音を愛す君へ   作:tanuu

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希美√第8楽章 比翼連理
第百七音 新世代


 全国大会は終わった。銀賞という、求めていたよりも低い結果で。私たちの夢は終わってしまったのだ。もう時間は戻らない。何度願ってもやり直すことは出来ない。それに、やり直したとしてもきっと、あの時以上の演奏は出来ないのではないか。そんな風に思っていた。そう思いたいだけなのかもしれないが。

 

 肌寒くなった風を受けながら、私は学校に向かう。大会が終わっても部活は終わらない。三年生は大会を最後に引退した。もう、あの音楽室に通うことは無い。それでも時間は進んでいく。前に、前にと、止まることなく。次の世代を担うのは二年生たち。彼らの部活が今日からまた始まるのだ。

 

 朝の静かな廊下を歩く。朝日の照らす階段を昇り、職員室の戸を叩いた。

 

「おはようございます」

 

 開け放った先に、ほとんど人はいない。先生方もまだほとんど出勤していなかった。しかし、もう来ている人もいる。禿頭に近くなってきた教頭先生がゆっくりとこちらに近づいてきた。

 

「桜地君、おはようございます。そしてお疲れ様でした」

「ありがとうございます」

「銀賞ということで、早速垂れ幕を作成しました」

「それはそれは……」

「二年連続で全国大会出場とは、私も誇らしい気分です。今年の三年生は、人数も少なく難しい年だったでしょう。よく頑張ってくれました。もちろん、桜地君も」

「頑張ったのは部員です。私は大したことはしていませんよ」

 

 謙遜半分、本心半分だった。私が何もしていないとは思わないが、私のおかげ、と言うも少し語弊があるだろう。私が何をどうアプローチしても、部員が頑張ってくれないと何も始まらない。そういう意味では、部員が頑張ったからとも言えるだろう。

 

「謙遜せずとも良いでしょう。桜地君のおかげで変わった事も、確かにあると思います」

「だと良いのですが。それに、私の仕事はまだ終わっていませんので。卒業するギリギリまで、仕事を続けたいと思います」

「来年の演奏も期待できそうです」

「えぇ。期待していてください。私たちの薫陶を二年間受けてきた子たちが最上級学年ですから」

 

 教頭先生はにこやかに笑い、そして仕事に戻っていく。彼もまた二年間吹奏楽部を見守り続けてくれた。部員や先生だけではない、それ以外にいる多くの存在によって、部活は支ええられている。それを噛みしめながら、私も滝先生のところへ向かった。

 

「先生、お疲れ様です」

「桜地君、早いですね」

「大会が終わっても部活は終わりませんから。来年こそ全国金を。そういう想いを下級生たちは抱いているようですから、私が遊んでいるわけにはいきませんよ。最後の最後まで、指導を続けるつもりですし」

「ありがとうございます」

 

 先生は飲んでいたコーヒーを机に置いた。パソコンには、予定表が開かれている。横には大会の映像らしきものもあった。先生とて、悔しいモノはあったのだろう。だからこそ、我々の求めていたモノを獲得した龍聖や清良の演奏を聞いている。龍聖の姿は去年の我々に被って見える。そして、去年の我々、今年の我々が欲してやまなかったモノを手にしている。そこにあった差は何なのだろうか。

 

「今回の結果は私としても忸怩たる思いがあります。もちろん、良い演奏だったことには変わりありませんが……もっと良い結果でもおかしくない。そういう風に思ってしまいますね。部員の皆さんに話すことは出来ませんが。出来ることならば、あなたが在籍している間に金賞を獲りたかった」

「……はい?」

「私はあなたを巻き込んで、吹奏楽部の指導者になってもらいました。あなたは自分で選んだ道と言うかもしれませんが、それでも私は教師としておおよそ正しくない選択をしたからには、結果をもたらすことで代価になると、そう思っていたのです」

 

 先生の声からは、後悔と悔しさが滲んでいた。私に目を合わせず、伏せたまま話を続けるのも珍しいことに思える。普段部員たちには見せない、人間滝昇の部分を今、私は見ているのだろう。先生がこういう普通の人間らしさを見せるのは、てっきり奥さんの話をする時だけだと思っていた。

 

「私が、最初にお話しした現実的な計画を覚えておいでですか」

「と、言いますと」

「私は最初、今の二年生たちが最上級学年になった代で全国初出場。そういう計画を立てていました。まぁそれでも大分無謀だと当時は思っていましたが……ともあれ、それと比べれば二年連続での全国出場は望外の結果です。元より私が卒業した後に成果が出る計算だったのですから」

 

 私が為したことの成果は、私がいなくなった後に出てくる。そういう風に思っていた。そうなっても構わないと思っていた。だからこそ、去年からずっと吹奏楽部のためにと思って行動していた。全ては、高坂さんたちの代で成果が出るように。

 

「当初の計画に従えば、最大の結果が出るのは来年です。来年こそ、私たちの撒いてきた種が芽吹いて花を咲かせる年になるでしょう。ですから、先生は変な後悔とか罪悪感など抱かないでください。前に進んでください。そうすれば、必ず結果は出るはずです。もう、新緑の芽は芽吹いているのですから。私は、今の二年生たちを見て、そう思っています」

 

 残る半年は肥料と水と日光をあげる時間だと思っている。そうして、私たちが卒業した後、来年の夏に向日葵の如く満開の花を咲かせるのだ。先生の好きな、向日葵のように。

 

「今日からまた頑張りましょう。まだまだ半年ありますからね。後輩にはウザったいと思われるかもしれませんが、最後までやり切るつもりですので」

「はい……よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。それでですが、幹部陣の発表は今日二年生の会議で行われるようです。そこでパートリーダーなど決まり、先生に報告があると思います。一年生はその間私が預かって練習させるつもりでいますが、先生はどうしますか」

「私は進路の最終面談がありますので。三年生の担任はこれから忙しくなりますので、何回かお任せすることが増えると思います」

「分かりました。アンコンやソロコンをやるかは不明ですが、そこは現役世代に任せるつもりでいます。またどこかで演奏会でもあればいいんですが――」

 

 予定表を見ながら詰めていく。もしアンコンやソロコンをやるなら、やらないなら。そういう風にパターン分けして仮設定しておいた。黄前さん率いる新世代がどういう舵取りをしていくのかは分からないが、スムーズにスタート出来るようにするのが私たちの務めである。北宇治はまだまだ過渡期。新しい伝統を確立する過程にあるのだ。程よく手を貸すことで、伝統の創出に貢献できるのならそれに越したことは無いと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「練習中失礼します」

 

 音楽室の扉を開けて、黄前さんはそう告げた。私は指揮棒を下ろして、黄前さんとその後ろにいる二年生たちを迎え入れる。今は一年生の指導をしている最中だった。人数比で二年生の倍くらいいる一年生は、間違いなく主力になる。それに妹の懸念通り、二年後が不安だ。なるべく一人でも多く大会に出られるように、実力の強化は必須である。

 

「決まりましたか」

「はい」

「分かりました。ちょっとだけ待ってくださいね。最後の指摘だけしてしまうので。では、鈴木さつきさん、音が綺麗に出るようになってますがその代わり音量が犠牲になってます。なるべく音量と音質を同時に出せるように」

「はい!」

「ホルン土屋さんも音が弱い。トランペット滝野さんは高音が揺らいでます。トロンボーン葉加瀬さん、最後まで油断しないように。ただし三人も、音質は良くなりました。続けてください」

「「「はい」」」

「すみません、お待たせしました。どうぞ」

 

 一年生への指導を終えて、二年生たちを迎え入れる。ちなみにだが、基本二年生しか参加しないこの会議に一年生ながら唯一参加している人がいる。みぞれの後輩である剣崎さんだった。ダブルリードパートはみぞれと一年生三人を除けば部員がいない。つまり、本来来年指揮を執るはずの二年生がいないのだ。故に剣崎さんがパート内の選出でパートリーダーを担うことになっている。

 

 パートリーダー会議などにおいても唯一の二年生になることが想定される。二年連続でパートリーダーをやる事になるのは今から確定しているので随分と大変だと思うが、彼女なら先輩に負けず存在感を示してくれるだろう。それに、みぞれが上手すぎるだけで、彼女もみぞれがしっかり実力を認めるくらいには上手いのだ。

 

 二年生の大半は席に着き、前には新幹部の三人が立った。私はスッと横にズレてピアノの椅子に座りながら、新幹部のお披露目を眺めている。さながら襲名披露だ。黄前さんは大きく息を吸い込んでから、緊張した声で話し始める。

 

「この度、新部長になりました、黄前久美子です。よろしくお願いします」

 

 ブン、と下げた頭に、大きな拍手が鳴る。私もその初々しさに思わず笑みをこぼしながら手を叩いた。当たり前だが、優子とは随分毛色が違うらしい。

 

「副部長に指名されました、塚本秀一です。精一杯頑張るので、よろしくお願いします」

「改めて、ドラムメジャーに指名されました高坂麗奈です。よろしくお願いします」

 

 二人の挨拶にも相次いで拍手が起こる。スタートダッシュとしては良い具合だろう。新世代は始まったばかり。夢に向かって走り出している彼らに対して先達が出来る事は、その背中を押しながらサポートしていくことなのだ。

 

 挨拶が終わり、一回休憩に入った段階で音楽室の外に行こうとしていた加藤さんに声をかける。彼女は来年度の新入生指導係になっていた。

 

「加藤さん」

「お疲れ様です!」

「はい、お疲れ様です。新入生指導係ということで、加部と黄前さんから引き継ぎを受けているとは思いますが、練習メニューに関してなどこちらからも引き継ぎがありますので、今後時間をください」

「分かりました」

 

 元気に彼女は返事をしてくれる。この明るさがあれば、来年の新入生も親しんでくれるだろう。しっかりコミュニケーションを取るには、加部しかり加藤さんしかり、明るい存在である方がやりやすい。

 

「新入生指導は大変かもしれませんが、大事な役割です。あなたの果たした役割が開花するのは卒業した二年後になりますが、未来の北宇治を築く上では欠かせません。大事な役割です」

「はい……!」

「しかし、私はあなただからこそ出来ること、出来るアプローチがあると思います」

「え?」

「二年間、よく頑張ってきました。大会に出れなくても、後輩に抜かされても、めげずに毎日練習に励んできた。二年間そういう日々を過ごしてきたあなたには、幹部の知らない世界、知らない景色、知らない感情を持っていると思います。誇ってください、あなたの過ごした日々は、一日一日が財産になっているんですよ」

「ありがとう、ございます」

「あなたたちの代も今の一年生も豊作です。来年の一年生で大会に出られるのはごく少数になる可能性もある。そうなったとき、めげずに練習できるかはそれまでのアプローチにかかっています。頼みましたよ。あなたにしか、この仕事は出来ないと思っていますので」

「はい、頑張ります!」

 

 加藤さんは大きく頷いた。私も、黄前さんや高坂さんも知らない悔しさや世界。それを知っている彼女に私は大きく期待していた。加部の路線を継げるのは彼女だろう。剣崎さんという補佐もいる。きっと、斎藤先輩、そして加部と受け継がれたモノを次に託してくれるはずだ。未来の北宇治を担う人材を育てるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

「注目」 

 

 叩かれた手の音に反応し、喧騒は一瞬で静まった。早速部長としての貫禄が出てきているようで、先輩としては嬉しいものを感じるが同時にどこか寂しさもある。

 

「それでは十四時になったので部内ミーティングを始めます。よろしくお願いします」

「「「よろしくお願いします!」」」

 

 座ったままの部員が声を上げる。テストも終わりその解放感と共に早く吹きたいのか、気の早い者は既にケースから楽器を取り出している。やる気のある事は良い事だった。燃え尽き症候群になっていないのは僥倖だろう。既に減っている人数が、否応なしに時の流れを感じさせる。お馴染みの同期の顔を探してしまうし、優子の若干甲高い声が無いのを寂しく思う。この寂寥感はきっと、私が一番感じているのだろう。この下級生だらけの空間で、私はたった一人の三年生だった。

 

「まず最初に諸連絡があります。今月の予定表と、12月に行われるアンサンブルコンテストについてです。まずは各自、配布されたプリントを読んで下さい」

 

 アンサンブルコンテスト。大勢で演奏する通常のコンクールとは違い、少人数での演奏だ。演奏時間も五分以内で金管、木管、打楽器、コンバスの編成が許可されているが、コンバスのみやリコーダーは禁止だ。同一パートを二人以上で演奏する事や指揮者の設定も禁止。私も大学時代に優勝した経験がある。無論、海外のだが。

 

 去年の経験を経て、今年やるのかどうかは新幹部に任せていた。やるという結論に至ったのは、個々人の実力向上という効果が無視できないモノであったからだろう。現に、今年全国出場に至れた要因の一つであると思っている。現在プリントの予定表を見て色々考えている私を他所に、高坂さんにより滔々とアンコンに関する説明が行われている。二年生は知っているが、改めてということだ。一年生は当然効くのは最初である。

 

「京都府のアンサンブルコンテストが行われるのは12月後半、関西は2月で、全国大会は3月です。今ここにいる部員全員が参加することになります。ですが、これだけいる部員の大半の演奏が校内予選だけで埋もれていくのはもったいない、というのが滝先生の考えです。その為、12月の初めには校内予選を兼ねた演奏会を行う事にしました」

 

 高坂さんの言葉におお、と部員がどよめく。昨年は定演の中のプログラムとして披露したが予選はあくまでも部内だけで完結させていた。演奏会を兼ねるというのはいいアイデアだろう。昨年あった披露する機会が少ないという問題を上手く解消している。そのどよめきが静まるのをしばし待ち、部長は口を開く。

 

「メンバーの決定は来週の金曜日までとします。メンバーが決まり次第、代表者はパートリーダーに報告してください。決まったらそこに貼り出している紙に名前を書いていくので誰かを誘う参考にしてもらえればと思います。曲は被っても良いので、先輩に先を越されても一年生はやりたい曲を演奏してもらって大丈夫だからね」

 

 どうも部長も部員もお互いに反応が固いが、その辺は追々慣れていくだろう。

 

「何か質問がある人」

 

 気恥ずかしさを感じたのかやや頬の赤い部長の質問に、手が上がる。

 

「一緒にやりたい子が複数のグループで被っちゃった場合、掛け持ちって出来ますか? 校内予選というのはあくまで身内でやるイベントですよね。それなら掛け持ちでも問題ないと思うんですが……」

「確かに、校内予選は正式な大会ではありませんので禁止されている条件でも許可する場合があります。それについての詳しくはプリントに書きました。ただし、掛け持ちに関しては全面的に禁止します。昨年は応相談という形でしたが、今年は最初から禁止にします。特定の演奏者に負担が集中するのを避けるためです。あと、掛け持ちして演奏が中途半端になるのも嫌だしね」

 

 ついでに言えば、掛け持ちして上手く行きそうな生徒を私は片手の指で数えるほどしか選出できない。なので、止めておくのが吉だ。限られた条件でどうするのかを考えるのも大事な事だろう。去年よりもブラッシュアップされているのは、先例を鵜呑みにしないという姿勢が表れている。

 

「分かりました。ありがとうございます」

「他にありますか?」

「はい」

 

 再度の問いかけに手が挙がる。部長の後輩、久石さんだ。この前私の家に勉強しに来ていたのでよく覚えている。なんだかんだ、私の妹にも気を許せる友人が出来たらしい。本人は頑として否定していたが。

 

「引退された三年生に関しては参加できないと書いてありますが、それはつまり引退されてない三年生なら可という事ですか?」

「えっとつまり……?」

「はい。ご想像の通りです。桜地先輩は指名可能でしょうか?」

「あーっとそれは……」

 

 部長の困ったような視線がこちらに向いてくる。まさか指名が飛んでくるとは思わなかった。とは言え、確かに考えてみれば上を目指すために上手い奏者を引き入れたいと思うのは当然だろう。そういう意味では非常に向上心のある行動と言えた。私が部内で一番上手い奏者なのは当然なので、良い選択ではある。しかし、感慨にふけって困り顔の部長を放置する訳にもいかない。

 

「お答えします。まず、ご指名ありがとうございます。上を目指すならば上手い奏者と。実に合理的な判断ですね。しかし、あくまでも目的は来年大会に出る皆さんの実力向上にあります。よって、今回は辞退させて頂きます」

「それは残念です。またの機会にですね」

「こちらこそ、あなたとは一回演奏してみたかったですよ」

 

 ちょっと残念そうな顔の彼女。もし実現しているとユーフォ(久石さん)フルート(涼音)トランペット()オーボエ(剣崎さん)が編成に入った曲になるのだろうか。まぁ無い訳ではない。全国大会行くのは確定事項なんだという顔を多くの人がしているが、それくらいの当然という気概でいてくれないと困る。

 

「では、他に質問が無いようでしたら次に移ります。三枚目の紙を見てください。アンサンブルコンテストと並行して、ソロコンテストの予選を行います。こちらも昨年行いましたが、今年も行うことにします。このコンテストは、一団体につき5名までの出場となります。京都予選が2月、関西大会が3月上旬、全国大会が3月下旬にあります。これはピアノの伴奏を除き、文字通り一人で演奏する大会です。個人での実力が非常に高い水準で求められます。去年は関西大会に希美先輩、みぞれ先輩、ドラムメジャーの三人が出て、全国大会へはドラムメジャーが出ています。伴奏はいずれも桜地先輩が担ってくださいました」

 

 一年前が懐かしい。必死に五曲分伴奏を練習していた記憶が蘇って来る。あの練習は中々大変だった。

 

「今年もこれを行います。予選は12月中旬。形式はいつものオーディションと同じで、滝先生・松本先生・桜地先輩の三人が審査をしてくださいます。曲はアンコンで使う曲の中で、同じ程度の難易度になるように先生方が指定箇所を設けます。そこを演奏してください。参加は希望制になります。当然アンサンブルコンテストと被りますし、優先度はアンサンブルコンテストの方が上に設定しています。同時並行が可能な人だけ希望してください。何か質問はありますか?」

「選ばれた場合、曲は自分で選べるんですか?」

「はい。好きな曲を選べます。演奏に制限時間はありますが、別にオーバーしても審査に影響はないようです。なので、やりたい曲をやってください」

「ありがとうございます」

「他に質問はありますか? 無いようでしたら個人練習に移ります。あ、言い忘れていましたが、桜地先輩はアンコンの演奏には参加されませんが12月の予選の審査は務めて下さいます。その際、個人個人に評価等を書いた紙を渡してくださるそうなので、是非とも高評価を貰えるように頑張って下さい。また、アンコンの勧誘等は休み時間など普段の練習に差しさわりのないように行ってください」

「「「はい!」」」

「では、これで終わります」

「「「ありがとうございました」」」

 

 ミーティングが終了すると同時にあちらこちらで会話が飛び交う。早速グループが組まれ始めているようだ。大学時代を思い出すこのグループ分け。今からやっておくのいい経験だろう。ソロコンは出るかどうか迷っている人も多いようだ。三人も関西に行って、一人は全国だった去年は大分上振れしていた年だろう。希美とみぞれは今年の主力だったし、高坂さんはドラムメジャー。出世街道みたいに見えなくもない。

 

 今年は誰が出るのだろう。川島さんや井上さんは捲土重来のリベンジをしたいだろう。高坂さんは今年も天下を取りに行きたいと思われる。早速吉沢さんと火花を飛ばしている。トランペットは今年も激戦区だ。クラリネットパートも静かな火花が見える。一年生もこの機会を逃すまじという意思を感じる。今年の選考は、去年よりも難航しそうだ。しかしそれも楽しみですらある。未来への希望を感じられるから。

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっと遅れてしまったかと思い小走りで職員室へ向かう。走るのは得意なので大して息は切れていないが、軽く呼吸を整えて入室した。既に新幹部の三人は揃っている。

 

「すみません、遅くなりました。どこまで説明しました?」

「予選で代表メンバーを決める際に投票を用いるというところまで」

「ああ、はい。良かったです」

「それで話を戻しますが、私は今回現三年生を投票に含めるかに迷っているのです」

「三年生も演奏会に来るんですか?」 

 

 塚本君の疑問に先生は穏やかに答える。またあの面子で集まれるのは少し嬉しい事だった。

 

「お客さんとしての招待ですけどね。受験に影響が出ない限り、本人たちが参加したいと言えば参加できるようにしています。もっとも、あくまでも聞き手としてですが」

「俺は三年生部員も含めちゃっていいと思いますけど。完全に客として見られる分、俺らよりも客観的に評価できると思うし」

「私は一年生、二年生だけで投票した方が良いと思います。引退した三年生は、言い方は悪いですが情に流される可能性もありますし。オーディションに参加したメンバーが自分達の手で決めたのなら、誰が選ばれても納得できます」

 

 塚本君の意見に高坂さんは反論する。去年は三年生を含めることにしていた。それは来年度の北宇治を担う大事な機会だからと説明すれば大丈夫だろうという私の思想に基づいている。しかしそれはあくまでも私の考え。今の幹部が思うようにやればいい。

 

 見事に意見は真っ二つ。しかし、こういう対立意見が出るのは良い事だ。思考停止せずに異論を唱えられる存在は必要である。どんなもの事にも一長一短あるものなのだから。そしてそれをまとめたり取捨選択するのが部長の仕事だ。

 

「副部長とドラムメジャーはこう考えているようですが、部長はどう思いますか?」

「え、あ、その……」

 

 必死に脳を回転させている部長はしばしの思案の末におずおずと口を開いた。

 

「じゃあ、投票を分けるっていうのはどうでしょう。現役生と、一般投票とで。で、代表者は現役生の投票で決めるって形にして、一般投票の一位の子たちはお祭り感覚でお祝いするみたいな。オーディションで勝つ演奏と一般受けする演奏ってやっぱり違うじゃないですか。だから、そのどちらも救ってあげられるような仕組みがあれななーって……あの、ただの思い付きなんですけど……」

 

 話している本人はトーンダウンしているが、個人的にはかなりいいシステムだと思う。思い付きにしては上出来も上出来だ。縮こまっている部長に助け船を出すことにした。

 

「私はいいと思いますね」

「桜地君は賛成ですか。しかし、そうなると一般投票と現役生の投票で結果がかなり乖離する可能性もありますがその際はどうしますか?」

「芸術の残酷さを知るいい機会なのでは? 私はそう思いますが。分かったうえでの結果ならば文句も出ないでしょう」

「なるほど……」

 

 先生は顎を撫でながら考える態勢に入った。

 

「芸術の残酷さって言うのは……?」

 

 この間に怪訝そうな塚本君の疑問に答える。

 

「芸術というのはやはりどうしても個人の感性に左右されてしまいます。感性というのは無から生まれてはこないでしょう? 必ず経験や感情に基づくバックボーンがあります。故にどうしても公平なはずの判断に主観が混じってしまう。高坂さんの言葉を借りるなら情に流される。そして大衆の評価と有識者の評価が異なる事もままにあります。そのどちらかを選ばないといけない場合も。だから残酷さという訳ですね。私は音楽と文筆、従姉(あね)は絵画で食っているのでよく思い知らされています」

「そう考えると娯楽用の演奏とコンクール用の演奏が別物であるって理解するのは大事かもしれませんね」

「そう言う事です」

「確かに桜地先生のおっしゃることもそうですし、その案ならば要件を満たせない編成の場合でも評価されるでしょうからモチベーションに繋がると思います」

 

 高坂さんも賛同を述べる。最初のややふわっとしたアイデアが随分まともな感じになった。

 

「分かりました」

 

 話に耳を傾けていた先生が鷹揚に頷く。

 

「では、皆さんの意見を参考に、分けて投票することにしましょうか」

「それが良いでしょう」

 

 先生の発言に同意を示す。どうぞよろしくと三人に向かって言う先生の横を通った教頭が「今年も熱心な事で」と呆れと感心の籠った声で笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後の仕事は前よりは少し減った。とはいっても、一つが片付くともう一つが湧いてくるのが世の常である。現に学校からの帰宅時間は変化していない。というのも、音大受験組がいるからだ。先生の指導も入るが、それも限られた少しだけの時間しかない。演奏が必要な二人へのメインの指導員は比較的手すきの人物、つまりは私の担当であった。他にもアンコンやソロコンに関する業務、高坂さんへの引き継ぎも残っている。

 

 社会科準備室という名の倉庫には、テーブルと椅子、譜面台が二つ、そしてメトロノーム。レースを敷いてちょっと見栄えの良くなった武骨なテーブルには、フルートとオーボエが置かれている。たまにトランペットも。

 

 練習は大事だが、切羽詰まってやっても意味はない。と言うよりそう言う次元の話ではない。ただがむしゃらにやっていても上達しないレベルの次元に彼女たちはいるのだった。そして今は休憩時間。適度な休息も大事な事なのである。とりとめのない話をしていると、どこからか音が聞こえてくる。

 

「お、この曲は」

 

 ここにいるメンバーで知らないという事は無い。童謡の名曲『赤とんぼ』だ。すっかり茜色に染まった空とマッチした選曲。郷愁と懐古。その全てが沈み行く夕日と共に消えてしまいそうな感覚にとらわれる。そしてこの音で奏者が誰なのかはすぐわかった。立ち上がったみぞれは窓の方へ行く。

 

「……泣いてる?」

 

 確かに言われてみれば泣いているような雰囲気があった。それを感じたからこそ彼女はそう言ったのだろう。感受性も身についてきたようだ。

 

 「うぎゃっ!」という叫び声が廊下から聞こえる。廊下から見れば、すりガラスの窓の隙間から黒髪の右目が覗いてるように見える状態だった。これは確かにギョッとする。学校というのは得てしてホラーの題材になりがちな場所だからこそ尚更。そして時は黄昏時。あの世とこの世の交わる時間だ。

 

「驚かないで。私」

「も、もしかして……みぞれ先輩ですか?」

「うん、当たり」

 

 彼女は恐る恐る中に入ってくる。驚き声に爆笑していた希美が手を振った。それに黄前部長は曖昧に笑い返す。

 

「仕方ないね。まるっきりホラーだったから」

「みぞれ髪長いもんね~。ちょっとビックリするよ。それにしても……うぎゃって」

 

 希美はクスクスと思い出し笑いをする。

 

「止めて下さいよ~」

 

 黄前さんもどこか気恥ずかしそうだ。

 

「まぁ、気にすることはないよ。そこの希美も、夏のホラー番組特集で痛い目に合ってるからね。二回も」

「えぇ……」

「一回目は私の家で見ていた時だね。涼音と抱き合いながら震えてた。そんなになるなら見なきゃいいのに。そして二回目は実家で見ていたみたいで、母親に付き合わされたと言い訳してたけど、あれは絶対自分から見て自爆したんだと思う。夜中まで電話を繋ぎっぱなしにしていた」

「希美先輩……」

 

 可哀想なものを見る目で黄前さんは見ている。当の希美は夕日より顔を真っ赤にして羞恥心で震えている。まぁ電話越しで震えていたのも可愛かったが。結局向こうが寝落ちするまでのかれこれ二時間近くが電話に費やされた。一つお願いがあるとすれば、頼むから風呂の中から電話するのは止めて欲しかった。音のせいで色々浮かんでしまう。

 

「い、一回目は凛音がつけたんでしょ! 私たちが怖がってるの横でゲラゲラ笑ってたし。全然怖がってないし!」

「でもチャンネル変えるって聞いたら嫌だって言うから」

「それはそうだけど~!」

 

 呆れた顔のみぞれは我々を放置することにしたらしい。

 

「座る?」

「あ、すみません……。先輩たちはここで練習ですか?」

「そう。滝先生が空いてる部屋を用意してくれて。たまに指導もしてくれる。普段は違うけど。今は休憩中」

「音大受験だとどうしてもずっと練習しないといけませんからね。折角こうやって同じ時間に練習してるんですから先輩たちもアンコン出てくれたら嬉しいですけど」

「私はもう、引退してるから。それに、三月まで練習するのは出来ない」

 

 事も無げに言っているが、これは自信に裏付けされた発言だ。彼女は静かだが、自信が無い訳ではない。特に音楽においては。希美もやっとホラーの話から切り替えたようで、私の事をポカポカ叩くのをやめた。

 

「私もねぇ。同時にこなせるほど余裕はないし」

 

 希美は軽い嘆息。彼女も彼女で後輩の事が心配だとこの前漏らしていた。

 

「そうですよね……。そう言えば、梨々花ちゃんですけど、パートリーダーとして頑張ってますよ!」

「なら良かった」 

 

 みぞれの口元がそっと綻ぶ。一年間共に過ごしてきた後輩の躍進に、彼女はきっと喜んでいる。後輩が出来るとどうなるか未知数だったみぞれだが、良い感じに成長したのではないだろうか。剣崎さんが後輩として大当たりの部類だったのもあるかもしれないけれど。積極的にみぞれとコミュニケーションを取ろうとしてくれるのは、友人としては嬉しいことだった。誤解されやすいところもあるが、意外と付き合いは悪くないのがみぞれである。

 

「フルートはどうかな?」

「フルートも結構引っ張りだこでした」

「うんうん。そっかそっか。戦力だと思ってくれるくらいにはなってるみたいだね」

 

 後輩の指導も大事な先輩の役目だ。特に後輩との距離が近かった希美の心配の種も一つ解消されただろう。夕日色の風が部屋に吹き込む。秋の香りが仄かに鼻腔を揺らす。談笑する三人の顔が、今だけかつての日々に戻ったようだった。

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