音を愛す君へ   作:tanuu

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第百九音 継承

 音楽準備室の壁に貼られた紙は日に日に枚数を増していく。それを眺めながら、今年は随分と編成の数も多くなったと感じていた。去年は僅かに七編成だった。今年は倍くらいの規模がある。これは非常に嬉しいことだ。部員が増えて演奏の幅も広がったということを如実に示している。

 

 編成が決まったところは当然曲も決まっている。楽譜の準備だったり場合によっては許可を取らないといけないこともある。とは言え、まぁ大体の場合は許可されるのだが。

 

「編成が決まらないみたいです……」

「そうですか」

 

 困った顔の黄前さんに、私は困った顔で応じた。自分たちで決められないなら相談してくれ、という話はしていたが、思ったよりも早く相談に来ている。

 

「サックスの細野さんから相談を受けちゃって」

「コンバスも埋まってしまいましたからね」

「はい……」

「となると残ってるのがサックスとファゴットと……あぁなるほど、そう来ましたか」

「え?」

「大丈夫ですよ、部長。その問題恐らく数時間以内に片が付きます。どおりでずっと決まらないと思ったわけです」

 

 私の言葉がどういう意味か測りかねている部長の疑問を晴らすように、音楽準備室のドアが開けられた。その向こうには、先ほど話に出た件の細野さんとウチの妹が立っている。

 

「部長、報告よろしいでしょうか」

「う、うん、どうしたの?」

「細野さん含む編成、決定致しました」

「うそ!?」

「本当ですよ、この通り」

 

 スッと妹は紙を差し出す。そこには五人の名前が書かれていた。サックスの細野さんとファゴットの籠手山さん、それにウチの妹、そして三年生二人の名前が書かれている。

 

「優子先輩と夏紀先輩?」

「はい。お二人とも受験は終了したと、先日ご本人からお聞きしましたので、これは良い機会だと思ってお声掛けしました。報告が遅れて申し訳ありません。独断専行が過ぎるかとは思いましたが、決まらないという不安を少しでも早く解消したかったので」

「ううん、でも二人とも引き受けてくれたんだね」

「先ほど、細野さんと交渉に向かい、快諾して頂きました。ね?」

「はい!」

 

 眼鏡をくいっとあげて、細野さんは嬉しそうな顔をする。妹曰く、非常によく食べるらしい。何でも部内随一の大食いとか。その細い身体のどこに吸収されていくのか、私としては人体の神秘を感じざるを得ない。ともあれ、その細野さんは編成が決まったことにとても安堵しているようだった。

 

「では、練習場所の確保をしてきてください。お願いします」

「了解です」

 

 細野さんは妹と部長に頭を下げて走っていく。籠手山さんにも報告しに行ったのかもしれない。

 

「じゃあこれで全編成……!」

「決まったことになるんじゃないでしょうか。曲は和田直也作曲の「フラワー・クラウン」にする予定です」

「ありがとうね、わざわざ」

「いえ。もとよりこうなるだろうとはある程度予想できていたので」

「予想出来ていたって言うのは……?」

「アンサンブルコンテストの特性上、後半になればなるほど編成を組みにくくなります。フルートは比較的汎用性の高い楽器でしたから、一人くらい残っていれば組みにくくなってしまった部員のフォローに回れると思いましたので。そういうわけで今までは頂いたお誘いを辞退していました。このコンテストの目的が個々人の実力向上ならば、何かお役に立てる事もあるでしょうし」

 

 すらすらと答える姿に、黄前さんは困惑している様子だった。もしかしたら、自分は先に編成を決めていた事への罪悪感のようなものを感じているのかもしれない。彼女の瞳からは、そんな感情も僅かに感じ取ることが出来た。確かに去年部長副部長だった優子と夏紀は初心者の子の受け皿として動いていた。

 

「ご迷惑でしたか?」

「う、ううん。そんな事無いよ」

「それは良かったです。僭越ながら、同じ部長経験者として理解できるところもあるつもりでおります。何かあれば、遠慮なくお声掛けください」

「う、うん、よろしくね」

「はい。それでは失礼します」

 

 深く頭を下げて、妹は音楽室に向かって行く。その姿が消えて数秒後に、黄前さんはプヘーと息を吐きだした。まるで風船に入っていた空気が抜けたような感触を覚える。

 

「ホントに高一……?」

「私、まだいるんですが」

「うわぁぁ! ごめんなさいごめんなさい、そういうつもりじゃなくってぇ!」

「まぁ良いですけどね」

「いや、違うんです。桜地さん、凄い大人っぽいじゃないですか」

「……」

 

 その言葉に反応に困る。大人っぽい、と言われればそうなのかもしれないが、それはあくまでも世間一般向けの顔。普段家では全然そんな感じはない。希美筆頭に南中の先輩に接するときはかなり甘えている。姉のような感じに思っているのだろうか。私から見れば、まだまだ子供でも、近しくなければそうは思わないだろう。

 

「だからホントに同じ高校生で、しかも年下なのかなぁって」

「私から見れば、まだまだ子供ですけどね」

「そりゃ、上の兄弟からすればそうかもしれないですけど」

「あぁ、黄前さんはお姉さんがいるんでしたね」

 

 黄前さんのお姉さんについて知っている事は大してない。それなりに年が離れていたような気がする。後は、去年の全国大会を見に来ていたくらいだろうか。その結果、黄前さんは私の話を聞かずにお姉さんを追いかけて行ってしまった。あの後軽く説教した記憶がある。

 

「麗奈もフラれたって言ってましたし、色々考えてるんだろうなぁ……」

「あぁ、高坂さんついにフラれたんですか?」

「はい。でもまだ諦めてないみたいです」

「高坂さんも粘りますね」

 

 確かに高坂さんの気持ちも理解できた。全国金の中学を率いた部長で師匠の妹。中学時代は音楽的指導もしていた。先輩に物怖じはしないし、演奏能力は確か。同期からの信頼も、さっきの細野さんを見る限りかなり厚い。本人が及び腰なのを除けば、非常に優良物件だった。部長副部長ドラムメジャーのどれでも務まるだろう。直ちにやれと言われても、多分。

 

 高坂さんはそういう才能を持っている子を高く評価する。自分に無いモノを持っているとも思っているのだろう。そして悲願となっている全国金を目指すために知恵を貸して欲しいとも。既に成功経験のある南中組は、優良な参考ケースになるのだから。

 

「まぁ確かに高坂さんなら諦めないでしょうね。私をそうして口説き落とした人なので。あの時は凄かったですね。入学早々に先輩の教室にやって来るなんて、非常識を通り越してぶっ飛んでますよ」

「ア、アハハ……」

「まぁでも、そんな高坂さんがいたから私はここに戻ってきたわけですが。妹が根負けするか、高坂さんが袖にされ続けるか。二つに一つでしょうね。どちらになるか分かりませんが」

「でも、桜地さんどうして断ったんでしょう。出来ると思うのに……」

「色々見えているモノがあるのでしょう。将来のことが、色々と。先に言っておくと、私は本人の自由意思を尊重するつもりですので、そのつもりでいてください」

 

 私がやりなさいと言って、はい分かりましたというような子じゃないことは私がよくよく知っている。これでも長く付き合ってきたんだ。一番理解している自信がある。そんなでも去年の事態は防げなかったので、ホントに理解しているのかよと言われれば少し自信が無くなってしまうが、それでもその辺の有象無象よりは理解できているつもりだった。

 

「さっきの言葉、額面通りに受け取っても良いんですか? 声かけて欲しいって言うの……」

 

 遠慮がちに黄前さんは問うてくる。本音か建前か、分かりかねているのだろう。個人的な事を言えば、どっちもだとは思う。もし黄前さんが頼ることに慣れ切って職務を押し付け始めたらまた中学時代に逆戻りするカウンターが溜まっていくだろう。けれどしっかり職務を果たしつつお願いしてくるなら、喜んで引き受けてくれるはずだ。

 

「受け取っても良いと思いますよ。何か困ったことがあれば、遠慮なく使ってあげてください。大抵のことはどうにかするでしょう」

 

 あなたが部長としてしっかり職務を全うしているのなら。そういう言葉は呑み込んでおくことにした。実際、同じ部長経験者というのは事実だ。強豪の部長同士、そこしか理解できない景色や感情はあるのだろう。出来る限り仲良くやって欲しいのだが、どうなるかは正直未知数なところがあった。

 

 黄前さんは誰かの感情にグイと入り込もうとすることがある。そして大体の行動は何かしらの過去に原因が、それも悪いモノが存在していると考えるきらいがあるようだ。人間は本音と建前を使い分けていることが多い。だから本音を突くというやり方は、私もそれなりに多用していた。しかし、彼女の場合本音と建前が分かれているという確証をどこで得ているのか、イマイチ分からない。私は完全に経験則だったので、彼女もそうなのかもしれないが。

 

 彼女が踏み込んだことで解決したこともある。田中先輩の背中を押したのも、久石さんを引き戻したのも彼女だ。だがそれが誰にでも通用するとは限らない。成功体験は時に驕りとなる。来年、そうならないことを祈った。とは言え、大体は何とかなるだろう。後輩相手ならば特に。余程難しい相手が来ない限りは、彼女の経験でどうにか出来るだろう。そんな風に、私は思っていた。

 

「そう言えば、演奏会を入れたいですか?」

「演奏会、ですか?」

「はい。もし希望するなら、仕事を取ってきますが」

「そうですね……アンコンの演奏会が終わった後なら、良いかもと思います」

「分かりました。その辺を目途に幾つか当たってみます」

 

 演奏会も貴重な機会だ。来年再来年、それ以降の部員獲得に繋がる可能性がある。それに、地域や社会からの知名度や評判はあげておいて損はない。大会が始まる前のこの時期だからこそ、そういう行事にも時間を費やせるのだ。私がいる間は、方々に顔を繋いで来年以降も依頼が来るようにしておきたい。黄前さんたちが引退した、その後のことも考えていた。なにせ、最愛の妹がいるのである。これくらいはしても、バチは当たらないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「全編成、出揃ったみたいですね」

「えぇ。既に報告を受けました。これはまた随分と数が増えたというのが第一印象です。北宇治も、大きくなりました」

 

 感慨深そうな声で先生は言う。放課後の職員室は少し騒がしかった。三年生の進路関連のイベントが近付き、先生方はバタバタしている。滝先生も三年生の担任を持っている以上、例外ではいられない。

 

 そんな先生だが、部活にも当然力を入れている。来年こそは。それは先生の悲願でもあった。そのための布石として用意されているアンサンブルコンテスト。今回の校内予選に挑むのは十四編成だ

 

 第一編成は打楽器七重奏でグラステイル作曲「ヴォルケーノ・タワー:7人の打楽器奏者のための」。メンバーは堺万紗子、北田畝、林來理、東浦心子、前田蒼太、前田颯介、町田道子。

 

 第二編成はクラリネット四重奏でグルック作曲「精霊たちの踊り」。メンバーは井村たく、北山タイル、坂崎彩子、端田麻椰。

 

 第三編成は金管六重奏でリチャーズ作曲「『高貴なる葡萄酒を讃えて』より五楽章 フンダドーレ…そしてシャンペンをもう一本」。メンバーは浅倉玉理、吉川真衣弥、鈴木さつき、滝野さやか、葉加瀬みちる、布袋知美。

 

 第四編成はフルート三重奏で高橋宏樹作曲「月明かりの照らす3つの風景」。メンバーは小田芽衣子、高橋沙里、中野蕾実。

 

 第五編成は金管七重奏で高橋伸哉作曲「金管七重奏のための”ティータイム”」。メンバーは赤松麻紀、福井さやか、吉沢秋子、鈴木美玲、貴水卓、久石奏、深町スミ子。

 

 第六編成はサックス三重奏で八木澤教司作曲「サクレクールの風」。メンバーは鮎川京子、内田ベイブ、大滝七海。

 

 第七編成はクラリネット四重奏でピアソラ作曲「革命家」。メンバーは植田日和子、高野久恵、高久ちえり、松崎洋子。

 

 第八編成は木管八重奏でドビュッシー作曲「『小組曲』より Ⅳ.バレエ」。メンバーは芦田聖子、江藤香奈、遠藤正、加藤樹、奈良町子、服部半葉、平石成美、松本きり。

 

 第九編成は管打八重奏で松田彬人作曲「フロントライン~青春の響き~」。メンバーは井上順菜、黄前久美子、加藤葉月、釜屋つばめ、高坂麗奈、塚本秀一、森本美千代、小日向夢。

 

 第十編成はコントラバス二重奏でベートーヴェン作曲「6つのメヌエット」。メンバーは川島緑輝、月永求。この編成は大会要件を満たしていないので、選考会は参加だけという形になる。

 

 第十一編成は木管五重奏でイベール作曲「3つの小品」。メンバーは兜谷える、剣崎梨々花、小原愛音、平沼詩織、山根つみき。

 

 第十二編成はホルン三重奏でライヒャ作曲「6つのトリオ」。メンバーは瞳ララ、土屋響、屋敷さなえ。

 

 第十三編成はサックス三重奏でグラナドス作曲「スペイン舞曲集より ガランテ、バレンシアーナ―ナ」。メンバーは瀧川ちかお、牧誓、鈴木靖也。

 

 最後に第十四編成は管楽五重奏で和田直也作曲「フラワー・クラウン」。メンバーは中川夏紀、吉川優子、籠手山駿河、桜地涼音、細野暖奈。

 

 改めて列挙してみると壮観だ。こんなにたくさん編成が組めるようになったのは、ひとえに今年の部員が多いからだろう。火種の予感もしないではないが、今はこの多種多様な演奏が聴ける機会を楽しむのが最善だろう。

 

 有力株としてはやはり実力者揃いのクラリネットで構成された第七編成か。第九編成も主に高坂さんを中心に集まっただけのことはあり、上手い面子で構成されている。まさしく、勝ちに行く編成になっている。去年の関西経験がある黄前高坂コンビは今年もそこまで行くことを狙っているはずだ。そこにソロコン経験者の井上さんや、トロンボーンのエース塚本君などを淹れれば十分戦える編成だろう。

 

 第十三編成も瀧川君筆頭にサックス巧者三人で構成されている。瀧川君も牧さんも二年連続で全国出場だし、鈴木君も南中出身で中学高校と全国に出ている。当然十四編成も負けてはいない。ウチの妹中心に引っ張って行く形になりそうだ。

 

「昨年、人数が増えたらという話をしたのが遠い昔のようです。こんなに編成が作れるとは。俄然楽しみになってきましたね」

 

 ワクワクしながら先生に告げる。私も大概、音楽星人なのだろう。昨年の夏、希美にそう言った井上の言葉を借りれば。音楽が好きだからこそこの仕事をしている。稼げるとか名誉を得たいとかだけなら素直に家にいれば良かったのだ。そうしなかったのは、音楽を愛していたからだろう。

 

 昨年にルールのフォーマットを作り、それを今年の代でブラッシュアップしてくれている。ある程度形になったと思うので、これは今後も恒例行事になるんじゃないだろうか。参考になるようなモノを残すのが先輩の務めと思って始めたが、良い感じに効果が出ている。私の先見の明も、まだまだ捨てたモノではないらしい。

 

「そして、こちらがソロコンの希望者です。まだ現時点で、ですが」

 

 今年も多くのメンバーが希望を出していた。それ自体は大変喜ばしいことではある。こちらの審査が大変だということを除けば。今年も白熱しそうな予感が今から漂っている。

 

 クラリネットは植田さん、高久さん、松崎さん、高野さん、北山君。フルートは小田さんと高橋さん、そしてウチの妹。ダブルリードは剣崎さん。サックスからは瀧川君、牧さん、鈴木君、遠藤君。トランペットは高坂さんと吉沢さん。ホルンは森本さん、瞳さん、屋敷さん。トロンボーンは塚本君と赤松さん。低音は黄前さん、久石さん、鈴木美玲さん、川島さん、月永君。パーカッションからは堺さん、井上さん、前田兄弟。以上29名がエントリーだった。去年は21名だったので、8人も増えている計算になる。

 

 それでも予選に出れる枠がたったの五枠。それを争う訳だ。単純計算で確率は六分の一。より一層激戦になっている。しかしこれでも恩情な方だろう。三年生が出るとかになれば枠はもっと狭くなる。例えば、フルートは希美、ダブルリードはみぞれが出た時点で他が勝てなくなるだろう。当然、トランペットも私が出たら後輩二人は勝てない。自信過剰みたいだが、仮にも師匠を名乗っている以上、弟子に負けるわけがない。

 

「こちらも、随分増えましたね。分かりました。昨年同様、オーディションの箇所を作成します。明日には完成すると思いますが、部長とあなたとどちらに渡しますか?」

「取り敢えず私に。ソロコン関係はこっちが担当していますから」

「では、そのように。新体制はどうですか。昨年も同じことを聞いた気がしますが」

「まずまずのスタートでは無いでしょうか。現状問題点もありませんし、目の前の出来事を粛々と実行している感じです。尤も、滑り出しなんて言うのは大概そんなものかもしれませんが」

「なるほど。あなたの目の黒い間は大丈夫そうで安心していますが、やはりその後にスムーズに繋げられるかが課題だと、私は思っています。あなたの目から見て、どうでしょうか」

 

 先生の疑問は確かに大事な話だった。去年は私が続投だったので色々と補佐も出来たし、先生と生徒の繋ぎ役も出来た。部員のフォロー、オーディション結果に関することなども、取り持つことが出来た。しかし、来年は違う。私はもういない。その役目を負わされる危険性のある人はいるが……どうなるかは未知数な部分が多かった。

 

「正直に言えば、不安なこともあります。しかし、いつまでも過保護にしていてはひな鳥は飛び立てませんので。それに、決して一人だけという訳でもないですからね。協力し合っていけば、必ず飛び立てるでしょう。部長にはしっかりとした理想が存在しているようでした。理想と現実の乖離に苦しむこともあるかもしれませんが、目指すべき場所がはっきりしていれば、人はそこまで迷わないと思います」

 

 これはあくまでも私の考え。実際にそうなるかは分からない。部長の業務は多岐に渡る。責任も重い。分散できるように幹部がいるし、色々と手を打ってはいる。パートリーダーの権限を強くし責任を増やしたのもそれの一環だ。去年から始めたことは、大半が確実に次の体制をサポートできるようにとの考えで行い始めたモノばかりだ。

 

 組織運営とは難しい。あらゆる可能性を出来る限り考えないといけないし、最終的に腹を切る存在も決めておかないといけない。将棋やチェスと同じで、とにかくアタック、みたいな手段が最善とも限らない。迂遠な一手が実は勝利への鍵だったりすることもあるのだ。それを考えるのは、骨が折れる。

 

「それは何よりです。新世代は、私が赴任してきた時に同時に入ってきた世代ですから、幾分思い入れもありますので。無論、これまでの学年に思い入れが無いわけではありませんが」

「良かった。じゃないと、ウチの学年の面目丸つぶれですよ、一応担任持ってるんですから。教頭先生にご注進に行くところでした」

「それは勘弁して頂きたいですね」

 

 冗談半分、本気半分という声で先生は言う。その声は穏やかだ。進路関連で忙しいのだろうけれど、それとは別にまた一つ重荷が降りたのだろう。けれど決して長いことその状態は続かない。また新しい重荷を背負って、前に進むのだ。人生は重き荷を背負いて遠き道を行くが如し、ということなのだろう。

 

「そう言えば、教習所はどうですか」

「割と楽しいですね」

「私はあのS字クランクが嫌いでした。今は大分楽になったのと思います。私の頃はマニュアルが主流でしたので」

「あぁ、そう言えばそういう世代ですか」

「今はオートマチックがほとんどですからね。私の車はMTですが」

 

 先生の愛車はシトロエン・アミ8。フランスのメーカーであるシトロエンが発売していたシリーズだ。先生の車は1969年に発表されたモデルになっている。結構古い外車なので、恐らく先生の趣味だろう。意外とクラシックなモノが好きなのかもしれない。寺社仏閣めぐりが趣味な人なので、意外とでもないかもしれないが。

 

「ウチの車も一台MTなので、どっちにしろ免許はそっちを取らないといけないんですけどね……」

 

 正直非常に面倒なのだが、外国で暮らす際に免許がいるのでしょうがないから通っている。三十万くらいする料金は無理くり自腹で払った。おかげで貯金が減っている。さっさと終わらせてしまいたい。というより、日本で取得しても海外は左ハンドルなので、またそっちに慣れないといけないのが大変そうだ。ヨーロッパで右ハンドルなのはイギリスくらいである。

 

 車は私の身近な人の死に繋がった道具ではあるのだが、無いと生活できない。それに、道具が悪いのではなく、使う人が悪いのだ。交通事故だけは絶対に起こしたくないと思いながら通っている。

 

「あれは慣れしかありませんからね。やはり、ドライブデートとなれば男性が運転する方がスタンダードというモノです。少し古い考えかもしれませんが」

「先生もそうしてたんですか?」

「えぇ、まぁ」

 

 なんとなく希美は運転好きそうな気がする。ドライブ、というのではなくてもどこかへ行くのには非常に便利だろう。旅行とかも行けるようになるかもしれない。

 

「車もそうですが、ヨーロッパ行きの準備は順調ですか。いつもの世界大会も近いですが」

「はい、何とか。大会関連で向こうに行った時、ついでに物件も探しておこうと思っています。既に手配はしてもらってるので」

「なるほど。では、気を付けて行ってきてください。風邪などひかないように」

「ご心配ありがとうございます」

 

 吹部がアンコンで忙しい中旅立つのは非常に心苦しいけれど、私にもやるべきことがある。それに、すぐ戻って来るつもりだ。そうすればまた練習を見ることが出来る。演奏会の企画なども出来るようになるだろう。私がここにいるのは後数ヶ月。それでもその残された期間でやれることを最大限やるつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

「以上、十四の編成で今回のアンサンブルコンテストは行います。前にも説明しましたが、演奏会で投票を行ってもらい、部内投票で一位を獲得した編成が府大会に出場する形になります。ここからの時間、限られてはいますが精一杯練習して良い演奏を届けられるようにしてください」

「「「はい!」」」

 

 部長の少し普段よりトーンの高い言葉に、大きな返事が返って来る。内心で何とかなったと毎回思っているのが伝わっていた。初々しいと言えば初々しいし、不安だと言えば不安だ。そのうち慣れてくれるだろうとは思っている。立場が人を育てると希美も言っていた。願わくばそうであって欲しいし、そうなるように努めたい。

 

「続いてソロコンについて、お願いします」

「はい」

 

 ソロコンの受け持ちは私が担っていた。理由は簡単で、私が審査員も兼ねているからである。

 

「現在29名の方から参加希望を貰っています。もちろんこれからエントリーすることも、逆にエントリーを取り消すことも可能です。そこは各自で判断してください。私個人としては、一年生にもっと積極的に参加してほしいところですが……」

 

 確かに二年生で上手い奏者が多いが、一年生だって負けているわけじゃない。どんどん積極的に挑戦することが、次への機会に繋がることもある。一応こうしてアナウンスをしているのは、機会を逃して欲しくないからである。もし迷っている人がいれば、最後の後押しになれるだろう。

 

「この後、現在の応募者にはオーディションで演奏してもらう該当箇所を配ります。そこを当日演奏してください。ただし、六月のオーディションと同じように皆さんのアンサンブルコンテストで選んだ曲の中からではありますが、該当箇所以外を指示することもあります。その場合も審査対象になりますので、注意してください」

「「「はい!」」」

「また、曲や楽器の違いがあります。なるべく同レベルの箇所を課題として出しますが、微妙なレベルの差はある事を予め承知しておいてください」

 

 こればっかりは仕方ないところがある。一団体五名までしか出れない予選側の規定が良くない。

 

「最後に。ソロコンに出場した人は、予選であろうと北宇治の次代を担うエースとみなされます。当然、他の人よりも高い基準の演奏を今後も要求されます。それを肝に銘じて、辞退希望は一週間以内に申し出てください。よろしいですね?」

「「「はい」」」

「では、私からは以上です」

「ありがとうございました」

 

 黄前さんの挨拶に軽く応えて、私は横にズレる。私の後は高坂さんが話を始めた。

 

「吹奏楽で上に行く、よりよい結果を得るために大事なのは間違いなく優れた指導者と優れた奏者です。どちらが欠けても成り立ちません。車輪の両輪のようなものです。そして、北宇治は今優れた指導者を持っています。一人は当然滝先生。そしてもう一人は桜地先生。ですが桜地先生は来春にご卒業されます。この貴重な時間を、一分一秒も無駄にしてはいけません。私たちが優秀な奏者になることで、初めて車輪は前に進みだします。今からの練習が、来年の結果に繋がる。小さい積み重ねが、大きな効果を出す。今は遠回りに見えても、必ず行いには意味があります。それを胸に刻んでください!」

「「「はい!」」」

 

 高坂さんの言葉に、一段と大きな声が返って来る。遠回りに見えても、必ず意味がある。直線的な行動だけが、最良の結果を生むとは限らない。私はそういう信念を持ってこれまで吹奏楽部のために、と銘打ちつつ行動をしてきた。高坂さんはそれをしっかり受け継いでくれている。

 

 受け継がれているモノ、私が残せたモノは確かに存在していた。目に見える形ではないかもしれないけれど、高坂さんの中で確かに。その事実だけで私の二年間は報われたのだ。

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