音を愛す君へ   作:tanuu

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第百八音 上質

 11月の三年生の教室というのは、往々にして少し殺伐としているモノだ。一般受験組は勉強で忙しいし、推薦組はおとなしくしている。どっちにも属さない私はもっと肩身が狭い。

 

「うぇ~い」

「全国大会おっつ~」

「今更?」

 

 そんな中、いつもの調子を保ちながらのんびりと大会の祝辞を述べてくれる友人は貴重なのだろう。特に最近の教室の空気を見ていると思う。北宇治高校は進学校ではないけれど、それでも自身の進路が関わるとなればのんびりはしてられない。

 

「なんだよ、祝ってあげたのにつれない」

「銀賞だろ? 銀メダルみたいなもんじゃん」

「あぁいや、そういう感じでも無くって……」

 

 普通のスポーツは基本的に同じ順位に入るのは一団体or一個人までだ。同列というのはほとんどない。だからこそ、吹奏楽コンクールのシステムはちょっと説明しにくいところがあった。

 

「吉川中川コンビ、推薦も安泰だろうなぁ、全国の部長副部長だぜ?」

 

 面倒そうに単語帳を広げながら、生駒は呟く。サッカー部で活躍していた彼だが、夏の大会が終わると共に引退していた。普通は夏休みに引退するモノで、そうでないのは文化祭まで出番のある演劇部や全国まで出た吹部のような限られた部活だけである。

 

「キミ、推薦取れないの?」

「流石にちょっと厳しい。取れなくは無いかもしれんけど、安全じゃないから切り替えて勉強してる」

「なるほど」

「お前はどうするん? 進学じゃないのは知ってるけど」

「あぁ、言ってなかったっけ」

 

 柏原は古文の単語帳からチラリとこちらを見ながら尋ねてきた。そう言えば、この二人に私の進路について話していなかった気がする。今のところ、吹部しか知らないだろう。というより、吹部の中でも限られた生徒しか知らないはずだ。希美も言いふらすような話では無いから黙っているのだろう。肝心の彼女は英語の課題と格闘している。

 

「また戻るよ、私のホームグラウンドに」

「おぉ、じゃあヨーロッパ行きか?」

「そういうこと。飛行機でまた長旅。その前に12月にまたいつもの世界大会があるけど」

「翼よ、あれが……なんだっけか?」

「それはパリね。私はベルリン」

 

 彼が話していた『翼よ! あれが巴里の灯だ』はアメリカの映画だ。大西洋単独横断飛行に成功したアメリカ人パイロット、チャールズ・リンドバーグの話である。尤も、本人はこんな事言ってないらしいのだがそれはともかく。

 

「じゃあ傘木さんと遠距離恋愛かぁ、大変だなぁ」

「そういや後藤も東京行くらしいじゃん? 遠距離恋愛ばっかりだな、おい」

 

 二人はそんな話をしている。確かに言われてみればその通りなのだ。しかしそれは最初から分かっていた事。希美も送り出してくれる……はず。行かないで、と言われたらちょっと決心が揺らいでしまうような気もするけれど、最後には送り出してくれると信じていた。

 

 自分に話題が向いたことに気付いたのか、希美はノートから顔を上げて私たちの方に身体を向ける。すっかり冬服になった袖から白い腕が覗いている。

 

「なに? 私の話?」

「あぁいや、傘木さんコイツと離れるけど良いのかなぁって」

「折角付き合えたのに半年くらいでソレってのもな」

「う~ん、まぁ手放しで喜ぶのは難しいけど、でも笑って送り出すかな。好きだからこそ、ね」

 

 希美の言葉に、二人は愛だねぇと年寄りめいた事を話している。私との繋がりのためか、この二人と希美は割と話す方だった。元々希美は男女関係なくよく話しているけれど、特に仲がいい男子といえばこの二人になるんじゃないだろうか。若干思うところが無いわけでもないけれど、よく考えれば私だって女子と話すことが多いわけで。どっちもどっちだった。

 

「しかし哀れ滝野。最後まで彼女も出来ず……」

「アイツ彼女いるぞ」

「「マジで!?」」

 

 教室に少し大きい声が響き渡る。周囲の視線が何事かという風にこちらに向けられた。二人はすまんすまんと方々に謝りながら、もう一度席に着いた。

 

「おい、誰だよ」

「吹部か? どうせ吹部だろ」

「吐いて楽になっちまえよ」

「そうそう」

「いや言わないとは言ってないけど。ウチの妹だよ」

「そういうの良いから」

「ホントの事言おうな」

「本当だって」

「「……」」

 

 私の顔と口ぶりから本当の話だと気付いたのか、二人は唖然とした顔をしている。滝野は悪いやつじゃないし、今年一年はパートリーダーとして立派に振る舞っていた。加部が引退しないといけないとなった時に皆を励ましていた姿は、香織先輩に勝るとも劣らない姿だったと思っている。あの時から、高坂さんや吉沢さんなど去年の彼を知っている部員も、滝野をしっかりパートリーダーとして尊敬するようになった。あの優子もちゃんと認めている。

 

 とは言え、それは部活内の話。部活の外での彼は普通の男子生徒だった。

 

「え、ホントに一年七組のプリンセス口説き落としたん?」

「マジかぁ、一年男子ドンマイだわ」

「口説いたのはウチの妹な」

「えぇ……」

「俺の後輩狙ってたんだけどなぁ」

 

 柏原が言うということは、つまりバスケ部の中に狙っていた男子がいたのだろう。実際告白自体は何回も受けているという話を聞いている。全部袖にされていた。最近ではDMの補佐をして欲しいという高坂さんの要請も保留にされている。そんな中で妹の方から行ったというのは、それなりに大きな話題なのかもしれない。

 

「無理だろ、このシスコンはよっぽどの相手じゃないと認めてくれねぇわ」

「てかアレだな、兄貴がこれだと普通の男はガキに見えるか。年上に行くのも納得」

「JKと付き合ってる大学生、字面はアウトだなこりゃ」

 

 二人はケラケラ笑っている。確かに絵面としてはあんまり良くないかもしれない。とは言え、ダメという話でも無いだろう。どっちもまだ未成年同士だし、二年差なら大人の社会ではそんなにおかしくない。そんなの言い始めたら、二十離れてた私の祖父母はどうなってしまうのか。

 

「そんなの言い始めたら、君らはどうなるの」

「「……」」

「え? 私に色々聞いてきたなぁ。後輩の好きな物とか聞き出すの、結構大変だったんだぞお前ら。誕生日は知ってるからいいけど。浮気……? って聞いてきた時の希美の顔をお前らにも見せてあげたいね」

「「いえ、結構です」」

「こういう時だけ息ピッタリになりやがって……」

「感謝してはいるぞ、マジで」

「まぁ受験終わらねぇとどうにもならないけどなぁ。くっそもっと早く好感度上げとくんだった」

「そんなゲームみたいに上手く行かないって」

 

 まったく、と思いながら私を拝む現金な二人を眺める。部活に青春を捧げたこの二人の恋愛事情がゆっくりなのはある程度は仕方ない。しかも割と好みがうるさいのだ。汗を流しながら球を蹴ったり投げたりしてるので、そんなにモテない訳でもないのだが、波長が合う人がそうそう見つからなかったのだろう。

 

「あ、そうだ。ついでに一人教えて欲しいのがいるんだけど、頼めるか?」

「誰」

「七組の岩田さん。俺の後輩が気になってるみたいで」

「あ~、今行くと殺されるぞ」

「マジで?」

「彼女、医学部だから」

「あ……」

 

 全てを察した顔になる生駒。サッカー部の後輩には申し訳ないが、もし告白するにしても受験が終わるまで待ってあげて欲しい。というか、告白は好意の確認作業である。関係性が薄いのにいきなり告白しても成功する確率は低いだろう。そういう意味でも、辞めた方が良いとは思う。とは言えこれは理性的すぎるので、突撃するのを止めたりはしないが……断るのも結構疲れるとは妹の談である。

 

「ちょっと言っとくわ」

「頼む」

「おう、任せとけ」

 

 休み時間はもうすぐ終わる。そうすれば午後の授業だ。それも終われば、希美やみぞれは帰ってしまう事が多い。私だけが他の三年生とは逆方向に音楽室へ向かって行くのだ。それに少しの寂しさを覚えることもある。とは言え、これは選んだ道だ。私には私にしか出来ない仕事がある。それを全うしないといけない。

 

 古い教室の窓から吹き込んでくる隙間風はもう大分冷たい。いつの間にか、季節は晩秋から初冬になっていた。

 

 

 

 

 

 

 放課後になるのはすぐな気がする。午後の二時間分あるはずの授業は、あっという間に終わっていた。受験用の問題を解かされて疲れている。センター試験なんて人によっては二日連続だし、模試は一日で全部やるから朝から晩まで会場に缶詰らしい。私には耐えられそうになかった。

 

「今日は帰って勉強してるね~」 

「了解。はい、これ」

「ありがとう」

 

 希美は先に帰ってしまう。今日は私の家で練習しつつ勉強する日だった。今までは並んで音楽室に向かっていたけれど、もうそうすることは無いのだろう。それが少し寂しかった。暑い日差しに照らされながら、二人で並んで廊下を歩いて音楽室を目指した日々。その日々過ぎ去る中にある小さな思い出も、今となっては懐かしい景色だった。

 

 私の家の防音室は勉強するのに最適なようで、いつもそこで勉強している。確かに、周囲の音は聞こえないし集中は出来るだろう。彼女は別に音大だけを受けるわけじゃない。推薦を貰っているみぞれとは違い、一般受験なため他の大学も受けることになっていた。だからこそ、普通の勉強も必要なのである。一応優子と夏紀と同じ大学に推薦で行けないことも無いのだが、彼女はそれを蹴っていた。

 

 ということで渡したのは家の鍵である。私も妹も遅くまで学校にいるので、鍵が無いと私の家に入れない。もうあげても良いと思っているのだが、流石にまだ貰えないと固辞されている。いつか貰ってくれると良いのだけれど、と密かに思っていた。

 

 他の三年生が帰宅していく中で階段を昇り、音楽室に赴く。今はアンサンブルコンテストの編成を決める期間だ。発表されてからまだ二日しか経っていないので、決まっている編成は少ない。だがコミュニケーションに長けた生徒は既に手を回しているのだろう。余ってしまう子が出ないようにどうするか、それも部長の腕の見せ所だった。去年は人数が少なかったので私がある程度振り分けた部分もあるが、今年はそうもいかないだろう。

 

「部長、お疲れ様です」

「あ、はいお疲れ様です!」

 

 音楽準備室の壁を眺めていた部長に挨拶をする。元々丁寧語で話していたが、代替わりしてからはなるべく意識して敬語で話すようにしていた。指導者は元々部長の指揮下に存在している。普段はあまり意識することも無かったが、新世代に変わった時に部長が私にペコペコしていては権威に傷がつく可能性がある。黄前さんがスムーズにスタートするために、出来る努力は惜しまないつもりだった。

 

「そんなに畏まらないでください。部長なんですから、私に命令しても良いんですよ。焼きそばパン買ってこいとか」

「い、いやそんなの無理ですよ」

「ジュースの方が良いですか?」

「そういう事じゃないです……」

「一回言ってみると意外と面白いかもしれませんよ?」

「そうですか? ……じゃ、じゃあケーキ買ってこい!」

「くみ、こ……?」

 

 私の話に乗せられて、おずおずしつつも勢いよく言ってみた黄前さんの後ろで、今やって来たばかりの高坂さんが愕然としている。これまでの会話の流れを知らないと、先輩兼自分の師匠にケーキ買ってこいと命令してるヤバい部長にしか見えないだろう。

 

「わぁぁぁ!? 麗奈、違うの、これは違うの誤解なの!」

「……」

「先輩のせいですよっ!」

 

 横で笑って見ていたら、黄前さんはムスッとした顔で抗議してくる。高坂さんに言い訳している時の言い方が浮気がバレた時の言葉みたいになっていた。まさかこんなテンプレ台詞をここで聞けるとは思っても見なかったので、やはり面白い。

 

「まぁそれは良いとして」

「ちっとも良くないです!」

「あの、桜地先生、久美子は一体……」

「後で説明してあげるから」

「そ、そうですか……」

 

 困惑したまま彼女は音楽室にフラフラ向かって行った。音楽室の中からはどうしたの麗奈ちゃんという吉沢さんの声が聞こえてくる。まだ若干怒っている黄前さんを宥めながら、壁に貼ってある紙を眺めた。大きな模造紙の上に、各編成の書いた紙が貼られている。人によって文字の書き方も違うし、編成によっては綺麗にデコレーションされていた。

 

「どうですか、状態は」

「はぁ……。半分くらいは決まったと思います」

「なるほど、大分早いですね。部長の名前がまだ無いようですが」

「私はまだどうするか未定なんです。誘われてないってことも無いんですが……上手く組めなかった子のフォローもしないといけないですし」

「そういう事ですか。もし編成に詰まってしまったら教えてください。何か曲を用意しますから」

「その時はお願いします」

 

 頭を下げる彼女に軽く頷いて、私はもう一度編成の書かれた紙を眺める。そこにまだ私の妹の名前はない。フルートは割と融通が利くし、上手い奏者は引っ張りだこだろうに、珍しいこともあるものだと思った。

 

「ともあれ、編成が決まれば練習に入れます。曲も決まっているのであれば教えてください」

「後で共有します」

「お願いします。演奏会は12月11日の日曜日になりそうです。丁度良く私は一週間前に大会に行かないといけないので、助かりました。12月1日から6日の間、私はいませんのでそのつもりでいてください」

「分かりました」

「それと、これから何日か来れない、或いは時間が遅くなることがありますのでそれも共有しておきます」

「何かあるんですか?」

「えぇ、ちょっと免許を取りに行かないといけないので」

「免許」

 

 黄前さんはちょっとビックリしたような顔をした。確かに高校生活を過ごしていたら意識することではないかもしれない。私はもうとっくに18歳になっているので、普通自動車免許を取れる年齢になっていた。それなりにいいお値段を取られるし、面倒ではあるのだが、取らない訳にもいかない。

 

「向こうに行って生活するのに免許が必要なんですが、ドイツで運転するには日本の免許がいるんですよ」

「海外だと、そういうのもあるんですね」

「えぇ。色々申請もしないといけないですし、住む家も必要ですし。生活していくには必要な事が多いのです」

 

 住む家は友人が手配してくれるらしいのだが、どういう感じなのかはまだ分からない。住む場所は大事だ。帰る場所が心休まらないと、人間はダメになってしまう。大学時代は、一階でレストランをしていて、二階にそこの店主家族が住んでいる建物の三階に居を構えていた。毎朝ギリギリに起きて、走りながら学校に向かったのが懐かしい。途中に美味しいパン屋があったのを今でもよく覚えている。ベルリンにも何か楽しいお店があるのを期待していた。

 

「ということで、お願いします」

「分かりました」

「部長としては、どうですか。少しは慣れてきましたか?」

「あんまり……」

「そうですか……。しかし、最初から出来る人ばかりではありません。落ち着いて、堂々としていれば大丈夫ですよ。少なくとも、あなたのやりたいことを貫き、それを示していれば周りが付いてきてくれるでしょう。そのやりたいことが正しいことならば、なおの事。あなたの理想は、何ですか? どういう部活を作っていきたいですか?」

「私は……みんなが北宇治を好きになってもらえるような部活を作れたら、良いなぁって、思ってます」

 

 段々と声が小さくなり、自信の無い声になっていく。最後の方は迷いながら、言葉を選んでいるようにも見える。それでも、自分の意見を主張はしていた。しっかりと、自分の言葉で。

 

「それは良い理想ですね。では、それを周りにも共有しましょう。そして同じ目標にするのです。部長の理想を、幹部の理想に。そして全員の理想に。同じ場所を目指していれば、例え途中で考え方が違っても、最後は同じ場所にたどり着くはずですので」

「はいっ!」

 

 黄前さんは良い声で返事をした。夢も理想も、一人で見ているだけでは叶わない。特にこういう周りを巻き込んでいかないといけないようなモノは特に。だからこそ、自分だけで勝手に抱いているのではなく、周りに共有して、皆の理想にしてしまった方が良いのだ。優子がそうしていたように。或いは、希美はこのことを理解していたからこそ、優子に宣言させたのかもしれない。

 

 提出に来た部員の対応を黄前さんに任せて、私は音楽室の扉を開ける。もう既に決まっている編成は早速練習を始めているし、そうでなくてもソロコンオーディションの参加希望を出して来る部員がいるので、彼らの対応は私の役目だった。

 

「先生、さっきのは……」

「あぁ、ただの冗談ですよ。話の流れであぁなっただけです。黄前さんが本気で言っているわけでは無いので、心配しないでください」

「そ、そうですか」

 

 ほら言ったじゃん、という顔で吉沢さんが見ている。安堵している高坂さんはあまり冗談が得意ではないようだ。前からある程度理解していたことではあるが。思うに、高坂さんは私を先生として見ているのだろう。教師として見ているからこそ、教師に冗談を言うという発想にならない。反対に黄前さんは私の先輩として見ている。だから高坂さんと比較すると態度が緩い。まぁそれでも吉沢さんに比べれば大分固いが。

 

「はいはい冗談通じない麗奈ちゃんは落ち着こうね」 

「だって……」

「だってじゃないよ、もう。先輩にそんなこと言う訳無いじゃん、あの部長が。他の子ならいざ知らず。あ、先輩。これお願いします。私たち二人の分です」

「ソロコンオーディションの希望ね。了解。確かに受け取りましたよ」

 

 出された希望書を受け取る。トランペットパートからは取り敢えずこの二年生二人が希望を出していた。一年生四人が出すかはまだ分からない。浅倉さんはちょっと迷っているようだったし、小日向さんは多分出さないんじゃないだろうか。小日向さんに関してはちょっと改善が必要かもしれない。現在はそれで構わないが、来年先輩になる、再来年は部やパートを率いる存在になるということを考えると、そろそろ改善に向けて動き出さないといけないかもしれない。

 

 加部との交流で随分マシになっているような気がするが、もう少し考えないといけないのだろうか。どの道私に出来るアプローチは少ない。加部はもういないし、ここからは新パートリーダーである吉沢さんに任せるしかないかもしれないだろう。

 

 そうでなくても、今のトランペットパートのツートップは二年生の二人だ。小日向さんも出ないとなると、他の一年生は希望を出さない可能性が高い。勝てる可能性が少ないのが見えてしまうからだ。そこで諦めずにチャレンジすることで実力アップに繋がったりもするのだが、結果が得られないことが分かっている戦いに挑めというのも、少し厳しい意見になってしまう。

 

「二人は今年も出る、と」

「私は今度こそ勝ちに行きます」

「全国まで行った相手に中々大きく出たね。けど、良い気概、良い根性だよ。一年生諸君も見習ってほしいんだけど……」

 

 吉沢さんはやる気満々だ。優子も引退した今、確実に高坂さんのライバル枠になっている。この二年、高坂さんと一緒に頑張って来ただけのことはある。ライバルがすぐ近くに存在しているというのは、相当な効果があるようだ。目指すべき指標がはっきりとしているからか、メキメキと成長していた。その速度は大したものである。教えておいてアレだが、私も少々驚いていた。

 

「首を洗って待ってろ! って感じですね。まぁ今年は私が勝ちますよ。楽しみにしててください」 

「大言壮語は今の内ね。今年も私が先生の伴奏で昭和音大行くから」

 

 バチバチと火花が飛び交っている。青白い雷の光が目に見えるようだった。去年も思ったけれど、高坂さんは燃え滾る赤い炎だ。吉沢さんは静かに揺れる青い炎という感じがある。どっちが強いということも無いけれど、実は炎は青い方が温度が高い。見せないだけで、内心の熱量は吉沢さんの方が熱いのかもしれない。

 

 今年の全国大会会場は神奈川県にある昭和音楽大学で行われることになっていた。昭和音大は川崎市麻生区にある私立の音大だ。前身を遡れば、1930年代になるので中々に歴史の古い大学だろう。

 

「はいはい、二人とも落ち着こう。君たちの飛ばしてる火花に後輩たちがビビってるから」

 

 二人はニコニコしながらスルスルとそのオーラを消していく。とは言え、目の中には「勝つのは自分だ」という感情が見て取れる。ライバルと競い合いながら高め合っていくのも、青春の一幕だろう。私にもかつて、こんな風に燃え滾っていた時があった。私はどちらかといえば、高坂さんのようなタイプだったと思う。ライバルがいるというのは良いモノだ。支えになり、時に励みになる。

 

「麗奈ちゃんは去年行ったでしょ」

「何回行っても良いと思うけど、全国大会なんて」

「日本橋で先輩のお金でたっかいウナギ食べてたじゃん、ずっこい」

 

 そこ? みたいな話。ツッコミどころの多い反論だが、高坂さんはうっと詰まっていた。そこで詰まる理由がよく分からない。何かしら負い目を感じているのだろう。

 

「しばらく黙ってたし」

 

 確かにそれは良くないかもしれない。しかし、随分話している内容もくだらない話だ。最初はギスギスとまでは行かないまでも、どことなくぎこちなかった二人がこんな話を出来るようになったのが微笑ましいし、嬉しいことである。

 

 最初は打算から仲良くなるように手を回した。しかし、それで上手くいくとは限らない。何とか上手いこと関係を保てているのは、ひとえに二人の努力に……どっちかといえば吉沢さんの努力によるものだろう。

 

 来年も安泰だ。じゃれている二人の姿を見て、そう思わされる。来年は二人の行く末を、努力を見守ることが出来ない。それだけが残念でならなかった。出来ることならば、二人を最後まで指導していたかった。叶わない願いだとは分かっている。だけれど、思うくらいは良いだろう。私の大事な教え子たちなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま……」

 

 疲れた身体を動かしながら家に帰り、防音室の扉を開ける。中ではいつも通り希美が勉強しているだろうと思っていたが、予想外の顔が二つあった。

 

「おいーっす」

「お邪魔してるわよ」

「何してんの二人とも」

 

 足を延ばしてくつろいでいる優子と夏紀の姿があった。いるとは思わなくて、ちょっとビックリする。希美はお帰り、と言いながら手を振っていた。

 

「どうしたの、いきなり」

「受験終わったのよ」

「じゃあ、合格?」

「そうそう。二人そろって合格」

 

 嬉しそうな顔で二人は報告してくる。推薦組であったとは言え、結果が出るまでは不安だろう。見事結果が出たのなら、その緩んだ顔も納得だった。

 

「そうか……おめでとう! これでキャンパスライフ確定だな」

「これで一段落よ。ま、一つ問題があるとすれば大学入ってもコイツの顔を見ないといけない事なんだけどね」

 

 優子は夏紀の事を指差しながら言う。とは言え、その言葉の中に真の意味で嫌だという感情が込められていないのは明白だった。非常に分かりやすい。いつものやり取りの一環だろう。

 

「そっちが合わせてきたんでしょ」

「違います~」

「じゃあ何で学部まで一緒なの」

「偶然よ、偶然!」

 

 こっちはこっちでくだらない。とは言え、このくだらないやり取りのおかげで部長吉川優子に明確な隙が生まれていたのも事実。完全無欠な人間は尊敬はされても慕われにくい。孤高な存在になってしまう可能性もある。そうならずに済んだのは、夏紀が適度に弄っていたからだろう。

 

「まぁ良いじゃないか。同じ大学の同じ学部で気心知れた人がいると楽だし。同じ授業とか取ってるなら、なおの事。羨ましいなぁキャンパスライフ。もう一回やれるもんならやりたい」

「私は待ってるよ。一緒にキャンパスライフやらない?」

 

 私の冗談めいた言葉に、サラッと希美は答えた。声こそ普通だし、サラッと告げられていたけれど、込められた感情は多分かなり重い。にっこり笑っているけれど、目の奥が笑ってないような気がした。

 

「……頑張って仕事します」

「そっかぁ、残念」

「ま、まぁ私はキャンパスライフを送る生徒を近くで見守る側になりそうだけど……」

 

 私は話を誤魔化すことにした。

 

「どういうこと?」

「ベルリン芸大の客員教授の要望が来てる。籍だけでも置いてくれないかってさ。母校の方が良いんだけど、場所が遠いからこっちのを受けることにした」

「ほーん」

 

 夏紀の気の抜けた声が防音室の中に響く。

 

「そう言えば二人とも、もう暇なら免許でも取ったら? 今なら車校も空いてると思うけど」

「校則で原則卒業まで禁止じゃなかった?」

「マジで? 普通に担任に聞いたら良いって言ってたけど」

「そりゃアンタは進路選択で必要なんだから許可もされるでしょ」

「なるほどそういう理屈か…… 」

 

 一番無難な運転をしそうなのは希美。一番未知数なのはみぞれだ。希美は普通の車に乗ってそうな感じがある。優子はパステルカラーの軽で、夏紀はちょっと古い感じの車。みぞれが一番分からないが、何に乗っていても割と様になっている気がする。

 

「というか、この家来年から家主がいないのよね?」

「まぁ、そうなるけど」

「なるほど……お願いがあってぇ」

 

 優子のちょっと気持ち悪い猫なで声に言いたいことをなんとなく理解する。

 

「たまり場にしようとか考えてる?」

「……」

「防音室もあるもんねぇ。アンプもあるし、機材も上質なのが揃ってる。カラオケでギターとかやるのに比べればいい環境だし、何ならカラオケマシーンもマイクもあるし」

「…………」

 

 優子がギターをやっているのは知っていた。夏紀はベースをしている。バンドでも始めるのだろう。沈黙は私の言葉を肯定していた。それはそれで良いと思う。音楽に情熱を燃やした高校生活が終わって、音楽から離れてしまうのは少し悲しい。楽器は違っても、音楽を好きでいてくれるのは嬉しいことだった。だから、しょうがないなぁと思いながら応える。

 

「使いたいなら使ってもいいけど、別に」

「ホント?」

「涼音が良いって言うなら」

「やった」

「ありがと」

 

 喜んでいる優子の横で、夏紀もお礼を言ってくる。無駄に広い家だ。別にここを占領されても困りはしない。折角部屋があるなら有効活用しないともったいないだろう。この家も三人しかいないよりもっと多くが足しげく通ってくれる方が嬉しいはずだ。家は人がいないと死んでいく。

 

「家を出ようと思ってるんだけど、マンションで練習できないからホントに助かるわ」

「一人暮らしするの?」

「そのつもり」

 

 優子の家はそれなりにお金があるようだ。娘の一人暮らしをさせられるくらいには余裕があるのだろう。家からも通える距離だとは思うが、社会勉強のようなものだろうか。

 

「何か分かんないことあったら聞いて。一応こんなのでも四年間やってた先輩だし」

「そういやそうだったわね」

「住む場所決まった?」

「まだ不動産も行ってない」

「じゃあ、ちょっと待ってて」

 

 私は財布の中から自分の名刺を取り出す。裏にペンでちょこちょこと文字を書いて、優子に渡した。

 

「駅前の不動産あるでしょ? あそこでこれを出すと、良いとこ紹介してくれるはず。オートロック付きのちょい広めの場所。駐輪場と駐車場もありで、駅から徒歩七分くらいかな」

「あ、ありがとう」

 

 若干困惑しているが、彼女は取り敢えず私の名刺を受け取った。大したことは書いてない。下手な物件紹介するとこっちに情報行くからな、という話である。持ってる土地を宅地にしたい不動産会社なので、下手な対応はしなくなるだろう。

 

「えー羨ましいなぁ。私も一人暮らししてみたいかも。あぁでも掃除とか面倒だなぁ。お金も無いし」

 

 希美がのんびりした声で言う。一人暮らしは面倒なことも多い。気をつけていないと、段々と生活のクオリティが下がっていくのだ。自分で何でもやる一人暮らしというのは、自由であるが故の罠がちょこちょこある。そこまで考えて、一つのアイデアが思いついた。

 

「実は良い物件があるんですよ」

「そうなの?」

「敷金礼金無し。賃料無し。光熱費無し。通信料と食費だけ請求」

「破格だね」

「駅から徒歩十三分。冷暖房完備、ユニットバスと洗濯機は備え付け、システムキッチン。広いLDK。庭あり。掃除洗濯は担当者あり」

「うん?」

「条件、料理が出来る。朝早く起きれる。毎日三食分ご飯を作っても構わない人」

「おっと~?」

「最初の建造は明治五年。ただしリフォーム済み。部屋多数。個室広め。面積はとにかく広い。車二台。同居人二名」

「うん、それこの家だよね?」

「そうだね」

「この家に住むの?」

「そういう選択肢もあるよ~って言う話。まぁちょっと考えておいてよ。完全な一人暮らしじゃないけど、練習くらいにはなるだろうし。あと、あの料理がポンコツな二人を残して旅立つのは怖いから……。という訳で居候歓迎です」

「分かった。ちょっと、相談してみる」

 

 希美はちょっと赤い顔で言う。夏紀が小さく口笛を吹いて、優子が「私が住みたいわよそんな家」と呟いている。私はそうなってくれたら嬉しいと思っていた。自分の妹を見守ってくれる存在が側にいてくれるの助かるし、単純に希美がウチで生活していたら帰って来た時に楽しいなと思った。

 

 ガラっとドアが開いて、オーボエのケースを持ったみぞれが入って来る。どうやら希美がさっき呼んでいたらしい。夏紀と優子の合格を祝するという名目であるようだ。それもあるだろうけれど、もしかしたらただの口実かもしれない。部活が終わってから中々集まれなかったので、その気持ちは理解できる。

 

 希美がドン、とお菓子の箱を置く。ウチの祖母が何を思ったのか彼女に送ったお菓子の一部らしい。お茶を入れてこようと椅子から立ち上がる。場所は防音室で適当な椅子に座っているだけ。優雅では無いし、綺麗な喫茶店なんかでもない。それでもこの時間は上質なモノだった。

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