清良との演奏会を終えて、南中との交流会を控えたこの日。私は滅多に訪れることの無い洛中にいた。その門をため息を吐きながら潜る。本当はこんなところに来たくなかった。ただ、もう逃げるわけにはいかない。
全てを捨てて逃げたいと言った私に、希美は付いて来ると言った。それを彼女のためにと拒もうとして、結果的に抱えていたモノを全部吐き出す羽目になった。嫌われなくて良かったと、今でも思っている。それと同時に、彼女の優しさに甘えてばかりではいけないのだろうと。
もし、本当に彼女が共にいてくれるなら。この先に待っている出来事も乗り越えられそうな気がした。だから今、私は祖母の住んでいる屋敷の門を潜った。案内された部屋に座っている。何故今日訪れたかと言えば、倒れたということで一応親族の主だった存在が集まっているからだ。それでも数十人になる。
案内された畳敷きの和室でしばらく待つ。鹿威しの音だけが部屋から見える静かな庭園に鳴り響いていた。やがて人の歩く音がして、静かに襖が開く。
「珍しいこともあるものですね」
「……どうも。お時間いただきありがとうございます」
「えぇ」
祖母は静かに上座に座る。どこに座るかは私に委ねられていた。案内された時に内心で舌打ちをしながら下座に座ったのを思い出す。しかし頭を下げて、挨拶した。
「それで、何用ですか」
「話を、しに来ました」
「……聞きましょう」
「私は、あなたが嫌いです」
「……」
「父の夢を奪い、母を貶め、妹に歪んだ教育をし、私の未来を縛ろうとし、あの親族を放置している。正直ろくでもないと思っています。あなたが大きな苦労をしながら戦後の家を保ち、昭和平成期の動乱を乗り切ってきたのは理解しています。だからと言って、あなたを肯定することは出来ない。正直、倒れた時に悲しいとは思いませんでした」
「そうですか」
「祖父が生きていればと、雫さんの話を聞いて何回も思いました。ですが言っている事全てが間違っていたわけでも、教育の全てが無意味だったとは思えません。おかげさまで、海外でそれなりの地盤を築くことが出来ました。それに、当家の資金で欧州へ行けたのも事実です」
「その通りです」
やっぱりイラっとする。もうここまで行くと生理的な部分に入っているのかもしれない。とは言え、逃げるわけにはいかない。自分で選んだ地獄に行くと決めたのだ。
「ですが、あなたの苦悩も理解できない訳じゃない。私はあなたが嫌いですが、嫌いだからと言って、その役割を軽視することは望ましくは無いでしょう。それに、何かを得るには責任も伴うのは当たり前の事です。ですから、お受けします。逃げ回っていたモノを」
「……今何と?」
「お受けします。桜地家の42代目を」
「一度言ったことは取り消せませんよ」
「えぇ。構いません。取り敢えず、一人で背負う羽目にはならなそうなので」
「覚悟はあるのですね」
「はい」
「音楽はどうするのです」
「それも含めて、案を持っています」
「……分かりました。良いでしょう。あなたが成人した時に引き継ぎを行います」
「承知致しました」
私は静かに頭を下げた。こういう申し出をされるとは思っていなかったらしい。その表情には動揺が見えた。確かに、今まで逃げ回っていた存在が急に受諾すると言い始めたらそんな顔にもなるだろう。少しは鼻をあかせただろうか。
その後、大きな部屋に案内される。そこは大広間。何十人も収容できる、この家で最も大きい部屋。何回は時代劇の撮影にも使われたらしい。そこにスーツ姿の人間が大勢集合していた。その視線を一手に受けながら、私は上座に座った。害意、悪意、敵意、嘲り。色んなマイナスな感情の籠った視線が私に突き刺さる。それを無視して、平然と前を向き続けた。やがて、祖母が私の隣に座る。
「この度は、皆に心配をかけました。今回は何ともないと、既に先生よりお言葉を貰っています。しかしながら、いつ鬼籍に入るとも分からぬ身。それ故に、後継を定めました。元の法則に従い、正当な継承順に戻るのです」
「と、言うことは……」
一番近い場所に座っていた叔父が私に視線を送る。
「私が継承します」
その言葉に空間がざわめく。そうなることは分かっていた。
「だが音楽はどうするのかね。日本にいない当主に意味が無いぞ」
「音楽は続けます」
「そのような事が……」
「認めて頂きます。よろしいですか、皆さん。当家にも少子高齢化の波は訪れています。この空間の平均年齢は60近い。若い世代が何人いますか。このままでは当家は確実にお終いです。緩やかな衰退の果てに、消滅していくでしょう。残るのは名ばかり。実の無い家に価値はあるのでしょうか」
「……」
叔父は黙る。多くが難しい顔をして唸っている。性格は終わっている集団だが、能力だけは存在している。学歴やこれまでの経験は確かな人間たちだ。性格や人間性でその人間としての評価がマイナスされている。だから現実は理解しているのだ。いずれじり貧になると。
「皆さんが私の音楽をどう思ってらっしゃるかは敢えて問いませんが、私も遊んでいたわけでは無いのです。おかげさまで、それなりに欧州で地盤を整えることが出来ました。上位の音楽家は、社交界に入れます。幸い、当家は歴史だけは古いのでなおの事。向こうの名族名士と顔を繋ぎましょう。それから先をどう経営に繋げるかは皆さんの手腕次第です」
商社の社長が目の色を変える。チャンスなんて幾らあっても困りはしない。普通は下の方でやり取りを重ねて上に持って行くのを、最初から上に行ける可能性が出るとあれば、少しは興味を示してくれると思ったわけだが、その予想は正しかったらしい。
「私が名誉と名声を持ってきます。それを実利に繋げるのはお任せしましょう。これならば、私の要求と皆さんの要求を同時に達成することが出来るはずです。世界大会での結果、諸大会やコンクール、コンテストの結果があれば現時点でも私の実績は十分なのです。そして私はまだ若い。その実績はまだ積みあがっていく。奇貨居くべしと、そうは思いませんか?」
ウチの家は本質的に商人だ。稼げる機会を作れる存在、稼げる能力が一番ある存在。それが当主を務める資格があると認められる。嵯峨天皇から幾星霜、承久の乱で敗れてから数百年。そういう存在が音頭を取ることで血脈を繋いできた。応仁の乱でも、太閤の下でも、江戸幕府でも、維新政府でも。
「この千年、当家は基礎を築きました。次の千年で天下を取りに行きます。その第一歩を始めませんか」
私の言葉に少しの沈黙。そして叔父が最初に頭を下げた。その後、次々に大人たちが頭を垂れていく。賭けに勝った瞬間だった。ひとまず彼らは私に賭けることにしたらしい。
「面従腹背でしょうが、それで結構。若輩者に、どうぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」
引き攣った顔の親族を前に、私はそう笑いかける。これから課題も多いだろう。ヨーロッパにいる私の他に、日本での顔役が必要になるのも事実。とは言え、折角叔父がいるんだ。当主の命令と言うことで押し通してしまおう。こちらに責任をぶん投げてきた情けない大人には、それくらいやってもらわないと困る。
これからが本番だ。とは言え、逃げ回っていた課題が少し解消したのは事実。これで何の憂いも無く前を向いて、自分の人生を歩んでいけるのだろう。背負うべきモノも大変なことも多い。だが、同時に代価として資金は入って来る。誰かの夢を応援するのに、問題の無い量が。家庭生活とは現実的な視線が必要だ。恋愛は資金が無くても出来るが、実生活に入るとそうは行かない。そう考えた時、現実主義に徹すれば私の選択は間違っていないだろう。
それに、私は一人ではない。様々な感情の渦巻く大広間の中で、そう考えていた。
南中との交流会も無事に終え、練習は白熱していた。毎日毎日遅くまで練習し、朝早くから音を奏で、魂を削りながら演奏している。その結果、実力は右肩上がりで昇り続けていた。
名古屋行きのバスの中はいつにない緊張感に覆われている。この場にいる全員がそれを肌で感じ取っているだろう。一年ぶりに我々はあの舞台に戻って行こうとしている。悲願の、全国金賞のために。
怒涛の練習だった。完成度は今出来る限界に近い。もうこれ以上は、残り時間では無理だと言うレベルまで仕上げた。全国大会で演奏するにも相応しい実力になっているだろう。細かい調整もとうの昔にすんでいる。そうしなくては舞台には上がれない。寝るに寝れず、ガチガチの一年生。そのド真ん中で爆睡してる妹に、やや呆れながらもメンタルの強さには素直に感心させられた。
「大会が終わったら私たちも卒業かぁ」
「去年も同じようなこと言ってたね」
「思う事は似てくるでしょ、やっぱり。見送る側だったのに、一年経って見送られる側になっちゃうなんてね。時間はあっという間だよ。そう思わずにはいられない」
「それもそうか。……そう考えると、寂しくもある」
「珍しいね」
「濃い二年間だったからね。北宇治に入ってからと考えれば三年間もある。思い出も多い。良いモノも、悪いモノも」
最初の一年は酷いもんだった。それでも、あれすらもいつかは自分を形成する欠片になっていくんだと思うと感慨深い。意味の無い時間なんてない。自分がその時間にどういう意味を見出すかだけだった。
「後悔してる? ここに来て」
「いや、まったく、これっぽっちも。そりゃぁ嫌な事も辛い事もあったけど、希美を愛せただけで全部相殺されてる」
「それなら……うん、良かったよ。私も、まぁ……色々あったけど、今ここにいれて良かったと思ってる。私は凄く運がいい。部活を一度辞めたのに全国大会に結果的に出れた。友達もたくさんいる。恋人もいる。夢もある。とっても幸運だった」
「最後だけ見ればね。それに至るまでに凄い経緯を経てるんだから、別にいいじゃない? 幸せに浸っていても。自分の苦しみってのは結局自分にしか分からなくて、他の人は想像するしか術がない。だから、他人から見ればなんてことなくてもその人にとっては凄く辛い事だってある。希美は希美なりに頑張って来たんだから、それで良いんだと思う」
「私なりに、か。まだまだ足りないけどね」
「努力を辞めた時、人は堕落していくから。大事な事だよ」
「約束、守ってもらったし、次は私が金をプレゼントしないとね」
「楽しみに待ってる」
「大会終わったらさ、一日だけ遊びに行こうよ」
「いいけど、何処へ? 私は希美の行きたいところで良いけど」
「う~ん、提案しておいてなんだけど、全然考えてないや」
「じゃ、ゆっくり考えて。案は出すから」
揺れるバスの車内。生ぬるい空気の中で、ひんやりした手が触れる。そこから会話はなかった。心地いい幸せだけがそこにはあった。
本番前日に借りたホールでは十回通しが行われる。本番前、最後に演奏できる機会だけあって皆その目はいつになく真剣だ。先生も、演奏者もみんな疲労が見える。それでも敗残兵のような疲労ではなく、まだまだ希望に満ちた未来を信じている目だった。
宿泊所は去年と同じ。二三年生は懐かしそうな顔をしている。あの時も、色んな思いを抱いてたんだろう。その時の感情を思い出している顔だった。綺麗な目だ。どれも明るくキラキラしている。緊張もあるけれど、それ以上に自分たちの成果を示せることを楽しみにしている。これが音楽の楽しさだ。音を奏でる喜びだ。努力は必ず報われるとは限らない。けれど、彼らにはその努力が報われるチャンスが与えられた。なら、やるべきことは一つだろう。
「全国大会ってこんな感じなんですね、なんだか違う空気があります」
「この静かな高揚があるよなぁ」
貴水君の身震いに、滝野がその肩を叩きながら言う。夕食の席は和やかな空気が漂っていた。流石にご飯時くらいは部員の闘志が抑えられている。
「ほらほら、もっと食べないと」
「いやあの、太っちゃうので……」
「そんなには……」
「大丈夫大丈夫! 明日全部消費されちゃうから」
加部は二年生二人にご飯を押し付けている。高校生ならこの量はペロッと食べてしまうかもしれないけど、確かに女子なら少し気にしてしまうのかもしれない。全然問題ないように男子目線では思うけれど、それでも気にしてしまうのが乙女心なのか。
「明日で、全部終わりなんですね」
「さやか……」
滝野さんの呟くような声に、浅倉さんが応える。どちらの声も静かな悲しさが存在していた。この高揚感の中に満ちる静かな寂寥感。それを感じ取ったのかもしれない。
「終わりじゃないわよ」
「優子先輩……」
「終わりなんかじゃない。私たちが大会で演奏するのは明日で最後だけど、それは何もかも綺麗さっぱりなくなる事じゃない。私たちの想いとか、色んなモノは受け継がれていくの。さやかちゃんとか、他の一二年生が私たち三年生の想いを受けて演奏していく。私たちが去年の先輩の想いを受け継いだみたいに。だから、消えたりなんかしないし、終わりなんかじゃない。ね?」
「はい……!」
吹奏楽部は毎年メンバーが変わる。それで空気も変わるし、演奏も変わる。だが、受け継がれていくモノは確かに存在しているのだ。私たちの胸の中に。そして彼らの心の中に。
夕飯の後、興奮気味の男子を強制就寝させれば、あれほど騒いでいた男子もみんなスーッと寝静まっていった。だが、どうも寝るようにと指示した私が眠れない。仕方ないので、自販機で飲み物でも買ってボーっとしようと廊下に出た。
暗い白色蛍光灯がカーペットの廊下を照らす。足音のしない廊下を私だけが歩いている。なんだか別世界にいるような気分だ。自販機のところへ行こうとしたら、先客がいた。声をかけようとして、慌てて物陰に隠れる。まさかここにいるとは思わないじゃないか。私の妹と友人が。思えばさっき滝野はいなかった。トイレにでも行ってるんかと思って放置してたが、そう言う事かと思いつつも耳をそばだてる。
「すみません、先輩。こんな夜中に呼び出してしまって。明日の事もありますし、早く寝たかったと思うんですけど……私のわがままで、本当にごめんなさい」
「いやいや、全然気にしないで。他の奴らならともかく、涼音ちゃんの呼び出しにならすっ飛んでくから」
「ふふ、ありがとうございます。それで、今回お呼びしたのはお話があったんです。とても、大事な。多分兄には呆れられると思いますし、優子先輩や調先輩、希美先輩もびっくりするか、呆れられてしまうと思います。それでも、どうしても、今言わないといけないと思ってしまったんです」
「うん、聞くよ。ゆっくりでいいから、話して」
あの男、こういう時だけまともなの凄いムカつく。普段とは全然態度が違うじゃないか、と内心で少し悪態を吐いた。しかしそれもつかの間の事。すぐにどうしようかと悩む。もう帰るに帰れない。このまま動くとバレそうな気がする。それに、凄く悪いとは思うけれど、このことの顛末を見届けたい思いが強かった。
「先輩は凄く優しい人です。至らない私にも優しく接してくれました。私は私で良いんだって、教えてくれました。ずっと、ずっと桜地家の娘として生きてきた私に、桜地涼音個人として生きるきっかけをくれました。そのことをずっとお礼したいと思っていました」
「そんな大層な事してないんだけどな、俺。ただ思ったことを言っただけで」
「そうなのかもしれません。それでも、私はそれに救われました。あの時、北宇治に入る前に先輩に出会えて幸運でした。おかげで、北宇治で、もっと前の南中でも、自分として過ごせました。先輩にとっては取るに足らないことでも、私にとっては人生級に大きなことだったんです。だから……私は……私はそんな先輩が好きです。どうか、私とお付き合いして頂けないでしょうか。この時期に、このタイミングでこんな事言うのは間違っていると知っています。でも、そうしないと……一生言えない気がしたんです」
「…………」
「すみません、いきなり。お返事は、いつでも。心の中にしまってそのまま忘れて頂いても構いません」
「いや、言うよ。中途半端は良くないって、アイツも言ってたしな」
当事者でない私がごくりと唾を飲み込んだ。
「ゴメン、俺には、君と付き合えない」
「……そう、ですか。もしよろしければ私の、至らない部分があったならば教えてください。他に好きな方がいるのなら、その方より好きになっていただけるようにします。私を女として、恋愛対象として見れないなら見て頂けるようにします。私はまだ、諦めきれないんです」
「そう言うんじゃないんだ。涼音ちゃんは凄く綺麗だし、付き合えたら最高だと思う。でも……俺じゃ釣り合わないよ」
「どういう、事でしょうか」
「いや、俺フツメンだし、俺より優しい奴も、イケメンな奴もこの学校のなかにでさえ何人もいる。俺よりもっといい男がいる。それに涼音ちゃんに比べて俺なんか一般人だからさ……」
「……! 先輩は、嘘つきなんですか。私は私で良いって、そう言ってくれたじゃないですか。釣り合わないとか、そんな名前も分からない誰からの評価はいらないんです。兄がそう言うならぶっ飛ばします! 希美先輩は多分言いません」
「なんでそこで傘木さんが」
「話の腰を折らないでください! あと、希美先輩は多分
「す、すみませんでした……」
「第三者の意見なんかじゃなくて、私は先輩の言葉が聞きたいんです」
その言葉を聞いて、滝野は何かを覚悟したような顔をした。そして拳を握りしめ、顔を上げる。
「……ゴメン。正直に言うとさ、怖かったんだ。俺には、涼音ちゃんを幸せに出来る未来が、見えなくて。不幸にさせちゃうんじゃないかって思って。いつしか自分が飽きられてもっとカッコいい奴のところに行っちゃうんじゃないかって。俺だって頑張りはするけど、でも、俺より幸福にさせられる奴がいるのは、多分事実だから」
「……なんですかそれ。先輩、ただの臆病者じゃないですか」
「うぐっ! ……幻滅しちゃったかな」
「いいえ、知ってますし。そう言うとこ含めて好きなんです。それに、安心してください。私は幸せにしてもらうつもりはありません。幸せになるんです。貰いっぱなしじゃなくて、お互いに交換し合って支え合って作っていく。それが私の思う幸せです。確かに、先輩より沢山色々くれる人はいるかもしれません。でも、私は先輩と二人で幸せになりたいんです!」
言いながら彼女は170センチ近い高身長を活かして滝野を壁際に追いやる。ドンっとその手が壁に突かれ、滝野は自販機横のベンチに座らされた。彼とて170センチ以上はあるのだが、迫力の違いで追い込まれている。
「先輩の本当の気持ち、教えてください。重い女の子な自身はあります。けど、先輩に恋する気持ちは誰にも負けません。ダメ……ですか?」
壁ドンからの上目遣いと言う禁じ手を使っている。なんという。そう言えば彼女の趣味は恋愛小説だった。最近の恋愛小説は過激だから、そこから着想を得たのか。そう言えば希美も同じような事をしていた。フルートパートの中で壁ドンが流行っているのかもしれない。女子からやる方、と言うのが何とも吹奏楽部らしいが。
「ありがとう。そこまで俺の事、好きになってくれて。その……さっきの無しでお願いできるかな。俺でよければ、俺とけっこ……じゃなかった付き合って下さい」
「はい、どっちも喜んで。前者の方はまだ時間かかりますので、いずれその内、ね」
あいつ、すっ飛ばしやがった。私ですら告白しただけだったのに。アイツ危うくプロポーズしてるぞ。と言うか受け入れられている。何だこれと思いながら憮然とした面持ちになる。
「……もし俺が断り続けたらどうするつもりだった?」
「そうはならないだろうなぁと最初から思ってたんです。でも、予想よりはすんなり頷いて下さったので大成功です。多分、断られるだろうなぁとは思ってました。だから、理由を聞いてそれを潰せば頷いてくれるだろうなぁと。最後は押せば勝てると思いました。先輩、お優しいですからね。始めての告白で、かつ親しい後輩からのお願いでしたから、動揺してるところを強くいけば、まぁ後はどうにでもなるかなぁって」
「マジか……俺、掌の上で転がされてた感じ?」
「流石に断られたときはちょっとショックでしたけど」
「ご、ゴメン……」
「いえいえ、最後に望んだとおりの結末なので問題ありません」
「そっか……じゃ、じゃあ明日頑張ろうな」
「はい、先輩もお呼び立てしてすみませんでした。明日、頑張りましょう。それとこれからどうぞよろしくお願いします」
解散の雰囲気になっている。マズい、このままだとのぞき見がバレると、慌てて部屋に忍び足で駆けながら戻った。
「ふぅ……マジかぁ……」
部屋に戻って来た滝野が小さく言いながらガッツポーズをしてる。私の隣の布団に潜り込んですぐに寝息を立て始めた彼にイラっとしたので、部屋に備え付けのメモ帳に文字を書いて顔に貼っておく。ふんっ、と鼻を鳴らして私も布団に潜り込んだ。
「なんだ……これ。ゲッ!」
朝の日差しが窓越しに差し込む中、泣かせたら殺すby,R.S.と書かれた紙を見てこちらをチラ見しながら顔面蒼白になる姿を見ながら、私は脱いだ服を畳むのだった。
そんな一幕もありがながら、何度目かの音出しを終えて、部員たちは大ホールに隣接するリハーサル室へと移動した。鏡張りの狭い部屋が最後の調整の空間。多くの部員はウォーミングアップに余念がない。雑味のない洗練されたチューニング音が響いている。それ一つとっても強豪の名にふさわしかった。すっかり変わった。過去の影はもう、此処には無い。
「三、四、」
先生の指揮棒に合わせて課題曲の一音目を何度も確認する。
「はい。これからいよいよ本番です。私達は今年の春に全国大会金賞という目標を掲げ、ここまでやってきました。二三年生には去年も言いましたが結果を気にするなとは言いません。ですがここまで来たらまず大切なのは悔いのない演奏をすることです。今日が今年最後の本番です。この晴れ舞台で悔いのない演奏をしてください」
「「「はい!」」」
一気に最後のギアが入る。大会前にかけられる先生の言葉を聞くのも、恐らく今日が最後。そう考えると、少し寂しいものがある。
「では部長、お願いします」
「はい。関西大会でも言いましたが、この部活は二年前、本当に酷い状態でした。三年生は全員、その変化を噛み締めていると思います。去年の冬から部長になって、私じゃ足りない部分もあったと思うけど、それでも何とかやって来れたのは、みんなのおかげです。それと、副部長、ありがとう」
その言葉に照れ隠しをする夏紀。良い関係だ、この二人も。見た目はあんまり変わっていないように見えて、その実分かりにくいところで流れている空気が違う。この二人も成長している。三年間で、確実に。誰もが成長した。優子はリーダーとしてのふるまいを身につけた。高坂さんと激論していた一年前の姿はない。夏紀は努力するようになった。窓の外を眺め続けていた彼女はもういない。
希美は夢を見つけた。黒い嫉妬に振り回される彼女はもう無くなった。みぞれは自分を得た。目指すべき道に歩む力を手に入れた。希美の後を追うだけだった彼女はもういない。黄前さんは流されなくなった。高坂さんは演奏に大切なものに気付いた。吉沢さんは自信を付けた。高坂さんに追い付けないと焦っていた彼女は消え去り、今はライバルとして胸を張っている。他にも多くの人が成長している。この煌めくような二年間で。
「今日演奏する子もしない子も、全員ひっくるめてこのメンバーがベストメンバーだと思ってます。私たちの夢の終着点。これまでだったら見れなかった景色。全員で、金賞取りに行きましょう!」
「「「はい!」」」
「それじゃあ、後はよろしく」
「ああ」
投げ渡されたバトンを受け取る。
「私は、一般の吹奏楽部からしたら異質な存在だったと思います。そんな私にこの部に携わらせてもらったこと、とても感謝しています。演奏者としてだけでは決してしれなかった景色、視点を得られました。私も、部長に負けないくらい色んな思い出があります。良い事も悪い事も。ですが、それをひっくるめてここで過ごせて良かった」
走馬灯が頭をよぎる。色んな光景に涙が出そうになるのを抑える。
「私は、一人の奏者として、これまで努力して、努力して、努力し続けた皆さんに最大限の敬意を払います。プロの世界で努力してる人を私は何人も知っています。そんな彼らに、皆さんは負けずとも劣らない。その努力を、かけた時間を信じて下さい。この一瞬にしか出せない世界一を期待しています。同じ音楽は二度と奏でられない。だからこそ、今日この時に最高を。皆さんの生きた証を、努力の軌跡を、受け継いだ想いを、渦巻き続けた苦悩の果てそれでも進み続けたその証明を。終わらない夢を奏でてきてください」
大きな返事と拍手が起きる。私は大きく一礼した。彼らと共に歩めたことは、私の人生の中で大きな糧になるだろう。それはこの先どんな未来を歩もうとも、確定していた。
「ありがとう。じゃあ、いつものやりましょう」
優子は拳を構えて、大きく息を吸い込む。それに合わせるように、全員が拳を構えた。
「北宇治、ファイトー!」
「「「オー!」」」
高らかに声が響く。心を一つに、最後の舞台が始まる。この約束の地で、私たちの夢を奏でる、十二分間の戦場で。