?」

「私は君が充実した部活動生活を送ってくれてるなら、それで十分だよ」

「そっか」

 

 それ以上、この話題について触れることは無かった。自分で決められなければ、誰かに相談したって構わない。最後の決断は自分でするべきだけれど、そこに至るまでに考えをまとめるため誰かに聞くのは決して悪いことでは無いのだから。私が言ったのは紛れもない本音である。妹が幸せに、そして充実した生活を送っていてくれればそれで構わない。

 

 桜地の名前がどの程度、私のいなくなった部活の中で作用するのかは分からない。この辺は完全に未知数になってしまう。もしかしたら、私と重ねられてしまうかもしれない。それをどうにかすることは、私には難しい。願わくば、中学生の頃のような表情をすることの無い生活を送れるように。そう祈るしか、私には出来ないのだ。

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